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2020年3月25日 (水)

友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。(ヨハネ15:13)~あるカトリック神父の、愛ゆえの死

ツイッターで知った美談。

 

新型コロナウイルスによる感染被害が厳しいイタリアで、自分より若い患者にと人工呼吸器を譲った72歳の神父が15日に亡くなり、その犠牲と訃報がソーシャルメディアなどで広く共有されている。

ジュゼッペ・ベラルデッリ神父は、イタリア北部ロンバルディア州ベルガモ司教区にあるカスニーゴの町で司祭長を務めていた。以前から呼吸器系の病気を患っていたため、信者たちが購入した人工呼吸器を、自分よりも若い人に使って欲しいと譲った後、ローヴェレの病院で亡くなったという。

翌日には、神父の棺が埋葬に運ばれる際、地元の人たちが窓から拍手したという。感染拡大を防ぐため集会や外出が厳しく制限されているイタリアでは現在、葬式を開くことができない。

イタリアでは少なくとも50人の司祭が、新型コロナウイルスによって死亡したとされる。

ローマ教皇庁の教皇フランシスコは24日、亡くなった医師や司祭のための祈りを先導し、「病める者に尽くすことで英雄的な手本となったことを神に感謝」すると述べた。

カトリック教会イエズス会のアメリカ人神父ジェイムズ・マーティン司祭はツイッターで、「(信者たちが自分のために買ってくれた)人工呼吸器を自分より若い患者に(知らない相手に)譲った72歳のベラルデッリ神父が、亡くなった」と書き、「友のために命を投げ出すほど大きい愛はない」という新約聖書のヨハネによる福音書の言葉を引用した。

(引用:BBCニュース・ジャパン

 

元ツイートはこちら。

Fr. Giuseppe Berardelli, a 72-year-old priest who gave a respirator (that his parishioners had purchased for him), to a younger patient (whom he did not know), has died from #coronavirus.

"Greater love has no person..." (Jn 15:13)

 

芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の主人公、カンダタのような人が増えているような世の中、

(マスクを大量買い占めして転売したり、デマに踊らされてトイレットペーパーを買い占めたり・・・

あるいは、自分だけよかれと思って、風邪状態でも大規模イベントに参加したり・・・)

このニュースで取り上げられた、

ジュゼッペ・ベラルデッリ神父のような愛を示せる人がいるのは、

まさに人類の希望の灯、愛の勝利です。

 

記事とツイッターの中でも引用されているのが

(そしてこの記事の題名にも引用しましたが)、

新約聖書ヨハネによる福音書15:13にあるイエス・キリストの言葉。

友のために自分の命を捨てること、

これ以上に大きな愛はない。
(新約聖書ヨハネによる福音書15:13聖書協会共同訳)

 

その神父は、人工呼吸器を、普通の意味での「友」のために譲ったのではありません。

どんな人に使われるか、そんなことは関係なかったのでしょう。

もしかすると、神を信じない人、神を信じることを嘲る人に使われるのかもしれません。

たとえそうだとしても、本望だったのでしょう。

ちょうど、アウシュヴィッツ収容所で見せしめのために処刑される人の身代わりに、

自分の命を差し出した聖コルベ神父の殉教の話を想起しました。

コルベ神父について(聖コルベ館)

(聖コルベ神父は日本とも縁が深く、長崎で「聖母の騎士社」を設立し、

カトリックの布教活動をしていました。)

 

ところで、キリストご自身は、「友」どころか、

神の「敵」、神にとっての「罪人」であった我々のためにさえ、

命を惜しまず、私たちを救うために十字架で死んでくださった、と聖書に書かれています。

 

キリストは、私たちがまだ弱かった頃、定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のためなら、死ぬ者もいるかもしれません。 しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を示されました。 それで今や、私たちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。 であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。それだけでなく、私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を誇りとしています。このキリストを通して、今や和解させていただいたからです。(新約聖書ローマの信徒への手紙5:6~11聖書協会共同訳)

キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。「この方は罪を犯さず/その口には偽りがなかった。」罵られても、罵り返さず、苦しめられても脅すことをせず、正しく裁かれる方に委ねておられました。そして(キリスト)自ら、私たちの罪を十字架の上で、その身に負ってくださいました。私たちが罪に死に、義に生きるためです。この方の打ち傷によって、あなたがたは癒やされたのです。(新約聖書ペトロの手紙Ⅰ2:21~24聖書協会共同訳)

※( )内は筆者の補足。

 

それにしても、新型コロナの猛威は凄まじいですね・・・

イタリアでは、今や葬儀さえできない状況だそうです。

医師の死者数よりも、カトリック神父の死者数の方が多いそうです。

これは、臨終前に、カトリックの司祭が秘跡(告解、塗油、聖体拝領)を授けに行くのと、

葬儀に携わったからなのでしょう。

(死を目の前にすると、牧師の説教よりは、神父が授ける秘跡の方が、

より深い安心感を得られるからなのでしょう・・・)

 

日本は、「イタリアや中国、アメリカはひどい状況だが、日本は幸いにも、

それほど感染者も死者も出ていない」とテレビ・新聞での報道を真に受けて、

安心している人が多いのではないでしょうか?

ただ単に、アベ首相が五輪を予定通り行いために、

意図的に検査数を減らし、死因も一般的な「肺炎」扱いにしているから、

統計に表れていないだけです。

(もう延期は決まったので、検査しないという足枷はとれて、

突然ものすごい数の陽性判定者が出てくることでしょう・・・)

モリカケ桜と同じ、「隠蔽・改竄」の「賜物?」です。

報道を疑う、というニュースリテラシーを持たないと、

いつの間にか大本営発表をそのまま信じる愚かな民になるだけなのです!

