« 2012年6月 | トップページ | 2012年8月 »

2012年7月の15件の記事

2012年7月31日 (火)

霊現象だからといって何でも信じるべきか?~血を流す聖母マリア像?

愛する者たち、どの霊も信じるのではなく、
神から出た霊かどうかを確かめなさい。
偽預言者が大勢世に出て来ているからです。
イエス・キリストが肉となって来られたということを公に言い表す霊は、
すべて神から出たものです。
このことによって、あなたがたは神の霊が分かります。
イエスのことを公に言い表さない霊はすべて、
神から出ていません。これは、反キリストの霊です。
かねてあなたがたは、その霊がやって来ると聞いていましたが、
今や既に世に来ています。

(新約聖書ヨハネの手紙Ⅰ4:1~3新共同訳)

最近、「にほんブログ村」の「政治評論」カテゴリで、
幸福の科学」の方が(カトリックの方ではなく!)、
血を流す聖母マリア像について記事を書いているのを見つけました。
世界中に出現する「血を流す聖母マリア」 インドでは血の涙。米国ではこめかみから流血
(ブログ名:危機に立つ日本)

幸福の科学」の是非については今回触れないとして、
いかにもキリスト教的(もっと限定すると「カトリック的」)な、
聖母マリア像から血が流れた」という現象について、
今回少し論じてみましょう。

この記事に対しての、「とおりすがり」さんのコメントは秀逸かつ適切だと思いましたので、
引用します。
(引用)
霊現象は (とおりすがり)
2012-07-31 21:27:41
神霊が人々に神への信仰心に目覚めさせるために起こす場合と悪霊が自身の力を誇示し妄信させるためにやらかす場合があります。
マリア像の血の現象化は、私個人としては嫌悪感を感じます。(聖霊が起こす場合であってもです)
実際にマリア像関係の霊動は(ごく一部にキリスト教関係の高級霊が神への畏れを忘れた現代人への警告として行う)ほとんどが悪霊現象によるものであるそうです。
霊現象は妄信せずに、現象を起こす存在(の正体を見破り)に振り回されないようにし、真の意図を見抜いて冷静に理性的観点から慎重に取り扱い、正邪を判定するべきです。

(引用終)※下線部は筆者による。

霊現象は妄信せずに」まさにそのとおりです!
カトリック教会に多い、聖母が現れたというたぐいの現象が、
どういう実を結ぶかを見極める必要があります。
(聖書をよく知らない方が多いから、
異常な霊現象に惑わされやすいのでしょうね・・・)

有名なフランスのルルド(私は行ったことがあります・・・)での聖母の出現を代表に、
ファティマや旧ユーゴスラヴィアのメジェゴリエとか
(参考記事⇒聖母マリア再臨の地を調査へ)、
果ては秋田の涙を流す聖母まで・・・
あるいは、「司祭のマリア運動」とか・・・
異常な現象は多々あります。
私はそれらの現象自体を否定するつもりはありません。

しかし、異常な現象を起こす聖母マリア(像)に注目は行っても、
肝心の、イエス・キリストに対する信仰が増した、というのはあまり聴きません。
神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、
人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。

(新約聖書テモテへの手紙Ⅰ2:5新共同訳)
神様はイエス・キリストという「仲介者」が物足りないと思われたから、
聖母マリアやたくさんの聖人を必要とするのでしょうか?
私にはそうは思えませんし、聖書は明らかに否定しています。
いや、むしろ別の仲介者はまったく必要ないのです!
それに、イエス様の御名による奇跡、イエス様への信仰による奇跡こそ、
もっと注目されるべきものです。

霊現象なら何でも信じる、というのは、実はとんでもないことなのです!
それなら、たとえば仏像や「カーネルおじさん」の像から「涙」が出ていたら、
その仏像や、あるいは「カーネルおじさん」像を「信じます」か?
空中浮遊といった異常な現象を「信じて」、
破壊的カルト(○○○真理教)にはまることだってあるのです。

だからこそ、霊を見分けることが大切なのです。
クリスチャンであれば、基準はやはり聖書です。
冒頭に引用したヨハネの手紙Ⅰ4章は非常に役立ちますよ。
悪霊でさえ、神や聖母や聖人を装うことだってあるのです!
だが、驚くには当たりません。サタンでさえ光の天使を装うのです。
だから、サタンに仕える者たちが、
義に仕える者を装うことなど、大したことではありません。
彼らは、自分たちの業に応じた最期を遂げるでしょう。

(新約聖書コリントの信徒への手紙Ⅱ11:14~15新共同訳)

余談ですが・・・
洗礼を受ける前後の頃、聖母マリアのフシギな現象にかなり心を奪われていたことを、
正直に申し上げます。
旧ユーゴスラヴィアのメジェゴリエの聖母のメッセージとか、
そういうのをよく読んでいました。
確か、世界の終末が来るのが、2006年と書かれていたと記憶していますが・・・
(不正確ならゴメンナサイ・・・)
私もその頃は、「霊なら何でも信じる」輩の一人でした・・・
(何年何月何日に、世界の終末が来るというのは、まずニセモノです!!!)

ところで、書店でこういう本を立ち読みしました。
世界の陰謀論を読み解く――ユダヤ・フリーメーソン・イルミナティ
(講談社現代新書)

著者は北大大学院の方です。

陰謀論の立場からは、東日本大震災とかでさえも、
フリーメイソンやユダヤの陰謀になってしまうんですね・・・
物事を説明するのに都合がよい観方だからなのでしょう。
そうならないよう、正しい見方、
できるだけ偏りのない見方を身に着ける必要がありますね。

陰謀論への解毒剤としては、
カトリック系の方(竹下節子氏)が書かれた、
陰謀論にダマされるな!』 (ベスト新書)もオススメです。
(こちらも立ち読みしました。)

おすすめWEB記事~精神科医、国際医療福祉大学教授・和田秀樹氏によるいじめ問題への提言(MSN産経ニュース【正論】2012年7月31日)

精神科医・和田秀樹氏が産経新聞の【正論】に、
いじめ問題についての提言を書いています。
【正論】精神科医、国際医療福祉大学教授・和田秀樹
(MSN産経ニュース2012年7月31日記事)

大津のいじめ自殺事件について、
各方面の識者がごもっともなことを書いていますが、
心のケアの専門家であり、
学力向上のスペシャリストである氏の提言は独自性があります。

この文章の要点は、
1.「いじめ自殺」と捉えることは誤り。「いじめ」ではなく立派な校内犯罪。
2.たとえ学校内であっても、犯罪行為には警察が学校に介入できるようにすべき。
3.警察に任せるべきことは任せ、教師は本業に励め。
の3つです。

「いじめ自殺」と報道すればするほど、「模倣自殺」が増える・・・
悲しい現実ですね。
「いじめられた(程度はともかく)」⇒「生きる価値がない」⇒「自殺」・・・
という短絡的・衝動的な行動で自分を「美化」することがないように、
そういう報道は控えるべきだと以前からそう考えていました。

ちょっと非現実的ですが、マンガ・アニメの例で考えてみましょう。
『ドラえもん』でのび太君はジャイアンにいじめられます。
(最近のアニメ版では暴力表現がほとんど削除されていますが、
以前はまさしくジャイアンの暴力で
のび太君が「ボッコボコのギッタギタ」にされる映像がよく出ていました。)
のび太君はどんなにやられてもやられても、失敗し続けても、
生きる希望は失いません。

幼少時からさまざまな差別や偏見に悩まされてきた人や、
耐えられないほどの苦痛を与えられた人はいろいろいるでしょう。
しかし、そういう人がすべて自死を選ぶか、というとそうではありませんね。

