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2011年8月の29件の記事

2011年8月31日 (水)

書評:佐渡裕著『僕はいかにして指揮者になったのか』(新潮文庫)&『僕が大人になったら』(PHP文庫)

指揮者・佐渡裕さんの自伝『僕はいかにして指揮者になったのか』(新潮文庫)を、
最近ようやく読みました。
あまりに面白く、読んでいて元気が出るような本だったので、
今年の7月末以来、既に3回も読みました。

僕はいかにして指揮者になったのか (新潮文庫)

指揮者としての正式な教育を受けていない、自称「音楽界の雑草」が、
いかにして巨匠バーンスタインや小澤征爾氏に見いだされるようになったのか、
稀有な記録といえます。

読んでいて、『のだめカンタービレ』の千秋真一の正体は、
実は佐渡裕さんなのでは、と少し思ってしまったほどでした。
ブザンソン国際指揮者コンクールのところ(第4章)などは、
『のだめ』10巻・11巻の指揮者コンクールの話の元ネタなのかな、と思いました。

のだめカンタービレ(10) (講談社コミックスKiss (505巻))

のだめカンタービレ(11) (講談社コミックスKiss (523巻))

『のだめ』と関係あるかないかに関わらず、
佐渡裕さんの自伝は、随所に面白さがあります。
たとえば、巨匠バーンスタインが、なんと京都弁で話している・・・
(もちろん、バーンスタインが京都弁を実際に話していた、ということではなく、
佐渡さんの中で、バーンスタインが語った言葉が血肉となって、
京都弁として表現したくなった、ということなのでしょう。)
また、佐渡さん自身の語り口も、まるで居酒屋で肩寄せながら、
ざっくばらんに話しているような錯覚さえ抱かせます。

表現上の面白さもありますが、やはり魅力的なのは、
佐渡さんの夢を実現させていく力、情熱です。
ついつい、引き込まれてしまいます。

今回紹介するもう1冊、『僕が大人になったら』(PHP文庫)も魅力的な本です。
(タイトルと本文はあまり関係がないような気もしますが・・・)
僕はいかにして指揮者になったのか』のその後、
世界を渡り歩いてキャリアを積む30代の時の佐渡さんが、
雑誌に連載していたエッセイを集めたものです。
この本は、最近(8月)、地下鉄の中でよく読んでいます。
どこから読んでもOKです。
順番に読んでもいいし、適当なところから読んでもいいし・・・
文字から、あふれる喜びと音楽性がにじみ出てきます。

僕が大人になったら (PHP文庫)

佐渡さんの本で上記2冊のうちどちらか1冊だけ、というなら、
迷わず『僕はいかにして指揮者になったのか』を選びます。

佐渡裕さんが今年の5月にベルリン・フィルを指揮した演奏会のことについては、
既に記事を書いていますので、よろしければお読みください。

指揮者という仕事~NHKBSプレミアム・ハイビジョン特集
「情熱のタクト~指揮者・佐渡裕 ベルリンフィルへの挑戦~」(2011年6月11日放送)

2011年8月30日 (火)

映画「千年女優」

テレビ北海道の釧路エリア開局(2011年8月26日)にちなんで、
釧路出身のアニメ映画監督、
今敏(1963-2010)の代表作の一つである「千年女優」が、
8月27日深夜(8月28日午前)に放映されていました。
深夜なので、録画で観ました。
かなり前に、一度DVDで観たことはありましたが、
今回観てようやくはっきりと全体の構造がわかりました。
この映画は、2回以上観た方がいい作品ですね。

30年前に突如銀幕から去った伝説の大女優・藤原千代子に、
彼女の大ファンである男性と、カメラマンによるインタビューに応じる、という形で、
過ぎ去った記憶が映画さながらに繰り広げられる、という物語です。
現実の時間と出演した映画が入り混じって、
しまいには、インタビュアー自身も映画の中に入り混じって・・・
アニメならではの素晴らしい表現世界が広がっています。

「鍵の君」を現実でも映画の中でも追い続ける千代子。
(その秘密は、ラストに語られる言葉に集約されます。)
不思議の国のアリス」の、
懐中時計を持ったウサギを追いかけるうちに、
不思議な世界に迷い込むアリスにも似ていないでしょうか?

不思議の国のアリス (新潮文庫)

インタビュアー(熱い目)とカメラマン(冷めた目)という、
2つの視点が、作品の奥行きを拡げています。
そして、目まぐるしいまでの千代子の変化!
理屈をあれこれ考えるよりも、映像表現に身をゆだねているだけで、
人生という「映画」を楽しむことができます。
すばらしい作品です。

今回、この記事を書くにあたって、「千年女優」について調べていくと、
なんと、この作品は舞台化されているのですね!
どうやって展開するのでしょうか・・・

千年女優 [DVD]

2011年8月29日 (月)

映画「毎日が夏休み」~不登校の問題、こんなにアカルク解決できたら・・・

2011年8月28日にNHKBSプレミアムで放映された、
日本映画「毎日が夏休み」を録画で観ました。

佐伯日菜子さん演じる登校拒否の中学生・スギナと、
エリート会社員で出社拒否(退職済・・・)のお父さん(佐野史郎さん)が、
何でも屋を作る、という実にユニークな設定の物語でした。
原作は、大島弓子さんの同名のマンガ(現在、絶版・・・)。
佐野史郎さん演じるお父さん役が、スゴイ演技でした。
映画の大半で、無表情でありながら、実にクサイセリフを淡々としゃべったり、
ありえないほど常にポジティブだったり・・・
佐野史郎さんが演じていなければ、この映画は成立しないと思いました。

約90分の映画、どこをとっても退屈することなく、
グイグイと、このありえない、現代のおとぎ話に引き込まれてしまいました。
どこにでもあるありふれた日常を、ちょっとだけ設定を変えただけで、
こんなにコミカルになるとは・・・
不登校とか出社拒否、転職となると、暗い話題になるはずですが
(実際、ほとんどその通りなのですが・・・)
ここまで突き抜けて、現実にはありえない別な解決方法を示したのは見事です。
実質上崩壊している家庭が、最後には見事に再生を遂げていました。
不登校も、こんなアカルク解決できたら、どんなにいいことか・・・
(発明王エジソンだって不登校・ホームスクーリングだったのですから・・・)

この映画、山田洋次監督が、
山田洋次監督が選んだ家族の映画50本」というコンセプトで選ばれた1本です。
今回初めて存在を知りましたが、これはスゴイ作品ではないでしょうか?
(残念ながら、DVDは廃盤のようです・・・)
この作品について写真つきで解説しているサイトを紹介します。
毎日が夏休み
原作については、松岡正剛氏が、
松岡正剛の千夜千冊 遊蕩篇」の1316夜で取り上げています。
→「大島弓子 毎日が夏休み
※ただし、作品そのものについては、記事全体の5分の1程度の扱いです。

監督の金子修介氏は、
平成「ガメラ」シリーズとか「DEATH NOTE」なども撮っています。
(今回初めて知りましたが・・・)
→監督の経歴と今回の映画について、NHKの「BSコラム」でも取り上げています。
渡辺支配人のおしゃべりシネマ館「金子修介監督・毎日が夏休み」

毎日が夏休み デラックス版 [DVD]

2011年8月28日 (日)

NHKEテレ・ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図 3 子どもたちを被ばくから守るために」(2011年8月28日放送)

5月15日放送の「ETV特集 ネットワークでつくる放射能汚染地図」の第3弾です。
最初の放送は、当時まさに快挙というべきものでしたね。
最近では、小出しとはいえ、だんだん真実が明らかになってきました。
しかし、ホットスポット(番組では既に「ホットエリア」という語を使っていました)の存在とか、
いつの間にか慣れっこになってはいないでしょうか?

外部被曝以上にコワイ内部被曝・・・
前2回は主に外部被曝を避けるための放射能汚染地図作りがメインでしたが、
今回は、内部被曝の問題についても大きく取り上げていました。
外部被曝よりもわかりづらいし、簡単に測定できないものですね。

番組HPから、放送内容を転載します。
なお、番組HPでは、
福島県全体と、福島市、いわき市の放射能汚染地図を見る事ができます。

(引用)
事故直後から現地に入り、独自調査によって福島第1原発事故の放射能汚染の実態を解明した「ETV特集 ネットワークでつくる放射能汚染地図」(5月15日放送)。放射線総合医学研究所、労働安全衛生総合研究所をへて、現在、獨協医科大学准教授を勤める木村真三さんと、元理化学研究所の岡野眞治さんは、その後も汚染マップ作りを続けている。今最も力を入れているのが避難区域に指定されていない地域での詳細なマップ作り。土地の汚染から人体そのものへの汚染について調査を深めている。
福島第1原発から33~70キロメートルの範囲にある二本松市では、毎時1マイクロシーベルトを超える放射線量が広い範囲で計測されている。市が独自に500メートルのメッシュを区切って市の全域で調査を行ったところ、一部の地域で毎時2~3マイクロシーベルトを記録するいわゆる“ホットスポット”が見つかった。そこでは子供から大人まで大勢の人々が毎日放射線を浴びながら暮らしている。木村さんは最も高い線量を記録した家の庭の土壌を採取し長崎大学の高辻俊宏准教授に分析を依頼、そこに住む家族全員の個人被ばく線量も調べた。内部被ばくに関しては、岡野眞治さんが開発した簡易型のホールボディカウンターを二本松市に持ち込み、体内の放射線スペクトルを測定。結果はすべて家族に伝えられ、どう対処すればいいのか話し合いが行われた。家族には生まれたばかりの赤ちゃんがいた。彼らはどういう決断をするのか。
一方、それより数倍も高い放射線にさらされ続けた飯舘村の人たちは、自分の子どもや孫のこれまでの被ばく量を早急に調査し記録に残して欲しいと訴えてきた。どれだけ被ばくしたのかを知らなければ、将来健康被害がでないよう備えることすらできないからだ。子どもたちの体からは半減期の短いヨウ素131はすでに検出されなくなっている。しかし今回木村さんと岡野さんは、事故後に測定した飯舘村近辺のスペクトルデータや土壌の分析結果からヨウ素とセシウムの比率を導き出し飯舘村の子どもたちのホールボディカウンター検査の結果と照らし合わせることでヨウ素被ばくの量を推定できるかもしれないと新たな解析を始めた。
番組は、広域のマップ作りからより詳細な家の内部にまで及ぶミクロなマップ作りへ、そしてホールボディカウンターによる内部被ばくの測定へとすすむ木村さんと岡野さんの独自な調査活動を追いながら、一人一人の健康被害を最小限に抑えるために何が必要かを考える。
出演:木村真三(獨協医科大学准教授)、岡野眞治(元理化学研究所)
キャスター:柳澤 秀夫解説委員

(引用終)

国の検査機関(茨城県)に行った飯舘村の男性は、
検査結果があいまいな説明で終ったのに対して、
「(俺たちは)モルモットなのか」みたいなつぶやきをしていました。
いかに立派な機器があっても、使う人(測定者)たちの消極的な姿勢があれば、
活用されませんね。
一方、岡野眞治さん、木村真三さんによるホールボディカウンターの簡易型の検査の方は、
体内からの放射性セシウムを検出しましたが、
「これは問題ない」とかきちんと説明しているのが、人々の安心につながっていますね。
(知らないで不安でいるよりも、
知っていて対処を考えた方がいい、と住民の方が言っていました。)
NHKでも改めてきちんと「年間1ミリシーベルト」を字幕つきで注意喚起していました。
(NHKは、3月・4月の原発事故報道を検証・自己批判すべき!)
それにしても、せめて子どもたちだけでもなんとかならなかったのか・・・
いや、今からでも何とかできないものか?
つまり、放射線量が特に高い地域は、集団疎開させることです。

番組によると、二本松市の南杉田地区は、チェルノブイリ原発事故の基準で言えば、
移住勧告を受けるレベルだ、とのことです。
国や自治体は、責任を取りたくないから、
旧ソ連よりも非人道的な態度を取り続けています。
子どもを持つ住民の不安は高まるばかり・・・
(当然、子がいるかいないかに関わらず、誰しも不安になります・・・)

番組では二本松市独自の除染の取組なども紹介していました。
(本来、政府が全責任をもってすべきことなのでしょうけど・・・)
土地・家屋を除染した後の土等の処分など、まだまだ未解決なことが多いですね・・・
高汚染地域の除染の費用及び処理地の確保は、
国または自治体が責任を持ち、全額負担してほしいものです。

もうじき退陣する菅首相サマ、
これでもあなたは「やるべきことはやった」と言えるのですか?!
あるいは、枝野官房長官殿。
「ただちに健康に影響はない」とは至言でしたね。
「ただちに」でなければ、後で影響があろうとも、どうでもいいわけですね・・・
最悪の事態に、最悪・最低の政治家たち・・・
これこそ日本の悲劇です。
いい加減な言葉で無用な被曝を拡げた責任は重大なのです!