2020年3月15日 (日)

北海道 緊急事態宣言の第3週の中、札幌国際スキー場+定山渓温泉へ!~何でも自粛なら、経済が破綻し、心も破綻しますよ・・・

北海道知事による緊急事態宣言が出されてから3回目の週末を迎えました。

戸外での運動や混まない時間帯での買い物など、かなり緩和された内容になっていますので、

私ども夫婦は、2020年3月14日(土)に、

札幌国際スキー場へスキーを楽しもうと思い立ちました。

いつもなら、

路線バス+リフト券のバスパック(通常、バス往復+リフト1日券で5500円)で行くのですが、

感染リスク(バスに1時間以上乗り合わせることになるので)を考え、

レンタカーで行くことにしました。

朝9時前に、徒歩でレンタカー店に行き、家に戻ってスキー道具と入浴セットを詰め込み、

まずはロイヤルホストに行き、朝食を食べました。

それから、札幌国際スキー場へ向かいました。

ドライブのお供の音楽は、先日紹介した、カラヤン指揮ベルリン・フィル他による、

ベートーヴェンのミサ・ソレムニスの通常CDでした。

(CD+Blu-ray Audioなので)

ゆったりと朝食兼昼食を楽しんでいたので、札幌国際スキー場に着いたら、

もう11時半過ぎでした。

今回は、リフト1日券+温泉入浴券の「温泉入浴セット」(1人4800円)を購入しました。

定山渓温泉、小金湯温泉、豊平峡温泉(札幌市)と朝里川温泉、小樽市内の温泉、

合わせて9施設から選ぶことができます(詳しくはスキー場のHPで)。

 

実際に滑り始めたのはちょうど12時頃でした。

それから途中、トイレ休憩以外は、

15時30分までずっと滑って降りてリフトに乗って・・・を繰り返しました。

1月、2月に比べたらかなり人は少なかったですが、それなりにはいました。

 

うっすらと小樽市内が見えました。

Img_20200314_141419

雪の状態は結構よかったです。

(実は3月に入ってから、札幌市内の藻岩山スキー場にも行きましたが、

そこと比べると雪の質は雲泥の差でした。)

Img_20200314_131639

 

15時半にスキーを終え、車の傍で道具の片づけ等を行い、

16時に札幌国際スキー場を後にしました。

 

そして20分程度で定山渓温泉街へ到着。

すぐに温泉には行かず、

何度か行ったことのある、アップルパイで有名な、

J・glacee (ジェイ・グラッセ)という店に行きました。

ラストオーダーが16時半だったので、ちょうどギリギリ店内飲食が間に合いました。

(16時半以降はテイクアウトのみ)

やはり何度食べてもおいしかったです。

 

それから、温泉施設の選択肢の一つである、

定山渓万世閣ホテルミリオーネに行きました。

ここは、日帰り入浴なら、一人1500円するのですが、

セットで入浴できてお得でした。

人もそれほどいませんでした。

私が入浴したときは、私を含めておそらく大浴場全体で10人程度の人しかいませんでした。

 

ただし、ここでも、サウナには一切入らず、あまり他の人の近くに寄らない、

なるべく人が入っていない浴槽に入る、ということを徹底しました。

 

その後、南平岸駅近辺の外食店に行って夕食を食べました。

とても気分が良い1日で、まさに神様の御恵みに感謝!

というところに、あの某首相の空辣な記者会見・・・

(別に記事を書こうかな、と思っています。)

あまりに空虚で具体性に乏しいので、がっかりしました。

トランプ大統領の演説とは大違いですね・・・

 

まぁ、何はともあれ、たくさん楽しむことができて、

事故なくケガなく守られましたことに、

神様に感謝の1日でした!

 

何でもかんでも自粛、自粛、自粛・・・は、

企業や地域経済を崩壊させます。

感染予防に気をつけつつ、戸外での活動や、

あまり混んでいない店での飲食や買い物は、ぜひ続けていきたいと考えています。

「自粛しないと不謹慎!」という正義マニアが、経済崩壊を産み、

ひいては倒産、失業者、果ては自殺・・・を生み出すのです。

北海道知事さんの「外出自粛」を優等生的に守る気はありません。

(法的根拠はないですし・・・)

自分も守るが、経済も守る!

これこそ、新型コロナ蔓延時代の、「愛」なのではないでしょうか?

 

まことに主はあなたを救い出してくださる。

鳥を捕る者の網から

死に至る疫病から。

主は羽であなたを覆う。

あなたはその翼のもとに逃れる。

主のまことは大盾、小盾。

夜、脅かすものも

昼、飛び来る矢も

あなたは恐れることはない。

闇に忍び寄る疫病も

真昼に襲う病魔も。

(旧約聖書 詩編91:3~6聖書協会共同訳)

2020年3月13日 (金)

NHKEテレ・素顔のギフテッド(2020年3月12日放送)~日本には2つの特別支援教育が必要なのかも・・・

ギフテッド」(Gifted)とは、いわゆる「天才」です。

あるサイトによると、

ギフテッドとは、同世代の子どもと比べても並はずれた成果を出せるほどの突出した才能を持つ子どものことであると定義されています。学問、言語能力、記憶力、芸術性、創造性など多岐にわたる分野において彼らは高い潜在能力を持っています。彼らの能力をフルに開発するためには通常の学校教育とは異なる特別な教育や接し方が必要になります。

ギフテッドとは?特徴と判定法、能力を発掘して育む6つの教育法を紹介 2016/05/26 更新(LITALICO発達ナビ)

英語の”Gifted”は、神から与えられた特別な贈り物(才能)、というニュアンスがあるようです。

 

2020年3月12日に、NHKEテレで、

女優の、のんさんをナビゲーターに、

素顔のギフテッド」という番組を放送していました。

録画で視聴しました。

番組HPから内容を引用します。

みなさん、「ギフテッド」ってご存じですか?
生まれながらに才能を与えられた、でもちょっと不思議な人たちなんです。与えられた才能はさまざま。数学が得意な人もいれば、言語の才を持った人、中には美術の感性が飛び抜けている人も。

欧米では、アインシュタインやビルゲイツなどギフテッドとされる人たちが社会に多くのイノベーションを起こしてきました。統計的には日本国内にも250万人いるとされていますが、同様の概念はまだ根づいていません。

昨年8月、NHK「クローズアップ現代+」で国内のギフテッドたちを取材し放送したところ、SNSのトレンド3位に入るなど大きな反響を得ました。取材を通して浮かび上がったのが、“ギフテッドゆえの生きづらさ”。彼らの多くが周囲から浮いてしまったり、不登校を経験していたのです。生まれながらに飛び抜けた知性や才能を持っていながら、なぜ生きづらいのか?

