カテゴリー「書籍・雑誌」の351件の記事

2020年9月21日 (月)

上西充子著『呪いの言葉の解きかた』(晶文社)

上西充子著『呪いの言葉の解きかた』(晶文社)を読み終わりました。

 

 

タイトルからすると、最初はオカルト系の本なのかと思いました。

しかし、ここで言う「呪いの言葉」とは、たとえば、こういう類です。

本文から引用します。

 

(引用)

 私たちの思考と行動は、無意識のうちに「呪いの言葉に縛られている。

 そのことに気づき、意識的に「呪いの言葉」の呪縛の外に出よう。思考の枠組みを縛ろうとする、そのような呪縛の外に出よう。のびやかに呼吸ができる場所に、たどりつこう。

 それが、本書で伝えたいことだ。

 

 何のための言葉か

 

 たとえば「嫌なら辞めればいい」という言葉。これは、典型的な呪いの言葉だ。

 長時間労働や不払い残業、パワハラ、セクハラ、無理な納期、無理な要求―ーーそういう問題に声をあげる者に対して、「嫌なら辞めればいい」という言葉が、決まって投げつけられる。

(同著P.014から引用終)

 

ちなみに、同著によると、この言葉に対して返す言葉(呪いを解く言葉)は、

「どうせ辞められないんだろ?だったら、理不尽にも耐えろ」というわけですね。(P.270から)

 

まず、第1章で「呪いの言葉」とその解き方について概論を述べ、

続いて、ケーススタディとして、

第2章「労働をめぐる呪いの言葉」

第3章「ジェンダーをめぐる呪いの言葉」

第4章「政治をめぐる呪いの言葉」

が取り上げられます。

といっても、堅苦しいものではなく、「逃げ恥」などの大ヒットドラマや、

映画の分析などもあります。

とても興味深かったのは、著者の政治活動として有名な、

「国会パブリックビューイング」に関するとことでした。

政治に関する報道は、Youtubeでの国会中継を除けば、

政権に忖度して都合の良いところしかテレビで報道されません。

そういう中で、公の場で国会のありのままを見てもらうという働きは、

場所が限定はされますが、

とても効果的だと思いました。

ツイッターで著者の活動を知り、今回本を買ってみました。

一読に値する本だと思います。

2020年8月26日 (水)

映画”Toc Toc”(邦題:「OCD 〜メンタル・クリニックは大騒ぎ〜」)※OCD=TOC=強迫性障害

我が家では、Netflixを契約しています。

妻が、「この映画すごくおもしろかったよ!」と教えてくれたのが、

今回紹介するスペイン映画”Toc Toc"(邦題:「OCD 〜メンタル・クリニックは大騒ぎ〜」)です。

※OCD=TOC=強迫性障害

さまざまな強迫性障害に悩む6名が、同じ精神科医の診療を、

同じ時間に予約が入っていたことで起こる、

コメディタッチのぶつかり合いと、自己開示、そして変容が描かれています。

ネタバレはしたくないので、この先は書きませんが、

すごく楽しい映画でした。

ヘンリー・ナウエンの『傷ついた癒し人』という本を思い出しました・・・

 

2020年7月 5日 (日)

小友聡著『NHKこころの時代~宗教・人生~それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」』 (NHKシリーズ NHKこころの時代)

空の空

空の空、一切は空である。(旧約聖書コヘレトの言葉1:2聖書協会共同訳)

空の空。

空の空、一切は空。(旧約聖書コヘレト1:2フランシスコ会訳)

なんという空しさ なんという空しさ、すべては空しい。

(旧約聖書コヘレトの言葉1:2新共同訳)

 

旧約聖書の中でも異質な書、「コヘレトの言葉」。

口語訳では「伝道の書」、

新改訳(2017含む)では「伝道者の書」という題名になっていますが、

今回は「コヘレトの言葉」で統一します。

 

NHKEテレ「こころの時代」で、

2020年4月~9月の毎月第3日曜日に放送予定だった、

シリーズ それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」

コロナ禍で、放送が延期(少なくとも今秋以降)となりましたが、

テキストは発売中です。

 

NHKこころの時代~宗教・人生~ それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」 (NHKシリーズ NHKこころの時代) 

著者の小友聡氏は、東京神学大学教授で、日本キリスト教団の牧師です。

この著者名は、昨年、札幌のジュンク堂書店のキリスト教コーナーで、

たまたま見つけた本

コヘレトの言葉を読もう 「生きよ」と呼びかける書』(日本キリスト教団出版局)を読み、

感銘を受けたので、

期待して買ってみました。

 

コヘレトの言葉を読もう 

 

さて、放送テキストの方に戻りましょう。

先ほど取り上げた『コヘレトの言葉を読もう』と共通しているところが多く、

一般向けの「コヘレトの言葉」入門書である『コヘレトの言葉を読もう』をさらに平易に、

コンパクトにまとめた、という感じでした。

 

冒頭に掲げた「空の空」の「」とは、

仏教の「空」(これを説明するのは結構大変ですので省略・・・)とは違います。

へブル語の「へベル」=空、空しさを、

著者は「束の間」という言葉に置き換えています。

(P35~42)

そこから、

(引用)

 「へベル=束の間」とすると、「空の空、一切は空である」は、「すべては、ほんの束の間である」と訳すことができます。「なんという空しさ、すべては空しい」(筆者注:新共同訳)と比べると、かなり印象が違うでしょう。「これもまた空であり、風を追うようなことである」は、「ルーアハ」(筆者注:ヘブル語で「風」、「息」ひいては「霊」)を追うような一瞬のことだと言っているのです。

