カテゴリー「聖なる言葉」の480件の記事

2020年7月12日 (日)

NHKEテレ・こころの時代~宗教・人生~「今 互いに抱き合うこと-コロナ禍に読む聖書-」(2020年7月12日放送)

北九州市の東八幡キリスト教会奥田知志牧師をご存じですか?

私はNHKの番組でその活動を知り、何冊か師の著作を読みました。

(以前、2本記事を書いています。)

NHKEテレ・こころの時代~宗教・人生~「この軒の下で」(2015年3月14日再放送)

書評:奥田知志/茂木健一郎『「助けて」と言える国へ』(集英社新書)〜脳科学者から見る教育界は変!

(以下は実際に買って読んだことがある本です。)

私はどちらかというとリベラル系の牧師の本は読まないのですが、

この方の著作は、霊性と社会性どちらも兼ね備えている稀有な存在です。

 

「助けて」と言える国へ ―人と社会をつなぐ (集英社新書) (日本語) 新書 – 2013/8/21

 

もう、ひとりにさせない (日本語) 単行本(ソフトカバー) – 2011/5/6

 

いつか笑える日が来る 我、汝らを孤児とはせず (いのちのことば社) (日本語) 単行本(ソフトカバー) – 2020/1/10

 

2020年7月12日に、NHKEテレの「こころの時代~宗教・人生~」では、

今 互いに抱き合うこと-コロナ禍に読む聖書-」と題して、

奥田知志牧師へのインタビューを放送していました。録画で視聴しました。

ともすると、聖書の言葉を、骨董品的にありがたがるか、

博物館的に時代背景を解説して終わりか、

あるいは、死後の世界を強調して脅すか、

そんな感じに終わってしまう説教者が多いですが、

奥田師は、今を読み解き、現実を切り開くツールとして、聖書をまさに生きている、

そんな感じを抱きました。

 

幾つも、「なるほど!」と思わされるところがありました。

たとえば、今年起きたトイレットペーパーの買い占めについて、

「私たちの他者性の欠落=非人間化」を論じ、

そこから、創世記1章に飛躍します。

そしてそこから、「ステイホーム」の対極である、

「アウトホーム」(スーパーの店員やゴミ収集、医療関係者など)がいたからこそ、

ステイホームができた、と再び現実に立ち戻ります。

また、マタイ6:6「あなたが祈るときは、奥の部屋に入って戸を閉め、

隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。」(聖書協会共同訳)を、

従来的な解釈「偽善者のように祈るな」にも触れた上で、

「みんなの前では祈れないような本当の気持ち、すなわち心の中のムカムカや愚痴を、

一人で神の前にさらけ出せ」(正確な引用ではありませんが・・・)というのは、

まさに目からウロコものでした。

マタイ1:23の「インマヌエル」(神がともにおられる)を、

問題解決型ではない救いのイメージとして提示したのも新鮮でした。

「孤立が罪」とも・・・

さらには、相模原やまゆり園事件の被告への直接面会の話も心を打ちました。

見応えのある1時間でした。

2020年7月 5日 (日)

小友聡著『NHKこころの時代~宗教・人生~それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」』 (NHKシリーズ NHKこころの時代)

空の空

空の空、一切は空である。(旧約聖書コヘレトの言葉1:2聖書協会共同訳)

空の空。

空の空、一切は空。(旧約聖書コヘレト1:2フランシスコ会訳)

なんという空しさ なんという空しさ、すべては空しい。

(旧約聖書コヘレトの言葉1:2新共同訳)

 

旧約聖書の中でも異質な書、「コヘレトの言葉」。

口語訳では「伝道の書」、

新改訳(2017含む)では「伝道者の書」という題名になっていますが、

今回は「コヘレトの言葉」で統一します。

 

NHKEテレ「こころの時代」で、

2020年4月~9月の毎月第3日曜日に放送予定だった、

シリーズ それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」

コロナ禍で、放送が延期(少なくとも今秋以降)となりましたが、

テキストは発売中です。

 

NHKこころの時代~宗教・人生~ それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」 (NHKシリーズ NHKこころの時代) 

著者の小友聡氏は、東京神学大学教授で、日本キリスト教団の牧師です。

この著者名は、昨年、札幌のジュンク堂書店のキリスト教コーナーで、

たまたま見つけた本

コヘレトの言葉を読もう 「生きよ」と呼びかける書』(日本キリスト教団出版局)を読み、

感銘を受けたので、

期待して買ってみました。

 

コヘレトの言葉を読もう 

 

さて、放送テキストの方に戻りましょう。

先ほど取り上げた『コヘレトの言葉を読もう』と共通しているところが多く、

一般向けの「コヘレトの言葉」入門書である『コヘレトの言葉を読もう』をさらに平易に、

コンパクトにまとめた、という感じでした。

 

冒頭に掲げた「空の空」の「」とは、

仏教の「空」(これを説明するのは結構大変ですので省略・・・)とは違います。

へブル語の「へベル」=空、空しさを、

著者は「束の間」という言葉に置き換えています。

(P35~42)

そこから、

(引用)

 「へベル=束の間」とすると、「空の空、一切は空である」は、「すべては、ほんの束の間である」と訳すことができます。「なんという空しさ、すべては空しい」(筆者注:新共同訳)と比べると、かなり印象が違うでしょう。「これもまた空であり、風を追うようなことである」は、「ルーアハ」(筆者注:ヘブル語で「風」、「息」ひいては「霊」)を追うような一瞬のことだと言っているのです。

