「学び合い学習」は日本の義務教育崩壊を招く!~おすすめ記事『【解答乱麻】 TOSS代表・向山洋一 亡国の教育「学び合い学習」』(MSN産経ニュース2012年11月24日掲載)
【解答乱麻】TOSS代表・向山洋一 亡国の教育「学び合い学習」
という記事を読みました。
2012年11月24日付のMSN産経ニュース掲載のものです。
「学び合い学習」とは、ここ最近、教育現場で実践されている教育法の一つで、
学校ぐるみ、地域一体で取り組むところも現れている、
いわば教育法のトレンドです。
しかしこの記事では、見事なまでにこの教育法の問題点を指摘されています。
学力向上・教師の指導力向上を積極的に推進しているTOSSの代表、
向山洋一氏から、
「子供の学力に責任を持たない亡国の指導法」、
「このまま放置すると、日本の義務教育は崩壊する。」とまで断罪される、
「学び合い学習」とは、一体どんなものか、ご存じですか?
「学び合い学習」は、今年の2月、NHKEテレでも大きく取り上げられました。
この教育法を推進する元東京大学教育学部教授・佐藤学氏も出演していました。
その時の番組を観た感想と疑問点については、
既に記事にしましたので、よろしければご覧ください。
⇒「学びあい」という美名の下の教育の堕落~NHKEテレ・ETV特集「輝け二十八の瞳 ~学び合い 支えあう教室~」(2012年2月5日放送)
(2012年11月現在、「学び合い」で検索すると、
たいていトップ10に入る記事となっています。)
「学び合い学習」とは、早い話が、教師が教えるのを半ば放棄して、
子どもたち同士で教え合う、というものです。
TOSS代表、向山洋一氏は「学び合い教育」に対して次のように述べています。
(引用)
ところで、今、日本にとんでもない指導法が広がっている。子供の学力に責任を持たない亡国の指導法である。「学び合い学習」という。
子供に問題を出し、子供の話し合いに丸投げする教育法だ。
教師には楽な指導法だ。何もしなくても良い。
塾などで習っている子供が、やり方を説明して話し合いが進む。
教師の指導はない。子供に丸投げだ。これを推進するのは、元東大教授だ。教師は楽なので、取り入れる。
(中略)
習い事で考えてみよう。
ピアノ、野球、書道、ソロバン、運転、踊り、何でもいい。
生徒に話し合いという丸投げをして、上達することはあるだろうか。
第1に、レベルが低くなる。
第2に、できない子が続出する。
第3に、発達障害の子が、スポイルされる。テレビでは、教師が怒鳴りつけていた。
第4に、知的水準が高い子を導けない。レベルの低い授業のままだ。
この指導法が広がれば、日本は崩壊していく。
(引用終)
「学び合い学習」は、わかる子・できる子が、
わからない子・できない子に教えて、成立します。
これは算数の問題解決型授業でも言えることですが、
子どもの説明というのは、概してすっきりせず、わかりづらいものです。
訓練によって、
ある程度までは立派なプレゼンテーションができるようになるとは思いますが、
そのために、発達障害を抱える子や低学力の子が「練習台」(踏み台)となるという、
「犠牲」を強いられるわけです。
また、高学力の子も、本来教師が担うべき「教える」という仕事を強いられますので、
思うように学力が定着しない、ということにもなりかねません。
行きつく先は、いわば「共倒れ」でしょう。
そもそも、子どもの説明でわかる程度なら、
教師の仕事なんて、最初から必要性がない、ということになりませんか?
教育大学も必要ないことになるでしょう。
「学び合い学習」が効果的で、学力向上も図ることができる、というなら、
教師は廃業すべきでしょう。
しかし、実際にはそうなっていないようです。
根拠のない「輝く瞳」とか「子供がいきいきとしている」といった、
極めて主観的なデータしかないのではないでしょうか?
算数の例でいえば、
わかりやすく説明する訓練をするのは、本来、国語科でやるべきことです。
しかし実際には、
国語科ではあいかわらず「道徳」まがいの感傷的な授業が行われていますね。
算数では、1問に1時間かけて解く「算数の問題解決型授業」が頻繁に行われ、
低学力の子を増産中です・・・
(授業で子どもたちによる間違った説明で迷わせて、
挙句の果てに「予習はダメ!」とし、結局そのツケは塾に回す、
税金泥棒のような教え方です!)
具体例は以前記事に書きましたので、よろしければお読みください。
⇒算数の問題解決型学習~学力「崩壊」の決め手
「学び合い学習」は、「問題解決型授業」の変形版に過ぎず、
基礎基本を教えるべき小学校には合わない指導法です。
大学の研究でやっていればいいぐらいのシロモノといえます。
「学び合い教育」は、
市民感覚と教育現場の感覚がいかにずれているかを浮き彫りにしています。
向山洋一氏はそろばんなどの習い事を例に挙げて、
平易に問題点の数々を列挙しています。
授業として考えても、説明に時間がかかりすぎるから、
結局、練習問題をこなす時間がなくなるのは目に見えます。
宿題として丸投げするのがオチでしょう。
「みんな(結果は)平等」という悪平等を打ち破るのが、教師の責務ではないでしょうか?
(共産主義に洗脳されているなら別でしょうけど・・・)
結局、みんな平等とみせかけた、一種のエリート教育なのかもしれません。
(みんな平等のはずの共産主義国に、超エリート特権階級がいるように・・・)
学び合い学習について批判的にもっと知りたい、問題点を追及したい方は、
以下の記事が便利です。
⇒「学びの共同体」という魔物
(文責 別府教育史料館 安部浩之)
※学び合い学習の思想的原点を見事にとらえ、問題の本質をつかんでいます。
⇒「学び合い」教育の諸問題(1) ― 上越教育大学・西川純とのやりとりを通じて思ったこと 2011年02月17日
⇒「学び合い」教育の諸問題(2) ― 上越教育大学・西川純とのやりとりを通じて思ったこと 2011年02月18日
⇒「学び合い」教育の諸問題(3) ― 上越教育大学・西川純とのやりとりを通じて思ったこと 2011年02月22日
(ブログ名:芦田の毎日)
※多面的に「学び合い学習」の問題点を分析しています。
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