和田氏はこう書いています。
(引用)
 一つには、報道が自殺を誘発するという問題がある。被暗示性が強い青少年にはその影響が強い。「いじめられて自殺するのは当たり前の心理」「死ねば分かってもらえる」という誤ったメッセージを伝えて、子供の自殺を大幅に増やしかねないからだ。

 現実に、東京都中野区の中学生自殺事件が大報道された昭和61年には、小中学生の自殺は前年より5割以上も多くなり、報道が静まった翌年には60年以下の水準に戻った。愛知県の中学生自殺事件が起きた平成6年には、前年より8割も自殺が増えている。

 だが、それ以上に問題なのは、中野、愛知、そして大津の事件はいずれも、いじめではなく立派な校内犯罪だという点である。逆にいうと、大々的報道による誘発でもない限り、犯罪の領域に達していない「いじめ」では、子供の自殺にまではまず至らないとさえいえるのではないか。

 私も以前、テレビ番組に出演した際に、少女が受けたいじめの内容が集団レイプだったと聞いて戦慄したことがある。いじめなどという言葉を用いて、校内犯罪を、冷やかしや仲間外れなどと同列に扱うことは、教育上もあってはならないのである。
(引用終)※下線部は筆者による。

和田氏の提言の中では、
警察の介入と、教師は本業である教育に専念せよ、
というところに特に共感を覚えました。

学校や教育委員会は、ともすると事なかれ主義に陥りやすいです。
教科書を1年間できちんと終らないようなことが多々ある中、
学校犯罪の処理までやっているなら、学校の機能はストップしてしまいます。
それでは、児童生徒の「教育を受ける権利」が侵害されます。
加害者を罰するのは法に従って、裁判所でやってもらえばいいわけです。
学校が抱えこむから、話がおかしくなるわけです。

(引用)
 逆に、犯罪的ないじめにまで、捜査権も処罰権もない教師が対応しなければならないのなら、彼らの精神的なストレスは増すだろうし、教師の本分である学力の向上や子供へのしつけもおろそかになりかねない。警察に任せるべきことは任せて、教師は本業に精を出すべきなのである。

 それに、いくら校内であっても犯人を隠匿するのは、とりわけ罰金以上の処罰に当たる罪を犯したことがはっきりしている人間を校内だからといって隠匿するのは、立派な犯罪である。校内で子供が人を殺し、それを教師たちで隠匿したら罪になることぐらい、誰でも納得できるだろう。傷害、恐喝事件であっても、それは同じはずである。教師が犯人隠匿まがいの行為を犯していることが子供たちに知られたら、教育者としてやっていけるのだろうか。
(引用終)※下線部は筆者による。

今回の大津の事件から、教育委員会は不要だとかの意見が出ていますね。
教育委員会が形骸化しているのは事実ですが、
教育と行政はやはり独立していた方がいいと思います。
(戦前の反省をふまえて・・・)
むしろ、大幅な法改正をせずとも、
民意を反映するために、戦後の一時期のように、公選制に戻すとか、
開かれたものにすることで解決できるのでは、と考えます。

公立学校の教員の仕事のうち、
生徒指導(特に問題行動への)に関わるものの一部は、
警察やカウンセラーなど、外部機関の手助けをもっと取り入れるべき、
と私は考えます。
生徒指導(や保護者対応)ばかりに労力が注がれるなら、
本業である教育が疎かになるからです。
(金八先生に出てくるような問題行動を、教師が全部引き受けるなら、
当然、教材研究なんかできっこありませんね・・・)

2012年7月29日 (日)

教会の公同の祈り・共同祈願での政治的な祈りについて

教会での礼拝・ミサ中に、教会の信徒代表の方が、
「公同の祈り」(教派によって名称は異なりますが)又は「共同祈願」(カトリック)を捧げます。
たいていは、その方が祈られたとおりになりますように、と思えるのですが、
時折、少なくとも私はその祈りに対して「アーメン」とはいえないな、と思うものがあります。
政治的に論争があるようなものを、教会の公の祈りとしようとするものです。

たとえば・・・
原発推進又は反原発の推進
自衛隊の問題
沖縄の基地問題
などです。

このような問題では、賛否両論ありますね。
たとえば、私は反原発派ですが、
教会の礼拝・ミサで「原発が早く廃止されますように」と祈ることには反対です。
個人の多様さを認めない独善といえます。

なぜこの話題を出したかというと・・・
私の所属教会で、
教会の公の祈りとして、
「沖縄から米軍が撤退し、平和な島を取り戻せますように」
という祈りがなされたからです。
私は「アーメン(そうなりますように)」とは祈ることができませんでした。

これは以前所属していた教会で聴いた話です。
ちょうど、自衛隊が湾岸戦争(1991年)の時に初めて海外派遣される頃のことです。
教会の近くに、自衛隊の基地がありました。
自衛隊の方がそこの教会員になりました。
その教会は、どちらかというと政治的な主張をする傾向があり、
反戦平和の立場から、
教会の集会として、「自衛隊海外派遣反対!」という集会を教会内で行ったそうです。
その中で、自衛隊の方は教会員から吊るし上げを食らい、
結局、教会を出てしまった、とのこと・・・

自衛隊員だから排除される、なんていうのは、教会としてあってはならないことです。
社会的に白い目で見られるような職業(ヤ○ザとか・・・)であっても同じです。
人を助け、時には癒しをもたらすはずの祈りが、
人を排除する道具にはなってほしくないものです。
(個人で祈るのは構わないですが・・・)

聖書の中で、イエス様はローマの軍人である百人隊長の信仰に驚かれました。
イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。
『はっきり言っておく。
イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。』

(新約聖書マタイによる福音書8:10新共同訳)
また、十字架上のイエス様の死を見て、決定的な信仰告白をしたのも、
ローマの百人隊長(同一人物かどうかは不明ですが・・・)でした。
百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。
そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、
『本当に、この人は神の子だった』と言った。

(新約聖書マルコによる福音書15:39新共同訳)
眠られぬ夜のために』(私の愛読書の一つです)の著者カール・ヒルティも、
軍人の信仰についてプラスに評価しています。
私が聖書以外で最も影響を受けた信仰書、
讃美の力』を書いたマーリン・キャロザース牧師も、立派な軍人でした。
(実際にお会いしたことがあります。)

讃美の力

獄中からの讃美

眠られぬ夜のために 第1部

眠られぬ夜のために 第2部

戦争も軍隊もないユートピアを夢見るのは結構なことです。
(あるいは反原発とかでも・・・)
個人でそういう祈りをとことんされるのも結構なことです。
しかし、教会の公の祈りとして、
政治的な立場によって「アーメン」といえなくなるような祈りをささげるのは、
ぜひともやめてほしいものです。

宗論はどちら負けても釈迦の恥~街角で一般人を巻き込む宗教論争の愚

宗論はどちら負けても釈迦の恥」というのは、落語の話ですね。
(私は「説法はどちら負けても釈迦の恥」と記憶していましたが、
実は「説法」ではなく「宗論」だったのですね・・・)
仏教というと、平和共存のイメージが強いですが、
中には他宗派をそしることで自らを正当化しようとするところもあるみたいですね・・・

 

2012年7月29日、妻とJR札幌駅南口付近を歩いていると、
何やら旗を持った人と、ビラを配る人々が・・・
(日蓮正宗の方のようです。)
「創価学会はアブナイです」と主張し、
下の写真のようなビラを通行人に手渡していました。
なんとなく、そのような主張をしている人々こそ、アブナイのでは、と危惧するほど・・・

 

(写真 表)
20120728_nitiren00

 

(写真 裏)
20120729_nitiren01_2

 

宗教たるもの、自らの正当性を主張しないと、存在の意味がなくなるわけですが
(だからこそ、宗教論争、ひいては宗教戦争や自爆テロまで起きてしまうわけですが・・・)、
何が正当かというのは、宗教の「身内」だけでやってほしいものです。
一般人には、関係のない話ですから・・・