なお、前々回、前回の記事もよろしければお読みください。
(5月15日放送分)
大金星であり大黒星でもある番組~
NHK教育・ETV特集「ネットワークで作る放射能汚染地図
福島原発事故から2か月」(2011年5月15日放送)

(6月5日放送分)
NHKEテレ・ETV特集「続報 放射能汚染地図」(2011年6月5日放送)

ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番って、こんなに美しかったの?~NHKBSプレミアム・特選オーケストラ・ライブ -札幌交響楽団演奏会-(2011年8月28日放送)

NHKBSプレミアムで日曜早朝に放送している「特選オーケストラ」。
今回は、札幌交響楽団(以下「札響」)の
札響50周年ヨーロッパ公演・帰国記念演奏会」が放映されました。
演奏者・曲目等をNHK番組表から転載します。

<出演>管弦楽:札幌交響楽団
バイオリン:諏訪内晶子、指揮:尾高忠明             
                              
「オーケストラのための ハウ・スロー・ザ・ウィンド」 武満徹・作曲
                              
「バイオリン協奏曲 第1番 ト短調 作品26」 ブルッフ作曲
                              
「無伴奏バイオリン・ソナタ 第2番BWV1003からアンダンテ 」バッハ作曲
(バイオリン)諏訪内晶子
                              
「交響曲 第6番 ロ短調 作品74“悲愴”」  チャイコフスキー作曲
                              
「変奏曲“なぞ”から 第9変奏」 エルガー作曲
                           
~札幌市・札幌コンサートホールKitaraホールで収録~
<収録:2011年6月4日(土)>
      

私は早朝に起きて少し観ていましたが、
早々に武満徹の曲で眠りこけてしまいました。
よくわからない曲です。
(時折「ピー」とかいう音で目が覚めるのでしたが・・・)

後で触れるブルッフの曲も、
早朝なのでボリュームを絞っていたせいか、あるいは寝ぼけているせいか、
さほど感銘を受けませんでした。
真っ赤なドレスの諏訪内さんがキレイ、しか印象に残らない・・・
チャイコフスキーの「悲愴」も、その時はイマイチに思えました。
念のため、あらかじめ録画予約をしておいて正解でした!

録画を少し編集(武満徹の曲をカットしたり・・・)した上で、改めて視聴しました。
テレビのスピーカーではなく、オーディオのスピーカーを通して聴きました。
すると・・・
退屈な演奏などではなく、お宝のような演奏だったのです!

この放送で絶賛すべきは、
諏訪内晶子さん独奏によるブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番です。
Kitaraホールの空気感まで伝わるような優秀録音に助けられているせいもあり、
諏訪内さんの独奏ヴァイオリンが極限までの美音を響かせていました。
「ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番って、こんなに美しい曲だったの???・・・」
そう思わずにはいられませんでした。

もちろんこの曲(ヴァイオリン協奏曲第1番)は、何度か聴いたことがあります。
しかし、たいして感銘を受けませんでした。
家にもCDがあります。
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のカップリングに収録されているものです。

チョン・キョンファ(Vn)、
クラウス・テンシュテット指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団


このCD、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を聴くために買ったものなので、
ブルッフの作品は、「刺身のツマ」程度にしか考えていませんでした。
一応、聴いたことはありますが、さして印象に残らないものでした。

しかし今回、諏訪内さんのヴァイオリンと尾高さん指揮札響の演奏を聴いて、
ようやく素晴らしい名曲なのだ、ということに開眼しました。
諏訪内さんは、とりたてて自己主張しているワケでもないのに、
音が純粋な結晶のようにキラキラと輝き、甘美なメロディを奏でていました。
演奏者の存在を忘れるような、美音の饗宴・・・
サポートする札響も熱演でした。
このままCD化できそうなぐらいのハイレベルな演奏でした。

諏訪内さんはデビューCDに、ブルッフのこの曲を選んでいます。
その演奏から15年・・・
私はそのCDを聴いていませんが、
おそらく今回の方が素晴らしいと確信しています。

諏訪内さんといえば、資生堂のCMに出るくらいの美女ですね。
今年の7月に、「脱税報道」がされて幻滅された人も多いかもしれません。
(ちなみに今回の演奏は今年の6月)
しかし、演奏はベツモノと考えた方がいいのです。
(公認会計士の方が、その報道に対して、
同情的な記事を書いていますので紹介します。
諏訪内晶子さんの脱税の報道を読んだ個人的感想(2011年7月12日)
公認会計士・金井正美の独立開業支援ブログ
※某週刊新潮のように悪人呼ばわりして叩くよりも、
法に従って追徴課税で一件落着、でいいのではないでしょうか?)

ブルッフのこの曲は、一瞬一瞬が美しいのですが、
メロディとして口ずさめるものが少なく(第3楽章冒頭は例外ですが)、
よほどの演奏でないと印象に残らないのかもしれません。
その「よほどの演奏」にめぐり合えて、うれしい~ヽ(´▽`)/!!!!

諏訪内さんのCDでは、シベリウスのヴァイオリン協奏曲と、
バッハのヴァイオリン協奏曲集のCDがオススメです。
ジャケットもスバラシイ~

(シベリウス ヴァイオリン協奏曲他)

※併録のウォルトンのヴァイオリン協奏曲は、未だに聴いたことがありません・・・

(J・S・バッハ ヴァイオリン協奏曲集) 

チャイコフスキーの「悲愴」の演奏は、結構すばらしかったです。
札響は、今まで実演で聴いた限りでは、
ブラスセクションに問題があり(弦はとても美しいのに・・・)、
チャイコフスキーのこの曲での金管強奏など、あまり期待していなかったのですが、
予想外の出来でした。
ブラスセクションや打楽器が迫力をもって鮮明に録音されていました。
本場ロシアの演奏にも負けず劣らずぐらいのレベルかも?と思ったほどです。
冒頭のファゴットにもう少しドスをきかせてもらいたかった、ぐらいで、
少なくとも演奏自体は、十分に合格点でした。
札響って、実はスゴイじゃん!(今頃気づいたの?とお叱りを受けそう・・・)
とはいえ、ブルッフの後では、影が薄くなってしまいました・・・

「悲愴」における私の基準となる演奏は、
やはりムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルの演奏です。
ただし、チャイコフスキーの「悲愴」はどうも暗~い曲なので、たまにしか聴きません。

アンコール曲の「エニグマ変奏曲」の「ニムロッド(第9変奏)」も素晴らしかったです!
NHKさん、これからも地方で頑張っているオケをどんどん取り上げてくださいませ・・・
(もちろん海外オケも!)

2011年8月27日 (土)

BS日テレ・ジブリの風景~高畑勲・宮崎駿監督の出発点に出会う旅~(2011年8月6日放送・2011年8月28日再放送)

8月6日に放送された、BS日テレの、
ジブリの風景~高畑勲・宮崎駿監督の出発点に出会う旅~」をようやく録画で観ました。
アニメ「アルプスの少女ハイジ」と「赤毛のアン」の舞台を訪ね、
アニメで描かれた風景と実際の風景を対比させたりする、魅力的な番組でした。
アルプスの少女ハイジ(以下「ハイジ」)」と「赤毛のアン(以下「アン」)」、
どちらも大好きな作品です。
この番組でのメインは「ハイジ」でした。

「ハイジ」の原作の舞台は、
スイス東部のマイエンフェルト近郊のイエニンス(デルフリ)というところだそうです。
番組でも紹介されており、モデルとなった山小屋への道の風景などは、
アニメでもかなり忠実に再現されているのがわかりました。
しかし・・・
山小屋から見える景色は、何か物足りない・・・(番組でもコメントがありました。)
そう、アニメでは、山小屋から氷河を抱く高い山々見えましたが、
その山小屋からは、そういう風景は見えないのです。
実は、マイエンフェルト近郊は、「プレ・アルプス」ということで、
「アルプス」には含まれないそうです。
だから、原作の題には「アルプスの」という言葉は含まれません。
山の風景を山小屋のところから見えるとおりにではなく、
グリンデルワルト近郊の、
ユングフラウやメンヒ、アイガーなどが見える景色に置き換えたのは、
映像的に言って大成功だったといえましょう。
アルプスの峰々の美しさが、アニメ版「ハイジ」の大きな魅力となっているからです。
番組では、時折アニメの世界と現実の風景を照らし合わせながら、
存分にスイスアルプスの魅力を伝えていました。
それにしても、美しいですね・・・
私も妻も、スイスには行ったことがあります。
また行ってみたいなぁ・・・

2時間番組の間奏曲的に、「アン」の舞台を巡る旅も取り上げられていました。
こちらも、アニメの風景と現実の風景との対比がありました。
地元の人でも、アニメ版「アン」の風景はよく描かれている、と感嘆していました。
「アン」のコーナーで興味深かったのは、
「ハイジ」、「アン」などの美術監督を務めた、井岡雅弘さん(故人)のことです。
井岡さんは実際に現地ロケハンに随行しなかったにも関わらず、
見事な風景を描いていました。
その背景のベースが、生まれ育った北海道での景色だったとは・・・
そういえば、「アン」に出てくるポプラの木が2本佇立している光景などは、
言われてみれば、北海道らしい風景のようにも見えてきました。

井岡雅弘さんの作品集が出されています。
井岡雅宏画集―「赤毛のアン」や「ハイジ」のいた風景
(ジブリTHE ARTシリーズ)(徳間書店)

番組の最後には、映画「コクリコ坂から」の舞台となった、
横浜も取り上げられていました。
今年の8月の中旬に横浜に行った際、観光パンフレットにもそのことが載っていました。
コクリコ坂から」はまだ観ていませんが、
そのうちテレビ放映された際かレンタルで観るので十分かな、と考えています。

コクリコ坂からビジュアルガイド~横浜恋物語~

コクリコ坂から (角川文庫 み 37-101)


以前取り上げた、
名作アニメの風景50 -誰もが知っているあの物語の舞台へ-
という本をまた紹介します。
「アン」や「ハイジ」などの名作アニメに出てくる風景に、出会うことができますよ。


なお、今回紹介した「ジブリの風景~高畑勲・宮崎駿監督の出発点に出会う旅~」は、
8月28日(日)14:00~15:54に再放送されるとのこと。
まだ観ていない方は、ぜひ御覧ください。

「ハイジ」DVD版。我が家にもあります。

(ついに、ハイジもBlu-ray版が出るのですね・・・2011年12月発売)


2010年に公開された劇場版『赤毛のアン〜グリーンゲーブルズへの道〜
(Blu-ray版)

赤毛のアン DVDボックス(ほしい~!)

「アン」の舞台、プリンス・エドワード島を撮った写真集です。
吉村和敏 PHOTO BOX プリンス・エドワード島 七つの物語』(講談社)

2011年8月26日 (金)

菅首相、やっと「退散」・・・ポスト菅は「戦犯」だらけ・・・~上杉隆氏、ポスト菅候補者をバッサリ!

ようやく、菅首相が「退散」しましたね・・・
(悪霊扱い?・・・)
NHKでの、8月26日午後6時からの記者会見を冒頭少しだけ観ました。
やるべきことはやった」・・・???????!!!!!!!
思わず、苦笑しました。
「このヒト、最後まで勘違いしている・・・」と思わずにはいられませんでした。
確かに、日本を痛めつけ、貶め、
大量の被曝と、たくさんのウソを流しても平気な世の中を作った、という点では、
やるべきことはやった」というのは、あながちウソではありません。
菅首相夫妻には、「日本を乗っ取った恐るべき強欲夫婦」という評さえ出ています。
やるべきことはやった」などという自己満足的な発言を聞いて、
私はもうテレビのチャンネルを変えました。もう顔を見せるな!!!
(産経新聞は「これ以上、日本を壊すな」という表現さえ使って、
社説【主張】でこきおろしていました。
【主張】菅首相退陣表明 これ以上、日本を壊すな 民主党政権の限界は明白だ
冒頭はこう始まります。
(引用)
思いつきによる場当たり的な政権運営で、
日本を壊し続けた菅直人首相が、ようやく辞任を正式表明した。

(引用終)
日本を壊し続けた」・・・
怪獣ゴジラも真っ青?

