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2014年2月の19件の記事

2014年2月26日 (水)

書評:瀬尾大著『不登校、その知られざる現実と正体』(扶桑社)〜不登校問題は、親子関係の問題!

平成24年度の小・中学校における、不登校児童生徒数は約11万3千人です。
(文部科学省:
平成 24 年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」について
実際には、この数字はカラクリがあり、
定義上では「1年間でトータル30日以上の欠席(病気や経済的理由を除く)」
とあるだけで、
学校に来てすぐ帰る、保健室登校しかできないといった、
本来上の「登校」=学校できちんと勉強する、に該当しない場合を入れたら、
実数はこの1.5倍〜3倍ぐらいになるかもしれません。

不登校の原因は多々ありますが、
よく言われるのは「学校が悪い」、「社会が悪い」、
「子どもが傷ついているから」、「受験競争で疲れた」等々・・・
確かに、学校側がいじめを放置している場合もあります。
かといって、不登校がすべて、いじめが原因ということはありませんね。
実際、上記統計によると、「いじめ」が直接原因による不登校は、
小学校では全体の1.9%しかありません。
中学校でも2.1%です。
多くは、「不安など情緒的混乱」、「親子関係をめぐる問題」で、
小学校に限って言えば、この2つだけで不登校理由の50%以上を占めます。
→平成24年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」結果について
PDF2の方に載っています。)

今回紹介します、
不登校、その知られざる現実と正体』(扶桑社)は、
私自身、必要性に迫られて(理論武装するために)読んだ本です。
著者は、一般社団法人不登校支援センター理事長の瀬尾大氏です。


不登校、その知られざる現実と正体


本書が不登校に関する他の本と決定的に違うのは、
「不登校問題は、親子関係の問題」という単純な事実を看破したことだと、
私は思いました。
不登校児童生徒を抱える親は、ともすると学校が悪い、
クラスメイトが悪い、教師がヒドイなどと、原因を他に求めがちです。
あるいは、「発達障害だから」
「うつ病だから」などというのを理由づける場合もあります。
しかしそもそも、家ではテレビゲームやり放題、
冷凍庫にはおいしいアイスがたくさん、
朝何時に起きてもOK、昼間からデパートやスーパーに行ける等々、
家にいる=学校に行かない→メリットになっている場合が多いはずです。
(反対に、ネグレクトで、という場合もありますが・・・)

本書第2章「子供はなぜ不登校になるか」では、
不登校児童を抱える家庭の共通点として、
以下の6つを挙げています。
①過干渉
(「親の一方的な甘やかしによって子供の自立を妨げ、成長や発達を親の思いのままに操ろうとすること」同書PP.88)
②過保護
(「基本的に”子供の要求に何でも応えてあげる”行為のこと」同書PP.88)
③共依存(親離れ・子離れが共に出来ない状態)
④ネグレクト
⑤両親間の不一致
⑥両親間の不仲
そして、不登校は「子供の社会不適応」である、と論じています。
不登校の原因として取り沙汰される、
発達障害そのものが不登校の直接的な原因ではなく、
そこから生じるパーソナリティ障害が問題だ、とも説いています。
(PP.119〜127)

豊富な相談事例と改善例も具体的です。
不登校の子供との信頼関係(ラポール)を築くのに、
その子が好きなマンガを、カウンセラー(著者)が実際に読んでみて、
話をしてみる、というのも実例に出ていました。
相手がBLマンガが好き(=腐女子)なら、
自分もその分野のマンガをあれこれ読んでみる(PP.195〜199)、というところは、
新約聖書の使徒パウロの言葉、
弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。
(新約聖書コリントの信徒への手紙一9:22新共同訳)
というのを連想しました。

不登校対策として下手なフリースクールや、
「不登校でいいんだよ」と開き直らせるNPO法人、
安易な医療機関受診よりも、
もっとやるべきことがあるはずです。
本書を有効な解決手段の糸口を見い出せるものとして推薦しますが、
家庭ですぐにでもできそうな不登校解決方法を提示している本として、
以前紹介したことのある、
奥田健次著『メリットの法則〜行動分析学・実践編』(集英社新書)もオススメします。
過去記事→書評:奥田健次著『メリットの法則』(集英社新書)&『子育てプリンシプル』(一ツ橋書店)〜不登校問題等への有効なアプローチとなるか?

不登校児童生徒を抱える家庭はもちろんのこと、
不登校児童生徒の担任の教師の方々もぜひご一読を!
よくある「本人が行く気になるまで待ちましょう!」では、
改善は見込めないのです・・・

メリットの法則〜行動分析学・実践編

著者が「財界さっぽろ」(北海道のローカル月刊誌)のインタビューに答えた記事が、
「不登校支援センター」のHPに載っていましたので、
紹介します。
雑誌記事

2014年2月25日 (火)

書評:『偉人たちの意外な泣き言』【造事務所編著】(PHP文庫)〜偉人も悩んで愚痴を言う・・・

書店の文庫新刊コーナーをぶらぶら歩いていたら、見つけた1冊です。
手にとってパラパラめくっただけで、その面白さに惹かれ、
即購入となりました。
『偉人たちの意外な泣き言』【造事務所編著】(PHP文庫)という本です。
表紙はミケランジェロ作の「ダヴィデ像」から、大粒の涙が流れています。

偉人たちの意外な泣き言

〈はじめに〉というところから引用します。
(引用)
〈はじめに〉「カンペキな人間」を目指すアナタへ
 グチや不満ばかり口にしていると、いつまでも成長しないーーーイマドキの自己啓発本には、こんな言い回しが頻出する。でも、失敗したり追いつめられたりすれば、誰だって心の叫びがポロッと出てしまうだろう。
(中略)
 本書には、古今東西の偉人たちが、窮地に立たされたときにこぼした「泣き言」がつまっている。エジソンやマザー・テレサ、織田信長といえども、弱音を吐く。偉大な業績を残した彼らの苦悩や心の闇を知れば、アナタも安心できるだろう。だって、それが人間だもの(笑)。そう、歴史上カンペキな人間など、存在しないのだ!
(同書PP.3から引用終)

本書は、5つのパート、
計101人の偉人の「泣き言」(迷言?)で構成されています。
パート1は、「仕事でのぼやき」。
ケネディ元米大統領、野口英世などの言葉。
パート2は、「不遇な人生のなげき」。
ナポレオン、孔子、ドストエフスキー、スティーブ・ジョブズなどの言葉。
パート3は、「対人関係の不満」。
ベートーヴェン、織田信長、勝海舟などの言葉。
パート4は、体調不良による弱音。
大岡忠相(大岡越前のモデル)、一休、ザビエルなどの言葉。
パート5は、「恋愛・結婚の悩みの告白」。
アインシュタイン、三島由紀夫、リンカーンなどの言葉。

この本は別に最初のページから読む必要はなく、
テキトーに、パッと開けたところから読むのでも可だと思います。
あの偉人、この偉人もみ〜んな悩んでいたんだ・・・
読んで肩の荷が降りるかも・・・

なんと、我らがイエス様の十字架上の叫びさえ、
「泣き言」と紹介されてしまっていました・・・
本ではイエス・キリスト「神よ、なぜわたしをお見捨てになったのですか
(エリ・エリ・レマ・サバクタニ)」という見出しが・・・
副題では「神の子が神を疑って弱音を吐く」と・・・
新共同訳では、
三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
(新約聖書マタイによる福音書27:46新共同訳)
となっています。

「イエス・キリスト」の項では、多少用語の誤用や誤認が見られるものの
(例:本文では「精霊」(PP.132)→正しくは聖霊)、
一応はイエス様の復活と、
「神はイエスを見捨てていなかったのだ。」(PP.133から引用)という記述が。

神にさえ見捨てられ、絶望のどん底を超えて、
死者の世界(よみ)にまで下った方だからこそ、
すべての人をお救いになることができるのです!

さて、わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。 この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。 だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。
(新約聖書ヘブライ人への手紙4:14〜16新共同訳)

2014年2月24日 (月)

書評:『リーダーシップのダークサイド―ーー心の闇をどう克服するか』(いのちのことば社)

わたしは言う。
「闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す。」

(旧約聖書詩編139:11新共同訳)
人間誰しも、心の中に「闇」(人に見せたくない・見せられない面)があります。
ほかならぬこの私もそうです。
では、教会のリーダー(指導者)ならどうでしょうか?
牧師先生や神父様は違うよ・・・そんなことはアリエマセン!
今回紹介する、
リーダーシップのダークサイド―ーー心の闇をどう克服するか』(いのちのことば社)
では、アメリカの教会指導者(や政治指導者等)の豊富な事例から、
リーダーの心に潜む「闇の部分(ダークサイド)」を探り、
読者に自己検証テストでどの分野に闇があるかを明確にさせる、
教会のリーダー的役割を果たす人には必読の本です。
著者はゲーリー・L・マッキントッシュ&サミュエル・D・ライマです。

リーダーシップのダークサイド―ーー心の闇をどう克服するか

アメリカでは、80年代にテレビ伝道者の相次ぐ不祥事が起きてしまいました。
本書では触れられていませんが、ヨーロッパやアメリカのカトリックでは、
聖職者による少年少女への性的虐待がようやく告発されてきています。
(前教皇が任期中に退任したのは、健康問題もさることながら、
この問題を抱えきれなかったからだ、とも言われています。)
日本でも、いくつかの教会で、性的不祥事などが明らかにされました。
非常に残念なことです。
一般の信徒が堕落するよりも、聖職者が堕落するほうが、
はるかに深刻な影響を、キリストのからだである教会に与えることができるという、
サタンの策略にのってしまった結果なのでしょうね。

本書では、ダークサイドに見事にハマってしまった聖職者を何人も例に挙げつつ、
リーダーの闇の部分を5つに分けて提示しています。
また、その5つのリーダーにあてはまる聖書の人物も挙げています。
・支配的リーダー(モーセ)
・自己陶酔的リーダー(ソロモン)
・被害妄想的リーダー(サウル)
・共依存症的リーダー(サムソン)
・受動攻撃的リーダー(ヨナ)
それぞれ1章ずつで説明があり、章の終わりに、自己検証テストがあります。
私は教会のリーダーといえるほどではありませんが、
一応、それぞれ自己検証テストをしてみました。
すると・・・
私の場合は、
「共依存症的リーダー」と、「受動攻撃的リーダー」があてはまるようです・・・
ぜひ、教会の聖職者はもちろんのこと、役員や教会学校指導者も、
これらの自己検証テストで自分のウィークポイントを確かめてみては?

