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2011年9月の30件の記事

2011年9月30日 (金)

映画「愛と哀しみの果て(原題:Out of Africa)」

2011年9月28日の夜に、NHKBSプレミアムで、
映画「「愛と哀しみの果て(原題:Out of Africa)」が放映されていました。
2時間40分の大作なので、録画して2日に分けて妻と一緒に観ました。
「愛と○×の・・・」という邦題は実に安易ですね。
(例:「愛と青春の旅だち」(原題:An Officer and a Gentleman))
まぁ、いかにもラブロマンス映画だ、というのが一目瞭然となりやすかったからなのでしょう。
原題の「Out of Africa」(アフリカの外で)では、
日本ではよくわからない、というのも事実です。

主演のメリル・ストリープは決して美人とは言いがたいですが、
表情によって妖艶さを醸し出すところはすばらしいです。
細やか演技は絶賛に価します。
ロバート・レッドフォード演じる冒険家のデニスも実にシブくてカッコよかったです。
何よりも、アフリカの大自然の美しさの魅力!
(時折、「これが本当にアフリカ?」と思えるようなシーンもいくつかありますが・・・)
映像は鮮明すぎて、合成映像はどのシーンかさえ明瞭でした・・・

映画自体、これといってドラマティックなところはありませんが、
なぜか引き込まれてしまいました。
どちらかというと女性にオススメの映画でしょう。
最初の部分(形式上の結婚とか・・・)はともかく、
なんとなくハーレクイン小説みたいな展開でした。
最後はハッピーエンド、とは行きませんでしたが・・・

ジョン・バリー作曲のテーマ曲は実に美しく、
雄大な景色が目に浮かんできそうです。
すばらしい名曲です。
映画ではその他に、蓄音機レコードから流れるモーツァルトの名曲
(クラリネット協奏曲の第2楽章とか・・・)がロマンスをさらに引き立てていました。
(※1910~20年ぐらいで、曲の長さに対応するSP盤があったのでしょうか・・・
時代錯誤ではないかと思いますが、美しいからOKとしましょう。)


(DVD版)

(Blu-ray版)


(オリジナルサントラ盤)


原作は、アイザック・ディネーセン(Isak Dinesen)の『アフリカの日々』。
映画とはまた違った楽しみがあるようですね。(私は未読です。)
原作と映画についてよくまとめたWEB記事を見つけましたので紹介します。
とても参考になりました。
愛と哀しみの果て』前説 ディネーセンとアフリカ」(金川 欣二氏の「言語学のお散歩」)


(原作「アフリカの日々」)

2011年9月28日 (水)

映画「キリング・フィールド」~人生観を変えるような傑作

2011年9月26日昼間に、NHKBSプレミアムで、
映画「キリング・フィールド」が放映されていましたので、
録画して妻と一緒に観ました。
私は観るのは2回目です。
ただし、長い映画ですし、観るのがつらい映画でもあるので、
9月26日月曜日の夜から本日(9月28日)まで3回に分けて観ました。

この映画を初めて観たのは、確か中学生か高校生の時でした。
民放での放映でした。
衝撃的な内容だったので、心に深く残る作品でした。
人間はどこまで残酷になれるのか・・・
しかも、そんなに前の話ではない・・・

それから何年か経ち、社会に出てから、
共産党の人たちと付き合う機会がありました。
私は、「共産党のことはやはり原典に立ち戻って調べてみよう」と思い、
かの有名な『共産党宣言』を岩波文庫で読んでみました。

(『共産党宣言』(岩波文庫))
マルクス・エンゲルス 共産党宣言 (岩波文庫)


(最近では「まんが版」も出ていますね・・・)
共産党宣言 (まんがで読破)


読んでみて、
「この本をそのまま実行に移したのが、
カンボジアのポルポト派だったのだ・・・」と気づきました。
いや、カンボジアだけでなく、ロシア革命や中国の文化大革命、
その他の共産主義革命の源泉が、『共産党宣言』だ、ということがはっきりわかりました。
以来、共産主義は嫌悪すべき存在となりました。
映画「キリング・フィールド」というこの世の地獄絵を観ていたからこそ、
本だけではわからなかった、共産主義の恐ろしさを実感できました。
また、カンボジア難民救援活動の存在から、
カトリック作家の犬養道子氏の著作に出会い、
キリスト教入信への道も開きました。
社会活動への関心・国際情勢理解・そして信仰への道・・・
ある意味、映画「キリング・フィールド」は、
人生観を変えるような作品だった、ともいえます。

それから約十数年か、二十数年ぶりに、
改めて「キリング・フィールド」を観てみました。
民放版では時間の関係でおそらくカットされていたところも、
NHKなのでノーカットで放映されていたようです。
すばらしい映画ですが、やはり観るのがつらい場面が多かったです。
正直に言えば、残酷シーン等、途中結構飛ばして観ました・・・
映画「シンドラーのリスト」などと並んで、
つらくとも一度は観ておくべき作品、といえます。
(ちなみに、最後のシーンでのセリフは、
どちらかというと否定的な評価をされることが多いです。
私もどちらかというと、アメリカ人記者とプランが、
歓喜の抱擁をするだけで余計なセリフを言わせなかった方がいいのでは、
と思っています。)

キリング・フィールド HDニューマスター版 [DVD]

映画の中でカンボジア人記者、ディス・プランを演じていた、
ハイン・S・ニョールは、実際にカンボジア難民だったそうです。
映画出演当時は素人にすぎないような人でしたが、
事実の重みを知る素晴らしい演技が圧巻でした。
残念ながら、1996年にアメリカで強盗に遭い、射殺されてしまったとのこと・・・
ウィキペディアから、「ハイン・S・ニョール」の項を転載します。

(引用)
ニョールはカンボジアで産婦人科医、また軍医として働いていた。しかし1975年にクメール・ルージュに捕らえられ、4年余りの間、強制労働と拷問に耐える生活を強いられた。処刑を逃れるため、医者であることと教育を受けたことを隠さなければならなかった。またその間に、妻と子供を早産で亡くしている(処刑された可能性もあり)。
1979年にクメール・ルージュの元からタイに脱出、1980年に難民としてアメリカ合衆国に移住する。
その後、カンボジア内戦に関する映画を制作中のキャスティング・ディレクターに見出され、1984年に『キリング・フィールド』に出演。カンボジア人の通訳兼ガイドのディス・プランを演じ、それまで演技経験がなかったにもかかわらずアカデミー助演男優賞及びゴールデングローブ賞 助演男優賞を受賞した。回想記に『キリング・フィールドからの生還 わがカンボジア〈殺戮の地〉』(ロジャー・ワーナー共著、吉岡晶子訳、光文社 1990年)がある。
その後も映画に出演したり、人権活動などに携わっていたが、1996年にロサンゼルスの自宅近くで強盗により射殺され、55年11ヶ月あまりの生涯を閉じた。

(引用終)

思想による殺人(戦争・内戦)こそ、世界最悪のものです。
我々はこのような悲劇を二度と起こしてはいけないのです。

2011年9月26日 (月)

キーワードは「インターネット・アクション・協力」~NHK・クローズアップ現代「放射能から子どもを守りたい  ~母親たちのネットワーク~」(2011年9月26日放送)

国や東電(そして御用学者たち)が率先して放射能被害を隠蔽・過小評価する中、
一人ひとりの力は微々たるものですが、
つながれば大きな力になり、行政をも動かすことができる・・・
放射能汚染を心配する母親の皆様にとって「福音」ともいえる番組でした。

9月26日放送のNHK・クローズアップ現代では、
放射能から子どもを守りたい ~母親たちのネットワーク~」と題して、
放射能汚染から子どもたちを守りたいという切なる願いを持った母親達が、
インターネットを通して連帯・協力し、アクション起こす様子などを紹介していました。
番組HPから、放送内容を転載します。

(引用)
東京電力福島第一原発の事故から半年あまり。食品、土壌などから次々に放射性物質が検出される中、「子供を放射能から守りたい」と、30~40代のごく普通の母親達がネットワークでつながり活動している。今や200余の団体、賛同者は1600人以上に発展。行政が測らない食品を独自に測定。秋の運動会シーズンを前に、近隣市町村の母親達が連携して行政に働きかけ、校庭の除染を実現させる。更に、国が被ばくの上限として、内部・外部合わせて「生涯100ミリシーベルト」という基準を設けようとする中、母親達は、「子供だけは特別の配慮を」と公聴会に駆けつけ、国内だけでなく海外の専門家にも直接意見を聞き、政府の意見募集に積極的に投稿、今月末には厚労相にも直接訴える。立ち上がった母親達に密着。どうしたら子供を放射能から守れるか考える。
(引用終)


番組では、ネットワークを生かして市に働きかけ、
校庭の除染や土の埋め立てを行った例や、
小宮山厚生労働相に、
子ども向けの内部被曝基準値を設けるよう要請した様子などが放映されていました。
子どもたちを放射能から守る全国ネットワーク」(子ども全国ネット)などの働きです。
(番組では2、3団体紹介されていたと思います。)
番組のゲスト、浦島 充佳さん(慈恵医科大学 准教授)が、
「キーワードは『インターネット・アクション・協力』」と述べていたのが心に残りました。
一人ひとりの陳情・要望では相手にされなくても、
何千人のネットワークという背景があれば、
行政でさえ重い腰をあげざろうえない・・・
まさに母親達への「福音」ともいうべき、すばらしいネットワークだな、と思いました。

そもそも、「国の暫定基準値」なるもの自体が大変アヤシイものです。
なおかつ、成長期の子どもと大人に基準の差がない、というのは、
子どもに被曝しろ、と強制しているようなものです。
結局、カネの問題なのでしょうね・・・
国は早急に、子供向けの基準
(たとえば大人の基準の3分の1~10分の1とか)を設けるべきです。
(どじょう内閣さんは、土の中でモゴモゴ言っているだけでは、
早晩支持率が下がります。)
一日でも早く、子どもたちの被曝量の軽減をはかる必要があります。
(もっといえば、チェルノブイリ原発事故で旧ソ連がとった強制移住とか、
疎開などの大規模なレベルの対策が必要です。)
黙ったまま、一人で不安を抱えたままでは、現実は変わりません。
(行政は基本的に、余計なカネがかかることはイヤなのです。)
つながること、協力すること、アクションを起こすことで、
厳しい現実は少しでも変えていけるのです!

なお、食品の放射能汚染問題に関して、
次の記事もおすすめです。

「放射能汚染食品」はいつの間にここまで増えたのか?
買い控えから自己防衛へと移り始めた“食卓の常識”

(ダイヤモンド・オンライン)

(記事から引用)
 震災発生から半年以上が経ち、マスコミの報道が原発事故に割かれる時間も少なくなっているように思える。しかし、ノーベル文学賞作家・大江健三郎氏らの呼びかけで開催された「脱原発デモ」に、主催者発表で約6万人が参加したことでもわかる通り、足もとの国民感情を見れば「放射能不安」が収まっていないことは自明の理だ。

 こうした状況だからこそ、前述のような流言飛語を抑えるためにも、企業による速やかな情報開示や流通過程の精査が、より一層重要になっていくのだ。

 汚染の深刻度がどれほど増そうとも、我々は食品を摂取しなければ生きていくことができない。来月上旬には、東京ビッグサイトにて、食品の放射能測定機器や分析検査機器を集めた食品開発展が開催されるなど、新たな市場が構築されている感すらある。

 食品の放射能汚染に苦しめられる産地には、何の罪もない。ごく一部の産物から放射性物質が検出されただけで、産地全体に風評被害が広がり、地域のブランド価値が毀損されることなど、あってはならないことだ。その意味でも、消費者や企業の間に「自分たち自身の知見や努力で食卓の安全を守ろう」という風潮が広がることは、ある意味好ましいこととも言える。

 いまだ余震が止まない日本列島同様、日本人の食卓はまだまだ激震に晒されている。自分の身は、自分で守っていくしかないのである。
(引用終)

2011年9月25日 (日)

まだ終らないアメリカ合衆国の「西部開拓史」~「聖書と銃」から「民主主義と銃」へ、そして世界中へ・・・

先日(2011年9月23日)、NHKBSプレミアムで、
西部開拓史」という映画が昼間に放映されていました。
外出する予定があったので、録画しておきました。
1964年の米アカデミー賞3部門に輝く、
西部開拓時代を総括した教科書的な作品です。
3人の監督で5つの話をオムニバス形式でつないだ、
2時間半超の大作です。
(まだ観たことはありませんでした。)

(DVD版)
西部開拓史 特別版 [DVD]

(Blu-ray版)
西部開拓史 [Blu-ray]


もともと3つのスクリーンを1セットにして投影されていたもので、
DVD・Blu-ray用にデジタル加工してつなぎ目を修正したようです。
そのせいか、風景の映像は約50年前の映画とは思えないほど美しかったです。
オープニング曲も迫力満点でした。
しかし、なんとなく退屈な感じがして、途中大幅に飛ばして観ました。
(観ていない、に等しいかもしれません・・・)
最も印象に残ったのは、西部開拓時代が終って、
20世紀半ばの(当時の)アメリカ西部の様子
(ハイウェイを行き交う無数の自動車等)が映されたところと、
主題歌が流れるところでした。
こういう歌詞が歌われていました。