 へベルが「空しい」と訳されたのは、「新共同訳聖書」(一九八七年)からです。その前はずっと「空」でしたが、わかりやすくしようということで、「空しい」になったのではないかと思います。この聖書は今もよく読まれているので、コヘレトという人は、「空しい、空しい」といばかり言っているという認識が広まっているのです。(中略)

 「人生は束の間である」という事実を、コヘレトはじっと見つめています。それを無意味だとは、彼(注:コヘレト)は決して言いません。むしろ、そこからどう生きるか、どう生きたらよいかを、知者コヘレトは徹底して考えるのです。

(P.38~39から引用終)

と述べています。

そこから、コヘレトの現世賛歌、終末嫌いなどについて論じていきます。

ちなみに、「コヘレトの言葉」中、「空」は、38回出てくるそうです。

 

(引用)

 人間は塵から造られ、神から「命の息」を吹き込まれて、生を得たのです。ですから、人間の死において「息」は、それを与えた神に帰ります。ここには、「人間は最後に創造主である神の手の中に帰るのだ」というコヘレトの信仰の根拠があります。無神論者とか、信仰否定者などと呼ばれるコヘレトは、創造主への揺るがぬ信頼をはっきりと示しているのです。

 人間は神から創造された存在です。しかも、本質的には塵という、脆く儚い存在なのです。にもかかわらず、その脆く儚い人間が神から「命の息」を与えられ、生きる者とされています。その命は、百年に満ちません。なんと短い命なのでしょうか。まさしくへベルです。

 「一切は空である」の「空」はへベルの訳であり、「短い」「儚い」「束の間」という意味だと説明しました。世界には終わりがありませんが、人間という存在は有限で儚い。人生はまるで風のように束の間で、人間はあっという間に塵に帰ります。

 けれども、コヘレトは儚いから意味がないとは決して考えません。人間の一生はへベルだからこそ、意味があるのです。へベルだからこそ、神から与えられた今のこの命を、精一杯生きよ。そんな逆説的な死生観が立ち上がってくるようです。

(P.128から引用)

私にとって、「コヘレトの言葉」は旧約聖書中、「詩篇」と並んで最も好きな書です。

旧約聖書を実際に読んでみよう、と思ったきっかけが、

「コヘレトの言葉」(最初に買った旧約新約が口語訳なので、「伝道の書」でしたが・・・)を、

ぜひ読んでみたい、と思ったからでした。

それは、高校生の時に読んだ、スタインベックの小説『怒りの葡萄』に、

「コヘレトの言葉」が結構引用されているからでした。

(私が読んだのは、岩波文庫版。)

 

(参考)怒りの葡萄〔新訳版〕(上) (ハヤカワepi文庫) (日本語)

 

怒りの葡萄〔新訳版〕(下) (ハヤカワepi文庫) (日本語)

 

以来、コヘレトはある意味、「心の友」みたいな存在でした。

徹底したリアリストでありながらも、神様と深くつながっている・・・

私はどちらかというと、天国信仰(この世は汚れていて、すべての喜びはあの世に・・・)よりも、

「この世で神をどう賛美・感謝して生きるか」という方に関心があります。

そういう意味で、コヘレトの言葉は深く心に刺さるものがあります。

今回のテキストの中でも、こんな風に紹介されています。

(引用)

 繰り返しになりますが、「コヘレトの言葉」は、長年にわたり、虚無的で厭世的な、支離滅裂な文書とされ、好意的に読まれてきませんでした。しかし、ここ二十年ぐらいは、新たな解釈がなされ、再評価されてきています。

 私のもとには、「コヘレトが好きだ」とか「コヘレトを読んでホッとする」などという声が届きます。それは、「コヘレトの言葉」が、現代に通じる言葉だからだと思います。

 これからの時代、経済格差はますます広がり、引きこもりや自死などの問題がさらに深刻化していくことが懸念されます。努力しても報われない、先が見通せない世界で、私たちはどう生きるべきか。「コヘレトの言葉」を読んで、考えていきましょう。

(P.29~30から引用終)

現代だからこそ、「コヘレトの言葉」は表向きの敬虔さや、偽善の仮面を脱ぎ捨て、

グイグイと心に迫ってくるものがあります。

 

なお、著者の作品ではありませんが、他に「コヘレトの言葉」を解説した本として、

高橋秀典著『正しすぎてはならない』(いのちのことば社)もオススメです。

著者は立川福音自由教会の牧師です。私訳も載っています。

(私は20年ほど前に一度だけ、その教会に行ったことがあります。)

 

正しすぎてはならない (日本語) オンデマンド (ペーパーバック)

2020年7月 4日 (土)

浜崎英一 著『聖書のストーリーから見えてくるもの シリーズ マタイ』①②

ページ数の少ない本ですが、聖書の解説というより、

聖書そのものの中へ入っていく感じを経験できる本です。

浜崎英一著『聖書のストーリーから見えてくるもの シリーズ マタイ①&②』を紹介します。

 

聖書のストーリーから見えてくるもの シリーズ マタイ①: 聖書は単なる宗教書なのか 現代人に語りかけているものがあるのか (日本語) オンデマンド (ペーパーバック)

 

聖書のストーリーから 見えてくるもの シリーズ マタイ② (日本語) オンデマンド (ペーパーバック)

