カテゴリー「聖なる言葉」の483件の記事

2022年11月 3日 (木)

2022年10月のページビュー(PV)数ベスト10記事一覧

2022年10月のページビュー(PV)数ベスト10記事は以下のとおりです:

(※トップページ及びカテゴリを除く)

ベスト3までと、先月書いた記事(があれば)にはリンクを張っています。

 

一位.「カトリック」か「カソリック」か?~誤用に潜む軽蔑と無知

二位.NNNドキュメント’13

「口は悪いが腕はいい…自閉症の子を救う男わが子に起きた奇跡」(2013年2月18日放送)

三位.主の祈り(その5)「み国が来ますように。」

四位.主の祈り(その4)「み名が聖とされますように」

五位.札幌の中学校でのクラス分け資料流出事件への反応〜評価をしてはいけないのか?(2013)

六位.2022年9月のページビュー(PV)数ベスト10記事一覧

七位.マーラー:交響曲第7番聴き比べ14種類

八位.SACDとBlu-ray Audio、どちらが優れているか?〜音響、価格、将来性・・・

九位.映画「シーズンチケット」(原題:Purely Belter)~笑えないけど、笑うしかない物語

十位.ブラームス:二重協奏曲(Double Concerto)聴き比べ7盤

 

先月の記事数は、1本。

その1本の記事がランクインしたのは奇跡的でした。

2位の記事は、定期的に突然たくさんアクセスが来るようです。

ブログを始めた頃に書いた「主の祈り」に関する記事が読まれていたのは意外でした。

あと、2013年に書いた教育記事もなぜ今頃?・・・

 

ちなみに、

最近は言論・主張をツイッターで行っています。

2022年11月3日現在、ツイート数約23.8万、

フォロワー数5788となっています。

前回(10月3日)の記事から、285人もフォロワー様が増えています。

感謝!

 

今月もご愛読よろしくお願いいたします。

札幌は紅葉が終盤、もうすぐ初雪らしいです。

皆様の健康をお祈りします。

2022年7月 3日 (日)

ロイズ ローズガーデンあいの里へ行ってきました!(2022.07.03)

妻と一緒に、札幌市北区あいの里の、

ロイズ ローズガーデンあいの里」へJRを使って行ってきました。

 

昼食をとってから、札幌駅を出発したのは、14時40分。

本来、目的地には、JRあいの里公園駅が最寄駅なのですが、

私が勘違いしてしまい、手前のJRあいの里教育大駅で下車してしまいました。

気温は30℃以上。

しかし、この間違え誤りをも、神様は益と変えてくれました。

あいの里教育大駅から目的地まで、涼し気な木陰の道を歩き、

そしてあいの里公園の中を通って行きました。

当初予定していた到着時刻よりはかなり遅れましたが、

快適に街歩きを楽しめました。

 

さて・・・

本当に、一番良いタイミングで、このローズガーデンに来ることができました。

妻と私は「きれい」「すごい」の連発で、写真を撮りまくっていました。

 

Img_20220703_154001

Img_20220703_154106

Img_20220703_155439

Img_20220703_154446

Img_20220703_154800

Img_20220703_155247

Img_20220703_154533

Img_20220703_154606

Img_20220703_155107

Img_20220703_154923

Img_20220703_160609

Img_20220703_155503

Img_20220703_165427

いつまででも写真を撮りたいところでしたが、流石に暑さに負け、

一旦休憩するため、隣の「ロイズ あいの里店」へ。

ソフトクリームチョコ味を2人分頼みました。

店内は少し混んでいたので、15分ぐらい並びましたが、

その間、火照った体が冷房で冷やされ、

少し回復しました。

ちなみに、本日(7月3日)は、「ソフトクリームの日」だそうです。

Img_20220703_162831_edit_121219323810668

さて、もう一度写真撮影へ!

 

「不思議の国のアリス」のコスプレをした人がいました(写真なし)。

ローズガーデンで撮影会をしていました。

 

Img_20220703_164545

紅のバラを観て、マーラーの交響曲第2番「復活」の第4楽章、

「原光」の歌詞冒頭を連想しました。

(本当はドイツ語で引用したいところですが、

文字化けを避けるため、日本語訳を引用します。)

 

おお、赤いバラ!
人は大いなる苦境に立たされている!
人は大いなる苦痛の中にいる!
私は天国にいたいと願う,
私はむしろ天国にいたい!

Img_20220703_160258

 

Img_20220703_170144

Img_20220703_171407

Img_20220703_172023

Img_20220703_171603

結局、15時半頃到着して、17時半頃まで滞在しました。

「白い恋人パーク」のような観光地ではありませんが、

観る価値のある、とてもステキなところです。

こんなにステキなところなのに、入場料は無料です!!!