 へベルが「空しい」と訳されたのは、「新共同訳聖書」(一九八七年)からです。その前はずっと「空」でしたが、わかりやすくしようということで、「空しい」になったのではないかと思います。この聖書は今もよく読まれているので、コヘレトという人は、「空しい、空しい」といばかり言っているという認識が広まっているのです。(中略)

 「人生は束の間である」という事実を、コヘレトはじっと見つめています。それを無意味だとは、彼(注:コヘレト)は決して言いません。むしろ、そこからどう生きるか、どう生きたらよいかを、知者コヘレトは徹底して考えるのです。

(P.38~39から引用終)

と述べています。

そこから、コヘレトの現世賛歌、終末嫌いなどについて論じていきます。

ちなみに、「コヘレトの言葉」中、「空」は、38回出てくるそうです。

 

(引用)

 人間は塵から造られ、神から「命の息」を吹き込まれて、生を得たのです。ですから、人間の死において「息」は、それを与えた神に帰ります。ここには、「人間は最後に創造主である神の手の中に帰るのだ」というコヘレトの信仰の根拠があります。無神論者とか、信仰否定者などと呼ばれるコヘレトは、創造主への揺るがぬ信頼をはっきりと示しているのです。

 人間は神から創造された存在です。しかも、本質的には塵という、脆く儚い存在なのです。にもかかわらず、その脆く儚い人間が神から「命の息」を与えられ、生きる者とされています。その命は、百年に満ちません。なんと短い命なのでしょうか。まさしくへベルです。

 「一切は空である」の「空」はへベルの訳であり、「短い」「儚い」「束の間」という意味だと説明しました。世界には終わりがありませんが、人間という存在は有限で儚い。人生はまるで風のように束の間で、人間はあっという間に塵に帰ります。

 けれども、コヘレトは儚いから意味がないとは決して考えません。人間の一生はへベルだからこそ、意味があるのです。へベルだからこそ、神から与えられた今のこの命を、精一杯生きよ。そんな逆説的な死生観が立ち上がってくるようです。

(P.128から引用)

私にとって、「コヘレトの言葉」は旧約聖書中、「詩篇」と並んで最も好きな書です。

旧約聖書を実際に読んでみよう、と思ったきっかけが、

「コヘレトの言葉」(最初に買った旧約新約が口語訳なので、「伝道の書」でしたが・・・)を、

ぜひ読んでみたい、と思ったからでした。

それは、高校生の時に読んだ、スタインベックの小説『怒りの葡萄』に、

「コヘレトの言葉」が結構引用されているからでした。

(私が読んだのは、岩波文庫版。)

 

(参考)怒りの葡萄〔新訳版〕(上) (ハヤカワepi文庫) (日本語)

 

怒りの葡萄〔新訳版〕(下) (ハヤカワepi文庫) (日本語)

 

以来、コヘレトはある意味、「心の友」みたいな存在でした。

徹底したリアリストでありながらも、神様と深くつながっている・・・

私はどちらかというと、天国信仰(この世は汚れていて、すべての喜びはあの世に・・・)よりも、

「この世で神をどう賛美・感謝して生きるか」という方に関心があります。

そういう意味で、コヘレトの言葉は深く心に刺さるものがあります。

今回のテキストの中でも、こんな風に紹介されています。

(引用)

 繰り返しになりますが、「コヘレトの言葉」は、長年にわたり、虚無的で厭世的な、支離滅裂な文書とされ、好意的に読まれてきませんでした。しかし、ここ二十年ぐらいは、新たな解釈がなされ、再評価されてきています。

 私のもとには、「コヘレトが好きだ」とか「コヘレトを読んでホッとする」などという声が届きます。それは、「コヘレトの言葉」が、現代に通じる言葉だからだと思います。

 これからの時代、経済格差はますます広がり、引きこもりや自死などの問題がさらに深刻化していくことが懸念されます。努力しても報われない、先が見通せない世界で、私たちはどう生きるべきか。「コヘレトの言葉」を読んで、考えていきましょう。

(P.29~30から引用終)

現代だからこそ、「コヘレトの言葉」は表向きの敬虔さや、偽善の仮面を脱ぎ捨て、

グイグイと心に迫ってくるものがあります。

 

なお、著者の作品ではありませんが、他に「コヘレトの言葉」を解説した本として、

高橋秀典著『正しすぎてはならない』(いのちのことば社)もオススメです。

著者は立川福音自由教会の牧師です。私訳も載っています。

(私は20年ほど前に一度だけ、その教会に行ったことがあります。)

 

正しすぎてはならない (日本語) オンデマンド (ペーパーバック)

2020年7月 4日 (土)

浜崎英一 著『聖書のストーリーから見えてくるもの シリーズ マタイ』①②

ページ数の少ない本ですが、聖書の解説というより、

聖書そのものの中へ入っていく感じを経験できる本です。

浜崎英一著『聖書のストーリーから見えてくるもの シリーズ マタイ①&②』を紹介します。

 

聖書のストーリーから見えてくるもの シリーズ マタイ①: 聖書は単なる宗教書なのか 現代人に語りかけているものがあるのか (日本語) オンデマンド (ペーパーバック)

 

聖書のストーリーから 見えてくるもの シリーズ マタイ② (日本語) オンデマンド (ペーパーバック)

 