本書には、安易な「救い・解放」は書かれていません。
(カリスマ系の本なら、
「高慢の霊よ、イエスの御名によって去れ!」とか言いそうですが・・・)
第3部「闇の部分を贖う」で、4つのステップを提示していますが、
かなり時間がかかりそう・・・

印象的なところは、第14章「霊的な堆肥作り」という所でした。
「堆肥」といえば、ごみとか使い物にならない有機物からなりますね。
(引用)
 闇の部分を克服するとは、私たちの個性の中で、あまり魅力的ではない部分から逃げるということではない。また、闇の部分をを克服するとは、私たちの人生からその部分を切除していくプロセスではなく、むしろ私たちの人生の中に統合していくプロセスである。(中略)こうした部分も私たちの個性の一部ではあるが、それは現在の形そのままでは用いられないのである。しかし、それは決して役に立たないわけではない。その部分はまず取り分けられて、変えられる必要があるのだ。実際、その部分には私たちの最も効果的な働きとリーダーシップの鍵を握っていると、私は確信している。この部分が私たちの人生に統合されなければ、私たちのリーダーシップは何となく表面的で、形式的にとどまるだろう。自分自身で作り出し、築き上げたリーダーシップこそが、最高で、最大の賜物である。(中略→Ⅱコリント12章の使徒パウロの例を挙げて)
 同じように、私たちは自分の弱さーーーすなわち、私たちの個性のうち、今のところ使えない側面ーーーを進んで受け入れるリーダーである必要がある。そして私たちの内で働き、また私たちとともに働く聖霊を触媒として、神がそのような側面を堆肥とし、霊的な腐葉土を作りはじめるのを見守る必要がある。やがて、この腐葉土の中から、最も力強く実り豊かな働きが生まれてくるであろう。そして、キリストの力は本当に、弱さの中に完全に現れる、とパウロとともに、証しをする時が来るのである。
(同書PP.140〜141から引用終)

要約して言えば、私たちの中の闇の部分さえも、
神様は用いてくださる、ということではないでしょうか?
でもそれは直接的に用いられないのかもしれないし、
支配欲のように直接用いてはいけないものもあります。
弱さを抱えているからこそ、神様の恵みと助けを切に求める必要があるのです。
そう思えば、弱さや闇にさえ、感謝なことです!

すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。 それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
(新約聖書コリントの信徒への手紙Ⅱ12:9〜10新共同訳)

参考→『リーダーシップのダークサイド』著者インタビュー

2014年2月23日 (日)

私立中学校受験では、『心身ともに健全』でないと門前払い?〜タレント・菊池桃子さんの娘の受験奮闘記記事を読んで

80年代アイドルの一人、
タレントの菊池桃子さんの娘さんの中学受験の記事を読みました。
菊池桃子 障がいの後遺症持つ長女の受験奮闘記を報告する
2014年2月23日(日)7時0分配信 NEWSポストセブン

(菊池桃子さんといえば、「雪にかいたLOVE LETTER」という歌、
結構好きでした。)

菊池さんの長女は、赤ちゃんの頃に発症した脳梗塞の後遺症で、
独歩は可能なものの、左手足に麻痺が残る状態だそうです。
お受験を突破して有名私立小学校に通ってはみたものの、
学校生活に支障をきたし、途中で肢体不自由の特別支援学校に転入したそうです。
そして中学進学にあたり、私立中学校を受験しようとすると・・・
記事から引用します。
(引用)
<娘が…中学は女子校に通ってみたいなと、言うので、女子校の見学会に出かけました。あらゆる希望と可能性は、伸ばしてあげたいと思うので、大人の目でリサーチです>(2012年11月18日のブログ)

 きっと障がいにも負けず、勇気を持って歩み出した娘の姿に目頭を熱くしたことだろう。

 だが、この母娘には新たな困難が待ち受けていた。菊池は自らのブログで、私立中学校の受験資格には「心身ともに健全な者」と記載されていることが多く、障がいを持つ長女は受験資格すら与えられない学校もある、と綴っている。

<今日も2つの女子中学校で受験を断られてしまいました。試験の点数で不合格になるなら「もっと努力した人がいたんだよ」と、フェアな感じがするのですが。受験会場に行く機会まで断られるのは違う気がするのです(中略)娘は、自分の身体のことが、嫌いになったり、諦めることばかり覚えたり。自己肯定ができなくて…辛そうなんだもの>(2013年7月8日のブログ)
(引用終)※下線は筆者による。

障がいが理由で、受験を断られてしまうとは・・・
読んでいて、「さぞ悔しかっただろうな・・・」と少し涙目になりました。
菊池さん本人のブログ記事(2013年7月8日)から引用します。
(引用)
そんなわけで、昨年から都内の私立中学校を
受験を視野に、訪ねて歩いています。

多くの私立中学校の、受験資格のなかに
『心身ともに健全な者』という記載が
あります。

娘は軽度ではありますが左手足に麻痺
が残っていますから、

『心身ともに健全』ではありません。

「健全」という言葉を辞書で引くと
その意味は・・・

「正常に働き、健康であること。完全なこと」

となっているのです。

勉強や行事活動に支障の無い者。
とも書かれています。

ですから、今日も2つの女子中学校で
受験を断わられてしまいました。


試験の点数で不合格になるなら

「もっと努力した人が居たんだよ」
と、フェアな感じがするのですが。

受験会場に行く 機会まで断られるのは

違う気がするのです。

娘のように後遺症などがあると
福祉的な「権利」に守られ、助けられる
ことも多いのですが、

「権利」だけを欲しがるのではなく
「義務」も果たせる人になりたい!
(社会を支える一員として)

と、願って勉学で人として育とうと、
希望を抱きますが…

実際は甘くない。
受験資格さえ、なかなか貰えない。

(引用終)

私立中学校で学ぶことは、任意のものだし、
学校側としても、選ぶ権利は当然あります。
常時介助者が必要だとか、
そもそも知的能力が高くないとかなら別ですが、
私立中学校受験ができるレベルであれば、
それなりの知的水準があるわけですよね。
「心身共に健全である」で、
多少の障がいがあるけど前途有望な子を門前払いするのは、
トンデモナイ差別ではないかと思った次第です。

愛しているからアタリマエ、でいいのか?〜NHKEテレ・エデュカチオ!「子どもと話せてますか?レンアイと性のこと」(2014年2月22日放送)

NHKEテレで月に1回放送されている、
エデュカチオ!」という番組をたまに観ています。
(自分が興味ある回だけですね。)
2014年2月22日放送では、
「子どもと話せてますか?レンアイと性のこと」と題して、
現代の中高生の性事情や、学校での性教育について特集していました。

私は番組の最初の方で、
俳優の東山紀之さんが、
「性について自分の子に教えるとしたら」を語っていたのが、
すごく妥当な意見だと思いました。
本来、「性」は「心」を「生」かすと書いて「性」なのですね。
良く用いれば、とてもすばらしい、神様からの贈り物なのです。
(あっ、とりあえずは、一旦キリスト教的見解はおいておきます。
後で述べます。)

番組では、
「我が子に何歳ぐらいで性体験をしてほしいか?」(だったかな?)
という独自アンケートを子を持つ親たちに実施していました。
それによると、10代後半ぐらいというのが圧倒的な意見でした。
親もトンデモナイのかな・・・
ついでに、「誰が性教育をすべきか?」というアンケートも。
「学校」という回答が一番多かったです。
親の責任放棄?

あと、10代の娘の妊娠に気づかない親の事も取り上げていました。
親子関係の希薄化ですね・・・
性感染症やデートDV、番組終盤ではおじからの性的いたずら、
性同一性障害の事も少しだけ触れられていました。
早すぎる性体験については、「自己肯定感の欠如」が原因、
という指摘はもっともだと思いました。

学校での性教育については、戦前からの純潔教育を批判的に取り上げ、
「性の自己決定権」と「正しい科学的知識」が大切、とまとめていました。
避妊具の使い方を教え、正しい避妊ができれば、
誰とセックスしてもOK、愛していればアタリマエ・・・
NHKさん、今回の放送を裏読みすれば、
「正しい避妊の知識を得て、安全なセックスを10代から楽しみましょう!
愛していればセックスなんてアタリマエじゃないですか」
ということを言いたいのでしょうか・・・

学校での性教育は、現在では「性の自己決定権」にもとづき、
男性器・女性器の仕組みと、避妊・中絶の仕方を教えるのが多いようです。
私自身は、性器の概略及び体の変化と、
あってはならないけど、
避妊の仕方は必要悪として一応教えておいた方がいいかと思います。
(学校で教えられているにも関わらず、
10代の妊娠・中絶が多いのは残念です。効果に乏しい、という証明ですね。)
しかしそれ以上に、本当の意味で、
自分を大事にする、相手を大事にするとはどういうことかを、
きちんとおしえなければいけないと思います。
本来、未成年者のセックスは飲酒・喫煙並に有害である、ということです。
性行為をする→子どもが生まれるかもしれない→
経済的基盤・本当の意味で自己責任をとれるか?
当たり前のことですが、キレイ事の「愛」だけでは、
子どもは育てられないわけです。

カレを引き止めたいから、望まないけど、仕方なくセックスする、
というのが、本当に幸福なことなのでしょうか?
それはカレの性欲処理のはけ口に自分を貶めていることになります。
セックスの切れ目が縁の切れ目になりかねません。
本当にそれが、相手が自分を大切にしてくれている、ということでしょうか?

