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2011年8月21日 (日)

書評:曽野綾子著『ただ一人の個性を創るために』(PHP文庫)

曽野綾子さんの『ただ一人の個性を創るために』(PHP文庫)を読みました。

ただ一人の個性を創るために (PHP文庫)

2011年8月の新刊ですが、実際は2004年に出版されたものの文庫化です。
教育問題へのエッセイを集めたものです。
学校教育への提言もありますが、中心は家庭教育への提言です。
著者の見解には、私は6~7割賛成、反対・保留が3~4割ぐらいでした。
日教組(的な)教育への批判などは痛烈です。
たとえば・・・

見出し「『ありのまま』を認めるだけなら教育はいらない」(P.45~46)
(川崎市が「子どもの権利に関する条例」を2000年に日本全国で初めて可決したニュースに触れて)
(引用)
 何よりおかしいのは、子供が「ありのままの自分でいる権利」を保障していることである。教育は、子供がターザンではないようにするために行なうのだ。自分の個性を保ちつつ、私たちは自分を矯め、伸ばし、辛い時にも微笑み、やりたくない時でも我慢して持続する力をつけ、嫌いだと思っていたことの中にもおもしろさを見つけるために、教育を受け、独学をする。ありのままで居続けることがいいなら、学校教育もやめたほうがいい。
 「ありのままの自分でいる権利」を保障してくれるなら、今後、「ひきこもり、フリーター、ホームレス、楽しみで人を殺してみる子供たち、(中略)万引き、ストーカー、麻薬、レイプ魔、(中略)」はますます増えるだろう。
 (中略)しかし、ありのままではなく、厳しい教育によって、それが社会の中でどれほど醜悪で取り返しのつかないものか、そして動物ではなく「高貴な魂を持った人間」になるためには、それを乗り越えて、どれほどにも人工的に鍛えた自分を形成しなければならないかを知るのである。

(引用終)

「ありのままのじぶんでいる権利」・・・
そういえば、今年の6~7月にNHK総合で、『下流の宴』というドラマを放映していました。
(毎回楽しみに観ていました。)
主人公の息子は「ありのままの自分」でいるために、フリーターを選択し続けます。
一方、その息子と結婚したい、と願う沖縄出身の女性は、頑張って医大に合格する、
という話でした。
これはもともと小説ですし、かなり極端な話とはいえ、
潜在的にこういう考え方(ありのままの自分でいたい=向上心を放棄する)の人は、
結構多いのかもしれませんね。

下流の宴

曽野さんはカトリック的背景をもって、軟弱な日本の家庭教育に喝をいれています。
特に印象に残ったのは、
インドのゲストハウスで見た光景を、神父と語りあっているところでした。
(引用)
見出し「人としてすべきことをするのが『自由』」(P.47~49)

 (中略)泊まり客の中には、数十人の日本人の青年がいた。グループできているのではなく、たいていが一人で日本を抜け出してきた、という人たちらしい。(中略)・・・同行したインド人のカトリックの神父は、私に感想を聞かれて言った。
「皆、幸福そうには見えなかった。呆然として、考えを停止しているように見えました」
「そうですね」
と私も賛同した。日記をつけている人もいたし、ひっきりなしに煙草を吸っている人もいた。しかし何もしていない人も多かった。
「彼らは決して自由ではない」
と神父は言った。
「どうしてですか」
と私は尋ねた。彼ら以上に自由な人はなかなかいないだろう、と思われたからだった。
「自分のしたいことをするのが自由ではないでしょう。人としてするべきことをするのが自由です」

(中略)
 日本人の人権思想は、人間を創る教育とは全く反対の方向に動いている、というのが私の考えである。
(引用終)

家庭教育に関するところは概ねどれも共感します。
ただ・・・
学校教育に関するところは、かなり異論があります。
たとえば・・・
(引用)
 しかし今では学校は学力や知識を与えるところだと、決めつけている人が何と多いことか。もちろんそう思うことも自由だ。しかし学力だけなら、塾のほうがオーダーメイドの効率よい教え方をしてくれる。知識だけならインターネットで検索すれば、膨大な量の知識が整然と示される。(以下省略)
(P.34から引用・終)

それじゃあ、学校って、何をするところなの?と問いたくなります。
曽野さん流の学校とは・・・
(引用)
 学校が知識をつける場である、などと考えていたら、教育は必ず失敗するが、それなら、学校とは、いかなる場所なのか。
 学校は知識を得ると共に、人生を知り、苦難に耐えて生き抜く心身を鍛え、その技術も覚え、多様な人々と共生する社会というものの雛形を体験するところなのである。

(P.23から引用・終)

確かに一理ある考え方ですが、公立学校を考えるなら、ちょっとおかしなものといえましょう。
「塾」の存在を必要とするような公立学校教育というのは、税金の無駄遣いではないでしょうか?
少なくとも小学校では塾に行かなくても学力がある程度保障されてこそ、
普遍的な公教育といえます(私立中学受験を目指すなら別ですが・・・)。

学校教育のところはともかく、家庭教育、徳育に関するところは一読する価値がある本です。

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