これはAmazon限定発売の本です。

他の書店では取り扱いがありませんので要注意。

Amazonのkindle unlimited会員なら、電子版が無料で読めます。

 

この本は、よくある注解書のたぐいではなく、

聖書知識があまりなくても、

いきなりイエス様が生きておられた世界へ突然行くような感じです。

下手なたとえですが、映画「メリー・ポピンズ」で、

現実世界から、アニメの世界に主人公たちが飛び込んでいくかのような・・・

 

一度にたくさん読むのではなく、味わって読まれるといいでしょう。

 

ちなみに、著者の浜崎英一氏は、元、大津バプテスト教会の主任牧師でした。

浜崎氏の名前は、マーリン・キャロザースの『讃美の力』の訳者として知っている程度でした。

(この『讃美の力』は、私の信仰生活を根本から変えた本です。

相当な回数読み返して、その度に新しい信仰の活力をもらえる名著です。)

何で、今回紹介した本を知ったのか、詳しくは忘れてしまいましたが、

たまたまキリスト教関係の本をAmazonで調べていた時に、その名前を発見し、

「あっ、『浜崎英一』さんって、もしかして、『讃美の力』の訳者の方?」

と思って調べてみたのがきっかけでした。

 

(参考)マーリン・キャロザース著 浜崎英一訳『讃美の力』(生ける水の川)

 

 

同じ著者の『バイブル・ストーリーによる真理発見』(地引網出版社)もオススメです。

著者のすすめるバイブル・ストーリーの展開の仕方や、

その体験者の証が紹介されています。

 

バイブル・ストーリーによる真理発見 (日本語) 単行本(ソフトカバー)

 

先ほどAmazonで調べると、マタイの次はマルコ、ということで、

また2冊発売されていましたので、そのうち読んでみるつもりです。

 

聖書のストーリーから 見えてくるもの シリーズ マルコ① (日本語) オンデマンド (ペーパーバック) 

 

聖書のストーリーから 見えてくるもの シリーズ マルコ② (日本語) オンデマンド (ペーパーバック)

 

著者のブログがありますので、こちらも紹介します。

「聖書との対話」浜崎英一ブログ

短い文章の中に、聖書そのものからの慰め深い言葉が詰まっています。

たとえば、2020年6月1日の「神などいない」という記事から引用します。

(これは詩篇14:1からの言葉です。

聖書では、「神などいない」=愚か者の言葉、なのです。

愚か者は心の中で「神はいない」と言う。(聖書新改訳2017詩篇14:1)

つまり、空気や電波は見えないから「存在していない」と言うのに等しい、ということです。)

 

(引用)

「神などいない」というこの国の現実があります。いるとしても、漠然としていて、いるかいないか分からないという現実で

す。

神を知らない者だからです。

日々、目から耳から入ってくる様々な情報、その現実の背後には「神などいない」という「常識」があります。

目に見えない神を無視することで、いつの間にか自分を神の座に置くことになっていきますが、その現実に気づく人は少ない

と思います。

その結果、今、この日本の社会には、かつてないほどの犯罪や殺人、虐待などが日常化していく傾向にあります。

 

一方で、どの宗教も同じだと「宗教」という言葉で、キリスト教もひっくるめられています。

神などいないという、その現実のただ中で、主は天から見下ろし、賢く、神を求めている人はいないかと探しておられます。

探しておられるというのは、そういう人がいることを知っておられるからです。

どこにいるのかを探しておられます。

どこかで、探しておられるこの神に出会う人がいることを知っておられるからです。

 

イエスはエリコの町で、主を求めていた人ザアカイに出会いました。その後、人の子は失われた者を探して救うために来たの

だと言われました。

 

神などいないというこの日本の社会の中で、あなたもわたしも探しておられる方に出会ったのですね。

あなたも数少ない神を求める人だったから、探しておられる方に見つけていただいたのです。

 

「主よ、感謝です。この日本の社会で、あなたは探しておられて、こんな者に目を留めてくださったことを感謝します。目で

見るもの、耳で聞くもの、さまざまな『神を知らない』情報の洪水の流れに押し流されそうですが、いよいよ、なお、あなた

に目を留め、あなたを愛して生きる者として、この人生を導いてください」

(引用終)

2020年5月31日 (日)

真駒内公園の白い花々~札幌市版「喜びの白い道」?(2020.5.31)

快晴の中、妻と一緒に、札幌市南区の真駒内公園に行ってきました。

本日のメインは、真駒内公園の中での「プチ登山」でした。

4月末~5月初めにカタクリが咲いていた丘のようなところで、

手頃なプチ登山ができます。

東区のモエレ山(高さ55m)レベルぐらいでしょうか・・・

(参考)真駒内公園・カタクリの里散策路へ(橋本竜平氏の記事)

→だいたい50mぐらいだそうです。

 

そのカタクリが咲いていたところは、1か月も経たないうちに、

見る影もなく変化していました。また来年・・・

その代わりに、白い小さな花、クルマバソウが咲いていました。

(写真撮りましたが、後で見ると、ぼやけて写っていましたので、写真はボツ)

 

帰り道、5月中旬に八重桜がいっぱい咲いていた道を通りました。

まだわずかながら、八重桜が咲いていました。

ほぼ終わりで、道が桜色に染まっていました。

 

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それから、公園出口を目指して、

真駒内セキスイハイムスタジアム(屋外)の方へ歩いているうちに、

白いりんごの花を見つけました。

 

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さらに少し歩くと、見事なりんご並木がありました!