They came with Bible fist and gun
And they fought until the job was done
The winning of the West

(歌詞全体は⇒コチラ
日本語に訳すと・・・(かなり直訳ですが・・・)
「彼ら(西部開拓者たち)は来た、聖書と拳と銃を持って
そして彼らは戦った、業(=西部開拓)が終るまで
西部の勝利」
(テレビ版字幕はもっと上手な訳をつけていましたケド・・・)

聖書と拳と銃を持って」西部開拓は進められた、というワケです。
(確か、字幕では「聖書と銃」だけだったと思いますが・・・)
本来なら平和を願う「聖書」が、暴力の最たるものである「拳と銃」とペアになるとは・・・
ここに、アメリカの矛盾と皮肉があるわけです。
60年代冒頭の時は、まだ有色人種に対する差別が公然とあったような国なので、
白人中心主義のおかしさすら自覚していなかったのでしょうね。
もともとのタイトルは”How the West Was Won”(いかにして西部は勝利したか)。
インディアン(ネイティブ・アメリカン)や大自然の脅威に勝利した!
という幼稚な白人中心主義の世界観ですね。

歴史を振り返ると、「聖書と拳と銃を持って」の「西部開拓」は、
いまも続いています。
(ただ、今や「聖書」は「民主主義」に変わってしまいましたが・・・)
アフガニスタンやイラク、最近ではリビアに至るまで、
アメリカのおかしな「フロンティア・スピリット」なるものは、
世界中に流血を拡げつつ、「民主主義」という大義を広げたぞ、
という自画自賛を性懲りも無く続けています。
そういう意味で、「西部開拓史」は今も終っていないのかな~、
と映画のラストを観てあきれてしまいました。
負の遺産として、「西部開拓史」という映画を観た方がいいようです。

アメリカは、野蛮な「西部開拓史」の時代を卒業して、
聖書から、本当の平和を学んでほしいものです。

主は国々の争いを裁き、
多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。
ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。

(旧約聖書イザヤ書2:4~5新共同訳)

2011年9月24日 (土)

NHKBSプレミアム「名曲探偵アマデウス」・ガーシュウィン「ラプソディー・イン・ブルー」

今回の「名曲探偵」は、再放送(事件ファイル#15)で、
ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」でした。
依頼人は万年最下位野球チームの監督「星二徹」氏。
(もちろん「巨人の星」の「星一徹」のパロディネームですね。)
汗とド根性の管理野球から、
自由とリラックス、自発性(即興演奏)を重視したチームへ・・・というのが、
ラプソディー・イン・ブルー」を通して明らかにされる、という話でした。

ラプソディ・イン・ブルー」は、近年では「のだめカンタービレ」によって、
多くの人々に知られるようになりましたね(「のだめ」5巻)。
有名な旋律だけではなく、途中の部分がいろいろなCMに使われたりしていますね。


(「のだめカンタービレ」5巻)


番組では、ジャズピアニストの小曽根真さんと、
大植英次さん指揮・大阪フィルハーモニー交響楽団(大フィル)との共演で、
味付けの濃い演奏が繰り広げられました。
曲の冒頭のクラリネットソロの粘っこい音・・・
指揮者の表情や身振りが時にユーモラスでした。
小曽根真さんの即興を交えたピアノは、
「一期一会」で聴くなら、とてもすばらしいものだったのかな、と想像できました。
知っている曲が、未知の世界へと変容していくような、
スリルある演奏でした。

ラプソディ・イン・ブルー」の私の愛聴盤(といっても、1枚しか持っていませんが・・・)は、
ファジル・サイのピアノ、クルト・マズア指揮ニューヨーク・フィルの演奏です。

(ファジル・サイのCD)

ファジル・サイの演奏するモーツァルトやバッハのCDがすばらしかったので、
ついでに買ってみただけのものだったのですが
(このCDを買う前は、ガーシュウィンにはあまり興味がありませんでした。)、
このCDで、すっかりガーシュウィンの曲のすばらしさ、楽しさに開眼しました。
やみつきになって、一時期このCDを毎日のように聴いていたことさえあります。

今回、番組を観終えてから、
改めてこのCDの「ラプソディ・イン・ブルー」を聴き直してみました。
ファジル・サイはジャズというよりもクラシック的にあっさりと軽やかに弾いているので、
初めて、「味付けの薄さ」というものを感じました。
(オーケストラもあっさり系です。)
しかし、何度も聴くなら、ファジル・サイの演奏盤の方が適していると思いました。
すっきりした演奏だからこそ、何度聴いても飽きが来ないのかもしれません。
(毎日食べるならスープより味噌汁・・・のような感覚?)
何よりも、音楽する楽しさにあふれています。
また、「ラプソディ・イン・ブルー」以外の曲も名演です。
CD1枚は約56分の録音ですが、あっという間に終わってしまう感じです。

今回この記事を書くにあたって、
Amazon等で他のCDを試聴してみました。
なかなかいいな、と思ったのは、
三舩優子さんのピアノソロ版の演奏です。

ラプソディー・イン・ブルー

ジャズ風の味付けが濃い演奏か、クラシックにジャズの味付けをした演奏か、
どちらがいいかの好みはわかれると思います。

なお、以前、
バーンスタイン指揮・ピアノによる演奏について書いた記事がありますので、
よろしければお読みください。

バーンスタインの指揮&ピアノによる「ラプソディ・イン・ブルー」~
NHK・プレミアムシアター「バーンスタイン・イン・ヘーヒスト」
(2010年10月9日放送)から


(バーンスタイン旧盤 SONY)

(バーンスタイン新盤 DG)

2011年9月23日 (金)

札幌市の教育長と北海道の教育長の温度差~読売新聞北海道版の記事から

読売新聞北海道版の好連載「学力危機」第1部総まとめとして、
9月21日朝刊に、札幌市の教育長と北海道の教育長へのインタビュー記事が掲載されました。
学校教育 課題と取り組み
逃げと弁解の札幌市教育長・北原敬文氏と、
攻めと反省・改革向上を目指す北海道教育長・高橋教一氏。
対照的なインタビューになっています。
詳しくはぜひ記事をお読みください。
代表的なところだけ抜粋引用します。
(引用)
(札幌市教育長の発言)※――のところはインタビュアーの質問。
――点数が不明だと札幌市を他都市と比較できない。

 「点数で測れる学力は点数で測る、そこは必要だと思う。ただ点数を公表すると順位の競争になる」

 「学力テストで中学校の数学の結果を昭和30年代と比較すると、北海道の順位はどちらも40位台。しかし1位を100とした時の北海道の点数は、60点台から80点台に上がっているという。全国的に地域の学力差は縮まっており、教育関係者は胸を張っていい。どんなに差が詰まっても順位はつく。順位に着目し続けることが本当に必要なのか」
(北海道教育長の発言)
――テストは学力の一部という主張、順位付けや競争を避ける風土もある。

 「『全部でない』という意味では確かに一部だが、一部を殊更に強調するのは、基礎学力問題を矮小(わいしょう)化し、真正面から向き合おうとしない議論だ。同じような問題の正答率に変化が見られない状況をどう説明するのか。公教育が基礎基本の徹底を避けたら責任放棄だ」

 「いたずらに点数や順位を争うべきではないが、教えっぱなしではいけない。各学校では、九九をマスターした割合が今年が6割だったら、来年は8割、その次は全員、といった目標を設けてもよい。学力調査は個々の教育活動を映す鏡。足らない面があれば改善を加えていく。そんな当たり前の営みが学力向上につながっていくのではないか」
(引用終)

どちらが、真の意味で「子どもを大切にしている」といえるでしょうか?
「テストはかわいそうだ、真の学力はテストなんかでははかれない」というなら、
札幌市教育長の意見に共感するでしょう。
しかし、子どもが基礎学力(読み書き計算・読解力)を身に付けないまま、
社会に出る方が、もっとかわいそうなことではないでしょうか?
学力テストに消極的なのは、「子どもがかわいそう」というのがホンネではなく、
手抜きがバレる教師がかわいそう、ということなのでしょう。
(だから、今後の学力テスト参加にも消極的です。)

ところで、「子どもの権利条約」に基づく「子どもの権利条例」を平成20年に制定した札幌市ですが、
16歳の少女が母親の覚醒剤代のために小6の時から売春させられていた、
(当然、中学校にもきちんと通っていなかった・・・)という衝撃的なニュース報道がありました。
札幌市では以前も似たような事例がありました。
(「母にすすめられ覚醒剤、命じられ売春の16歳」)(9月20日読売新聞)
事なかれ主義で、言い逃ればかりが達者だから、
こういう事例を見逃してしまうのではないでしょうか?

北海道は広いし、日高のようにまだまだ北教組の反日教育が強いところもあります。
北海道教育長は毅然とした態度で、学力向上を目指してほしいと、
私は願っています。
社会に出ても困らないような基礎学力をきちんと身に付けることができること、
これが子どもにとっての大きな幸福となります。

2011年9月22日 (木)

映画「ユー・ガット・メール(You've Got Mail)」~恋愛映画の傑作

2011年9月20日に、
BSジャパンで映画「ユー・ガット・メールYou've Got Mail)」が放映されていました。
録画して妻と一緒に観ました。
この映画を観るのはこれで2度目です。
テレビ放映版はところどころカットされていた(全部で15分程度)とはいえ、
十分楽しめました。
恋人・夫婦で観るのにとてもいい映画だと思います。

映画の中でメグ・ライアン演じるキャスリーンが、
「『高慢と偏見』(ジェーン・オースティンの小説)を200回読んだ」というセリフを言います。
初めて観た時にはあまり印象に残らないものでしたが、
今回改めて観ると、実は重要なモチーフなのだな、ということに気づきました。
(『高慢と偏見』への言及は何回か出てきます。)
主人公のキャスリーンと、トム・ハンクス演じるジョー・フォックスの関係が、
ちょうど『高慢と偏見』のエリザベスとダーシーとの関係に似ているからです。
とってもイヤな奴!と思っていた相手が、後で最愛の人になる、
という古典的な筋書ですね、
(もっとも、この映画自体は、1940年に作られたある映画のリメイクだそうです。
恋の道具が、1940年当時は文通だったのが、現代ではメールになったとのこと。)

トム・ハンクスとメグ・ライアンどちらも、
心の揺れ動きを実に見事に表現した演技をしています。
セリフが実に機知に富み、おしゃれです。
ニューヨークの何気ない街角の風景も魅力的です。
最後のシーンは、結末は予想済みとはいえ、とても感動してしまいます。
(「虹の彼方に(Over the rainbow)」が実にロマンティックに響きます。)
1998年の映画ですが、インターネット環境には多少の変化こそあれ、
だいたい2011年の現代と同じようなものですね。
(さすがにダイヤルアップでインターネット接続はしないでしょうが・・・)

あれこれ説明するより、まず観て満喫してほしい、
恋愛映画の傑作といえる作品です。


(DVD版)

(Blu-ray版)

(「高慢と偏見」(小説)⇒新潮文庫では「自負と偏見」)

※こちらもオススメ!(映画「プライドと偏見」)DVD
(何度か映画化されていますね。)

プライドと偏見」 Blu-ray

2011年9月21日 (水)

おすすめWEB記事~「原発」は国会議員に任せるな。 国民投票で決めるべきだ!(ダイヤモンド・オンライン)

原発問題について、みなさんはどう考えますか?
福島原発事故以降、「原発は安全」なんて、「神話」にすぎないのははっきりしました。
原発を段階的に廃止する以外の選択肢はないように思えます。
しかし一方、節電の巧妙なプロパガンダにより、
「原発抜きでは日本は成り立たない」と多くの人が「洗脳」されているのも事実です。
日本の未来の進路を決めるこのような重大な問題を、
単なるムード・雰囲気や、国会議員だけに任せていていいのでしょうか?
(特に、「アンチ」票だけで成り立っているだけの、哲学も指針もない民主党に・・・)

今回紹介しますおすすめWEB記事、
「原発」は国会議員に任せるな。 国民投票で決めるべきだ!
(ダイヤモンド・オンライン)は、
イタリアなどで実施されている国民投票によって、
原発問題(現状維持・推進か縮小・段階的に閉鎖)を問うべき、と訴えています。
住民投票に詳しい今井一氏の主張です。

記事の中心部分を抜粋引用します。
(引用)
  「原発」国民投票の必要性については、15年前から主張してきました。当時から、「安保・原発・消費税、大事な問題は議員任せにしないで国民投票で決めよう」と言っていたのです。子ども手当をどうするかとか高速道路無料化のような問題は、議員任せでもいいのです。でも、原発や日米安保条約をどうするか、とか脳死や臓器移植の問題は、あまりにも重大で、議員にゆだねるのはよくないと昔から考えていました。
(中略)
 79年に米国スリーマイル島の原発事故が起きた時、スウェーデン政府は、事故直後に立法府である国会と相談をして、原発をどうするかについては国民投票にゆだねよう、国民の皆さんに聞いてみようという謙虚な姿勢を示しました。それを今、日本の政治家も学んでほしいのです。