さて、ポスト菅レースの民主党代表選がようやく本格化してきましたね。
正直言って、前原氏や他の候補どれも器が小さいというか、
期待できそうもないですね。
いやむしろ、立候補の顔ぶれ誰もが、
ジャーナリストの上杉隆氏に言わせれば、「戦犯」なのです!
週刊ダイヤモンドのダイヤモンド・オンラインで連載中の、
週刊・上杉隆【第189回】 2011年8月25日は、
「戦犯」たちによる代表選が始まる――菅内閣の閣僚たちに首相の資格はない
と論じています。
記事から引用します。

(引用)
 戦犯たちによる代表選が始まる。日本では「犯罪者」たちが政権をたらいまわしにしようとしている。

 3.11の東京電力福島第一原発事故以降、菅内閣は、東電の情報隠蔽を追認し、放射能事故の対応を誤り続けるという失態を繰り返してきた。その結果、多くの国民が被曝し、世界に対しては、日本という国家の信頼を損なうことになった。

 福島の子どもたちの多くが汚染に被曝し、7万人を超える住民がいまなお自らの土地と家を失ったままでの生活を余儀なくされている。

 何の罪も無い善良な国民を、不幸のどん底に叩き落した東京電力の事故の責任は重い。
(中略)
 誰一人責任を取ろうとしない原発事故を横目に、民主党代表選が行われる。そこに並ぶ候補予定者の名前は、信じがたいことに、戦犯ともいうべき人々である。

 前原誠司前外相は、菅内閣の「戦犯」の筆頭格である。

 国土交通大臣として八ッ場ダムでしくじり、JALの対応で力を発揮できず、さらには尖閣ビデオの対応で、国家を裏切るような誤りを犯した。

 さらに、外相としても、外国人やフロント企業からの違法献金という「政治とカネ」の最たる問題で辞任、政治家として責任を取ると宣言したばかりだった。

 もっといえば、民主党代表時代の偽メール問題でも、ライブドア元社長の堀江貴文氏との裁判に負けたにもかかわらず、前原氏だけからは謝罪のことばすらない。

 責任を取らず、責任から逃れ、責任を転嫁する彼のいったいどこが首相に相応しいというのか。
(中略)
 その前原氏は、マニフェストの見直しを訴えている。マニフェストは国民との契約のはずだ。

 ところが、日本では、なぜかそれを取り消そうとする勢力が持ち上げられ、約束を守ろうとする政治家が責められる。まったくもって理解に苦しむ限りだ。

 もはや民主国家の体をなしていない。
 
 鹿野道彦農林水産大臣は、放射能の拡散を予測して農家や漁民、そして畜産家に適切な対応を指示できなかった日本の食文化の破壊者である。

 次から次へと農産物を出荷停止にさせたばかりか、発表の遅れによる国民への内部被曝を誘発させてしまった。国民の食を預かる大臣としては失格である。にもかかわらず、彼が首相候補になることに異論はないという。

 海江田万里氏は、経済担当相として失政を繰り返してきた。なぜ、東京電力に騙され続け、原発事故の対応を遅らせ、多くの国民を被曝させた「犯罪者」が首相になれるというのか。

 財務大臣であった野田財務大臣も同様に資格を持たない政治家だろう。なにより、原発事故という最も喫緊のテーマを語ろうとしないのだ。それで「増税」や「大連立」を語っても説得力は無い。

 なにより国民の最大の関心事は、放射能の飛散状況であり、それにともなう内部被曝による自らの健康と生活がどうなるかの一点である。

 原子力マフィアのはびこる日本では鈍感な者が多いのかもしれない。だが、世界は、「増税」にも「大連立」にも注目していない。

 注視しているのは、日本政府が対応をしくじった原発事故をどう収束させ、どう国際的な賠償を贖うかにしか関心が無いのである。

 そうした意味では、菅内閣に関わった者はすべて人災を起こした「戦犯」である。犯罪者は責任を取らなければならない。

 共犯関係にある民主党議員が愚かな選択をしないことを祈る。
(引用終)

不幸なのは、首相を直接選ぶことのできない日本国民です。
選ばれる前から「大連立」などと主張するような輩に、
日本の舵取りを任せねばならないとは・・・
任期が高いのは前原氏ですが、彼は政治資金規正法違反のヒトですね。
後の候補者も小粒で、どんぐりの背比べといったところか・・・
新しい民主党代表=新首相(今のところは・・・)による、早期の解散総選挙を待望します。
今の政権は全然民意を反映していないので・・・

2011年8月25日 (木)

NHKBSプレミアム「名曲探偵アマデウス」四夜連続SP オーケストラのすべて(2011年8月8日~11日放送)

お盆前(8月8日~11日)に放送していた、
名曲探偵アマデウス四夜連続SP オーケストラのすべて」をようやく録画で観終えました。
交響曲(というよりは、指揮者の仕事)(ベートーヴェンの交響曲第5番)、
管弦楽曲(リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェヘラザード」)、
協奏曲(ドヴォルザークのチェロ協奏曲)、
大規模な交響曲(マーラーの交響曲第2番「復活」)という4つの曲・3つのジャンルを通して、
オーケストラの魅力を存分に紹介していました。

 

一番興味深かったのは、8月8日放送の回です。
「♪ジャジャジャジャーン」(正式には♪ン ジャジャジャジャーン)で誰もが知る、
名曲中の名曲である「運命」(通称とはいえ・・・)。
この曲の指揮の難しさと、指揮者の仕事というものをクローズアップしていました。
素人がやってみたら、全然思うようにはいかない・・・

 

ところで、「題名のない音楽会」という番組の中で、
振ってみまSHOW!」という企画が何年も続いていますね。
私も何度か観たことがあります。
クラシック音楽好きなら誰もがやってみたいと憧れるオーケストラの指揮。
数分間だけ指揮をするのだって、ホントウはすごく大変なのです。
指揮のマネぐらいならなんとかなるでしょうケド・・・
この回の「名曲探偵」では、素人が指揮に挑戦してみたものの、
オケからクビになってしまった、というエピソードから、
「指揮者とは何か?」という展開となります。

 

素人がやると揃わない「運命」の冒頭。
何人かの方が挑戦して、それなりの成果がでますが、
プロの指揮者(円光寺雅彦さん)が振ると、
見違えるような音が奏でられます。
まるで、「魔法使いの弟子」の話みたい・・・
指揮者の役割というものを再認識しました。

 

ちなみに、私にとって初めて聴いたCDは、
カラヤン指揮ベルリン・フィルによるベートーヴェンの交響曲第5番・第8番のCDでした。
(録音は1970年代。)
父が私にCDラジカセをプレゼントしてくれて、
ついでにCDも1枚買ってくれたのです。
そのCDは手元にないものの、それからのクラシック音楽三昧の日々を開いた1枚でした。

 

全4回のうち、演奏でスゴイ!と思ったのは、
第4回のマーラーの「復活」でした。
オケよりも、アルト(メゾソプラノ)の歌声に感動しました。
メゾソプラノのアンケ・フォンドゥングさんです。
番組の中で、第4楽章「原光」を歌うシーンが出てきます。
わずかな時間しか放送されませんでしたが、
「なんて美しい声・・・」と思わず賛嘆しました。

 

この演奏は、マルクス・シュテンツ指揮NHK交響楽団、
独唱はクリスティアーネ・リボーア(S)、アンケ・フォンドゥング(A)、
合唱は東京音楽大学の合唱団で、
公演日は2010年11月20日(土)、NHKホール、だそうです。
(以前、全曲をNHKBSで放送していたそうです。
その番組を観た感想を書いている方がいましたので、記事を紹介します。
この記事を書いた方も、アンケ・フォンドゥングさんの声に感動した、とのこと。
N響第1686回定期 久しぶりにマトモな「復活」」(ミニ音楽評 2010年12月13日)

 

アンケ・フォンドゥングさんについては、私も初耳でしたので、
調べてみました。
データは少ないですが・・・

 

日本語サイトなら→コチラ
日本語サイトよりは英語サイトの方が詳しいです。
Anke Vondung (Mezzo-soprano)

 

名曲探偵はマーラーの「復活」でしばしの休息に再び入りました。
ぜひ、番組がまた「復活」してほしいものだ、と強く願っています。

2011年8月24日 (水)

書評:下村博文著『下村博文の教育立国論』(河出書房新社)

都道府県・市町村の教育委員会廃止と教育バウチャー制度など、
大胆な教育改革を迫る、現職の衆議院議員・下村博文氏の著作を紹介します。

下村博文著『下村博文の教育立国論』(河出書房新社)

第1章では、交通事故で父親を失った中、苦学した生々しい経験や、
ご子息のディスレクシア(学習障害)のカミングアウトを通しての、
教育改革への並々ならぬ決意が語られています。

第2章では、貧困による格差の問題を、教育という観点から解消するために、
「子ども貧困対策基本法」の制定を訴えています。

第3章は、この本のメインとなる主張である、大胆な教育改革案の提言があります。
「教育委員会の廃止、学校現場に児童・生徒数に応じて直接予算を配分する、教育バウチャー制度」
などの主張は、一考に値します。
いや、ぜひ実施してもらいたいものです。

教育委員会は、事なかれ主義に陥りやすく、機能不全気味です。
また、教育に健全な競争原理を取り入れるのを阻む大きな要因となっています。
教育バウチャー制度は賛否両論多々ありますが、
離島・過疎地など一定の例外を設けた上で、段階的に導入する価値はあります。
全国一律にすぐさま導入するのではなく、教育特区を設けて効果を検証するなど、
十分なデータをとれば、変な反対意見は封じることができます。

教育改革のたたき台となるような、ヴィジョンに満ちた本です。
ぜひご一読を!

なお、下村議員については、以前記事を書きましたので、
よろしければお読みください。
下村博文議員(東京11区)、北海道の教育問題を国会で糺す!

2011年8月23日 (火)

TT(チームティーチング)は足し算ではなく掛け算なのでは?~読売新聞北海道版の連載「学力危機」第2回(2011年8月22日)を読んで

読売新聞北海道版の連載記事「学力危機」の第2回目(8月22日)冒頭には、
TT(チームティーチング)についての実態が書かれていました。

(引用)
 「これでは学力は上がらないな」

 札幌市東区で働く40代の男性教員は、市内の別の小学校に勤務していた昨年、全学年の授業を見て思った。2人目の教員として教室に入るチームティーチング担当だった。

 例えば、算数の宿題の答え合わせ。四捨五入のやり方を忘れている子が複数いた。担任は、宿題の出来が全体的に悪かったのに気づき、「また宿題のプリントを出す」と言って授業に入った。「なぜ間違えたのかを教えずに反復だけさせてもわかるようにならない」

 別の学級では、担任が割り算の説明をしてから、計算問題に取り組ませた。1問目でつまずく子がいるのに、授業が終わると全員に「できなかった分は家でやりなさい」と指導した。

 職員室で教え方が話題になる機会はほとんどなかった。「自分の授業の欠点に気づけない。授業中に『子どもにできるようにさせよう』という意識が薄い」
(引用終)※下線は筆者による。

教育界では、数を増やせば(あるいは減らせば)学習効果が上がる、
という「思い込み」が多いのではないでしょうか。
たとえば、教員の数を増やせ!、とか、
1学級を35人以下に減らせ!とか・・・
(どちらもある意味では当然のことなのですが・・・)
今回取り上げたTTも、教師が2人がかりで教えるから、学習効果が上がる、
という前提で、安易に導入され続けているものといえます。
読売新聞の記事にあるようなTTなら、児童の側からすると、あまり効果がないと思われます。
せいぜい、教師の責任が分散されて、
T1(メイン教師)の肩の荷が少しラクになるぐらいでしょうか・・・