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りんご並木といえば、豊平区の環状通の道路の真ん中にあるのしか、

札幌市内でみたことなかったので、来てよかったなぁ・・・と思いました。

ちょうど、『赤毛のアン』の「喜びの白い道

(世界名作劇場版。村岡花子版では「歓喜の白路」)を連想しました。

(参考)

喜びの白い道

リンゴの花と”歓喜の白路”

 

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※↑写真引用は、

世界名作劇場 赤毛のアン 1話~第12話「アン、告白する」あらすじ♪

(ブログ名:さなの僕のレストラン2攻略、アニメ情報、食事日記♪)から。

 

赤毛のアン 赤毛のアン・シリーズ 1 (新潮文庫) (日本語) 文庫 – 2008/2/26

 

赤毛のアン Blu-ray メモリアルボックス

 

あと、白い花といえば、ナナカマドの花も咲いていました。

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ところで、今私のスマホ(Andoroid)には、

Google Lens」というアプリが入っています。

対象にカメラを向けるだけで、どんな花か、

あるいはどんな品物で、いくらぐらいするか、すぐ出てきます。

なかなか面白いですよ。

 

公園の出口近くに、藤棚がありました。

マスク越しに、甘い匂いを感じました。

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2020年4月18日 (土)

故・大林宣彦監督の「時をかける少女」と「ねらわれた学園」

2020年4月10日に亡くなられた大林宣彦監督の追悼番組として、

2020年4月18日に、日本テレビ系で、

原田知世さん主演の映画「時をかける少女」が放映されました。

字幕放送になっていたので、録画して妻と一緒に観ました。

 

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奇しくも、放映日と、映画の中でループする1日が同じ日というので、

話題になったそうです。

時をかける少女の「奇跡」劇中設定4月18日に放送 4/18(土) 16:42配信(日刊スポーツ/Yahoo!ニュース)

 

それはともかく、実はこの映画、真面目に観たのは初めてです。

(部分的なシーン、たとえば理科室のところあたりは知っていましたが)

「尾道三部作」の「転校生」は、TV放送で何度も観たことがありますが、

時をかける少女」は、なんとなく暗いイメージで、

それほど観たい感じではありませんでした。

 

改めて観てみると、後半のチープな映像が、今の視点からすると結構笑える感じでした。

今回のTV放送で一番問題だったのは、エンディングがバッサリカットされていたことです。

そんな殺生な~という感じでした。

仕方なく、Amazonプライムでちょうど会員特典無料で観れたので、

エンディングのところだけ観ました。

エンディングの映像はビミョーでしたが、やはり主題歌の「時をかける少女」は名曲かも?

 

時をかける少女」は何度も映像化されている作品ですね。

私が一番好きなのは、やはりアニメ映画版のです。

 

アニメ版

 

ついでに、Amazonプライム会員特典無料ので、

ねらわれた学園」も観ました。

こちらは薬師丸ひろ子さん主演です。

ちなみに、「ねらわれた学園」、「時をかける少女」の両映画で、

ヒロインのお相手役は、共に高柳良一さんです。

ユーミンの名曲「守ってあげたい」が主題曲なのですね。

 

 

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松任谷由実40周年記念ベストアルバム 日本の恋と、ユーミンと。 (通常盤) オリジナルレコーディングのリマスター

 

途中からの展開が、当時は斬新だったのかもしれませんが、

今からするとすごいコメディに感じました。

一部の生徒たちが昭和の仮面ライダーの戦闘員みたいになって、

風紀乱れた生徒たちを取り締まるところも、

コメディ的に感じました。

あと、ラスボスがあっさり負けてしまうところとか・・・

(1分ぐらいで負けていたのでは?)

チープすぎる映像が、一周まわって新鮮に感じました。

 

ちなみに、大林宣彦監督の作品で、私が一番好きなのは、

新尾道三部作の「ふたり」です。

原作も大好きです。

何度かレンタルDVDで観ました。

約10年前に記事を書いています。

大林宣彦監督の映画~尾道三部作(特に「さびしんぼう」)と「ふたり」、「あした」(2010年4月28日)

 

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ふたり (新潮文庫)

2020年3月 7日 (土)

パトリシア・セントジョン(Patricia M. St John)(作)『雪のたから』~世界名作劇場「アルプス物語 わたしのアンネット」の原作

世界名作劇場「わたしのアンネット」(1983年放送)の原作である、

パトリシア・セントジョン(Patricia M. St John)の『雪のたから』。

以前から読んでみたいと思っていましたが、

ようやく最近、新訳が出たので、買って読んでみました。

 

雪のたから (CLASSICS FOR A NEW GENERATION)

 

 

Amazonでは高額取引なので、一般サイトとキリスト教書店のサイトで紹介します。

雪のたから (801763)中村和雄、発売:いのちのことば社 発売日:2019/12/15(いのちのことば社通信サイトWINGS)

雪のたから 著者パトリシア・セントジョン (著),中村 和雄 (訳),Fumiko Onslow (訳)(honto)

 

旧訳(現在絶版)

 

世界名作劇場・完結版 アルプス物語 わたしのアンネット [DVD]

 

アルプス物語 わたしのアンネット (絵本アニメ世界名作劇場)

 

