クリスマス~主役のいない誕生日パーティー?
「アテネの皆さん、あなたがたがあらゆる点で信仰のあつい方であることを、私は認めます。道を歩きながら。あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえみつけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それを私はお知らせしましょう。」(新約聖書 使徒言行録17:22~23聖書協会共同訳)
今宵はクリスマス・イヴ。
クリスマスは、サンタさんがプレゼントを持ってくる日「だから」お祝いするのではありません。
救い主イエス・キリストがこの世に来られたことをお祝いする日ですよね。
しかし、世の中で祝われる「クリスマス」は、いったい何をお祝いしているのでしょう?
私どもは、「ドラえもん」が好きなので、毎週観ております。
先日(2019年12月21日)放映された回は、いわゆるクリスマス回でした。
お話の最後の方で、あるシーンがありました。
たぶん、視聴者の99%の方は、全然違和感など覚えなかったはずです。
どんなシーンかというと、確かスネ夫の家で、
みんなでクリスマスパーティーをしているところだったと思います。
見るからに楽しそうなシーンでした。
豪華な誕生日パーティーといったところでしょう。
しかし、私は、ふと違和感を覚えました。
「この子たち(のび太たち)は何をお祝いしているのだろうか?」
そう、主役がいないのに、あるいは誰の誕生日パーティーかわからないのに、
豪勢に誕生日のお祝いをしているわけです。
これはフィクションの「ドラえもん」だけの世界ではなく、
程度の差こそあれ、日本中で(もっと言えば、世界中の各地で)よく見られる光景です。
一般的な誕生日の例で考えてみましょう。
本来、誕生日を祝ってあげる子がいないのに、盛大に誕生日をお祝いするでしょうか?
あるいは、その子の誕生日であることそっちのけで、
飲み食いやナンパにいそしむパーティー・・・
(聖夜ならぬ「性夜」?)
考えただけでも、何かむなしいとは思いませんか?
そう、世の「クリスマス」とは、主役抜きで、主役そっちのけで、
勝手な誕生日パーティーを開いてるだけなのかもしれません。
しまいには、主役がいつの間にか代わっていて、
そもそも何の日なのかわからなくなっているのです。
クリスマスは、サンタさんの日で、ケンタッキーを食べる日?
(最も、当のサンタさん自体も、
本来のサンタクロース=聖ニコラウスから、世俗的に塗り替えられている訳です。
すっかりおもちゃを売る「カミサマ」扱いです。)
世の華やかさとは縁がないところ、人知れずひっそりと、
世の救い主はお生まれになりました。
「ところが、彼ら(ヨセフとマリア)がそこ(ユダヤのベツレヘム)にいるうちに、マリアは月が満ちて、初子の男子を産み、産着にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる所がなかったからである。」(新約聖書 ルカによる福音書2:6~7聖書協会共同訳)
「まことの光があった。その光は世に来て、すべての人を照らすのである。言(「ことば」=ロゴス→イエス・キリスト)は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名(=イエス・キリストの聖名)を信じる人々には、神の子となる権能を与えた。この人々は、血によらず、肉の欲によらず、人の欲にもよらず、神によって生まれたのである。言は肉となって(=人の姿をとって)、私たちの間に宿った。私たちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」(新約聖書 ヨハネによる福音書1:9~14聖書協会共同訳)
「キリストは 神の形でありながら 神と等しくあることに固執しようとは思わず かえって自分を無にして 僕(しもべ)の形をとり 人間と同じ者になられました。 人間の姿で現れ へりくだって、死に至るまで それも十字架の死に至るまで 従順でした。 このため、神はキリストを高く上げ あらゆる名にまさる名を お与えになりました。 それは、イエスの御名によって 天上のもの、地上のもの、地下のものすべてが 膝をかがめ すべての舌が 「イエス・キリストは主である」と告白して 父なる神が崇められるためです。」(新約聖書 フィリピの信徒への手紙2:6~11聖書協会共同訳)
クリスマスおめでとうございます!
主役がいないクリスマスではなく、本当の主役であるイエス様を心にお迎えして、
真のクリスマスをお祝いしたいものです。
冒頭に掲げた御言葉では、「アテネの皆さん」となっていますが、
「日本の皆さん」と言い換えてもいいでしょう。
「知らずに拝んでいるもの」ではなく、「知られざる神に」ではなく、
まことの救い主である、イエス・キリストのご降誕をお祝いしましょう。
「主イエスの恵みがあなたがたすべての者と共にありますように。」(新約聖書 ヨハネの黙示録22:21聖書協会共同訳※聖書最後の節)
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スケルツォ倶楽部”発起人 様、コメントありがとうございます。
貴ブログ記事幾つか拝読させていただきました。
夫婦仲睦まじく、クラシック音楽について語りあっている記事、とてもステキですね。
また、その他の記事も、魅力的なのが多いので、これから読ませていただきます。
バッハのクリスマス・オラトリオ、最近ようやく全曲通して聴くことができました。NHKBSプレミアムで、バッハゆかりのライプツィヒ・聖トーマス教会での演奏会を先日放送していたのを、録画で視聴しました。バッハはクリスマスを、嬉しい・楽しいで終わらせず、一番最後に十字架の受難を示唆させて終わらせていますね。流石だと改めて思いました。
投稿: てんしちゃん | 2019年12月30日 (月) 22時54分
初めてご挨拶させて頂きます、“スケルツォ倶楽部”発起人 と申します。少し前から時々おじゃまして ご意見を 読ませて頂いておりました。
2019.12.24.ご投稿の「クリスマス~主役のいない誕生日パーティー? 」に深く同意、とても感銘を受けました。
クリスマスの意味を知らずに 商売優先で空しく盛りあがる世の中と、どこからも疑問の声が聞こえてこない不自然さに、私も首をかしげています。
戦後アメリカから輸入された似非「クリスマス」が 今日これほどまで歪んだ形で普及してしまった世情に 敢えて異を唱えるのは、アテネを立ち去った使徒パウロ以上に勇気が要ることなのでしょう。
(^_^)v ありがとうございました、また伺います。
投稿: “スケルツォ倶楽部”発起人 | 2019年12月30日 (月) 06時50分