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2012年9月の19件の記事

2012年9月30日 (日)

NHKBSプレミアム・特選 オーケストラ・ライブ「-東日本大震災復興祈念~仙台フィル・山響合同演奏会-」(2012年9月30日放送)

日曜朝のお楽しみ、NHKBSプレミアムの「特選オーケストラ・ライブ」。
2012年9月30日放送は、「東日本大震災復興祈念~仙台フィル・山響合同演奏会」と題した、
マーラーの交響曲第2番「復活」でした。
収録は2012年7月20日、東京エレクトロンホール宮城です。
NHK番組表 放送中にも観ていましたが、同時に録画していたので、
後から本格的に観ました。
特に第5楽章の最終部分の5~6分は、今日一日だけで7~8回観ています。
頭の中に、”zu Gott ”(神のもとへ)のフレーズが鳴り響いていた一日でした。

 

NHK番組表から、出演者等を転載します。
(引用)
(管弦楽)仙台フィルハーモニー管弦楽団、
(管弦楽)山形交響楽団、
(指揮)飯森範親、
(ソプラノ)平井香織、(アルト)加納悦子、
(合唱)山響アマデウスコア、(合唱)仙台宗教音楽合唱団
(引用終)

 

冒頭、大規模なオーケストラ編成を見て驚きました。
さすがにオーケストラ2団体分!
まるで「千人の交響曲」でも演奏するのか、という感じの壮観さでした。
響きがとても充実していました。
休憩時間を抜いたら80数分ぐらいの演奏になるでしょうか?
(楽章間の間や、
途中で合唱団とソリストが入ってくるシーンも含めると、ちょうど90分でした。)

 

私はどちらかというと、マーラーの作品は長いのと複雑すぎるので苦手です。
この「復活」をまともに全部聴いたのは、かなり久しぶりです。
(さすがに全部通して聴くのはシンドイので、
第1楽章、第2・3楽章、第4・5楽章と分けて聴きましたが・・・)

 

聴き所はやはり第4楽章のアルト・ソロと、
第5楽章後半に声楽が入るところでしょう。
O glaube: du wardst nicht umsonst geboren!
Hast nicht umsonst gelebt, gelitten!

おお、信じよ、おまえは空しく生まれたのではない!
空しく生き、苦しんだのではない!
)のところや、
合唱終結部の
Mit Flügeln, die ich mir errungen
Werde ich entschweben.
Sterben werd ich, um zu leben!
Auferstehn, ja auferstehn wirst du,
mein Herz, in einem Nu!
Was du geschlagen,
zu Gott wird es dich tragen!

私が勝ち取った翼で
私は飛び去っていこう!
私は生きるために死のう!
よみがえる、そうだ、おまえはよみがえるだろう、
わが心よ、ただちに!
おまえが鼓動してきたものが
神のもとへとおまえを運んでいくだろう!

(引用はWIKIから)
(※NHKの訳は少し違っていますが・・・)
のところでは、
つい昨年の東日本大震災で亡くなられた方々のことを
思い出さずにはいられず、泣きそうになりました・・・

 

先ほども述べたとおり、「”zu Gott ”(神のもとへ)」のところあたりだけ、
何度も何度も聴きなおしてしまいました・・・
圧巻の演奏といえます。
飯森さんの解釈、というのはあまりはっきりわかりませんでしたが、
「交通整理」的だったからこそ、
かえって曲自体の魅力と威力を引き出せたのかもしれませんね・・・

 

比較するため、家にあるショルティ/シカゴ交響楽団版で、
第5楽章終結部を聴き比べてみました。
こちらの方が全体的に引き締まって圧倒的な演奏でした。
合唱が終ってオーケストラだけでコーダを奏するところでは、
目をつぶると天にまで届く光の柱が、
大天使を伴って上っていくような光景が見えました・・・

 

我が家には、「復活」のCDが3枚ありますが、
ぜひこの曲を聴きたいと思って買ったのは、ショルティ盤です。
(他はバーンスタイン/ニューヨーク・フィル盤と、
クレンペラー/フィルハーモニア管盤で、どちらも廉価盤BOXの1枚です。)
第5楽章冒頭はまるでステージで爆発が起こったのか、と思うぐらいの、
大音響が炸裂しますので、再生するのは要注意ですよ・・・

 

ショルティ
(CD1枚で「復活」全曲が聴けます!)

 

クレンペラー盤(BOX盤。安すぎ!)

 

バーンスタイン盤(旧全集。これも安すぎ!)

 

(参考)
バーンスタイン盤(新全集。これでも安すぎますね・・・)

 

マーラーの「復活」といえば、
ギルバート・キャプランという人が、「復活」専門の指揮者として知られています。
この曲しか指揮しない、というある意味「スゴイ」指揮者ですね。
今回の演奏で使われた楽譜は、キャプランの校訂版だそうです。

 

キャプラン

 

最後に・・・
実際に今回放送されたコンサートに行った人の感想が書かれている
ブログ記事を見つけましたので、紹介します。
マーラー「復活」 交響曲第2番 仙台フィル&山響 飯森範親 7/2 (ブログ名:岩手 北上市のピアノ教室「カンタービレ」 
♪音楽で心と生活に潤いを♪ 北上駅前です。

当日のプログラム・ブックレットの写真が掲載されていますよ。

十五夜と中秋節2012~味に国境はない!?

今日(2012年9月30日)は十五夜であり、中秋節ですね。
全国的に台風17号の影響で、ここ北海道でもお月様は見えませんが・・・

先日横浜の中華街に行った際に買ってきた月餅と、
今日「もりもと」(北海道の千歳市に本社がある菓子店。)で買った
「うさぎまんじゅう」を並べて写真に撮ってみました。
最近日中関係がかなり険悪ですが、「味に国境はない!」
つくづくそう思います。

外箱付
20120930_mid_autumn_festival1

中身を取り出して
20120930_mid_autumn_festival2

ところで、テレビのニュースでは、
中国での暴力的な反日デモの映像がよく出ますね。
しかし、中国の人々がみなそういう人ばかりか、というと、違います。
こんな記事を読みました。
反「反日デモ」を訴えた中国人たちの声
(引用)
焼き打ち、略奪、破壊行為……。日本政府による尖閣国有化を受け、中国全土に広がった“反日暴動”は、日本人の心に深い傷を負わせたことだろう。中国憎しの反中感情をたぎらせている人も多いかもしれない。だが、反日暴動は一部の中国人の所業に過ぎないと断言しておこう。むしろ、体を張って反日暴動を阻止しようとした中国人が数多くいたことを知ってもらいたい。
(引用終)

暴力は憎しみの連鎖を生みます。
仏教の「法句経」には、
実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息(や)む。これは永遠の真理である。」(中村元訳)という言葉があります。
(実はこの言葉、日本にとっては大きな恵みをもたらしています。
第2次世界大戦後、連合国による日本への賠償請求が決められた時、
スリランカは、この言葉をもって、日本への賠償請求権を放棄しました。)
中国での暴力的な反日デモは、国際的に見ても「チャイナ・リスク」を印象付けただけで、
マイナスでしかありません。
一方、中国国内での暴力に対抗して、日本でも暴力を振るうのは、野蛮な愚行です。
日本人として、そんな恥ずかしいことはやめてほしいものです。

領土問題や国際政治のような大きな舞台のことは、
我々庶民の手が届かぬことですが、
少なくとも、味を通してなら、すぐにでも日中友好ができますよ(o^-^o)
(私は中華料理大好きデス!)