親の役割としては、男女の付き合い方とか、
家庭を持つことの責任と幸福、そういった、学校では教えられないことを、
(学校では、一般的な知識は教えられても、
「何が幸福な生き方か」までは、教えられないわけです。)
しっかりと伝える必要があります。


番組の話から離れます。
キリスト教的視点から観た、性教育について少し触れておきましょう。
今回の記事を書く前に、
国際基督教大学の町田 健一氏の研究論文
危機に立つキリスト教主義学校の性教育 ~キリスト教
学校・カトリック学校調査から可能性と課題を考える
」を読みました。
キリスト教主義の学校でさえ、性教育は形骸化している実態を暴いたものです。
著者の以下の主張はもっともだと思いました。
論文から引用します。
(引用)
第三に,キリスト教教育としての性教育の重要な使命,伝えねばならないメッセージをどう捉えているかである.自信を持って「ABSTINENCE」,結婚まで待ちなさいと言い切る指導をしているキリスト教学校が少ないことが気になる.キリスト教学校が最も大事にすべき教育課題,それゆえ,聖書科教師に負う所が大きいのであるが,「避妊教育」でもなく,「性感染症・エイズ脅し教育」でもなく,「人を愛する」とはどういうことなのか,キリスト教の倫理観・価値観に根ざした,“相手に最も誠実になるべき”「性」について語って欲しい.それらは,繰り返すがキリスト教教育の重要な教育課題である
(引用終)

論文の註で出ているところも気になりました。
(引用)
事例として,キリスト教学校の現高校3年生からの手紙の抜粋を記す.「付き合っている2人でいたらすることってセックスくらいしかない,と友人が言っていて,・・・大人が知っているよりはるかに現実男女交際は乱れています.保健の授業でもコンドームの用い方は念入りにするのに,人格的な性の交わりや愛の話しはこれっぽっちもなく,授業後先生に話しにいったら,それはちょっと堅すぎるんじゃない?と軽く流されました.キリスト教主義の学校でさえ,表では異性と外泊したものは退学と言いながら,授業では責任を持ってしっかり避妊をして,などと教えているのです.現代の若者(大人たちも?)の性の乱れは,正しい性教育(価値観や倫理観の部分を含め))がされていないことが大きいなと思ったのです」また,ICUには多くのキリスト教主義学校出身者が在席しているが,それぞれの学校における同様の問題を指摘する学生が多い
(引用終)

聖書的な家族観をとる「ファミリー・フォーラム・ジャパン」では、
「アブステナンス教育」(結婚するまで性交渉を待つ)を主張しています。
「今こそ必要とされる「アブステナンス教育」 椙井小百合 & 編集部」
という記事から引用します。

(引用)
 「若者の性行動の活発化が目だってきた」と言われて久しくなります。文部科学省、厚生労働省では、それぞれの立場に立った若者の性教育を行なっていますが、その効果の程は…?と言われると、さしたる成果は上がっていないように思えます。
実際、10代の性感染症、望まない妊娠、中絶など統計上の数字も上がっています。(近年、10代の中絶数は若干下がりましたが、それでも、先進国の中では高い数値です。)当然、子どもの教育に直接たずさわっている教師の中にも、この事態を何とかしたいという思いが起こっています。
それなのに、学校での性教育は、「性の自己決定力をつける教育」つまり、性感染症、望まない妊娠を避けるために「いつ、誰と、セックスをするのか、しないのか、その力をつける教育をするべきだ」という考え方がいまだに一般的です。この「自己決定力」を与える教育は、1960~70年代にアメリカで行われていた道徳教育で、今日のアメリカでは「失敗」とされている教育方法です。
「教師(大人)には、何が正しくて何が悪いのか教える権利は無い。」
この考え方が性教育にも取り入れられているのです。生徒たちは、中学生、高校生の性行為はいけないとは教えられません。その代わりに、「知識として科学的に『性』を教え、権利としての『性の健康』を保障すれば、子ども達は自分で価値観を身につけ、自分で責任をもって性行動をとっていく。だから性交に関しても避妊に関しても、包み隠さず、科学的に教育していくことが大切だ。それも早い時期から始めれば、子ども達は『自己決定』して行動できるようになる」というのです。
一般的には「包括的性教育」と呼ばれているものですが、これは善悪の基準も、異性との付き合い方も「自分」で決めるわけですから、望まない妊娠、性感染症を避けるためにはコンドームを使うこと、ピルの服用を勧めるこが欠かせないものになってきます。そして、この中に結婚についての学びはありません。
むしろ、従来の「結婚観」に縛られた考え方をしないように教育します。避妊と人工妊娠中絶も個人の権利だ、という考え方が一般化してきた現代、性行為が結婚や出産とは切り離されているのです。そして、ただ、「権利」として性の快楽を求める性行為が、当たり前のように浸透しています。

(中略)
 性教育の講演会が子ども対象にあったら、たとえ父兄の参観を呼びかけていなくても、子どもと一緒にその話を聞けるよう、学校にお願いしてみましょう。
ただ頭ごなしに、学校の性教育を批判するのではなく、親も一緒に話を聴き、学校から帰ってきた子と「今日の話、どう思った?」などと会話をすることです。その中で、親から子へ聖書に基づいた価値観、道徳観を伝え、世の中の問題にどう対処していったらいいのか、子どもと一緒に話し合う機会を多く持つのです。そうすると、子どもの中に親に対する信頼感と安心感が生まれます。性の話題に限らず、「親との会話の多い子には、性行動が少ない」という統計があります。

 「自分は失敗したから、子どもにえらそうなことは言えない」と感じる人もいます。しかし、失敗から学ぶことが出来るのも、人間の素晴らしい所です。親のすべての過去を子どもに言う必要はありませんが、正直な告白ができたなら、子どもの魂に必ずや残ることでしょう。親の訓練によって、子どもの中に、神に従い善悪を判断し、行動する人格が育ちます。そして、成長していく我が子から親も教えられます。神さまを土台とした、人格のふれあいの中で、神のみこころにかなった人間性が育ちます。

思春期、青年期に一番誘惑の多い「性」に対する教育で、親としてはっきりとしたいのは、「アブステナンス」の立場、「結婚するまで性交渉を持たないこと」です。
(引用終)

性感染症を避ける一番いい方法は、避妊よりも、「しない」ことです。
最近、子宮頸がんワクチンの副作用が問題になっています。
子宮頸がんワクチン「サーバリックス」副作用の真実
HPVワクチンとアブステナンス教育
10代での性体験を前提としたワクチン接種で、下手すると一生を棒に振るよりも、
結婚するまで待つ(最低でも「オトナ」になるまで待つ)方が、
よほど確実ですばらしいことだと思いますが、いかがでしょうか?

参考までに・・・ティーン向けの性についての本を一冊紹介します。
クリスチャンの助産院院長の方が書いた本で、私も感銘を受けました。
『ティーンズのための命のことが分かる本 ~生と性のはなし~』
(いのちのことば社)です。

ティーンズのための命のことが分かる本 ~生と性のはなし~

2014年2月22日 (土)

書評:池上彰著『世界を変えた10冊の本』(文春文庫)

書店で、池上彰氏の『世界を変えた10冊の本』(文春文庫)を見つけ、
少し立ち読みした後、面白そうだったのですぐ購入しました。

世界を変えた10冊の本 (文春文庫)

この中で取り上げられている、「世界を変えた10冊の本」とは・・・
●アンネ・フランク『アンネの日記』
●『聖書』
●『コーラン』
●M・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
●マルクス『資本論』
●サイイド・クトゥブ『イスラーム原理主義の「道しるべ」』
●R・カーソン『沈黙の春』
●ダーウィン『種の起源』
●ケインズ『雇用、利子および貨幣の一般理論』
●M・フリードマン『資本主義と自由』

読んだことがあるのも、もちろんありますが、
名前や概略だけ知っているものも多いです。
サイイド・クトゥブ『イスラーム原理主義の「道しるべ」』は、
池上彰氏のこの本で初めて知りました。
世界をテロの恐怖に陥れている本なのですね。

私がこの中で読んだことがあるのは、
『聖書』、『コーラン』、『アンネの日記』、
『プロテスタンティズムの・・・』、『沈黙の春』の5冊です。
池上彰氏が、宗教や経済学の影響力を正当に評価しているのは賞賛に値します。
たとえば『コーラン』の章でいえば、成立等をポイントでまとめ、
そこからさらに「イスラム金融」の話にまで展開しているのは鮮やかな手際です。

意外だったのは、最初に取り上げられている『アンネの日記』です。
『アンネの日記』から、中東問題が出てくるとは・・・
本文から引用してみましょう。
(引用)
 なぜ、この本が「世界を変えた」のかと疑問の方もいらっしゃることでしょう。中東問題の行方に大きな影響力を持っているから、というのが、私の答えです。
 一九四八年五月、アラブ人が多数居住するパレスチナの地に、ユダヤ人国家であるイスラエルが建国されました。国連が、ユダヤ人たちの「自分たちの国家を建設したい」という要望を受け入れて、パレスチナを「ユダヤ人の国」と「アラブ人の国」に分割する案を採択したのにもとづくものでした。ここから中東問題が始まります。
 イスラエル建国に反対する周辺のアラブ諸国との度々の戦争を経て、イスラエルは、国連が採択した「ユダヤ人の国」の範囲を超え、パレスチナ全域を占領しました。
 これにアラブ諸国が反発し、中東問題は、こじれにこじれています。しかし、アラブ諸国以外の国際社会は、あまりイスラエルに対して強い態度をとろうとしません。ユダヤ人が、第二次世界大戦中、ナチスドイツによって六◯◯万人もの犠牲者を出したことを知っているからです。
 その象徴が、アンネ・フランクであり、彼女が残した『アンネの日記』です。『アンネの日記』を読んだ人たちは、ユダヤ人であることが理由で未来を断たれた少女アンネの運命に涙します。『アンネの日記』を読んでしまうと、イスラエルという国家が、いかに国連決議に反した行動をとっても、強い態度に出にくくなってしまうのです。
 イスラエルが、いまも存続し、中東に確固たる地歩を築いているのは、『アンネの日記』という存在があるからだ、というのが私の見方です。

(PP.17〜18から引用終)

日本のジャーナリスト達の例にもれず、
池上氏も単純に「パレスチナ=善」「イスラエル=悪」
みたいな思考があるのは残念ですが、
中東問題と『アンネの日記』を結びつけたのは慧眼ですね。
(最近出た本で、
中東問題研究家の滝川義人氏の
日本型思考とイスラエル――メディアの常識は世界の非常識』(ミルトス)を読むと、
反ユダヤ宣伝の巧みさがよくわかります。
立ち読みした限りでも、「なるほど〜」と思わされました。
そのうち購入して読んでみようと思っています。)

(参考)
日本型思考とイスラエル――メディアの常識は世界の非常識


『アンネの日記』といえば、最近残念なニュースがありましたね。
東京都内の複数の公立図書館で、
『アンネの日記』と関連本が合わせて294冊も、
何者かによって破損された、というものでした。
アンネの日記:関連本破損、東京の3市5区で294冊被害
(毎日新聞 2014年02月21日 20時57分)

「アンネの日記」破損問題、菅官房長官「きわめて遺憾」 ユダヤ人団体「速やかに犯人特定を」
(J-CASTニュース 2014/2/21 18:16)

犯人は不明ですが、
ユダヤ陰謀論の狂信者か、パレスチナ支持の人あたりではないでしょうか?
(もしかして、池上彰氏のこの本に触発されて?)
焚書坑儒の域を出ない、愚かな犯罪ですが、
米国のユダヤ人人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」が、
事件に対して声明を出すなど、国際問題に発展しかねないので、
早く真犯人が捕まってほしいものです。

『アンネの日記」の章では、政治的な話だけではなく、
芥川賞を受賞した赤染晶子作『乙女の密告』(新潮文庫)にも触れています。
その小説の中で主人公が『アンネの日記』で感動したところと、
主人公を指導する教授が『アンネの日記』で重要なところの相違が触れられています。
なるほど・・・

(参考)
アンネの日記(文春文庫)


赤染晶子『乙女の密告』 (新潮文庫)