TTは、教師が2人いるから、1+1=2、といった足し算効果ではなく、
むしろ、掛け算効果なのではないか、と考えます。
(1人がメインで、1人はサブですし、サブは補助的な役割を果たすだけです。
しばしば、躓きがちの子にかかりきりとなって、
結局大多数には関係なく終わる場合が多々あるようです。)

たとえば、標準的な指導力を1.0として、
指導力が1.5の教師が2人組んでTTをするなら、
1.5×1.5=2.25となり、2人分以上の効果を挙げることができるでしょう。
しかし、指導力が0.9の教師が二人組んでTTをするなら、
0.9×0.9=0.81と、元の数字以下になるかもしれません。
これは数字のオアソビですが、私が言いたいことは、
安易なTT頼りは授業改善につながらないのでは、ということです。
小学校の算数に限っていえば、
問題解決型学習をやめて教科書をきちんと使う学習をやるだけでも、
余計なTTなど必要なくなると思われます。

釧路の公教育の現状打破を目指す情熱的なブログ「情熱空間」で、
先日TTに関する記事がありましたので一部引用します。
「忙しい」が言い訳」というすばらしい内容です。
ぜひ全文お読みください。


(引用)
もはや、クラス20~30人規模が一般的と言える学校現場において、「忙しい」を言い訳にしている団体。お馴染みの日教組・北教組でありますが、「教員は実に多忙である。学習指導を充実させるためにTT(チームティーチング)要員の増員を求める」としているのが北海道においての北教組。馬鹿言ってんじゃねぇ!たかだか20~30人の子どもを教えきる力がない人間に同じレベルのチューターをつけたところで、まともにできるわきゃねぇだろ。アホなことを言ってねぇで、てめぇの足元を見やがれってんだ。まず、一人ひとりの指導力を上げろ。30人をきっちり教えきれるようになってから、それから物を言えってんだ。

事実、TT形式にして指導するも、「一人の子につきっきりになって、以前と何ら変わらない」そういった声をよく耳にします。最近の教員は、とても忙しい。「とても」かどうかは分かりかねますが、たしかにお忙しいことは存じております。でもね、できる社員ってのはね、「忙しさ」を言い訳にはしないんだよ。むしろ「忙しさ」に感謝してそれを楽しんでいるほど。彼らは「忙しい」を言い訳にする連中を見るとね、「ほら、また始まった」と思って心の中では軽蔑をしているわけなんだよ。できない言い訳を語らせたならば、小中学生であっても実にお見事なもの。しかし、肝心の彼らを指導する側が同じであったならば、いくら何でもまずいでしょ。と言いたいわけです。「忙しい」の言い訳は、無能の証しなり。ってことね。
(引用終)

日本の公立学校教員の世界は、
ある意味、共産主義社会のような面があります。
絶えず授業力向上に努めている人も、指導力のない教師も、
たとえば採用年齢等が同じだったら、給与も同じ、とか・・・
やってもやらなくても結果は同じ、という結果平等主義です。
安易な方や停滞に向かいやすい、といえます。
(だからこそ、児童・生徒にも、結果平等主義を押し付けようとするのでしょうか?)

たとえば、全国学力テスト等のクラス平均の結果に応じて、
給与が何%かアップする(もしくはダウンする)とかのインセンティブ(報奨金)を儲けるなどの、
健全な競争原理を導入するか、
TOSSの「TOSS授業力量ライセンスシステム」のように、
客観的な基準で授業力検定を行うなど、
授業力・指導力を目に見える形にするなどの工夫をすべきではないでしょうか。

これは暴論ですが・・・
今やインターネットの時代なのですから、
思い切って、スーパー教師による模範授業を全国に動画配信して、
現場教師はどうしてもついていけない子を専門に教える、というのはどうなのでしょうか?
基礎学力が全国的に保障されるのでは?
既に放送大学や、
大学予備校の東進ハイスクール(東進衛星予備校)がやっていますね。
(教員組合の大ブーイング必死!)

なお、読売新聞北海道版の連載「学力危機」に関する前回の記事はコチラです。
札幌市の教育の学力危機を暴けるか?
~読売新聞北海道版の連載「学力危機」(2011年8月21日~)

声という芸術・技術~NHK・ディープピープル「ヒーロー声優」(2011年8月22日放送)

アムロ、行きま~す!」という名セリフ一つでさえ、
ガンダムの番組初期と後期では違いがあったのですね・・・

8月22日放送のNHK・ディープピープルでは、
ヒーロー声優」という題で、
声優の古谷徹さん、小山力也さん、野沢雅子さんの鼎談と、
アニメ声優の仕事の舞台裏を紹介していました。
(番組HPはコチラ
役に自分をシンクロさせる、役作りについてや、
マイクの使い方、3人の代表的な役の決めゼリフなど、見どころ満載でした。
主役を演じることが多い3人だからこその、
「座長」としての仕事・リーダーシップといった面にもスポットライトをあてていました。
声優の仕事は、まさに芸術的ですね・・・
見ごたえがあった番組でした。

小山力也さん演じる「24」、私は観ていませんが、
吹き替えの声がとってもカッコイイですね~
演じる際には、絶叫したりすることが多いので、
マイクを高い位置にあげるそうです。

24 -TWENTY FOUR- シーズン1 (SEASONSコンパクト・ボックス) [DVD]

古谷徹さんは、サ行の発音をきちんとさせるために、
下の歯を4本抜き差し歯にしたり、
台本に入念な書き込みをしたりするエピソードが印象的でした。

野沢雅子さんのハマリ役の一つ、「銀河鉄道999」の鉄郎役の、
「メーテル・・・」というセリフ一つでさえ、実に多彩なニュアンスで演じ分けていたというのも、
スゴイなぁ・・・と感心しました。

声優を志す人・アニメが好きな人、演劇が好きな人にはたまらない内容の好番組でした。

2011年8月22日 (月)

ウィークエンドパスで東京~軽井沢~上田~清里の旅(その2)

(前回の記事はコチラ

JR東日本の「ウィークエンドパス」での旅の2回目です。
2日目は、JR佐久平から小海線で清里へ向かいました。
清里では午前中に聖公会の教会で礼拝をささげ、
それから清里のシンボル、清泉寮へ向かいました。
清里は午前中は晴れていましたが、
正午頃から雷鳴がとどろき、雨が降ってきました。

写真をどうぞ!

小海線の車窓から撮った高原の景色です。

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ちなみに小海線は今回の旅で始点から終点まで全部乗ったことになります。
(小諸~小淵沢)
小海線は、イメージキャラの「ぶりっと」と「こうみ」を使っています。
列車まで萌えキャラ~(o^-^o)

JR線最高駅・野辺山駅で撮りました。

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JR清里駅横にあるSL。

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JR清里駅ホームにて。

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清泉寮の敷地の入口にある詩編121冒頭を書いた石碑。

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清里聖アンデレ教会。

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清泉寮の正面写真。

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清里ピクニックバスの写真。
清泉寮までは行きは徒歩でしたが、帰りは時間の都合上、
清里ピクニックバスに乗ってJR清里駅に戻りました。

20110807_seisenryo_4

清泉寮の向かい側に、「八ヶ岳自然ふれあいセンター」があります。
ここの奥に、映画「西の魔女が死んだ」のロケ地がありました。
(以前、映画館で観ました。なかなかいい映画ですよ。
原作も読みました。こちらもすばらしい作品です。)
天気がよければ眺めてみようかな、と思いましたが(徒歩10分)、
雨天だったのであきらめました・・・

(映画)
西の魔女が死んだ [DVD]

(原作)
西の魔女が死んだ (新潮文庫)


清里から、小淵沢経由で甲府に行きました。
「ほうとう」を食べてみたいと思ったからです。
長い旅の最後は、甲府から立川まで特急自由席でずっと立ちっぱなしというオマケ・・・
特急「あずさ」ではなく、特急「かいじ」を選べばよかった・・・
(「かいじ」は甲府始発なので・・・)

フランシスコ会聖書研究所訳注「聖書 原文校訂による口語訳」(サンパウロ)入手しました!

聖書を読み始め、教会に時々通いだした約20年前、
あるバプテスト教会の大人向けの教会学校にたまたま参加した際、
本棚に分冊の聖書がずらっと並んでいたのを初めて見ました。
フランシスコ会訳の分冊版聖書です。
分冊を全部買ったら、数万円します。
手の届かない高嶺の花でした。
いつか、この分冊が合本されたら・・・
そう思い続けて、約20年。ついに合本が出ました。

2011年8月15日、聖母被昇天の日に、
フランシスコ会聖書研究所訳注の
聖書 原文校訂による口語訳」(サンパウロ)が出版されました。
(実際は、それより若干前にキリスト教書店の店頭などで見かけましたが・・・)
カトリックの人はもとより、聖書を愛する日本の人すべてが待ち望んでいたような聖書です。

表紙は、古い教会の天窓から光が差し込むような構図を使っています。
この聖書のカバーに使われている写真は、
御言葉が開かれると光が射し出で
無知な者にも理解を与えます。
」(旧約聖書 詩編119:130新共同訳)
という御言葉を思い起こさせました。
(フランシスコ会訳では、
あなたの言葉は現れて光を与え、
純朴な者に悟りを与えます。
」となっていました。
これは、新共同訳の訳の方がすばらしいのでは、と思いました。)
註解という光が聖書に差し込むと、よりはっきりと聖書が頭に入ってきますよ。

私も昨日(8月21日)購入したばかりで、まだ本文はきちんと読んでいません。
ただ、既存の訳との違いとして、1つ引用してみましょう。
詩編37:3~5を、新共同訳、新改訳、フランシスコ会訳で比較してみます。
みなさんなら、どの訳を選びますか(好きですか)?

(新共同訳)
主に信頼し、善を行え。
この地に住み着き、信仰を糧とせよ。
主に自らをゆだねよ
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
あなたの道を主にまかせよ。
信頼せよ、主は計らい

(新改訳)
主に信頼して善を行え。
地に住み、誠実を養え。
主をおのれの喜びとせよ。
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
あなたの道を主にゆだねよ。
主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。

(フランシスコ会訳)
主に寄り頼んで善を行い、
地に住んで豊かさを楽しめ。
主の故に喜べ。
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
行く末を主に委ね、
主に寄り頼め。主自ら成し遂げてくださる。

フランシスコ会訳といえば、豊富な註解が魅力です。
合本にあたっては、さすがに分冊の注を全部入れたら1冊にまとめきれないので、
必要な部分に限って、コンパクトに注を入れています。

新共同訳や新改訳では、すべての漢字にルビがありますが、
フランシスコ会訳では、ルビは必要最小限にとどめられています。
時折、図解があったりするのは理解の助けになります。
バルバロ訳ほど煩瑣なイラスト挿入がないのはプラスといえましょう。
大きい文字で、読みやすいですよ。

既に以前から発売されている新約聖書の合本では、
イエズス・キリスト」と表記されていますが、
この合本では、カトリック教会で既に新共同訳が公式採用されているので、
新共同訳にあわせた人名・地名表記を採用しています。
だから、「イエス・キリスト」と表記されていたのは、私にとってはうれしかったです。
(カトリック原理主義的なヒトには、改悪なのでしょうケド・・・)
プロテスタントの人にも大いに役立つはずです。

この聖書の最大の欠点は、値段が高いことです。
(2011年内なら7000円、それ以降は8400円・・・)
ただ、聖書の真理を追究したい人なら、ぜひ心の準備をして、
思い切って購入することをオススメします。
新共同訳のスタディ版や新改訳のチェーン式、
あるいはバルバロ訳を持っている人なら別ですが、
普通の、訳注のない新共同訳や新改訳、口語訳を読んでいる人なら、
ぜひ訳注つきの聖書を1冊入手しましょう。
誰か手引きをしてくれなければ、どうして分かりましょう
(新約聖書 使徒言行録8:31フランシスコ会訳)
註解に頼り過ぎるのはオススメしませんが、
註解は登山の杖のようなものですよ。
聖書という山を登るのに必需品といえます。

私はあえて紀伊国屋書店で買いました。
(キリスト教書店という「ゲットー」で細々と売られるよりも、
一般の書店で堂々と売られる方が、福音宣教という観点からはプラスと考えます。)
インターネット経由で入手するなら、上記の写真をクリックしてAmazonからか、
いのちのことば社」のサイトをオススメします。
(2000円以上は送料無料なので・・・)
※2013年2月20日に中型版が出ました!
71761 FB-B6 聖書 原文校訂による口語訳 中型(B6判)