2012年9月29日 (土)

吉松隆作品の実演~BS日テレ・読響シンフォニックライブ(2012年9月29日放送)

2012年9月29日早朝放映の「読響シンフォニックライブ」は、
吉松隆作品のスペシャリストとして知られる、
藤岡幸夫指揮によるムソルグスキー展覧会の絵」(ラヴェル編曲)と、
吉松隆の代表作の一つ「朱鷺によせる哀歌」のコンサートでした。
2012年 7月 5日 東京オペラシティコンサートホール にて収録されたものです。

展覧会の絵」はもう少しタメがあったほうがいいな、
と思うところがいくつかありましたが(たとえば「キエフの大門」あたり)、
合格点な演奏だったと思います。

今回の放送で白眉だったのは、
吉松隆の「朱鷺によせる哀歌」の方でした。
この曲、CDでは何度か聴いたことがありますが、実演を観るのは初めてでした。
オーケストラの配置は、上から見ると、
「鳥を見下ろした形を模した両翼配置」となっています。
弦の音が、特殊奏法もあいまって、まるで鳥の声やはばたきのように聴こえます。
目を閉じれば「鳥の楽園」のような世界と、
一抹の物悲しい風景(寡黙なピアノ・パートなど)が目に浮かんで来るようでした。
映像のない映画音楽のような感じの曲調ですね。

吉松隆の作品は、20年近く前から知っています。
「現代音楽」=難解でチンプンカンプン(ケージやシュトックハウゼン、ブーレーズ等)
⇒聴くに値しない音楽⇒クラシック音楽はもう死んだ?
という図式を見事に打ち崩し、
わかりやすく聴きやすい、反アカデミックな作風に、新鮮さを感じたものです。
(クラシック音楽にもまだまだ未来がある!)
吉松隆作品では、「ピアノ協奏曲”メモ・フローラ”」は特にすばらしく、
20世紀後半を代表するピアノ協奏曲の一つでは、と考えています。
(もう一つ挙げるとすれば、マイケル・ナイマンのピアノ協奏曲ですね。)

そういえば、今年(2012年)の大河ドラマの曲は、吉松隆作品でしたね。
私は大河ドラマを観ない方なので、今回初めて聴いてみました。
クラシックからいつの間にかロックになっている感じデスネ・・・


朱鷺によせる哀歌」が収録されている、
「鳥」をテーマにした2枚組CD「鳥たちの時代」です。

吉松隆作品のCDを1枚選べ、と言われたら、
迷わずこれを選びます。
代表作であるピアノ協奏曲「メモ・フローラ」他が収録されているCDです。
Yoshimatsu: Piano Concerto

藤岡幸夫指揮マンチェスター・カメラータ。ピアノは田部京子

吉松隆の代表的な作品としてもう一つ挙げたいのが、
ピアノ曲集「プレイアデス舞曲集」です。
田部京子のピアノが実に美しい・・・

今年(2012年)の大河ドラマのサントラ盤です。

(近年の大河ドラマオープニング曲では、
千住明の「風林火山」が一番勇壮でカッコイイかな・・・
ドラマは観ていないですが・・・)

風林火山(サントラ)


これは余談ですが・・・
2012年の8月から、「読響シンフォニック・ライブ」の司会が、
AKB48のメンバーで現役音大生の松井咲子に変わったのですね・・・
AKB48の人だから、ということに偏見はアリマセンが、
原稿棒読みみたいなのはかなり見苦しいかな~と思いました。
司会として最低限、
しっかりと視聴者やインタビューする人に目線をあわせてほしいと思いました。
(そもそもこの番組の司会、従来どおりの局アナではマズイのでしょうか?
日テレの番組制作姿勢にも疑問を感じます。)

※今回の記事は敬称略としました。

2012年9月27日 (木)

日本テレビ系・「三谷幸喜のコトバの法則」(2012年9月27日放送)~着眼点はいいけれど・・・

今週の日曜日(2012年9月23日)から、私のブログ記事で、
突然アクセス数が増えた記事があります。
2010年末に書いた
日本テレビ系・「三谷幸喜のコトバのソムリエ
~人生を変える魔法の言葉~」(2010年12月28日放送)
」です。
どうして2年前の記事が?と思い、調べてみると、
三谷幸喜さんの司会による単発番組「コトバの法則」というのが放送されることを知りました。

番組HPから、放送内容を転載します。
(引用)
日本が誇るヒットメーカー、脚本家・映画監督の三谷幸喜がクイズ番組の司会に!「コトバ」にまつわる様々なクイズにゲストたちが猛ツッコミ!さてその訳は!?『あいまい劇場』…「すりよる」と「にじりよる」はどう違う?『ワールド慣用Q』…日本では「あとの祭」ドイツでは「肉を食べた後の…?」『コトバの順番』…おっぱい言葉「魔乳」と「豊乳」どっちがデカイ?『あっぱれ切り返し』…ヒラリーの名言に元大統領は?
(引用終)

深夜番組なので、録画して観てみました。
コトバにまつわる様々な切り口とクイズ形式は、
着眼点としてとてもよかったと思いますが・・・
(例えば、日本語の「あとの祭り」は、ドイツ語ではどのような表現になるか?
⇒「肉を食べた後のマスタード」
(※ドイツでは肉にマスタードをつけて食べるのが一般的だから))
ゲストのお笑い芸人がやかましく、内容を薄めていました。
最後は深夜番組らしいお色気路線・・・
「素材」や「調理法」はいいのに、雑な盛り付けで失敗した料理のようでした。
もっと落ち着いた感じに仕上げたらよかったのに・・・と思わずにいられませんでした。

2012年9月26日 (水)

NHK・ろーかる直送便 知るしん。信州を知るテレビ「節目の“サイトウ・キネン”~密着 20周年公演~」(2012年9月26日放送)

長野県の夏のビッグイベントといえば、
私にとっては松本市の「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」です。
毎年NHKで放送される、公演の様子は出来る限り視聴しています。
いつか松本市で実際に聴いてみたいなぁ・・・と思いつつも、
未だ夢は実現していませんが、
今年はちょっとだけ夢に近づきました。
今年(2012年)の8月に、松本市へ旅行しました。
夜、ある飲食店に行くと、
サイトウ・キネン・フェスティバル松本」のスタッフらしき人たちが、
フランス語でしゃべっているのを見かけました。
(⇒旅の詳細は過去記事「松本と安曇野、城とそば巡り~2012年夏の旅(3)」をどうぞ)

それはさておき、今年の「サイトウ・キネン・フェスティバル」のリハーサルや、
過去の経緯、公演の一部などを約30分でまとめた番組、
ろーかる直送便 知るしん。信州を知るテレビ
「節目の“サイトウ・キネン”~密着 20周年公演~
」を録画して視聴しました。
長野県では既に9月7日に放送済みのものを、全国放送したものです。

サイトウ・キネン・フェスティバル松本」の顔というべき小澤征爾さんが、
体調不良による静養のため、今年は指揮しない、という事になりましたね。
20周年の節目に、
小澤さん以外の指揮者がメインとなって活躍する転換点となるのかもしれません。
若手指揮者の山田和樹さんが奮闘して、
劇的オラトリオ(番組では「オペラ」と言ってましたが)「火刑台上のジャンヌ・ダルク」を
成功させるまでを駆け足でまとめていました。
番組の内容としては、時間的に少し物足りなさを覚えましたが、
実際の舞台は、2012年10月1日(9月30日深夜)に、
NHKBSプレミアムでたっぷりと放送予定です。
サイトウ・キネン・フェルティバル松本2012 放送決定!
巨匠カラヤンの娘がジャンヌ・ダルク役を演じているそうです。
楽しみですね~!

ちなみに、先日、山田和樹さん指揮パリ管弦楽団の演奏を、
NHKBSプレミアムでやっていましたので、録画して視聴しました。
チャイコフスキーはイマイチだったかな・・・

小澤征爾さんがボストン交響楽団を指揮して録音した、
火刑台上のジャンヌ・ダルク」のCDです。

オネゲル:火刑台上のジャンヌ・ダルク

我が家にある唯一のサイトウ・キネン・オーケストラのCD、
チャイコフスキー:弦楽セレナード/モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク他」

時折聴きたくなるCDです。ただしモーツァルトでは少し重苦しいかも?

NHKがサイトウ・キネン・フェスティバル松本を映像で残した
20周年の集大成ブルーレイです。
小澤征爾指揮 サイトウ・キネン・オーケストラ 20th Anniversary BOX

サイトウ・キネン・フェスティバル松本の原点である、
1992年の公演のブルーレイです。
(この時のブラームス・交響曲第1番はかなり渋い演奏ですね~)
小澤征爾指揮 サイトウ・キネン・オーケストラ 1992

2012年9月25日 (火)

ソーシャルゲームという麻薬~NHK・クローズアップ現代「ソーシャルゲーム 急成長のかげで」(2012年9月25日放送)

ソーシャルゲームは、ハマるとパチンコ並で、
かなり依存性が高い「麻薬」のようなものなのだ、と改めて実感しました。
2012年9月25日放送のNHK・クローズアップ現代では、
ソーシャルゲーム 急成長のかげで」と題して、
急成長を遂げたソーシャルゲーム産業の問題点を検証していました。

番組HPから、放送内容を転載します。
(引用)
今や1000万人が利用しているといわれる携帯オンラインゲーム“ソーシャルゲーム”。今年5月、“コンプガチャ”と呼ばれるゲーム内の有料のくじを巡って、消費者庁は、高額な請求を受けるトラブルが相次いでいるとして規制に乗り出す方針を明らかにし、事態は沈静化したかにみえた。だが、今も多くの課題が残っている。背景には、利用者に利益をあげるためのゲーム会社の巧みな戦略があり、それが行き過ぎたとしても、規制する枠組みが十分に整備されていないと指摘されている。ゲーム会社も対策に動きはじめた。空前のブームを迎えているソーシャルゲームで何が起きているのか。急成長のかげに横たわる課題を検証する。
(引用終)