番組には、さまざまな年代・境遇のギフテッドが登場、彼らの内面を見つめます。

 

番組では、IQが130以上の人を「ギフテッド」と定義して、

(正確には、

一般には「130を超えるIQスコア」を持つ方を“ギフテッド”と定義する例が多く見られます。
しかし専門家の間では「IQスコアだけでギフテッドかどうか判定することは難しい」とも考えられています。
今回の番組は、専門家の知見をもとに「IQ130以上、もしくは先天的に突出した様々な能力・才能をお持ちの方」をギフテッドと考えて制作しました。 」(番組HPより)とのこと。)

7歳から59歳までのさまざまな人(すべて男性でしたが・・・)6名を取り上げて、

その凄さと、生きづらさを抱えている面、

つまり光と影をうまく取り上げていました。

番組最初に出てくる数学の天才少年(小5)は本当にスゴイと思いました。

彼が話している数学のこと、わかる人が日本にどれだけいるでしょうか・・・

大人の数学研究者に交じって数学の定理を説明しているところは、

驚嘆以外ありませんでした。

さらに、ピアノの腕前もかなりのもの・・・

しかし一方、小学校には不登校のようです。

彼にとって、普通の小学校の教科書の算数なんて、

シェイクスピアやチャーチルが、

日本の英語の教科書(小学校の「外国語」)を学ばされているようなものです。

そんな内容を学ぼうという気にならないでしょう。

我々大人が、「あいうえお」の本を学ぼうという気にならないのと同じです。

 

番組の中で最年少の子は、絵がとてもうまい子ですが、

おそらく、「特別支援」の情緒学級相当と判断されそうな感じの子でした。

理由は、集団行動が苦手だからです。

自分の思うようにならないと、教師を蹴るなどの行動も映されていました。

 

番組中、その「ギフト」が最も活かされていた、といえるのが、

昨年(2019年)12月からIAEAに勤務、という方でしょう。

その才能が人々の幸せにいつかつながるはずです。

 

一方、IQ175の、「200万人に一人」の天才芸術家は、

発想がユニークながら、社会にとっては作品が「イタズラ、落書き」という扱いを受け、

引きこもる日々。

一番最後の、番組最高齢59歳の方は、

働きすぎて、鬱病で早期退職・・・

 

番組では、そのずば抜けた才能故の生きづらさ、というのも、

きちんと取り上げられていました。

 

日本の義務教育では、飛び級と留年は認められていません。

こういう「ギフテッド」を生かしきれないから、

最高の頭脳が海外(たいていアメリカ)に流出か、

あるいは、単に「不登校」「引きこもり」の烙印を押されてしまうか・・・

(番組の中でも、IQが135の子が「不登校」になっていました。)

 

一方、日本の義務教育では、小学1年生から1日も登校しなくても、

年齢が来たら、一応、卒業証書がもらえます。

(中学生でも同様です。)

不登校の原因は多々ありますが、必ずしもいじめだけが原因ではなく、

才能・能力がありすぎて(その反対も)、というのもあります。

 

今、日本の特別支援教育は、

どちらかというと知的障がいがある子と、集団行動不適応の子がメインです。

(中には天才的な子もいるようですが・・・)

たいていは、学年相応か、下の学年の内容を学習することになります。

(つまり、小6の子が「あいうえお」や「3+4=」、「2×9=」などを学習すること)

一方、番組の中で取り上げられた子たちは、まったくの対象外です。

 

私としては、こういうギフテッドの人たち

(人口で言えば、単純計算で250万人いるそうですが・・・)のその才能を花開かせるため、

飛び級を制度として認めてはと考えています。

そのために、年齢によって学年が上がるのではなく、

履修した学習内容に応じて、飛び級、進級、留年の判断を、

学校ができるようにした方がいいと考えます。

そういう意味で、知的障がいの人(及び極度の集団不適応)向けの、

一般的な特別支援教育と、

ギフテッド向けの特別支援教育(飛び級及び場合によっては大学入学まで可)の、

2つの特別支援教育が必要だと考えさせられました。

 

数学や美術、科学分野での素晴らしい才能は「ギフテッド」ですが、

私にとっては、知的障がいがある人や、様々な障がいがある人だって、

「ギフテッド」だと考えます。

いや、実は人間ひとりひとり、誰もが「ギフテッド」なのです!

神様の目から見れば・・・

 

わたしの目には、あなたは高価で尊い。

わたしはあなたを愛している。

(旧約聖書イザヤ書43:4新改訳2017)

(才能があるから、能力があるから尊い、という価値観ではなく、

生きているそれ自体が無条件で尊い、という当たり前の事を、改めて認識したいものです。)

 

なお、この番組、再放送は2020年3月15日(日)です。

★3/15(日)午後3時15分~4時05分 Eテレにて再放送決定★ 素顔のギフテッド

2020年3月10日 (火)

カラヤン指揮ベルリン・フィルによる、ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス(1966年録音)CD+Blu-ray Audio

カラヤン指揮ベルリン・フィルによる、

ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス(1966年録音)のCD+Blu-ray Audioが発売されました。

実はこの録音、私が初めてベートーヴェンのミサ・ソレムニスを聴いた盤です。

今から何十年も前のことです・・・

 

【CD】ベートーヴェン: 荘厳ミサ曲 [CD+Blu-ray Audio](タワーレコード)

 

カラヤン盤(通常CD)※Blu-ray Audioはついていません。

 

ベートーヴェンのミサ・ソレムニスの名盤といえば、クレンペラー盤が定番ですね。

確かに、何度聴いても巨大で感動的な演奏です。

この盤があれば、他は要らないと思っていたほどです。

ですから、カラヤン盤は、とうの昔に売却処分の憂き目にあっていました・・・

(当時は、カラヤン=軽薄、なんて勝手にイメージしていたのデス・・・)

 

クレンペラー盤(SACDハイブリッド盤)

 

クレンペラー盤(通常CD)

 

一方、改めて、カラヤン盤をBlu-ray Audioで聴いてみました。

クレンペラー盤のような巨大さ、大伽藍を思わせるようなものはないですが、

とにかく、ソリストが素晴らしい!