仲良しだったアネット(アンネット)とルシエン。

ふとしたきっかけでケンカをしてしまい、

それが元でルシエンはアネットの弟ダニーにひどいケガを負わせてしまいます。

ダニーは一生歩けないと宣告されてしまいます。

アネットはルシエンを憎み、ルシエンは村の人々から疎まれます。

そんな中、ルシエンは森の中である孤独な老人と出会い、

木彫りを習い、上達していきます。

罪滅ぼしのために、ルシエンはダニーを喜ばせようと、

「ノアの箱舟」の木彫りを作りますが、

アネットに壊されてしまいます。

ここからのアネットの葛藤、ルシエンの苦悩、

そしてアネットの改心とルシエンとの和解、ルシエンの勇気・・・

原作前半は正直に言うと、それほど面白さを感じていませんでしたが、

後半になると、キリスト教色が強くなり、それ故苦手な人も出てくるでしょうが、

私にとっては静かな感動に満たされました。

 

特に心に残ったところを引用しましょう。ルシエンの作ったノアの箱舟を壊してから、クリスマスを祝った後のくだりです。

 

(クリスマスの後で)「おばあちゃん、イエスさまが、私たちの心のドアーをたたいているって(注:ヨハネ黙示録3:20参照)、どういう意味なの?」

「それはね、こういうことなのよ。」おばあさんは(中略)アネットに向かい合った。「お前の生き方には間違ったことと、悪い考えが一杯だって、救い主イエスさまには分かっているのよ。イエスさまは、この地上にやって来られて、十字架におかかりになった。間違った行いや悪い考えの罰を、お前に代わって受けるために。その後、救い主はもう一度、いのちを取り戻されたから、お前の心に入り、イエスさまの聖霊によってお前の中に住むことがおできになるのよ。イエスさまは、こういう悪い考えをみんな滅ぼして、代わりにお前がイエスさまの良い、愛に満ちた考えで、考えるようにさせることができるのよ。それはちょうど、イエスさまが汚れた、暗い、ほこりまみれの家のドアーをたたいて、言っておられるようね。『お前がわたしを入れてくれれば、ごみや暗やみを取り去って、きれいな、明るい家にしてあげる。』けれど、いいこと。イエスさまは自分から押し入ってくることはされないのよ。ただ、入ってもいいか、聞くだけなのね。これが、ドアーをたたくっていうことの意味よ。お前は、『はい、主イエスさま、わたしには、あなたが必要です。お入りくださり、私の中にお住まいください』って、言うことが必要よ。これが、ドアーを開けるっていうことね。」(中略)

「けど、おばあちゃん。」アネットは(中略)言った。「もしだれかを憎んでいるとしたら、イエスさまにお入りくださいって、お願いすること、できないでしょう?」

「もしお前がだれかを憎んでいるのなら、イエスさまに入ってきてもらうことが、絶対に必要なのよ。部屋が暗ければ暗いほど、光がそれだけ必要なんだから。」

「けど、わたし、ルシエンを憎むのを止めること、できないの。」アネットは(中略)そっと言った。

「そう、それは本当にそうね。だれでも自分では、悪い考えを止めることはできないのよ。自分で止めようとするのは、決していい考えじゃないわ。けど、アネット。朝になって下へ降りてきてみたら、窓に雨戸が閉まっていて部屋が暗かったら、お前はこう言うの?『暗闇と影を追い出さなければ。それがすんだら、雨戸を開けて、日の光を入れよう。』お前は、暗闇を追い払おうとして無駄な時間を使うのかい?」

「もちろん、そんなことはしないわ」とアネット。

「じゃあ、暗闇をどうやって追い払うのかい?」

「もちろん、雨戸を開けるのよ。そうしたら、光が入ってくる。」

「けど、暗闇はどうなったのかい?」

「知らないわ。光がやって来た時に、闇は行ってしまったのよ。」

「それこそ、お前がイエスさまにお入りくださいって頼んだ時に、起こることよ。イエスさまは愛なのよ。愛が入って来られたら、憎しみや、自分勝手や、不親切は、愛に居場所をゆずるのよ。ちょうど、お前が日の光を入れたら、闇が居場所をゆずるようにね。けど、憎しみだけを追い出そうとするのは、暗い部屋から闇を追い出そうとしているようなものね。それって、時間の無駄ってこと。」

(中略)

「それって、間違いなく本当だわ。」アネットは自分に言い聞かせた。「イエスさまに入ってきてくださいってお願いすれば、ルシエンと友達にならなきゃならないわ。そんなの、したくない。それに、わたしがルシエンの彫刻を壊したって言わなきゃならないんだわ。そんなの、決して、決してできないわ。ドアーをたたく音のことは、なんとかして忘れるようにしなければ。けど、このみじめさと言ったら・・・・・。」

 主イエスさまがドアーをたたく音を聞いて、締め出したままにしておく者は、幸せも締め出してしまうことを、アネットはまだ知らなかった。

(『雪のたから』P.201~204から引用)

 

ホルマン・ハント(William Holman Hunt)(1827-1910)作「世の光」

Hu021

 

この頑なな心を開いたのは、御言葉です。

その御言葉とは、

ヨハネの手紙Ⅰ4:18です。

全き愛は恐れを締め出します。」(新改訳2017)

※小説中は違う訳になっています。

 

それにしても、罪とゆるし、改心といった、典型的なキリスト教的文学を、

よくぞ世界名作劇場で取り上げてくれたなぁ~と改めて感心しました。

ちなみに、アニメ版の方は、完結版でしか見ていません。

(過去記事)→アルプス物語 わたしのアンネット(完結版)

(参考記事)世界名作劇場 アルプス物語 わたしのアンネット

(参考記事)『雪のたから』あらすじ

2020年3月 4日 (水)

#感染研には手を出すな!~最強の「検査」を求めて?