 

これはAmazon限定発売の本です。

他の書店では取り扱いがありませんので要注意。

Amazonのkindle unlimited会員なら、電子版が無料で読めます。

 

この本は、よくある注解書のたぐいではなく、

聖書知識があまりなくても、

いきなりイエス様が生きておられた世界へ突然行くような感じです。

下手なたとえですが、映画「メリー・ポピンズ」で、

現実世界から、アニメの世界に主人公たちが飛び込んでいくかのような・・・

 

一度にたくさん読むのではなく、味わって読まれるといいでしょう。

 

ちなみに、著者の浜崎英一氏は、元、大津バプテスト教会の主任牧師でした。

浜崎氏の名前は、マーリン・キャロザースの『讃美の力』の訳者として知っている程度でした。

(この『讃美の力』は、私の信仰生活を根本から変えた本です。

相当な回数読み返して、その度に新しい信仰の活力をもらえる名著です。)

何で、今回紹介した本を知ったのか、詳しくは忘れてしまいましたが、

たまたまキリスト教関係の本をAmazonで調べていた時に、その名前を発見し、

「あっ、『浜崎英一』さんって、もしかして、『讃美の力』の訳者の方?」

と思って調べてみたのがきっかけでした。

 

(参考)マーリン・キャロザース著 浜崎英一訳『讃美の力』(生ける水の川)

 

 

同じ著者の『バイブル・ストーリーによる真理発見』(地引網出版社)もオススメです。

著者のすすめるバイブル・ストーリーの展開の仕方や、

その体験者の証が紹介されています。

 

バイブル・ストーリーによる真理発見 (日本語) 単行本(ソフトカバー)

 

先ほどAmazonで調べると、マタイの次はマルコ、ということで、

また2冊発売されていましたので、そのうち読んでみるつもりです。

 

聖書のストーリーから 見えてくるもの シリーズ マルコ① (日本語) オンデマンド (ペーパーバック) 

 

聖書のストーリーから 見えてくるもの シリーズ マルコ② (日本語) オンデマンド (ペーパーバック)

 

著者のブログがありますので、こちらも紹介します。

「聖書との対話」浜崎英一ブログ

短い文章の中に、聖書そのものからの慰め深い言葉が詰まっています。

たとえば、2020年6月1日の「神などいない」という記事から引用します。

(これは詩篇14:1からの言葉です。

聖書では、「神などいない」=愚か者の言葉、なのです。

愚か者は心の中で「神はいない」と言う。(聖書新改訳2017詩篇14:1)

つまり、空気や電波は見えないから「存在していない」と言うのに等しい、ということです。)

 

(引用)

「神などいない」というこの国の現実があります。いるとしても、漠然としていて、いるかいないか分からないという現実で

す。

神を知らない者だからです。

日々、目から耳から入ってくる様々な情報、その現実の背後には「神などいない」という「常識」があります。

目に見えない神を無視することで、いつの間にか自分を神の座に置くことになっていきますが、その現実に気づく人は少ない

と思います。

その結果、今、この日本の社会には、かつてないほどの犯罪や殺人、虐待などが日常化していく傾向にあります。

 

一方で、どの宗教も同じだと「宗教」という言葉で、キリスト教もひっくるめられています。

神などいないという、その現実のただ中で、主は天から見下ろし、賢く、神を求めている人はいないかと探しておられます。

探しておられるというのは、そういう人がいることを知っておられるからです。

どこにいるのかを探しておられます。

どこかで、探しておられるこの神に出会う人がいることを知っておられるからです。

 

イエスはエリコの町で、主を求めていた人ザアカイに出会いました。その後、人の子は失われた者を探して救うために来たの

だと言われました。

 

神などいないというこの日本の社会の中で、あなたもわたしも探しておられる方に出会ったのですね。

あなたも数少ない神を求める人だったから、探しておられる方に見つけていただいたのです。

 

「主よ、感謝です。この日本の社会で、あなたは探しておられて、こんな者に目を留めてくださったことを感謝します。目で

見るもの、耳で聞くもの、さまざまな『神を知らない』情報の洪水の流れに押し流されそうですが、いよいよ、なお、あなた

に目を留め、あなたを愛して生きる者として、この人生を導いてください」

(引用終)

2020年4月30日 (木)

アーノンクール指揮ウィーン・フィル他による、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」

最近、音楽を聴くなら、器楽曲やオケ曲よりも、

声楽付きの曲の方が、心が落ち着きます。

たとえばマーラーの交響曲第9番よりは、交響曲「大地の歌」とか・・・

 

CDをいろいろ整理しているうちに、

買ったけど、ほぼ聴いていない1枚を、改めて聴いてみることにしました。

アーノンクール指揮、ウィーン・フィル他による、

ブラームスの「ドイツ・レクイエム」です。

 

 

ソプラノはゲーニア・キューマイアー、バリトンはトーマス・ハンプソン。
合唱はアルノルト・シェーンベルク合唱団(合唱指揮:エルヴィン・オルトナー)。

 

冒頭から、静寂な美の世界が広がります。
アーノンクールの指揮といえば、あまり感動したことがない、というのが正直なところです。
実際、私のCDコレクションで、この「ドイツ・レクイエム」以外で残っているのは、
ヴェルディの「レクイエム」しかありません。

 

ブルックナーやブラームス、ベートーヴェンの交響曲とか、
いろいろ期待して買ってはみたけど、結局好きにはなれなかった・・・

 

そんな過去を、この1枚が、見事に覆してくれました。

 

合唱の美しさは特筆に値します。

 

第2曲の最初から途中までの重苦しさと、それを打ち破る展開のところは、
とても感動しました。

人間のはかなさを重々しく歌った後、輝かしい御言葉の叫びが光を放ちます。

Aber des Herrn Wort bleibet in Ewigkeit.