番組スタッフのブログによると、
5年前には4億円だった市場規模が、
いまや2800億円にもなり、映画産業をしのぐ規模になっているそうです。
ソーシャルゲーム その舞台裏

番組前半で登場したのは、ソーシャルゲームにハマった会社員男性です。
ゲームのアイテム等に累計150万(だったかな?)費やしているそうです。
例の「ガチャ」のアイテムをGETするために、一回3000円をかける・・・
レアアイテムを持つことによって人から称賛されるのが快感・・・
(先日観た映画『ネバーエンディング・ストーリー』を連想しました。
現実世界では弱くダメ人間でも、ヴァーチャル世界では英雄・・・)
承認欲求と優越感という「麻薬」が、金銭感覚をマヒさせていますね・・・
私ども夫婦には理解不能な価値観ですが、
オトナは自己責任だから、これはまだ許容できました。
しかし、高校生がゲームにハマりすぎて、結局高校を中退したとか、
児童生徒が親のケイタイで勝手にゲームして、
150万円の請求書がきたとか、
あるいは、祖父の財布から盗みを働いてまで、ゲームにつぎこむのは、
もはや異常です。
未成年者は有料ゲームできないとかの法規制または業界の自主規制が必要ですね。

業界としては、内部文書で、いかにカネをつぎこませるか
(⇒ゲーム依存症『患者』を増やすか)、という戦略をあれこれ練っているようです。
パチンコと同様に依存性が高くなるように設計されているワケです。)

番組後半では、業界での自主規制の動きが紹介されていますが、
サラ金が金利を法定水準まで下げた程度の効果しかないと思います。

オトナが自己責任でこういうゲームに、
お金をつぎこむことまで規制する必要はありません。
(競馬やパチンコ同様・・・パチンコはぜひ規制してほしいのですが・・・)
しかし、判断力を失いやすい未成年者に対しては、
何らかの規制(法的・業界の自主的)をすべきと考えます。

ソーシャルゲームはなぜハマるのか ゲーミフィケーションが変える顧客満足

ソーシャルゲームのすごい仕組み (アスキー新書)

2012年9月24日 (月)

音楽の「修道女」、五嶋みどり~BS朝日「五嶋みどりがバッハを弾いた夏・2012」(2012年9月23日放送)

BS朝日で2012年9月23日放送のドキュメンタリー番組
五嶋みどりがバッハを弾いた夏・2012」を録画して観ました。
五嶋みどりさんが、デビュー30周年を記念して、
アメリカでの演奏の原点であるキリスト教会やシナゴーグ(ユダヤ教会堂)を
日本に置き換えて、
日本全国の有名なカトリック教会、お寺、神社でバッハの無伴奏ヴァイオリン曲を演奏する、
というツアーに同行取材して製作された番組です。
長崎と函館のカトリック教会での演奏は、絵になる光景でした。
カトリック教会の後で、太宰府天満宮や西本願寺、中尊寺などで演奏するのは、
いかにも日本人らしい、「寛容な」考え方だな、と別な意味で感心しました。
蝉のうるさい声や雨音をものともせずに、自分の音楽に没頭する姿は、
さながら、音楽という「神」に仕える修道女のようでした・・・

私にとっては、
五嶋みどり」というと、「世界的なヴァイオリニスト」、
「天才少女(だった)」ぐらいしか知らず、
あまり興味がない方でした(ファンの皆様、ゴメンナサイ・・・)。
実際、番組中での演奏そのものには、特に感銘を受けませんでした。
しかし、その特異な人間性には、大いに興味を抱きました。

一挺数億円のヴァイオリンを背負って、
何食わぬ顔で私たち一般庶民が乗る電車や地下鉄に乗ったり、
ビジネスホテルに泊まっていたり、
はては、ホテルのランドリーサービスを使わずに、
自分でコインランドリーで洗濯する姿・・・
世界の「MIDORI」は、音楽以外は超一流を求めるのを拒否しているようですね・・・
(列車は自由席でないとイヤとか、いろいろこだわりがあるそうです。)

アメリカでは、朝6時に大学に着き、深夜0時まで大学に残って、
仕事をしている日々だそうです。
ツアー中にも大学での仕事や、
何ヶ月も先のコンサートの練習をしている姿が写されていました。
気のせいか、40代前半にしては、かなり老けているような印象も受けました・・・

番組で初めて知ったのですが、彼女は20代前半でうつ病になっていたのですね。
華やかなイメージのヴァイオリニストと、
自分が目指すヴァイオリニスト像とのギャップを埋めるために、
禁欲的ともいえる日常生活を送っているのでしょうか?
(あたかもゴスロリファッションを楽しむ女の子たちや、
女装を楽しむ男性のような、本来あるべきでない自分を楽しむようなものでしょうか?
違っていたらゴメンナサイ・・・)

それはさておき、「五嶋みどり」を再発見できた、有意義な番組だったといえます。
被災地慰問であっても、響きとしては劣悪なところであっても、
常に最高の音楽を奏でる努力を惜しまない姿には感銘を受けました。

五嶋みどりさん本人が、
今回の30周年記念ツアーについて書いた公式サイトの記事です。
みどりのバックステージ(2012.08.04)
特設フェイスブックページ
(演奏場所等が載っています。)

五嶋みどりさんによる、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番他のCDです。

(国内盤)

(輸入盤)

2012年9月20日 (木)

本当のキリストの妻とは?~パピルス断片よりも確かな証拠である聖書

イエス・キリストに妻?=記述の古文書見つかる」というニュースを読みました。
このニュース、一番先に読んだのはYahoo!ニュース(2012年9月19日)においてでしたが、
今朝(2012年9月20日)のNHKの朝のニュースでも少し取り上げられていましたし、
同日の夕刊にも掲載されていました。

ニュース本文から引用しましょう。
(引用)
 この古文書はコプト語で書かれたパピルスの断片で、名刺大の大きさ。4世紀につくられたものとみられる。「イエスは彼らに言った。私の妻は」という字句が読み取れ、「彼女は私の弟子になることができよう」と書かれた部分もあった。
 イエスが自身の妻に言及したとする古文書が見つかったのは初めて。
 発表した同大学院のカレン・キング教授は「伝統的キリスト教は、イエスは結婚していなかったという立場だが、立証されていたわけではない」と指摘する一方、イエスが妻帯者だったことを証明するものでもないと慎重な態度を示している。

(引用終)

このニュースを読んで、たぶんいろいろな感想があると思います。

・「『ダ・ヴィンチ・コード』は正しかったんだ!」(陰謀論好きな人?)
・「イエス様に妻がいるなんてナンセンス。パピルスも捏造されたものでは?
あるいは、異端が書いたに違いない」
・「キリストに妻がいたっておかしくはないし、どこがいけないの?」
これは私の予想した、クリスチャンを含む一般の人が思う感想です。

映画「ダ・ヴィンチ・コード」

原作本上巻(中・下巻あり)

にほんブログ村」の「キリスト教」カテゴリを見ると、
何人かの方(たぶんクリスチャンの方)が既に記事を書いています。
たとえば・・・
イエス・キリストに妻が。。。」という記事(ブログ名:神様へのメール)では、
(引用)
以前、イエスは結婚していたかという内容の記事を書いたことがあります。僕は、結婚していたと思っています。
あの時代。結婚していない大人が、愛だの、結婚だのを論じて、人々がついていくとは思えないからです。夫や妻のあるべき姿を完璧に説いてみせたイエスは、結婚していたに違いないと信じます。今回、見つかった文書の信頼性はともかくとしても、キリストが結婚していたかどうかという議論が再燃することは、それ自体よいことだと思います。これまで、タブー視されてきたことですが、イエスはよき夫であったことに間違いないと思います。

(引用終)
というように、イエス・キリストが結婚していたことに肯定的な意見を述べています。

一方、「キリストの発言?!「私の妻が…」について
(ブログ名:ともだちだよブログ)という記事では、
(引用)
「私の妻が…」っていう発言はそんなに意味のあることなのだろうか。僕だってまだ結婚してないけど「うちのワイフが。。。」 と言ってアメリカンジョークをかましたことくらいある。だけど、僕には実際ワイフはいない。だってジョークだから。きっと、イエスもガリラヤンジョークを言ってたんだと思います。想像だけど
(引用終)
と、一種のジョークだったのでは、と考えています。
この説はユニークで、「なるほど~」と思わされました。