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NHK総合で、2020年1月から放映されている、

『映像研には手を出すな!』。

とても好きな作品です。

「最強の世界(映像)」を創り出そうとする若きクリエイターたちの物語です。

 

映像研には手を出すな! (1) (ビッグコミックス)

 

今回はアニメ話ではなく、同じ「〇〇研」でも、

今話題の「感染研」の方です。

(「映像研」ファンの皆様、ゴメンナサイ・・・)

 

かねてから、日本の新型コロナの検査数が、あまりにも少なく、

しかもあまりにもハードル高く、

(実質、武漢帰りか、重篤な状態にあるか、濃厚接触者認定か、そのぐらいでないと、

医師が依頼しても、検査できないという、「そんなバカな!?」状態なのは事実でした。)

それはどうしてなのか、と誰もが思っていました。

(お隣の韓国では、1日1万件以上、ドライブスルー検査まであると報道されていますから!)

そんな時に、国会での質問が日刊ゲンダイに取り上げられたり、

テレビで告発する教授まで現れたので、

慌てて感染研が声明発表しました。

 

元ネタ→厚労省が政権に忖度か 感染者急増の北海道で“検査妨害” 公開日: 更新日:

関連ネタ→少なすぎる新型コロナ検査数…安倍政権“陽性隠し”の言い訳 公開日: 更新日:

感染研による反論→「検査妨害」報道は誤認、感染研が声明…「発言趣旨誤解された」 2020/03/02 19:40(読売新聞)

感染研所長がキレた!PCR検査を巡る非難報道に猛反論(アゴラ)

 

とにかく、1日3800件検査できる、と厚労相答弁があったにも関わらず、

せいぜい500~1000件しか検査していない、という実態があるのです。

そこには、国民の命を犠牲にしてでも、五輪開催を成し遂げたい、という思惑があるはずです。

黒幕はどこかは、今は問わないとしても・・・

 

ここで、どうしてそんなに少ない検査数に制限するのだろう?

と考えていたところ、ついつい、「映像研」と「感染研」を重ねてしまいました・・・

 

(ここからはパロディです。もしかするとフィクションです?)

最強の「検査」(と利権)を守るため、

感染研は、「民間なんかに任せてられない(俺たちの研究費を奪うな!)」と、

下請けになりえる民間会社には任せず、自前の検査に日夜こだわります!

とことん「質」と「日本」にこだわります!

(そんなに検査能力はないけど・・・)

だから・・・

感染研には手を出すな!(記者クラブ出禁にするぞ!)

 

(ここから通常モードで)

感染症部会「感染研が検査会社に墜ちている」との指摘も 「肺炎なのにPCR検査ができなかった」など不満も多々 2020年2月19日 高橋直純(m3.com編集部)(医療維新)

→検査の実施状況 地域によって大きな開き 新型コロナウイルス 

新型コロナウイルスの検査を受けたくても受けられないといったケースが相次ぎ、国は検査体制の拡充を図っていますが、検査を担っている研究所からは、質を保つのが難しいため、簡単には検査数を増やせないという声が出ています。

全国に83か所ある地方衛生研究所の1つ、川崎市健康安全研究所には新型コロナウイルスの疑いがある検体が連日、およそ20件届けられ、5人の専門の職員が交代で週末も検査にあたっています。

研究所では、検体が届けられると、職員が2人1組で、検体の番号などを記録したあと、二重扉で隔離し、室内の気圧を低く保って、ウイルスが漏れ出さないようにした特別な検査室に持ち込みます。

検体に試薬を入れて、ウイルスを抽出する作業は、新型コロナウイルス専用にしている検査室1室だけでしかできません。続いて、遺伝子の断片を大量に増やして検出する「リアルタイムPCR」と呼ばれる装置に入れて分析しますが、全体の検査の過程でおよそ5時間かかるということです。

研究所では最大で1日40の検体を検査できますが、となりあった穴に少しでも液が混入すると結果を誤るおそれがあるため、穴を1つずつ空けて液を入れることにしていて、実際に検査できるのは半数の20件程度だということです。

川崎市健康安全研究所の岡部信彦所長は、「限られたスタッフで、休みなく検査をしている状況だ。検査の正確性や安全性が損なわれるリスクがあり、簡単に数を増やすことは難しい」と話しています。

 

このNHKのニュース記事、すっかりNHKも厚労省に忖度しちゃっています。

中国や韓国、イタリアなどのやり方よりも、やたら手間暇かけています、

という感じですが、それでも陰性・陽性の判断がつかないケースが、

ダイヤモンド・プリンセス号の件で既に明らかになっているのだから、

正確性という質の担保よりも、量で勝負の迅速性を求めるべきではないでしょうか。

新型コロナ感染、検査体制に懸念の声-能力不足で実態つかめず 黄恂恂、延広絵美、竹沢紫帆、Isabel Reynolds 

 

一応、こういう記事を見つけましたので、紹介しておきます。

[新型肺炎FactCheck] 「スイス製検査キットを日本政府は頑なに導入しない」は誤り

 

能力がないなら、能力があるところにさっさと任せる。

重篤になってからようやく検査、治療では遅すぎるのです!

