おすすめブログ記事~『改めて「ゆとり教育」を問う』(ニューズウィーク日本版・冷泉彰彦氏)
2012年の全国学力テスト(全国学力・学習状況調査)は、
4月17日に行なわれましたね。
今年度は理科も加わり、結果が待ち遠しいところです。
しかし一方、恥ずかしながらわが札幌市は、
抽出校のみの参加で、希望校は0というお粗末な対応でした。
⇒札幌「希望参加」ゼロ…2年ぶり学テ、理科初登場
(読売新聞北海道版2012年4月17日)
札幌市教育委員会の対応は時代に逆行しています。
(全国学力テストは、公立学校なら全校参加にするよう法令改正すべきです!)
札幌市教委にとっては、いまだに「ゆとり教育」が理想なのでしょうかね~・・・
たいした「ゆとり」ですね・・・
ところで、「ゆとり教育」について、
短いながらも実にすばらしい、まさにとどめを刺すような記事を読みました。
ニューズウィーク日本版に連載中の、
冷泉彰彦氏による「プリンストン発 新潮流アメリカ」2012年4月16日記事、
『改めて「ゆとり教育」を問う』です。
(ぜひ全文をお読みください!)
朝日新聞デジタル版に掲載された、「ミスターゆとり教育」こと、
元文科省の寺脇研氏のインタビュー記事に共感を示しつつも、
ゆとり教育の失敗点を実に簡潔かつ適切に、しかも痛烈に3つ挙げています。
その3つを引用します。
(引用)
ですが、ゆとり教育が失敗だったということは、議論の余地はないと思います。この点において寺脇氏には責任もあると思います。では、どうして失敗したのか、以下に改めて箇条書き的な整理をしておこうと思います。
(1)付加価値を創造する能力とは何かの定義が曖昧でした。因果関係のストーリー把握、情報収集の質・量・効率、仮説と検証による精度の詰め、抽象概念と具体的な事象との連動・・・そうしたスキルのブレイクダウンを全くせず、したがって教え方のメッソドもないまま実行に移したというのは、息継ぎを教えずに子供をプールに放り込むようなものです。しかも、プールサイドで叫んでいる教師も泳げないわけで、これでは溺死者が続出する、つまり付加価値創造力が教えられなかったのも当然です。プールを埋めて(総合学習を止めて)英語だとか道徳に走る学校も多かったわけですが、要するに先生が誰も泳げなかったからでしょう。
(2)付加価値創造のスキルを教えるためには「詰め込み教育を止めろ」というのが暴論でした。命令に基づく単純な作業の反復と比較して、自ら付加価値を創造するためには、より広範な情報、より高度な基礎スキルが必要なのは明白だからです。寺脇氏は「読み書き計算」ではダメだと言っていましたが、「読み書き計算」をやらなくて良いのではなく「グローバルなコミュニケーション、相手を説得する表現力、微積分を使ったダイナミックな計量」が必要な時代だという認識が欠けていました。昭和の時代にある教育者から「吹奏楽も基礎ができて初めて思い切り吹ける」という比喩を習ったことがありますが、正に基礎のない「騒音の塊」からは付加価値など生まれないのです。
(3)付加価値創造のスキル教育というのは、基礎スキルの完成を待つというだけでなく、世界との対決や和解という概念を経験した思春期以降に加速させるべきなのです。ところが実際は逆でした。思春期以降は旧態依然とした受験勉強に若者を押し込め、思春期前の「コドモ」に「おままごと」としての「総合学習」を与えていたわけです。しかも「どんな価値もオッケー」的な価値相対化という毒も回っており、これではメリハリの利いた抽象概念の操作など教えられるはずもないわけです。
(引用終)
(1)の、プールと水泳の比喩は実にすばらしいですね。
いわゆる「ネリアゲ」とか「学びあい」のたぐいの、
「問題解決型授業」(特に算数)はまさにこれにあたります。
(3)の、「総合学習」への皮肉(「おままごと」!)も痛烈です。
冷泉氏は一方で、
「脱ゆとり=「漢字・計算スキルばかり」の教育にも「否!」を述べています。
(引用)
問題は、「ゆとり教育」が破綻したからといって、旧態依然とした「記憶と訓練」メソッドに戻して、内容を増やせばいいという「逆改革」の方向性がこれでいいのかということです。
(中略)このまま「脱ゆとり」だとして、計算や漢字ドリルばかり大量にやらせる教育が横行し、やがて円安になって労働力の国際競争力が回復すれば、再度日本はモノづくりの拠点として繁栄するのでしょうか? そんな未来像はナンセンスです。資源とエネルギーのない日本は、円安に振れながら大量生産の拠点として中国やインドに対抗できる競争力を回復することはないからです。
(中略)この間の「ゆとり」は失敗でした。一方で「脱ゆとり」という逆行でもダメなのです。本当の意味で「高度な付加価値を創造する」スキルを教えて行く教育が求められます。
(引用終)
冷泉氏の提言は、日本の教育の進むべき道を示唆しています。
横並び一線の教育では限界が来ています。
(引用)
私は「脱ゆとり」ではダメだと思います。抽象概念の操作スキルは教えなくてはなりません。同時に教科内容はもっと加速しなくてはなりません。
全員が対象にならないのであれば、どんどん能力別を入れていくことも含めて、小学校で方程式を入れ、中学から高校の最初で微積分を通過してその先へ行くようにしなくてはダメだし、高度な数学と理科の連携やそもそもサイエンスの学習内容の英語化も必要だと思います。その上で、十代の半ば以降の若者を、正規の教育の中で「科学の限界」あるいは「哲学宗教と科学の接点としての生命倫理」という問題と向きあわせ、真剣な将来設計としての進路を自ら選び取って、国際社会に貢献して行くようにして欲しいのです。
(引用終)
まさに同感です。
個人の幸福の追求でとどまるのではなく、
日本社会と国際社会に貢献できる人材を輩出することを目標とするような、
希望ある教育こそ望ましいものです。
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今。大学は非常に困惑している。
私自身は大学の先生ではないが、大学に勤務する友人と話しをすると、どこでも同じ問題を抱えている。
”ゆとり=ふぬけ”で上がって来た学生には、高校の数学なども教え直さないと、大学の講義が理解できない。
大学には、そんな余裕はないのに。
大学院の研究室でも”ゆとり気分”。
完全に中国、韓国の留学生に負けている。
”ゆとり”という命名そして定義の曖昧なこと。
教科書を薄くして生徒に楽させる?。
残念ですが、これからの日本は確実に下降線を辿っていきます。
教育の間違いは取り返しが付かないのです。
再度、間違いをしないように、願いたいのだが・・・。
危うい!
投稿: 名野隆夫 | 2012年5月25日 (金) 14時07分