(「しかし、主の言葉は永遠に変わることがない」新約聖書ペトロの手紙第一1:25聖書協会共同訳)

 

第3曲以降も、感動の連続・・・
ソロの2人も、曲に使える忠実な僕という感じで、
個性を主張するよりも、曲そのものの美しさを見事に伝えています。

 

なぜ今まで気が付かなかったのだろう・・・
そんな嬉しい誤算でした。

いや、

天の下では、すべてに時機があり

  すべての出来事に時がある。」(旧約聖書コヘレトの言葉3:1聖書協会共同訳)

ということで、

なぜなら、「私は恵みの時に、あなたに応え

救いの日に、あなたを助けた」と神は言っておられるからです。

今こそ、恵みの時、今こそ、救いの日です。

(新約聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ6:2聖書協会共同訳)

日々、病気の感染拡大と、政府の無策という「ネグレクト」に、

ため息、いや恐怖さえおぼえる日々・・・

そんな中で、音楽付きで、聖書の言葉が光をもたらしてくれました。

素晴らしい演奏だから、聖書の御言葉が力強く、美しく輝きます。

 

今までは、「ドイツ・レクイエム」の名盤といえば、
クレンペラー盤を挙げていましたが、
このアーノンクール盤、負けず劣らずです。

合唱だけなら、アーノンクール盤の方をダンゼンおすすめします。

 

参考 クレンペラー盤

(過去記事)

ブラームス「ドイツ・レクイエム」(Ein deutsches Requiem) op.45と聖書の御言葉 2011年12月 4日 (日)

2020年4月13日 (月)

新型コロナ・パンデミック下での復活祭~イエス様の苦しみと共に・・・

Img_20200412_153059-2

(近くの大きな公園で撮った、ふきのとうです。)

 

2020年4月12日(日)は復活祭!

例年なら、各教会で主のご復活を喜び祝う礼拝・ミサが捧げられます。

ハレルヤの声が響き渡ります!

しかし、今年は、新型コロナ蔓延と、感染防止のため、

まともな教会であれば、教会で集まるのを控えていたはずです。

ほかでもない、私と妻も、家でYoutubeの礼拝ライブ配信を見ながら、

復活祭を一応、お祝いしました。

(妻がギターを弾いて、いくつかの賛美歌を歌いました。)

心は晴れ晴れとして・・・いなかったですが・・・

 

先日、アメリカのイエズス会神父の方の、あるツイートが、

とても強烈に心に残りました。

カラヴァッジョの「キリストの埋葬」という絵を、

現代の新型コロナ下に置き換えたパロディ(?)画です。

下に、リツイートした方が原画を紹介しています。

 

 

 

 

キリストのご復活の喜びにまで突き抜けず、

十字架の御苦しみで、今年はとまってしまった、

そんな復活祭でした・・・

 

ちなみに、復活祭に歌われる歌で、私が一番好きなのは、

プロテスタントの賛美歌ではなくて、

カトリックの典礼聖歌351番「復活の続唱」です。

何度聴いても、歌っても、キリストのご復活が目に見えるかのようで、

心が震えます・・・

2020年4月12日・2020年復活祭当日、

東京カテドラル聖マリア大聖堂・カトリック関口教会での、

ミサの様子をよろしければご覧ください。

復活の続唱を歌うすぐ前からの再生にしています。

歌詞も字幕で出ています。

 

イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、この方を通してあなたがたの間で行われた奇跡と不思議な業としるしとによって、そのことをあなたがたに示されました。あなたがた自身がご承知のとおりです。 このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手によって、はりつけにして殺したのです。 しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。

(新約聖書 使徒言行録2:22~24聖書協会共同訳)

2020年4月10日 (金)

聖金曜日に自宅でバッハの「マタイ受難曲」を観た

2020年4月10日(金)は、キリスト教の「教会暦」でいえば、

「聖金曜日(主の受難)」です。

カトリック教会では、昨日の聖木曜日から、「聖なる過ぎ越しの三日間」といって、

聖木曜日→聖金曜日→(聖土曜日)→(土曜夜の)復活徹夜祭→復活日(日曜日)と、

最も重要な典礼が行われます。

本来なら、この時期に教会に行き、ゆるしの秘跡(告解)や、

聖体拝領(プロテスタント→聖餐式)を受ける「べき」重要なものなのです。

しかし、新型コロナの蔓延により、まさに「隣人への愛のゆえに」そして自らのために、

教会に一同に会してミサを行うことは停止されています。

はっきりいって、「説教よりも聖体拝領」の傾向があるカトリックでさえ、

信徒はYoutubeで東京教区のカテドラルでのミサのライブ配信等を見るか、

その時間を覚えて祈りをささげるしかないのです。

聖週間ミサ、典礼の動画配信

 

 

また、プロテスタント教会でも、こんな時にもし集会をやっているなら、

非常識すぎますので、良識ある教会は集まりを自粛しているはずです。

 

それはさておき、我が家でも、聖金曜日を覚えて何かできないか、と考えたら、

実に簡単!