2011年8月21日 (日)

札幌市の教育の学力危機を暴けるか?~読売新聞北海道版の連載「学力危機」(2011年8月21日~)

読売新聞北海道版で、実に興味深い企画連載が始まりました。
学力危機~第1部 札幌の格差

第1回目は、全国学力テストの札幌市での結果分析と、
序列化や競争を避けようとする札幌市教育委員会(以下「札幌市教委」と略記)の姿勢をあらわにしました。

記事はこのように始まります。

(引用)
 「勉強だけの子どもを育てたくありません。」
 「授業での学力向上を図りたい」と口にした校長に、ある教員がこんな言葉を返した。札幌市郊外の小学校に赴任した2年前。他の教員のいる前でのことだ。

(中略)
 「学力が上がれば子どもは学校が楽しくなる。楽しくなれば学校全体が落ち着く」。そう答えた校長は、教員の反発にもひるまず、授業改革に乗り出した。
(引用終)

この小学校は、業者テストの成績が高学年で全国平均よりも10ポイント以上低いとのこと。
授業中に子どもが立ち歩くなどの落ち着きのなさも目だっていたそうです。
(それにしても、教員が「勉強だけの子どもを育てたくありません。」というなら、
そんな教員は、さっさと退職した方がいいのではないでしょうか?)
教員は「この学校で学力向上なんて無理」と諦めていたのに対して、
校長はノートの書き方の指導を行うことによって、目に見える形で、
学力向上を果たしたそうです。

このエピソードの後、道教委が進める学力向上策の一つ、
学生ボランティア派遣による夏休みの補習実施に、
釧路市や新十津川町などは参加したのに対して、
札幌市は参加しなかったことを指摘しています。
(引用)
 格差を見せない姿勢を貫き、学テ(=学力テスト)の公表方法もあいまいな札幌市教委。格差の広がりを心配する教育関係者は市内にも多い。
(引用)

札幌市教委は、全国学力テストには消極的で、前回は抽出参加でした。
(引用)
 全校参加を序列化や競争と結びつけて批判する声があるため、札幌市は、結果の発表方法も、「序列化や過度の競争を避ける」という方針を徹底。市全体の教科別平均正答率など、数字で示せる結果は、設問ごとの無回答以外、非公表にしている。(中略)
 序列化や競争を避けようとする市教委の強いスタンスが、学力格差を見えにくくしている。
(引用終)

札幌市では、私立中学受験をするわけでもないのに、塾に行く子が多い傾向があります。
算数は、問題解決型学習のやり方で教える先生が多いようです。
基礎が定着していない中、教師はTT(チーム・ティーチング)で教えたがります。
学力テストの結果がきちんと公表されたら、いかにだらしない教育をやっているか、
一目瞭然となることでしょう。
だからこそ、市教委も、教員たちも、結果公表には恐れをなして、
変な言い訳をしている、とも思えます。

学校は、はっきりいって、勉強するために行くところです。
「しつけの場」などではないのです。
札幌市教委と各学校は、税金が有効に使われている(使われていない)ことを、
学力テストの成績公開という形で、きちんと目に見える形で提示してもらいたいものです。

読売新聞サン、グッジョブ!!!
続きが楽しみな記事です。

『あさひなぐ』と『ナナマルサンバツ』、『ちはやふる』、『とめはねっ!』の比較~マイナー部活ものマンガ

書店で、「マイナー部活もの」マンガのコーナーがありました。
最近なら、『ちはやふる』(百人一首)や『とめはねっ!』(書道)が大当たりでした。
そのコーナーに『あさひなぐ』という作品もありました。
こざき亜衣作『あさひなぐ』(小学館)は、
薙刀部というまだ前人未到のジャンルを開こうとしている作品です。

メガネっ娘に萌え~という人なら、それなりにオススメかもしれませんが、
私にとってはちょっと期待はずれの作品でした。
(「薙刀部」というジャンルに着目した点には拍手!)
1巻でストップ・・・

一方、以前紹介したことがある『ナナマルサンバツ』の2巻が発売されたので、
早速購入して読みました。
こちらはオススメできます。
クイズに詳しくなくとも、なぜ主人公が夢中になるのか、読者もつい引き込まれてしまいます。
女性キャラのかわいさも魅力です。


あさひなぐ』と『ナナマルサンバツ』、
どちらもマイナー部活もの、というカテゴリーには入りますが、
両者はかなり違いますね。
体育系と文化系という違いもありますが、
決定的なのは、『あさひなぐ』の薙刀部は女子ばかりの部活で、
異性の目がありません。
一方、『ナナマルサンバツ』(や『ちはやふる』、『とめはねっ!』)の方は、
男女混合の部活で、性差は関係ありません。
微妙な恋心が、かえってプラスに働いている、ともいえます。
また、本来バトルとは無縁のものに、
バトル的要素を入れたダイナミックな展開も、魅力といえましょう。

勝手な比較でスイマセン・・・
(特に『あさひなぐ』ファンの方々・・・)

書評:曽野綾子著『ただ一人の個性を創るために』(PHP文庫)

曽野綾子さんの『ただ一人の個性を創るために』(PHP文庫)を読みました。

ただ一人の個性を創るために (PHP文庫)

2011年8月の新刊ですが、実際は2004年に出版されたものの文庫化です。
教育問題へのエッセイを集めたものです。
学校教育への提言もありますが、中心は家庭教育への提言です。
著者の見解には、私は6~7割賛成、反対・保留が3~4割ぐらいでした。
日教組(的な)教育への批判などは痛烈です。
たとえば・・・

見出し「『ありのまま』を認めるだけなら教育はいらない」(P.45~46)
(川崎市が「子どもの権利に関する条例」を2000年に日本全国で初めて可決したニュースに触れて)
(引用)
 何よりおかしいのは、子供が「ありのままの自分でいる権利」を保障していることである。教育は、子供がターザンではないようにするために行なうのだ。自分の個性を保ちつつ、私たちは自分を矯め、伸ばし、辛い時にも微笑み、やりたくない時でも我慢して持続する力をつけ、嫌いだと思っていたことの中にもおもしろさを見つけるために、教育を受け、独学をする。ありのままで居続けることがいいなら、学校教育もやめたほうがいい。
 「ありのままの自分でいる権利」を保障してくれるなら、今後、「ひきこもり、フリーター、ホームレス、楽しみで人を殺してみる子供たち、(中略)万引き、ストーカー、麻薬、レイプ魔、(中略)」はますます増えるだろう。
 (中略)しかし、ありのままではなく、厳しい教育によって、それが社会の中でどれほど醜悪で取り返しのつかないものか、そして動物ではなく「高貴な魂を持った人間」になるためには、それを乗り越えて、どれほどにも人工的に鍛えた自分を形成しなければならないかを知るのである。

(引用終)

「ありのままのじぶんでいる権利」・・・
そういえば、今年の6~7月にNHK総合で、『下流の宴』というドラマを放映していました。
(毎回楽しみに観ていました。)
主人公の息子は「ありのままの自分」でいるために、フリーターを選択し続けます。
一方、その息子と結婚したい、と願う沖縄出身の女性は、頑張って医大に合格する、
という話でした。
これはもともと小説ですし、かなり極端な話とはいえ、
潜在的にこういう考え方(ありのままの自分でいたい=向上心を放棄する)の人は、
結構多いのかもしれませんね。

下流の宴

曽野さんはカトリック的背景をもって、軟弱な日本の家庭教育に喝をいれています。
特に印象に残ったのは、
インドのゲストハウスで見た光景を、神父と語りあっているところでした。
(引用)
見出し「人としてすべきことをするのが『自由』」(P.47~49)

 (中略)泊まり客の中には、数十人の日本人の青年がいた。グループできているのではなく、たいていが一人で日本を抜け出してきた、という人たちらしい。(中略)・・・同行したインド人のカトリックの神父は、私に感想を聞かれて言った。
「皆、幸福そうには見えなかった。呆然として、考えを停止しているように見えました」
「そうですね」
と私も賛同した。日記をつけている人もいたし、ひっきりなしに煙草を吸っている人もいた。しかし何もしていない人も多かった。
「彼らは決して自由ではない」
と神父は言った。
「どうしてですか」
と私は尋ねた。彼ら以上に自由な人はなかなかいないだろう、と思われたからだった。
「自分のしたいことをするのが自由ではないでしょう。人としてするべきことをするのが自由です」

(中略)
 日本人の人権思想は、人間を創る教育とは全く反対の方向に動いている、というのが私の考えである。
(引用終)

家庭教育に関するところは概ねどれも共感します。
ただ・・・
学校教育に関するところは、かなり異論があります。
たとえば・・・
(引用)
 しかし今では学校は学力や知識を与えるところだと、決めつけている人が何と多いことか。もちろんそう思うことも自由だ。しかし学力だけなら、塾のほうがオーダーメイドの効率よい教え方をしてくれる。知識だけならインターネットで検索すれば、膨大な量の知識が整然と示される。(以下省略)
(P.34から引用・終)

それじゃあ、学校って、何をするところなの?と問いたくなります。
曽野さん流の学校とは・・・
(引用)
 学校が知識をつける場である、などと考えていたら、教育は必ず失敗するが、それなら、学校とは、いかなる場所なのか。
 学校は知識を得ると共に、人生を知り、苦難に耐えて生き抜く心身を鍛え、その技術も覚え、多様な人々と共生する社会というものの雛形を体験するところなのである。

(P.23から引用・終)

確かに一理ある考え方ですが、公立学校を考えるなら、ちょっとおかしなものといえましょう。
「塾」の存在を必要とするような公立学校教育というのは、税金の無駄遣いではないでしょうか?
少なくとも小学校では塾に行かなくても学力がある程度保障されてこそ、
普遍的な公教育といえます(私立中学受験を目指すなら別ですが・・・)。

学校教育のところはともかく、家庭教育、徳育に関するところは一読する価値がある本です。

2011年8月19日 (金)

リコール?リコール!~泊原発3号機の営業運転再開に思う

北海道の高橋はるみ知事が、泊原発3号機の営業運転再開を許可してしまいました・・・
福島原発事故の傷がまだ生々しい中、
かの菅首相でさえ(大衆迎合とはいえ)原発再開にストップをかけている中、
高橋知事の判断は正しかったのでしょうか?
「北海道の母」のように道民に親しまれていた高橋知事だけに、
今回の件は大変残念に思います。
(原発推進や、地方分権強化、という観点からなら、
「英断!」という評価もあるのでしょうけど・・・)

ジャーナリストの上杉隆氏は、「週刊・上杉隆」にて、さっそく批判を展開しています。
泊原発3号機、営業運転に移行――
世界のどの国よりも早く原発再開に踏み出した「事故当事国」日本
」【第188回】 2011年8月18日

記事の要点を引用します。

(引用)
 菅首相自らが求めていたストレステストや他国のような国民投票もなく、いきなり営業運転の再開を決めたのである。しかも、地方自治体の意思による決定である。

 福島第一原発の事故はいまだ収束していない。日々、放射能汚染水を海洋に流出させ、夜な夜なベントらしき水蒸気を発生させているのが事実だ。にもかかわらず、日本は原発再開へ、どの国よりも早く踏み出してしまった。いったい政府は何を考えているのだろうか。(中略)

 いずれにしろ、高橋知事は原発再開へ舵を切った日本で最初の「政治家」となったのである。

 きょう、筆者がMCを担当する東京FMの番組「タイムライン」に北海道大学大学院の吉田文和教授が電話で出演した。

 吉田氏は、営業再開の決定直前の15日、道内の学識経験者による泊原発再稼動の反対署名を集め、そのアピールを行なった代表者でもある。その吉田氏はこう話した。

「明確な安全基準と原発再開の規制を国が決めないまま高橋知事は判断を下してしまいました。近くにあるとされる活断層に対する第三者機関の判断も、60キロメートルしか離れていない札幌市を含めた周辺自治体の参加もないまま、泊村周辺の4自治体のみの賛成で決定されてしまったのです。それは大きな問題です。とくに来年以降のプルサーマルの開始は、充分な話し合いと安全対策がなければ容認できないのです」