また来年、バラが美しい時に、来てみたいものです。

神様に感謝!

 

私はシャロンのばら、谷間の百合。

(聖書協会共同訳 旧約聖書 雅歌2:1)

2022年6月 1日 (水)

2022年5月のページビュー(PV)数ベスト10記事一覧

2022年5月のページビュー(PV)数ベスト10記事は以下のとおりです:

(※トップページ及びカテゴリを除く)

ベスト3までと、先月書いた記事(があれば)にはリンクを張っています。

 

一位.「カトリック」か「カソリック」か?~誤用に潜む軽蔑と無知

二位.洗礼を受けても一生求道者!

~キリストの平和教会・岩本遠億牧師のメルマガ「元気の出る聖書の言葉:求道者‏」を読んで

三位.幸せをよぶ5枚の花びらのライラック

四位.マーラー:交響曲第7番聴き比べ14種類

五位.マーラー:交響曲「大地の歌」名盤追加3盤

六位.映画「ピノキオ」に隠された神学~附:ヨナ書からの教会学校説教案

七位.SACDとBlu-ray Audio、どちらが優れているか?〜音響、価格、将来性・・・

八位.友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。

(ヨハネ15:13)~あるカトリック神父の、愛ゆえの死

九位.「ポリアンナ症候群」と「ポリアンナ効果」~あるスポーツニュースから

十位.2022年4月のページビュー(PV)数ベスト10記事一覧

 

先月の記事数は、1本。

その1本の記事がランクインしたのは奇跡的でした。

2位の記事、3位の記事共に10年以上も前の記事です・・・

特に2位の記事は、何でこんなに読まれたのかは原因不明です。

3位の記事は、ライラックの季節だからでしょう。

 

ちなみに、

最近は言論・主張をツイッターで行っています。

2022年6月1日現在、ツイート数約19.5万、

フォロワー数5218となっています。

前回(5月1日)の記事から、なんと231人もフォロワー様が増えています。

感謝!

 

今月もご愛読よろしくお願いいたします。

皆様に祝福と平安が豊かにありますように・・・

2020年7月12日 (日)

NHKEテレ・こころの時代~宗教・人生~「今 互いに抱き合うこと-コロナ禍に読む聖書-」(2020年7月12日放送)

北九州市の東八幡キリスト教会奥田知志牧師をご存じですか?

私はNHKの番組でその活動を知り、何冊か師の著作を読みました。

(以前、2本記事を書いています。)

NHKEテレ・こころの時代~宗教・人生~「この軒の下で」(2015年3月14日再放送)

書評:奥田知志/茂木健一郎『「助けて」と言える国へ』(集英社新書)〜脳科学者から見る教育界は変!

(以下は実際に買って読んだことがある本です。)

私はどちらかというとリベラル系の牧師の本は読まないのですが、

この方の著作は、霊性と社会性どちらも兼ね備えている稀有な存在です。

 

「助けて」と言える国へ ―人と社会をつなぐ (集英社新書) (日本語) 新書 – 2013/8/21

 

もう、ひとりにさせない (日本語) 単行本(ソフトカバー) – 2011/5/6

 

いつか笑える日が来る 我、汝らを孤児とはせず (いのちのことば社) (日本語) 単行本(ソフトカバー) – 2020/1/10

 

2020年7月12日に、NHKEテレの「こころの時代~宗教・人生~」では、

今 互いに抱き合うこと-コロナ禍に読む聖書-」と題して、

奥田知志牧師へのインタビューを放送していました。録画で視聴しました。

ともすると、聖書の言葉を、骨董品的にありがたがるか、

博物館的に時代背景を解説して終わりか、

あるいは、死後の世界を強調して脅すか、

そんな感じに終わってしまう説教者が多いですが、

奥田師は、今を読み解き、現実を切り開くツールとして、聖書をまさに生きている、

そんな感じを抱きました。

 

幾つも、「なるほど!」と思わされるところがありました。

たとえば、今年起きたトイレットペーパーの買い占めについて、

「私たちの他者性の欠落=非人間化」を論じ、

そこから、創世記1章に飛躍します。

そしてそこから、「ステイホーム」の対極である、

「アウトホーム」(スーパーの店員やゴミ収集、医療関係者など)がいたからこそ、

ステイホームができた、と再び現実に立ち戻ります。

また、マタイ6:6「あなたが祈るときは、奥の部屋に入って戸を閉め、

隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。」(聖書協会共同訳)を、

従来的な解釈「偽善者のように祈るな」にも触れた上で、

「みんなの前では祈れないような本当の気持ち、すなわち心の中のムカムカや愚痴を、

一人で神の前にさらけ出せ」(正確な引用ではありませんが・・・)というのは、

まさに目からウロコものでした。

マタイ1:23の「インマヌエル」(神がともにおられる)を、

問題解決型ではない救いのイメージとして提示したのも新鮮でした。

「孤立が罪」とも・・・

さらには、相模原やまゆり園事件の被告への直接面会の話も心を打ちました。

見応えのある1時間でした。

2020年7月 5日 (日)