ソプラノのグンドラ・ヤノヴィッツ

(カラヤン指揮ベルリン・フィルで、R・シュトラウスの「四つの最後の歌」の究極の名演奏を残しています。)の、

まさに天上的な声!

比較のために、家にある他の盤(クレンペラー盤、ガーディナー盤)も聴いてみましたが、

ヤノヴィッツの声に比するものはやはりありませんでした。

 

カラヤン盤では、アルトがクリスタ・ルードヴィヒ、

テノールがフリッツ・ヴンダーリヒ、

バスがヴァルター・ベリーです。

何という豪華さ!

ソリストとオケの充実だけで選ぶなら、迷わずこのカラヤン盤でしょう。

ただ・・・

合唱がイマイチ、団子状態な感じなのです。

一方、シンフォニックな響きの充実感は格別です。

 

全体的な印象で言えば、クレンペラー盤、

ソリストとオケだけなら(つまり合唱以外なら)カラヤン盤、

合唱を重視するなら、ガーディナー盤をオススメします。

(合唱だけなら、鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパンの演奏も素晴らしいですが・・・

鈴木盤は、一度買いましたが、売却しました。)

 

 

ガーディナー盤(ベートーヴェン:交響曲全集他に含まれます。)

 

 

鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパン盤

 

最近、ミサ・ソレムニスの最後、
Dona nobis pacem."(我らに平安を与えたまえ)が繰り返し頭の中に響いています。
神の子羊、世の罪を除きたもう主よ
我らに平安を与えたまえ(カトリックの典礼文)

アーメン!

2020年3月 7日 (土)

パトリシア・セントジョン(Patricia M. St John)(作)『雪のたから』~世界名作劇場「アルプス物語 わたしのアンネット」の原作

世界名作劇場「わたしのアンネット」(1983年放送)の原作である、

パトリシア・セントジョン(Patricia M. St John)の『雪のたから』。

以前から読んでみたいと思っていましたが、

ようやく最近、新訳が出たので、買って読んでみました。

 

雪のたから (CLASSICS FOR A NEW GENERATION)

 

 

Amazonでは高額取引なので、一般サイトとキリスト教書店のサイトで紹介します。

雪のたから (801763)中村和雄、発売:いのちのことば社 発売日:2019/12/15(いのちのことば社通信サイトWINGS)

雪のたから 著者パトリシア・セントジョン (著),中村 和雄 (訳),Fumiko Onslow (訳)(honto)

 

旧訳(現在絶版)

 

世界名作劇場・完結版 アルプス物語 わたしのアンネット [DVD]

 

アルプス物語 わたしのアンネット (絵本アニメ世界名作劇場)

 

仲良しだったアネット(アンネット)とルシエン。

ふとしたきっかけでケンカをしてしまい、

それが元でルシエンはアネットの弟ダニーにひどいケガを負わせてしまいます。

ダニーは一生歩けないと宣告されてしまいます。

アネットはルシエンを憎み、ルシエンは村の人々から疎まれます。

そんな中、ルシエンは森の中である孤独な老人と出会い、

木彫りを習い、上達していきます。

罪滅ぼしのために、ルシエンはダニーを喜ばせようと、

「ノアの箱舟」の木彫りを作りますが、

アネットに壊されてしまいます。

ここからのアネットの葛藤、ルシエンの苦悩、

そしてアネットの改心とルシエンとの和解、ルシエンの勇気・・・

原作前半は正直に言うと、それほど面白さを感じていませんでしたが、

後半になると、キリスト教色が強くなり、それ故苦手な人も出てくるでしょうが、

私にとっては静かな感動に満たされました。

 

特に心に残ったところを引用しましょう。ルシエンの作ったノアの箱舟を壊してから、クリスマスを祝った後のくだりです。

 

(クリスマスの後で)「おばあちゃん、イエスさまが、私たちの心のドアーをたたいているって(注:ヨハネ黙示録3:20参照)、どういう意味なの?」

「それはね、こういうことなのよ。」おばあさんは(中略)アネットに向かい合った。「お前の生き方には間違ったことと、悪い考えが一杯だって、救い主イエスさまには分かっているのよ。イエスさまは、この地上にやって来られて、十字架におかかりになった。間違った行いや悪い考えの罰を、お前に代わって受けるために。その後、救い主はもう一度、いのちを取り戻されたから、お前の心に入り、イエスさまの聖霊によってお前の中に住むことがおできになるのよ。イエスさまは、こういう悪い考えをみんな滅ぼして、代わりにお前がイエスさまの良い、愛に満ちた考えで、考えるようにさせることができるのよ。それはちょうど、イエスさまが汚れた、暗い、ほこりまみれの家のドアーをたたいて、言っておられるようね。『お前がわたしを入れてくれれば、ごみや暗やみを取り去って、きれいな、明るい家にしてあげる。』けれど、いいこと。イエスさまは自分から押し入ってくることはされないのよ。ただ、入ってもいいか、聞くだけなのね。これが、ドアーをたたくっていうことの意味よ。お前は、『はい、主イエスさま、わたしには、あなたが必要です。お入りくださり、私の中にお住まいください』って、言うことが必要よ。これが、ドアーを開けるっていうことね。」(中略)

「けど、おばあちゃん。」アネットは(中略)言った。「もしだれかを憎んでいるとしたら、イエスさまにお入りくださいって、お願いすること、できないでしょう?」

「もしお前がだれかを憎んでいるのなら、イエスさまに入ってきてもらうことが、絶対に必要なのよ。部屋が暗ければ暗いほど、光がそれだけ必要なんだから。」

「けど、わたし、ルシエンを憎むのを止めること、できないの。」アネットは(中略)そっと言った。

「そう、それは本当にそうね。だれでも自分では、悪い考えを止めることはできないのよ。自分で止めようとするのは、決していい考えじゃないわ。けど、アネット。朝になって下へ降りてきてみたら、窓に雨戸が閉まっていて部屋が暗かったら、お前はこう言うの?『暗闇と影を追い出さなければ。それがすんだら、雨戸を開けて、日の光を入れよう。』お前は、暗闇を追い払おうとして無駄な時間を使うのかい?」