 私は、とにかく原発は国民投票に絶対かけるべきだと思っています。

 その理由は、3つあります。

 ① 憲法改正との関連
日本の場合、憲法改正は必ず国民投票にかけられます。憲法第96条の規定があって、議会だけでは決められない、「改正の発議」つまり国民への提案しかできないのです。9条にせよ1条にせよ、必ず国民投票にかけて主権者の承認を得なければなりません。
その論理からいけば、原発をどうするかは、例えば憲法9条改憲に匹敵するくらい、この国や人類を左右する重要な問題だから、これは国民投票にかけるべきだと思うのです。

 ② 民主党が出した対案
07年に憲法改正国民投票法が制定されましたが、その審議の終盤で、民主党自身が、「国民投票の対象とするテーマを憲法に限らず、憲法以外の重要な案件、生命倫理の問題とか統治機構の問題、あるいは特に重要な案件ついても国民投票にかけられるようなルールを設定すべきだ」という対案を出したのです。
出しておきながら、党も政府も「原発」国民投票の実施を提唱しない。原発以上に重要な問題、案件はあるのかというと、ないはず。なのに主権者である国民の意思を確認しないというのは、納得がいかないですね。

 ③ 与野党の原発容認
今年の6月12、13日、イタリアで国民投票が行われた時、「日本でも原発国民投票をやろう」という動きが、一時的に盛り上がりました。
ところが、7月になると、「やっぱり原発問題は総選挙で決着をつけよう」という動きが広がりました。菅首相が脱原発を表明し、脱原発の民主党か原発推進の自民党かを総選挙で決めたらいいという声が上がったのです。
8月になって、民主党の代表選挙があり、候補者5人が名を連ねましたが、全員が原発容認です。となれば、誰が党代表になり内閣総理大臣になっても、自民党ははっきり原発容認の立場をとっているのですから、与党も野党も政府も原発容認です。総選挙で決着をつけようにも、我々の民意が反映されるわけがないのです。

 一番わかりやすいのが東京1区です。

 東京1区は、前の選挙で海江田万里氏と與謝野馨氏が大激戦しました。海江田氏は小選挙区制で当選し、與謝野氏は復活しましたが、後に、與謝野氏が自民党を離れて両人とも閣僚入りしました。

 東京1区は、民主党の海江田氏、民主党に近いところにいる與謝野氏と、自民党候補者と、3人とも原発容認で、小選挙区制は1人しか通らないとすると、民主党あるいは自民党が好きでも原発はイヤだという人は、どこに投票したらいいのでしょうか。自民党が好きだからと、つい入れてしまったら、間接民主制で原発容認ということになります。民意と議会の多数意思の間にねじれが起きるのは、もう間違いないことです。それはよくないと思うのです。

 私は、国民の多数が原発容認で行くというのなら、それでいいと思っています。脱原発で行くのなら、それもいいと思います。私が求めているのは、主権者の意思が国家の基本政策に反映されることです。されていないというねじれに、私はたまらなくガマンができないのです。それが、この本を書こうと思ったキッカケであり、15年前からの変わらぬ思いなのです。
(引用終)

憲法の3大原則の一つは「国民主権」ですね。
小学校の社会科や中学校の公民でも誰もが習ったはずです。
しかし、本当に国民が「政治を選ぶ」という責任の重さを実感しているでしょうか?
結局、「お上」任せの体質が続いているだけです。

かつてマッカーサー元帥は、日本占領時代に、
「日本はまだ12歳の少年・・・」と発言しました。
(侮蔑的な発言ではない、という説もありますが・・・)
翻って現代の日本はどうでしょうか?
政治は「政治家」というよりも「政治屋」がやるもので、
庶民はマスコミに流されて右往左往しつつ見物しているだけの、
「観客民主主義」に陥っています。
結局、悪いのは政治家だ!といって、
自ら選んだ責任と結果を省みることはありません
(「悪い政治家」を選んだのは自分たちなのに・・・)。
選挙権というすばらしい宝を手に入れているのに、
責任は「保護者=政治家(マスコミ)」任せなら、
未だに「日本人=12歳説」ではないでしょうか?
真の意味での成熟した民主主義を実現するには、
重要な問題については「国民投票」を行って民意を問うべきではないでしょうか?

(引用)
――どうすれば、日本でも国民投票が行われるのでしょうか。

 国民投票は、やろうと思えば簡単にできます。国会で、憲法以外の一般的案件を対象とした国民投票法を制定すればいいのです。日本は、残念ながら住民投票法がありません。住民投票を実施したい自治体は、それぞれに住民投票条例というルールをまず制定しなければならないのです。

 でも、議会はこの条例になかなか賛成しません。それでも条例が制定され401件の投票を実施したのです。

 国民投票になると、今度は住民投票条例ではなくて、国民投票法を制定することになります。今、国民投票を実施したいと思う議員は恐らく1割もいません。法律が通る可能性、制定される可能性は今のところ低いのです。
(中略)
 今は1割しかいなくても、国民が声を上げ、何らかの形で立ち上がって行動を起こせば、衆参両院で国民投票法が制定され、実施される可能性があります。実際に、世論調査では8割前後の人が国民投票で決めたいと思っているのです。国民の声次第です。
(引用終)

みんなで決めよう「原発」国民投票」というサイトがあります。
そこから、国民投票実施に向けての署名サイトがあります。
また、国民投票で問う内容や法律案も出ています。
興味のある方はぜひ御覧ください。
私も、国民投票実施を求める署名をしました。
(なお、この団体は、原発推進・反原発どちらでもありません。)

記事の中に出てきた本を紹介します。
いずれも今井一氏の著作です。


「原発」国民投票 (集英社新書)
「原発」国民投票 (集英社新書)


住民投票―観客民主主義を超えて (岩波新書)
住民投票―観客民主主義を超えて (岩波新書)

国民投票制度から、
憲法改正(ないしは憲法改正反対)や首相公選を直接問えるようになれば、
日本国民の政治に対する無関心・無力感をぬぐうことができるのではないでしょうか?
政治家と霞ヶ関から、政治を取り戻すべき時です。

2011年9月20日 (火)

映画「オーケストラ!」

フランス映画「オーケストラ!」をレンタルDVDで観ました。
原題は"Le Concert"(「協奏曲」又は「コンサート」どちらの意味もあるようです。)。
ロシアの劇場清掃員として働くしがない中年男は、実は伝説の名指揮者だった・・・
そんなある日、深夜勤務中に、劇場宛に届いたパリからの1枚のFAXが、
男の運命を変えます。

かつて政治的状況によりオーケストラの職を奪われた仲間を集めて、
ニセのオーケストラを作り、パリ公演を実現させる、という話でした。
ソリストとの共演にも謎めいた話があり・・・
(途中まで、元指揮者の隠し子かな、とも思わせていましたが・・・)

設定はユニークですが、かなりアラが見えます。
第一、かつてプロだったとはいえ、
まったく本番ぶっつけでオーケストラ演奏なんて、無理がありすぎます。
指揮者がどんなに天才だとしても、その場で指揮棒を振っているだけで、
すばらしい音楽が奏でられるわけがないのです。
リハーサルこそ、指揮者の仕事の大半なのですから・・・

とはいえ、ラスト10分のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の演奏シーンは、
細かい事を忘れさせてくれるほど、爽快で見事なものでした。
(その最初のシーンは、「のだめ」もびっくりのひどい演奏が響きますが・・・)
演奏の間に、美人ソリストの出生の秘密が解き明かされたり、
その後の大成功(世界ツアー!)が描かれたり、
無神論者の共産党員が「神の実在」を知ったり・・・
まさに大団円です。

映画では、旧ソ連でのユダヤ人差別や、フランスでのロマの人々への差別、
共産党の現在(サクラを動員して支持者がたくさんいるように見せかけている)、
その他(パスポート偽造とか・・・)の、本来であれば重たいテーマを、
ユーモアとウィットでさらっと軽やかに見せていました。
これぞフランス流エスプリと言うべきか・・・

音楽の力というものを感じられる、楽しい作品でした。

(DVD)
オーケストラ! スペシャル・エディション(2枚組) [DVD]


(Blu-ray)
オーケストラ! [Blu-ray]


(サントラ盤)
オーケストラ!

なお、この映画の主題曲とも言うべき、
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲については、
以前NHKの「名曲探偵アマデウス」で取り上げられた際に記事を書いていますので、
よろしければお読みください。

NHK「名曲探偵アマデウス」・チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」

私のイチオシCDは、
レーピン(ヴァイオリン)、ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管弦楽団の演奏です。

チャイコフスキー&ミヤスコフスキー:ヴァイオリン協奏曲

2011年9月19日 (月)

最高のブラームス指揮者、クルト・ザンデルリンク氏逝去・・・

9月19日の読売新聞朝刊を読んでいると、
読響名誉指揮者 ザンデルリンクさん死去」という小さな記事がありました。
インターネットでも報道されていました。
クルト・ザンデルリンク氏死去
死因は老衰とのこと。
ご逝去を悼み,謹んで哀悼の意を表します。
ギュンター・ヴァントや朝比奈隆のように最後まで矍鑠と、ではない、
余力を残しての2002年の引退、というすばらしい引き際が印象的でした。
(最後のコンサートの演奏はどれもすばらしいものでした。)
今日は祝日だったので、家にいる時はザンデルリンクさんのCDを何枚も聴いて、
追悼の時としました。

ザンデルリンク(以下敬称略)の指揮したCDの代表盤といえば、
やはりブラームスの交響曲全集です。
旧盤(ドレスデン・シュターツカペレ)と新盤(ベルリン交響楽団)があります。

(旧盤 ブラームス 交響曲第1番)
ブラームス:交響曲第1番

(旧盤 ブラームス 交響曲第2番)
ブラームス:交響曲第2番

(旧盤 ブラームス 交響曲第3番)
ブラームス:交響曲第3番

(旧盤 ブラームス 交響曲第4番)
ブラームス:交響曲第4番

(新盤・ブラームス交響曲全集)
(以前は7000円近くしていたのが、今やCD4枚組で1400円程度とは・・・)
4 Symphonies

旧盤と新盤のブラームス交響曲全集、どちらがいいか、迷うところです。
一般的に評価が高いのは悠々としたテンポの新盤の方です、
しかし、オーケストラの緻密さでは、旧盤の方が上でしょう。
ブラームスの交響曲が好きなら、どちらも持っていて損がありません。
旧盤の交響曲第1番と新盤の交響曲第4番は特にすばらしい演奏です。

ブラームスを指揮したものでは、エレーヌ・グリモーと共演した、
ピアノ協奏曲第1番は至高の演奏といえます。
ピアノ(特に第3楽章!)も最高です。
私はこの演奏で初めてこの作品の魅力に気付きました。

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番

ブラームス以外の演奏では・・・
内田光子と共演したベートーヴェン・ピアノ協奏曲全集は私の愛聴盤です。
オーケストラの充実感がすばらしいです。

(ピアノ協奏曲第1番・第2番)
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番 第2番


(ピアノ協奏曲第3番・第4番)
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番 第4番


(ピアノ協奏曲第5番他)
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」他

内田光子と共演したものでは、
2002年の引退コンサートでの、モーツァルトのピアノ協奏曲第24番の演奏が、
非常にすばらしいものです。
(現役盤はあるのでしょうか・・・)
もっと共演して、CDを残してほしかった・・・

ドイツもの以外では、ショスタコーヴィチの交響曲第5番の演奏も実にすばらしいです。
バーンスタインが指揮した熱狂型演奏とは別の、ドイツ的で重厚な名演です。

ドイツ伝統の響き シリーズ4 クルト・ザンデルリンクの芸術 ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 (CCCD) (SACD-Hybrid)

最後に、評論家・宇野功芳氏の言葉から・・・
ザンデルリンクは、『魂の音楽家』と呼んでも良いと思う。
(ブラームスの交響曲第3番の演奏(新盤)へのコメント)
(「宇野功芳のクラシック名曲名盤総集編」P.258から引用)

改訂新版 宇野功芳のクラシック名曲名盤総集版

「福島県産」への過剰反応~福島県産花火の使用自粛は人権問題では?

(引用)
放射能心配…福島産花火、市民の抗議で使用せず
東日本大震災の被災地の復興を応援しようと、愛知県日進市で18日夜に行われた「にっしん夢まつり・夢花火」大会で、市などでつくる大会の実行委員会が、福島県川俣町の業者が生産した花火の使用を市民からの抗議で急きょ取りやめていたことがわかった。
(引用終)※元記事は読売新聞9月19日掲載。

「福島県産」の食品ならともかく、花火に対して抗議がくるとは・・・
20件程度の頭のおかしい被害妄想の連中の抗議に屈してしまったことで、
愛知県日進市は大きな汚点を残したといえます。
8月にも、京都の送り火で福島県産のものを使うな、
という抗議に屈したニュースがありましたね。
これって、人権問題に発展しかねないものではないでしょうか?
福島ナンバーの車は来るな!」とか、「福島県民お断り!」という事態に発展しないと、
誰が保証できますか?
市民が抗議するなら、差別でも助長するつもりなのでしょうか?