小友聡著『NHKこころの時代~宗教・人生~それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」』 (NHKシリーズ NHKこころの時代)

空の空

空の空、一切は空である。(旧約聖書コヘレトの言葉1:2聖書協会共同訳)

空の空。

空の空、一切は空。(旧約聖書コヘレト1:2フランシスコ会訳)

なんという空しさ なんという空しさ、すべては空しい。

(旧約聖書コヘレトの言葉1:2新共同訳)

 

旧約聖書の中でも異質な書、「コヘレトの言葉」。

口語訳では「伝道の書」、

新改訳(2017含む)では「伝道者の書」という題名になっていますが、

今回は「コヘレトの言葉」で統一します。

 

NHKEテレ「こころの時代」で、

2020年4月~9月の毎月第3日曜日に放送予定だった、

シリーズ それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」

コロナ禍で、放送が延期(少なくとも今秋以降)となりましたが、

テキストは発売中です。

 

NHKこころの時代~宗教・人生~ それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」 (NHKシリーズ NHKこころの時代) 

著者の小友聡氏は、東京神学大学教授で、日本キリスト教団の牧師です。

この著者名は、昨年、札幌のジュンク堂書店のキリスト教コーナーで、

たまたま見つけた本

コヘレトの言葉を読もう 「生きよ」と呼びかける書』(日本キリスト教団出版局)を読み、

感銘を受けたので、

期待して買ってみました。

 

コヘレトの言葉を読もう 

 

さて、放送テキストの方に戻りましょう。

先ほど取り上げた『コヘレトの言葉を読もう』と共通しているところが多く、

一般向けの「コヘレトの言葉」入門書である『コヘレトの言葉を読もう』をさらに平易に、

コンパクトにまとめた、という感じでした。

 

冒頭に掲げた「空の空」の「」とは、

仏教の「空」(これを説明するのは結構大変ですので省略・・・)とは違います。

へブル語の「へベル」=空、空しさを、

著者は「束の間」という言葉に置き換えています。

(P35~42)

そこから、

(引用)

 「へベル=束の間」とすると、「空の空、一切は空である」は、「すべては、ほんの束の間である」と訳すことができます。「なんという空しさ、すべては空しい」(筆者注:新共同訳)と比べると、かなり印象が違うでしょう。「これもまた空であり、風を追うようなことである」は、「ルーアハ」(筆者注:ヘブル語で「風」、「息」ひいては「霊」)を追うような一瞬のことだと言っているのです。

 へベルが「空しい」と訳されたのは、「新共同訳聖書」(一九八七年)からです。その前はずっと「空」でしたが、わかりやすくしようということで、「空しい」になったのではないかと思います。この聖書は今もよく読まれているので、コヘレトという人は、「空しい、空しい」といばかり言っているという認識が広まっているのです。(中略)

 「人生は束の間である」という事実を、コヘレトはじっと見つめています。それを無意味だとは、彼(注:コヘレト)は決して言いません。むしろ、そこからどう生きるか、どう生きたらよいかを、知者コヘレトは徹底して考えるのです。

(P.38~39から引用終)

と述べています。

そこから、コヘレトの現世賛歌、終末嫌いなどについて論じていきます。

ちなみに、「コヘレトの言葉」中、「空」は、38回出てくるそうです。

 

(引用)

 人間は塵から造られ、神から「命の息」を吹き込まれて、生を得たのです。ですから、人間の死において「息」は、それを与えた神に帰ります。ここには、「人間は最後に創造主である神の手の中に帰るのだ」というコヘレトの信仰の根拠があります。無神論者とか、信仰否定者などと呼ばれるコヘレトは、創造主への揺るがぬ信頼をはっきりと示しているのです。

 人間は神から創造された存在です。しかも、本質的には塵という、脆く儚い存在なのです。にもかかわらず、その脆く儚い人間が神から「命の息」を与えられ、生きる者とされています。その命は、百年に満ちません。なんと短い命なのでしょうか。まさしくへベルです。

 「一切は空である」の「空」はへベルの訳であり、「短い」「儚い」「束の間」という意味だと説明しました。世界には終わりがありませんが、人間という存在は有限で儚い。人生はまるで風のように束の間で、人間はあっという間に塵に帰ります。