「もちろん、そんなことはしないわ」とアネット。

「じゃあ、暗闇をどうやって追い払うのかい?」

「もちろん、雨戸を開けるのよ。そうしたら、光が入ってくる。」

「けど、暗闇はどうなったのかい?」

「知らないわ。光がやって来た時に、闇は行ってしまったのよ。」

「それこそ、お前がイエスさまにお入りくださいって頼んだ時に、起こることよ。イエスさまは愛なのよ。愛が入って来られたら、憎しみや、自分勝手や、不親切は、愛に居場所をゆずるのよ。ちょうど、お前が日の光を入れたら、闇が居場所をゆずるようにね。けど、憎しみだけを追い出そうとするのは、暗い部屋から闇を追い出そうとしているようなものね。それって、時間の無駄ってこと。」

(中略)

「それって、間違いなく本当だわ。」アネットは自分に言い聞かせた。「イエスさまに入ってきてくださいってお願いすれば、ルシエンと友達にならなきゃならないわ。そんなの、したくない。それに、わたしがルシエンの彫刻を壊したって言わなきゃならないんだわ。そんなの、決して、決してできないわ。ドアーをたたく音のことは、なんとかして忘れるようにしなければ。けど、このみじめさと言ったら・・・・・。」

 主イエスさまがドアーをたたく音を聞いて、締め出したままにしておく者は、幸せも締め出してしまうことを、アネットはまだ知らなかった。

(『雪のたから』P.201~204から引用)

 

ホルマン・ハント(William Holman Hunt)(1827-1910)作「世の光」

Hu021

 

この頑なな心を開いたのは、御言葉です。

その御言葉とは、

ヨハネの手紙Ⅰ4:18です。

全き愛は恐れを締め出します。」(新改訳2017)

※小説中は違う訳になっています。

 

それにしても、罪とゆるし、改心といった、典型的なキリスト教的文学を、

よくぞ世界名作劇場で取り上げてくれたなぁ~と改めて感心しました。

ちなみに、アニメ版の方は、完結版でしか見ていません。

(過去記事)→アルプス物語 わたしのアンネット(完結版)

(参考記事)世界名作劇場 アルプス物語 わたしのアンネット

(参考記事)『雪のたから』あらすじ

2020年3月 1日 (日)

初めてのインターネット礼拝~集まらないのも「愛」(2020年3月1日)

北海道民の緊急事態宣言に基づき、

私どもは、礼拝を欠席しました。

実際、今この時勢、教会で礼拝・ミサをささげるのは、

感染症対策として結構問題があります。

もし、礼拝を是が非でも守るんだ!に固執し、

密集した教会堂で、感染者が一人でもいたら・・・

今は、集まらないのが「愛」といえます。

 

幸いにも、今はいい時代で、

家にいながら、教会の礼拝をライブ中継でみることができます。

Youtubeで「礼拝 ライブ中継」と検索すると、いろいろありましたが、

私どもは、神奈川県大和市の「大和カルバリーチャペル」の礼拝を選択しました。

説教中、大川従道牧師は、「礼拝に来ないでください」というのを苦渋の決断といい、

「集まって感染症が出たのでは、世の中に対して証にならない」といったことを言っていました。

実際、韓国のカルト的な教会が、見事にやってしまいましたから・・・

世の中の人にとっては、正統的なプロテスタント教会も、異端・カルトも、

「キリスト教会」というひとくくりになってしまうのです。

 

大川牧師の説教よりも、最後の方の祈りに感心しました。

(説教自体は、少し漫談風でしたし、脱線も多々ありますが、なかなか良かったです。

詩篇23からの説教でした。)

プロテスタント各教派はもとより、セブンスデー・アドベンチスト教会や聖公会、

カトリックの教会のためにも祈っていました。

こういう広い心はすばらしいですね。

たぶん来週もお世話になると思います。

 

ちなみに、我が家では、動画を見つつ、

妻がギターで「やすかれ、わがこころよ」などの賛美歌を弾き、

私が歌う、というのもやっていました。

これはこれで、幸せなひと時でした。

 

今回観た礼拝中継は以下のとおりです。

 

第2礼拝

 

第3礼拝

 

主は私の羊飼い。

私は乏しいことがありません。

 

たとえ死の陰の谷を歩むとしても

私はわざわいを恐れません。

あなたが ともにおられますから。

(旧約聖書詩篇23:1、4新改訳2017)

2020年2月24日 (月)

英隆一朗(著)『黙示録から現代を読み解く』(女子パウロ会)

先日、札幌のキリスト教書店「オアシス札幌店」に行き、

新刊本をあれこれ見ているうちに、見つけた本です。

2020年2月20日初版発行の、

英隆一朗(著)『黙示録から現代を読み解く』(女子パウロ会)について書きます。

著者はイエズス会の司祭です。

 

黙示録から現代を読み解く (日本語) 単行本 – 2020/2/20

 

オアシス札幌店は、いのちのことば社系の書店で、

当然プロテスタント的立場の本がメインですが、

時折、こういうカトリック系の本も置いています。

 

英 隆一朗(はなふさ りゅういちろう)神父の名は、

以前お世話になったカトリックの方が信奉していたので、

聞いたことがありましたが、

(どちらかというとカトリックのカリスマ系?)

著作を読むのはたしか今回が初めてでした。

 

カトリックで、黙示録からのメッセージというと、

意外と珍しいのではないのでしょうか?

せいぜい、聖母被昇天(8月15日)の第1朗読として読まれる、

ヨハネの黙示録12章のところに出てくる「女」が聖母マリアを指すのでは?