続・たそがれ日記 」というブロガーの方が、
とてもすばらしい事を書いていますので引用します。

(引用)

また「福島差別」 愛知県日進市で福島県の花火打ち上げ中止

ひどい話だ。

福島は花火火薬まで放射能汚染されていると言うのか?
こうなると、もう完全に弱い者いじめ、「福島差別」。

40人のクラスで、川俣君のお誕生会をすることになった。
ところが、クラスの1人(潔癖症)が
「先生、川俣君は汚れているかもしれないので、一緒にお誕生会したくありません」
と言ってきた。
先生は、他の38人の意見も聞かないで、
「じゃあ、川俣君はお誕生会に出ないように」
と決めたようなもの。

それにしても、抗議してきたのは、ほんとうに市民なのだろうか?
京都の「陸前高田の薪拒否事件」や福岡の「ふくしまショッププロジェクト中止事件」もそうだが、どこかの反福島団体が組織的に抗議活動をやっているのでは?

それにしても行政は、なぜこうした根拠のない理不尽な抗議に簡単に屈してしまうのだろう。

本気で福島県を支援する気があるのなら、こんな抗議に屈せず、打ち上げるべきだ。
口先だけの「復興支援」で、福島県の人の心を弄び、迷惑をかけるのは、もう止めにしないと。

(引用終)

おバカな市民に屈してしまうぐらいなら、最初からやらなければいいのです。
被災地・福島県民の心を踏みにじるものですね。

BS日テレ・読響Symphonic Live 深夜の音楽会「魂のベートーヴェン「皇帝」…ピアノ・辻井伸行」(2011年9月18日放送)

辻井伸行さんソロによるベートーヴェンの「皇帝」・・・
なかなか楽しみな企画でした。
9月18日放送のBS日テレ・読響Symphonic Live 深夜の音楽会では、
辻井伸行さんと読響との共演を放送していました。
コマ切れや途中カットの演奏ではなく、ノーカット放送、というのはよかったです。
(ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」は、
第1楽章だけで20分近く、第2、第3楽章は続けて演奏されるので、15~18分ぐらい、と、
CMを入れるのには苦労する作品かもしれません。)
指揮者はパオロ・カリニャーニという人。私は初耳でした。
なかなかすばらしい指揮者なのでは、と思いました。

さて、オーケストラとピアノ、今回の軍配は、オーケストラの方でした。
実に豪快で彫りの深い響きが連続していました。
一方、辻井さんのピアノは、少し力不足というか、か細いというか、
迫力で負けていたように思えます。

アンコールで辻井さんが弾いたベートーヴェンのピアノソナタ第17番「テンペスト」第3楽章。
これもただセカセカ速いだけで、あまりいい演奏とはいえませんでした。
少し残念でした。

辻井伸行さんといえば、
先日9月11日放送の「題名のない音楽会」で、
映画「神様のカルテ」のために自作した曲の演奏はすばらしかったです。
初めて、辻井伸行さんの演奏に感銘を受けました。
とても親しみやすい曲なので、機会があれば、ぜひ聴いてみてください。

神様のカルテ 〜辻井伸行 自作集(CD)


ピアノソロ 辻井伸行「神様のカルテ ~辻井伸行自作集~」(楽譜)

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」の名盤はたくさんあり、
どれか一つ選んで、と言われるとなかなか迷ってしまいます。
今所有しているもの、今まで所有していたものを何枚か紹介します。

私の愛聴盤は、
内田光子(ピアノ)/クルト・ザンデルリンク指揮バイエルン放送響の演奏です。
(ピアノ協奏曲全集)※以下敬称略。
オーケストラが深みがあり、すばらしいです。
(※9月19日の朝刊で、ザンデルリンクさん逝去のニュースを読みました。
ご逝去を悼み,謹んで哀悼の意を表します。)

この曲を最初に聴いたCDは、
アシュケナージ(ピアノ)/メータ指揮ウィーン・フィルの演奏です。
豪華絢爛でクセがなく、万人向けです。
オススメです。
※ピアノ協奏曲全集(3枚組)


かなり変わった演奏としては、
グレン・グールド(ピアノ)/ストコフスキー指揮アメリカ交響楽団のCD。
ピアノVSオーケストラという形ではなく、
ピアノもオーケストラの楽器の一部になっているような演奏です。
ゆっくりとしたテンポに異論があるかもしれません。
オーケストラは貧弱ですので、グールドの解釈を知るためのCDといえましょう。


宇野センセイおすすめだったCD。
エリック・ハイドシェック(ピアノ)のCD。
ピアノはともかく、オーケストラは貧弱すぎます。


ベートーヴェンといえば、バックハウス。
バックハウス(ピアノ)/イッセルシュテット指揮ウィーン・フィル。
華麗というよりは無骨な感じがします。
派手さはないけど味わい深い演奏です。
こちらもオススメ。

2011年9月18日 (日)

題名のない音楽会「調性ってなに?名曲百選(12)フランク「交響曲ニ短調」(2011年9月18日放送)

フランクの交響曲って、地味で晦渋ですよね。
なかなかその良さがわからない人が多いのではないでしょうか。
今回の「題名のない音楽会」では、
調性ってなに?名曲百選(12)フランク「交響曲ニ短調」」と題して、
次々と転調を繰り返すフランクの交響曲ニ短調の第3楽章を、
調性を表す色彩つきで取り上げていました。
作曲家の吉松隆さんが出演し、調性について少しコメントしていました。

佐渡裕さん指揮による兵庫芸術文化センター管弦楽団の演奏は、
迫力があり、なかなか好演だったと思います。
終盤のところなどは特にそうでした。

フランクの交響曲、我が家にもCDが1枚ありますが、
サン=サーンスの交響曲第3番オルガン付のカップリングのため、
まぁまぁ程度の演奏かな、と思っています。
この記事を書く前に改めて聴きなおしてみましたが、
「決定盤だ!」とはいえないな、と思いました。
(それでも、80点以上の演奏ではないか、と思いますが・・・)

サン=サーンス:交響曲第3番

実のところ、フランクの交響曲に関しては、
未だに「これぞ決定盤!」というCDにめぐりあったことがありません。
改めて、AmazonやHMVのサイトでいくつか試聴してみて、
おすすめできそうなものをピックアップしてみました。

クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(EMI)
[CD] オットー・クレンペラー(cond)/フランク: 交響曲二短調(HQCD)
試聴した限り、これが一番心に響きました。
重厚で、荘厳な感じがします。


ポール・パレー指揮デトロイト交響楽団
【送料無料】 CD/ポール・パレー/フランク:交響曲ニ短調/ラフマニノフ:交響曲第2番/UCCP-3516
宇野センセイおすすめの1枚です。

シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団
【20%OFF】[CD] シャルル・デュトワ(cond)/フランク 交響曲/ダンディ フランス山人の歌による交響曲
フランス的な響きです(以前所有していたことがあります。)。

カラヤン指揮パリ管弦楽団(EMI)
 【送料無料】 CD/ヘルベルト・フォン・カラヤン/ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲、交響詩 (海) フランク:交響曲 ニ短調/TOCE-14135
派手に響かせたわかりやすい演奏です。


フランクの交響曲を初めて聴くなら、まず第3楽章から聴くことをおすすめします。
第1楽章、第2楽章は色彩感に乏しく、晦渋です。
(ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第16番を知っているなら、結構入りやすいですけど・・・)
たとえていうなら、第1、2楽章は北フランス、第3楽章は南フランス、かな?・・・

吉松隆さんが、
「運命」はなぜ ハ短調で扉を叩くのか? (CD付) 調性で読み解くクラシック
という本を出しています。
興味のある方はどうぞ・・・


「運命」はなぜ ハ短調で扉を叩くのか? (CD付) 調性で読み解くクラシック

おまけ・・・夢みるクラシック交響曲入門 (ちくまプリマー新書)
夢みるクラシック交響曲入門 (ちくまプリマー新書)


吉松隆さんの作曲、特にピアノ協奏曲は静謐で美しいですよ。
もっと広く知られた方がいいと思われる現代の名曲です。

ピアノ協奏曲「メモ・フローラ」他
Yoshimatsu: Piano Concerto


2011年9月17日 (土)

NHKスペシャル「生活保護 3兆円の衝撃」(2011年9月16日放送)

9月16日放送のNHKスペシャル「生活保護 3兆円の衝撃」を観ました。
今年4月末の受給者は、
全国で202万人を突破しており、
世帯数で見ると146万世帯を超え、
給付額は3兆4千億円に達しようとしているそうです。
そういう中で、日本一生活保護受給者が多い大阪市の取組を中心に、
生活保護費が闇社会に流れている実態や、
生活保護支給要件の厳格化とそれに反対するNPO法人の働きかけ、
最後は識者2人による生活保護問題の解決策の提示で終わりました。

番組HPから、放送内容を転載します。
(引用)
凄まじい勢いで増え続ける生活保護受給者。今年4月末の受給者は、全国で202万人を突破。世帯数で見ると146万世帯を超え、終戦直後の混乱期を上回り過去最多となった。給付額は3兆4千億円に達しようとしている。急増の背景には、リーマンショックを受け、2010年春に厚生労働省が65歳以下の現役世代への生活保護支給を認めるよう全国の自治体に促したことがある。
全国一受給者が多い大阪市では、市民の18人に1人が生活保護を受け、今年度計上された生活保護費は2916億円、一般会計の17%近くを占めている。危機感を抱く大阪市は「生活保護行政特別調査プロジェクトチーム」を設置、徹底的な不正受給防止にあたると共に、受給者の就労支援に乗り出している。しかし巨額の生活保護マネーに群がる貧困ビジネスは悪質化、肥大化し、摘発は進まない。また、就労意欲の低い受給者に職業訓練や就職活動を促す有効な手立てがない中で、不況下の再就職は困難を極めている。
東日本大震災の影響で今後受給者が更に増えるとも言われる中、今年5月から、国と地方による生活保護制度の「見直し」に向けた協議が始まっている。番組では非常事態に陥った大阪の生活保護をめぐる現場に密着。「働くことができる人は働く」という日本社会の根幹が日に日に毀損されていく状況をどうすれば止められるのか、そのヒントを探る。

(引用終)

番組冒頭では、大阪市の50代の生活保護受給者の様子が映し出されました。
50代で再就職はなかなか難しいので、ある程度は仕方がないのかな、とも思いました。
しかし次に、20代の男性2人(28歳、25歳)の生活保護受給者が取り上げられたときは、
「これはおかしいだろ?!」と思いました。
もはや働く気力さえ失い、生ける屍状態になっている若者・・・
番組でも触れていましたが、最低賃金でフルタイムで働くより、
生活保護を受給した方が収入としては恵まれるのです。
(税金も医療費もタダですしね・・・)
市の担当職員が就労支援に乗り出してはいるものの、
結果は思わしくないようです。
(いかにもフリーター、というような茶髪の若者がハローワークに来て、
「正社員になりたい」と申し込んでいる姿は、現状認識が全然出来ていないな、
と思いました。
観ていてなんとなく
「もしかすると、この若者達は、何らかの発達障害を抱えているかもしれない」
(そうでなければ、暴力団関係者?)とも思いました。
生活保護を2年以上も給付されると、自分から再就職を求めるよりも、
もらいっぱなし状態の方がラクということが染み付いて、
働く気になれなくなるのでしょうね・・・

番組では続いて、生活保護費が闇社会に流れることを取り上げていました。
違法賭博や「支援団体」を名乗る悪徳業者によって生活保護費を巻き上げられたり、
不正に病院から薬物をもらって転売したり・・・
我々の貴重な税金が、闇社会を肥やしている現実は、
なんとも悲しいものがあります。

番組では取り上げられていませんが、
「闇社会」までいかなくとも、パチンコや競馬などのギャンブルにも、
相当なお金が流れ込んでいるのは容易に想像がつきます。


なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか(祥伝社新書226)
なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか(祥伝社新書226)


では、どうすれば不正受給や生活保護受給者を減らすことができるのでしょうか?
政令指定都市の首長らが集まり、知恵を出しているところのようです。
番組で紹介されていたのは、
・たとえば、生活保護を受けるものは、最低1年間ボランティア活動などに従事し、
勤労意欲を見る。
・生活保護申請の厳格化
などです。
これに対して、生活保護受給者が団結して、反対デモを行う様子や、
NPO法人による保護の様子なども取り上げられていました。
既得権を奪われるのは大変なことですから・・・