 

私は創価学会の味方やシンパではありませんが、
創価学会が某○○○真理教のような反社会的カルトでもないのに、
こんなチラシを出して誹謗するのは、
かえって、日蓮正宗側のイメージダウンにつながるのではないでしょうか?
(少なくとも、私にはそう思えます。)
しかも論点は、「ご本尊」とかのたぐい・・・
(その方たちにとっては、切実な問題なのでしょうけど、
一般人や私のようなクリスチャンには興味のない話です。)
創価学会の「ご本尊」がしっかりしていないから、
「たたり」として、さまざまな災厄が起こるぞ!と脅すのは、
それこそカルト宗教の手口みたいですね・・・

 

日本の代表的なクリスチャンの一人、内村鑑三は、
代表的日本人』において、
日本精神を代表する日本人を5名挙げています。
その中には、日蓮正宗と創価学会の「教祖」ともいえる、
日蓮上人が選ばれています。
また、その生涯を知ると、やはり尊敬に値する方だと私は認めています。
しかし、その後の正当論争は、少なくとも私にとってはどうでもいいことですし、
一般人にとってもそうでしょう。

 

 

冒頭の言葉に戻りましょう。
ウィキペディアの「宗論」をひくと、こう書かれていました。
(引用)
息子の藤三郎がキリスト教信者になって旦那は不満でたまらない。何しろ、旦那自身が熱心な浄土真宗の門徒なのである。「小さいときからありがたいお説法を聴かせてあげたのに、死んだ婆さんがさぞや草葉の陰で泣いているだろう。」と今日も番頭相手に愚痴っているところに件の藤三郎が帰ってくる。「お父様ただいま帰りました。」「なんだい。その手は」「握手であります。」「変な手つきをしなさんな。どこへ行ってきました。」「教会であります。関西からピースというありがたい牧師様がいらっしゃいましたので、お説教を聴いてきました。」「その何かい。タバコみたいな牧師の噺を聴いてきたのか。これ藤三郎。なぜ、お前さんはうちにある仏壇の阿弥陀様を拝まないのです。」と親子で仏教とキリスト教の教義を巡って口論が始まる。
意見はかみ合わず、藤三郎は牧師の口調を真似て聖書の一節を語り、しまいには賛美歌を歌い出す。怒った旦那が殴ると、飯炊きの権助が仲裁に入り「旦那様、宗論はどちら負けても釈迦の恥て言いやす。どうか若旦那を許してくだんせえ。」と説得。興奮していた旦那も我に帰り「いや、権助ようく仲裁してくれました。宗論はどちら負けても釈迦の恥。その通りです。そんなことを言うお前さんも真宗(信州)かな。」「いいえ。おらあ仙台生まれだから奥州でがす。」
(説明)
キリスト教が出てくるのがユニークであるが、もともとは日蓮宗と浄土真宗の信者同士のいさかいの筋だったのを改作したものである。狂言にも同じ題の演目があり、これも日蓮宗と浄土真宗の僧が旅の途中で教義争いをする筋で、おそらくそのあたりがこの噺の源流と思われる。 (引用終)

 

どの宗教・宗派でも、熱心になればなるほど、
他宗教・宗派を誹謗中傷・全否定して自らを正当化する傾向がありますね。
(残念ながら平和を愛するはずのキリスト教会でも・・・)
信仰に熱心なのは結構ですが、
誹謗中傷をするような狂信者にはなりたくないものです。

 

塩は良いものである。
が、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。
自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。

(新約聖書マルコによる福音書9:50新共同訳)
キリスト・イエスに結ばれていれば、(中略)
愛の実践を伴う信仰こそ大切です。

(新約聖書ガラテヤの信徒への手紙5:6新共同訳)

 

 

2012年7月27日 (金)

NHK・クローズアップ現代「デモは社会を変えるか ~声をあげはじめた市民たち~」(2012年7月26日放送)

2012年7月26日朝、朝刊のテレビ欄を読むと、
NHKの「クローズアップ現代」で、
デモは社会を変えるか ~声をあげはじめた市民たち~
という放送があることを知りました。
とても興味深い内容なのですが、つい録画するのを忘れてしまいました。
私は帰りが遅かったので、「失敗したなぁ~」とちょっと後悔・・・

ところが・・・
妻がこの番組を観ていました。
そして、デモの力に感動を覚えたようで、
「4ヶ月も前から行われていたなんて知らなかった!
私もデモに参加してみたいぐらい!」というほどでした。
妻は政治的発言をすることはほとんどないのですが、
そんな妻さえも心を動かすほど、
この番組は一般市民にとってインパクトがあったのでしょうね。

妻とデモについて、反原発やなぜデモがテレビ等で報道されない、
報道されても扱いが小さいのか、諸外国から日本のデモはどう見られているか、
「アラブの春」や日本の安保闘争~連合赤軍までの時代の話などを論じ合いました。

番組スタッフのブログには、こんな一文があります。
(引用)
VTRを見ていくと、そこには、「しょうがないよね」という気持ちになれない、
声をあげることが大切だと気がついた、といった声が多く聞かれました。
これまでは、経済も右肩上がりで、仮に政治が機能していなくても、
なんとかなっていたけれども、先行きが見えない時代の中で、
政治にちゃんと機能してもらうためには、民主主義が機能するためには
デモに参加するなど具体的な行動を取らなければいけないんだ、
と思った人々が少なからずいるということのようです。

(引用終)

「声をあげる」という政治的な権利を、私たち日本国民は忘れてしまっていました。
デモ=反体制⇒共産主義みたいな図式・固定観念をそろそろ捨てるべきでしょう。
少なくとも放射能汚染には、「右」も「左」もありません。
公約を次々と破り、国民の安全を省みない政権に対して、「否!」というのを、
総選挙まで待ってはいけないのです。
(選挙に行かない、というのはもってのほかです!)
上記ブログにあるとおり、「民主主義を機能させるために」も、デモは必要であり、
正当な権利なのです。
「沈黙している」のは賛成しているのと同じです。

また、新聞やテレビが必ずしも真実を報道しているわけではありません。
(デモが十万人規模でも小さい扱いだったり、無視したり・・・
デモに限らず、昨年の原発事故の扱いを見れば、
いかに報道は真実を語らないかが明白でしょう。)
だからこそ、声をあげなければならないのです。
とはいえ、個人個人の力は微力すぎます。
そこで、数の力と連帯が必要なのです!
数が集まれば、ついには国も動くのです!
(参考⇒「日本の大メディアはなぜ反原発デモを報じないのか」ゲンダイネット

私は「アラブの春」のような武力衝突を伴うデモまで賛成するつもりはありませんが、
国民の声を目に見える形で表すために、
反原発デモや消費税値上げ反対デモ、TPP反対デモなどは賛成・応援していきたいです。

NHKは今回デモのことをようやく取り上げたという姿勢は評価したいですが、
実は「黒船」がいたからようやく重い腰をあげたみたいですね・・・
(引用⇒「日本の大メディアはなぜ反原発デモを報じないのか」から)
 毎週金曜日に首相官邸前で行われる原発再稼働反対デモ。集う人々は膨れ上がる一方で、16回目となった今月20日にも9万人(主催者発表)が集まった。
 もはや、民意のうねりは安保闘争並みだが、これをきちんと報じるメディアはごく一部だ。20日は鳩山元首相がやってきて、拡声器を握った。毎日や読売、日経はそれをキワモノ扱いで小さく報じただけ。NHKは脱原発10万人集会(代々木公園=16日)まで、デモを全然扱わず、ついに仏ルモンド紙にこんなふうに書かれてしまった。
〈日本ではデモの習慣は失われていたが、1カ月前から毎週金曜日の夕方、総理官邸の前で原発反対の抗議デモが行われている。デモの参加者は回を重ねるごとに増えている。しかし、国内の主要新聞の扱いは非常に小さく、NHKはこれを完全に無視している〉
 外国メディアにとっては、これだけのデモを報じない大メディアの姿勢の方がニュースなのだ。
 ルモンドの報道は外務省のホームページも取り上げられ、そうしたらNHKは慌てて「デモの参加者増の背景は?」(20日)なんて、“小特集”を組んでいた。

