原発問題について、みなさんはどう考えますか?
福島原発事故以降、「原発は安全」なんて、「神話」にすぎないのははっきりしました。
原発を段階的に廃止する以外の選択肢はないように思えます。
しかし一方、節電の巧妙なプロパガンダにより、
「原発抜きでは日本は成り立たない」と多くの人が「洗脳」されているのも事実です。
日本の未来の進路を決めるこのような重大な問題を、
単なるムード・雰囲気や、国会議員だけに任せていていいのでしょうか?
(特に、「アンチ」票だけで成り立っているだけの、哲学も指針もない民主党に・・・)
今回紹介しますおすすめWEB記事、
「「原発」は国会議員に任せるな。 国民投票で決めるべきだ!」
(ダイヤモンド・オンライン)は、
イタリアなどで実施されている国民投票によって、
原発問題(現状維持・推進か縮小・段階的に閉鎖)を問うべき、と訴えています。
住民投票に詳しい今井一氏の主張です。
記事の中心部分を抜粋引用します。
(引用)
「原発」国民投票の必要性については、15年前から主張してきました。当時から、「安保・原発・消費税、大事な問題は議員任せにしないで国民投票で決めよう」と言っていたのです。子ども手当をどうするかとか高速道路無料化のような問題は、議員任せでもいいのです。でも、原発や日米安保条約をどうするか、とか脳死や臓器移植の問題は、あまりにも重大で、議員にゆだねるのはよくないと昔から考えていました。
(中略)
79年に米国スリーマイル島の原発事故が起きた時、スウェーデン政府は、事故直後に立法府である国会と相談をして、原発をどうするかについては国民投票にゆだねよう、国民の皆さんに聞いてみようという謙虚な姿勢を示しました。それを今、日本の政治家も学んでほしいのです。
私は、とにかく原発は国民投票に絶対かけるべきだと思っています。
その理由は、3つあります。
① 憲法改正との関連
日本の場合、憲法改正は必ず国民投票にかけられます。憲法第96条の規定があって、議会だけでは決められない、「改正の発議」つまり国民への提案しかできないのです。9条にせよ1条にせよ、必ず国民投票にかけて主権者の承認を得なければなりません。
その論理からいけば、原発をどうするかは、例えば憲法9条改憲に匹敵するくらい、この国や人類を左右する重要な問題だから、これは国民投票にかけるべきだと思うのです。
② 民主党が出した対案
07年に憲法改正国民投票法が制定されましたが、その審議の終盤で、民主党自身が、「国民投票の対象とするテーマを憲法に限らず、憲法以外の重要な案件、生命倫理の問題とか統治機構の問題、あるいは特に重要な案件ついても国民投票にかけられるようなルールを設定すべきだ」という対案を出したのです。
出しておきながら、党も政府も「原発」国民投票の実施を提唱しない。原発以上に重要な問題、案件はあるのかというと、ないはず。なのに主権者である国民の意思を確認しないというのは、納得がいかないですね。
③ 与野党の原発容認
今年の6月12、13日、イタリアで国民投票が行われた時、「日本でも原発国民投票をやろう」という動きが、一時的に盛り上がりました。
ところが、7月になると、「やっぱり原発問題は総選挙で決着をつけよう」という動きが広がりました。菅首相が脱原発を表明し、脱原発の民主党か原発推進の自民党かを総選挙で決めたらいいという声が上がったのです。
8月になって、民主党の代表選挙があり、候補者5人が名を連ねましたが、全員が原発容認です。となれば、誰が党代表になり内閣総理大臣になっても、自民党ははっきり原発容認の立場をとっているのですから、与党も野党も政府も原発容認です。総選挙で決着をつけようにも、我々の民意が反映されるわけがないのです。
一番わかりやすいのが東京1区です。
東京1区は、前の選挙で海江田万里氏と與謝野馨氏が大激戦しました。海江田氏は小選挙区制で当選し、與謝野氏は復活しましたが、後に、與謝野氏が自民党を離れて両人とも閣僚入りしました。