程度でしょう。

一応、引用しておきましょう。

 

第1朗読 ヨハネの黙示録 11章19a、12章1~6、10ab節

天にある神の神殿が開かれて、
その神殿の中にある契約の箱が見え〔た〕。

また、天に大きなしるしが現れた。
一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、
頭には十二の星の冠をかぶっていた。

女は身ごもっていたが、
子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。

また、もう一つのしるしが天に現れた。
見よ、火のように赤い大きな竜である。
これには七つの頭と十本の角があって、
その頭に七つの冠をかぶっていた。
竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。
そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、
産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。

女は男の子を産んだ。
この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。
子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた。
女は荒れ野へ逃げ込んだ。
そこには、神の用意された場所があった。

わたしは、天で大きな声が次のように言うのを、聞いた。
「今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。
神のメシアの権威が現れた。」

引用元:女子パウロ会HPより(聖書本文は聖書新共同訳)

 

当該箇所への本文での言及がありますが(P.100~104)、

この「女」を直接、聖母マリアとしていないのは好感をもちました。

 

一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。(黙示12・1)

 カトリック教会では、この女を聖母マリアと解釈することが多い。もちろんそのような解釈も成り立つであろうが、第二バチカン公会議文書『教会憲章』第八章にあるとおり、聖母マリアは教会の模範であると宣言されている。つまり、この女は聖母マリアを模範にした理想的な教会の姿を表しているとも考えられており、その方が解釈の余地が広まるように思う。つまり女を集合人格として解釈するのである。

(同書P.100~101より引用。下線は筆者による。)

 

本書全体を通して、ヨハネ黙示録の世界を、今を読み解くカギとして、

いろいろあてはめて考えているのは一読に値します。

もしかすると、リベラルの牧師さんの政治的な説教みたいな印象を受けるかもしれません。

しかし、本全体から、決して揺るがない霊的な確信というものを、

強く感じました。

(どこがどうの・・・という感じではないのですが・・・)

こういうときだからこそ、福音の種を蒔こう、という揺るがぬ決意は、

本文のあちこちにみられます。

 

カトリック教会の現状を嘆きつつ、黙示録の状況にあてはめて読み込む、

というのは、聖書を生きたメッセージとして扱うのに好材料だったのでしょうね。

全体的に読みやすく、全135ページを30分もかからずに一気に読み終えてしまいました。

英 隆一朗神父の他の著作も機会があれば読んでみたいと思いました。

HPもありましたので、紹介しておきます。

(公式なものかどうかは不明ですが・・・)

キリスト教カトリック教会の聖書の話を聞いてみませんか?福音書朗読とイエズス会英隆一朗神父のお話です

 

本書そのものとは関係ありませんが、

英 隆一朗神父の著作をAmazon等で調べていたら、

ヴァスーラ・リデンの著作の監修もされているのですか・・・

この点は???かもしれません。

(私もかなり前に、ヴァスーラ・リデン(当時は「ライデン」)の本を読んだことがあります。)

(参考までに・・・正統キリスト教というよりは、スピリチュアル系の本に分類した方がいいと思います。)

 

一応、紹介しておきますが、私は支持していません。自己判断で・・・

(参考)

ヴァッスーラへの預言

 

(参考)
天国は現実、しかし地獄も現実 来たるべきことについての目撃者の証言

 

(参考)

私の天使ダニエル 『神のうちの真のいのち』の夜明け 

 

これらのことを聞き、また見た者は、私ヨハネである。聞き、また見終わったとき、私は、これらのことを示してくれた天使の足元にひれ伏して、拝もうとした。すると、天使は私に言った。「やめよ。私は、あなたや、あなたのきょうだいである預言者たちや、この書の言葉を守っている人たちと同じく、仕える者である。神を礼拝せよ。」

(新約聖書ヨハネの黙示録22:8~9聖書協会共同訳)

あなたがたは、自分を卑下したり、天使を礼拝したりする者から、不利な判断を下されてはなりません。彼らは、幻で見たことを頼りとし、肉の思いによっていたずらに誇っているだけで、頭であるキリストにしっかりと付くことをしません。この頭が基になり、体全体は節と節、筋と筋によって支えられ、結び合わされ、神に育てられて成長してゆくのです。

(新約聖書コロサイの信徒への手紙2:18~19聖書協会共同訳)

2020年2月23日 (日)

映画「リメンバー・ミー」(原題:Coco)の死後の世界

2020年2月21日に、日本テレビ系で、

ディズニー/ピクサーの映画「リメンバー・ミー」が放映されました。

原題は、調べてみてわかったのですが、”Coco”なのですね。

主人公の曾祖母の名前で、ラストに重要な役割を果たします。

 

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死者の日(カトリックの教会暦では、11月2日ですが、

本作品の舞台のメキシコでは、11月1日、2日に行われるそうです。)に、

先祖を迎える準備(日本のお盆に似ていますね)をしているうち、

死者の国に生きたまま迷いこんだ主人公が、

様々な冒険をしていく物語です。

 

物語の詳細はさておき、

興味深かったのが、作品の中で語られる、

死後の世界でした。

 

死者の世界の住人は、骨だけの存在ですが、

現世と同様、衣服を着ています。

年に1度、死者の日に、現世の家族の元へ帰ることができます。

死者の国を「出国」する(この世の空港の光景みたいな感じでした。)条件は、

家族が記念のために飾っているであろう「遺影」があることです。

 

本作品の準主人公というべき存在が、最初はうさんくさい存在に思えた、

ヘクターです。

ヘクターは、現世で家族が遺影を飾っていないので、出国できません。

そして、すべての人から忘れられてしまうという、「第二の死」が近づいています。

 

作品自体は感動的であり、最後の方で歌われる主題歌「リメンバー・ミー」のところでは、

思わず目がウルっときてしまいました。

それはともかく、中盤で、結構あっさり描かれる、

「第二の死」の描写が、とても心にひっかかりました。

 

ちょうどこの映画を観る数日前、

こんな文章を読みました。

 

 人間の死には二種類あるといいます。ひとつは肉体の死です。すべての人がこの肉体の死を迎えます。それは避けることができません。

 もうひとつは、存在の死です。その人が存在したことを地球上のすべての人が忘れてしまったとき、存在の死が訪れます。

 ということは、その人が存在していたことを誰かが覚えている間は、その人はまだ死んでいないと言えるのかもしれません。

 思想や哲学、生き方、考え方、芸術、法理・法則の発見、道具の創造など、さまざまな分野で「忘れられない」存在であれば、その人はいつまでも、死んではいないのです。

 なにも名を成したり有名にならなければいけない、ということではありません。「とても優しい人だった」「人のために労を惜しまない人だった」というようなことでも、その人を語り続ける人はたくさんいるのです。