(中略)
 デモ隊=危険分子とでも思っているんじゃないか、この国の当局や大マスコミは。フランス在住のエッセイスト、中島さおり氏はこう言った。
「フランスで、この規模のデモが起これば大ニュースになります。デモは政権に対し、民意を直接示す行動で、民主主義においては極めて重要だからです。メディアはデモで示された民意がどれだけ強いのかを報じる義務がある。人数はもちろん、時には実況中継もやります。日本のメディアがあまりにもデモを報じないことに驚いています」
 メディアが民意ではなく政権の方を向いているのだからどうしようもない。

(引用終)

記者クラブを廃止しない限り、
日本のマスコミは「マスゴミ」に留まるでしょうね・・・

2012年7月25日 (水)

テレビ東京系・いい旅夢気分「涼しい!夏旅シリーズ(1) 夏の北海道・富良野 ラベンダー畑と大自然の幸」(2012年7月25日放送)

先日、家族旅行で富良野・美瑛に行ってきましたが
(過去記事⇒富良野・美瑛を巡る旅2012夏)、
私どもの旅とちょうど同じ頃に、この番組の撮影がされていたようですね。

2012年7月25日放送のテレビ東京系の旅行番組「いい旅夢気分」では、
涼しい!夏旅シリーズ(1) 夏の北海道・富良野 ラベンダー畑と大自然の幸
と題して、
中富良野町⇒富良野市⇒南富良野町⇒狩勝峠⇒
十勝川温泉⇒幕別町⇒新得町⇒清水町の旅を紹介していました。

「富良野」といえば、中富良野町のファーム富田が有名ですね。
シーズンには「ラベンダー畑駅」という臨時駅が開設されるほど。
今回はファーム富田をちょっとしか見ることができませんでしたが、
番組でたっぷり見ることができました。
(実家から「富良野の番組やっているよ~」と電話がかかってきました(*^-^))

通常なら、富良野⇒中富良野⇒美瑛・・・というのが観光ルートの定番なのですが、
この番組では、中富良野⇒富良野⇒南富良野・・・
と穴場狙い(?)のコースを紹介していたのはとてもよかったです。
(実際、上記の通常コースなら、7月中は大変混雑します。)
新得町の共働学舎新得農場・ミンタルも紹介されていました。
かつて一度行ったことがあります。
(過去記事⇒とうもろこし人形
つい最近、キリスト教系の雑誌記事を立ち読みした際に知ったのですが、
代表の方はクリスチャンなのですね。
(参考⇒共働学舎について

代表・宮嶋望さんの著作です。
みんな、神様をつれてやってきた [単行本]

いのちが教えるメタサイエンス―炭・水・光そしてナチュラルチーズ [単行本]

ちなみに、今回番組で紹介されたとおりのコースを全部行くなら、
行ったり来たりする時間が結構ありそうです。
もう少し効率的なルートをとることをオススメします。
(・・・⇒南富良野⇒新得町⇒清水町⇒幕別町⇒十勝川温泉)

2012年7月24日 (火)

NHKBSプレミアム・プレミアムシアター「聖トーマス教会合唱団 マタイ受難曲」(2012年7月23日放送)とサイモン・ラトル&ベルリン・フィルのマタイ受難曲

NHKBSプレミアムの「プレミアムシアター」で、
真夏だけどバッハの「マタイ受難曲」全曲を放映していましたので、
録画して一部観ました。

演奏は、ゲオルク・クリストフ・ビラー指揮、
聖トーマス教会合唱団&ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団で、
2012年4月5、6日、ドイツ・ライプチヒ 聖トーマス教会での収録です。
バッハの本場、本家本元ともいえる演奏だから、
少し期待していたのですが・・・

冒頭から、テンポがセカセカと早いのは、
昨今の古楽演奏によくあることなのでまぁいいとしても、
合唱が美しいけれどもキレイごとすぎるなぁ・・・と思いました。
美しいけど、心に響かない・・・

第1曲で残念なのは、ソプラノ・アルトのパートがすべて少年合唱だということです。
そうすると、第1曲のソプラノ・リピエーノ(児童合唱)が全然生きてきません。
音が女性パートと混じってしまい、埋没してしまいます。
「マタイ」での男性・女性の声が地上の嘆きや罪人らの声だとすれば、
児童合唱は天からの声なのに!

BGM的に流し聴きするには、あたりさわりがなくて最適かもしれません。
なんとなく流して聴いていたら、あっという間に第1部が終っていました・・・
しっかり聴いたのは第1曲だけでした。

どうもこの演奏に納得がいかなかったので、
我が家にある他の演奏を「視聴」してみました。
(「マタイ」のCDはカール・リヒターの1958年録音1種類があれば十分です!)

リマスター版

通常版

同輸入版

ハイライト版

今回は映像作品限定で比較してみましょう。
今年5月末に入手した、サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルによる、
マタイ受難曲」のBlu-rayは実に刺激的な映像作品です。
詳しくはHMVのサイトでどうぞ!
改めて冒頭の第1曲のみ比較のため視聴してみると、
合唱の質の高さと、説得力がありました。
21世紀のスタンダード的な演奏になるかもしれません。
「観るマタイ」としてはこれをオススメします。
ただし、誤解を招きかねない演技が一部含まれています。
(Amazonでは取り扱いがないようです・・・)
演奏のレベルは秀逸(特に合唱!)ですが、
感銘度はやはりカール・リヒターの演奏に及びません。

「感動するマタイ」の映像作品なら、
やはりカール・リヒター指揮のがオススメです。
(以前にも記事を書いています。
J・S・バッハ「マタイ受難曲」のCDとDVD
NHK「名曲探偵アマデウス」・バッハ「マタイ受難曲」

DVD

同輸入版

聖トーマス教会聖歌隊によるバッハのCDでは、
古い録音になりますが、8枚組で1500円以下で、
「マタイ」も入っているCDが発売中です。

2012年7月22日 (日)

NHKBSプレミアム・特選 オーケストラ・ライブ「ルツェルン音楽祭2011から」(2012年7月22日放送)

日曜朝のお楽しみ、NHKBSプレミアムの「特選オーケストラ・ライブ」。
2012年7月22日放送は、クラウディオ・アバド指揮・ルツェルン音楽祭管弦楽団による、
モーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」と、ブルックナーの交響曲第5番でした。
収録は2011年8月19,20日ルツェルン文化会議センターコンサートホールです。
NHK番組表

モーツァルトの「ハフナー」はなかなかの演奏だと思いました。
第2楽章はちょっとセカセカしすぎでイマイチでしたが・・・

ブルックナーの交響曲第5番は、一言で言えば「圭角が取れた」演奏でした。
柔和なブルックナー・・・まるでモーツァルトのよう?
もっとカドがほしいところでも「まろやかな」響きだったのは、
アバドらしい演奏なのでしょうね。
ただし、第2楽章はそれが成功していたといえます。
アンサンブルは精緻で美しかったです。
厳しい、峻厳な響きや粗野で荒ぶる響きが要求されるようなところでも、
「都会的」で「上品」な演奏でした・・・
(中世の城のような堅固さ、武骨さが求められるハズですが・・・)