最後に、識者2人がどうすれば生活保護受給者増加を防げるか、
具体的な提案をしていました。
一人は、学習院大学教授の鈴木亘氏。
もう一人は、内閣府参与で「年越し派遣村」で有名になった湯浅誠氏。
私としては2人とももっともな意見だと思いました。
より共感してのは湯浅誠氏の意見の方です。

生活保護を最終的なセーフティネットとしながら、
その前段階として、多様な職業訓練を受ける機会を与えるなど、
生活保護を受けなくても済むような社会を構築することが大事だ、
といった主張をされていました。

以前、NHKで、デンマークの雇用対策が放送されていました。
NHK・クローズアップ現代「職業訓練で雇用を生み出せ」(2011年5月19日)
ヨーロッパでの先進的な取組を見習ったり、
(決して、アメリカ型社会を目指すべきではありません!)
あるいは、清掃でも何でもいいから、ボランティア活動をさせたりするなど、
社会の税金に「タダ乗り」状態のヒトを少しでも減らす努力が必要です。
また、そもそも教育において、キャリア教育を行ったり、
読み書き計算という「基礎・基本」を図ることや、
情報機器操作(パソコン)を技術として定着させるなど、
生活保護に陥らないような早い段階からの努力が必要です。
(日本の社会構造全体の変革が必要な分野ですね・・・)

生活保護とは少し話がずれますが、
公務員をもっと増やすと景気回復する」という説をとなえている人がいます。
作家の三橋貴明氏です。

経済と国家がわかる 国民の教養

この説を応用して、生活保護受給者で勤労意欲のある者を、
臨時公務員として採用し、生活保護受給額以上の賃金を支払い、
(税金や社会保険をすべて差し引いても、生活保護費以上になるよう調整)
雇用の確保と生活保護受給者を減少させる、というのはどうでしょうか?
(シロウト意見ですが・・・)
少なくとも、税収につながりますし、当然消費拡大にもつながります。

最後に、今回の番組に関係ある本を何冊か紹介します。

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)
反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)


ルポ 生活保護(中公新書)※北海道釧路市の例が取り上げられています。
ルポ 生活保護―貧困をなくす新たな取り組み (中公新書)


生活保護VSワーキングプア (PHP新書)
生活保護VSワーキングプア (PHP新書)

※9月18日追記

番組の最後でコメントをしていた学習院大学教授の鈴木亘氏が、
NHKスペシャル「生活保護 3兆円の衝撃」の残念さ」という記事を書いています。
番組で発言したコメントは、インタビューを受けたごく一部であり、
恣意的に編集されており、ご本人の主張とはかけ離れている、というものです。
NHKは結構ニセモノ作りが上手ですからね・・・
(特に戦時中の話など・・・)
いやいや、テレビなんて、所詮そんなものなのかも?・・・

鈴木氏の著作も紹介しておきます。

財政危機と社会保障 (講談社現代新書)
財政危機と社会保障 (講談社現代新書)


社会保障の「不都合な真実」
社会保障の「不都合な真実」

2011年9月16日 (金)

イベントのための教育か、教育のためのイベントか?~イベント中心主義は学力低下の温床?

今朝(9月16日)のNHKニュース「おはよう日本」を観ていると、
「運動会の熱中症対策」について特集していました。
全国的には、今年は明日(9月17日)、運動会を開催する小学校が多い、とのこと。
(北海道では、まだ肌寒い5月下旬に行われることが多いです。)
率直な感想としては、残暑対策にあれこれ労するよりも、
もっと涼しい10月に行った方がいいのでは、と思いました。
そもそも、運動会って、必ずやらなければならない行事なのでしょうか?
教師の自己満足だけで、教育効果は実際のところどれほどのものなのでしょうか?

運動会と並ぶ学校の行事といえば、学習発表会。
(昔は「学芸会」と言いましたね。)
だいたい10月下旬頃に実施する学校が多いようです。
まるまる1ヶ月(あるいは9月、10月の2ヶ月間)、
たくさんの授業時間を使って、練習がなされるわけです。

ところで、小学校学習指導要領において、
運動会などのイベント(「特別活動」)はどれぐらいの時間が割り当てられているかというと、
実はたったの35時間しかありません。
(学級行事や入学式、卒業式、遠足などの学校行事、クラブ活動等も含む)
しかし実際のところ、何でもアリの「総合的な学習の時間」や、
各教科の時間(体育、音楽ならともかく、時には国語や算数まで潰されて・・・)も使って、
ようやく練習時間を確保しているのが実際です。

運動会には、20~30時間(※この場合の「時間」は小学校なら45分)も費やされるそうです。
学習発表会も似たりよったりでしょう。
当然、通常の学習の妨げになります。

本来、「学習発表会」というのだから、普段学習して調べたことを発表したり、
授業で習った曲を演奏する程度でいいはずなのに、
教師は張り切って、子どもたちの演技や合奏を見せるわけです。
一種のアリバイ工作のようにも思えます。
本来やるべき教科教育を後回しにして、
「子どもたちの生き生きと輝く瞳!」などの美辞麗句をもてあそんでいるだけなのですから・・・

以前紹介した、「小学校教育が危ない!」(ふくしま国語塾
というメルマガを集めたサイトでは、
『イベント』が多すぎる!」というテーマで3回にわたって記事で取り上げています。
No.27 「イベント」が多すぎる!(その1)
~小学校には、いったいどれだけの行事(イベント)があるのか?~

No.28 「イベント」が多すぎる!(その2)
~運動会の準備には、いったいどれだけの授業時間をかけているのか?~

No.29 「イベント」が多すぎる!(その3)
~「たてわり活動」を廃止せよ!~
《9割の子が嫌う「たてわり活動」が強行され、授業時間が奪われる現状》

⇒以前の紹介記事
おすすめサイト~【小学校教育が危ない】
(ふくしま国語塾 主宰 福嶋隆史のホームページ)


確かに、子どもの立場としては、国語や算数の授業よりは、
いろいろなイベント(またはイベントのための準備活動)があった方が、
楽しいことは間違いないです。
しかし、ただでさえ基礎学力が低下している児童にとっては、
ますます教育格差を広げるだけではないのでしょうか?
5年生になってもかけ算ができないとか、
2年生程度の漢字も書けないという子が多いような小学校ならば、
児童はイベント至上主義の犠牲者となっているわけです。

イベントのための教育か、教育のためのイベントなのか?
そろそろ学校行事のイベント過剰にメスをいれる時期なのではないでしょうか?
学力低下の温床になっていないでしょうか?

「本当の国語力」が驚くほど伸びる本―偏差値20アップは当たり前!

ふくしま式「本当の国語力」が身につく問題集〔小学生版〕

ふくしま式「国語の読解問題」に強くなる問題集〔小学生版〕

2011年9月15日 (木)

児童・生徒の本当の実態が書けない通知表の空虚さ・・・

昔の学校(小~高)では、1学期、2学期、3学期の終わりに、通知表が配られていました。
ごく当たり前のことでした。
テストの点などが高ければ高評価、そうでなければ低評価、とわかりやすいものでした。
しかし時代は変わって、ゆとり教育の今、通知表は年2回。
上半期と下半期の終わりに配布される学校が多いはずです。
配布される通知表は、昔のような相対評価ではなく、絶対評価です。
(2002年から改正)
教師の主観に左右される、という面よりも問題なのは、
美辞麗句や針小棒大な表現に満ちた所見欄です。
なにしろ、マイナスな言葉を書いてはいけないわけです。
(用例の主な一覧表が載っています。
教心ネット:通知表の所見欄、書きかえたい言葉一覧、文例集
(リフレーム、リフレーミング一覧表)

⇒例えば、「怒りっぽい」は「感受性豊かな」???、
がんこな」は「自分の意見を持っている、意志が強い」???)
もっと厳しい評価をすべきなのに、甘い言葉のオブラートに包まれているので、
本当の現状を知ることは困難です。
文例集まで売られています。
たとえば、下のような本のたぐいです。

ハナマル「通知表所見欄」の書き方―子どもが変わる文例108 (楽しいクラスづくりフレッシュ文庫)

新 保護者の信頼を得る通知表所見の書き方&文例集 小学校高学年

中学生の通知表所見欄記入文例―生徒の意欲を引き出す (教育技術MOOK)

通知表を見て、「わが子はできる!」「結構うまくやっている!」と誤解も生まれます。
この文面を考えるのに、教師は四苦八苦するわけです。
上半期なら、通知表で九月まるまる1ヶ月潰れてしまうかもしれません。
(実際には、もう少し前から準備しているわけですが・・・)
⇒参考:裏読み・深読み・建前の判読(とんでも教育Diary)

通知表の絶対評価は、「内申バブル」を引き起こします。
高校入試でも参考にならないような場合が多々あるようです。
根拠のない自信を与えるだけで、教育上メリットに乏しいと思われます。
オブラート通知表そのものが、学力向上の妨げになっていないでしょうか?
⇒「これでいいのか絶対評価」という記事はとてもオススメです。ぜひご一読を!

はっきりいって、絶対評価・オブラートに包まれた所見欄の通知表なら、
教師の指導不足を隠蔽したり、親への過剰な配慮に満ちているだけで、
半ば詐欺みたいなものです。
こんな通知表なら、そもそも要らないのではないでしょうか?
モンスターペアレンツや情報公開を請求してくる人々への法律的な対応をきちんとした上で、
児童・生徒の実態をきちんと知らせることができる通知表なら、
出す意味がありますが、現状のはただのお世辞であまり意味がありません。
昔流の相対評価を少し工夫して(5の数を定数で決めるとかを止めるとか)、
テストの成績など、客観的な評価によってつける方式に戻した方がスッキリします。
教員の負担軽減になるのに、こういう時こそ教員組合が騒がないのは、
実にアホらしいものです。
(そもそも、法律上は、通知表を出さなくても可のようですね。)

⇒「通知表なんて不要!――その5つの根拠」(小学校教育が危ない!)
という記事が痛烈に問題を指摘しています。
こちらは相対評価・絶対評価あわせて、通知表不要を訴えたものです。

2011年9月14日 (水)

血液検査から人工透析を防げるかも?~NHK・ためしてガッテン「腎臓が突然ダメになる 急増!沈黙の新現代病」(2011年9月14日放送)

肝臓などと同じく沈黙の臓器と言われる腎臓。
ある日突然、「人工透析の必要がある」と医師から言われたら・・・

私の友人には人工透析を受けている人がいます。
また、妻の親族には人工透析一歩手前の人もいます。
そういう意味で、今回の「ためしてガッテン」は興味深いものでした。
腎臓が突然ダメになる 急増!沈黙の新現代病
かなりコワ~イ話がたくさんありました・・・

番組冒頭では、人工透析患者が急激に増加していることを示すグラフと、
腎臓の主要機能である「濾過」の能力の実際を紹介していました。
人工透析で使う人工腎臓を通すと、真っ白い牛乳やオレンジジュースでさえ、
無色透明の液体になってしまいます。
(浄水器の応用版みたいなものなのでしょう。)
濾過機能を司るのが「糸球体」。
糸球体が壊れてしまうと、蛋白が体の中に流れてしまいます。
尿検査で明らかな異常は発見されやすいですが、
見落とされる場合もあるそうです。
沈黙の臓器をメッセージをほかに見つける確実な方法は他にないのでしょうか・・・

そこで番組では、兵庫県尼崎市の先進的な取組を紹介していました。
血液検査の「クレアチニン」の値に着目し、複雑な計算を経て、
番組HPに早見表あり)
腎臓機能がどれくらい残されているかのパーセンテージを示し、
危険領域(ほっておけば人工透析・・・)の人々に生活習慣指導をすることによって、
尼崎市では、3年連続で新規の透析患者数を減らすことができたそうです。

番組HPでは、
腎機能の濾過能力早見表と、
健康診断の結果表独自の「チャート表」にしたものが掲載されています。
血液検査の際に参考にして、食生活の改善につなげていきたいものですね。
尼崎市だけでこの取組をするよりも、
全国の自治体で可能な限り実施したり、啓発してもらいたいものです。

番組の終わりでは、痛風・高尿酸血症が腎臓病のリスクを高めることも紹介されていました。
美食もホドホドに、ということなのでしょうね・・・
有意義な情報が多い放送内容でした。

2011年9月11日 (日)

詩篇117(39)【自作曲】※祝!投稿1000件目!

今回の記事で、ちょうど1000件目の投稿です!
神様に感謝!
そして、読んでくださる皆様にも感謝!