東京1区は、民主党の海江田氏、民主党に近いところにいる與謝野氏と、自民党候補者と、3人とも原発容認で、小選挙区制は1人しか通らないとすると、民主党あるいは自民党が好きでも原発はイヤだという人は、どこに投票したらいいのでしょうか。自民党が好きだからと、つい入れてしまったら、間接民主制で原発容認ということになります。民意と議会の多数意思の間にねじれが起きるのは、もう間違いないことです。それはよくないと思うのです。
私は、国民の多数が原発容認で行くというのなら、それでいいと思っています。脱原発で行くのなら、それもいいと思います。私が求めているのは、主権者の意思が国家の基本政策に反映されることです。されていないというねじれに、私はたまらなくガマンができないのです。それが、この本を書こうと思ったキッカケであり、15年前からの変わらぬ思いなのです。
(引用終)
憲法の3大原則の一つは「国民主権」ですね。
小学校の社会科や中学校の公民でも誰もが習ったはずです。
しかし、本当に国民が「政治を選ぶ」という責任の重さを実感しているでしょうか?
結局、「お上」任せの体質が続いているだけです。
かつてマッカーサー元帥は、日本占領時代に、
「日本はまだ12歳の少年・・・」と発言しました。
(侮蔑的な発言ではない、という説もありますが・・・)
翻って現代の日本はどうでしょうか?
政治は「政治家」というよりも「政治屋」がやるもので、
庶民はマスコミに流されて右往左往しつつ見物しているだけの、
「観客民主主義」に陥っています。
結局、悪いのは政治家だ!といって、
自ら選んだ責任と結果を省みることはありません
(「悪い政治家」を選んだのは自分たちなのに・・・)。
選挙権というすばらしい宝を手に入れているのに、
責任は「保護者=政治家(マスコミ)」任せなら、
未だに「日本人=12歳説」ではないでしょうか?
真の意味での成熟した民主主義を実現するには、
重要な問題については「国民投票」を行って民意を問うべきではないでしょうか?
(引用)
――どうすれば、日本でも国民投票が行われるのでしょうか。
国民投票は、やろうと思えば簡単にできます。国会で、憲法以外の一般的案件を対象とした国民投票法を制定すればいいのです。日本は、残念ながら住民投票法がありません。住民投票を実施したい自治体は、それぞれに住民投票条例というルールをまず制定しなければならないのです。
でも、議会はこの条例になかなか賛成しません。それでも条例が制定され401件の投票を実施したのです。
国民投票になると、今度は住民投票条例ではなくて、国民投票法を制定することになります。今、国民投票を実施したいと思う議員は恐らく1割もいません。法律が通る可能性、制定される可能性は今のところ低いのです。
(中略)
今は1割しかいなくても、国民が声を上げ、何らかの形で立ち上がって行動を起こせば、衆参両院で国民投票法が制定され、実施される可能性があります。実際に、世論調査では8割前後の人が国民投票で決めたいと思っているのです。国民の声次第です。
(引用終)
「みんなで決めよう「原発」国民投票」というサイトがあります。
そこから、国民投票実施に向けての署名サイトがあります。
また、国民投票で問う内容や法律案も出ています。
興味のある方はぜひ御覧ください。
私も、国民投票実施を求める署名をしました。
(なお、この団体は、原発推進・反原発どちらでもありません。)
記事の中に出てきた本を紹介します。
いずれも今井一氏の著作です。
「原発」国民投票 (集英社新書)

住民投票―観客民主主義を超えて (岩波新書)

国民投票制度から、
憲法改正(ないしは憲法改正反対)や首相公選を直接問えるようになれば、
日本国民の政治に対する無関心・無力感をぬぐうことができるのではないでしょうか?
政治家と霞ヶ関から、政治を取り戻すべき時です。
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