今回の放送、ブルックナーの交響曲第5番に限っては既にDVD、Blu-ray化されています。

Symphony No. 5 [Blu-ray] [Import] (2012)

Symphony No. 5 [DVD] [Import] (2012)

演奏・録音詳細については、HMVのサイトでどうぞ。
交響曲第5番 アバド&ルツェルン祝祭管弦楽団

ブルックナーの交響曲第5番は、私にとっては、
ブルックナー好きになったきっかけとなった曲です。
ただし、すぐにブルックナーのすばらしさがわかったわけではありません。
カラヤン指揮ベルリン・フィルの演奏とか聴いてみても、
ただ長大なだけでよくわからなかったです。
しかし、バレンボイム指揮ベルリン・フィルの演奏による交響曲第5番の演奏を聴いて、
ようやくブルックナーの真価に開眼させられました。
特に第4楽章。
第1楽章、第2楽章の主題をクラリネットが否定するところなどは、
「ああ、これはブルックナー版の『第9』(ベートーヴェンの)なんだ!」と気づきました。
ブルックナー(とシベリウス)は、わかればのめりこむ中毒性があります。
その後、私は完全にブルックナー「中毒症」になってしまいました・・・
バレンボイムのブルックナーにはあっさりと別れを告げ、
朝比奈隆やヴァント、ヨッフム、シューリヒト、クナッパーツブッシュ・・・
といった錚々たるブルックナー指揮者の名演にのめりこみ、
交響曲全集だけで何セットか持っていたこともあります。
(たしか朝比奈隆で2セット、ヨッフムで2セット、他は・・・忘れてしまいました。)

ブルックナーの交響曲第5番の名盤としてオススメは、
ギュンター・ヴァント指揮ベルリン・フィルの圧倒的な演奏です。
どちらかというとあまり人気がでないこの曲の真価をフルに引き出しています。

Symphony 5 [Import, From US]

ブルックナー:交響曲第5番 [Hybrid SACD]

(最近ではBoxセットもオトクです・・・
ヴァント指揮ベルリン・フィルによる4、5、7、8、9番のセット)

他の指揮者のでは、ヨッフムの演奏がオススメです。

Anton Bruckner Symphony No5

ヨッフムによるブルックナー交響曲全集(新)
Complete Symphonies 1-9

※5番だけなら、上記のCDの方がすばらしいです。

ブルックナーを聴く悦びを教えてくれた、バレンボイムにも敬意を表して・・・
ブルックナー:交響曲全集(9枚組)/Barenboim

※9枚組で3000円以下!?


放送の内容に戻りましょう。
アバドの指揮による演奏でしたが、
久々にブルックナーの交響曲第5番全曲を聴きました。
たぶん、十数年ぶりかもしれません。
私はキリスト教の洗礼を受ける前は熱烈なブルックナー・ファンでしたが、
洗礼を受ける前の四旬節に、
思い切って1ヶ月程度ブルックナーを聴くのをやめてみようと決めました。
洗礼を受けてから晴れて聴いてみましたが、
前ほどのめりこまなくなってしまいました・・・

以後、ブルックナーのどの交響曲も、だんだん聴く機会が減り、
10年くらい前からは、全曲を通して聴く、ということがほぼ無くなりました。
6番の第2楽章アダージョや、7番の第1楽章、
9番の第3楽章だけを取り出してたまに聴く程度です。

2012年7月17日 (火)

富良野・美瑛を巡る旅2012夏

夏はやっぱり北海道!
北海道の夏で特に美しいのが、北海道のまん中に位置する、
富良野市近隣(富良野市、中富良野町、上富良野町、南富良野町)と、
美瑛町です。
(※以下、「富良野」と書いた場合は、上記4市町すべてを指します。)
先日再び富良野・美瑛へ行ってきました。
妻と私の両親を伴っての車での4人旅でした。

富良野へは滝川まで高速道路で行き、
滝川から後は国道38号線を行きました。
行きは天気がパッとしないせいか、渋滞には巻き込まれませんでした。
(7月の晴れた日の土日祝にこのルートを使うと、
大渋滞に巻き込まれる可能性大です。
むしろ、旭川経由で行くか、裏道を駆使するなどの工夫が必要です。
あるいは、高速道路は三笠までとし、桂沢湖経由で富良野へ入るとか・・・)

今回の旅行中、富良野で見てきたのは、
ニングルテラスと喫茶「森の時計」(富良野市)、
ふらのワインハウス(富良野市)、
カンパーナ六花亭(富良野市)、
フラノ・マルシェ(富良野市)、
ファーム富田のラベンダー・イースト(中富良野町)、
ファーム富田(ただしすぐ横を素通りしただけ・・・)(中富良野町)、
彩香の里(中富良野町)、
日の出公園(上富良野町)
でした。
(南富良野町へは行けませんでした・・・)

ラベンダー・イーストでの一枚
20120717_ravender_east

彩香の里での一枚
20120717_saika_no_oka_in_furano

7月の富良野は、どこへ行っても混んでいます。
中でもスゴイのが、ファーム富田!
中富良野町のファーム富田から、富良野市まで大渋滞でした。
普通で2~5km、最大10kmぐらいでしたでしょうか?
これから富良野へ旅行を考えている方にオススメしたいのは、
少なくとも富良野駅~ラベンダー畑駅(または中富良野駅)までは、
JRで行くことです。(あるいは旭川~ラベンダー畑駅または中富良野駅)
※バスも車なので大渋滞に巻き込まれます!
ファーム富田へ午前9時頃行ってみたら、既に道路は大渋滞でしたので、
ここはひとまず諦めて、同じファーム富田のラベンダー・イーストへ先に行きました。
日本最大級のラベンダー畑が拡がっています。
ここでもラベンダー・ソフトなどを味わうことができますよ。

夕方にダメモトでファーム富田(本体)へ行ってみましたが、
やはり大渋滞が続いていました。
私は町道(縦横に拡がっています)をうまく使って、
渋滞をなんとか突破できないか試みました。

最終手段として、あえて逆走をやってみました。
ラベンダー畑駅の方からファーム富田方面へ入り込み、
渋滞を尻目に「とみたメロンハウス」の方へ上がります。
そうすると、運がよければ駐車場が空いているかもしれません。
(ただし、今回はさすがに無理でしたが・・・)
その道を行くと、ちょうどファーム富田の横を通ることができます。
車から降りて見ることはできませんでしたが、
一目でもファーム富田の丘に広がるラベンダー畑を見ることができたのはラッキーでした!

ファーム富田へ行くのが渋滞で難しい場合、次善の策としては・・・
1.彩香の里
2.ふらのワインハウス
がオススメです。
どちらでも、丘にひろがるラベンダー畑を見ることができますよ。


美瑛での観光は・・・
やはり、「四季彩の丘」は外せません。
その他、丘の景色も今回の旅では堪能しました。
私にとっての美瑛でのメインは、最近話題の「青い池」(白金温泉近く)でした。
あと、十勝岳温泉へ向かう途中の望岳台もすばらしいですよ!!!
(私の両親は特にここが感動ポイントでした・・・)

青い池での一枚
20120717_blue_pond_in_biei

四季彩の丘での一枚
20120717_shikisainooka

親子の木
20120717_family_tree_in_biei

ケンとメリーの木
20120717_ken_and_merrys_tree

美瑛町の丘の景色を見ながら車を走らせているときに、
BGMで流していたのは、
ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」でした。
本当に景色にピッタリでした!
演奏は先日入手したギュンター・ヴァント指揮のベートーヴェン交響曲全集から。
交響曲第1番・第6番。

Symphony 1-9 [Box Set, CD, Original Recording Remastered, Import, From US]

青い池への道は、美瑛町側から入るのと、
上富良野町から十勝岳温泉・望岳台経由で入る2通りがあります。
私どもは上富良野町から入りましたが、これが大正解でした!
美瑛町側から入る道は大渋滞になっていたからです・・・
2~3kmぐらいの大渋滞・・・

あえてここは美瑛町の観光協会に苦言を呈したいのですが・・・
青い池そばの駐車場が大渋滞になったのは、
バス用の駐車場に一般車両が駐車して占拠していたからでした。
交通整理する警備員が1名いて一般車両を奥の駐車場へ誘導していたら、
あのような渋滞にはならなかっただろうと推測します。
実際、奥の一般車両用の駐車場は結構空いていました。
ぜひ、警備員最低1名は駐車場に配置してください!