さて、私の意見を述べます。
ニュースでは、このパピルスは4世紀につくられたもの、と報じられています。
イエス様の死と復活から何百年も経ってからのものですね。
そういう断片がたった一つ、しかもコプト語で書かれたものに、
どれだけの価値があるのでしょうか?
何らかの異端思想グループが書いたのか、書き間違えか、
あるいは、現在でもスペインに「Jesus」(ヘスス)さんがいるように、
「イエス」という名の別人なのかもしれません。
ニュースの中で発見者が述べているように、この断片だけで、
「イエスは妻帯していた」という証拠には不十分です。
まして、『ダ・ヴィンチ・コード』という、
壮大な「娯楽小説」が主張しているような事柄は立証できません。

新約聖書の記述は、今回見つかったパピルス断片より遥かに古く、
また、写本がたくさんあります。
そして、新約聖書では、弟子達の失敗を包み隠さず書いています。
(旧約聖書では、もっともっと人間の失敗が書かれていますね・・・)
その新約聖書が、「イエスは結婚していた」と書いていないなら、
「結婚していなかった」と考える方が妥当です。
また、カトリック教会が主張している、初代教皇の使徒ペトロは、
聖書には明らかに妻帯者であると書かれています。
(同じ使徒の聖パウロが、「コリントの信徒への手紙Ⅰ」で言及しています。)
わたしたちには、他の使徒たちや主の兄弟たちやケファのように、
信者である妻を連れて歩く権利がないのですか。

(新約聖書コリントの信徒への手紙Ⅰ9:5新共同訳)
妻帯者である、ということは別に隠すような情報ではなかった、と考えるのが妥当です。
それなら、イエス様がもし結婚されていたなら、
どこか一箇所ぐらいに記述があってもおかしくありませんが、
残念ながら、該当箇所はありません。
よって、従来どおり、「イエス様は独身だった」という見解を支持します。

一方、仮に、イエス様は結婚されていた、と考えるのは、
あたかも信仰対象が覆されるような「発見」になるのでしょうか?
結婚を汚れたものである、と観る禁欲思想は、
新プラトン主義などのギリシャ思想からいつのまにかキリスト教に流入し、
司祭の独身制や、聖母マリアに関するさまざまな変な教義などに発展しました。
(ハリストス正教会では、司祭は独身か妻帯を選べるそうです。)
もともとのユダヤ思想には、「独身が尊い」というのはなく、
神は御自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。男と女に創造された。

(旧約聖書創世記1:27新共同訳)とあるように、
神の秩序として、男が妻を持つことを自然なこととしていました。

(ことば=ロゴス⇒キリスト)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。
わたしたちはその栄光を見た。
それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

(新約聖書ヨハネによる福音書1:14新共同訳)
神が人となってくださり、有限性を背負ってくださった、というのが、
私たちの信仰です。
ヨハネ福音書では、疲れて休もうとされるイエス様など、実に人間的な姿も描かれています。
人間として生きる以上、食べることや排泄やら、性欲などもあったはずです。
そういう事柄は事細かに聖書には書かれていませんけど・・・
この大祭司(=イエス・キリスト)は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、
罪を犯されなかったが、あらゆる点において、
わたしたちと同様に試練に遭われたのです。

ですから、イエス様の時代のユダヤ的発想からすれば、
妻帯しているのは特に問題になるようなことではありません。

別の宗教でいえば、お釈迦様や預言者ムハンマドも妻帯者でしたね。
これらの宗教で、妻帯していたことはマイナスになりません。
(ちょっと脱線しますが、聖母マリアは、結婚して出産していても一生処女だった、
という某教会の考え方はいかがなものでしょうか?)

地上におけるイエス様に、実際に妻がいたかどうかは、わかりません。
一方、聖書から言えることは、
「キリストは必ず結婚する、いや、既に結婚している」ということです。
「えっ、誰と?例の『マグダラのマリア』?」
違います。
キリストの「妻(花嫁)」とは、「教会(神の民)」です。

ハレルヤ、
全能者であり、
わたしたちの神である主が王となられた。
わたしたちは喜び、大いに喜び、神の栄光をたたえよう。
小羊の婚礼の日が来て、花嫁は用意を整えた。
花嫁は、輝く清い麻の衣を着せられた。
この麻の衣とは、
聖なる者たちの正しい行いである。」
それから天使はわたしに、
「書き記せ。小羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ」と言い、
また、「これは、神の真実の言葉である」とも言った。

(新約聖書ヨハネの黙示録19:6~9新共同訳)
これは「終末」のヴィジョン、究極の結婚ですね。
キリスト教式結婚式で読まれる聖書箇所のところには、
夫たちよ、キリストが教会を愛し、
教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。

(新約聖書エフェソの信徒への手紙5:25新共同訳)
とあります。
夫が妻を愛する⇒キリストが教会を愛する、というメタファー(隠喩)になっているわけです。
つまり、キリストの妻(花嫁)とは、集合体としてのキリスト教会・神の民なのです。
(法的な結婚をしない神父や修道者も、「神と結婚した」とか、
「教会と結婚した」などとよく言います。
人は、いろいろな意味で、交わりに召されているのです。)
だから、「キリストは結婚していたってのは本当か?」ともし誰かから質問されたなら、
キリストは今も結婚していますよ。
私たちクリスチャンとです!」と答えるのが、一番いい解答ですね!

わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。
神は愛です。
愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。

(新約聖書ヨハネの手紙Ⅰ4:16新共同訳)

2012年9月17日 (月)

NHKニュース「おはよう日本」でシスター渡辺和子さんを特集(2012年9月17日放送)

本日(2012年9月17日)は敬老の日の祝日ですね。
平日の朝ならNHKニュース「おはよう日本」を必ず見ているのですが、
今日は祝日なので、他のチャンネルに変えてみたり・・・
そのうち、ちょうど7:35頃、「やっぱりNHKにしよう・・・」と思って、
チャンネルをNHKに合わせると・・・
シスター渡辺和子さんと、
最近ベストセラーになっている本
置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎)が特集されていました。

置かれた場所で咲きなさい


ニュース番組中の特集としては異例の(祝日だし、たいしたニュースがないから?)、
十数分間にわたる内容でした。
(私がチャンネルを合わせる1~2分前からやっていたようです。)
「神」や「キリスト」とか、あるいは「聖母」というような、
特定の宗教色を強調するような内容こそ出ませんでしたが、
シスターの衣装や聖母像などで、無言の証をしていたように思えました。

特集の内容は、シスター渡辺和子さんの生い立ちとこれまでの人生の概略、
そして、近著『置かれた場所で咲きなさい』に書かれてある言葉によって慰めを受けた、
何人かの人のインタビューによって構成されていました。

NHK番組表掲載のツイッターから引用)
4月に発売され、60万部を超すベストセラーになっている『置かれた場所で咲きなさい』。“どんな状況に置かれても自分らしく生きよ”というメッセージに、共感の輪が広がっています。著者は85歳のシスター渡辺和子さん。渡辺さんのことばの魅力に迫ります。
(引用終)

そこで紹介された言葉や、放送内容のエッセンスは、
下記のブログ記事でどうぞ。
渡辺和子さん NHK(ブログ名:「なんでも好奇心」)

私が番組の中で特に印象に残った言葉は、
置かれた場所で咲きなさい
どうしても咲けない時は
無理に咲かなくてもいい
そのかわり根を下へ
次に咲く花のために
」と、
「今、若い時と比較することは間違いはありませんけど、
今日より若くなる日はないのですから、
「今日が、一番若い日」
です。
祝日なのに早起き(?)してよかったなぁ~と思った朝でした。

(おまけ)
敬老の日なので、「白髪」という言葉が出てくる聖句を2つ引用します。
読者の皆様に主の祝福と平安をお祈りします。

わたしが老いて白髪になっても
神よ、どうか捨て去らないでください。
御腕の業を、力強い御業を
来るべき世代に語り伝えさせてください。

(聖書新共同訳 詩編71:18)

神に従う人はなつめやしのように茂り
レバノンの杉のようにそびえます。
主の家に植えられ
わたしたちの神の庭に茂ります。
白髪になってもなお実を結び
命に溢れ、いきいきとし
述べ伝えるでしょう
わたしの岩と頼む主は正しい方
御もとには不正がない、と。

(聖書新共同訳 詩編92:13~16)

2012年9月16日 (日)

「ポリアンナ症候群」と「ポリアンナ効果」~あるスポーツニュースから

こんな見出しのスポーツニュースを見つけました。
日本ハム 斎藤「ポリアンナ症候群」ではないか- ゲンダイネット
(2012年9月15日17時00分)

北海道日本ハムファイターズの2012年度の開幕投手、
斎藤佑樹選手の二軍生活について書かれたものです。
「ポリアンナ症候群」なんていかめしい名前が出てくると、
「斎藤クンは何か悪性の病気になったのか?」と、
「ポリアンナ」の名前を知らない人は思うかもしれませんね。
(身体的な病気ではアリマセンのでご安心を!)