 けれども、コヘレトは儚いから意味がないとは決して考えません。人間の一生はへベルだからこそ、意味があるのです。へベルだからこそ、神から与えられた今のこの命を、精一杯生きよ。そんな逆説的な死生観が立ち上がってくるようです。

(P.128から引用)

私にとって、「コヘレトの言葉」は旧約聖書中、「詩篇」と並んで最も好きな書です。

旧約聖書を実際に読んでみよう、と思ったきっかけが、

「コヘレトの言葉」(最初に買った旧約新約が口語訳なので、「伝道の書」でしたが・・・)を、

ぜひ読んでみたい、と思ったからでした。

それは、高校生の時に読んだ、スタインベックの小説『怒りの葡萄』に、

「コヘレトの言葉」が結構引用されているからでした。

(私が読んだのは、岩波文庫版。)

 

(参考)怒りの葡萄〔新訳版〕(上) (ハヤカワepi文庫) (日本語)

 

怒りの葡萄〔新訳版〕(下) (ハヤカワepi文庫) (日本語)

 

以来、コヘレトはある意味、「心の友」みたいな存在でした。

徹底したリアリストでありながらも、神様と深くつながっている・・・

私はどちらかというと、天国信仰(この世は汚れていて、すべての喜びはあの世に・・・)よりも、

「この世で神をどう賛美・感謝して生きるか」という方に関心があります。

そういう意味で、コヘレトの言葉は深く心に刺さるものがあります。

今回のテキストの中でも、こんな風に紹介されています。

(引用)

 繰り返しになりますが、「コヘレトの言葉」は、長年にわたり、虚無的で厭世的な、支離滅裂な文書とされ、好意的に読まれてきませんでした。しかし、ここ二十年ぐらいは、新たな解釈がなされ、再評価されてきています。

 私のもとには、「コヘレトが好きだ」とか「コヘレトを読んでホッとする」などという声が届きます。それは、「コヘレトの言葉」が、現代に通じる言葉だからだと思います。

 これからの時代、経済格差はますます広がり、引きこもりや自死などの問題がさらに深刻化していくことが懸念されます。努力しても報われない、先が見通せない世界で、私たちはどう生きるべきか。「コヘレトの言葉」を読んで、考えていきましょう。

(P.29~30から引用終)

現代だからこそ、「コヘレトの言葉」は表向きの敬虔さや、偽善の仮面を脱ぎ捨て、

グイグイと心に迫ってくるものがあります。

 

なお、著者の作品ではありませんが、他に「コヘレトの言葉」を解説した本として、

高橋秀典著『正しすぎてはならない』(いのちのことば社)もオススメです。

著者は立川福音自由教会の牧師です。私訳も載っています。

(私は20年ほど前に一度だけ、その教会に行ったことがあります。)

 

正しすぎてはならない (日本語) オンデマンド (ペーパーバック)

2020年7月 4日 (土)

浜崎英一 著『聖書のストーリーから見えてくるもの シリーズ マタイ』①②

ページ数の少ない本ですが、聖書の解説というより、

聖書そのものの中へ入っていく感じを経験できる本です。

浜崎英一著『聖書のストーリーから見えてくるもの シリーズ マタイ①&②』を紹介します。

 

聖書のストーリーから見えてくるもの シリーズ マタイ①: 聖書は単なる宗教書なのか 現代人に語りかけているものがあるのか (日本語) オンデマンド (ペーパーバック)

 

聖書のストーリーから 見えてくるもの シリーズ マタイ② (日本語) オンデマンド (ペーパーバック)

 

これはAmazon限定発売の本です。

他の書店では取り扱いがありませんので要注意。

Amazonのkindle unlimited会員なら、電子版が無料で読めます。

 

この本は、よくある注解書のたぐいではなく、

聖書知識があまりなくても、

いきなりイエス様が生きておられた世界へ突然行くような感じです。

下手なたとえですが、映画「メリー・ポピンズ」で、

現実世界から、アニメの世界に主人公たちが飛び込んでいくかのような・・・

 

一度にたくさん読むのではなく、味わって読まれるといいでしょう。

 

ちなみに、著者の浜崎英一氏は、元、大津バプテスト教会の主任牧師でした。

浜崎氏の名前は、マーリン・キャロザースの『讃美の力』の訳者として知っている程度でした。

(この『讃美の力』は、私の信仰生活を根本から変えた本です。

相当な回数読み返して、その度に新しい信仰の活力をもらえる名著です。)

何で、今回紹介した本を知ったのか、詳しくは忘れてしまいましたが、

たまたまキリスト教関係の本をAmazonで調べていた時に、その名前を発見し、

「あっ、『浜崎英一』さんって、もしかして、『讃美の力』の訳者の方?」

と思って調べてみたのがきっかけでした。

 