ところで、先日2012年7月14日に、
テレビ東京系の「出没!アド街ック天国」で、
富良野が特集されていました。
7月14日放送回
ラベンダーが何で第4位なの?などよくわからない面もありましたが、
多面的に富良野の魅力を紹介していたのは良かったです。

本来、天気予報ではあまりいい天気ではなかったはずでしたが、
好天に恵まれました。
いろいろな意味で、神様の恵みと御手の守りに助けられました。
神様に感謝!!!

2012年7月11日 (水)

「いじめ」ではなく「犯罪」~大津の中学生自殺事件に思う

2012年7月11日夜、NHKを観ていると、「ニュース速報」として、
大津の中学生自殺 学校と市役所捜索」というテロップが入りました。
最初に思ったのは、「ニュース速報にすべき内容なのかな?・・・」でした。
学校と市教委を捜索=大津中2自殺で滋賀県警

この事件に関して、報道されている範囲でいえば、
自殺した生徒が通っていた中学校と、
大津市教委の対応、そしてようやく重い腰を上げた滋賀県警のいずれも、
「犯罪」を必死になって隠蔽しようとする姿勢しかみられません。

詳しいことはそのうち明らかになるでしょうから、
「真犯人はコイツだ!」みたいなことを書くつもりはありません。

中学校や市教委が、誠意ある対応を最初から見せていれば、
日本全体にとっては「小さな火種」で終っていた事件でした。
(ご遺族の方の心中は察して余りありますが・・・)
しかし、隠蔽に次ぐ隠蔽、不誠実な対応が、
問題を大きくしてしまいました。
NHKのニュース速報で流れるような事態になってしまったので、
大津市の教育長や中学校長、担任らは重大処分を免れないでしょう。
(被害届を受理しなかった警察の職員も厳重処分されるべきでしょう。)

ところで、以前から思っていたのですが、
「いじめ」という言葉は、本来暴行事件や恐喝の範疇に入るものを、
子ども同士のオフザケに矮小化しています。
大津市の事件で言えば、もはや「いじめ」ではなく、立派な「犯罪」なのに!
「いじめ」という呼称を止め、きっちりと「犯罪」であることを示すべきです。

大津の中学生自殺は「校内犯罪」だ 暴行、恐喝を「いじめ」とすり替えるな
という記事を読みました。大変共感を覚えました。
記事の主張の中心部を引用します。
(引用)
 大澤氏によると、かつては教育の場で「社会的人間の形成」が重視され、いじめが起きても教師が加害者の生徒を叱り、二度と繰り返さないような措置を施して「根元」を断ち切っていた。だが時代とともに「善悪」を教える風潮が薄まり、加害者への措置も講じられなくなったと指摘する。学校教育法では、教育上必要があれば加害者に対して懲戒(11条)や出席停止(35条)を命じられると定める。ところが文部科学省の「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」(2011年8月4日付)を見ると、2010年度に全国の小中学校で出席停止が下された74件中、いじめを理由にしたのはわずか6件。最も多かったのが「対教師暴力」の21件だった。
文科省は1995年、「いじめの定義」として「自分より弱い者に対して一方的に、身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの」とした。これを2006年、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」と改めた。暴行や恐喝といった犯罪行為が「『いじめ』という言葉にすり替えられ、しかも定義があいまいになっている」と大澤氏。深刻な犯罪の意味合いがぼかされて、「ふざけ合い」「単なるケンカ」として処理されうる流れになってしまっていると憤る。

(中略)
 大澤氏は全国各地でいじめに悩む親子の相談を受けている。自身のつらい体験について、「息子がいじめられていたのを見ていた同級生が担任に報告したにもかかわらず、現場に行かずに放置していたのです」と振り返る。こうなれば、いじめの行為はますますエスカレートしがちだ。「いじめの実態を知ろうとしない。そうしておけば後から『学校側は把握していなかった』と言えるからです」と続け、「これは文科省の方針のせい」と怒りを隠さない。大津市の場合も、学校側は「見て見ぬふりをしていた」と生徒から声が上がっている。市教育委員会はいじめがあったことを認める一方で、自殺との因果関係は「判断できない」としている。
教育評論家の森口朗氏に聞くと、大澤氏と同様に今回の加害者側の行為を「校内犯罪」と断定する。一方で最近は未成年でも、加害者が罪に問われる事例が「ようやく出てきました」と話す。
本来であれば、悪質な「いじめ」が発覚したら被害者側と学校が連携して警察に被害届を出すのが望ましいと森口氏。そのうえで、実態を明らかにするために証拠を固めることが重要だという。複数の証拠に基づいて告発すれば、警察も動かざるをえなくなるからだ。
だが大津市のケースでは、学校側が協力的とはいえない。その場合に被害者側は、マスコミに訴えかけるなど別の方策をとる必要がある。さらに、「都道府県レベルで『いじめ防止条例』のようなものを制定し、教師がいじめの実態の隠ぺいに加担したら処罰する内容を盛り込んではどうでしょうか」とも提案する。学校側に腰を上げさせるためにも、ある程度強制的に「校内犯罪撲滅」への手段が必要というわけだ。

(引用終)

余談ですが、冒頭に書いたテレビのニュース速報を見て、
私はトルストイの民話の一つを連想しました。
火を消さずにおくと』という物語です。
小さな争いごとが、大きな災いの元になる、というお話です。
『火は早めに消さないと』(ブックレビュー記事)
トラブルは小さいうちに解決した方がいいですね・・・

火は早めに消さないと (Forest books) [大型本]

トルストイの民話

トルストイ民話集 人はなんで生きるか 他四篇 (岩波文庫) [文庫]

2012年7月 8日 (日)

バーンスタインの交響曲第1番「エレミア」とラヘル・フレンケル(Rachel Frenkel)~NHKBSプレミアム・特選 オーケストラ・ライブ「N響コンサート-第1728回定期公演-」(2012年7月8日放送)

日曜朝のお楽しみ、NHKBSプレミアムの「特選オーケストラ・ライブ」。
2012年7月8日放送は、N響第1728回定期公演でした。
曲目は以下のとおりです。

フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム(1990)(武満徹)
弦楽のためのアダージョ(バーバー)
交響曲 第1番「エレミア」(バーンスタイン)

指揮は広上淳一さん。
バーンスタインの交響曲第1番”エレミア”のメゾソプラノ独唱は、
イスラエル出身のラヘル・フレンケルさんでした。
収録は2012年5月18日、NHKホールです。

武満徹の曲は、昨年(2011年)5月に佐渡裕さんが
ベルリン・フィルへデビューを果たした際に指揮した曲でもありますね。

佐渡 裕 ベルリン・フィル・デビューLIVE※CD

佐渡裕 指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 武満徹:フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 [DVD]

佐渡裕 指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 武満徹:フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 [Blu-ray]

ただ、佐渡裕さんの演奏時と今回の放送でも思ったのですが・・・
「さっさと終わらないかな~・・・・・・・・」
というわけで、武満徹の曲へのこれ以上のコメントは控えます。