ご存知の方も多いとは思いますが、
ポリアンナ」は、アメリカの小説家E・ポーターが書いた小説
少女ポリアンナ(Pollyanna)』と
ポリアンナの青春(Pollyanna Grows Up)』の主人公の少女です。
(※村岡花子訳の角川文庫版では「パレアナ」で、
岩波少年文庫版他では「ポリアンナ」と表記されます。)

岩波少年文庫版『少女ポリアンナ』

偕成社版『少女ポリアンナ』

角川文庫版『少女パレアナ』

主人公は常に楽天的・肯定的に物事をとらえ、喜びを見出し続けます。
私の大好きな小説のひとつです。
「世界名作劇場」シリーズで「愛少女ポリアンナ物語」としてアニメ化されています。
アニメ版も大好きな作品です。
そういう作品の主人公の名が、
「現実を見ない大バカ野郎」みたいな使い方をされるのは心外です・・・

世界名作劇場・完結版 愛少女ポリアンナ物語 [DVD]

ちなみに、ウィキペディアによると、
ポリアンナ症候群」とは、
(引用)
ポリアンナ症候群(ポリアンナしょうこうぐん、英: Pollyanna syndrome)は、心的疾患のひとつ。ポリアンナイズム(Pollyannaism)とも。現実逃避の一種で、楽天主義の負の側面を表すもの。

1913年にエレナ・ホグマン・ポーターが書いたベストセラー小説『少女パレアナ(Pollyanna)』および『パレアナの青春(Pollyanna Grows Up)』(テレビアニメ「愛少女ポリアンナ物語」でも知られる)の主人公ポリアンナに由来して命名された。

一般的には、
「直面した問題の中に含まれる(微細な)良い部分だけを見て自己満足し、問題の解決にいたらないこと」
「常に現状より悪い状況を想定して、そうなっていないことに満足し、上を見ようとしないこと」

などを指す。
(引用終)
とのこと。

この文章の下に、関連項目として「ポリアンナ効果」というのがありました。
こちらは、プラスの意味で使われるようです。

(引用)
ポリアンナ効果(ポリアンナこうか、英: Pollyanna Effect)は、心理学用語のひとつ。1964年、アメリカ合衆国の心理学者チャールズ・E・オスグッドが、「書かれた言葉においては、ネガティブ(否定的、悲観的、後ろ向き)な言葉よりもポジティブ(肯定的、楽天的、前向き)な言葉の方が大きな影響を及ぼす」ことを説明するのに使った例え。

一般的には、
ポジティブな感情を伴った記憶ほど思い出し易く、ネガティブな感情を伴った記憶は思い出しにくい。
一般に人は肯定的な評価を好む。
(特にマスマーケティングにおいて)否定的評価は肯定的な評価に比べて集まりにくい。

などを指す。
(引用終)

ポリアンナ症候群」というと、現実逃避で、
ポリアンナ効果」というと、書かれた言葉ではプラスな言葉が大きな影響を及ぼす、
ということなのですね。

現実逃避は確かによくありませんが、
ネガティブになって落ち込んでいても、現状は打破できないわけです。
「ポリアンナ」の本来の意味に戻り、
現状の少しでもよい所を見つける「よかった探しゲーム」(作中に出てきます)をし、
同時に、反省・改善すべきところは見直していくことが大切ですね。

どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。

(新約聖書テサロニケの信徒への手紙Ⅰ5:18新共同訳)

少女ポリアンナ』について、以前記事を書いていますので、
よろしければお読みください。
『少女ポリアンナ』、『ポリアンナの青春』&世界名作劇場『愛少女ポリアンナ物語』
愛少女ポリアンナ物語(完結版)

2012年9月14日 (金)

悪質な『キリスト教入門』(島田裕巳著、扶桑社新書)~タイトルに偽りアリ!

書店の新書コーナーの新刊本をざっと眺めていると、
こんな本がありました。

キリスト教入門

タイトルを見て、「誰が書いたのだろう?」と手にとってみると・・・
著者は宗教学者の島田裕巳氏。
なぜこの人が、『キリスト教入門』なる本を書いたのか、アヤシイと思いましたが、
やっぱり予想通りでした・・・

キリスト教入門

タイトルこそ『キリスト教入門』となっていますが、
タイトルに偽りアリで、惑わされてはなりません。
ざっと立ち読みしただけでも、これは『()キリスト教入門』なのでは?と思いました。
タイトルと中身が乖離した、悪質な本です。
これなら、『キリスト教は邪教です! 現代語訳『アンチクリスト』』(講談社α新書)
といった本の方がまだマシでしょう。
タイトルを見て、キリスト教信仰を求めようとする人なら買わないと思うからです。
(ニーチェの本の意訳本みたいですね。ニーチェ思想の方がよっぽど危険なのに・・・)

(参考)
キリスト教は邪教です! 現代語訳『アンチクリスト』

楽天ブックスに、この本の主な内容と章見出しが出ていますので、転載します。

第一章 なぜキリスト教は上から目線なのか
第二章 ユダヤ教から生まれたはずなのに
第三章 イエス・キリストとは何者なのか
第四章 キリスト教は本当に一神教なのか
第五章 キリスト教のマーケティングとイノベーション
第六章 プロテスタントのイノベーションの仕組み
第七章 なぜキリスト教はイスラム教と対立するのか
第八章 キリスト教はどうして日本で受け入れられなかったのか

著者はまず第1章で、聖書の日本語訳において、
神(主)、キリストに「敬語」を使っているのがおかしい、と食ってかかります。
それを「上から目線」、「選民思想」などといって、攻撃をしかけます。
日本にキリスト教が広がらない原因の一端だ、みたいな指摘をして、
あざけっているかのように思えました。

それなら、仏典や『論語』では、
お釈迦様や孔子先生に敬語を使わないのでしょうか?
今、手元にある『現代語の法華経』(庭野日敬著)という本をパッと開いただけでも、
お釈迦様や○○菩薩の数々に、きちんと敬語を使っています。

(参考)
現代語の法華経


そもそも、日本語では、目上の方にきちんと敬語を使うのが基本です。
目上の人が発言したなら、「言われた」や「おっしゃった」と表現すべきものです。
ましてや、神様や仏様が発言された(ここでも敬語を使いますが)なら、
最上級の丁寧な言葉を使うべきものでしょう。
なんでもフラット、直訳にすべき、というのは、研究者のメモ程度ならイザ知らず、
広く普及すべき文書としては不適切です。

確かに、聖書にはいろいろな読み方があります。
文学や歴史書としての読まれ方も認められるものでしょう。
しかし、聖書そのものは、
イエス様の言葉にあるとおり、
あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。
ところが、聖書はわたし
(=イエス・キリスト)について証しをするものだ。
(新約聖書ヨハネによる福音書5:39新共同訳)
すなわち、信仰を前提にして初めて、真価を表すものですし、
聖書そのものがキリストを指し示す、キリストを明らかにする書なのです。

島田氏はオウム真理教でさえ肯定的に評価するぐらいの人です。
宗教学者といいながら宗教オンチの人なのではないでしょうか?
的外れな批判と言えます。

この本は、
「キリスト教はいかに私(=島田氏)にとって魅力のない宗教か」
というのを書いただけの本です。
(第八章などは特にひどい・・・)
おそらく、『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)のヒットを知って、
キリスト教で一儲けしようか、程度で書いたのかもしれません。
島田氏の著作の傾向や過去のオウム真理教支持発言を知る人なら、
キリスト教の本として、まともに相手にする価値のない本だといえます。
(もっとほかのタイトルなら、気にもしないし、
勝手に言いたい放題言っていても、私は気にしなかったでしょう。
この本の最大の問題点は、タイトルそのものです。
せっかく「キリスト教って、どんな教えだろう?」
と手にとった初めての本がもしこれなら・・・)

たぶん、島田氏にとっては、
イエス様の言葉
わたしは道であり、真理であり、命である。
わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。

(新約聖書ヨハネによる福音書14:6新共同訳)
のような言葉こそ、鼻持ちならないのでしょうね・・・

ちなみに、『ふしぎなキリスト教』は「ふしぎに」ヒットしていますね。
立ち読みしただけですが、なかなか面白い視点・論点はあります。
しかし、生きた信仰というよりは、死んだ信仰を取り扱っているだけで、
表層的な内容だと思いました。
(ただし、上述の『キリスト教入門』よりははるかにマシです。)

ふしぎなキリスト教

2012年9月13日 (木)

映画「ネバーエンディング・ストーリー(The Neverending Story)」と原作『はてしない物語』(原題:Die unendliche Geschichte)

2012年9月8日(9月7日深夜)に、NHKBSプレミアムで、
映画「ネバーエンディング・ストーリー」を放映していましたので、
録画して観ました。
小学生か中学生頃、テレビで観て以来だったので、
「懐かしいなぁ~」というのが最初の感想でした。
当時としてはかなり手のこんだ特撮技術たっぷりの映像ですが、
さすがに昨今のCG全盛の時代の視点で見ると、
仕掛けがミエミエでした。

映画DVD(廃盤?)

