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2016年8月15日 (月)

NHK総合・NHKスペシャル「ふたりの贖罪 ~日本とアメリカ・憎しみを越えて~」(2016年8月15日放送)〜憎しみを断ち切った聖書の言葉

父よ、彼らを赦し給へ、その爲す所を知らざればなり
(新約聖書 ルカ傳福音書 23:34 文語訳)
父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。
(新約聖書 ルカによる福音書 新共同訳)

戦後71回目の終戦記念日にふさわしい内容でした。
2016年8月15日放送の、
NHKスペシャル「ふたりの贖罪 ~日本とアメリカ・憎しみを越えて~」を観ました。
真珠湾攻撃隊の総指揮官、淵田美津雄と、
元米陸軍の爆撃手(名古屋を空爆)、ジェイコブ・ディシェイザーの生き方を変え、
2人をキリスト教の伝道者とした聖書の言葉とは?
それが冒頭に掲げた、イエス・キリストの御言葉です。

番組内容を、番組HPから転載します。

(引用)
憎悪が、世界を覆い尽くしている。どうすれば、憎しみの連鎖を断ち切ることができるのか。その手がかりを与えてくれる2人の人物がいる。70年前、殺戮の最前線にいた日米2人の兵士である。
「トラトラトラ」を打電した真珠湾攻撃隊の総指揮官、淵田美津雄。その後もラバウル、ミッドウェーを戦い、戦場の修羅場をくぐってきた淵田だが、1951年、キリスト教の洗礼を受け、アメリカに渡り、伝道者となった。
淵田が回心したのは、ある人物との出会いがきっかけだった。元米陸軍の爆撃手、ジェイコブ・ディシェイザー、真珠湾への復讐心に燃え、日本本土への初空襲を志願、名古屋に300発近くの焼夷弾を投下した。そのディシェイザーもまた戦後キリスト教の宣教師となり、日本に戻り、自分が爆撃した名古屋を拠点に全国で伝道活動を行った。
戦争から4年後の冬、ふたりは運命の出会いを果たす。ディシェイザーの書いた布教活動の小冊子「私は日本の捕虜だった」を淵田が渋谷駅で偶然受け取ったのだ。以来ふたりは、人生をかけて贖罪と自省の旅を続ける。淵田はアメリカで、ディシェイザーは日本で。
ふたりの物語は、「憎しみと報復の連鎖」に覆われた今の世界に、確かなメッセージとなるはずである。

(引用終)

真珠湾攻撃から始まった大東亜戦争(太平洋戦争)。
そこから、日本人への憎しみに燃え、名古屋を爆撃した後、
中国で日本の捕虜となったディシェイザー。
獄中で、日本人看守から聖書の差し入れを受け、
回心に至ります。

憎しみから赦しへの転機となったのが、冒頭の御言葉でした。
戦後、宣教師として日本に来たディシェイザーが書いた、
「私は日本の捕虜だった」という小冊子を読み、
キリスト教に関心を持ち、回心に至った淵田美津雄。
やはり「父よ、彼らを赦し給へ、その爲す所を知らざればなり
という御言葉が大きく心を変えました。
その後の2人の米国、日本の伝道行脚は「よくここまで・・・・」
と思わざろうえませんでした。
平和への訴えの方がメインとなったため、
肝心のキリスト教信仰の方はあまり触れられることがなかったのは少し残念でしたが、
キリスト教関係者ではない一般的日本人からすれば、
戦争と平和を考える良い内容だったのでは、と思いました。

仏教でも、
この世の恨みは恨みによって止むことはない、ただ愛によって止む これは永遠の真理である
(→憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む
(ダンマパダ(法句経)5 →スリランカのジャヤワルダナ元大統領が引用し、
1951年のサンフランシスコ講和会議で日本が国際社会に復帰できる道筋になった。)
というすばらしい言葉がありますね。
復讐の連鎖をどこかで断ち切る・・・
これは、21世紀になっても真理ですね。

淵田美津雄の自叙伝が出ています。
機会があれば、読んでみようかな・・・


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