記念すべき1000件目の投稿は、やはり自作曲にしたいと、
以前から考えていました。
ちょうど今朝(9月11日)、今回紹介しますこの曲が与えられました。
詩篇117(39)です。
(「39」という数字、結構好きです。
サンキュー」という響きがあるので・・・)
テキストは、フランシスコ会訳です。
フランシスコ会訳の旧約への作曲は初めてです。
ニ長調の曲です。
苦しみのうちにも、希望の光を与えてくださった主に感謝!
(先週病気でひどく苦しんでいましたので・・・)

せっかくですので、従来の代表的な訳の詩篇117と、
今回テキストに使ったフランシスコ会訳のを比較してみましょう。

(新共同訳)→詩編
すべての国よ、主を賛美せよ。
すべての民よ、主をほめたたえよ。
主の慈しみとまことはとこしえに
わたしたちを超えて力強い。
ハレルヤ。

(新改訳)→詩篇
すべての国々よ。主をほめたたえよ。
すべての民よ。主をほめ歌え。
その恵みは私たちに大きく、
主のまことはとこしえに。
ハレルヤ。

(フランシスコ会訳)→詩編
見出し「世界よ、主をたたえよ

すべての国よ、主をたたえよ。
すべての民よ、主をほめたたえよ。
わたしたちへの主の慈しみは力強く、
そのまことは代々に及ぶ。
ハレルヤ。

どれも一長一短といった感じの訳ですが、
あえて一つ選ぶなら、この場合はやはりフランシスコ会訳でしょう。
わたしたちへの主の慈しみは力強く、そのまことは代々に及ぶ。
の部分が、新共同訳、新改訳よりもすっきりとしているように思えるからです。

メロディ(midiファイル)と楽譜(PDFファイル)とは、
下記からダウンロード願います。もちろん無償です。

「20110911_psalms117allno39.MID」をダウンロード

「20110911_psalms117allno39.pdf」をダウンロード

ちなみに、今まで紹介しました詩篇117のテキストの統計をとってみました。
・新共同訳 15曲
・カトリック訳 15曲
・新改訳 5曲
・文語訳 1曲
・バルバロ訳 1曲
・フランシスコ会訳 1曲
・英語訳 2曲
(合計すると40曲になりますが、
これは、詩篇117(25)が、英語訳と新共同訳どちらも使っているためです。)

なお、フランシスコ会訳の聖書について記事を書いていますので、
よろしければお読みください。)
フランシスコ会聖書研究所訳注
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【送料無料選択可】聖書 原文校訂による口語訳/フランシスコ会聖書研究所/訳注(単行本・ムック)

詩篇117(38)【自作曲】

詩篇117シリーズです。

今回で、詩篇117シリーズは、38曲目です。
テキストは新共同訳です。
哀愁のホ短調の曲です。
すべての国よ、主を賛美せよ。
すべての民よ、主をほめたたえよ。

(旧約聖書 詩編117:1新共同訳)
と歌われているのに、
そうなっていない現実を観ながら、
天使が上から嘆きつつ讃美している、
みたいなイメージでしょうか・・・
(ちょうど今日は奇しくもあの9.11から10周年・・・)
2010年10月に与えられた曲です。

メロディ(midiファイル)と楽譜(PDFファイル)とは、
下記からダウンロード願います。もちろん無償です。

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詩篇117(37)【編曲】~浜辺の歌(伴奏MIDI付)

あした浜辺を さまよえば・・・で始まる「浜辺の歌」。
今回はこのメロディで、詩篇117を歌詞にしてみました。
浜辺の歌」の編曲版、詩篇117(37)です。
2010年3月に与えられました。

テキストは、新共同訳です。
伴奏部分は、原曲そのままです。
歌詞を変えた以外に、歌の部分の変更はありません。

今回は特別に、伴奏のみのmidiも作ってみました。
浜辺の歌」の練習用(カラオケ)にも使えますよ。
(「・・・without song」の方です。)
メロディ(midiファイル)と楽譜(PDFファイル)とは、
下記からダウンロード願います。もちろん無償です。

(伴奏付)
「20110911_psalms117allno37_hamabe_no_uta.MID」をダウンロード

(楽譜)
「20110911_psalms117allno37_hamabe_no_uta.pdf」をダウンロード

(伴奏のみ)
「20110911_psalms117allno37_hamabe_no_uta_without_song.MID」をダウンロード

以前、同じく「浜辺の歌」のメロディに、
新約聖書ヨハネ15:12(わたしがあなたがたを愛したように・・・)のテキストを
歌詞としてつけた曲も紹介しています。
よろしければお読みください。
わたしがあなたがたを愛したように(ヨハネ15:12)【編曲】

余談ですが、「浜辺の歌」について調べていると、
こんな情報がありました。
「浜辺の歌」は恋歌だった」(歌の誕生秘話・エピソード)
ご参考まで・・・

詩篇117(36)【自作曲】

忘れた頃にやってくる、詩篇117シリーズです。
(約7ヶ月ぶり・・・)

今回で、詩篇117シリーズは、36曲目です。
テキストは、カトリック訳です。
変ロ長調の曲です。
2009年5月に与えられたものです。

メロディ(midiファイル)と楽譜(PDFファイル)とは、
下記からダウンロード願います。もちろん無償です。

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「20110911_psalms117allno36.pdf」をダウンロード

2011年9月10日 (土)

日本テレビ系・「ライオンスペシャル 第31回高校生クイズ 日本を救う最強頭脳No.1決定戦」(2011年9月9日放送)

毎年放送されている「高校生クイズ」、
今年は途中(準々決勝)あたりから観ました。
よくこんなムズカシイ問題わかるものだな~と、感心するばかりでした。
ノーベル物理学賞の益川敏英さんから、
「宇宙のひろさはどれくらいか」という超難問を出されても、
開成の2校は見事に正解していました。
(「末は博士か大臣か」を地で行くような知識量と応用力!)
北海道の札幌南高校(準決勝唯一の公立校!)も、準決勝で惜しくも敗退・・・
公立の星だったのに・・・
それでも、準決勝まで行けた知識と勝負強さには拍手を送りたいです。

決勝の問題は、東大生の正答率が1%以下という難問ばかり、とのこと。
ちんぷんかんぷんな問題ばかりでした。
(ちなみに私はクラシック音楽に関する2つの問題だけは答えられました。
やった~ヽ(´▽`)/???)

番組の構成としては、23時以降の決勝のところで、
CMによる間延び・先延ばしを計っていたのが残念でした。
(スポンサーにとっては死活問題なのでしょうけどネ・・・)
視聴者としては、2時間45分の番組よりも、2時間以内できっちり終った方が、
すっきり楽しめたと思います。
余計なプレイバックとか省けば、もっとすばらしい番組になっていたでしょうに・・・
(余計なプレイバックで延ばすことによって、
テレビ局はCM収入ウハウハ、視聴者はイライラ?)

早押しクイズのところは、
競技クイズを扱ったマンガ『ナナマルサンバツ』を読んだので、
どうして途中で答えられるのか、少しだけタネがわかりました。
(百人一首の決まり字を覚えるようなものなのでしょうか・・・)

【送料無料】ナナマルサンバツ(Question 1)

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ところでこの番組、日教組や北教組の人が観たら、どんな感想を出すのでしょうか。
「知識偏重だ」、「勝負だけがすべてではない」、「詰め込み教育」???
大人の余計なおせっかいでしょう。
知ることは、本来楽しいものなのです。
そして、カッコイイものでもあります。
(クイズじゃなくても、スーパー戦隊の名前を覚えるとか、ポケモンを全部覚えるとか、
子どもにとっては実に楽しいことなのです。)

読売新聞北海道版朝刊で、先月「学力危機」という連載がありました。
札幌の教育格差についての問題を多角的に取り上げたものです。
教育の問題を、地域や保護者のせいにする教員がいますが、
もっとも問題なのは教員自身でしょう。
次のような手痛い指摘もありました。

(引用)
 「学力向上だけが教育ではない」という言い方は、教員の逃げ道になっていないか。学力が向上すれば、その他の大切な能力をなくしてしまうのだろうか。国民は、頭でっかちの子供を拒否しても、学力そのものをなくしてもいいとは思っていない。

 学力向上から逃げる価値観が、北海道ではとりわけ強いように思う。この価値観から抜け出すことが、まず第一歩ではないか。教員の都合を優先して、公務員としての当たり前の努力すら放棄しているとしたら問題である。

 教員は「この学校の子どもは書く力が弱い」「この地域の子どもは計算する力が弱い」「今度の学年は……」という言い方をする。しかし、教員の指導する能力、ひいては組織としての学校の指導力が弱いから、子どもたちにその力がつかないのではないか。その点に早く気づいてほしい。
(引用終)
(引用は、「第一部 札幌の格差 (私の提言 兵庫教育大教授 日渡円さん)」(9月7日記事)から)

読売新聞北海道版の連載「学力危機」について以前記事を書いていますので、
教育に関心のある方はよろしければお読みください。

札幌市の教育の学力危機を暴けるか?~
読売新聞北海道版の連載「学力危機」(2011年8月21日~)

TT(チームティーチング)は足し算ではなく掛け算なのでは?~
読売新聞北海道版の連載「学力危機」第2回(2011年8月22日)を読んで

公立学校で習熟度別授業の導入はプラスか、マイナスか?~
読売新聞北海道版・連載「学力危機」第1部・札幌の格差 (10)を読んで


おまけとして・・・
番組HPで、番組出演者の一人である脳科学者の茂木健一郎さんによる、
高校生クイズのヒーローたちに学ぶ 東大・難関大 合格の勉強術
という本が紹介されていました。
ご参考までに・・・

高校生クイズのヒーローたちに学ぶ 東大・難関大合格の勉強術

2011年9月 7日 (水)

糾弾される武田教授と表彰される山下教授

中部大学の武田教授のテレビでの発言が、波紋を呼んでいるそうです。

9月4日放送の『たかじんのそこまで言って委員会』という番組で、
「東北の野菜や牛肉を食べたら健康を壊す」と発言した問題です。
(私は残念ながらその番組は観ていません・・・)

これについては、
武田教授の「東北の野菜は健康を害す」発言に一関市長が抗議のメール
という記事がその前後の発言も含めて取り上げていますので、
ある言葉だけを強調して糾弾するのは早まった判断なのではないか、と思います。
武田教授本人のブログでも取り上げています。
なぜ、子供が被曝を心配するのか?」(9月7日)
一関市長さんへのご返事

私としては、東北の生産者の皆様に同情の気持ちを持ちますが、
消費者あっての生産者ではないかと考えます。
消費者の安心・安全につながらないようなものは、出荷すべきでないし、
買うべきではない、と考えます。
(きちんと情報公開しているなら別ですが・・・)
従って、武田教授が言うように、除染をしっかり行って、
政府が1年以上の休業補償をする、というのが、ベターな解決法ではないでしょうか。
「王様は裸だ」と事実を言えば、弾圧されねばならないのでしょうか?

一方、被曝の被害を軽視するトンデモ発言の、
山下俊一・福島県立医科大副学長は、「朝日がん大賞」を受賞した、とのこと。
朝日新聞「ひと」欄また問題人物登場」(ゲンダイネット9月3日記事)
「朝日がん大賞」を受賞したので、朝日新聞の「ひと」欄で取り上げた、というワケ・・・
朝日新聞はジャーナリズム失格です。
(引用)
なるほど、「朝日」がつく賞を取ったものだから、「ひと」欄で取り上げたのだろうが、この山下氏の「がん大賞」受賞には多くの人が腰を抜かした。「がん大賞」ではなく、「がんにさせる賞」じゃないか。こんな声も多かった。山下氏は日本甲状腺学会理事長を務める権威で、福島県知事の要請で放射線健康リスク管理アドバイザーも務めている。今度の「朝日がん大賞」の授賞理由も「被曝医療への貢献」だ。しかし、原発事故直後は、放射能による健康被害を過小評価するトンデモ発言を繰り返し、ジャーナリストの明石昇二郎、広瀬隆両氏から東京地検に告発されているのである。その告発状にはこうある。
〈被告発人山下らは年間20ミリシーベルト、毎時3.8マイクロシーベルトをわずかでも下回れば「安全」であるとし、そうした地域に暮らす一般市民、児童、生徒、学生らの安全対策を怠った。山下に至っては飯舘村で講演し「現在、20歳以上の人のがんのリスクはゼロです。ですからこの会場にいる人たちが将来がんになった場合は、今回の事故に原因があるのではなく、日ごろの不摂生だと思ってください」などと被曝安全説を触れ回った〉

(引用終)

「がん大賞」ではなく、「がんにさせる賞」じゃないか。そのとおりです。
こういう人物こそ糾弾されるべきでしょう。
山下教授のみならず、菅内閣の閣僚や東電の経営陣も!