サンデーモーニングで国立感染症研究所の闇を問題提起 2020年3月1日

国民を見捨てる政府、韓国よりも低いPCR検査、厚生労働省の利権。 2020年2月26日 

(いずれもBookservice.JP -Rinkaku-

2020年2月24日 (月)

英隆一朗(著)『黙示録から現代を読み解く』(女子パウロ会)

先日、札幌のキリスト教書店「オアシス札幌店」に行き、

新刊本をあれこれ見ているうちに、見つけた本です。

2020年2月20日初版発行の、

英隆一朗(著)『黙示録から現代を読み解く』(女子パウロ会)について書きます。

著者はイエズス会の司祭です。

 

黙示録から現代を読み解く (日本語) 単行本 – 2020/2/20

 

オアシス札幌店は、いのちのことば社系の書店で、

当然プロテスタント的立場の本がメインですが、

時折、こういうカトリック系の本も置いています。

 

英 隆一朗(はなふさ りゅういちろう)神父の名は、

以前お世話になったカトリックの方が信奉していたので、

聞いたことがありましたが、

(どちらかというとカトリックのカリスマ系?)

著作を読むのはたしか今回が初めてでした。

 

カトリックで、黙示録からのメッセージというと、

意外と珍しいのではないのでしょうか?

せいぜい、聖母被昇天(8月15日)の第1朗読として読まれる、

ヨハネの黙示録12章のところに出てくる「女」が聖母マリアを指すのでは?

程度でしょう。

一応、引用しておきましょう。

 

第1朗読 ヨハネの黙示録 11章19a、12章1~6、10ab節

天にある神の神殿が開かれて、
その神殿の中にある契約の箱が見え〔た〕。

また、天に大きなしるしが現れた。
一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、
頭には十二の星の冠をかぶっていた。

女は身ごもっていたが、
子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。

また、もう一つのしるしが天に現れた。
見よ、火のように赤い大きな竜である。
これには七つの頭と十本の角があって、
その頭に七つの冠をかぶっていた。
竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。
そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、
産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。

女は男の子を産んだ。
この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。
子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた。
女は荒れ野へ逃げ込んだ。
そこには、神の用意された場所があった。

わたしは、天で大きな声が次のように言うのを、聞いた。
「今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。
神のメシアの権威が現れた。」

引用元:女子パウロ会HPより(聖書本文は聖書新共同訳)

 

当該箇所への本文での言及がありますが(P.100~104)、

この「女」を直接、聖母マリアとしていないのは好感をもちました。

 

一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。(黙示12・1)

 カトリック教会では、この女を聖母マリアと解釈することが多い。もちろんそのような解釈も成り立つであろうが、第二バチカン公会議文書『教会憲章』第八章にあるとおり、聖母マリアは教会の模範であると宣言されている。つまり、この女は聖母マリアを模範にした理想的な教会の姿を表しているとも考えられており、その方が解釈の余地が広まるように思う。つまり女を集合人格として解釈するのである。

(同書P.100~101より引用。下線は筆者による。)

 

本書全体を通して、ヨハネ黙示録の世界を、今を読み解くカギとして、

いろいろあてはめて考えているのは一読に値します。

もしかすると、リベラルの牧師さんの政治的な説教みたいな印象を受けるかもしれません。

しかし、本全体から、決して揺るがない霊的な確信というものを、

強く感じました。

(どこがどうの・・・という感じではないのですが・・・)

こういうときだからこそ、福音の種を蒔こう、という揺るがぬ決意は、

本文のあちこちにみられます。

 

カトリック教会の現状を嘆きつつ、黙示録の状況にあてはめて読み込む、

というのは、聖書を生きたメッセージとして扱うのに好材料だったのでしょうね。

全体的に読みやすく、全135ページを30分もかからずに一気に読み終えてしまいました。

英 隆一朗神父の他の著作も機会があれば読んでみたいと思いました。

HPもありましたので、紹介しておきます。

(公式なものかどうかは不明ですが・・・)

キリスト教カトリック教会の聖書の話を聞いてみませんか?福音書朗読とイエズス会英隆一朗神父のお話です

 

本書そのものとは関係ありませんが、

英 隆一朗神父の著作をAmazon等で調べていたら、

ヴァスーラ・リデンの著作の監修もされているのですか・・・

この点は???かもしれません。

(私もかなり前に、ヴァスーラ・リデン(当時は「ライデン」)の本を読んだことがあります。)

(参考までに・・・正統キリスト教というよりは、スピリチュアル系の本に分類した方がいいと思います。)

 

一応、紹介しておきますが、私は支持していません。自己判断で・・・

(参考)

ヴァッスーラへの預言

 

(参考)
天国は現実、しかし地獄も現実 来たるべきことについての目撃者の証言

 

(参考)

私の天使ダニエル 『神のうちの真のいのち』の夜明け 

 

これらのことを聞き、また見た者は、私ヨハネである。聞き、また見終わったとき、私は、これらのことを示してくれた天使の足元にひれ伏して、拝もうとした。すると、天使は私に言った。「やめよ。私は、あなたや、あなたのきょうだいである預言者たちや、この書の言葉を守っている人たちと同じく、仕える者である。神を礼拝せよ。」

(新約聖書ヨハネの黙示録22:8~9聖書協会共同訳)

あなたがたは、自分を卑下したり、天使を礼拝したりする者から、不利な判断を下されてはなりません。彼らは、幻で見たことを頼りとし、肉の思いによっていたずらに誇っているだけで、頭であるキリストにしっかりと付くことをしません。この頭が基になり、体全体は節と節、筋と筋によって支えられ、結び合わされ、神に育てられて成長してゆくのです。