バッハの「マタイ受難曲」のDVDを視聴すればいいのです!

 

Bach: Sacred Works (11CD+4DVD+BLU-RAY) CD, CD+DVD, ボックスセット, インポート

(値引き入れて6000円前後で購入したセットでしたが、

Amazonの新品の値段を見てビックリ!)

 

カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団他の演奏です。

字幕は残念ながら、日本語はありません。

英語の字幕よりも、結局ドイツ語の字幕の方が、

物語を思い出しやすかったです。

もちろん、このDVDの演奏よりも、1958年録音のものの方が、

演奏・ソリスト共に素晴らしいのですが、

ブックレットを見なくても、TV画面を見ていれば字幕が出てくるので便利です。

 

最後に、聖金曜日にふさわしく、

教皇フランシスコのツイートを幾つか紹介します。

 

 

 

 

過去に書いたマタイ受難曲に関する記事です。

J・S・バッハ「マタイ受難曲」のCDとDVD(2010.4.4)

NHK「名曲探偵アマデウス」・バッハ「マタイ受難曲」(2011.3.24)

NHKBSプレミアム・プレミアムシアター「聖トーマス教会合唱団 マタイ受難曲」(2012年7月23日放送)とサイモン・ラトル&ベルリン・フィルのマタイ受難曲(2012.7.24)

聖金曜日にマタイ受難曲を・・・(2018.3.30)(2020.3.31)

2020年3月25日 (水)

友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。(ヨハネ15:13)~あるカトリック神父の、愛ゆえの死

ツイッターで知った美談。

 

新型コロナウイルスによる感染被害が厳しいイタリアで、自分より若い患者にと人工呼吸器を譲った72歳の神父が15日に亡くなり、その犠牲と訃報がソーシャルメディアなどで広く共有されている。

ジュゼッペ・ベラルデッリ神父は、イタリア北部ロンバルディア州ベルガモ司教区にあるカスニーゴの町で司祭長を務めていた。以前から呼吸器系の病気を患っていたため、信者たちが購入した人工呼吸器を、自分よりも若い人に使って欲しいと譲った後、ローヴェレの病院で亡くなったという。

翌日には、神父の棺が埋葬に運ばれる際、地元の人たちが窓から拍手したという。感染拡大を防ぐため集会や外出が厳しく制限されているイタリアでは現在、葬式を開くことができない。

イタリアでは少なくとも50人の司祭が、新型コロナウイルスによって死亡したとされる。

ローマ教皇庁の教皇フランシスコは24日、亡くなった医師や司祭のための祈りを先導し、「病める者に尽くすことで英雄的な手本となったことを神に感謝」すると述べた。

カトリック教会イエズス会のアメリカ人神父ジェイムズ・マーティン司祭はツイッターで、「(信者たちが自分のために買ってくれた)人工呼吸器を自分より若い患者に(知らない相手に)譲った72歳のベラルデッリ神父が、亡くなった」と書き、「友のために命を投げ出すほど大きい愛はない」という新約聖書のヨハネによる福音書の言葉を引用した。

(引用:BBCニュース・ジャパン

 

元ツイートはこちら。

Fr. Giuseppe Berardelli, a 72-year-old priest who gave a respirator (that his parishioners had purchased for him), to a younger patient (whom he did not know), has died from #coronavirus.

"Greater love has no person..." (Jn 15:13)

 

芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の主人公、カンダタのような人が増えているような世の中、

(マスクを大量買い占めして転売したり、デマに踊らされてトイレットペーパーを買い占めたり・・・

あるいは、自分だけよかれと思って、風邪状態でも大規模イベントに参加したり・・・)

このニュースで取り上げられた、

ジュゼッペ・ベラルデッリ神父のような愛を示せる人がいるのは、

まさに人類の希望の灯、愛の勝利です。

 

記事とツイッターの中でも引用されているのが

(そしてこの記事の題名にも引用しましたが)、

新約聖書ヨハネによる福音書15:13にあるイエス・キリストの言葉。

友のために自分の命を捨てること、

これ以上に大きな愛はない。
(新約聖書ヨハネによる福音書15:13聖書協会共同訳)

 

その神父は、人工呼吸器を、普通の意味での「友」のために譲ったのではありません。

どんな人に使われるか、そんなことは関係なかったのでしょう。

もしかすると、神を信じない人、神を信じることを嘲る人に使われるのかもしれません。

たとえそうだとしても、本望だったのでしょう。

ちょうど、アウシュヴィッツ収容所で見せしめのために処刑される人の身代わりに、

自分の命を差し出した聖コルベ神父の殉教の話を想起しました。

コルベ神父について(聖コルベ館)

(聖コルベ神父は日本とも縁が深く、長崎で「聖母の騎士社」を設立し、

カトリックの布教活動をしていました。)

 

ところで、キリストご自身は、「友」どころか、

神の「敵」、神にとっての「罪人」であった我々のためにさえ、

命を惜しまず、私たちを救うために十字架で死んでくださった、と聖書に書かれています。

 

キリストは、私たちがまだ弱かった頃、定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のためなら、死ぬ者もいるかもしれません。 しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を示されました。 それで今や、私たちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。 であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。それだけでなく、私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を誇りとしています。このキリストを通して、今や和解させていただいたからです。(新約聖書ローマの信徒への手紙5:6~11聖書協会共同訳)

キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。「この方は罪を犯さず/その口には偽りがなかった。」罵られても、罵り返さず、苦しめられても脅すことをせず、正しく裁かれる方に委ねておられました。そして(キリスト)自ら、私たちの罪を十字架の上で、その身に負ってくださいました。私たちが罪に死に、義に生きるためです。この方の打ち傷によって、あなたがたは癒やされたのです。(新約聖書ペトロの手紙Ⅰ2:21~24聖書協会共同訳)

※( )内は筆者の補足。

 

それにしても、新型コロナの猛威は凄まじいですね・・・

イタリアでは、今や葬儀さえできない状況だそうです。

医師の死者数よりも、カトリック神父の死者数の方が多いそうです。

これは、臨終前に、カトリックの司祭が秘跡(告解、塗油、聖体拝領)を授けに行くのと、

葬儀に携わったからなのでしょう。

(死を目の前にすると、牧師の説教よりは、神父が授ける秘跡の方が、

より深い安心感を得られるからなのでしょう・・・)

 

日本は、「イタリアや中国、アメリカはひどい状況だが、日本は幸いにも、

それほど感染者も死者も出ていない」とテレビ・新聞での報道を真に受けて、

安心している人が多いのではないでしょうか?

ただ単に、アベ首相が五輪を予定通り行いために、

意図的に検査数を減らし、死因も一般的な「肺炎」扱いにしているから、

統計に表れていないだけです。

(もう延期は決まったので、検査しないという足枷はとれて、

突然ものすごい数の陽性判定者が出てくることでしょう・・・)

モリカケ桜と同じ、「隠蔽・改竄」の「賜物?」です。

報道を疑う、というニュースリテラシーを持たないと、

いつの間にか大本営発表をそのまま信じる愚かな民になるだけなのです!

2020年3月15日 (日)

北海道 緊急事態宣言の第3週の中、札幌国際スキー場+定山渓温泉へ!~何でも自粛なら、経済が破綻し、心も破綻しますよ・・・

北海道知事による緊急事態宣言が出されてから3回目の週末を迎えました。

戸外での運動や混まない時間帯での買い物など、かなり緩和された内容になっていますので、

私ども夫婦は、2020年3月14日(土)に、

札幌国際スキー場へスキーを楽しもうと思い立ちました。

いつもなら、

路線バス+リフト券のバスパック(通常、バス往復+リフト1日券で5500円)で行くのですが、

感染リスク(バスに1時間以上乗り合わせることになるので)を考え、

レンタカーで行くことにしました。

朝9時前に、徒歩でレンタカー店に行き、家に戻ってスキー道具と入浴セットを詰め込み、

まずはロイヤルホストに行き、朝食を食べました。

それから、札幌国際スキー場へ向かいました。

ドライブのお供の音楽は、先日紹介した、カラヤン指揮ベルリン・フィル他による、

ベートーヴェンのミサ・ソレムニスの通常CDでした。

(CD+Blu-ray Audioなので)

ゆったりと朝食兼昼食を楽しんでいたので、札幌国際スキー場に着いたら、

もう11時半過ぎでした。

今回は、リフト1日券+温泉入浴券の「温泉入浴セット」(1人4800円)を購入しました。

定山渓温泉、小金湯温泉、豊平峡温泉(札幌市)と朝里川温泉、小樽市内の温泉、

合わせて9施設から選ぶことができます(詳しくはスキー場のHPで)。

 

実際に滑り始めたのはちょうど12時頃でした。

それから途中、トイレ休憩以外は、

15時30分までずっと滑って降りてリフトに乗って・・・を繰り返しました。

1月、2月に比べたらかなり人は少なかったですが、それなりにはいました。

 

うっすらと小樽市内が見えました。

Img_20200314_141419

雪の状態は結構よかったです。

(実は3月に入ってから、札幌市内の藻岩山スキー場にも行きましたが、

そこと比べると雪の質は雲泥の差でした。)

Img_20200314_131639

 

15時半にスキーを終え、車の傍で道具の片づけ等を行い、

16時に札幌国際スキー場を後にしました。

 

そして20分程度で定山渓温泉街へ到着。

すぐに温泉には行かず、

何度か行ったことのある、アップルパイで有名な、

J・glacee (ジェイ・グラッセ)という店に行きました。

ラストオーダーが16時半だったので、ちょうどギリギリ店内飲食が間に合いました。

(16時半以降はテイクアウトのみ)

やはり何度食べてもおいしかったです。

 

それから、温泉施設の選択肢の一つである、

定山渓万世閣ホテルミリオーネに行きました。

ここは、日帰り入浴なら、一人1500円するのですが、

セットで入浴できてお得でした。

人もそれほどいませんでした。

私が入浴したときは、私を含めておそらく大浴場全体で10人程度の人しかいませんでした。

 

ただし、ここでも、サウナには一切入らず、あまり他の人の近くに寄らない、

なるべく人が入っていない浴槽に入る、ということを徹底しました。

 

その後、南平岸駅近辺の外食店に行って夕食を食べました。

とても気分が良い1日で、まさに神様の御恵みに感謝!

というところに、あの某首相の空辣な記者会見・・・

(別に記事を書こうかな、と思っています。)

あまりに空虚で具体性に乏しいので、がっかりしました。

トランプ大統領の演説とは大違いですね・・・

 

まぁ、何はともあれ、たくさん楽しむことができて、

事故なくケガなく守られましたことに、

神様に感謝の1日でした!