バーバーの「弦楽のためのアダージョ」は名曲ですが、
演奏の感銘はあまりありませんでした。
スピーカーの近くで聴いていると、時折指揮者のうなり声がチラホラと・・・

今回の放送のメイン・ディッシュは本来、武満徹の曲なのでしょうが、
私にとっては、バーンスタインの交響曲第1番「エレミア」でした。

バーンスタインが20代の時に作曲されたこの作品、
第1楽章「予言」:Largamente
第2楽章「冒涜」:Vivace con brio
第3楽章「哀歌」:Lento

の3楽章で構成され、
第3楽章ではメゾ・ソプラノがヘブライ語で旧約聖書の「哀歌」の一部を歌います。

レンブラント「悲嘆にくれる預言者エレミヤ」
20120708_jeremiah

オーケストラは熱演で、とてもわかりやすい演奏でした。
(私がこの曲を聴いたのはこれで2回目です・・・)
第3楽章のソリスト、ラヘル・フレンケル(Rachel Frenkel)さんの独唱は、
非常に美しい響きでした。
ヘブライ語歌唱だから発音とかはよくわかりませんが、
言葉の壁を越えて嘆きが伝わってきました・・・

ところで、「エレミ」と「エレミ」、どちらが正しいのでしょう?
バーンスタインの曲を初めて日本に紹介した人は、
「Jeremiah」を「ジェレマイ(英語読み)⇒エレミ」としたのでしょうか?
それとも、主要な日本語訳聖書の一つ、バルバロ訳に合わせたのでしょうか?
ちなみに、文語訳、口語訳、新共同訳、新改訳、フランシスコ会訳いずれも、
エレミヤ」と訳されています。
「エリヤ」とか「イザヤ」の「ヤ」は、神様の名前を表すからです。
(実際上、最後の「ヤ」は日本語では「ア」になりやすいですね。)

バーンスタインの曲の演奏は、やはり作曲者自作自演盤がベストでしょう。
ニューヨーク・フィルを振った旧盤と、
イスラエル・フィルを振った新盤があります。
どちらの盤で聴いたかは残念ながら忘れてしまいました・・・

旧盤
Leonard Bernstein Conducts Bernstein [Box Set, CD, Import, From UK]

新盤
バーンスタイン:交響曲全集

Chichester Psalms / Symphony 1 & 2 [CD, Import, From UK]

2012年7月 7日 (土)

本当は怖いピーターラビットシリーズ?~NHKEテレ・グレーテルのかまど「ひげのサムエルのローリー・ポーリー・プディング」(2012年7月7日放送)

下の写真をご覧ください。
子ネコがネズミ夫妻に捕まって、
パイの中にグルグル巻きにされてしまう、という絵です・・・
(TV画像を撮影したものです。)
子ネコの恐怖におびえる顔・・・

20120707_cat

これは、『ピーターラビットの絵本』シリーズの一つ、
ひげのサムエルのおはなし』の一場面です。

ひげのサムエルのおはなし (ピーターラビットの絵本 14) [単行本]

ちょっぴりこわいおはなしセット(全3冊) (ピーターラビットの絵本) [単行本]

2012年7月7日放送の、NHKEテレ「グレーテルのかまど」では、
ひげのサムエルのローリー・ポーリー・プディング」と題して、
上のお話に出てくる、子ネコが危うくパイにされかけたスイーツ
(※注!実際のお菓子はもちろん子ネコではなく、ジャムを巻きます!)
ローリー・ポーリー・プディング」を紹介していました。
番組HP
レシピはコチラ

実は、この映像を初めて観たのは、先月(2012年6月)に放映された、
NHKBSプレミアムの「ピーターラビットからの贈り物
という5回シリーズの30分番組の中でした。
その時は、絵本ではなく、絵本をアニメ化したものの放映でした。
初めて観たときは衝撃的でした・・・
(2012年7月中に再放送されるかも?⇒土曜日16:30~17:00)

その番組で紹介されたピーターラビットシリーズの話には、
結構シビアなものがみられました。
たとえば、ピーターラビットのお父さんは、
人間に捕まってパイの具にされたり・・・
ウサギが服を着たりするところはカワイイのですが、
変なところがリアルなのが怖い・・・
この『ひげのサムエルのおはなし』は特にそうです。
本当は怖いピーターラビットシリーズ?

20120707_tale_of_peter_rabbit_12

それはさておき、「グレーテルのかまど」は毎回楽しんで夫婦で観ています。
妻はグレーテル役の瀬戸康史さんがカワイイ~と言っています・・・
いろんなスイーツと、スイーツを通して「文化」が見えてくる、
とてもすばらしい教養番組ですね~!

2012年7月 4日 (水)

書評:ケン・コスタ著『ゴッド@ワーク』(原題:God at Work)~ビジネスと信仰

アルファ・コース」というキリスト教の伝道プログラムをご存知ですか?
アルファ・コース公式HPから概要を引用します。
(引用)
アルファは、教会に行っていない人やクリスチャンになったばかりの人を対象にしたキリスト教信仰を分かりやすく紹介する15のセッションからなるコースです。

アルファは、食事、トーク、スモール・グループで構成され、この順番で行なわれます。
現在、55000を超えるアルファ・コースが世界の166ヵ国で開かれています。

コースは、キリスト教の主な教派のすべてで導入され、都市から農村地域に至るまで、
また、刑務所、学校、大学、職場でも開かれています。
アルファ・コースは1977年にロンドンにある英国国教会、ホーリー・トリニティ・ブロンプトン教会で始められましたが、1991年から、ニッキー・ガンベル師が担当するようになり、教会外の人々に焦点が合わせられ伝道の方法として発展し、1993年、最初のアルファ・カンファレンスが開催され、イギリス国内のみならず、世界各国で用いられるようになりました。

(引用終)

私はとあるアルファ・コースの運営に携わっています。
アルファ・コースはキリスト教入門プログラムとしてはとてもすばらしいものですよ!)
アルファ・コースの発祥は聖公会の教会ですが、プロテスタント諸教会はもとより、
今やカトリック教会でも開催されている超教派的なプログラムです。

先月6月に、札幌でアルファ・カンファレンスが開かれました。
(既にアルファ・コースを行っている教会スタッフや、
これからアルファ・コースを開催しようとする教会のための研修会のようなものです。)
そこで、アルファ・ジャパンから出されている1冊の本を買いました。
ケン・コスタ著『ゴッド@ワーク 目的を持って毎日を生きる』です。

この本の邦訳はAmazonでは取り扱いが今のところありません。
キリスト教書店に行けばあるかもしれません。
(写真)※№15の青い本です。写真が小さくてゴメンナサイ・・・
価格は1575円です。

20120704_alpha

※大きい写真はデンパンのHPでどうぞ。
デンパン アルファジャパン Alpha Japan

この本の著者、ケン・コスタは、イギリスの実業家であり、
アルファ・インターナショナルの会長を務めています。
ビジネスとキリスト教信仰をどう両立させるか、
働くことを通して神様の栄光を表すにはどうすればよいのかを、
きわめて実践的に説いています。
全231ページどこをとっても実際的・実践的です。
既に1度読みましたが、最近では毎朝少しずつ(数ページずつ)読んでいます。

著者は労働の場を単なる金もうけの場とみないで、
「礼拝の場」とさえみなしています。
真実の信仰に生きるには「俗世間」を捨てねばならぬ、
という聖職者至上主義とは対極ですね。

使徒ペトロや使徒ヤコブ、使徒マタイなどは、
漁師や徴税人といった仕事の最中にイエス様から召し出されました。
フルタイムで働く神父や牧師だけが尊く、
信徒は「二級品」だ、みたいな考えは聖書的ではありません。
一方、信仰は日曜日だけで、
後の6日間は神様がいないかのように生活する、
というのはさらにひどいものです。
だからこそ、本書のようなビジネスの第一線で働く人の語る、
ビジネスと信仰の話というのは、実に興味深いものなのです。
ぜひご一読を!