最初に観たときはあまり気にならなかった、
ラストシーンの問題性も、今ははっきりわかりました。
(原作者が訴訟を起こしたほど・・・)

映画の問題点(物足りなさ)は、主に3つあります。
①原作の半分ほどの話を映像化したにすぎないこと。
②余計と思えるラストシーン(唐突に白いドラゴンでイジメっ子達に復讐?)
③主人公のバスチャンが原作のイメージと異なり、フツーの子であること。
(原作では「デブでのろま」な少年)

ただ、この映画がなければ、私も後年、原作を読むことはなかったでしょう。
映画の主題曲「Never Ending Story」のすばらしさは、
時代を超えてすばらしいものです。
(近年、車のCMで使われていましたね。)
冒頭で主題曲が流れるオープニングシーンのみは絶賛に値します。

サントラ盤

車のCMで使われていたカバー盤(歌:坂本美雨)

映画は入門編としてはいいですが、やはり原作には全然及びません。
私が原作を読んだのは、20年くらい前です。

原作(単行本)

原作(岩波少年文庫本版)上

原作(岩波少年文庫本版)下

最初の数十頁は、なぜかあまり先を読みたいという気になれなかったです。
実際、冒頭をちょっと読んでから、
結局、半年ぐらい読まずに「ツン読」状態にありました。
(読むスピードが速い私としては、かなり異例でした。)
面白そうなことが先に書かれてあるのだろうけど、なぜか読み進めない・・・
(原作の中では、本を読んでいるつもりが、
いつの間にか、「本に読まれている」ような感じでしょうか?
本も読み手の状況を選んでいるのかもしれませんね?)
しかし、それから半年ほどして、部屋にあったこの本をふと手にとると、
一気に読み進めることができました。
(ちなみに、エミリー・ブロンテの『嵐が丘』を読破した時も、
同じような状況でした。最初の数十頁は退屈なのですが、
それを乗り越えると、怒涛の世界が待っています・・・)

(参考)
E・ブロンテ『嵐が丘』
(※私が読んだのは、新潮文庫版ですが、古い訳のほうです。)

岩波文庫、新潮文庫、光文社古典新訳文庫で出ていますね。

物語で特に感動を覚えるのは、やはり終盤のあたりです。
物語の世界で英雄になった主人公バスチャンは、本当の自分が誰であるか、
忘れてしまいます。
そういう中で、本当の自分の姿をありのままで肯定し、
もう一度現実世界に戻るところに深い感銘を覚えました。
(今から考えると、禅の「十牛図」に通じるものがありますね。)

十牛図(解説は上記リンク先からどうぞ)
Jyugyuzu

読破した当時、
私は「この作品は西ヨーロッパ文学でダンテの『神曲』や、
ゲーテの『ファウスト』に匹敵する想像力あふれる作品だ」
と思ったほどでした。
(今読み返すとどうかはワカリマセンが・・・)

映画の話に戻りましょう。
この映画を観ながら、実はこの作品、
極めて現代的な視点を持っているのではないか、と思いました。
主人公バスチャンがアトレーユとして活躍するのは本の中ですが、
「本」を「(TV、オンライン)ゲーム」と置き換えてみたらいかがでしょうか?
現実はただの引きこもり青年なのに、ゲームの世界では「神」を標榜するほど、とか・・・

現実の自分を受け入れられず、ゲームの世界だけで英雄やモテ男を気取って、
ついには現実世界と架空世界が逆転してしまうケースです。
バスチャンは現実を受け入れ、積極的に肯定することができましたが、
それらの「英雄」は、いつ現実世界に戻ってくることができるでしょうか?・・・
そういう意味では、「預言的」な本なのかもしれませんね。

私の妻は映画を観てから、原作に興味を抱き、
「ぜひ英語版で読みたい」と言ったので、
さっそく買ってしまいました・・・

英語版

ちなみに・・・
映画版の続編があったのですね。
しかも「第2章」とかという題で、何作も・・・

2012年9月12日 (水)

モーツァルトのピアノ協奏曲第9番「ジュノーム(Jeunehomme)」聴き比べ~内田光子新旧2盤、ペライア、アシュケナージ&バレンボイム(旧盤)

モーツァルトのピアノ協奏曲は、
第20番以降はいずれも傑作ですね。
(ただし、第25番は除きますが・・・)
では、第20番以前の傑作といえば・・・
私なら、第9番と第15番、第17番、第18番を選びます。
この中で一番好きなのは、第9番です。
第15番ならバーンスタイン指揮・ピアノによるウィーン・フィルの名盤がありますし、
第17番、第18番なら、ペライアの名盤があり、
かなり前から好きでした。

 

バーンスタイン盤(SACD)

 

一方、第9番は、特に好きになったのが数年前でした。
東京方面へ長旅した後、北海道に戻ってから、
なにげなく内田光子/テイトのモーツァルトピアノ協奏曲全集のCDを順番に聴いていて、
非常に心の琴線に触れたのが、この第9番でした。
音楽の天使が戯れているような・・・(うまく表現できませんが・・・)
それから集中的に何度も聴き、
以来、モーツァルトのピアノ協奏曲の中で最も聴く頻度が多い曲となっています。
今では私にとっては、第20番とかの一般的な人気曲よりも好きな曲です。

 

今回この記事を書いてみようと思ったのは、
内田光子がクリーブランド管弦楽団を弾き振りした新しいCDが出たからです。
ピアノ協奏曲第9番と第21番のカップリングです。

 

内田盤(新盤)※国内盤

 

同※輸入盤

 

このCDと聴き比べしたのは、我が家にある以下のCDです。
どれも、ピアノ協奏曲全集にある1枚です。

 

アシュケナージ盤(旧盤)

 

バレンボイム盤(旧盤)

 

ペライア盤

 

内田光子盤(旧盤)

 

なお、アシュケナージとバレンボイムはピアノ協奏曲第9番を2回録音しています。
(我が家にはありませんが・・・)

 

(参考)
アシュケナージ(新盤)NHK交響楽団

 

バレンボイム(新盤)ベルリン・フィル※廃盤?

 

 

それぞれの録音時間を書きます。
第1楽章
アシュケナージ盤 
10:36
バレンボイム盤
10:39  
ペライア盤
10:02
内田旧盤
10:19
内田新盤
11:08

 

第2楽章
アシュケナージ盤
12:29
バレンボイム盤
13:32
ペライア盤
11:31
内田旧盤
11:46
内田新盤
11:47

 

第3楽章
アシュケナージ盤
10:36
バレンボイム盤
10:32
ペライア盤
9:58
内田旧盤
9:31
内田新盤
10:08

 

演奏のカデンツァ部が一番印象的なのは、ペライア盤です。
アシュケナージ盤は水準以上の演奏ですが、この中では印象が薄いです。
バレンボイム盤は、いつもの彼らしい、きわめて男性的なモーツァルト像を提示しています。
どれも合格点の演奏といえます。

 

さて、内田光子の新旧2盤こそが、この曲の名盤を語る上で本命となります。
新盤は、全体的にゆったりとした印象を受けます。
特に第1楽章が顕著です。
内面的な演奏としては、すばらしいのですが、
いまひとつ愉悦感が乏しいように思えます。
まるで、シューベルト晩年のピアノ・ソナタみたいな感じでしょうか・・・
その点、旧盤は愉悦感があり、停滞した感じはみじんもありません。
内田光子ファンならどちらも持っていて損はありませんが、
どちらか1枚というなら、断然旧盤の方をとります。

 

内田光子の旧盤は国内盤のバラ売りがまだありますよ。

 

※今回、アーティスト名はすべて敬称略としました。

2012年9月10日 (月)

アーノンクール指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団によるベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」~NHKBSプレミアム・プレミアムシアター(2012年9月10日放送)

2012年9月10日(9月9日深夜)放送のNHKBSプレミアム・プレミアムシアターは、
前半がクラウディオ・アバド指揮ルツェルン音楽祭管弦楽団他による、
モーツァルトの「レクイエム」他で、
後半は、アーノンクール指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団他による、
ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)」でした。
録画して視聴しました。
⇒放送曲目・ソリストはコチラ

前半のアバド指揮の方は、
ベートーヴェンの「エグモント 作品84」という珍しいプログラムもありましたが
(「エグモント序曲」だけなら演奏機会が多いですが・・・)、
ここは視聴せずにパス。
モーツァルトの「レクイエム」は合唱・ソリスト共にレベルの高い歌唱を聞かせてくれましたが、
オーケストラ(というよりも指揮者)がイマイチ・・・
軽すぎる音色でした。
(途中で聴くのをやめてしまいました・・・)