(参考)マーリン・キャロザース著 浜崎英一訳『讃美の力』(生ける水の川)

 

 

同じ著者の『バイブル・ストーリーによる真理発見』(地引網出版社)もオススメです。

著者のすすめるバイブル・ストーリーの展開の仕方や、

その体験者の証が紹介されています。

 

バイブル・ストーリーによる真理発見 (日本語) 単行本(ソフトカバー)

 

先ほどAmazonで調べると、マタイの次はマルコ、ということで、

また2冊発売されていましたので、そのうち読んでみるつもりです。

 

聖書のストーリーから 見えてくるもの シリーズ マルコ① (日本語) オンデマンド (ペーパーバック) 

 

聖書のストーリーから 見えてくるもの シリーズ マルコ② (日本語) オンデマンド (ペーパーバック)

 

著者のブログがありますので、こちらも紹介します。

「聖書との対話」浜崎英一ブログ

短い文章の中に、聖書そのものからの慰め深い言葉が詰まっています。

たとえば、2020年6月1日の「神などいない」という記事から引用します。

(これは詩篇14:1からの言葉です。

聖書では、「神などいない」=愚か者の言葉、なのです。

愚か者は心の中で「神はいない」と言う。(聖書新改訳2017詩篇14:1)

つまり、空気や電波は見えないから「存在していない」と言うのに等しい、ということです。)

 

(引用)

「神などいない」というこの国の現実があります。いるとしても、漠然としていて、いるかいないか分からないという現実で

す。

神を知らない者だからです。

日々、目から耳から入ってくる様々な情報、その現実の背後には「神などいない」という「常識」があります。

目に見えない神を無視することで、いつの間にか自分を神の座に置くことになっていきますが、その現実に気づく人は少ない

と思います。

その結果、今、この日本の社会には、かつてないほどの犯罪や殺人、虐待などが日常化していく傾向にあります。

 

一方で、どの宗教も同じだと「宗教」という言葉で、キリスト教もひっくるめられています。

神などいないという、その現実のただ中で、主は天から見下ろし、賢く、神を求めている人はいないかと探しておられます。

探しておられるというのは、そういう人がいることを知っておられるからです。

どこにいるのかを探しておられます。

どこかで、探しておられるこの神に出会う人がいることを知っておられるからです。

 

イエスはエリコの町で、主を求めていた人ザアカイに出会いました。その後、人の子は失われた者を探して救うために来たの

だと言われました。

 

神などいないというこの日本の社会の中で、あなたもわたしも探しておられる方に出会ったのですね。

あなたも数少ない神を求める人だったから、探しておられる方に見つけていただいたのです。

 

「主よ、感謝です。この日本の社会で、あなたは探しておられて、こんな者に目を留めてくださったことを感謝します。目で

見るもの、耳で聞くもの、さまざまな『神を知らない』情報の洪水の流れに押し流されそうですが、いよいよ、なお、あなた

に目を留め、あなたを愛して生きる者として、この人生を導いてください」

(引用終)

2020年4月30日 (木)

アーノンクール指揮ウィーン・フィル他による、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」

最近、音楽を聴くなら、器楽曲やオケ曲よりも、

声楽付きの曲の方が、心が落ち着きます。

たとえばマーラーの交響曲第9番よりは、交響曲「大地の歌」とか・・・

 

CDをいろいろ整理しているうちに、

買ったけど、ほぼ聴いていない1枚を、改めて聴いてみることにしました。

アーノンクール指揮、ウィーン・フィル他による、

ブラームスの「ドイツ・レクイエム」です。

 

 

ソプラノはゲーニア・キューマイアー、バリトンはトーマス・ハンプソン。
合唱はアルノルト・シェーンベルク合唱団(合唱指揮:エルヴィン・オルトナー)。

 

冒頭から、静寂な美の世界が広がります。
アーノンクールの指揮といえば、あまり感動したことがない、というのが正直なところです。
実際、私のCDコレクションで、この「ドイツ・レクイエム」以外で残っているのは、
ヴェルディの「レクイエム」しかありません。

 

ブルックナーやブラームス、ベートーヴェンの交響曲とか、
いろいろ期待して買ってはみたけど、結局好きにはなれなかった・・・

 

そんな過去を、この1枚が、見事に覆してくれました。

 

合唱の美しさは特筆に値します。

 

第2曲の最初から途中までの重苦しさと、それを打ち破る展開のところは、
とても感動しました。

人間のはかなさを重々しく歌った後、輝かしい御言葉の叫びが光を放ちます。

Aber des Herrn Wort bleibet in Ewigkeit.