池上彰氏が『聖書』について書いた記事では、
『聖書』のすばらしい内容に反して、
教会が犯して来た過ち(十字軍など)を指摘し、
最後に、
(引用)
 ユダヤ教徒の『律法』であり、キリスト教徒の『旧約聖書』である書物に書かれた「殺してはならない」という十戒。『新約聖書』でイエスの言葉として伝えられる「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(「マタイによる福音書」)という文章があるのに、その後も数々の紛争、戦争は絶えません。『聖書』は、世界の歴史を大きく動かした書物ですが、人々が、それによってみんな聖人になれたわけではないのです。
(PP.69から引用終)
と締めくくっているのは、キリスト教徒である私にとっては、
耳の痛い話でした。
(あえて反論、というよりは言い訳するなら、
イエス様が「敵を愛せ」と言われても、
そうできない、聖人ならざる貪欲まみれの凡人だからこそ、
キリストの救いが必要なのです。
イエス様の言葉は闇夜に輝く北極星のようなもので、
進むべき道を指し示しますが、到達は難しいのでしょうね・・・)

政治・経済に強い池上氏らしく、最後は2冊の経済学の本を取り上げています。
ケインズとフリードマンの著作です。
フリードマンの新自由主義、自由至上主義を金科玉条のように祭り上げて、
結果、日本では格差が拡大してしまったわけです。
(もちろん、金持ちも増えましたが・・・
一方で、生活保護を受ける人がものすごい数になっているのは、
「豊かな国」日本の恥ではないでしょうか?
金持ちと貧乏人が減り、中産階級が増えることこそ、
日本の政治経済再生のカギだと思います。)

その考えを支持するかどうかはともかく、
少なくとも、池上彰氏のこの本レベルの知識は得ておく必要があると思います。
コンパクトながらも、世界の「今」を築いている10冊の本について概略を知る、
ガイドブックとなる良書だと思いました。

溜め込まない・溜め込めない生き方〜CDと本の強制断捨離術・・・

先日、書店で、ベストセラー小説『永遠の0』などで知られる、
百田尚樹氏の『至高の音楽 クラシック 永遠の名曲』(PHP研究所)
という本を立ち読みしました。

至高の音楽 クラシック 永遠の名曲

百田氏は、昨年(2013年)の12月に、
クラシックの老舗番組「題名のない音楽会」に、
ベストセラー作家・百田尚樹~“海賊”流音楽のススメ
として出演されていました。
R・シュトラウス、ワーグナー、ブルックナーについて、
音楽と作曲者の実像をかなり毒気づいて語っていたのが印象的でした。
実はこの方、「探偵!ナイトスクープ」などの放送作家でもある、
というのを初めて知りました。

さて、立ち読みした本に戻りましょう。
ちょうど開いたページが、ベートーヴェンの「エロイカ」についての記事でした。
正確な引用ではないですが、
「私は「エロイカ」のCDだけで100枚以上持っている」
というのを読み、頭に一発ガツンと来た感じがしました。
その先、では、おすすめCDはというと、
確か「カラヤン指揮ベルリン・フィル」(他に数枚)と書いてあったと思います。
私はそこで立ち読みをやめてしまいました。
(枚数の文章でノックアウトされてしまったので、
「読めなかった」が正解かも?)

「エロイカ」だけでCD100枚か・・・
私が「第9」を10枚ほど持っているぐらいで、
いくつもブログ記事書いているレベルではないのだな・・・
では総数でどれだけのCDを持っているのだろうか・・・
しばし羨望と多少の嫉妬の念にとらわれましたことを正直に述べます。

でも待てよ!
仮に、「エロイカ」の演奏時間の標準が、約50分として、
50分☓100枚=5000分。
5000分÷60分=約83時間
そんなに聴いてられるかな・・・
それよりも、それだけCDを持っていて、
オススメ盤が、カラヤン指揮ベルリン・フィルか・・・
たいしたことないな〜(開き直り!)
なんて思ってしまいました。

我が家は今のところ、あまりモノを置くスペースがないので、
本やCDのたぐいは、必要性がないとすぐ処分(たいていブックオフ)してしまいます。
実際、私の所有CDは、200枚前後しかありません。
高校生の時からもしCDを1枚も売らずにとっておいてたとすれば、
たぶんその10〜20倍の枚数になると思います。
しかし断言できますが、家にある私のCDに、凡演、駄演は1枚もありません!
(CDBOXは除きますが・・・)
どれでも、いつでも、皆様にオススメできるものばかりと思っています。

本棚も然りです。相当な本を買って読んでいますが、
本棚に残るのはわずか数百冊だけ。
実は近々、ダンボール箱3箱分の本とCDをまた処分します。
本棚とCDの棚にまた空きができました・・・

本棚とCD棚のスペースに合わせて、モノを処分するという、
私の「断捨離」・・・
溜め込まない(溜め込めない)生き方でスッキリです!
(とはいえ、CDBOXとか、ついつい安いと買ってしまうんですね・・・
「♪わかっちゃいるけど ヤメラレナイ」
愛する妻ちゃん、ゴメンナサイ・・・)

ピアノ五重奏曲の甘口辛口〜ドヴォルザーク、シューマン、フォーレ、ショスタコーヴィチ、ブラームス、フランク・・・

最近、いろいろな作曲家の「ピアノ五重奏曲」をよく聴いています。
ピアノ五重奏曲で最も有名なのは、
シューベルトのピアノ五重奏曲「ます」D667,Op114ですが、
実はこの曲、一般的な「ピアノ五重奏曲」と編成が違います。
一般的なピアノ五重奏曲とは、
ピアノ+弦楽四重奏団(ヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ1)です。
シューベルトの「ます」の場合は、
ピアノ+ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスと、
やや変わった編成です。
シューベルトの「ます」については以前記事を書きましたので、
今回は取り上げません。
一応「ピアノ五重奏曲」とも言える、
モーツァルトとベートーヴェンの「ピアノと管楽のための五重奏曲」も、
同様に今回は割愛します。
(過去記事)
五重奏曲(クインテット)の名盤CD3枚~モーツァルト、ブラームス、シューベルト

今回取り上げるのは、一般的な「ピアノ五重奏曲」の編成によるものです。
記事タイトルに「ピアノ五重奏曲の甘口辛口」とつけました。
「甘口」とは、誰にでも親しみやすそうなもの、甘いメロディが魅力的なもの。
「辛口」は通好み、多少晦渋さがあるもの。
こんな定義にしてみたいと思います。

「甘口」筆頭は、ドヴォルザークの作品です。
ドヴォルザークはピアノ五重奏曲を2曲残していますが、
第1番の方はほとんど演奏されず、もっぱら第2番をもって、
「ドヴォルザークのピアノ五重奏曲」と称しています。
今回取り上げるのも第2番の方です。
まるでショートケーキのような音楽とでもいいましょうか・・・
理屈抜きで楽しめます。
一番ステキなのは第3楽章です。
ここ数日、すっかり頭の中でこの楽章が自動BGM的に流れています。
第4楽章も魅力的です。
私が持っているのは、
ヤン・パネンカ(ピアノ)+スメタナ四重奏団の1986年録音のものです。
(カップリングはシューマンのピアノ五重奏曲)

ドヴォルザーク:ピアノ五重奏曲


次なる「甘口」は、シューマンのピアノ五重奏曲です。
ウィーン名物のザッハトルテ?
この曲については以前記事を書いています。
田部京子&上海クァルテットによるシューマン:ピアノ五重奏曲〜NHKBSプレミアム・クラシック倶楽部 - 上海クァルテット 演奏会 -(2013年1月14日放送)
もちろんおすすめCDは、田部京子(ピアノ)+カルミナ四重奏団のものです。
録音が超優秀です。
みずみずしさではピカ一で、田部さんのピアノははまるで
クララ・シューマンが弾いているのでは、と思えるほどです。
ピアノが自己主張しすぎずにうまく全体をまとめています。
NHKBSで観た上海SQ以上に、この曲の美しさをあますところなく表現しています。
カップリングはシューベルトの「ます」で、
こちらも名演・美演といえます。
以前はブレンデルのCDがベスト盤でしたが、
このCDによって用済みとなってしまいました・・・


シューベルト:ピアノ五重奏曲「ます」 [Hybrid SACD]


※SACDシングルレイヤー盤もあります。

「甘口」編最後は・・・
「甘口」というよりは「ほろ苦」という感じもしますが、
優美さではイチオシとしたいです。
高級なチョコレートボックス?
フォーレのピアノ五重奏曲第1番OP89、同第2番OP115です。
どちらも大好きですが、あえて1曲と言われれば、
迷わず第2番の方をとります。
今回紹介する中で最も好きなピアノ五重奏曲です。
シューマンやブラームス、ドヴォルザークの作品ほど知られていませんが、
フォーレの作品の中でも最高傑作の部類に入ると思います。

フォーレの2曲のピアノ五重奏曲は、「絵画を聴く」ような感じがします。
アルフォンス・ミュシャが描く美人画や、印象派の絵がなんとなく思い浮かびます。
初めて聴いたのは、確か高校生の頃だと思います。
美しい乙女の金色の長い髪が風にそよいでいる・・・
そんなイメージが、第2番の第1楽章を聴いていて思い浮かびました。
第2番で最も好きなのは、やはり第1楽章です。

第1番の第1楽章は、魔法の世界から聴こえてくるような感じです。
一番好きなのは、フィナーレの第3楽章です。
ルノワールやモネが戸外を描いた作品が見えて来るような気がします。

フォーレのピアノ五重奏曲の決定盤は、
やはりジャン・ユボー(ピアノ)+ヴィア・ノヴァ四重奏団のCDです。

フォーレ:室内楽全集第1集

※2枚組CD。1枚目はピアノ四重奏曲第1番、第2番で、
2枚目がピアノ五重奏曲第1番、第2番。
ピアノ四重奏曲の方は1度聴くので十分かな・・・

※SHM-CD仕様もあります。


近年、フォーレ室内楽全集という5枚組のCDが出まして、
安いから私も買ってはみたものの、音質にがっかりして、
すぐ手放してしまいました。
演奏者は結構いいのに。
参考までに・・・
(参考)
Faure: Complete Chamber Music For Strings And Piano [Box Set, CD, Import]


次に、「辛口編」に移ります。
「辛口」筆頭は、ショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲OP.57です。
かなりクセがあるカマンベールチーズ?
「辛口」といっても、彼の弦楽四重奏曲には及ばず、
むしろ、ショスタコーヴィチの室内楽入門に最適な曲です。
多少深刻なところはありますが、どんなに重苦しくとも、
音楽を聴く喜びがあります。
暗いのがニガテなら、ぜひ第3楽章から聴いてみてください。
ほろ酔い加減で上機嫌なショスタコーヴィチを見出すかもしれません。
20世紀の室内楽の名曲なのに、現役盤が少ないのは残念です。
私が持っているのは、リヒテル(ピアノ)+ボロディン四重奏団のCDです。


