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2016年3月18日 (金)

書評:松谷信司著『キリスト教のリアル』(ポプラ新書)〜晴佐久神父は日本のキリスト教界のヨシュア?

書店で見かけて、すぐさま買った本です。
松谷信司著『キリスト教のリアル』(ポプラ新書)を紹介します。
著者の松谷信司氏は、キリスト新聞社の季刊『Ministry』編集長です。
本の4分の1、前半の第1部「日本におけるリアルなキリスト教」は、
(少なくとも既にキリスト教信徒の)私にとっては、あまり目新しいところがない、
用語解説みたいなところですが、
「キリスト教って、どんな宗教?」という一般の方からすると、
コンパクトにまとまっている記述だと思います。

一般の人にとっても、
既にキリスト教の教会に通っている人(信徒、未受洗者問わず)にとっても、
興味深いのは、第2部「牧師・神父から観た日本におけるリアルなキリスト教」でしょう。
正確に言うと、「・・・リアルなキリスト教」(教会・信徒)ではなく、
「・・・リアルな牧師・神父」が内容です。

カトリック多摩教会の晴佐久昌英神父、
日本基督教団原宿教会の川上咲野牧師、
日本福音ルーテル東京教会の関野和博牧師
単立ともにチャペルの森直樹牧師、
そして、著者の松谷信司氏による対談で、
「なぜ牧師・神父になったのか」、
休日や趣味、結婚、給料、定年など、
教会ごとの違いや、その牧師、神父の考え方の違いが明らかになり、
なかなか興味深かったです。

日本のキリスト教伝道がはかどらない理由として、
この本でも一般的な説がPP.17〜19でも述べられていますが、
4名(松谷氏は司会役なので除外)のうち、
意外にもカトリックの晴佐久神父のみが、
希望的な発言をしていますので引用します。
(引用)
晴佐久   (中略)日本の教会は死につつあるなんて声があるけど、とんでもない。実はまだ、始まってもいないんだと思う。生き生きした教会があって、それがだんだんしぼんでいったのなら「死につつある」と言えるけど、まだ始まってすらいない。モチベーションを持ったキリスト者がどんどん広まっていくという300年くらい先のイメージが私にはあります。(PP.158)
晴佐久   私はいつも言っているのですが、信者の数は福音を語った数に正比例します。これは自分の実感で、間違いなくそうです。福音というのは、「あなたは救われている」とか、「神様はあなたを本当に愛しているよ」とか、「大丈夫だよ」という、はっきりとした神様からのメッセージ。今、それを必要としている目の前の人にまごころから宣言すると、必ず救われます。だから私に言わせれば、信者が増えないのであれば、それは福音を語っていないから、あるいは福音ならざるものを必死に語っているからでしかない、ここだけは確信がありますね。これまで28年間の経験で、信者が減るという経験をしたことがありません。常に福音をもっと語る、もっと露出する、もっとわかりやすくいろんなかたちでみんなに伝えるという工夫をし続けていくと、もう次々と、それなら一緒にやっていきたいとか、そういう集まりに私も加わりたいという人が現れる。(以下省略)(PP.168〜169)
(引用終)

他の3人は「牧師だってフツーの人間だよ」という主張をするのが精一杯ですが
(別に、他の3人の牧師を批判しているわけではありません、悪しからず・・・)、
晴佐久神父だけどうしてこんなにキラキラ輝いているのか・・・
晴佐久神父は、日本のキリスト教界にとって、
まるで、旧約聖書民数記13、14章の、
ヨシュアとカレブのような存在だと思いました。
(エジプトを出たイスラエルの民が、約束の地であるカナンに入る前に、
12人の斥候を送ります。
12人のうち、10人は約束の地に攻め入ることについて否定的なコメントをします。
ヨシュアとカレブだけは主が共におられるなら大丈夫だ、と主張しますが、
民は否定的なコメントの方を信じ、主の力を信じなかったので、
結果として、イスラエルの民は40年の間荒野を放浪することになります。)
日本のキリスト教伝道の失敗をあれこれ分析するのが無駄だと言うつもりはありませんが、
できない理由をあげつらうより、できることを進める方がすばらしいですね。

ビジネス関係の本にこんな話がよく出てきます。
靴を履く習慣のない土地に行った二人の靴セールスマンの話です。
一人は、「あの土地には靴を履く習慣がないから、靴を売るのは無理です。諦めましょう。」
もう一人は、「あの土地には靴を履く習慣がないから、これから靴を売り込むチャンスです。」
靴を履く習慣がない、という分析はどちらも同じですが、
それをマイナスととるか、チャンスととるか・・・
日本のキリスト教伝道だって同じだと思います。

4人の対談の中で、もう1箇所、心に残ったのは、
「一度は見てほしい教会&聖地」という話題のところです。
他の3人は、フランスのルルドや南スイスのラサ、
テゼ共同体を挙げていますが、
晴佐久神父は、
(引用)
晴佐久    この教会がすごい」ということで言えば、うちの多摩教会。あまりよその教会の実態を知らないというのもありますが、ここは聖なる場所だと感じるのは、実際に人が救われているから。本当に苦しみにとらわれていた人が、目の前で解放されて喜びの涙を流す現場をこれほど日常的に見られる教会は、多摩教会においてほかはないと思っています。(PP.177)
(引用終)
どこか遠い聖地ではなく、自分の教会がまさに聖地になる!
こんなことを堂々と言えるのが凄い!

この本で「キリスト教」はぼんやりとしか見えないかもしれませんが、
牧師・神父の姿は身近に感じられるようになるはずです。
キリスト教関係の出版社ではなく、
一般の出版社から出されたことを歓迎します。

おまけとして・・・
第一部の中の「誤解されがちな教会用語」(PP.57〜65)の中の一節。
(引用)
・福音(エヴァンゲリオン)
  汎用人型決戦兵器ではありません。「良い知らせ」という意味のギリシャ語で、新約聖書ではイエス・キリストの宣教と生涯、宣教の内容を意味するようになりました。

(以下省略)(PP.63)
(引用終)※下線部は筆者による。
ちなみに、新約聖書の「使徒」は世界を破壊しませんよ(*^-^)

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