(「しかし、主の言葉は永遠に変わることがない」新約聖書ペトロの手紙第一1:25聖書協会共同訳)

 

第3曲以降も、感動の連続・・・
ソロの2人も、曲に使える忠実な僕という感じで、
個性を主張するよりも、曲そのものの美しさを見事に伝えています。

 

なぜ今まで気が付かなかったのだろう・・・
そんな嬉しい誤算でした。

いや、

天の下では、すべてに時機があり

  すべての出来事に時がある。」(旧約聖書コヘレトの言葉3:1聖書協会共同訳)

ということで、

なぜなら、「私は恵みの時に、あなたに応え

救いの日に、あなたを助けた」と神は言っておられるからです。

今こそ、恵みの時、今こそ、救いの日です。

(新約聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ6:2聖書協会共同訳)

日々、病気の感染拡大と、政府の無策という「ネグレクト」に、

ため息、いや恐怖さえおぼえる日々・・・

そんな中で、音楽付きで、聖書の言葉が光をもたらしてくれました。

素晴らしい演奏だから、聖書の御言葉が力強く、美しく輝きます。

 

今までは、「ドイツ・レクイエム」の名盤といえば、
クレンペラー盤を挙げていましたが、
このアーノンクール盤、負けず劣らずです。

合唱だけなら、アーノンクール盤の方をダンゼンおすすめします。

 

参考 クレンペラー盤

(過去記事)

ブラームス「ドイツ・レクイエム」(Ein deutsches Requiem) op.45と聖書の御言葉 2011年12月 4日 (日)

2020年4月13日 (月)

新型コロナ・パンデミック下での復活祭~イエス様の苦しみと共に・・・

Img_20200412_153059-2

(近くの大きな公園で撮った、ふきのとうです。)

 

2020年4月12日(日)は復活祭!

例年なら、各教会で主のご復活を喜び祝う礼拝・ミサが捧げられます。

ハレルヤの声が響き渡ります!

しかし、今年は、新型コロナ蔓延と、感染防止のため、

まともな教会であれば、教会で集まるのを控えていたはずです。

ほかでもない、私と妻も、家でYoutubeの礼拝ライブ配信を見ながら、

復活祭を一応、お祝いしました。

(妻がギターを弾いて、いくつかの賛美歌を歌いました。)

心は晴れ晴れとして・・・いなかったですが・・・

 

先日、アメリカのイエズス会神父の方の、あるツイートが、

とても強烈に心に残りました。

カラヴァッジョの「キリストの埋葬」という絵を、

現代の新型コロナ下に置き換えたパロディ(?)画です。

下に、リツイートした方が原画を紹介しています。

 

 

 

 

キリストのご復活の喜びにまで突き抜けず、

十字架の御苦しみで、今年はとまってしまった、

そんな復活祭でした・・・

 

ちなみに、復活祭に歌われる歌で、私が一番好きなのは、

プロテスタントの賛美歌ではなくて、

カトリックの典礼聖歌351番「復活の続唱」です。

何度聴いても、歌っても、キリストのご復活が目に見えるかのようで、

心が震えます・・・

2020年4月12日・2020年復活祭当日、

東京カテドラル聖マリア大聖堂・カトリック関口教会での、

ミサの様子をよろしければご覧ください。

復活の続唱を歌うすぐ前からの再生にしています。

歌詞も字幕で出ています。

 

イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、この方を通してあなたがたの間で行われた奇跡と不思議な業としるしとによって、そのことをあなたがたに示されました。あなたがた自身がご承知のとおりです。 このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手によって、はりつけにして殺したのです。 しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。

(新約聖書 使徒言行録2:22~24聖書協会共同訳)

2020年4月10日 (金)

聖金曜日に自宅でバッハの「マタイ受難曲」を観た

2020年4月10日(金)は、キリスト教の「教会暦」でいえば、

「聖金曜日(主の受難)」です。

カトリック教会では、昨日の聖木曜日から、「聖なる過ぎ越しの三日間」といって、

聖木曜日→聖金曜日→(聖土曜日)→(土曜夜の)復活徹夜祭→復活日(日曜日)と、

最も重要な典礼が行われます。

本来なら、この時期に教会に行き、ゆるしの秘跡(告解)や、

聖体拝領(プロテスタント→聖餐式)を受ける「べき」重要なものなのです。

しかし、新型コロナの蔓延により、まさに「隣人への愛のゆえに」そして自らのために、

教会に一同に会してミサを行うことは停止されています。

はっきりいって、「説教よりも聖体拝領」の傾向があるカトリックでさえ、

信徒はYoutubeで東京教区のカテドラルでのミサのライブ配信等を見るか、

その時間を覚えて祈りをささげるしかないのです。

聖週間ミサ、典礼の動画配信

 

 

また、プロテスタント教会でも、こんな時にもし集会をやっているなら、

非常識すぎますので、良識ある教会は集まりを自粛しているはずです。

 

それはさておき、我が家でも、聖金曜日を覚えて何かできないか、と考えたら、

実に簡単!