ショスタコーヴィチ: ピアノ五重奏曲


続いての「辛口」は、ブラームスのピアノ五重奏曲Op.34です。
70年代のサスペンスドラマのBGMみたいな、
内に秘められた情熱がこもった作品です。
焦燥感たっぷり・・・
ブルーチーズみたいな感じ?
この曲は、モノラル録音のウィーン・コンツェルトハウス四重奏団+デムス(P)のが、
とても印象的で、今でも頭に残っています。
残念ながら手元にはなく(図書館で借りて聴いたものです)、
それで、ポリーニ(P)+イタリアSQ、Akiko Yamamoto(P)+Quatuor Ebeneで
買って聴いてみましたが、どちらもイマイチでした。
ステレオ録音でようやく気に入ったのが、
シューマンのピアノ五重奏曲と同じ、
田部京子(P)+カルミナ四重奏団の演奏です。
こちらも録音は優秀です。
家にはあと、「ブラームス室内楽全集」BOXの中にある、
レオン・フライシャー(P)+エマーソンSQのがあります。
弦はすばらしいですが、ピアノはイマイチです。


ブラームス:ピアノ五重奏曲、ピアノ四重奏曲第3番 [Hybrid SACD]

(参考)
Collector's Edition: Complete Chamber Music [Box Set, CD, Import]

最後は、フランクのピアノ五重奏曲です。
知る人ぞ知る、という作品です。
3回ぐらい虚心坦懐に聴いてみて、ようやく味がわかるのかもしれません。
そういう意味では、「するめ」みたいな曲かも?
1度聴いたぐらいでは、良さがなかなかわかりませんが、
聴くたびに、少しずつ良さを発見することができるかもしれません。
我が家にあるのは、Alice Ader(P)+Ensemble Aderの盤です。

Chamber Music (Dig) [Import]

2014年2月21日 (金)

おすすめWEB記事〜結果不振選手批判はブラック企業の論理(為末大学 オリンピックを考える)

今回のソチ五輪でメダルが確実と日本中から期待され、
結果、惜しくもメダルに手が届かなかった代表的な選手といえば、
フィギュアスケート女子シングルの浅田真央選手と、
スキージャンプの高梨沙羅選手ですね。
私としては、二人共最善を尽くして頑張ったから、
結果には文句どころか、「よくがんばったね!」と言いたいほどです。
しかし一方、メダルが取れないとボロクソに言う人が出るのも残念ながら事実です。
上記の二人はまだ入賞できたからいいものの、
マイナー競技の中には、入賞はおろか、
ほとんど結果を出せないまま終わってしまう種目もいくつかあります。

2014年1月に、
たまたまちらっと観た「アスリートの魂」というNHKの番組では、
女子アイスホッケーの「スマイルジャパン」のメンバー達が、
宅配ピザ店やスポーツ用品店のアルバイトで遠征費を賄う
様子が映し出されていて、衝撃を受けました。
私が番組でちょうど観たのは、居酒屋でバイトしている選手の姿でした。
五輪選手になる人が、こんなところでバイトしないと、
選手としてやっていけないとは・・・
スマイルジャパンは5戦全敗と結果は散々でしたが、
五輪に出場できただけでもスゴイことだと思います。
こんな状況で、「お前たちもっと強くなれよ!」というのは、
あまりにも酷ではないでしょうか?

スノーボード女子パラレル大回転で銀メダルをとった 竹内智香選手にしても、
夏は北海道の実家で仲居さんをしていると知りました。
智香 夏は実家の旅館で仲居さん!?でもその実力は…

今回おすすめするWEB記事、
「結果不振選手批判はブラック企業の論理」(為末大学 オリンピックを考える)は、
読んで「その通り!」と思いました。
「豊かな国」のはずの日本は、オリンピック選手の強化費に、
他のスポーツが強い国ほど、お金をかけていない、とのことです。
上記記事から引用します。
(引用)
 強化費に関して計算の仕方にさまざまな考え方があるので、どの程度、正確なのか分からない。12年ロンドン五輪では、ドイツが270億円強、米国165億円、韓国150億に対し、日本は27億円という試算がある。ある程度のばらつきがあるとみても、日本の強化費はかなり少なく、その中でメダル数はよくやっていると言える。
(引用終)

明治天皇の玄孫で、
日本オリンピック委員会(JOC)会長・竹田恆和氏の息子でもある竹田恒泰氏が、
ツイッターで、
「予選落ちしてヘラヘラと『楽しかった』などと語った選手」を問題視し、負けた際のコメントとして「思い出になったとか、楽しかったなどはあり得ない」
とコメントしたのが話題になりました。
こういう圧力が、結果、選手を押しつぶしてしまっているのでは?

選手一人一人、それなりに頑張っているわけなのです。
五輪って、そもそも「参加することに意義がある」のでは?
メダルをとるだけが五輪参加ではないと思います。
(もちろんベストは尽くしてほしいですが)
再び上記おすすめWEB記事から引用します。
(引用)
 メダル獲得に関して、日本はかなり不利な状況にいる。人口はそこそこながら先進国中で少子高齢化はトップを走っていて、GDPも減少しつつある。また強化費は発表している国の中では最も低い中、選手たちは努力していると言えるのではないか。夏の五輪はそれでも注目が集まり、ある程度サポート態勢が整っているが、冬季五輪は器具を使うためにかなりお金がかかるのに、サポート態勢がそれほど充実していない。

 もちろんメダル数などに関係なく、ただスポーツを楽しめばいいという考え方も素晴らしいと思う。実際にそう割り切っている国もある。その場合は強化費を減らせばいいのだが、ただしメダルは望めない。「お金はないがメダルは取れ」は少々、選手に酷な状況となってしまう。

 私は日本的精神論とは、(1)足りないリソース(資源)を気持ちで補わせる(2)全体的問題を個人の努力に押し付ける、だと考えている。結果が出せないことに批判が集まるたび、ここ数年続くブラック企業を想像してしまう。全体として足りないリソースを残業などの個人の努力で補う。「できる、できない」は気持ちの問題。それと似た空気を五輪の期間中も感じている。
(引用終)

冬季五輪のスポーツでは、
フィギュアスケートやスキージャンプばかりに注目が行きますが、
あまり脚光を浴びないマイナー競技や、
日本選手がまだまだ育っていない分野に、
ぜひ強化費が何らかの形で行き渡り、
スマイルジャパンの選手たちのように、
居酒屋とかでバイトしなくても五輪へ行けるような環境を作ってあげたいものです。
(参考記事)
五輪選手に「税金無駄遣い」批判する人こそ無駄な人間と識者
為末「選手批判はブラック」で議論
脱「甘やかし」 アスリート社員のフルタイム勤務が企業スポーツを救う
※この記事は賛否両論あると思います。
スポーツは国が強化費を出すより、選手がスポンサーを見つけるなり、
何らかの企業に就職しながらやるべき、というなら、正論でしょうが、
たとえば冬季五輪のリュージュやスケルトンといったものなら、
かなり無理があると思います。

ソチ五輪・フィギュアスケート女子シングル・フリー〜カロリーナ・コストナー選手の妖艶さ!

ソチ五輪のフィギュアスケート女子シングル、ついに結果が出ましたね。
読売新聞の夕刊1面を見ると、
まるで浅田真央選手がメダルをとったかのような扱い・・・
ニュースも真央ちゃん一色で辟易してしまいます。
フィギュアスケート女子シングル結果

フィギュアスケート女子シングル・フリーの演技、
私は起きる時間が遅かったので、結局リアルタイムで観たのは、
キム・ヨナ選手の演技だけでした。
ショートプログラムの神々しさはなく、控えめでありながら、
要所要所はしっかりと決める、オトナの演技でした。

その後、放送中のプレイバックで浅田真央選手の演技を観ました。
ジャンプは見事キレイに決まっていましたね。
彼女はラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の第1楽章を使ってましたが、
演技とあまり関係ない感じがしました。
別にこの曲じゃなくてもいいのでは
(たとえばストラヴィンスキーの「火の鳥」とかでも・・・)
とも思いました。
次々と決められる高度なジャンプは、日本中のファンを喜ばせたのでしょうが、
私はなんとなく醒めた目で観てしまいました。
ただ、ショートプログラムでの鬱憤を晴らすかのような演技構成は、
やはり賞賛に値しますね。
森元首相の失言コメントが問題視されていますが、
勝てそうもないフィギュアの団体戦に出場させて、
「恥をかかせることはなかった」というのは実は私も同感です。

ロシア選手の例で言えば、
団体で出たリプニツカヤ選手が振るわず、
男子のプルシェンコ選手はシングルでは演技も出来ずに棄権の一方、
シングルだけ出たソトニコワ選手が優勝したりするなど、
団体と個人どちらも出る選手は不利になるのでは?
(フィギュアスケートの団体はなくてもいい競技のように思えます。)

他の選手の演技については、録画したもので観ました。
・李子君選手(中国):「コッペリア」の音楽を巧みに使っていましたが、
動きまで少しぎこちなく、コッペリア的になってしまいました。
音楽使用のセンスはよかったと思います。これから伸びる選手だと思います。
・鈴木明子選手(日本):「オペラ座の怪人」の曲を見事に表現していました。
出場した日本人女子選手の中では、一番楽しめた演技でした。
8位入賞おめでとうございます!そして、お疲れ様でした・・・
・リプニツカヤ選手(ロシア):例のごとく暗めの悲しげな音楽を使用。
(今回は「シンドラーのリスト」)
浅田選手と同じく、テクニックの羅列という感じでした。
音楽も表現には全然関係なさそう・・・
表現力が身につけば、4年後の五輪でのメダルは確実かも?
・ソトニコワ選手(ロシア):ショー的要素満載でした。
余裕をもって演技していました。
ただ、キム・ヨナ選手やカロリーナ・コストナー選手の演技に比べると、
美しさや気品には欠けていたように思えます。
149.95点というのは、開催国としてのオマケが入っているのでは、
とも邪推してしまいました。
(140点以上であるのは間違いなさそうですが・・・)
・G・ゴールド選手(アメリカ):こじんまりとしていましたが、
バレエ的な優雅さがあり、「眠れる森の美女」の音楽をよく表現していました。
・ワグナー選手(アメリカ):筋肉美がスゴイ人ですね。
サン・サーンスの「サムソンとデリラ」の音楽をうまく表現していました。

カロリーナ・コストナー選手(イタリア)の演技が、
私にとっては女子フリーの中で最も印象に残りました。
ラヴェルの「ボレロ」の音楽を、バレエのように表現していました。
ジャンプとかの要素さえ、静かにさりげなく、音楽的必然であるかのように、
淡々と軽やかにこなしていました。
しかも、持ち前の手足の長さを活かして、美しく優雅に決めていました。
ショートプログラムでの演技が「聖母マリア的」だとすれば、
フリーの演技は、「ヴィーナス的」で妖艶ささえ漂うものでした。
その対称さは、ティツィアーノの『聖愛と俗愛(聖なる愛と俗なる愛)』
という絵画を連想させました。
(女性は誰しも、この二面性を持っているものなのですが・・・)


ティツィアーノ『聖愛と俗愛(聖なる愛と俗なる愛)』

Tiziano


浅田真央選手、キム・ヨナ選手の演技も改めて観直しました。
改めて観ると、
浅田真央選手は少しは音楽を表現しようとしているのがわかりました。
ただ、どのタイミングでジャンプするかというような、
言わば「壁紙」的に音楽を使っているに過ぎないのかな、と思いました。
彼女には、憂鬱なラフマニノフの音楽ではなく、
ワルツとかの華やか・軽やかな音楽で、
弾けるように演技してもらった方が観ている側でもより幸せになれたのかも?