 

何でもかんでも自粛、自粛、自粛・・・は、

企業や地域経済を崩壊させます。

感染予防に気をつけつつ、戸外での活動や、

あまり混んでいない店での飲食や買い物は、ぜひ続けていきたいと考えています。

「自粛しないと不謹慎!」という正義マニアが、経済崩壊を産み、

ひいては倒産、失業者、果ては自殺・・・を生み出すのです。

北海道知事さんの「外出自粛」を優等生的に守る気はありません。

(法的根拠はないですし・・・)

自分も守るが、経済も守る!

これこそ、新型コロナ蔓延時代の、「愛」なのではないでしょうか?

 

まことに主はあなたを救い出してくださる。

鳥を捕る者の網から

死に至る疫病から。

主は羽であなたを覆う。

あなたはその翼のもとに逃れる。

主のまことは大盾、小盾。

夜、脅かすものも

昼、飛び来る矢も

あなたは恐れることはない。

闇に忍び寄る疫病も

真昼に襲う病魔も。

(旧約聖書 詩編91:3~6聖書協会共同訳)

2020年3月13日 (金)

NHKEテレ・素顔のギフテッド(2020年3月12日放送)~日本には2つの特別支援教育が必要なのかも・・・

ギフテッド」(Gifted)とは、いわゆる「天才」です。

あるサイトによると、

ギフテッドとは、同世代の子どもと比べても並はずれた成果を出せるほどの突出した才能を持つ子どものことであると定義されています。学問、言語能力、記憶力、芸術性、創造性など多岐にわたる分野において彼らは高い潜在能力を持っています。彼らの能力をフルに開発するためには通常の学校教育とは異なる特別な教育や接し方が必要になります。

ギフテッドとは?特徴と判定法、能力を発掘して育む6つの教育法を紹介 2016/05/26 更新(LITALICO発達ナビ)

英語の”Gifted”は、神から与えられた特別な贈り物(才能)、というニュアンスがあるようです。

 

2020年3月12日に、NHKEテレで、

女優の、のんさんをナビゲーターに、

素顔のギフテッド」という番組を放送していました。

録画で視聴しました。

番組HPから内容を引用します。

みなさん、「ギフテッド」ってご存じですか?
生まれながらに才能を与えられた、でもちょっと不思議な人たちなんです。与えられた才能はさまざま。数学が得意な人もいれば、言語の才を持った人、中には美術の感性が飛び抜けている人も。

欧米では、アインシュタインやビルゲイツなどギフテッドとされる人たちが社会に多くのイノベーションを起こしてきました。統計的には日本国内にも250万人いるとされていますが、同様の概念はまだ根づいていません。

昨年8月、NHK「クローズアップ現代+」で国内のギフテッドたちを取材し放送したところ、SNSのトレンド3位に入るなど大きな反響を得ました。取材を通して浮かび上がったのが、“ギフテッドゆえの生きづらさ”。彼らの多くが周囲から浮いてしまったり、不登校を経験していたのです。生まれながらに飛び抜けた知性や才能を持っていながら、なぜ生きづらいのか?

番組には、さまざまな年代・境遇のギフテッドが登場、彼らの内面を見つめます。

 

番組では、IQが130以上の人を「ギフテッド」と定義して、

(正確には、

一般には「130を超えるIQスコア」を持つ方を“ギフテッド”と定義する例が多く見られます。
しかし専門家の間では「IQスコアだけでギフテッドかどうか判定することは難しい」とも考えられています。
今回の番組は、専門家の知見をもとに「IQ130以上、もしくは先天的に突出した様々な能力・才能をお持ちの方」をギフテッドと考えて制作しました。 」(番組HPより)とのこと。)

7歳から59歳までのさまざまな人(すべて男性でしたが・・・)6名を取り上げて、

その凄さと、生きづらさを抱えている面、

つまり光と影をうまく取り上げていました。

番組最初に出てくる数学の天才少年(小5)は本当にスゴイと思いました。

彼が話している数学のこと、わかる人が日本にどれだけいるでしょうか・・・

大人の数学研究者に交じって数学の定理を説明しているところは、

驚嘆以外ありませんでした。

さらに、ピアノの腕前もかなりのもの・・・

しかし一方、小学校には不登校のようです。

彼にとって、普通の小学校の教科書の算数なんて、

シェイクスピアやチャーチルが、

日本の英語の教科書(小学校の「外国語」)を学ばされているようなものです。

そんな内容を学ぼうという気にならないでしょう。

我々大人が、「あいうえお」の本を学ぼうという気にならないのと同じです。

 

番組の中で最年少の子は、絵がとてもうまい子ですが、

おそらく、「特別支援」の情緒学級相当と判断されそうな感じの子でした。

理由は、集団行動が苦手だからです。

自分の思うようにならないと、教師を蹴るなどの行動も映されていました。

 

番組中、その「ギフト」が最も活かされていた、といえるのが、

昨年(2019年)12月からIAEAに勤務、という方でしょう。

その才能が人々の幸せにいつかつながるはずです。

 

一方、IQ175の、「200万人に一人」の天才芸術家は、

発想がユニークながら、社会にとっては作品が「イタズラ、落書き」という扱いを受け、

引きこもる日々。

一番最後の、番組最高齢59歳の方は、

働きすぎて、鬱病で早期退職・・・

 