(新約聖書コロサイの信徒への手紙2:18~19聖書協会共同訳)

2020年2月23日 (日)

映画「リメンバー・ミー」(原題:Coco)の死後の世界

2020年2月21日に、日本テレビ系で、

ディズニー/ピクサーの映画「リメンバー・ミー」が放映されました。

原題は、調べてみてわかったのですが、”Coco”なのですね。

主人公の曾祖母の名前で、ラストに重要な役割を果たします。

 

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死者の日(カトリックの教会暦では、11月2日ですが、

本作品の舞台のメキシコでは、11月1日、2日に行われるそうです。)に、

先祖を迎える準備(日本のお盆に似ていますね)をしているうち、

死者の国に生きたまま迷いこんだ主人公が、

様々な冒険をしていく物語です。

 

物語の詳細はさておき、

興味深かったのが、作品の中で語られる、

死後の世界でした。

 

死者の世界の住人は、骨だけの存在ですが、

現世と同様、衣服を着ています。

年に1度、死者の日に、現世の家族の元へ帰ることができます。

死者の国を「出国」する(この世の空港の光景みたいな感じでした。)条件は、

家族が記念のために飾っているであろう「遺影」があることです。

 

本作品の準主人公というべき存在が、最初はうさんくさい存在に思えた、

ヘクターです。

ヘクターは、現世で家族が遺影を飾っていないので、出国できません。

そして、すべての人から忘れられてしまうという、「第二の死」が近づいています。

 

作品自体は感動的であり、最後の方で歌われる主題歌「リメンバー・ミー」のところでは、

思わず目がウルっときてしまいました。

それはともかく、中盤で、結構あっさり描かれる、

「第二の死」の描写が、とても心にひっかかりました。

 

ちょうどこの映画を観る数日前、

こんな文章を読みました。

 

 人間の死には二種類あるといいます。ひとつは肉体の死です。すべての人がこの肉体の死を迎えます。それは避けることができません。

 もうひとつは、存在の死です。その人が存在したことを地球上のすべての人が忘れてしまったとき、存在の死が訪れます。

 ということは、その人が存在していたことを誰かが覚えている間は、その人はまだ死んでいないと言えるのかもしれません。

 思想や哲学、生き方、考え方、芸術、法理・法則の発見、道具の創造など、さまざまな分野で「忘れられない」存在であれば、その人はいつまでも、死んではいないのです。

 なにも名を成したり有名にならなければいけない、ということではありません。「とても優しい人だった」「人のために労を惜しまない人だった」というようなことでも、その人を語り続ける人はたくさんいるのです。

    肉体の死は避けられませんが、存在の死は遅らせることはできるのです。

   (以下省略)

 

小林正観著『22世紀への伝言』(廣済堂出版)P.126より引用

 

22世紀への伝言

 

ここで、日本の代表的な死後の世界を考えてみましょう。

神道では、人は死ぬと「カミ」になると考えられています。

仏教では、宗派によっていろいろ考え方があるので、一概には言えない面がありますが、

死後、四十九日で次の世に行く、とされています。

(生前の行いによって行く場所が違う・・・)

キリスト教のカトリックでは、

たいていの人が煉獄(天国と地獄の中間)に行き、現世の罪を償ってから、

天国へ行く、ということになります。

(大罪のまま告解もせず痛悔もないままなら、地獄へ・・・)

プロテスタントでは、煉獄は否定されているので、

天国か地獄かの二択になりますが、聖書的にいえば、

最後の審判の時に死者は復活し、最終的な裁きを受けます。

ハリストス正教会でも、煉獄の存在は否定されますが、

死者を記念する「パニヒダ」で、死者が神の永遠の記憶に覚えられるよう、

「永遠の記憶」という聖歌を歌うそうです。

(ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の最後の方に、この光景が出てきます。)

 

新約聖書・ヨハネの黙示録には、「第二の死」という言葉が4回出てきます。

耳のある者は、霊が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者は、決して第二の死によって損なわれることはない。

(ヨハネの黙示録2:11聖書協会共同訳)

第一の復活にあずかる者は、幸いな者であり、聖なる者である。この人たちには、第二の死は無力である。彼らは神とキリストの祭司となって、キリストと共に千年の間支配する。

(ヨハネの黙示録20:6聖書協会共同訳)

死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。

(ヨハネの黙示録20:14聖書協会共同訳)

しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、淫らな行いをする者、魔術を行う者、偶像を拝む者、偽りを言うすべての者、このような者の受ける報いは、火と硫黄の燃える池であって、第二の死である。

(ヨハネの黙示録21:8聖書協会共同訳)

 

聖書で言う「第二の死」とは、最後の審判時にすべての人が復活し、

生前の行いに応じて裁かれ、

いのちの書に記されていない者」(黙20:15)が投げ込まれる「火の池」行を指します。

苛烈なイメージですね。

 

存在が、人々の記憶と共に静かに消えていく「第二の死」と、

裁きの末の永遠の炎・・・の「第二の死」。

まぁ、死後の世界は別にメキシコ限定ではないし、

家族が写真をもっていなかったらOUTだったら、写真がなかった時代は?とか、

現代日本に増えている「無縁社会」ではどうなるのか・・・

などといろいろツッコミどころ満載ですが、

エンターテイメントとしては面白かったです。

 

聖書 聖書協会共同訳 SI44 (日本語) 

 

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