モーツァルトの「レクイエム」なら、カール・ベーム指揮のが定番ですね。
重量級の演奏を聴かせてくれます。

さて、今日の主題である「ミサ・ソレムニス」の方へ移りましょう。
アーノンクール指揮の演奏は、今年4月19日・20日の収録とのこと。
さすがに年をとったなぁ~という印象でしたが、
指揮する姿は力にあふれていました。

アーノンクール指揮による「ミサ・ソレムニス」は、CDで以前聴いたことがあります。
古楽器奏法の演奏の中ではオススメの1枚です。

※上記は廃盤のようですので、
現在は「アーノンクールのベートーヴェン名演集(14枚組)
に含まれているのが手に入れやすいです。

アーノンクールの指揮は劇的ではなく、むしろおだやかです。
激しい「グローリア」のところでも汗一つみせないような感じというか・・・
迫力不足は否めませんが、それでも、感動したところがありました。
(アーノンクールの指揮、というよりは、作品そのものに・・・)

ベートーヴェンは「クレド」の部分の終盤、
「Et in Spiritum Sanctum, Dominum et vivificantem, qui ex Patre (Filioque) procedit. Qui cum Patre et Filio simul adoratur et conglorificatur: qui locutus est per prophetas. Et unam, sanctam, catholicam et apostolicam Ecclesiam. Confiteor unum baptisma in remissionem peccatorum. Et expecto resurrectionem mortuorum, 」
(「わたしは信じます。主であり、いのちの与え主である聖霊を。
聖霊は、父と子から出て、
父と子とともに礼拝され、栄光を受け、
また預言者をとおして語られました。
わたしは、聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会を信じます。
罪のゆるしをもたらす唯一の洗礼を認め、
死者の復活と
」)
の部分はかなりテキトーに流してしまっていますが
(早すぎて聞き取れないぐらい・・・)
続く「Et vitam venturi saecli. Amen.
(「来世のいのちを待ち望みます。 アーメン。」)。
では神秘的で悠然としたフーガを展開します。

「なぜベートーヴェンはこのテキストにこんなにこだわったのだろうか?」
私はふと思いました。
すると・・・
私は「ひざまづくベートーヴェン」が見えたように思えました。
ベートーヴェンの信仰は、確かに正統なものからは逸脱していたらしいですが、
カトリック教会といった狭い枠を超えた普遍的な信仰を抱いていたのではないでしょうか?
テキストの掘り下げは他の作曲家の作品以上です。
来世のいのちを」切に希求し、祈り、ひざまづくベートーヴェンの姿・・・
私はアーノンクールのこの演奏のこの箇所を聴いて、
思わず涙が出そうになったほどでした・・・
まさに「心より出で-願わくば再び-心に向かうよう」(スコア冒頭に書かれている言葉)、
作品そのものが持つ力が心に直接訴えかけてきたのでしょうね・・・
ちなみに、この演奏会での合唱の配置は、ちょうどハート型になっていたのは印象的でした。

「ミサ・ソレムニス」の名盤といえば、
クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団のCDがあれば十分です。

通常CD盤

SACDハイブリッド盤

SACDシングルレイヤー盤(発売予定)

クレンペラー盤のような超重量級の演奏ではなく、もう少しあっさり聴きたいなら、
上述のアーノンクール盤か、ジンマン盤をオススメします。

ジンマン盤

2012年9月 9日 (日)

早期の英語教育よりもまともな日本語教育をするべき!~小学4年以下でも英語を必修にすべきか?

2012年9月9日付の日経の記事
小4以下も英語必修、文科省検討 指導法を研究」を読みました。
現在、小5、6年で「外国語活動」として、
週1時間程度の英語学習が必修となっています。
これを、文科省は「小4以下でも必修にしては?」という調査を始めようとしている、
というのが記事の内容です。

正直言って、現在の小5、6年でやっている「外国語活動」(=英語教育)なるものは、
税金のムダではないかと思っています。
というのは、せいぜいABCの歌を覚えたりするのと、
たまにALT(外国人講師)が来て、英語でゲームをして「おしまい」という状況です。
本当に、これで、英語で会話ができる素地になるのでしょうか?
文法も教えず、しかも成績評価もしないお気楽なものです。

英語教育(特に発音に慣れさせる)をするなら、
小1、2ぐらいが最も効果的では、と考えます。
小5、6では遅すぎるぐらいです。

一方、どんなに発音がよくても、伝えることができなければ、
会話は成立しません。
日本語能力自体がアヤシイのに、ましてや英語でコミュニケーションするなど、
もっと困難なことです。

以前、記事に書きましたが
(⇒書評:福嶋隆史著『国語が子どもをダメにする』(中公新書ラクレ)~国語教育は何のために行うのか?)、
現在の日本の国語教育は、実質上道徳教育であって、
そもそも「国語で何を教えるか?」がよくわからないまま、
なんとなく授業されているのが大半のようです。

フィンランドの教育に関するある本(書名は忘れましたが・・・)で、
「フィンランドでは、自国語を外国語のように学習している」
という記事を読んだことがあります。
道徳教育は本来の「道徳」の授業に任せて、
国語教育は文法や漢字の読み書き、
コミュニケーション能力の育成、という面に立ち返るべきでしょう。
本来上の国語教育こそ、英語教育に勝って、もっと充実すべき教科なのです。

「グローバルな人材」を育てるのは結構ですが、
「グローバルに」活躍できる人たちはまだまだ少数です。
大多数の日本人は、海外旅行に出かける他は、
日本で生まれ育ち、日本で死んでいくわけです。
これから何十年先でも、おそらく状況は変わらないでしょう。
英語で話す機会よりも日本語話す機会の方が圧倒的に多いわけです。
日本人なのに、日本語がおかしい・・・
大学生でも、漢字の読み書きがアヤフヤ・・・
これこそ、英語が話せないよりも、もっと恥ずかしいことではありませんか?

もし小4以下でも英語教育をするのであれば、
以下の4つの条件なら賛成したいと思います。
①いっそうの国語教育の充実を図る。
②「外国語活動」という「オアソビ」をやめ、
「英語科」とし、評価も行う。
③小1~小6の教育課程で、
現在中学生が学んでいるレベルの英語をすべて終らせる。
④中学生では、実践的な英会話と、長文読解を行う。
いかがでしょうか?

2012年9月 7日 (金)

「札幌の中学生自殺」報道は必要だったのか?~もうやめて、児童生徒の自殺報道!

2012年9月5日夜、
「札幌市白石区で、中学生が飛び降り自殺した。
手帳には、いじめを示唆するメモが残されていた」というニュースをテレビで知りました。
(私はなぜか直感的に、「これはいじめが原因ではないかも?」と思いましたが・・・)
原因は今のところよくわかっていないようです。
それはともかく、私はこの報道に対して憤りを覚えました。
なぜならば・・・

①原因が特定されていないのに、手帳に「いじめられた」と書かれていただけで、
「いじめが原因で自殺」と断定できるのでしょうか?
②十代でも、自殺願望の子はたくさんいます。
こういう報道により、自死を選ぶことで注目を浴びようと、
連鎖自殺が起きる可能性があります。
(滝川いじめ自殺事件とか・・・)

①について言えば、学校・教育委員会の調査では特に「いじめ」がなかった、
とされています。(実際にはどうかはまだわかりませんが・・・)
手記には「死んだらどうなるのだろう?」みたいなことも書かれていたそうです。

ところで、岡真史ぼくは12歳』という本をご存知ですか?
12歳で自死を選んだ少年が書いた詩集です。
(どんな詩か、ということについては、
岡真史『ぼくは12歳』書評という記事にいくつか出ています。)

その中身はともかくとして、私が言いたいのは、
いじめを受けたからとか、親から虐待を受けたからではなく、
岡少年のように、理由らしき理由がないまま自死を選ぶケースだってあるのだから、
安易に、「いじめが原因で自殺」と断定すべきではない、ということです。

また、原因は内的な状況も考えられます。
発達障がいの子を理解するための本の中で、こんな記事がありました。
発達障がいのため特別支援学級に所属している子(A君、とします)が、
通常学級の子と一緒に体育をしていた時に、
通常学級の子(B君、とします)から、
「A、しっかりがんばれよ」と声をかけられたそうです。
すると、A君は特別支援学級の担任の教師に、
「先生、僕はB君からいじめられました」と訴えたそうです。
その先生は事情をB君から聞くと、B君は励ましのつもりで言った言葉であって、
いじめを意図したものでは決してなかった、とのことでした。
A君にとっては「がんばれないボクに『がんばれ』とはいじめだ」と感じたのでしょう。
このように、近年増えている発達障がいの影響、というものも考慮すべきなのです。
ささいなきっかけで、突発的に死を選ぶ、ということもありえるのです。
(宿題がイヤだったから・・・など)
発達障がいでなくとも、子どもだって「うつ」になることはあります。
オトナと同じです。

今年の7月に明らかになった大津市の中学校での事件のような、
悪質な犯罪がらみのものは別ですが、
原因が定かでないものを勝手に「いじめ」と断定して報道する必要はないと考えます。

2011年の原発事故では、マスコミは本来報道すべきものをしないことにより、
多くの人を被曝させてしまいました。
いじめ報道は、必要のない報道によって、
不安を抱えている子供達に自殺の口実を与えてしまいます。
報道によって、多くの人の命や健康が大きく損なわれてはならないのです!
よほどのことがない限り、自殺(特に若者の)を報道することは、もうやめてほしいものです。

いじめ自殺報道の問題点については、以前にも記事を書いています。
よろしければお読みください。
いじめ自殺報道と、報道に価しないような教育ニュース

2012年9月 4日 (火)

映画「ローマの休日」~何度観てもすばらしい名画中の名画!

