本当のキリストの妻とは?~パピルス断片よりも確かな証拠である聖書
「イエス・キリストに妻?=記述の古文書見つかる」というニュースを読みました。
このニュース、一番先に読んだのはYahoo!ニュース(2012年9月19日)においてでしたが、
今朝(2012年9月20日)のNHKの朝のニュースでも少し取り上げられていましたし、
同日の夕刊にも掲載されていました。
ニュース本文から引用しましょう。
(引用)
この古文書はコプト語で書かれたパピルスの断片で、名刺大の大きさ。4世紀につくられたものとみられる。「イエスは彼らに言った。私の妻は」という字句が読み取れ、「彼女は私の弟子になることができよう」と書かれた部分もあった。
イエスが自身の妻に言及したとする古文書が見つかったのは初めて。
発表した同大学院のカレン・キング教授は「伝統的キリスト教は、イエスは結婚していなかったという立場だが、立証されていたわけではない」と指摘する一方、イエスが妻帯者だったことを証明するものでもないと慎重な態度を示している。
(引用終)
このニュースを読んで、たぶんいろいろな感想があると思います。
・「『ダ・ヴィンチ・コード』は正しかったんだ!」(陰謀論好きな人?)
・「イエス様に妻がいるなんてナンセンス。パピルスも捏造されたものでは?
あるいは、異端が書いたに違いない」
・「キリストに妻がいたっておかしくはないし、どこがいけないの?」
これは私の予想した、クリスチャンを含む一般の人が思う感想です。
映画「ダ・ヴィンチ・コード」
原作本上巻(中・下巻あり)
「にほんブログ村」の「キリスト教」カテゴリを見ると、
何人かの方(たぶんクリスチャンの方)が既に記事を書いています。
たとえば・・・
「イエス・キリストに妻が。。。」という記事(ブログ名:神様へのメール)では、
(引用)
以前、イエスは結婚していたかという内容の記事を書いたことがあります。僕は、結婚していたと思っています。
あの時代。結婚していない大人が、愛だの、結婚だのを論じて、人々がついていくとは思えないからです。夫や妻のあるべき姿を完璧に説いてみせたイエスは、結婚していたに違いないと信じます。今回、見つかった文書の信頼性はともかくとしても、キリストが結婚していたかどうかという議論が再燃することは、それ自体よいことだと思います。これまで、タブー視されてきたことですが、イエスはよき夫であったことに間違いないと思います。
(引用終)
というように、イエス・キリストが結婚していたことに肯定的な意見を述べています。
一方、「キリストの発言?!「私の妻が…」について」
(ブログ名:ともだちだよブログ)という記事では、
(引用)
「私の妻が…」っていう発言はそんなに意味のあることなのだろうか。僕だってまだ結婚してないけど「うちのワイフが。。。」 と言ってアメリカンジョークをかましたことくらいある。だけど、僕には実際ワイフはいない。だってジョークだから。きっと、イエスもガリラヤンジョークを言ってたんだと思います。想像だけど
(引用終)
と、一種のジョークだったのでは、と考えています。
この説はユニークで、「なるほど~」と思わされました。
さて、私の意見を述べます。
ニュースでは、このパピルスは4世紀につくられたもの、と報じられています。
イエス様の死と復活から何百年も経ってからのものですね。
そういう断片がたった一つ、しかもコプト語で書かれたものに、
どれだけの価値があるのでしょうか?
何らかの異端思想グループが書いたのか、書き間違えか、
あるいは、現在でもスペインに「Jesus」(ヘスス)さんがいるように、
「イエス」という名の別人なのかもしれません。
ニュースの中で発見者が述べているように、この断片だけで、
「イエスは妻帯していた」という証拠には不十分です。
まして、『ダ・ヴィンチ・コード』という、
壮大な「娯楽小説」が主張しているような事柄は立証できません。
新約聖書の記述は、今回見つかったパピルス断片より遥かに古く、
また、写本がたくさんあります。
そして、新約聖書では、弟子達の失敗を包み隠さず書いています。
(旧約聖書では、もっともっと人間の失敗が書かれていますね・・・)
その新約聖書が、「イエスは結婚していた」と書いていないなら、
「結婚していなかった」と考える方が妥当です。
また、カトリック教会が主張している、初代教皇の使徒ペトロは、
聖書には明らかに妻帯者であると書かれています。
(同じ使徒の聖パウロが、「コリントの信徒への手紙Ⅰ」で言及しています。)
「わたしたちには、他の使徒たちや主の兄弟たちやケファのように、
信者である妻を連れて歩く権利がないのですか。」
(新約聖書コリントの信徒への手紙Ⅰ9:5新共同訳)
妻帯者である、ということは別に隠すような情報ではなかった、と考えるのが妥当です。
それなら、イエス様がもし結婚されていたなら、
どこか一箇所ぐらいに記述があってもおかしくありませんが、
残念ながら、該当箇所はありません。
よって、従来どおり、「イエス様は独身だった」という見解を支持します。
一方、仮に、イエス様は結婚されていた、と考えるのは、
あたかも信仰対象が覆されるような「発見」になるのでしょうか?