にもかかわらず、北海道、いや日本は原発再開へ強引に舵を切った。いったいそれはなぜか。

 15日、北海道のローカル番組「U型テレビ」(UHB)のキャスター大村正樹氏は、当日の生放送の中で、その理由を次のように解説している。

「原発立地による地方交付金が232億円も泊村に落ちているんです。そのおかげで、漁業しかなかった過疎の村は道内でももっとも裕福な自治体になったのです。医療費は無料、子ども手当ても国からとは別途支給、ゴルフも無料、村民は、道内でももっとも裕福な生活を送ることができるのです」

 まさしく札束で頬を叩くような仕業である。だが、タダより高いものはない。それはチェルノブイリやフクシマが証明しているはずだ。

 それでも、日本は原発マネーから脱却できそうもない。

 東京電力が事故処理の失敗と情報隠蔽を繰り返し、人類史上最悪の人災事故を起こしても、政府は損害賠償を求めないどころか、むしろ国費で東電を救済さえしようとしている。

 霞ヶ関はいわずもがなである。経産省、原子力保安院は事故の過小評価に終始し、これだけの犯罪を犯しながら、検察当局は捜査どころか証拠保全さえ行おうとしない。

 また、電気事業連合会から年間800億円以上の広告費で「買収」されているテレビや新聞の大手メディアは、東電の腐敗の本質をなにひとつ追及できずに、「安全デマ」を流すことで汲々としている。

 もはや日本は民主主義国家ではない。先進国とは言いがたい原発マフィア国家に成り下がったのである。いや、とうの昔に、その内奥まで原発マネーに冒された犯罪国家だったのかもしれない。

 だから、泊原発の営業運転再開という世界の認識から180度遊離しているような判断が普通にできてしまうのであろう。

 日本人はいったいいつになったら、世界の厳しく冷たい視線に気づくのだろうか。
(引用終)

もはや日本は民主主義国家ではない。先進国とは言いがたい原発マフィア国家に成り下がったのである。いや、とうの昔に、その内奥まで原発マネーに冒された犯罪国家だったのかもしれない。
という指摘は、強烈ですね。
「民主主義」ならぬ「金主主義」でしょうか・・・

原発はコワイけど、交付金はヤメラレナイ・・・
セレブが麻薬におぼれるような悪循環なのでしょう。

「金主主義」から「民主主義」を取り戻すには、
伝家の宝刀「リコール」を使う時期ではないでしょうか。
(北海道では、83万人ぐらいの署名があれば、リコール請求できるそうです。)
みなさんはどう思いますか?

2011年8月18日 (木)

おすすめWEB記事~「食品安全委員会が初公表した規制値の今後の目安 生涯100ミリシーベルトの意味をよく考えてみよう ――福島原発震災 チェルノブイリの教訓(14)」(ダイヤモンド・オンライン)

最近は連日の猛暑、猛暑の報道ばかり。
放射能汚染の問題は少しトーンダウン気味なのでは?
そう思う方は、ぜひ今回紹介しますおすすめ記事を読んでみてください。
ダイヤモンド・オンラインの好連載、「福島原発震災 チェルノブイリの教訓」の14回目です。
食品安全委員会が初公表した規制値の今後の目安
生涯100ミリシーベルトの意味をよく考えてみよう
――福島原発震災 チェルノブイリの教訓(14)

著者は坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]氏です。

この記事の前半は、食品安全委員会の規制値に関する報道の解説です。
後半の方は、放射能の専門家と称する人々への批判です。
記事から引用します。

(引用)
 食品安全委員会の評価書案を見ればわかるように、可能な限り早く1mSvへ近づける方策を考えるべきであり、工程表を作成したほうがよい。

 さて、ここで議論を混乱させているのが放射線専門家集団である。

 筆者がここまで書いてきた計数は、ICRPや日本医学放射線学会が書いている計数でもある(★注②)。ところが、専門家によってはまったく違うことを発言している。

 多くの放射線専門家の反論は以下のようなものだ。

① 放射線防護の制度上、一般公衆の1mSv/yはそのとおりだが、健康への放射線影響を考えると、1mSv/yは危険水準ではない
② 確定的影響が出現する累積100mSvまでは何も問題ない
③ 放射線の健康リスクを厳しくみるのはいいが、他のリスク、たとえば避難の経済的リスク、転地した場合の精神衛生上のリスクなどを総合的に考えて判断すべきだ

 ざっとこんな具合だ。①は当たり前で、そんなことは分かっている。制度上の上限を議論しているのだ。②は、正しくは「わからない」だが、ここでさまざまな自説を開陳する専門家が多い。

 問題は③で、要するに国民はリスクと便益(ベネフィット)を総合的に考えることができないから、1mSvという非常に低い水準を危険だと捉えてしまう。国民には専門的な議論は理解できない、困ったものだ、というのである。

 国民は放射線専門家が想像しているほど馬鹿ではない。資本主義市場経済はリスクとリターンに支配されており、社会人ならばだれでもそのように行動している。学者は違うかもしれないが。

 専門家がわかっていないのは、原発事故による放射能汚染とは、まったくベネフィットのないリスクであり、通常の社会生活におけるリスクに、上から覆いかぶさったとんでもなく馬鹿げたリスクだということだ。

 ICRPが1mSv/yという厳しい数値を置いているのは、一般公衆にとってリターンが何もないリスクだからだ(原発作業者の限度量をはるかに高くしているのは給料というリターンがあるからである)。

 自然災害もリターンのないリスクだが、原発事故は天災ではない。事故の想定を甘く見ていた専門家の責任である。

「クルマを運転して事故にあうリスクがあるのに、人々はクルマを運転している。それに比べればこの程度の放射線リスクはたいしたことない」と、ある専門家が発言しているのを聞いて驚いた。クルマを運転するのはリスクがあるが、それ以上のリターンがあるからに決まっている。

 さすがに最近は、電気のベネフィットがあるだろう、という専門家はいなくなってきた。これまで「原発は絶対安全」といってきたわけだから、本来リスクフリーだったのである。

 こんな発言もどこかで読んだぞ。

「だれでも飛行機に乗る。その際、リスクの高い航空会社を避ける。最後はリスクを取って搭乗する。放射線リスクと避難の経済的リスクを総合的に考えるのは同じことだ。」

 飛行機に乗ることと原発事故の放射線リスクを比較すること自体バカバカしいが、市民が放射線リスクと他のリスクを比較しないのは、放射線リスクにはリターンが何もないので、リスクのポートフォリオをつくることができないからだ。
(引用終)

放射能の専門家なる人々の詭弁に弄されないよう、私たちも賢くならねば・・・
本題に戻りましょう。
この記事では、
東京大学先端科学技術研究センターの児玉龍彦教授の国会発言のポイントも書いています。

(引用)
児玉龍彦教授 発言のポイント

① 福島原発から放出された放射性物質の総量がわからない。未公表のままなのはおかしい
② 熱量からの推計放出量は広島原発の29.6個分、ウラン換算で20個分
③ 原発からの放射性汚染物は原爆からのものよりも長く、多く残存することになる
④ 食品、土壌、水の検査に最新鋭のイメージング測定器を投入し、抜本的に検査を改善すること。日本の科学技術力で可能なことで、まだまったく行われていないことに、私は満身の怒りを表明する
⑤ 内部被曝では、ミリシーベルトに換算しても無意味。例えばセシウムは尿管上皮や膀胱に集まるため、集積点を計測しなければ意味がない
⑥ 放射線が特定の遺伝子を損傷し、20-30年後にガンを発生させることがわかってきている。疫学調査で統計学的に解明できるまでに20年とすれば、間に合わない。
⑦ 学問論争(筆者注・専門家の意見の相違)に対して厚生労働委員会(政治家)が結論を出す必要はない。国民の健康を守るために何ができるか考えて。広島原爆の20倍という膨大なセシウム137が飛散している事態に対して、積極的な対応を願いたい
⑧ 住民が戻る気になるのは、行政が測定し、除染している地域だ。何もやらずに「安全だ」といわれても信頼できない。数値ではなくて、最新の技術で測定し、最新の技術で除染に全力をあげる自治体が安心なのだ

 児玉教授の発言で驚いた点は、まず⑤と⑥で、内部被曝の影響を分子生物学のレベルで検証していることだ。遠い将来に疫学調査を始めてから統計学的優位性を検証する、という考え方が陳腐に思えた。

 次に、⑦である。何ミリシーベルトまでは安全、というような議論も馬鹿馬鹿しくなる。分子レベルの観察こそ重要だとわかった。

 最後に⑧。住民が本当に安心できるのは、「さまざまなリスクを総合的に判断せよ」と言う経済学を知らない放射線専門家の助言ではなくて、行政が最新鋭の技術で計測・除染する地域こそ安心だという指摘である。児玉教授の発言は、多くの人々の目を見開かせてくれたのである。
(引用終)

放射能汚染の情報が小出し、後出しになって少しずつ明らかにはなってきていますね。
いかに、「ただちに健康に影響がない」とか、前述の専門家なる人々の発言が無責任だったか・・・

今私たちにできるのは、まず正しい情報を知ることですね・・・

2011年8月16日 (火)

NHK・ハイビジョン特集「黒木メイサ スペイン フラメンコ 魂の踊りと出会う旅」(2011年8月15日再放送)

黒木メイサさんファンにはたまらない番組でした。

2011年8月15日放送の「ハイビジョン特集「黒木メイサ スペイン フラメンコ 魂の踊りと出会う旅」は、
黒木メイサさんがフラメンコの本場スペインでフラメンコを学ぶ、という内容でした。

NHK番組表から内容を転載すると・・・

女優・黒木メイサが、フラメンコの本場であるスペインのアンダルシア州を訪れ、世界最高峰の踊り手、アントニオ・エル・ピパによる集中レッスンに挑む。10歳でダンスの魅力のとりこになり、さまざまなダンスに取り組んできた黒木が、フラメンコ発祥の地のひとつ、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラに滞在し、ピパ先生の家族やフラメンコ仲間、街の人々との交流を通して、フラメンコの心に触れていく

民放の「世界ウルルン滞在記」のNHK版、といった感じでした。
私は途中からなんとなく観ましたが、
黒木メイサさんの持つ独特の雰囲気や素がよく表れていて、見ごたえがありましたよ。
(といっても、特に彼女のファン、というわけではありませんが・・・)
彼女の日本人離れした顔立ちは、スペインの人たちの中にあっても、
あまり異和感を感じませんでした。
番組のナレーションは本人が行い、抑制されたトーンで静かに情熱の日々を伝えていました。
NHKだからできるような好番組でした。
(実は2010年が初回放送だったのですね・・・
番組冒頭を観ていませんでしたので、知りませんでした・・・)

この番組は、DVD化されています。

2011年8月12日 (金)

下村博文議員(東京11区)、北海道の教育問題を国会で糺す!

たまたま知ったブログでしたが、とても感心しました。

衆議院議員・下村博文議員(東京11区)が、国会で、
北海道の教育問題を糺したとのことです。
ご本人が書いたブログ記事をぜひお読みください。

北海道の教育問題-国会で糺す

北海道の教育問題とは、もちろん、北教組のことです。
北海道の汚点、恥部ともいうべき存在です。
(時代遅れの共産主義的イデオロギーを学校に持ち込むような不当な政治支配をしています。)
それを、国会の場で、しかも北海道の議員でない方が糺してくださるというのは、
実にすばらしい働きをされている、と感心しました。

「教育再生」をスローガンの第一に掲げられていることも好感を持ちました。
教育を政策の争点にするのは本来当然なのです。
日本の未来がかかっているのですから・・・
おかしな教育をされると、日本の未来が狂うのです!

下村博文議員は、著書もあります。
下村博文の教育立国論」(河出書房新社)
機会があれば読んでみたいです。
※後日、購入して読みました。


2011年8月11日 (木)

エアコン消すよりテレビを消した方が節電!