キム・ヨナ選手の演技も改めて観ると、
メダルよりも、韓国人であることよりも、
自分の世界を表現したい、ただそれだけの一心で、
オトナの余裕というか、
倦怠感さえ漂わせるような気品ある演技を魅せていました。
終わってからのコメントが、
「気が楽だ。苦労したものをすべてお見せした。終わってとても幸せ」
というのは納得です。
フラワーセレモニーの前後でも、悔しさなどそぶりも見せない、
凛とした態度で結果を受け入れていたのはさすがと思いました。

稀に見るハイレベルな試合でした。
夜更かししても観る価値がありましたね!

キム・ヨナ選手が浅田真央選手をねぎらうコメントを述べた、とのこと。
キム・ヨナ 「一番のライバル」浅田にねぎらい
(引用)
 キムはこれまで最も記憶に残ったライバルを問われ、迷わず浅田の名前を挙げた。「長い間比較もされ、競争もした。もうそのような競争はしなくなる。私たちのように比較され続け、共に競技した選手は多分ほかにいないだろう」と振り返った。
 浅田に掛けたい言葉を問われると、自分が言う立場にないとして言葉を選びながら、「大変なことがたくさんあったと思う」と述べた。
 ショートプログラム(SP)でまさかの16位となった浅田はフリーで巻き返し、6位入賞を果たした。浅田はフリーの演技を終えるとこらえ切れずに涙を流した。
 キムは「浅田は日本で、私は韓国で最も注目を浴びたフィギュア選手という共通点がある。その選手の心情を私も理解できると思う。浅田が泣きそうなときは、私もこみ上げてくる」と長年のライバルへの共感を込めて振り返った。

(引用終)
これはすばらしいですね!

2014年2月20日 (木)

ソチ五輪・フィギュアスケート女子シングル・ショートプログラム〜圧巻はキム・ヨナ選手とカロリーナ・コストナー選手!

ソチ五輪ももうじき終わりますね。
日本中の多くの人がメダルを期待していた、フィギュアスケート女子シングル。
日本人選手3人がまさかの展開(特に浅田真央選手)になってしまったのは、
とても残念でした。
フィギュアスケート女子シングル・ショートプログラム結果

私は最終第5グループのところからリアルタイムで観ました。
(ちょうど目が覚めたからなのですが・・・)
イタリアのカロリーナ・コストナー選手の演技は「銀盤の妖精」という感じで、
「アヴェ・マリア」のメロディに実にマッチしており、
バレエのような美しさと優雅さ、「祈り」のようなものまで感じさせました。
観た直後の予想は70点前後かな、と思ったら、
74.12点とスゴイ結果になったのは納得でした。

ロシアのソトニコワ選手は、日本ではリプニツカヤ選手ほど注目されていませんが、
意外な伏兵という感じで、勢いに乗った演技はすばらしかったです。
ただ、少々荒っぽい感じなのに、コストナー選手より上だというのは、
多少???でした。

同じくロシアのリプニツカヤ選手は、かなり期待されていましたが、
フリップで失敗したのが痛かったですね。
ところでこの選手、いつも暗めの曲を選ぶのはナゼ?
キャンドルスピンは度肝を抜かれますが、
後はジャンプの羅列という感じがします。

アシュリー・ワグナー選手のダイナミックなスケーティング、
大好きですが、70点台には届かなかったですね。

浅田真央選手は、彼女の実力なら本来72点台まで出せると思いますが、
大変残念な結果になってしまいました・・・
まさかの16位!
メダルどころか、入賞さえ怪しくなってしまいました。
ぜひ入賞はしてほしいものです。

キム・ヨナ選手の演技は、録画で観ました。
本人としては、「最悪の出来」なのかもしれませんが、
彼女の演技は他の選手とは別次元なものです。
キム・ヨナ「最悪の出来」も今季最高点でSP首位=五輪
ショートプログラムでは出場全選手の中で圧巻の存在でした。
私自身、演技の美しさにとても感動しました。
日本では、変なナショナリズムで、キム・ヨナ選手を罵倒する輩が多いのは残念です。
日本選手には頑張ってほしいですが、よいものを素直に認めるのは大事です。

実質上、上位3名(キム・ヨナ選手、ソトニコワ選手、コストナー選手)
のメダル争いになりましたね。
誰が金メダルを取るかはともかく、今夜のフリーの演技が楽しみです。

2014年2月15日 (土)

祝!羽生結弦選手金メダル!〜2014ソチ五輪・フィギュアスケート男子シングル

ついにやりましたね!
羽生結弦選手、おめでとうございます!!!
ようやく今大会初金メダルとなりました!!!
そして、ついにフィギュアスケート男子で日本に金メダルがもたらされましたね!
万歳〜〜〜!!!
結果速報(Yahoo!ニュース)
ソチ五輪】羽生、日本に今大会初の金メダルもたらす/フィギュア
サンケイスポーツ 2月15日(土)4時3分

ソチ五輪のフィギュアスケート・男子シングル、
SP、フリーどちらもリアルタイムで観ました。
(SPはずっと3時まで起きて観ていました。
フリーは2時間ほど寝てちょうど町田選手の演技のあたりから、
ずっと観ていました。)

高橋大輔選手はメダルには届きませんでしたが、
フリーの演技において、ずっと笑顔で、満足そうに滑っていたのは、
私にとっては、羽生結弦選手やP・チャン選手の演技よりも印象に残りました。
今までの高橋大輔選手の集大成となるような、実に濃密な4分30秒でした。
お疲れ様、高橋大輔選手・・・

P・チャン選手は大好きな選手なので、
羽生結弦選手とどちらが勝っても文句がありませんでしたが、
フリーでのジャンプミスは痛恨でした。
SPの演技はバレエのような、実に芸術的に美しい演技でした。

ハビエル・フェルナンデス選手のフリーでの演技が、
今回フリーの演技を観た中で一番楽しかったと思います。
(細かいミスはともかくとして・・・)

リアルタイムでは観れませんでしたが、
カザフスタンのデニス・テン選手の活躍は、
意外な伏兵という感じでしたね。
見事な銅メダルでした!
(GPシリーズ等で、その片鱗は伺わせていましたね・・・)

羽生結弦選手の演技は、SPの方が断然すばらしかったです。
フリーではSPほどの精彩に欠けるところはありましたが、
それでもあの点数は見事でした!
初オリンピックで初金メダルというのは、
恐ろしい才能ですね〜〜〜
これからの活躍も期待しています。
何はともあれ、たくさんのおめでとう〜〜〜!!!

余談ですが、ロシアのプルシェンコ選手の棄権が残念でした。
団体戦の負担というのは結構大きいのでしょうね・・・

2014年2月14日 (金)

書評:リチャード・ニクソン著『指導者とは』[原題:Leaders](文春学藝ライブラリー)

2014年1月に、紀伊國屋書店で、
新聞広告に載っていた、山本七平著『聖書の常識』(文春学藝ライブラリー)
という本を買いました。
(こちらは紹介する値もない本でしたが・・・)
その本のすぐ横に、今回紹介します、
リチャード・ニクソン著『指導者とは』(文春学藝ライブラリー)がありました。
「ニクソンって、アメリカ元大統領の?」と思ったら、その通りでした。
私にとっては初めて名を聞く本でしたが、
ペラペラとページをめくっただけで、
実に興味深そうな本であることがすぐにわかりましたので、
ついでに買ってしまいました・・・
文庫の帯にある、「20世紀リーダー論の最高峰!」という宣伝文句は、
決してウソや誇張ではないことは、読み進めていけば納得できます。

リチャード・ニクソン著『指導者とは』(文春学藝ライブラリー)

リチャード・ニクソン(Richard Milhous Nixon 1913-1994)は、
アメリカ合衆国第37代大統領で、ウォーターゲート事件で辞任した事で知られます。
ウォーターゲート事件という汚点で、否定的なイメージが強いかもしれませんが、
ベトナム戦争での米軍撤退、ソ連とのデタント(緊張緩和)、
中華人民共和国との国交樹立など、外交面では大きな成果を挙げた人でもあります。
(米大統領として異例なことに、生涯が何度も映画化されていますね。
オペラにまでなっています。
→ジョン・アダムズ『中国のニクソン』)

(参考)
ジョン・アダムズ「中国のニクソン」(オペラ)
John Adams: Nixon in China

(参考)映画「ニクソン」

(参考)映画「フロスト☓ニクソン」


この『指導者とは』は、
米国副大統領、大統領として、世界の要人と数えきれない会談を行って、
実際に各国の指導者をよく知っているからこそ書ける、
稀にみる読み応えのある政治家評伝集です。
20世紀〜21世紀の政治家が書いた本としては、
第一級の価値がある本だと断言します。
(もう一つ挙げるとしたら、
チャーチルの『第二次世界大戦』全4巻が圧倒的な筆致です。
こちらは1953年度のノーベル文学賞を受賞しています。
私は高校生の時に読みました。)


(参考)チャーチル著『第二次世界大戦』(1)(河出文庫)


本書で取り上げられている人物は、20世紀を動かした代表的な政治家7名です。
(ただし、アメリカの指導者は入っていません。例外がマッカーサーです。)
チャーチル(英)、ドゴール(仏)、
マッカーサー(米)と吉田茂(日)、
アデナウアー(旧西独)、フルシチョフ(旧ソ連)、
周恩来(中)
(実際には、関連する人物として、
歴代の米大統領、特にアイゼンハワー大統領や、
毛沢東、ブレジネフ、ローマ教皇や中東・アフリカの指導者まで、
記事の大小はあるものの、様々な各国指導者が言及されています。)