バッハの「マタイ受難曲」のDVDを視聴すればいいのです!

 

Bach: Sacred Works (11CD+4DVD+BLU-RAY) CD, CD+DVD, ボックスセット, インポート

(値引き入れて6000円前後で購入したセットでしたが、

Amazonの新品の値段を見てビックリ!)

 

カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団他の演奏です。

字幕は残念ながら、日本語はありません。

英語の字幕よりも、結局ドイツ語の字幕の方が、

物語を思い出しやすかったです。

もちろん、このDVDの演奏よりも、1958年録音のものの方が、

演奏・ソリスト共に素晴らしいのですが、

ブックレットを見なくても、TV画面を見ていれば字幕が出てくるので便利です。

 

最後に、聖金曜日にふさわしく、

教皇フランシスコのツイートを幾つか紹介します。

 

 

 

 

過去に書いたマタイ受難曲に関する記事です。

J・S・バッハ「マタイ受難曲」のCDとDVD(2010.4.4)

NHK「名曲探偵アマデウス」・バッハ「マタイ受難曲」(2011.3.24)

NHKBSプレミアム・プレミアムシアター「聖トーマス教会合唱団 マタイ受難曲」(2012年7月23日放送)とサイモン・ラトル&ベルリン・フィルのマタイ受難曲(2012.7.24)

聖金曜日にマタイ受難曲を・・・(2018.3.30)(2020.3.31)

2020年3月25日 (水)

友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。(ヨハネ15:13)~あるカトリック神父の、愛ゆえの死

ツイッターで知った美談。

 

新型コロナウイルスによる感染被害が厳しいイタリアで、自分より若い患者にと人工呼吸器を譲った72歳の神父が15日に亡くなり、その犠牲と訃報がソーシャルメディアなどで広く共有されている。

ジュゼッペ・ベラルデッリ神父は、イタリア北部ロンバルディア州ベルガモ司教区にあるカスニーゴの町で司祭長を務めていた。以前から呼吸器系の病気を患っていたため、信者たちが購入した人工呼吸器を、自分よりも若い人に使って欲しいと譲った後、ローヴェレの病院で亡くなったという。

翌日には、神父の棺が埋葬に運ばれる際、地元の人たちが窓から拍手したという。感染拡大を防ぐため集会や外出が厳しく制限されているイタリアでは現在、葬式を開くことができない。

イタリアでは少なくとも50人の司祭が、新型コロナウイルスによって死亡したとされる。

ローマ教皇庁の教皇フランシスコは24日、亡くなった医師や司祭のための祈りを先導し、「病める者に尽くすことで英雄的な手本となったことを神に感謝」すると述べた。

カトリック教会イエズス会のアメリカ人神父ジェイムズ・マーティン司祭はツイッターで、「(信者たちが自分のために買ってくれた)人工呼吸器を自分より若い患者に(知らない相手に)譲った72歳のベラルデッリ神父が、亡くなった」と書き、「友のために命を投げ出すほど大きい愛はない」という新約聖書のヨハネによる福音書の言葉を引用した。

(引用:BBCニュース・ジャパン

 

元ツイートはこちら。

Fr. Giuseppe Berardelli, a 72-year-old priest who gave a respirator (that his parishioners had purchased for him), to a younger patient (whom he did not know), has died from #coronavirus.

"Greater love has no person..." (Jn 15:13)

 

芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の主人公、カンダタのような人が増えているような世の中、

(マスクを大量買い占めして転売したり、デマに踊らされてトイレットペーパーを買い占めたり・・・

あるいは、自分だけよかれと思って、風邪状態でも大規模イベントに参加したり・・・)

このニュースで取り上げられた、

ジュゼッペ・ベラルデッリ神父のような愛を示せる人がいるのは、

まさに人類の希望の灯、愛の勝利です。

 

記事とツイッターの中でも引用されているのが

(そしてこの記事の題名にも引用しましたが)、

新約聖書ヨハネによる福音書15:13にあるイエス・キリストの言葉。

友のために自分の命を捨てること、

これ以上に大きな愛はない。
(新約聖書ヨハネによる福音書15:13聖書協会共同訳)

 