TVを消せばエアコンの1.7倍節電」になるそうです。
黙殺された野村総研の“TV消せばエアコンの1.7倍節電”報告 (NEWSポストセブン)
という記事を読みました。

記事から引用します。

(引用)
「こまめに電灯を消そう」「エアコンの設定温度を28度に」――テレビのワイドショーでは、様々な節電方法が連日紹介されている。その一方で、黙殺され続けている一番効果的な節電方法がある。

 それはズバリ「テレビを消すこと」だ。

 興味深いデータがある。野村総合研究所が4月15日に発表した『家庭における節電対策の推進』なるレポート。注目したいのは「主な節電対策を講じた場合の1軒あたりの期待節電量」という試算だ。

 これによれば、エアコン1台を止めることで期待できる節電効果(1時間あたりの消費電力)は130ワット。一方、液晶テレビを1台消すと220ワットとなる。

 単純に比較しても、テレビを消す節電効果は、エアコンの約1.7倍にもなるということだ。
(中略)
 自分たちにとって「不都合な真実」を隠しつつ、今日もテレビはつまらない番組を垂れ流し続けている。

※週刊ポスト2011年8月19・26日号
(引用終)

まったく同感・・・
節電を呼び掛けつつ、節電に反することを平気でやって、
良心の呵責も感じないのしょうね・・・
韓流ドラマ以前の問題です。


(引用終)


2011年8月10日 (水)

ウィークエンドパスで東京~軽井沢~上田~清里の旅(その1)

涼しい北海道から、暑い東京へ・・・
所用で東京に来ています。
外に出るのはツライ・・・

久々の東京滞在なので、長野県まで足を延ばすことにしました。
今回と次回、JR東日本の「ウィークエンドパス」を使った旅について書きます。
(写真が多いので2回に分けます。)

JR東日本土日・祝日(発売日はHPで確認を!)に使える「ウィークエンドパス」は、
2日間有効で、東北の岩手県、宮城県、福島県、山形県と関東全域、
新潟県、長野県の普通列車(13の鉄道会社含む)に乗り放題の切符です。
別に新幹線や特急の自由席・指定席を買えば、乗車可能です。
東京から長野県など1泊2日で遠距離旅行するならオトクです。
今回は、この切符で妻と一緒に1泊2日で東京~軽井沢~上田~清里の旅をしました。
出発日は2011年8月6日です。

私達のコースと時刻表、正規の運賃(大人一人分)を掲載します。
(札幌~新千歳空港~羽田空港~浜松町は省略)※AIR DOに初めて搭乗しました・・・

(1日目)
浜松町→東京(時間省略)
(片道3.1㎞、150円)
東京10:44→佐久平12:09※長野新幹線・自由席利用
(片道164.4km、2940円+自由席2720円)

JR佐久平駅そばのホテルに荷物を預ける。

佐久平12:26→小諸12:41(乗換)
小諸12:54→軽井沢13:18(しなの鉄道)
(片道29.4km、670円)

レンタルサイクルで軽井沢を見物(1日500円)

軽井沢17:33→小諸17:57(乗換)
小諸18:04→上田18:24
(片道40.0km、850円)
第24回信州上田花火大会を見物

上田21:00(臨時列車)→小諸21:20(乗換)
小諸21:56→佐久平22:14
(片道25.4km、590円)
佐久平で1泊。

(2日目)
佐久平8:29→清里10:01
(片道54.0km、950円)

徒歩で清泉寮へ

ピクニックバスで清泉寮→清里駅へ(片道300円)

清里14:56→小淵沢15:21(乗換)
小淵沢15:44→甲府16:22
(片道57.1km、950円)

甲府で一旦下車。

甲府18:33→立川19:42(特急あずさ自由席利用)
(片道96.6km、1620円+特急自由席900円)

合計で、470.0km、8720円(ぎりぎり元とりました・・・)。


十数年ぶりに新幹線に乗りました。
長野新幹線はもちろん初めてです。
自由席に座ることができてラッキー!

本当は軽井沢に宿泊したかったのですが、
ハイシーズンなので、宿泊料金が高く、
やむなく近隣の佐久平に泊まりました。
軽井沢→佐久平は新幹線だとひと駅、10分の旅ですが、
普通列車(しなの鉄道)だと、1時間の旅に・・・

軽井沢に行くのは、私は初めてで、妻は2回目です。
憧れの避暑地、軽井沢・・・
東京に降り立った時の猛烈な暑さはなく、
まるで北海道のようなさわやかさがありました。

軽井沢駅の近くでそばを食べ
(創業明治●●年、というから、おいしいかな、と思いきや、
たいしたことがなく残念・・・あえて店名は書きませんが・・・
北海道のそばの方が信州そばよりおいしいのでは?とさえ思いました。
ちょっと早まった判断でしたが。)、
その後、駅近くでレンタルサイクルを借りました。
途中、一時雨に見舞われたものの、なんとか旧軽井沢を周りきることができました。

カトリック軽井沢教会などの観光名所を一通り巡った後は、おいしいもの巡り!
ミカドコーヒーのモカソフトや店内のおいしい珈琲など、
すっかり軽井沢の味を満喫しました。
列車の時間待ちに、新軽井沢も少し散策しました。

軽井沢で撮った写真です。

カトリック軽井沢教会の正面
20110806_karuizawa_catholic_1

カトリック軽井沢教会の内部
20110806_karuizawa_cathlic_2

カトリック軽井沢教会の鐘
20110806_karuizawa_catholic_3

ミカドコーヒーと日本キリスト教団軽井沢教会
20110806_karuizawa_mikado


軽井沢を出る前には、雷鳴が鳴り響いていました。
時折ポツポツと雨が降っていました。
上田市での花火大会は、ダメモトで行くことにしました。
案の定、途中(小諸あたり)では激しい雨が降っていました。
しかし・・・
上田市では花火大会の会場(駅近くの川岸)だけが、
なぜか雨雲がかかっていませんでした。
すばらしい花火大会を満喫できました。
また、上田駅で食べたざるそばは結構おいしかったです。
信州そばはまだまだ未知数・・・
駅近くのおみやげ店で買った「くるみそば」というお菓子
(といっても、麺の「そば」ではありません・・・)もおいしかったです。

上田市で撮った写真です。

上田市と言えば、映画「サマーウォーズ」の舞台。
駅前にこういうのがありました。
20110806_ueda_1
(時間の都合上、残念ながら、市内散策はできませんでしたが・・・また機会があれば!)

こちらは「戦国BASARA」。真田幸村!
20110806_ueda_2

上田市の花火大会。
8000発の大迫力!
20110806_ueda_3
(写真をいっぱい撮ったので、そのうち動画にする予定です。)

花火大会が終わると同時に、激しい雨が・・・
すばらしい恵みと喜びに満ちた1日でした!
神様に感謝!
(次回に続く)

2011年8月 6日 (土)

おすすめWEB記事「国民栄誉賞と10シーベルト――あまりに幼稚な日本政府のスピンコントロール」(週刊・上杉隆)【第186回】 2011年8月4日

なでしこジャパンに国民栄誉賞!!!と手放しに喜んでいいものでしょうか?・・・
政権浮揚のために国民栄誉賞のダンピンピングをした現政権への冷や水といえる記事です。
(なでしこジャパンの快挙は嬉しいですが、国民栄誉賞までの価値はないと思います。)

今回紹介するおすすめWEB記事、
国民栄誉賞と10シーベルト――あまりに幼稚な日本政府のスピンコントロール
(週刊・上杉隆)【第186回】 2011年8月4日
では、上杉隆氏が、ジャーナリズム精神を発揮して、
なでしこジャパンへの国民栄誉賞受賞を、「スピンコントロール」の一つである、
と指摘しています。(詳しくはぜひ全文をお読みください。)
ところで、「スピンコントロール」とは何でしょうか?
記事本文から引用します。

(引用)
政府が、その政権運営、権力維持、情報管理のために行うメディア戦略をスピンコントロールという。情報統制の基本中の基本で、もはや世界中の国では常識となってさえいるこの言葉を、日本のメディアだけが扱わない。
(引用終)
隣国・中国では常套手段、米国や英国でさえ、よく行われること。
しかし日本では、いつの間にか批判精神さえ起こらなくなっているようですね。

記事から主要箇所を引用します。

(引用)
 政治権力とメディアの緊張関係の有無を確認する際、スピンという言葉が多用されだしたら、政府の不健全な目論見が存在するというシグナルにもなっている。つまり、それほど米国の政界やメディア界においては、一般化されている用語なのだ。

 英国でも同じような状況だ。いや90年代以降は、英国こそスピンコントロール大国となり、政府とメディアの数々の戦いが見られた。スピンドクターのアラステア・キャンベル首相補佐官へのニュースの扱いだけをみても、スピンに対するメディア側の警戒ぶりがわかるというものである。なにしろ、彼は、英国では、スピンによってイラク戦争を開戦させた男として認識されているほどだ。

 いずれにしろ、そうしたスピンは世界中の政府内で実行され、また世界中のメディアやジャーナリストたちが、その目論見と戦っているというのが現状なのである。そう、世界で唯一、記者クラブのある日本を除いては――。

 断言しよう。なでしこジャパンへの国民栄誉賞は、日本政府のスピンである。しかも、世界のレベルからみたら、あまりに単純で幼稚なスピンコントロールである。

 だが、日本のメディアはその程度のスピンすら見抜けない。きっと、よほど愚鈍の集まりなのだろう。なぜならば、仮にスピンだと知っていて報じていないのならば、相当悪質な集団ということになる。それは次のニュースで明らかだ。
(引用終)

では、政府が国民の関心を逸らしたいと思っていることは何か?
こちらも記事から引用します。

(引用)
 新聞・テレビはこの恐ろしいニュースをこの日以降、十分に報じたとはいえない。10シーベルトという致死量を軽く上回る放射線検出の大ニュースは、国民栄誉賞という人体に何の影響もないどうでもいいニュースに取ってかわってしまった。

 とくに民放テレビは、このニュースを朝から晩まで流しつづけ、政府のスピンに自ら協力しているかのようである。

 3月、筆者は、測定器の不備による作業員への被曝の可能性を危惧して、その安全管理と健康調査の是非を公開するよう、東京電力の記者会見で繰り返し質問した。

 当時、東京電力は1シーベルト以上の放射線を測る機器はないと断言し、2号炉外のピット周辺で計測した作業員の健康調査の結果すら発表しようとしなかった。

 ところが、ふたを開けてみれば、10シーベルトである。しかも、きちんと測れる機器があるではないか。東京電力はまたしても記者会見でうそをついていたのである。

 3月以降、作業に携わった作業員はのべ何万人にも上る。その作業員の被曝の可能性は否定できない。早急な検査が求められる。

 なにしろ10シーベルトを超える放射線が検出された場所の近くで、鉛などの防護服や遮蔽壁などを使わず、彼らは普通に作業してきたのだ。

 しかも、3桁の作業員の行方がわからないという。いったい政府はその責任をどう取るつもりなのか。また、メディアはなぜ、この人類史上、類を見ない大ニュースを大きく扱わないのか。

 なでしこも世界一ならば、10シーベルト超の検出も世界一である。せめて同程度に報じて、国民に知らせるべきではないか。政府のスピンに甘んじて乗って、自らの仕事をサボっている場合じゃないのである。
(引用終)

菅無責任内閣は、情報操作や責任転嫁では、第一級の腕前を持っていると認めます。
我々が、お笑い番組やらなでしこジャパンやら韓流ドラマにうつつを抜かしている間に、
放射能汚染や政治の失態のツケという劫火が迫ってきているのです。
日本国民は、法華経の「三車火宅の譬え」にある、炎が迫る家の中で遊んでいる子らのようですね・・・
ネットの力が「長者」の役目を果たす時なのです!