どの章も読み応えがあり、ヘタな小説より何十倍も興味深いものがあります。
中でも深い感銘を受けたのが、ドゴールと、
マッカーサーと吉田茂の章です。
筆致に迫力があるのは、フルシチョフの章です。
(眼前でフルシチョフが悪態をついているのが、
まざまざと見えてきそうなほどです・・・)
ニクソン自身、フルシチョフと有名な「キッチン討論」を戦わせた本人です。
5時間にも渡るフルシチョフの激しい演説と、それに対する応戦・・・
フルシチョフの醜悪さを鮮烈に描きつつ、
なおかつ政治指導者としての長所を描くところを忘れてはいません。
その度量の広さも本書の魅力の一つです。

(PP.467「訳者あとがき」から引用)
 外国の政治家の手になるこの種の本を読むたびに私が思うのは、なぜ日本人の政治家には書けないのかということである。現時点で日本には数人の元首相がいるが、中曽根康弘氏を唯一の例外として、われわれの参考になるようなことを書いた人は少ない。書けばせいぜい、「実はこうだった」式の回想である。それは内政の問題点が主に料亭で解決され、外交ではイニシャチブをとることなく、万事について官僚が政治家の一挙手一投足にまで犬馬の労をとって演出するため、書くことがないからだろうか。
 チャーチルほど浩瀚なものを書き残せとは言わないが、せめて日本的指導者像を説明する努力くらいはしてほしいと、訳者は一抹の寂しさを覚えるのである。

(引用終)

本書の訳者の徳岡孝夫氏が、
「訳者あとがき」の最後にに書いてあるのは、
まさにその通りだなと思いました。
ニクソンのような幅広い視点で世界政治を見ることができるのは、
貴重な財産です。
他方、我が国の元首相といえば・・・
東京都知事選に出馬したH氏とバックボーンのK氏のような、
晩節を汚すような涸れないジジイがいるかと思えば、
(私自身は反原発ですが、
東京都知事選の争点にすべき問題ではなかったと選挙前から思っていました。)
民主党のH氏のように、「友愛」を掲げるノー天気の売国奴など、
恥ずかしい面々が多いのは残念です。
(存命・政治家引退の方では、中曽根康弘氏は唯一例外的に尊敬に値しますね。)

政治家評伝としてだけではなく、
原題の"Leader"、邦題の『指導者とは』という観点から、
第一級のビジネス書としても使えるのでは、と思います。
特に最終章「指導者の資格について」は、リーダー論として卓越しています。
ぜひご一読を!

2014年2月 9日 (日)

アルゲリッチ&アバドのモーツァルト:ピアノ協奏曲第25番&第20番(DG)

つい先日(2014年1月21日)、
指揮者クラウディオ・アバドの訃報を聞きました。
世界的指揮者クラウディオ・アバド氏 80歳で死去 私自身はそれほどアバドの指揮に思い入れはないですが、
それでも彼の指揮によるDVD・Blu-rayは数枚持っています。
訃報を知ってつい買ってしまったのが、
2013年のルツェルン音楽祭でアルゲリッチと共演した、
モーツァルトのピアノ協奏曲第25番&第20番のCDです。
巨匠アバド指揮、『モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番&第25番』2/19緊急発売! 今日(2014年2月9日)ようやく届きました。

 

(輸入盤)

 

 

(国内盤)

 

 

CDジャケットの両面を見て、感慨深いものがありました。
表は現在(2013年)の2人(アルゲリッチとアバド)の姿、
裏側は若かりし頃の2人の姿です。
美女と好青年が、どちらもすっかり銀髪になってしまいました・・・
思わず写真に撮ってしまいました。

 

Abbado_argerich

 

さて、肝心の演奏に移りましょう。
聴く前の予想では、モーツァルトよりもアルゲリッチ色が強い演奏かな、
と思っていましたが、意外と控えめでした。
第20番の方は、名演が多いので、合格点に達するかどうかもアヤシイかも・・・
(オーケストラが軟弱すぎるかな・・・)
ちなみに私のオススメの演奏は、
バレンボイムの弾き振り旧盤と、内田光子の弾き振り盤(DVD)です。

 

 

バレンボイム盤(ピアノ協奏曲全集)
Mozart: Complete Piano Concertos 1-27 [Box Set, CD, Import]

 

 

内田光子盤(DVD)

 

 

内田光子盤(旧盤)※指揮はテイト。

 

 

内田光子盤(引き振り新盤)
買ったけど、早くに手放してしまいました。
CDなら旧盤の方をとります。

 

さて、アルゲリッチ&アバドのこのCDでオススメは、
第25番の方です。
もともとあまり愛好者が少ない曲ですね。
ピアノ協奏曲第20番〜24番と、第26番〜第27番は傑作であると、
誰しも認めるわけですが、
第25番はというと、???かもしれません。
私もそんなに好きではなく、食わず嫌いしていました。
しかしこの演奏で聴くと、
実にチャーミングな魅力あふれる曲なんだと実感しました。
いい意味で、余計な力が抜けきって、
音楽そのものが楽しげに、軽やかに鳴り響いている・・・
そんな感じでした。
愛聴盤になるかもしれません・・・

第65回さっぽろ雪まつりの写真(2014年)

今年(2014年)も、さっぽろ雪まつりが開催中です。
第65回さっぽろ雪まつりで撮った写真です。
普通は、(大通)4丁目会場→11丁目会場へと進み、
また4丁目会場へ戻る、というパターンですが、
10丁目会場から4丁目会場へ向かうコースをとりました。
行った時間にもよるのでしょうが、前に進むのに困難を感じませんでした。
雪像についての詳しい情報については、
「さっぽろ雪まつり」公式HPでご確認を・・・

10丁目 UHBファミリーランド
大雪像 be ポンキッキーズ in さっぽろ雪まつり
2014020809_snowfestival01


9丁目 市民の広場
ふなっしー!!
2014020809_snowfestival02


8丁目 雪のHTB広場
大雪像 イティマド・ウッダウラ(インド)
2014020809_snowfestival03

7丁目 HBCマレーシア広場
大雪像 スルタン・アブドゥル・サマド・ビル
2014020809_snowfestival04_2

7丁目 環境ひろば
大雪像 ♡すべてにLOVEを♡
2014020809_snowfestival05

6丁目会場はパスして(笑)→札幌市教育委員会による地味な雪像・・・
5丁目 STV広場
大雪像 ウインタースポーツ天国、北海道!
2014020809_snowfestival06


4丁目 毎日氷の広場
大氷像 台湾-伝統とモダン
2014020809_snowfestival07

すすきの会場にも行ってきました。
(つどーむ会場は未だに行ったことがアリマセン・・・)

お魚さんを氷づけにしたシロモノ
2014020809_snowfestival08

こちらも同じく・・・
2014020809_snowfestival10


北海道限定のビールといえば・・・
2014020809_snowfestival09


すすきのといえば、ニッカ!ニッカ宝船だそうです。
(でも後ろの写真は「金麦」だったか・・・(*^-^))
2014020809_snowfestival11

2014年2月 5日 (水)

佐村河内守氏の作曲偽装騒動

今朝(2014年2月5日)のNHKニュース「おはよう日本」を視聴していると、
思わず「えっ、ウソ!?」と唸ったニュースが飛び込んで来ました。
佐村河内守氏の作曲は別人が作曲した、というものでした。
食材偽装の次は、作曲偽装???
聴覚障害の作曲家 別人が作曲(NHKニュース)
東日本大震災の後、草の根的に聴き広がっていた、
交響曲第1番HIROSHIMA」や、
フィギュアスケートの高橋大輔選手がオリンピックのショートプログラムで使用する、
ヴァイオリンのためのソナチネ」も、本人の作ではないとのことでした。
(関連ニュース)
佐村河内さん楽曲は別人作=番組制作のNHKも謝罪〔五輪・フィギュア〕
佐村河内氏の“影武者”が6日に会見 「18年間…お詫びしたい」
別人作曲、レコード会社が見解…CD&DVDは出荷・配信停止
作曲家 佐村河内守氏につきまして(日本コロンビア)

私自身、佐村河内守氏の作品については、
既に2つも記事を書いています。
NHKEテレ・佐村河内守 魂の旋律~交響曲第1番“HIROSHIMA”~(2013年4月27日放送)〜障害者の芸術、というカテゴリーではなく・・・
高橋大輔選手の圧巻の演技と佐村河内守さんの「ヴァイオリンのためのソナチネ」〜フィギュアスケートNHK杯2013・男子シングル・ショートプログラム

私は、交響曲第1番HIROSHIMAを聴いて、醒めたコメントを書きました。
(詳細については上記拙記事をご覧ください。)
聴覚障害があるかないかと、作品の価値は別だと思ったからです。
(たとえばベートーヴェンの曲を聴くのに、
彼がほとんど耳が聴こえなくなっていたかなど、
取るに足らない問題に過ぎません。
いや、そんなことは、彼の作品を聴いている時に思うことはまずありません。)

一方で、この曲を聴いて、当時感動した人も大勢いるわけですよね。
Amazonで「交響曲第1番HIROSHIMA」を調べると、
早速の手のひら返しの悪罵コメントが2月5日以降多数・・・
それはともかくとして、感動はウソだったのでしょうか?
それとも、「聴力障害にも関わらず書き上げた感動作!」という、
一種のマインドコントロール、プラシーボ効果に酔っていただけなのでしょうか?
あるいは、本当に、音楽的価値があったからなのか・・・
(だとしたら、真の作曲者こそ、賞賛されるべきなのでは?
聴力障害とかの肩書・憐れみを誘う文句がないと、
価値がないとでもいうなら、それこそ障害者差別ではないでしょうか?)

私は、昨年(2013年)のフィギュアスケートNHK杯で、
高橋大輔選手が使った「ヴァイオリンのためのソナチネ」が、
ステキな曲だと思ったので、CDを購入しました。
改めて、このCDの2曲「無伴奏ヴァイオリンのためのシャコンヌ」と、
「ヴァイオリンのためのソナチネ」を聴いてみました。
少なくとも、「ヴァイオリンのためのソナチネ」については、
作曲者が誰であろうと、どういう経緯で作られたものであろうとも、
ステキな曲だ、という評価は変わりませんでした。
以前自分で書いた文章を上記記事からそのまま引用します。

(引用)
佐村河内守さんの「ヴァイオリンのためのソナチネ」を聴くのは、
今回が初めてでした。
作曲者名を伏せたら、
フォーレやフランクなどの19世紀フランスの作曲家の作品かな?、
と間違えるそうになるほど、ロマンティックで優雅、かつ可憐な曲ですね。
高橋大輔選手の演技とともに、音楽の素晴らしさにも感動しました!

(引用終)
この文章を書いた事に後悔はありません。
私は自分自身の耳を疑いたくないですから・・・

世には作曲者が実は別人だったとしても、
愛聴者が多い曲もあります。
たとえば・・・
「モーツァルトの子守唄」(実際はフリースという作曲家)
「アルビノーニのアダージョ」(実際はジャゾットという作曲家)
あと、「愛の喜び」などで知られるヴァイオリニストのクライスラーの作品で、
「◯◯(大作曲家名)の様式による△△」(クライスラー編曲)の「◯◯」は、
実は根拠がなく、クライスラー自身の作曲だったことが後で明らかになっています。
要は、美しければ、それでいいのではないでしょうか・・・
(「アルビノーニのアダージョ」、結構好きです!)

