紀伊国屋書店の教育書コーナーでふと立ち読みして、
即「これ、面白そう!」と思い、買ってしまいました。
有元 秀文著『まともな日本語を教えない勘違いだらけの国語教育』(合同出版)です。
まともな日本語を教えない勘違いだらけの国語教育
著者の経歴を楽天ブックスの本の紹介ページから引用します。
(引用)
1971年、早稲田大学教育学部卒業後、都立新宿高等学校教諭を務め、文化庁文化部国語課国語調査官を経て国立教育政策研究所へ。総括研究官として21年間日本の国語教育、読書教育の研究に従事。2012年3月退官、日本ブッククラブ協会を立ち上げる。本をたくさん読んで書いてディスカッションするブッククラブ・メソッドの開発と普及に力を注いでいる
(引用終)
「まえがきと目次」は著者のブログページに掲載されていますので、
ぜひお読みください。(本文P2~10)
一部だけ引用します。
(引用)
日本の国語教育の問題点は次の通りである。
1.超遅読でばかばかしく授業の進み方が遅い。
2.気持ちが悪くなるくらい気持ちばかり聞く。
3.教科書を絶対崇拝しかけらも批判させない。
4.差別や時代錯誤が多い物語文、まったく読書意欲を起こさなく論理的に支離滅裂の説明文に満ちた国語教科書。
5.ほかの教科の学習にまったく役立たない。
6.もちろん社会に出てからもまったく役立たない。
7.子供の嫌いな教科のナンバーワンで教師がやりにくい教科のナンバーワンである。
こんな効率の悪い国語の授業をやっているのは私の知る限り世界中で日本だけである。
しかし、こんなことはみんな気づいていることである。気づかない人や変えようと思わない人は放っておこう。争うのは時間の無駄である。
少しでもおかしいと思い、変えようと思う人は、私の再建策を読んでいただきたい。私ほど全国や世界の教育関係者にふれ、内外の文献を読んだ人間も少ないと自負するが所詮傍観者である。組織の内部に深く入り込んだのは局部だけである。間違いがあれば、日本のどこかでお会いしたときにご批判ご助言いただくことを楽しみにしている。
結論を申し上げる。日本人ぐらい国語教育に時間とエネルギーを注いでいる国民はいない。しかもその効果は最悪である。しかし教師たちが学び方を変えれば日本の国語教育は世界最高になるだろう。なぜなら教師たちは間違った方向に時間とエネルギーを費やしているからである。間違った教師教育がかれらの潜在能力に蓋をしているからである。
(引用終)
とにかく、痛快なほど(現場教師には耳が痛くなるほど)、
国語教育の問題点をメッタ斬りにしています。
著者は現在の国語科教育ではディスカッション能力が育たないことを、
一番の問題点としています。
意見をただだらだらと述べるだけで、批判が生まれない・・・
そういう国語教育を「役に立たない」と断じています。
教科書の題材の古さや前時代性、変な道徳的性格を帯びていることも指摘しています。
再び、著者のブログページから、本の第1章~第3章の見出しを引用します。
(引用)
第1章 どこが役に立たないか
文章を読んで正確に理解できるようにならない
論理的な文章が書けるようにならない
スピーチやディスカッションができるようにならない
国語や本が好きにならない
クリティカルリーディングができるようにならない
課題を解決できるようにならない
ほかの教科の役に立たない
会社や社会に出て必要な国語の力がつかない
第2章 なぜ役に立たないか
<言葉の技術を教えないから>
正確に読む技術を教えない
論理的に書いたり話したりする技術を教えない
ディスカッションして課題を解決する技術を教えない
<授業のやり方がおかしいから>
だらだらと気持ちばかり聞いて感想ばかり言わせている
教師の考えを押しつけ、個性的で創造的で多様な意見を認めない
クリティカル・シンキングを教えず、意見を対立させず、課題を解決させない
自分の問題として考えさせない
第3章 役に立たない教科書教材
何も教えないで気持ちばかり聞く文学教材
センチメンタルで絶対に平和を築かない戦争教材
差別を押し付ける人権無視の教材
男ばかり出てくる女性蔑視の教材
退屈で国語を嫌いにさせる説明文教材
論理的でない支離滅裂な構成の説明文
科学的な文章なのに道徳を押しつける教材
(引用終)
あるある!
第3章では、『ちいちゃんのかげおくり』や『一つの花』といった戦争文学の定番を取り上げ、
戦争の被害者意識を強調したセンチメンタルな文章で、
教科書に載せる必要があるのかを問います。
(反対に、社会科教科書では、加害者意識を強調しすぎる自虐史観になっていますね。)
また、説明文に隠された道徳的メッセージを取り上げ、
その論理性を批判しています。
国語は文字や文法、文章技術を教えるものであって、「道徳」を教えるものではないはずです。
「道徳」は別にあるのですから・・・
では、あるべき国語教育とは?ということで、第4章では、
著者の主張である、「ブッククラブメソッド」を展開します。
「ブッククラブメソッド」については、この本や著者の他の本を読んでいただくか、
「NPO法人日本ブッククラブ協会」のHPをご覧ください。
第5章、第6章では、現状改革として、
先ほどのべたセンチメンタルな「戦争文学」や、
支離滅裂でつまらない説明文を一掃することを述べ、
あわせて、教員養成の抜本的改革、学校の組織改革、
文部科学省の権限縮小などにも触れています。
特に中学の教員にとって痛快(こうあってほしい!)と願うのは、
第6章の「5 段階的に部活動を短縮していく」(P.123~126)ではないでしょうか。
(引用)
「(中略)生活指導の道具に使うというなら、部活動は全廃すべきだ。なぜなら学校は部活動をする場所ではない。学ぶところだ。教師の側の弊害が大きすぎる。」
(P.125から引用)
言いたいけどなかなか言えない「真実」ですね・・・
著者は全国学力テストの問題点(PISA型を意識している、といいつつ、
しだいにPISA型からかけ離れていく出題傾向・・・)も指摘し、
同時に、PISAテストで「学力が上がった、下がった」
と一喜一憂するのにも疑問を呈しています。
PISAの問題作成委員をやった人だからこその言葉の重みがあります。
私は著者の意見に全面同意したわけではありませんが、
(たとえば脱ジェンダー的思考とか・・・)
国語教育・教育界の構造にメスを入れた本書の意見の大部分に賛同します。
国語教育の「勘違い」は、学力低下だけにとどまらず、
国の進路を誤らせるものでもあります。
批判を許さない構造だからこそ、戦前の軍部の暴走を許し、
原発推進が行われ、
あげくの果てに福島の原発事故と報道の自主規制に至りました。
批判精神やディスカッション・ディベートができる国民を増やすことが、
21世紀の日本の活路ではないでしょうか?
本書は国語教育を通しての現状打破のヒントを示唆しています。
最近のコメント