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2014年1月28日 (火)

「教会内コミュニケーション入門講座」の必要性〜知らず知らず、人を傷つけないためにも・・・

知らずに犯した過ち、隠れた罪から
どうかわたしを清めてください。

(旧約聖書詩篇19:3新共同訳)
軽率なひと言が剣のように刺すこともある。知恵ある人の舌は癒す。
(旧約聖書箴言12:18新共同訳)

世間では、「何の仕事をしているの?」、「どこの大学?」、「独身?」
「お子さんは何人?」・・・といったのは、素朴かつ重要な質問です。
質問をする側におそらく悪意や敵意はないのでしょう。
しかし、キリスト教会内において、
果たしてこのような質問をぶつける必要があるのでしょうか?
知らずに人を傷つけていないでしょうか?

以前、水谷潔牧師のブログで、こんな記事を読んだことがあります。
(引用)
「教会内・作り笑顔」を考える

作り笑顔といえば、昔こんな歌詞の演歌がありました。

「人に聞かれりゃ おまえのことを 歳の離れた妹と 作り笑顔で答える私」

短い歌詞の中に一人の女性の人生が凝縮されている見事な詞です。まさに演歌の真髄であります。この女性「人に聞かれれば、作り笑いで応えざるを得ない」現実を生きているのです。

私自身も働きの中で10代のシングルマザーに出会うこともしばしば。とても単に「演歌にありがちな歌詞」と受け止められません。むしろ、具体的に何名かの顔が浮かんできます。「人に聞かれりゃ」とあるように尋ねる人に特別悪意はありません。しかし、「作り笑顔で答え」ざるを得ない程、問われた方は、大変なのです。

 教会の交わりにも、「悪意なき語りかけ」と「作り笑顔の応答」はなきにしもあらず。いわば、「教会内作り笑い」とは以下のとおり。

「結婚のため祈っているよ」と言われ、作り笑顔で応える30代独身クリスチャン女性
「ご主人のため祈っているよ」と言われ、作り笑顔で応える未信者の夫を持つクリスチャン妻。
「あなたがオムツをしている頃から・・・大きくなってー、祈っているわよ」と言われ、作り笑顔で応えるクリスチャンホーム育ちの青年男性・・・。

(中略)
「お父さんは?」と問われ、作り笑顔で応える母子家庭の子ども。
「高校生?」と問われ、作り笑顔で応える不登校の子ども。
「学生?社会人?」と問われ、作り笑顔で応えるひきこもりの青年。
「お子さんは?」と問われ、作り笑顔で応える不妊のご夫妻。

 配慮しすぎると、交わり自体に臆病になってしまうでしょう。人を傷つけることを恐れるあまり交わりにおいて萎縮してはならないでしょう。しかし、ちょっとした配慮で、「教会内作り笑顔」を回避することは可能かと思うのです。

教会の交わりはすべての人が招かれており、多様な人々が教会に集っているのは当然のことです。それにもかかわらず、学校へ行き、社会で働き、結婚し、子どもが与えられたクリスチャンたちは「すべての人が学校へ行き、社会で働き、結婚し、子どもが与えられ生きているわけではない」という当然の前提を、何と見失いがちで、その結果、「教会内作り笑顔」を生み出していることでしょう。

「知性を尽くして愛する」の具体的行動とは、現実の教会の交わりにあっては、相手の境遇、心情を想像する知的作業を伴って、励ましの言葉をかけることなのでしょう。
(引用終)

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。

(新約聖書マタイによる福音書11:28新共同訳)
よく教会の門・入口のところに、この御言葉が掲示されているところがありますね。
たくさんの心の重荷を降ろそうと、せっかく教会を訪れたのに、
別の重荷を背負わされてしまうことがよくあります。
それも、悪意ではなく、無邪気な、子どもじみた質問によって・・・
(往々、善意からの場合も多いです。)

私は教会生活を通して、結構大きな会社の社長や、
大学教授、病院長、幼稚園園長といった人とも親しくしました。
一方、その日暮らしに近いような職業や、
引きこもり傾向の青年とも親しくしました。
私にとっては、付き合ってみたらたまたま、
そういう肩書・経歴の人だった、ということにすぎません。
教会において、大切なのは、社会的地位・名誉・肩書でしょうか?
大事なのは、神様・イエス様を求める心です。

私が教会での会話(特に初対面の時)で気をつけているのは、
その人の職業を訊かないことです。
相手が自ら自己開示してきた場合は別ですが。
(そもそも教会に来るのに、職業で「立入禁止」があるのですか?
自衛隊員やヤ◯ザ、ニートは教会に来ていけないのですか?)

女性の場合であれば、独身・既婚とか、子どもがいるかとかも該当します。
女性同士で、子どもがいる共働きの女性が、
子どものいない専業主婦に向かって、
「お子さんはまだ?」とか「働かないの?」と、
無邪気に質問している場合がありますが、
これも「軽率なひと言が剣のように刺すこともある。」(箴言12:18)
ものとなってしまうこともあります。
(無意識的な優越感があるのかもしれませんね・・・)

では、教会内のコミュニケーションを円滑化するには、
どのようにすればいいのでしょうか?
私は「教会内コミュニケーション入門講座」のようなものが必要では?
と考えています。
せっかく教会の門を叩いてきても、
教会員の心ない一言で躓いていまうことが多いからです。
また、教会員同士でも、ぶしつけな質問が心を傷つけてしまうからです。

教会には何のために来るのでしょうか。
もちろん第一には礼拝・ミサのために来るわけです。
(聖書研究会・祈祷会なども含まれます。)
第二は、人との交わりを楽しむ・深めるためです。
しかし一方、教会でのおしゃべりが単なる雑談やゴシップ、
ひどい場合には悪口のオンパレードに終わる場合もあります。

わたしが書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、みだらな者、強欲な者、偶像を礼拝する者、人を悪く言う者、酒におぼれる者、人の物を奪う者がいれば、つきあうな、そのような人とは一緒に食事もするな、ということだったのです。
(新約聖書コリントの信徒への手紙Ⅰ5:11新共同訳)
こんなコミュニケーションではなく、
もっと互いの愛と信仰を深め、高めるようなコミュニケーションこそ、
教会には必要なのです。

では具体的にはどのようなものが望ましいのでしょうか?
私は聖霊派のプロテスタント教会ばかりではなく、
聖公会やカトリック教会でも広まっている、
アルファ・コース」が一つのモデルにした、相互の受け入れあいが望ましい、と考えます。
※私自身、アルファ・コースに深く関わっています。
(「アルファ・コース」について詳しくは、ぜひ上記サイトで!
あるいはFacebookで。→https://www.facebook.com/alphacourseinjapan
・プロテスタント教会でのアルファの例
日本キリスト教団九段教会
・カトリック教会でのアルファの例
カトリック雪ノ下教会

知らず知らず、人を傷つける幼稚で世間的な会話から、
愛と配慮に満ちた会話へ・・・
知恵ある人の舌は癒す。 」(箴言12:18)

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