結婚を汚れたものである、と観る禁欲思想は、
新プラトン主義などのギリシャ思想からいつのまにかキリスト教に流入し、
司祭の独身制や、聖母マリアに関するさまざまな変な教義などに発展しました。
(ハリストス正教会では、司祭は独身か妻帯を選べるそうです。)
もともとのユダヤ思想には、「独身が尊い」というのはなく、
「神は御自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。男と女に創造された。」
(旧約聖書創世記1:27新共同訳)とあるように、
神の秩序として、男が妻を持つことを自然なこととしていました。
「言(ことば=ロゴス⇒キリスト)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。
わたしたちはその栄光を見た。
それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」
(新約聖書ヨハネによる福音書1:14新共同訳)
神が人となってくださり、有限性を背負ってくださった、というのが、
私たちの信仰です。
ヨハネ福音書では、疲れて休もうとされるイエス様など、実に人間的な姿も描かれています。
人間として生きる以上、食べることや排泄やら、性欲などもあったはずです。
そういう事柄は事細かに聖書には書かれていませんけど・・・
「この大祭司(=イエス・キリスト)は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、
罪を犯されなかったが、あらゆる点において、
わたしたちと同様に試練に遭われたのです。」
ですから、イエス様の時代のユダヤ的発想からすれば、
妻帯しているのは特に問題になるようなことではありません。
別の宗教でいえば、お釈迦様や預言者ムハンマドも妻帯者でしたね。
これらの宗教で、妻帯していたことはマイナスになりません。
(ちょっと脱線しますが、聖母マリアは、結婚して出産していても一生処女だった、
という某教会の考え方はいかがなものでしょうか?)
地上におけるイエス様に、実際に妻がいたかどうかは、わかりません。
一方、聖書から言えることは、
「キリストは必ず結婚する、いや、既に結婚している」ということです。
「えっ、誰と?例の『マグダラのマリア』?」
違います。
キリストの「妻(花嫁)」とは、「教会(神の民)」です。
「ハレルヤ、
全能者であり、
わたしたちの神である主が王となられた。
わたしたちは喜び、大いに喜び、神の栄光をたたえよう。
小羊の婚礼の日が来て、花嫁は用意を整えた。
花嫁は、輝く清い麻の衣を着せられた。
この麻の衣とは、
聖なる者たちの正しい行いである。」
それから天使はわたしに、
「書き記せ。小羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ」と言い、
また、「これは、神の真実の言葉である」とも言った。」
(新約聖書ヨハネの黙示録19:6~9新共同訳)
これは「終末」のヴィジョン、究極の結婚ですね。
キリスト教式結婚式で読まれる聖書箇所のところには、
「夫たちよ、キリストが教会を愛し、
教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。」
(新約聖書エフェソの信徒への手紙5:25新共同訳)
とあります。
夫が妻を愛する⇒キリストが教会を愛する、というメタファー(隠喩)になっているわけです。
つまり、キリストの妻(花嫁)とは、集合体としてのキリスト教会・神の民なのです。
(法的な結婚をしない神父や修道者も、「神と結婚した」とか、
「教会と結婚した」などとよく言います。
人は、いろいろな意味で、交わりに召されているのです。)
だから、「キリストは結婚していたってのは本当か?」ともし誰かから質問されたなら、
「キリストは今も結婚していますよ。
私たちクリスチャンとです!」と答えるのが、一番いい解答ですね!
わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。
神は愛です。
愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。
(新約聖書ヨハネの手紙Ⅰ4:16新共同訳)
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