2012年9月3日に、NHKBSプレミアムで、
映画「ローマの休日」が放映されていました。
かれこれ十数回は観ていますが、何度観ても飽きない名画中の名画ですね。

私はこの映画を初めて観たのは、実はTVではなく映画館でした。
高校生の頃(中3の時だったかな?記憶が少しアヤフヤですが・・・)、
映画館で古い映画(白黒映画ばかり・・・)を上映していた時に観たのが最初です。

オードリー・ヘップバーンの神々しい美しさと天真爛漫さ、
グレゴリー・ペック演じる新聞記者ジョー・ブラッドレーの、
特にラストシーンで見せる男らしさ・・・
(淡々とした答弁の中に見せる秘めた恋心がスバラシイ・・・)
どこをとっても退屈するところがない、完璧な映画の一つですね。
私にとっては、映画ベスト3の中に必ず入れたい作品です。

映画が公開されたのは1953年。
それからおよそ40年後に、私は一人でイタリアを旅しました。
もちろん、ローマにも行きました。
映画の中で観たローマの風景を、
ほとんど変わらない姿で実際に見ることができたのはオドロキでした・・・

「地球の歩き方」のサイトで、「ローマの休日」のロケ地マップが掲載されています。
人気映画のロケ地散策マップ「ローマの休日」

限定版

※ジャケットはあえてカラーにしなくてもよかったのでは?
(こちらの方が入手しやすいです。)

今回改めて視聴(というより、聴いているだけの方が多かったですが・・・)してみて、
「フランス六人組」の一人である、ジョルジュ・オーリックの控えめな音楽が、
随所ですばらしい効果を挙げていることに気づきました。

2012年9月 3日 (月)

NHKBSプレミアム・特選 オーケストラ・ライブ「N響ほっとコンサート2012」(2012年9月2日放送)

日曜朝のお楽しみ、NHKBSプレミアムの「特選オーケストラ・ライブ」。
2012年9月2日放送は、山下一史さん指揮・N響による、
N響ほっとコンサート」でした。
収録は2012年8月5日NHKホールです。
NHK番組表

曲目は以下のとおりでした(NHK-FMブログから引用):
<曲目>
「交響詩“ツァラトゥストラはこう語った”作品30から導入部」(リヒャルト・シュトラウス)
「青少年の管弦楽入門」(ブリテン)
「映画“スター・ウォーズ”から
 “スター・ウォーズのテーマ”“帝国のマーチ”」(ジョン・ウィリアムズ)
「映画“ハリー・ポッター”から“ハリーの不思議な世界”」(ジョン・ウィリアムズ)
「行進曲“威風堂々”第1番 作品39-1」(エルガー)
「組曲“惑星”作品32から“戦争の神、火星”“快楽の神、木星”」(ホルスト)
「交響曲 第3番“オルガンつき”から」(サン・サーンス)
「BELIEVE」(杉本竜一)
「愛のあいさつ」(エルガー)

NHKの渡邊佐和子アナウンサーの司会進行による、
夏休み中の小中学生とその保護者をメインターゲットにしたコンサートでした。
随所の解説・コメントがありましたが、
私は録画して観たので、解説の部分はあらかじめ全部カットしました。
また、「青少年の管弦楽入門」(ブリテン)もカットしました。

それにしても、オーディオ・マニアが喜びそうな曲が勢揃いですね~
一つのコンサートでパイプオルガンが活躍する曲が何曲も入っているとは・・・

ただ、演奏そのものは、特に前半の曲では金管セクションの綻びがチラホラ・・・
可もなく不可もない程度の演奏だったと思います。
(スゴい曲をやっているのに、なんだか迫力が足りないような・・・)

あと、ホルストの組曲「惑星」のタイトルで、
「戦争の神、火星」、「快楽の神、木星」という紹介は正しくないですね。
英語の原題では、”Mars, the Bringer of War”、
”Jupiter, the Bringer of Jollity”となっています。
直訳すれば「~の神」ではなく、「(~を)もたらす者」とすべきでしょう。
(下のCDは「惑星」のおすすめCDです。)

ホルスト「惑星」他(エイドリアン・ボールト指揮)

「惑星」と「スター・ウォーズ」を楽しみたいなら・・・
メータ指揮ロサンジェルス・フィル

(こちらのCDでは「惑星」よりも「スター・ウォーズ」組曲の方がオススメです。)

コンサートの中では、小学校などでよく歌われる歌「BELIEVE」(杉本竜一)がとりあげられ、
オーケストラ伴奏で会場のみなさんが歌っていました。
宇宙空間から身近な世界へ?

BELIEVE」(杉本竜一)について今回調べてみました。
元々は、NHKの「生きもの地球紀行」のエンディング・テーマだったのですね。
小学校の卒業式でも歌われる機会が多いそうです。
(私は小学校で子どもたちが歌うのを聴いたことがあります。)

BELIEVE NHK「生きもの地球紀行」サウンドトラック III


となりのトトロ」の主題歌を歌っている井上あずみさんによるカバーCDもでています。

余談ですが、指揮者の山下一史さんを観て、
私の妻は「役所広司さんに似ていない?」と述べていました(^-^;
確かに、少し似ているかも?

2012年9月 1日 (土)

2012年8月のアクセス数ベスト10記事一覧(附:トラックバック受付中止のお知らせ)

2012年8月のアクセス数ベスト10記事は以下のとおりです:
(※トップページを除く)
ベスト3までは記事リンクをつけています。

一位.ウコンは肝臓に悪い?~NHK・ためしてガッテン「肝臓の健康を守れSP」
(2011年6月29日放送)

二位.「学びあい」という美名の下の教育の堕落~NHKEテレ・ETV特集「輝け二十八の瞳 ~学び合い 支えあう教室~」(2012年2月5日放送)
三位.公立学校で習熟度別授業の導入はプラスか、マイナスか?~読売新聞北海道版・連載「学力危機」第1部・札幌の格差 (10)を読んで
四位.ショッキングピンクなミスターゆとり教育?~寺脇研著『ロマンポルノの時代』 (光文社新書)
五位.NHK・クローズアップ現代「大人がハマる“数学ブーム”の謎」(2011年7月27日放送)
六位.退職すると訴訟?!社畜から奴隷へ?ブラック企業の恐怖・・・~NHK・クローズアップ現代「やめさせてくれない~急増する退職トラブル~」(2012年4月26日放送)
七位.1万円の「北海道&東日本パス」で東京から札幌へ1泊2日片道約1200kmの普通列車の旅
八位.上野でフェルメールのハシゴ&渋谷のレーピン展~2012年夏の旅(1)
九位.算数の問題解決型学習~学力「崩壊」の決め手
十位.読売新聞のご都合主義~消費税増税を推進しておいて、新聞は軽減税率を求めるとは?

ベスト1は相変わらずのようですが・・・
二位~五位、九位に教育関係の記事がランキングしているのはうれしいことです。
また、七位、八位に旅行の記事があるのもうれしいですね~
(※ちなみに七位の記事は、冬の旅行に関するものです・・・)

まだまだ暑いですね~
今月もご愛読よろしくお願いします。

なお、余談ですが・・・
最近トラックバック通知を受けることが多くなりましたが、
ほとんどがワイセツサイトからのもので、うんざりしています。
(9割がそういうサイトで、残りは法律相談・探偵のサイトと、
某「クラシック音楽ぶった斬り」とかいうサイト。)
というわけで、2012年9月1日より、すべてのトラックバック受付を中止します。
当ブログからの引用は自由です。連絡も不要です。

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