余談ですが、今日(9月7日)たまたま昼下がりに、
少しだけテレビを観る機会がありました。
どこかの局のワイドショーで、いまだに「風評被害」という言葉を使っていました。
(東北の農産物等を買わない消費者は悪者?)
「風評被害」と「健康被害」どちらが深刻か、考えるようとしないのでしょうか?
わからないから「風評被害」が広がるのです。
事実を直視するしか、打開の道はないと考えます。

2011年9月 5日 (月)

書評:鈴木孝夫著『日本語教のすすめ』(新潮新書)

9月5日の読売新聞夕刊の「新刊立ち読み」という書評コーナーで、
僕の妹は漢字が読める』(かじいたかし著 HJ文庫)
というラノベ(ライトノベル)が紹介されていました。

僕の妹は漢字が読める (HJ文庫)

記事では、
23世紀の日本では『萌え』文化が社会全体に広がり、美少女の登場する典型的なストーリーを仮名と記号だけ使って書くのが正統派文学で、ごく一部の限られた人しか漢字を読めなくなっている、という設定が秀逸。
と紹介。

別にこの小説を読む気はありませんが、
ごく一部の限られた人しか漢字を読めなくなっている」という設定は気になりました。
現代だって、ケイタイをいじくっている中高生などは、
きちっと漢字が読めるのかアヤシイところがあります。

ところで、「ごく一部の限られた人しか漢字を読めなくなっている」という設定、
実は戦後の混乱期のドサクサにまぎれて、本当にそうなるところでした。
最近、「日本の国字をローマ字にせよ!」という方の主張を聞く機会がありました。
現代の漢字かな混じり文は、
あやうくローマ字だけ・カナ文字だけになっていたのかもしれないのです。
(「国語国字問題」を参照)

占領されていた時期だからこそ、自虐的になってそういう運動が沸き起こったのか、
というと、そうでもなく、
戦前から、国字をカナ文字に!と主張する「カナモジカイ」などは存在していました。
とはいえ「カナモジカイ」のHPをぜひ御覧になってください。
最初のところはともかく、漢字を使わない文章を読むのは、かえって面倒です。

先ほどの「日本の国字をローマ字にせよ!」という方は、
いかに漢字かな混じり文がおかしいものか、国際的でないかを力説していました。
私は、その薄っぺらい主張に辟易したのと、
「本当に、漢字かな混じり文はおかしいものなのか?」と疑問を持ちました。
そこで、いろいろ調べてみました。
今回紹介します、鈴木孝夫著『日本語教のすすめ』もその一冊です。
「国字ローマ字化」の主張へのよい解毒剤となりました。

日本語教のすすめ (新潮新書)

「西洋の言語はラジオ型に対して、日本語はテレビ型だ」とか、
「西欧至上主義からの解放」(P.19~)など、
日本語に対する自信を深めることができます。
諸言語との比較や、日本語というものを考えるにはとてもいい一冊です。
タイトルはもうちょっと工夫してほしかった、ともいえますが・・・

2011年9月 4日 (日)

「みくに」か「おくに」か、「みこ」か「おんこ」か・・・聖書・典礼における「御」の字の読み方の考察

紀伊国屋書店の聖書コーナーに行くと、
塚本虎二訳新約聖書』が置いてありました。
無教会主義の2代目リーダーとして有名な塚本虎二(1885-1973)の個人訳聖書です。
福音書使徒のはたらき(使徒言行録・使徒行伝)は、
岩波文庫で分冊版が出ていましたが(「使徒のはたらき」は現在絶版)、
新約聖書全体としての刊行は今回初めてとのことです。
8月下旬に出版されました。


塚本虎二訳新約聖書(新教出版社)
塚本虎二訳新約聖書


新約聖書 福音書(岩波文庫)
新約聖書 福音書 (岩波文庫)


新約聖書としてはちょっとお高い4200円・・・
(新教出版社の柳生直行訳新約聖書も高い・・・3990円)
そのうち手にいれようとは思いますが、まずはパラパラと立ち読み。
(「福音書」だけは岩波文庫で読んだ気がしますが、
訳文があまり好きではありませんでした。)
この聖書では、通常の聖書の順番である、
「マタイ→マルコ→ルカ→ヨハネ・・・」ではなく、
マルコ→マタイ→ルカ→ヨハネ・・・」と、
マタイ福音書とマルコ福音書を逆にしていました。
(同様の並べ方は、岩波書店の「新約聖書翻訳委員会」訳もしています。)
理由は、書かれた年代順ということと、
マタイの後にマルコを並べると、マルコの卓越性が埋没しかねない、
といったものが書かれていました。
訳文は岩波文庫で読んだときよりも、文字が大きいせいか、
読みやすく、できるだけ註解がなくてもわかるように工夫されているな、と思いました。


岩波書店 新約聖書(新約聖書翻訳委員会訳)
新約聖書


さて、今回問題にしたいのは、「主の祈り」の訳文です。
塚本訳は、インターネットでも公開されていますので、
そこから引用します。
塚本虎二訳新約聖書

わたしたちの天のお父様、
名前がきよまりますように。
国が来ますように。
心が行われますように、天と同じに、地の上でも。
その日の食べ物をきょうも、わたしたちに戴かせてください。
罪を赦してください、わたしたちも罪を犯した人を赦しましたから。
わたしたちを試みにあわせないで、悪から守ってください。


」という文字に下線を引きましたので注目してください。
漢字で書くと「」ですね。
この「」という文字、聖書・教派によって、それぞれ読まれ方が違います。

通常の聖書の訳では、「」は、「」と振り仮名がつけられています。
「神の子」は「かみのこ」です。
新共同訳での「主の祈り」の前半(マタイ6:9、10)を引用しましょう。


天におられるわたしたちの父よ、
御名な)が崇められますように。
御国くに)が来ますように。
御心こころ)が行われますように、
天におけるように地の上にも。


」にはすべて「」と振り仮名がつけられていますね。
(クリスマスの有名な讃美歌「神の子は今宵しも」でも、「こ」ですね。)
例外は、「父」(おんちち)です。
御父(おんちち)は、わたしたちを闇の力から救い出して、
その愛する御子(みこ)の支配下に移してくださいました。
(新約聖書コロサイの信徒への手紙1:13新共同訳)
御父」と「御子」が出てくる場合は、
おん」と「」を使い分けることになります。
新改訳では、「御父」は「ちち」と読ませています。
(そうなれば、聖霊=御霊=たま、と使い分けることがなくなりますね。)
新改訳での用例を引用します。

神は私たちにたま)を与えてくださいました。
それによって、私たちが神のうちにおり、
神も私たちのうちにおられることがわかります。

私たちは、ちち)こ)を世の救い主として遣わされたのを見て、
今そのあかしをしています。

(新約聖書ヨハネの手紙Ⅰ4:13~14新改訳)
そういえば、「御前」は「まえ」と読みますね・・・
新改訳の読ませ方は、一番スッキリしています。

一方、カトリックでは、「」は「御父」、「御子」という場合にのみ、
おん」と読ませています。
フランシスコ会訳・バルバロ訳では、「くに(御国)」、「な(御名)」は、
国」、「名」とひらがな表記しています。
」を場合によって「おん」、「」と呼び分ける不自由を避けるためなのでしょう。
ただ、「おんこ」という響きは、あまり好きではありません。
理由はあえて書きませんが・・・(察してくださいませ)


フランシスコ会訳聖書 聖書全巻(サンパウロ)
【送料無料選択可!】聖書 原文校訂による口語訳 (単行本・ムック) / フランシスコ会聖書研究所/訳注
※8月に入手しました。
記事を書いていますのでよろしければお読みください。


バルバロ訳聖書(講談社)
聖書


「神の子」が、「かみのこ」なのか、「かみのおんこ」なのか。
あるいは、「父」が、「おんちち」なのか、「ちち」なのか。
御名」、「御国」、「御心」は・・・?
漢字の読み方の問題が、キリスト者の一致に妨げになってはいけませんね。
一番合理的なのは、新改訳のように、
」をすべて「」と読ませることではないか、と考えますが、
それぞれの訳や教派的伝統から、なかなか難しいのでしょうね・・・
そういう意味では、塚本虎二訳の「国」、「心」というのも、
現時点では「アリ」なのでしょう。
ただ、「おくに」、「おこころ」という「地上的なもの」と、
「みくに」、「みこころ」といった「聖なるもの」を分けておく必要があるのでは、とも考えます。

余談ですが、「バルバロ訳聖書」について調べていると、
講談社学術文庫で、
バルバロ訳聖書の「創世の書」(創世記)のところだけが、
今年の4月に出版されていました。
知らなかった・・・
(とはいえ、バルバロ訳聖書を持っていますので、あえて買う必要はありませんが・・・)
Amazonではひどいコメントがつけられています・・・(;д;)
何故にこの部分だけ出版したのでしょうか?


旧約聖書 天地創造 《創世の書》 (講談社学術文庫)

旧約聖書 天地創造 《創世の書》 (講談社学術文庫)

2011年9月 3日 (土)

NHKBSプレミアム「名曲探偵アマデウス」・ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」

今回の「名曲探偵」は、再放送で、
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番でした。
事件ファイル#12・・・初期の頃の放送ですね。
かつて「神の手」を持つと呼ばれた医師が、
再起をかけて恩師のオペに挑む、という話でした。
大きな失敗を犯して自信を失った医師の話と、
「交響曲第1番」の初演失敗からうつ病になり、
そこから這い上がったラフマニノフ自身の話が、ちょうどうまくマッチしていました。

私にとって、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、
一番好きなピアノ協奏曲です。
相当な回数聴いたと思います。
特に、落ち込むことが多かった日々に・・・
第1楽章から第3楽章まで通して聴くと、
暗闇から光へ、抑鬱から解放へ、
というプロセスが音楽で実に見事に表現されています。
今苦悩のどん底にいる人、希望を見いだせない人には、
ぜひ聴いてほしい曲です。
どんな憂鬱も、必ず出口があるのです・・・

番組では、
中村紘子さんの独奏、準・メルクルさん指揮のN響の演奏を取り上げていました。
番組の最後の方で、第3楽章の抜粋演奏がありましたが、
少しテンポが遅く、キレがない演奏かな、とも思いました。
(参考:中村紘子さん独奏のCD)

私の所有しているCDを紹介します。
(以下敬称略)

私にとってベストCDは、
ツィメルマン(ツィマーマン)のピアノ、
小澤征爾指揮ボストン交響楽団の演奏です。
何度聴いてもすばらしいと感じます。
ピアノもすばらしいですが、オケも見事です。
数年前に妻が誕生日プレゼントとして贈ってくれたもので、
そういう意味でも特別な1枚です。


このCD以前によく聴いていたのが、
エレーヌ・グリモーのピアノ、アシュケナージ指揮フィルハーモニア管弦楽団のCDです。
ジャケットを見ると可憐なイメージですが、演奏は実に硬派です。
ラフマニノフの憂鬱・沈滞と解放をよく表現しています。

以前所有していたことのあるCDも紹介します。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番には、
作曲者自身によるピアノ演奏のものが残っています。
(番組でも紹介されていました。)
ラフマニノフにとっては、この難曲でさえ、やすやすと弾けてしまうのでしょうね。
あっさりとした演奏といえますが、作曲者自身の解釈が聴けるのがとても貴重です。
録音はとても古いです。
BMG盤よりはNAXOS盤の方が評判がいいようです。
(私もNAXOS盤を持っていました。)

(NAXOS盤)※ダウンロード

(BMG盤)

ラフマニノフのこの曲といえば、かつてはリヒテル盤が名盤でした。
この演奏もたまに聴いていましたが、グリモー盤を手に入れてから手放してしまいましたが・・・
重厚な演奏が魅力です。

この曲を一番初めに聴いたのは、
アシュケナージのピアノ、プレヴィン指揮ロンドン交響楽団の演奏です。
クセもアクもない、とてもオーソドックスな演奏です。
1枚もので買うより、ピアノ協奏曲全集で買った方が得かな、と思います。

(ピアノ協奏曲全集(旧盤))

※単独なら、新盤の方がおすすめです。

以下は、視聴しかしていませんが、最近の若手ピアニストによる演奏盤です。
特に評は書きません。参考までに・・・

ユジャ・ワンの独奏

辻井伸行の独奏、佐渡裕指揮

ラン・ランの独奏、ゲルギエフ指揮


名曲なので、最低2枚ぐらいは持っていて損はありません。
試聴しただけですが、ガブリーロフ独奏、ムーティ指揮のもすばらしそうです。

ところで、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番といえば、
往年の名画に使われたことでも有名ですね。
番組では、イギリス映画「逢びき」で使われたのが紹介されていました。
この映画、冒頭だけ観たことがあります。
汽車が白煙をたててホームから出発しようとするところで、
第1楽章冒頭が印象的に使われていました。
(ただし、その後はなんとなくつまらなさそうだったので、まだ観ていません。)

この曲が使われている映画としては、
他に「旅愁」があります。
こちらは映画館で観たことがあります。
この曲の演奏シーンが見物でした。


変わったところでは、マリリン・モンローの有名なシーンがある、
「七年目の浮気」でも使われていました。ワーオ!(^-^;
(映画では、この曲は浮気ミュージックの定番扱いなのでしょうか?)