番組では、そのずば抜けた才能故の生きづらさ、というのも、

きちんと取り上げられていました。

 

日本の義務教育では、飛び級と留年は認められていません。

こういう「ギフテッド」を生かしきれないから、

最高の頭脳が海外(たいていアメリカ)に流出か、

あるいは、単に「不登校」「引きこもり」の烙印を押されてしまうか・・・

(番組の中でも、IQが135の子が「不登校」になっていました。)

 

一方、日本の義務教育では、小学1年生から1日も登校しなくても、

年齢が来たら、一応、卒業証書がもらえます。

(中学生でも同様です。)

不登校の原因は多々ありますが、必ずしもいじめだけが原因ではなく、

才能・能力がありすぎて(その反対も)、というのもあります。

 

今、日本の特別支援教育は、

どちらかというと知的障がいがある子と、集団行動不適応の子がメインです。

(中には天才的な子もいるようですが・・・)

たいていは、学年相応か、下の学年の内容を学習することになります。

(つまり、小6の子が「あいうえお」や「3+4=」、「2×9=」などを学習すること)

一方、番組の中で取り上げられた子たちは、まったくの対象外です。

 

私としては、こういうギフテッドの人たち

(人口で言えば、単純計算で250万人いるそうですが・・・)のその才能を花開かせるため、

飛び級を制度として認めてはと考えています。

そのために、年齢によって学年が上がるのではなく、

履修した学習内容に応じて、飛び級、進級、留年の判断を、

学校ができるようにした方がいいと考えます。

そういう意味で、知的障がいの人(及び極度の集団不適応)向けの、

一般的な特別支援教育と、

ギフテッド向けの特別支援教育(飛び級及び場合によっては大学入学まで可)の、

2つの特別支援教育が必要だと考えさせられました。

 

数学や美術、科学分野での素晴らしい才能は「ギフテッド」ですが、

私にとっては、知的障がいがある人や、様々な障がいがある人だって、

「ギフテッド」だと考えます。

いや、実は人間ひとりひとり、誰もが「ギフテッド」なのです!

神様の目から見れば・・・

 

わたしの目には、あなたは高価で尊い。

わたしはあなたを愛している。

(旧約聖書イザヤ書43:4新改訳2017)

(才能があるから、能力があるから尊い、という価値観ではなく、

生きているそれ自体が無条件で尊い、という当たり前の事を、改めて認識したいものです。)

 

なお、この番組、再放送は2020年3月15日(日)です。

★3/15(日)午後3時15分~4時05分 Eテレにて再放送決定★ 素顔のギフテッド

2020年3月10日 (火)

カラヤン指揮ベルリン・フィルによる、ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス(1966年録音)CD+Blu-ray Audio

カラヤン指揮ベルリン・フィルによる、

ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス(1966年録音)のCD+Blu-ray Audioが発売されました。

実はこの録音、私が初めてベートーヴェンのミサ・ソレムニスを聴いた盤です。

今から何十年も前のことです・・・

 

【CD】ベートーヴェン: 荘厳ミサ曲 [CD+Blu-ray Audio](タワーレコード)

 

カラヤン盤(通常CD)※Blu-ray Audioはついていません。

 

ベートーヴェンのミサ・ソレムニスの名盤といえば、クレンペラー盤が定番ですね。

確かに、何度聴いても巨大で感動的な演奏です。

この盤があれば、他は要らないと思っていたほどです。

ですから、カラヤン盤は、とうの昔に売却処分の憂き目にあっていました・・・

(当時は、カラヤン=軽薄、なんて勝手にイメージしていたのデス・・・)

 

クレンペラー盤(SACDハイブリッド盤)

 

クレンペラー盤(通常CD)

 

一方、改めて、カラヤン盤をBlu-ray Audioで聴いてみました。

クレンペラー盤のような巨大さ、大伽藍を思わせるようなものはないですが、

とにかく、ソリストが素晴らしい!

ソプラノのグンドラ・ヤノヴィッツ

(カラヤン指揮ベルリン・フィルで、R・シュトラウスの「四つの最後の歌」の究極の名演奏を残しています。)の、

まさに天上的な声!

比較のために、家にある他の盤(クレンペラー盤、ガーディナー盤)も聴いてみましたが、

ヤノヴィッツの声に比するものはやはりありませんでした。

 

カラヤン盤では、アルトがクリスタ・ルードヴィヒ、

テノールがフリッツ・ヴンダーリヒ、

バスがヴァルター・ベリーです。

何という豪華さ!

ソリストとオケの充実だけで選ぶなら、迷わずこのカラヤン盤でしょう。

ただ・・・

合唱がイマイチ、団子状態な感じなのです。

一方、シンフォニックな響きの充実感は格別です。

 

全体的な印象で言えば、クレンペラー盤、

ソリストとオケだけなら(つまり合唱以外なら)カラヤン盤、

合唱を重視するなら、ガーディナー盤をオススメします。

(合唱だけなら、鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパンの演奏も素晴らしいですが・・・

鈴木盤は、一度買いましたが、売却しました。)

 

 

ガーディナー盤(ベートーヴェン:交響曲全集他に含まれます。)

 

 

鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパン盤

 

最近、ミサ・ソレムニスの最後、
Dona nobis pacem."(我らに平安を与えたまえ)が繰り返し頭の中に響いています。
神の子羊、世の罪を除きたもう主よ
我らに平安を与えたまえ(カトリックの典礼文)

アーメン!

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