    肉体の死は避けられませんが、存在の死は遅らせることはできるのです。

   (以下省略)

 

小林正観著『22世紀への伝言』(廣済堂出版)P.126より引用

 

22世紀への伝言

 

ここで、日本の代表的な死後の世界を考えてみましょう。

神道では、人は死ぬと「カミ」になると考えられています。

仏教では、宗派によっていろいろ考え方があるので、一概には言えない面がありますが、

死後、四十九日で次の世に行く、とされています。

(生前の行いによって行く場所が違う・・・)

キリスト教のカトリックでは、

たいていの人が煉獄(天国と地獄の中間)に行き、現世の罪を償ってから、

天国へ行く、ということになります。

(大罪のまま告解もせず痛悔もないままなら、地獄へ・・・)

プロテスタントでは、煉獄は否定されているので、

天国か地獄かの二択になりますが、聖書的にいえば、

最後の審判の時に死者は復活し、最終的な裁きを受けます。

ハリストス正教会でも、煉獄の存在は否定されますが、

死者を記念する「パニヒダ」で、死者が神の永遠の記憶に覚えられるよう、

「永遠の記憶」という聖歌を歌うそうです。

(ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の最後の方に、この光景が出てきます。)

 

新約聖書・ヨハネの黙示録には、「第二の死」という言葉が4回出てきます。

耳のある者は、霊が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者は、決して第二の死によって損なわれることはない。

(ヨハネの黙示録2:11聖書協会共同訳)

第一の復活にあずかる者は、幸いな者であり、聖なる者である。この人たちには、第二の死は無力である。彼らは神とキリストの祭司となって、キリストと共に千年の間支配する。

(ヨハネの黙示録20:6聖書協会共同訳)

死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。

(ヨハネの黙示録20:14聖書協会共同訳)

しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、淫らな行いをする者、魔術を行う者、偶像を拝む者、偽りを言うすべての者、このような者の受ける報いは、火と硫黄の燃える池であって、第二の死である。

(ヨハネの黙示録21:8聖書協会共同訳)

 

聖書で言う「第二の死」とは、最後の審判時にすべての人が復活し、

生前の行いに応じて裁かれ、

いのちの書に記されていない者」(黙20:15)が投げ込まれる「火の池」行を指します。

苛烈なイメージですね。

 

存在が、人々の記憶と共に静かに消えていく「第二の死」と、

裁きの末の永遠の炎・・・の「第二の死」。

まぁ、死後の世界は別にメキシコ限定ではないし、

家族が写真をもっていなかったらOUTだったら、写真がなかった時代は?とか、

現代日本に増えている「無縁社会」ではどうなるのか・・・

などといろいろツッコミどころ満載ですが、

エンターテイメントとしては面白かったです。

 

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2020年1月30日 (木)

おすすめ記事~「カネで国民を選別する日本にしてはならない」(新世紀のビッグブラザーへ~三橋貴明氏のブログ)

大規模災害があったら、助け合うのが当たり前・・・

東日本大震災級の大規模災害(地震、津波、台風による河川氾濫等)が起きた際に、

もし、自衛隊や警察、消防の方々から、

「助けてもいいけど、受益者負担です。後で〇万円請求ですが、いいですか?」

と言われたら、皆さんはどう思いますか?

 

新型コロナウィルスの蔓延に伴い、

今回、政府がチャーター機を手配して、武漢から、邦人を救出に行ったことはよい決断だと思いました。

しかし・・・

政府が、チャーター機の運賃として一人当たり8万円を徴収することは、

果たして妥当なのでしょうか?

ネット上では、「受益者負担は当たり前」という声が強いです。

 

今回の日本政府の方針に、まっとうな論理で反駁したのが、

今回おすすめしたい記事である、

「カネで国民を選別する日本にしてはならない」

(新世紀のビッグブラザーへ~三橋貴明氏のブログ)です。

記事から一部引用します。

(引用)

(中略)我が国では政府が「緊縮財政至上主義」の下で、カネ、カネ、カネ。非常事態時に「国家」に助けてもらった際に、カネを請求されるという「腐った国家」になり果てていたことが明らかになった。

 ならば、東日本大震災で自衛隊や警察、消防、土木業の方々に助けてもらった人にも「受益者負担です」と、費用を請求しなければなりませんね。

 国家って、そういうものじゃないでしょ。

 非常事態は、いつ、誰に襲い掛かってくるか分からない。武漢に滞在していた「同じ国民」の方々にしても、「こんなことになる」と予想していた人は一人もいないでしょう。
 
 それでも、非常事態は発生する。そのときは、「カネ、カネ、カネ」などとやらずに、無条件で国民が「同じ国民」を助けるのです。それが、国民国家であり、国民意識(ナショナリズム)の根幹です。

 ちなみに、
「税金を払っているんだから、無料で助ける」
「そもそも、中国なんかでビジネスをしているのが悪い」
 といったレトリックも不適切です。
 税金を払っていなかったとしても、あるいは国家に迷惑をかけていたとしても、それでも「同じ国民」ならば無条件で助けるのです。次、我々が非常事態に直面した際には、かつて助けられた国民が助けてくれるかも知れませんよね。

 また、「中国で~」などと言い出した日には、東日本大震災の被災者の皆様が「東北の海岸地域に住んでいたのが悪い」ことになってしまいます。

 「あの」中国に滞在していても、何事もないケースもあります。逆に、日本国内の「ここは安全」と信じられていた場所で、災難に直面するケースもあります。全ては「運」なのです。

 たまたま「運が悪かった」国民が苦しんでいる以上、無条件で助けるのが当然ですが、自己責任論を持ち出す。わたくしを批判した人たちは、次の非常事態で自分の家族が危険にさらされたとしても「受益者負担」「自己責任」と言えるのでしょうかね。ちなみに、わたくしは無理ですわ。