おまけとして・・・
「のだめカンタービレ」5巻で、マンガなのに見事にこの曲を絵にしたのは見事でした。
「のだめ」全巻の演奏シーンの白眉といえます。

おすすめWEB記事~科学ジャーナリスト・塩谷喜雄氏の記事(フォーサイト)

先月(8月)、
「原発排気筒の底部で毎時1万ミリシーベルト以上という極めて高い線量が観測された」
とする、8月1日の東京電力発表のニュースがありましたね。
しかし、どうしてこのタイミングに発表されたか、ということに対して、
マスコミは全然疑問を持たずに、ニュースを垂れ流していましたね。
今回紹介します、科学ジャーナリスト・塩谷喜雄氏のWEB記事、
中国鉄道事故より悪質な日本の事故隠蔽――「3.11の真実」埋葬を許すな」は、
実に鋭く、マスコミの怠慢を指摘しています。

記事から引用します。
(引用)
1万ミリシーベルト超の高線量区域はなぜ突然出現したのか

 恣意的な断片情報による世論操作の典型例が、原発排気筒の底部で毎時1万ミリシーベルト以上という極めて高い線量が観測されたとする、8月1日の東京電力の発表である。
 福島第一原発の1号機と2号機の排気筒底部で、1万ミリシーベルトまでしか測れない線量計が振りきれたという。また4日には、そこにつながる配管付近でも毎時3600ミリシーベルトが観測されたと発表した。メディアはこぞって「原発サイト内で最強の放射線」と大きく報じた。
 何の疑問も持たずにこの数字を垂れ流した時点で、報道機関としては失格である。無能といってもいい。広報機関に徹していて、報道なんかとっくに放棄しているというのであれば別だが、いささかの自負が残っているなら、数字の意味と発表の意図を問いただし、ニュースとしての価値を評価せねばならないはずだ。
 東電は3月12日のベントの際に付着したとするが、事故から5カ月もたってから、1時間浴びたら死に至るような高線量区域が突然「出現」したのはなぜか。本当に8月1日に新たに見つかったのか。同じ区域の7月1日の線量はどうだったのか、6月1日、5月1日、4月1日には、それぞれどうだったのか。そこを確認せずに「高線量区域見つかる」と報じたとしたら、お粗末というほかない。

(引用終)

何の疑問も持たずにこの数字を垂れ流した時点で、報道機関としては失格である。無能といってもいい。広報機関に徹していて、報道なんかとっくに放棄しているというのであれば別だが、いささかの自負が残っているなら、数字の意味と発表の意図を問いただし、ニュースとしての価値を評価せねばならないはずだ。
という指摘はもっともです。
3.11で、日本のマスコミは、政府の広報機関に成り下がりました。
しかも、自主的に・・・
また、ネット住民の一部は別とすれば、一般の日本人も、
思考停止状態に陥って、政府・東電のウソを信じ込んでしまいました。

事故後半年もたって、
実は保安院は、メルトダウンを予想していた、というのが明らかになりました。
当日に2号機溶融を予測
多くの人は、最悪の事態を直視できず、楽観的な考えに立ってしまったため、
政府批判さえしませんでした。
政府を追い詰めなかったのは、マスコミの責任であると同時に、
声をあげなかった我々国民の責任でもあるのです。

フォーサイト」に掲載されている、塩谷氏の記事はどれも読み応えがありますので、
ぜひ一読をおすすめします。

塩谷喜雄 記事一覧
特に、
「本当の原発発電原価」を公表しない経産省・電力業界の「詐術」」もおすすめです。

2011年9月 2日 (金)

公立学校で習熟度別授業の導入はプラスか、マイナスか?~読売新聞北海道版・連載「学力危機」第1部・札幌の格差 (10)を読んで

読売新聞北海道版で連載中の「学力危機」第1部・札幌の格差」 (10)では、
札幌近郊の北広島市・恵庭市の取組を紹介していました。

北広島市では、今年の春から市内全部の小学校で、
習熟度別授業を導入したとのことです。
恵庭市では、2004年度から市内全ての小学校で司書を配置した、とのことです。
今回は、北広島市の取組と、習熟度別授業のメリット・デメリットを考えてみたいと思います。

まず、記事から引用します。
(引用)
 札幌市近郊では自治体ぐるみの学力向上策が進む。

 北広島市立大曲小学校5年1組。2学期が始まって間もない8月23日、朝の学級活動が終わると、教科書とノートを持った児童20人が会議室に、8人が児童会室に移動、9人だけが教室に残った。

 同小は2年前、3年生以上の算数で、児童の理解度に合わせてグループ分けする習熟度別授業を導入した。導入前、テストの出来の悪さに採点する手が止まった経験を持つ男性教員は「授業で理解したと思っていた子が、全然できていない。今の方式なら、そういう子を見逃さない」。

 習熟度別授業には「学力による子どもの差別化につながる」との批判がある。同小では学級懇談会や家庭訪問などで保護者に説明を重ね、自分が「どのグループで勉強したいか」も、子どもの判断に任せた。

 この夏休み前のアンケートでは、保護者や児童の8~9割が賛成した。三島哲教頭(50)は「授業に向き合う子どもの姿勢が積極的になった」と効果を語る。

 「これまでの授業では学力が二極化する。(複数の教員が教室に入る)チームティーチング(TT)も実施したが、もう一歩進んだ少人数指導で基礎学力を身につけさせたい」(学校教育課)。北広島市では今春から全10小学校が習熟度別授業を導入している。
(引用終)

みなさんは、この記事を読んで、どう思われたでしょうか?
教育に対して先入観を持たない人ならば、
「うちのマチでも習熟度別授業を導入してほしい!」と思うのではないでしょうか?
「学力による子どもの差別化につながる」と問題視するのは、
教師(特に組合系)と、一部の人々ぐらいでしょう。

私も、記事を読んで、最初は導入に賛成の立場でした。
しかし、インターネットでいろいろ調べてみると、疑問を抱きました。
教師や大学教授が書いたものは、おおむね導入に否定的です。
習熟度別授業はかえって学力低下につながる
というようなことさえ書いている人さえいました。
特に、東京大学の佐藤学教授は、
習熟度別指導の何が問題か 』(岩波ブックレット)と猛批判を展開しています。

このブックレットへのAmazonのレビューを読むと、
注目すべきレビューがありましたので紹介します。
強烈な皮肉ですね・・・

(引用)
東大でも協同学習を(きりん)
日本の小中学校は習熟度別でないので、平等、高校と大学は習熟度別、能力別になってるので平等でないとのことなので、いっそ、佐藤学先生の勤務先である東京大学もすべての学生を受け入れて、協同学習をされたらと思いました。そうすれば圧倒的多数の中程度の学生には大変効果が出るはずですね。でも、トップと最底辺の学生は課外学習で面倒を見ることになるのですね。東京大学も「公教育」なのだから大多数の利益を守らないといけませんからね。
この本は小中学校の先生のために書かれている本だと思いました。
子どものためを考えて書かれたようには思えませんでした。
親は先生が子どもを個人として見てくれることを願っています。

個人としてスキルアップして欲しいし、その中には基礎学習も集団の中でメンバーとしてやっていく能力も含まれます。基礎学習が出来ない、集団の中のお客様にはなって欲しくありません。
(引用終)

東京大学に行くのも、誰でも入れるような大学に行くのも、
実は「習熟度別」(学力)の結果なのです。
東京大学でも誰でも行けるようになってから、そういう批判をしてほしいものです。
(もっとも、それなら「東大」というブランドは地に落ちてしまいますね・・・)

習熟度別授業に反対する人は、どちらかというと、
「問題解決型授業」に陶酔している人が多いのかな、というのが、
私の印象です。
そして、教師の能力の差を認めようとしない。
また、「協同学習」(バズ学習)を推進しようとしています。
協同学習の考え方そのものは、教科によっては効果的だと私も考えますが、
具体的な効果はよくわかりません。

教師の側からの批判はさておき、
学習する側(ユーザー→児童・生徒)の側からはどうでしょうか?

大切なのは、教師の机上の空論ではなく、
子どもたちの「わかった!」という実感ではないでしょうか。
習熟度別が、単に「おまえはできるからAランク」、
「おまえはできないからCランク」と分けるだけなら、何も意味がありません。
できる子はさらに上を目指し、できない子はまずできるようになる、
という成功体験を積み重ねていくことが肝要だと考えます。
人員配置を手厚くできるなら、少しでも「できない子」を減らし、
「できる子」を伸ばせるような教育こそ望ましいものです。
単なる一斉教育では、すごくできる子・すごくできない子どちらにとっても退屈です。
(わからないから、「荒れ」が出てくるのです。)
わかりすぎるか、わからなさすぎるか、という両極端になるからです。
そういう意味で、北広島市の取組は妥当だと考えます。

「点数を取る」ということに、どうして教師は反対するのでしょうか?
PISAテストだって、結局は点数で判断するわけですよね。
世の中は常に競争なのです。
それに、子どもにとっては、たとえば鉄棒の「さかあがり」や跳び箱だって、
できるようになりたいのです。
「社会ではさかあがりや跳び箱なんてやらないじゃないか。
できなくたって気にすることはない。」という考えがあってもいいと思います。
しかし、その子の保護者が慰めるために言うならともかく、
教師が口にすべき言葉ではないでしょう。
掛け算の九九や漢字の読み書きだって同じなのです。
子どもは、面白いと思えば、もっと知りたくなるものなのです。

習熟度別授業への賛成意見としては、次のブログ記事がわかりやすいです。
学力改善案(習熟度別クラス)(ブログ「公立学校の現状」)
習熟度別クラス(「コラム教職教養」)

もっといろいろ知ってみたい方は、次のリンク集ページが便利です。
少人数指導・習熟度別指導へのリンク集

いずれにせよ、これからの教育は、きめこまやかな対応が求められているわけですね。
「公立学校で習熟度別授業の導入はプラスか、マイナスか?」というタイトルをつけましたので、
私なりの結論を出します。
「子どもの『わかった』を大切にするような、きめ細かい指導をするなら、
習熟度別授業の導入はプラスである」
習熟度別授業は、ユーザー(子ども)の立場にたって考えるのが大事だと考えます。

2011年9月 1日 (木)

NHK・セカイでニホンGO!「ニホンの大切なことは怪獣から教わった」(2011年9月1日放送)

ニホンの大切なことは怪獣から教わった」・・・???
2011年9月1日放送のNHK・セカイでニホンGO!では、冒頭のコーナーで、
初代ウルトラマンやウルトラセブンに登場する怪獣たちを通しての、
45年前の日本と世界情勢の分析をしていました。
バルタン星人やジャミラなどの話には、
核実験や宇宙開発競争といった背景があったのだ、と知り、
「へぇ~!」と思いました。

番組中間では、「3.11」の大災害に際しての各国メディアの反応についてでした。
日本語の「我慢」が、「GAMAN」として世界で賞賛されつつ使われた、という話でした。

番組後半では、「脱ゆとり」の話。
「コボちゃん」の4コママンガを、まったく読んだことがない人に向けてわかるように、
200字以内で書く→これからは発信力が大事・・・という結論に持っていきました。

これに対しては、「確かにそうだけれど・・・」と疑問を持ちました。
「自分で考えろ」、「発想力が大事」、「受信より発信」・・・
いかにももっともらしいですが、考える材料や「型」がなければ、
「できる人はもっとできるようになるが、できない人は全然できない」ままです。
(ちょうど、新約聖書の有名な言葉、
持っている人は更に与えられて豊かになるが、
持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。

(新約聖書マタイによる福音書13:12新共同訳)そのものですね・・・)

国際的な学力テストであるPISA的な学習に対応していくのは、必要とは思いますが、
まず、基礎・基本をしっかりと定着させるような教育こそ、もっとも必要なのです。
その上で、学んだことをしっかりと応用・発信できるようにすべきではないのでしょうか。

2011年8月のアクセス数ベスト10記事一覧

2011年8月のアクセス数ベスト10記事は以下のとおりです:
(※トップページを除く)

一位.NHK・クローズアップ現代「大人がハマる“数学ブーム”の謎」
(2011年7月27日放送)

二位.ウコンは肝臓に悪い?~NHK・ためしてガッテン「肝臓の健康を守れSP」
(2011年6月29日放送)

三位.大金星であり大黒星でもある番組~NHK教育・ETV特集
「ネットワークで作る放射能汚染地図 福島原発事故から2か月」
(2011年5月15日放送)

四位.神秘の滝霧~NHKスペシャル「幻の霧~摩周湖 神秘の夏~」
(2011年7月31日放送)

五位.NHKEテレ・ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図 3
子どもたちを被ばくから守るために」(2011年8月28日放送)

六位.一日散歩きっぷで札幌~ニセコ~小樽~新千歳空港の旅!(2011年7月29日)
七位.NHK・ディープピープル「スーパー指揮者」(2011年8月1日放送)
八位.気象庁はなぜ放射能拡散予想を発表しない?
~ドイツ気象庁が日本の放射能拡散予想を発表中

九位.おすすめサイト~【小学校教育が危ない】
(ふくしま国語塾 主宰 福嶋隆史のホームページ)

十位. ゲルギエフ指揮によるバレエ「火の鳥」と「春の祭典」
~NHK・プレミアムシアター「サンクトペテルブルク白夜祭2008」
(2011年7月31日放送)

NHKネタが相変わらず圧倒的に強いですね・・・
(ベスト10中7つ・・・)
2011年9月もご愛読よろしくお願いします。

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