今回の騒動で問題になるのは、
代作者がいたことよりも、障害を売り物にしていたことでしょう。
また、NHKも昨年(2013年)のNHKスペシャル等できちんと取材していたのか、
検証が必要なのではないでしょうか?
玉川大学の野本教授まで持ちだしてきて、絶賛していたほどですから・・・
作曲の過程をCGを使って解説していましたが、
あれらはすべて「モンキービジネス」だった、ということになりますね。
(ついでにいえば、NHKの「進化」関係のCG映像だってそうです。)
NHKを媒介に、日本中がお涙頂戴詐欺にまんまとハメられたわけですね・・・
(佐村河内守氏は交響曲第1番HIROSHIMAを作曲した経緯について、
本まで出版しています。買わなくてよかった・・・)

あと、よりによってソチ五輪前に、こんな醜悪な話が出たのは、
高橋大輔選手にとってとんだいい迷惑ですね。
作曲者名はともかく、音楽の価値は信じて、
全力で頑張ってほしいものです。
(関連ニュース)
<五輪フィギュア>高橋選手、SP曲の作曲者欄削除
高橋大輔SP曲変更せず…関西大がメッセージ

(2014年2月6日追記)
「佐村河内守」名義の真の作曲者(ゴーストライター)である、
新垣隆氏の記者会見記事を読みました。
新垣氏によると、そもそも佐村河内守氏は障害者と「偽装」し、
作曲家としてそもそも楽譜を書く能力がないことを指摘しています。
すなわち、「作曲家」とかその他のことも、イメージ作りにすぎない、
「偽装」だった、というわけですか・・・
もはや、民事訴訟だけでは済まない事態に発展するのかもしれませんね。
彼をここまで有名にした、NHKの報道も実に問題です。
(おすすめ記事)※水谷潔牧師のブログ
弱者偽装、弱者利用、弱者冒涜としての佐村河内問題
(ブログ名:命と性の日記~日々是命、日々是性)
【佐村河内さん代作会見詳報】(1)「私は、佐村河内さんの共犯者です」
(全8本)
※興味のある方は最初の記事からたどれば最終記事まで読めます。

2014年2月 4日 (火)

書評:谷岡一郎著『「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ』 (文春新書) 〜人間、この騙され易き者・・・

本来は社会学というおカタイ分野の本なのですが、
オモシロイので、つい一気に読んでしまいました。
谷岡一郎著『「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ』 (文春新書) です。
新聞やテレビなどで報道される社会調査の過半数は「ゴミ」だ、と著者は断言します。
本書で取り上げられる統計ネタは1990年代までのものがほとんどですが、
ネタは変われども新聞社・マスコミ・官公庁や学者、
一部の社会運動グループのあざといやり方は全然変わっていないのだと、
呆れ返ってしまいました。
人間、この騙され易き者・・・


「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ


各種世論調査、性体験・セクハラの数、反戦平和活動、
米軍基地の移設問題・・・
いろいろな統計やアンケートが発表・報道されますが、
本当に世論を反映したものといえるのかが根本的に問われています。
実のところ、「初めに結論ありき」ではないでしょうか?
結論に合うデータをうまく誘導(場合によっては捏造?)しているだけ・・・
本書では、出てきた統計の根拠をとことん追求し、
実は「ゴミ」(本来無意味な・作為的なデータ)に過ぎないことを論証します。
大新聞社の調査を「ゴミ!」と一刀両断する爽快さ!
一方で、いかに私自身、これらの本来は根拠が無い統計数字に踊らされていたか、
恥ずかしい限りでした・・・

たぶん私も、東日本大震災と福島の原発事故がなければ、
新聞やテレビから垂れ流される情報を鵜呑みにしていたままだったと思います。
しかし、マスコミは実は「マスゴミ」でしかなく、
受け取る我々が情報をきちんと精査する必要があることを痛感しました。
だからこそ、今回読んだ『「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ』 のような本のスゴさが、
ようやくわかるようになった次第です。
著者が第5章「リサーチ・リテラシーのすすめ」で述べているように、
できるだけ多くの人が、ぜひ本書を手にとって、
マスゴミや政治団体の、
根拠が乏しい数字に踊らされないようになってほしいと願います。
統計数字の根拠を疑え!

2014年2月 2日 (日)

文語訳 新約聖書 詩篇付 (岩波文庫)手に入れました!

先日、Amazonで適当にいろいろな本を検索していると、
「この商品を買った人はこんな商品も買っています」というところに、
文語訳 新約聖書 詩篇付 (岩波文庫)』というのがあって、驚きました。
???w(゚o゚)w
さっそくクリックしてみると、
なんと発行は2014年1月17日でした。
思わず衝動買いしてしまいました(ただし、Amazonではないところですが・・・)。
注文して数日で届きました。


文語訳 新約聖書 詩篇付 (岩波文庫)


文語訳の聖書は、新約聖書だけなら何度も読んだことがあります。
(文語訳の旧約聖書の方は・・・まだ全部の通読をしたことはありません。)

岩波文庫版の『文語訳 新約聖書 詩篇付』と、
日本聖書協会の『新約聖書 詩篇附 - 文語訳 』では大きく違うところがあります。
岩波書店のHPから引用します。
(引用)
なお、本書に収録するにあたっては、漢字は新字体に改め、仮名づかいは歴史的仮名づかいのままとし、振り仮名・送り仮名については、原則として底本にしたがいました。但し、底本にみられる変体仮名や踊り字は採用しませんでした。また、句読点の位置は原則として底本に拠っていますが、諸本と校合したうえ訂正した箇所もあります。
(引用終)

(参考)小型新約聖書 詩篇附 - 文語訳(日本聖書協会)


(参考)旧新約聖書 文語訳(日本聖書協会)


たとえば、「國」が「国」へ、「惡」が「悪」になど、
漢字の旧字体に慣れていない者にとっては、大変読みやすいものとなりました。

確か高校生の頃、
岩波文庫でゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』という小説を読みました。
その当時は、戦前の旧字体のままで、読むのに相当苦労した記憶があります。
(今ならネットで検索すればすぐ答えが出てきますけどね・・・)
たとえば「畫」という字。
本文の中でよく出てきますが、「画」の旧字体と推測できたのは、
全3冊を読み終える頃あたりでした。
中身はすばらしいのに、
旧字体が読めないという理由で敬遠してしまうものとなっていました。
(『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』は、
2000年に新しい訳が岩波文庫で出てたのですね・・・
この記事を書くにあたって調べて初めて知りました・・・)


(参考)ヴィルヘルム・マイスターの修行時代(上)

※全3冊


岩波文庫版の『文語訳 新約聖書 詩篇付』の話に戻ります。
手元にある日本聖書協会の『旧新約聖書―文語訳』と読み比べてみると、
なるほど、旧字体にとらわれずに
(『「悪」の旧字体は「惡」なんだ、へぇ〜』みたいな・・・)、
すっきりと本文を読むことができます。
もちろん、総ルビですから読みやすい。
(新共同訳や新改訳よりも、格調高く、リズム感があります。
声に出して読みたくなりますね。)
ただ、日本聖書協会のと比較して読むと、
岩波文庫版では部分的に旧字体(?)が残っていたり
(例:「鴿」(はと)マタイ3:16 P.14)、
「なんぢ」(汝)が日本聖書協会のと違う箇所で平仮名だったりします。
(例:マタイ4:3
日本聖書協会版
試むる者きたりて言ふ『もし神の子ならば、命じて此等の石をパンとらしめよ』
岩波文庫版
試むる者きたりて言ふ『なんぢ若し神の子ならば、命じて此等の石をパンとらしめよ』
その辺の基準はどのようになっているのでしょうか?
(岩波文庫版の底本が、日本聖書協会版ではなく、
『改訳 新約聖書』(米国聖書会社、1917年)だからなのでしょうか?)

細かい点はともかく、もはや日本の古典となった「文語訳聖書」を、
新字体で読めるというのはうれしい限りです。
まだ読み始めたばかりですので、
じっくりと時間をかけて通読していこうと思っています。
巻末には文庫本らしく、聖書翻訳の経緯なども書かれています。
(こちらは一回読めば十分ですが・・・)

2014年2月 1日 (土)

2014年1月のページビュー(PV)数ベスト10記事一覧&祝!記事数1500本目

このブログも今回の記事で通算1500本目となります。
神様の恵みと皆様のご愛読に感謝!

さて、2014年1月のページビュー(PV)数ベスト10記事は以下のとおりです:
(※トップページを除く)
ベスト3までは記事リンクをつけています。

一位.ウコンは肝臓に悪い?~NHK・ためしてガッテン「肝臓の健康を守れSP」
(2011年6月29日放送)

二位.NHK・クローズアップ現代「“親子”になりたいのに・・・
~里親・養子縁組の壁~」と、
日テレ系ドラマ「明日、ママがいない」第1話(ともに2014年1月15日放送)

三位.公立学校で習熟度別授業の導入はプラスか、マイナスか?
~読売新聞北海道版・連載「学力危機」第1部・札幌の格差 (10)を読んで

四位.世は脱・教会化へ向かうのか?〜読売新聞・特集記事
『「伏流 宗教と世界」<3>
欧州 キリスト教会離れ…ドイツ ジムで「ネット礼拝」』
(2014年1月5日記事)を読んで

五位.NHK・クローズアップ現代「16歳 不屈の少女  ~マララ・ユスフザイさん~」
(2014年1月8日放送)〜教育こそ世界を変える力!〜

六位.「学び合い学習」は日本の義務教育崩壊を招く!
~おすすめ記事『【解答乱麻】 TOSS代表・向山洋一 亡国の教育「学び合い学習」』
(MSN産経ニュース2012年11月24日掲載)

七位.トマム旅行記2014冬(1)〜スキー&ホテル編〜
八位.NHKBS1・島耕作のアジア立志伝・選
「“究極のサービス”が客を呼ぶ~張勇~」(2014年1月8日再放送)
〜従業員を大切にすることが、結局企業力を上げるのでは?

九位.トマム旅行記2014冬(2)〜アイスビレッジ&その他編〜
十位.『赤毛のアン』(Anne of Green Gables)再読〜松本侑子訳で

先月はテレビネタ、教育ネタが読まれていました。
ところで「明日、ママがいない」というドラマ、
ついに「来週、スポンサーがいない」という現実になってしまいましたね。
子どもへの害悪が大きい番組はスポンサーからもそっぽを向かれる、
といういい例を作ったと思います。

今月もご愛読よろしくお願いします。

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