 グローバリズムが蔓延し、ナショナリズムが破壊され、自己責任論に「逃げる」連中が増え、非常事態時にまで受益者負担と言ってのける。

 正直、今回はチャーター機を飛ばして料金を請求した日本政府以上に(緊縮財政至上主義である以上、何となく予想していた)、わたくしを批判した連中に「グローバリズム的なおぞましさ」を感じてしまったわけでございます。
 
 我が国を「カネで国民を選別する日本」にしてはなりません。
(引用終)
某議員には政治資金として1億5千万円払っても、「妥当」だったり、
あるいは、「桜を見る会」の私物化で5000万円税金から支出したり・・・にはザルなのに、
どうして、こういうところはケチくさいのか?
国民を守ることには、政府は金を使いたくないのか、という印象を受けます。
自己責任論だとかのルサンチマンの呪いの叫びは、結局、危機の時に、
自分の身に降りかかってくるのです。
困ったときにはカネの有無で差別されるのではなく、
無条件で、助け合える世の中の方が、素晴らしくはないですか?
それとも、すべてにおいて自己責任を振り回した方が、
幸せなのでしょうか?
社会がアメリカ化するのが、そんなに素晴らしいことなのでしょうか?
(まぁ、アメリカには寄付の文化が救済手段としてありますが、
日本にはまだあまり根付いていないように思います。)
喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。
(新約聖書ローマの信徒への手紙12:15新共同訳)
これは、個人の倫理だけではなく、社会にとっても有益な言葉だと思います。
一応、公平のために、「8万円は妥当か?」(徴収は妥当)という記事も、
参考までに載せておきます。
鳥海 高太朗 : 航空・旅行アナリスト 帝京大学非常勤講師
(2020年1月31日追記)
やはり、「これはおかしい!」と著名な方々が叫ぶことにより、
現実は動くのです!
これでも、このニュースへのYahoo!コメントを読むと、
「我々の税金が使われるのはおかしい!」「自己責任だ!」との声が多数なのは、
情けない限りです・・・
生きづらい、ギスギスした世の中ですね。
おそらく、こういうコメントを書く類の人々は、
他人が得することを許せないのでしょう。
(参考)
(引用)
 自分が不利益を受けるわけではなくても、他人の利益を不快に感じる。そんな人たちが少なからずいる。極端な不寛容さは一体どこから来るのか。技術の進歩が生んだ現代人特有の心情だとの指摘もある。AERA 2019年10月14日号に掲載された記事を紹介する。
 今春、定食チェーンの「やよい軒」が、無料だったご飯のおかわりを試験的に有料にするというニュースが流れた。運営会社は、おかわりをしない客から「不公平だ」という指摘があったと説明した。夏の参院選でれいわ新選組から車いすの議員2人が当選し、国会が改修されたというニュースには、ネット上などで「自己負担でやるべきだ」「我々の税金を使うな」といった反発がわき起こった。

 どちらも、批判する人自身が、何らかの負担を強いられたわけではない。ただ、自分以外の人が利益を受けているのが不快という感情。「他人の得が許せない」人が増えている。
(中略)
 心理カウンセラーで「インサイト・カウンセリング」(東京都)代表の大嶋信頼さんによると、相談に訪れる人の多くは「他人の得が絶対に許せない」「いつも自分が損ばかりしている」という気分になっているという。そんな気持ちに苦しむ人たちが、この社会にあふれ返っているようだ。

 大嶋さんは特に、そういう人たちが他者に攻撃的な言動をとってしまうケースは「『ルサンチマン』という言葉で説明がつく」という。

 ルサンチマンとは、「強者に対する弱者のねたみや恨み」という意味だ。准教授が経験した例では、授業をきちんと受けながらも成績が心配される学生が弱者で、授業を受けなくても成績が良い方が強者と言えるだろう。大嶋さんは「多くのケースで、『弱者がすることは正しい』と思い込んでしまう傾向があります」とも指摘する。
(引用終)下線は筆者による。

2020年1月 4日 (土)

謹賀新年2020!&2019年12月のページビュー(PV)数ベスト10記事一覧

謹賀新年 

2020年、今年もよろしくお願いいたします。

さて、

2019年12月のページビュー(PV)数ベスト10記事は以下のとおりです:

(※トップページ及びカテゴリを除く)

ベスト3までと、先月書いた記事にはリンクを張っています。

 

一位.「カトリック」か「カソリック」か?~誤用に潜む軽蔑と無知

二位.NHKBSプレミアム・プレミアムシアター

「ドキュメンタリー きよしこの夜 ~世界をひとつにした歌~」

(原題:The first Silent Night〜the carol that united the world)(2015年12月14日放送) 

三位.SACDとBlu-ray Audio、どちらが優れているか?〜音響、価格、将来性・・・

四位.学び合い学習」は日本の義務教育崩壊を招く!

~おすすめ記事『【解答乱麻】 TOSS代表・向山洋一 亡国の教育「学び合い学習」』

五位.2019年11月のページビュー(PV)数ベスト10記事一覧

六位.クリスマス~主役のいない誕生日パーティー?

七位.クリスマスの讃美歌 The snow lay on the ground/雪はつもり(讃美歌第二編127)

※私訳とmidi付

八位.シベリウスによるクリスマスの讃美歌~喜びはむねに(讃美歌21・271番)※midi付

九位.マーラー:交響曲第7番聴き比べ14種類

十位.インクルーシブ(インクルージョン)教育は子どもにとって本当に幸福なのか?

~おすすめブログ記事「脱インクルージョン教育」(ブログ名:斜に構えてみる)

 

先月書いた記事では、

2本ランクインしていて嬉しかったです。

また、クリスマス関連の記事が4本ランクインしているのもありがたいことでした。

二位の記事は、NHKBSプレミアムのプレミアムシアターで、

「きよしこの夜」関連の番組が放映されたからランクインしたと思われます。

 

2020年も皆様にとってよい年となりますように。

 

神が私たちを憐れみ、祝福し

その顔を私たちに輝かせてくださいますように。

(旧約聖書 詩編67:2新共同訳)

より以前の記事一覧

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