そして、わたしたちが命じておいたように、
落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、
自分の手で働くように努めなさい。

(新約聖書テサロニケの信徒への手紙Ⅰ4:11新共同訳)

なお、本書の著者ケン・コスタの英語のサイトがあります。
GOD AT WORK

Amazonでは、原著(英語)を入手できます。

God at Work: Living Every Day With Purpose

2012年7月 1日 (日)

「天上の声」が欲しかったデュリュフレのレクイエム~NHKBSプレミアム・特選 オーケストラ・ライブ N響コンサート -第1727回定期公演-(2012年7月1日放送)

日曜朝のお楽しみ、NHKBSプレミアムの「特選オーケストラ・ライブ」。
今回は、N響の第1727回定期公演でした。
曲目は以下のとおりです。

オネゲル:交響詩「夏の牧歌」
ショパン:ピアノ協奏曲第2番へ短調作品21
デュリュフレ:レクイエム作品9

指揮は尾高忠明さん。
ショパンのピアノ独奏はピアノはギャリック・オールソンさん、
デュリュフレのメゾ・ソプラノは加納悦子さん、
バリトンは三原剛さん、
合唱:新国立劇場合唱団でした。
収録は2012年5月12日、NHKホールです。

オネゲルの「夏の牧歌」とショパンのピアノ協奏曲第2番はすばらしい演奏だと思いました。
「夏の牧歌」はあまりなじみのない作品ですが、
精緻な演奏によってさわやかな魅力が十分引き出されていました。

ギャリック・オールソンという名は恥ずかしながら今回初耳でした。
オーケストラ共々、
ショパンなのにまるでベートーヴェンのような硬派な演奏を繰り広げていました。
しかしそれがマイナスかというと、むしろプラスに働いていたと思います。
生クリームでいっぱいのショパン像ではなく、
ビターチョコレートのようなショパン像を示してくれた、なかなかよい演奏でした。
今回の放送での白眉といえましょう。

ギャリック・オールソンさんのCDとBlu-rayを一部紹介します。
どちらもショパンの曲を演奏したものです。

Preludes & Nocturnes [Import, From US]

Garrick Ohlsson Plays Chopin: Art of Chopin [Blu-ray] [Import] (2012)

さて、今回の放送で最も期待していたのが、
デュリュフレのレクイエムでした。
フォーレのレクイエムと同じ構成をとった20世紀の宗教曲の傑作です。
私としては、フォーレのレクイエムよりも好きなレクイエムです。
グレゴリオ聖歌のレクイエムを使っています。
どんな演奏になるのだろう・・・
番組冒頭では、指揮者の尾高さんがこの曲への思いいれを語っていました。

しかし聴いた結果は・・・
タイトルに書いたとおり、「天上の声」が欲しかったかな~という感想でした。

新国立劇場合唱団の声は、声楽的にいえば、確かにすばらしいです。
しかし、この曲の特に女性パートは、天から響いてくるような、
超・人間的なものでないと、美しく聴こえません。
全体的に、宗教曲というよりは、オペラのように聴こえました。
(ニーチェ流に言えば「人間的な、あまりに人間的な」でしょうか・・・)
オーケストラはすばらしい響きを出していたのに・・・
オーケストラだけなら、過去に聴いた演奏の中でも最高に属します。
たとえば「聖なるかな」のところなどは迫力満点でした!

この曲は、女性パートにボーイ・ソプラノを使った方がより神秘的に聴こえます。
(例外は、後で紹介します聖ヤコブ室内合唱団の女性ソプラノだけでしょう・・・)

デュリュフレのレクイエムを初めて聴いたのは、今から20年近く前です。
作曲家自身の指揮によるフルオーケストラ版です。
冒頭から、永遠の光の世界に入るかのような、
実に神秘的で美しい曲だな~と感動しました。
中世の大聖堂のバラ窓のような・・・
(何年か前にたまたま聴く機会がありました。
さすがに、古い録音だな~とも思いましたが・・・)
有名絵画でこの曲を表すとしたら、
エル・グレコの「オルガス伯爵の埋葬 」あたりでしょうか?
(中世の大聖堂の方がふさわしいかも?)

オルガス伯爵の埋葬 (Entierro del conde de Orgaz)
20120701_elgreco


作曲家自身の指揮による演奏
Durufle: Requiem / Quatre Motets [Import, From US]

フォーレのレクイエムで名演奏を残しているコルボの指揮
デュリュフレ:レクイエム

以前、フォーレのレクイエムとデュリュフレのレクイエムがセットになって、
ソプラノパートはボーイソプラノが歌っている盤がありました。
こちらは伴奏がオルガンだけでしたが、とても美しいものでした。
現在は廃盤のようです。

Durufle;Requiem [Import, From UK]

デュリュフレのレクエイムのCDで最も美しいのは、
BISレーベルで発売されていた、
聖ヤコブ室内合唱団によるものです。
こちらも伴奏はオルガンだけです。
宇野センセイ絶賛の1枚です。

宇野功芳の音盤棚「これがUNO!」 Vol.7


・・・とはいえ、デュリュフレのレクイエムをプログラムに選曲した、
指揮者の尾高さんとN響には感謝!

2012年6月のアクセス数ベスト10記事一覧

2012年6月のアクセス数ベスト10記事は以下のとおりです:
(※トップページを除く)
ベスト3までは記事リンクをつけています。

一位.ウコンは肝臓に悪い?~NHK・ためしてガッテン「肝臓の健康を守れSP」
(2011年6月29日放送)

二位.公立学校で習熟度別授業の導入はプラスか、マイナスか?~読売新聞北海道版・連載「学力危機」第1部・札幌の格差 (10)を読んで
三位.大林宣彦監督の映画~尾道三部作(特に「さびしんぼう」)と「ふたり」、「あした」
四位.NHK・クローズアップ現代「大人がハマる“数学ブーム”の謎」(2011年7月27日放送)
五位. 「学びあい」という美名の下の教育の堕落~NHKEテレ・ETV特集「輝け二十八の瞳 ~学び合い 支えあう教室~」(2012年2月5日放送)
六位.書評:小玉ユキ作『坂道のアポロン』1~9巻(附:アニメ版について)
七位.退職すると訴訟?!社畜から奴隷へ?ブラック企業の恐怖・・・~NHK・クローズアップ現代「やめさせてくれない~急増する退職トラブル~」(2012年4月26日放送)
八位.NHKEテレ・ららら♪クラシック「小澤征爾 渾身のコンサート~2012年水戸」(2012年6月17日放送)~BD・DVD化されます!
九位.美人はトクだね~?~NHKBSプレミアム・クラシック倶楽部「奥村愛 バイオリン・リサイタル」(2012年6月8日放送)
九位.NHKBSプレミアム・プレミアムシアターでのバレエ「不思議の国のアリス」と「くるみ割り人形」(2012年6月4日、6月18日放送)
十位.NHKBSプレミアム・クラシック倶楽部-辻井伸行 ピアノ・リサイタル-(2012年6月11日放送)

九位は同数でしたので2つあります。
ベスト1はアクセス数1000件越えです。
その他は毎月変わらずNHKネタが強いようですね・・・
昨年9月に書いた習熟度別授業の記事が、
なぜか6月下旬からよく読まれているようです。

札幌にも本格的な夏がようやく到来しました。
今月もご愛読よろしくお願いします。

« 2012年6月 | トップページ | 2012年8月 »

2023年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

カテゴリー

にほんブログ村

  • クラシックCD鑑賞
  • にほんブログ村
無料ブログはココログ