その神父は、人工呼吸器を、普通の意味での「友」のために譲ったのではありません。

どんな人に使われるか、そんなことは関係なかったのでしょう。

もしかすると、神を信じない人、神を信じることを嘲る人に使われるのかもしれません。

たとえそうだとしても、本望だったのでしょう。

ちょうど、アウシュヴィッツ収容所で見せしめのために処刑される人の身代わりに、

自分の命を差し出した聖コルベ神父の殉教の話を想起しました。

コルベ神父について(聖コルベ館)

(聖コルベ神父は日本とも縁が深く、長崎で「聖母の騎士社」を設立し、

カトリックの布教活動をしていました。)

 

ところで、キリストご自身は、「友」どころか、

神の「敵」、神にとっての「罪人」であった我々のためにさえ、

命を惜しまず、私たちを救うために十字架で死んでくださった、と聖書に書かれています。

 

キリストは、私たちがまだ弱かった頃、定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のためなら、死ぬ者もいるかもしれません。 しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を示されました。 それで今や、私たちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。 であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。それだけでなく、私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を誇りとしています。このキリストを通して、今や和解させていただいたからです。(新約聖書ローマの信徒への手紙5:6~11聖書協会共同訳)

キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。「この方は罪を犯さず/その口には偽りがなかった。」罵られても、罵り返さず、苦しめられても脅すことをせず、正しく裁かれる方に委ねておられました。そして(キリスト)自ら、私たちの罪を十字架の上で、その身に負ってくださいました。私たちが罪に死に、義に生きるためです。この方の打ち傷によって、あなたがたは癒やされたのです。(新約聖書ペトロの手紙Ⅰ2:21~24聖書協会共同訳)

※( )内は筆者の補足。

 

それにしても、新型コロナの猛威は凄まじいですね・・・

イタリアでは、今や葬儀さえできない状況だそうです。

医師の死者数よりも、カトリック神父の死者数の方が多いそうです。

これは、臨終前に、カトリックの司祭が秘跡(告解、塗油、聖体拝領)を授けに行くのと、

葬儀に携わったからなのでしょう。

(死を目の前にすると、牧師の説教よりは、神父が授ける秘跡の方が、

より深い安心感を得られるからなのでしょう・・・)

 

日本は、「イタリアや中国、アメリカはひどい状況だが、日本は幸いにも、

それほど感染者も死者も出ていない」とテレビ・新聞での報道を真に受けて、

安心している人が多いのではないでしょうか?

ただ単に、アベ首相が五輪を予定通り行いために、

意図的に検査数を減らし、死因も一般的な「肺炎」扱いにしているから、

統計に表れていないだけです。

(もう延期は決まったので、検査しないという足枷はとれて、

突然ものすごい数の陽性判定者が出てくることでしょう・・・)

モリカケ桜と同じ、「隠蔽・改竄」の「賜物?」です。

報道を疑う、というニュースリテラシーを持たないと、

いつの間にか大本営発表をそのまま信じる愚かな民になるだけなのです!

 

 

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

NHK おすすめサイト お知らせ らららクラシック アニメ・コミック カトリック的作品 クラシック音楽・エルガー クラシック音楽・ガーシュウィン クラシック音楽・グリーグ クラシック音楽・サン=サーンス クラシック音楽・シベリウス クラシック音楽・シュトラウス(R) クラシック音楽・シューベルト クラシック音楽・シューマン クラシック音楽・ショスタコーヴィチ クラシック音楽・ショパン クラシック音楽・チャイコフスキー クラシック音楽・ドビュッシー クラシック音楽・ドヴォルザーク クラシック音楽・バッハ(J・S) クラシック音楽・フォーレ クラシック音楽・フランク クラシック音楽・ブラームス クラシック音楽・ブルックナー クラシック音楽・プロコフィエフ クラシック音楽・ヘンデル クラシック音楽・ベートーヴェン クラシック音楽・マーラー クラシック音楽・メンデルスゾーン クラシック音楽・モーツァルト クラシック音楽・リムスキー=コルサコフ クラシック音楽・レスピーギ クラシック音楽・ヴィヴァルディ クラシック音楽:ラヴェル クローズアップ現代 グルメ・クッキング スポーツ ツイッター ニュース 世界名作劇場 主の祈り 名曲探偵アマデウス 季節の話題 教会学校関係 教育 文化・芸術 新約の歌 旅行・地域 日記・コラム・つぶやき 旧約の歌(詩篇以外) 映画・テレビ 書籍・雑誌 短歌・川柳・俳句 立ち読み日記 経済・政治・国際 聖なる言葉 自作曲・楽譜 詩篇(詩篇117以外) 詩篇117 詩篇23シリーズ 音楽

2023年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

カテゴリー

にほんブログ村

  • クラシックCD鑑賞
  • にほんブログ村
無料ブログはココログ