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2014年12月23日 (火)

NHKBSプレミアム・プレミアムドラマ「お母さま、しあわせ?」(2014年12月21日放送)

ダウン症の書家として有名な、金澤翔子さんと、
母親の泰子さんとの30年の歩みをドラマ化した作品です。
2014年12月21日放送のNHKBSプレミアム・プレミアムドラマ
お母さま、しあわせ?」を観ました。
現在、私はダウン症の子と関わる機会が多いので、
ぜひ観たいと思っていました。
ドラマでは、翔子さん役はすべて実際のダウン症のお子さんが演じたとのこと。

ダウン症の子と実際に関わった経験から言えば、
にこにこしている事が多く、明るく優しく、かわいらしい一方、
一旦思い通りにならないと頑固でテコでも動かないような面もあります。
(※私が知っている限りでは・・・もちろんそうでない子もいっぱいいるはずです。)

一口にダウン症といっても、
言葉を発するのが難しい人から健常者と同様に会話できる人、
あるいは番組の中で紹介されていた、
ダンスや音楽、書道など文化的活動を積極的に行っている人まで様々です。
だから、「ダウン症」というカテゴリーは医学的には有意味ですが、
結局は「その人、その子」として見るのが大事なのではないでしょうか?

ドラマでは、大塚寧々さんが母親の金澤泰子さんを演じていました。
翔子さんが生まれた当時の泰子さんのやつれた感じなどは熱演でした。

あまり批判したくはないのですが・・・
泰子さんが翔子さんを普通の小学校の普通学級に在籍させることにこだわるところは、
見る人によって評価が異なると思います。
インクルーシブ教育推進派の人や、
あまり深く考えないで、テレビの主人公に感情移入してしまう人たちにとっては、
小学校側が翔子さんに養護学校(特別支援学校)へ行くことを勧めるところは、
「なんてケシカラン!」と思うはずです。
しかし、その前段階で、
ドラマでも取り上げられていましたが、
翔子さんの学級担任が「翔子さんがいつでもビリだからこの学級は明るいのですよ」
というセリフにあるように(このセリフも受け取りようによっては違いますが)、
本来その子の能力を伸ばすために受ける教育が受けられず、
学級の「お荷物」的存在になっている、というのは、
なんとも悲しいことだと私は思いました。
言ってみれば、親の見栄とエゴでしかありません。
私としては、小学校側の言い分の方が正しいと思いました。
ただ、その体験が娘を書道の道へ本格的に邁進させるきっかけになったようですね。
「この子だってできるんだ!」と鬼の形相で書道に取り組ませたからこそ、
今日の翔子さんがあるわけです。

実際、本来特別支援学校・学級でそれなりの教育を受けた方がいい子が、
親の見栄とエゴで、無理やり通常学級に在籍し、
教室の「お荷物」「厄介者」状態になっているケースが多々あります。
◯◯ちゃんが廊下で「ガンコ」している(固まって動こうとしない)、
◯◯ちゃんが教室から脱走した・・・
その都度、担任は説得や捜索に追われ、通常の授業は停滞します。
授業なんてどうでもいい(勉強は塾でやるから?)というならともかく、
他の子たちの教育を受ける機会を減少させてしまうことについては、
いかがなものでしょうか?
理念としてのインクルーシブ教育を推進することは、
通常の子どもたちの学力を保障することと、
残念ながら両立できないのではないでしょうか?
(聖書的に言えば「一匹の羊」か「残された99匹の羊」
どちらをとるか、でしょうか・・・
もちろん、いなくなった一匹も大事ですが、99匹だって大事なのです。)
アヒルと白鳥を無理に一緒に育てる必要があるか、とも言えます。
それにしても、特別支援教育への無理解と偏見は、悲しくなります・・・

健常者の子どもの中に、障がいがある子を入れて、一緒に教育すれば、
やさしさや思いやりが育つ、と頭がお花畑の教育者は思いがちです。
しかし、子どもは意外と残酷なものです。
かえって偏見と嫌悪感が育てられてしまう場合だってあるのです。
真の思いやりというのは、ある程度心が育ってから本物になると思います。
ダウン症の人が皆翔子さんのような存在になれるとは限りませんよね。
その子にあった能力に応じた、良さを伸ばす働きかけが大事だと思います。
私としては、その子の能力をどう伸ばすか、という観点こそ、
障がいを持つ子の教育にとって最も大事なことだと考えます。

番組では、最近技術的に確立した、出生前診断のことについても触れていました。
出産前に、ダウン症児かどうかがかなりの確立でわかってしまうものです。
ダウン症児に生まれる権利、生きる権利はないのか・・・
確かに、障がいを持つ子を育てるのは、ものすごく困難なことです。
しかし、親の都合で「処分」していいものなのでしょうか?
私は命は「授かりもの」と考えます。
障がいのある子を排除する考え方は、
結局は遺伝的に優秀な人間しか生きてはならない、という優生思想につながります。
最終的に、「ふつうの人」すら生きてはいけないことになります。
出生前診断の拡大適用には私は反対します。
障がいがある人は、社会の宝だと私は思っています。

金澤さんは仏教にすがりましたが(その他の加持祈祷をする怪しげなものにさえ・・・)、
「子どもは親を選んで生まれてくる」という一種の「神話」が、
NHKの「慰め」なのでしょうか?
何度もそういう言葉が出てきていました。
これも立場が違うと違和感があるかもしれません。

最後のシーン、実際の金澤泰子さんが出てきて、
ダウン症の原因である、21番目の染色体が2本ではなく3本あること(トリソミー)
について、
「人より染色体が1本多い事も、「愛」なんだ」
(正確な引用でなくゴメンナサイ・・・)と言っていたのは印象に残りました。
ともあれ、ダウン症についての理解と共感を求めるドラマとしては、
画期的な内容だったと思います。

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