2011年8月 5日 (金)

おすすめサイト~【小学校教育が危ない】(ふくしま国語塾 主宰 福嶋隆史のホームページ)

小学校教育の現状について、非常に見事な分析を行っているサイトを見つけました。
元小学校教員で、現在は横浜市で私塾を開いている、
福嶋隆史氏(ふくしま国語塾 主宰)のHPの中にある、
【小学校教育が危ない】です。
2006年から2007年にかけて発行されたメルマガの集大成です。
書かれてから数年経っていますが、その鋭い問題提起は今も鈍っていません。
小学校教育の問題を考察するのに貴重な資料といえます。
全部で70の記事、どれも読み応えがありますが、
今回はその中で特に3つの領域をピックアップします。

1つ目は、水泳教育について。「No.10 水泳指導の限界
たくさんカネ(もちろん我々の税金!1校でひと夏100万円単位!)をかけている割に、
学校の指導では泳げるようになる子はきわめてわずかしかいないという現実・・・
(たいていは水遊びで終ってしまう・・・)
小学校教師が指導するよりも、プール指導員が直接教えるような体制にした方が、
費用対効果があがると思います。

ところで・・・
先日も大阪の小学校でのプール事故がありましたが、
管理の問題以前に、ホントウにプール開放が必要なのか、考えてみる価値はあると思います。
(夏休みの小学校でのプール開放を見学した事がありますが、
泳いでいる子はわずかで、たいていは水かけ遊びのたぐいで終わり・・・)
札幌市の例で言えば、市内に立派なプールがいくつもあり、しかも無料なのだから、
わざわざその近隣の小学校でプール開放などする必要がないのでは、とも考えます。
(道内の主要都市では、函館市は無料。一番高いのは苫小牧市。それでも150円・・・)

2つ目は、イベントが多すぎる!、という指摘。
No.27 「イベント」が多すぎる!(その1)
  ~小学校には、いったいどれだけの行事(イベント)があるのか?~

No.28 「イベント」が多すぎる!(その2)
~ 運動会の準備には、いったいどれだけの授業時間をかけているのか? ~

No.29 「イベント」が多すぎる!(その3)
          ~「たてわり活動」を廃止せよ!~
《9割の子が嫌う「たてわり活動」が強行され、授業時間が奪われる現状》

イベントが多ければ、当然、基礎的な学習がつぶされたり、疎かになります。
運動会や学習発表会はその最たるもの。
子供が楽しみ、というより、保護者へのアピールとアリバイ工作のようなものといえましょう。
おゆうぎ(最近では「表現」というそうです)の練習に十数時間かける学習効果は何なのでしょうか?
教師の「やっていますよ!」という自己満足だけではないでしょうか?
イベントを増やすのは、学力低下を招くだけです。
小学校は保育園で、勉強は学習塾?
昔からやっていたからといって、今も続ける価値があるのか、検討すべきではないでしょうか?

最後は、「こんなものは要らない!」シリーズ。メルマガ№30~33です。
(№30から他の3つの記事にリンクがあります。)
~学校現場から無くすべきもの 20選~」という副題がついてます。
どれもまったくその通りだと思います。
このメルマガシリーズのエッセンスとも言うべき記事です。

著者の福嶋隆史氏(ふくしま国語塾 主宰)は、
画期的な国語教育法を開発しています。
「本当の国語力」が驚くほど伸びる本―偏差値20アップは当たり前! 』(大和出版)という本に、
その画期的なメソードが書かれています。
「問題集」もありますので、ぜひご一読を!

「本当の国語力」が驚くほど伸びる本―偏差値20アップは当たり前
「本当の国語力」が驚くほど伸びる本―偏差値20アップは当たり前!


ふくしま式「本当の国語力」が身につく問題集〔小学生版〕
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ふくしま式「国語の読解問題」に強くなる問題集〔小学生版〕
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論理的思考力を鍛える超シンプルトレーニング―人気国語塾発!「3つの型」で驚異の効果!
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「ビジネスマンの国語力」が身につく本
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わが子が驚くほど「勉強好き」になる本
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小学校教育という教育の基礎・土台がが揺らいでいるままでは、
その後の中学校、高校での勉強もアヤシイものとなりますね。
ぜひ、今回おすすめした【小学校教育が危ない!】の全記事をお読みになって、
何が問題なのか、認識を深めてみましょう。

2011年8月 4日 (木)

イタリアの教育では「しつけは家庭の役割」~ヤマザキマリ作『モーレツ!イタリア家族 』を読んで

テルマエ・ロマエ』(BEAM COMIX)の大ヒットで知られる、
ヤマザキ マリさんの『モーレツ!イタリア家族 』(ワイドKC)を読みました。
(ふと書店で見かけて、「これは面白そう!」と直感したら、大当たりでした!)
イタリアの家庭事情や文化・習慣などを楽しみながら知ることができる佳作です。
イタリア人の夫の家族がまとまって日本旅行をするところなど、
実に面白い作品ですよ。

モーレツ!イタリア家族 (ワイドKC)


この作品にはいろいろネタがつまっていますが、
読んでいて一番心に残った「イタリアの教育」に絞って論じましょう。
(書かれているページ数はわずかですが・・・)

イタリアの教育では、「学校は勉強するところ。しつけは家庭で。」が徹底されているそうです。
(第13回「子供の事情」P.99~106から)
(参考:サントリーの次世代研究所~家族に関する国際調査~イタリアの家族
(上記からの引用)
家庭での教育~惜しみない支援
本調査では「しつけは親の権利ではなく義務」「子どもの教育はまず家庭の責任」といった声がよく聞かれました。どの家庭も親として教えていくことの必要性を感じていて、特に父親は家庭教育に熱心であるという話がありました。また、親は子どもの学校選びや個性を伸ばすためのサポートなどにも積極的に関わっているという例もありました。教科書に国の規格は存在せず、教師によって教科書が選ばれるというような学校教育の現状を考えると、学校選びにも親が真剣にならざるを得ないともいえるかもしれません。いずれにせよ、イタリアの親は子どもをいつまでも見守りたいという姿勢があり、支援も惜しまないようです。

(引用終)

考えてみれば、当たり前のことですよね。
しかし、日本では、学校(特に小学校)が子どもの教育の他に、
しつけまで面倒を見ることを親から要望されています。
そのくせ、親は教師を尊敬せず、サービス業だと思っている・・・
「しつけは親の権利ではなく義務」「子どもの教育はまず家庭の責任」こそ真実ではないでしょうか?

変な教育改革をしなくても、イタリア流に、
学校は教科を教えるところ。しつけは家庭で教えてください。」と徹底するだけで、
学力向上と、教員の負担軽減をはかることができます。
(教員は保護者対応とかの雑用に追われ、
本来業務である授業の準備が後手後手になることが多いようです。
これでは学力向上など望めそうもありませんね。)

イタリアの小学校では、日本の小学校のように担任が全教科を教えることはなく、
各教科の先生がそれぞれ教えるそうです。
日本の小学校でも、担任が全教科を教えるという前時代的な発想は、
そろそろ見直すべきではないでしょうか?
「学級王国」が形成されることや、広く浅くしか教えることができない、
という弊害の方が今では大きいです。
(TOSSの先生方のような超優秀な先生ばかりではないのですから・・・)
不適格教員の担任によって不登校や勉強嫌い(時にはいじめ・・・)になるより、
複数の教員によって風通しの良い教育をした方が、
子どもたちにとってもプラスになるはずです。
(ついでに言えば、イタリアでは義務教育でも留年があります。
年齢に伴って自動的に学年が上がる日本の義務教育制度は、
習得主義に改めた方がいいと考えます。
読み書き計算のキソさえできずに、下手すると大学まで行ける時代なのですから・・・)


ヤマザキ マリさんといえば『テルマエ・ロマエ』。
そのうち記事を書く予定です。
すっかりハマってしまいました・・・

(1巻)
テルマエ・ロマエ I (BEAM COMIX)

(2巻)
テルマエ・ロマエ II (ビームコミックス)

(3巻)
テルマエ・ロマエ III (ビームコミックス)

2011年8月 3日 (水)

ためしてガッテン、ウワサを撃沈?~NHK・ためしてガッテン「街のウワサを大検証 それってホント!?スペシャル」(2011年8月3日放送)

出版会社が青ざめてしまいそうな放送内容でした。
売れ筋の「骨盤ダイエット」と「食べ物で体温上げて免疫力アップ!」が、
科学的な検証でバッサリ切り捨てられたのですから・・・
(「骨盤ダイエット」でAmazonを検索すると、200冊以上見つかりました・・・)
2011年8月3日放送のNHK・ためしてガッテンでは、
街のウワサを大検証 それってホント!?スペシャル」と題して、
骨盤ダイエット」の効果等を検証しました。
特に骨盤ダイエットは番組の半分以上の時間を使って、
見事に「撃沈」されました。
骨盤ダイエットの理論と実際も、実は根拠がないようです。
(ついでに、「骨盤ベルト」も・・・)
効果があるとしたら、尿失禁予防程度、とのこと・・・

それにしても、「○○ダイエット」というのがあまりにも多いですね。
粗製乱造・・・
日本で、世界で、「ダイエット教」の熱心な「信者」と「巡礼者」がいるから、
世の出版業界は儲けのネタが尽きないのでしょうね。
そもそも、ラクして体型を維持する、という自体、無理な話なのです。
ダイエットに近道も抜け道もない、のでしょうか・・・
(女性が少しぐらいぽっちゃりしていても、カワイイと思いますが・・・)

体温を上げて免疫力アップ!というのも、ショウガの実験から「撃沈」・・・
最後の「○○○○」(実は歯ブラシ)で食道ガン予防、というウワサは、ホントウでした。
詳しくは、再放送か、番組HPを御覧ください。

2011年8月 2日 (火)

NHK・ディープピープル「スーパー指揮者」(2011年8月1日放送)

NHKの「ディープピープル」で今回取り上げたのは「スーパー指揮者」。
指揮者の小林研一郎さん、広上淳一さん、下野竜也さんという、
日本を代表する(※世界のオザワを別格とすれば・・・)指揮者3人の鼎談と、
「ベートーベン《第9》・指揮対決」という企画は面白そう~
ちょうど、小林研一郎さん(巨匠)、広上淳一さん(中堅)、下野竜也さん(若手)という、
バランスがいい構成ですね。
私は残念ながら、お3方の指揮を生で聴いたことはありませんが・・・

番組HPから放送内容を転載します。
(詳しくは番組HPを御覧ください。)
(引用)
100人を超えるオーケストラをタクト1本で魔術のように操り、ドラマティックな音楽を生み出す「スーパー指揮者」。今回は日本のみならず、世界を股にかけて活躍を続ける“超個性派”指揮者3人が東京オペラシティに集結。強者ぞろいの演奏家と繰り広げる壮絶な“駆け引き”や膨大な情報を伝える指揮棒へのこだわり、さらに東京フィルハーモニー交響楽団による演奏で、クラシック界では前代未聞となる「ベートーベン《第9》・指揮対決」など、謎に包まれた指揮の【秘密】をトークと生演奏で徹底的に解き明かす。
(引用終)


演奏本番前、どの時点で衣装を着るか、演奏本番前に何をするのか、
という3者の比較も興味深かったですが
(小林さんは一旦全裸になるとか、広上さんは開演ギリギリに衣装を着るとか・・・)、
やはり目玉は、「ベートーベン《第9》・指揮対決」でした。

ベートーヴェンの第9の第1楽章の最後を、
同じオケ(東京フィルハーモニー交響楽団)を振って、
どう違うのかを細かく分析していました。
画面に3人が同じところを振る映像を並べて比較するとか、
スコアと指揮の進行を同時並行させたり・・・
「楽譜に忠実に」をモットーの若手、下野さんが、
「炎のコバケン」こと小林さんの「ため」に対して、
「スコアに書いてないじゃないですか・・・」と問いかけるところなど、
なかなか興味深かったです。
私は音楽的な必然があれば、どちらも正解かな、と思いましたが・・・

以前、ベートーヴェンの交響曲第5番の第1楽章冒頭で、
フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(1947年録音)の演奏と、
トスカニーニ指揮NBC交響楽団のものとを聴き比べたことがあります。
片や文学的、片や音楽的・・・
どちらが優れているか、というのはナンセンスで、好みの問題です。

(フルトヴェングラー指揮)
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」、他

(トスカニーニ指揮)
ベートーヴェン : 交響曲第5番ハ短調Op.67 「運命」


最後に、「NHKで『S』とか『M』とかの談義をしていいのか?」とは思ったものの、
指揮者の資質について3人が語りあうところには、励まされました。
「指揮者は打たれ強くあれ!」が一致するところ。
(広上さんが後進を指導する場面で、「パンケーキみたい」など、
お菓子でたとえるのは興味深かったです。)
指揮者の裏側を取り上げたNHKにブラヴォー!

3人を代表して、小林研一郎さんの代表CDを2つを紹介します。
どちらもチャイコフスキーの交響曲第5番。
「炎のコバケン」の十八番ですね。
日フィル版のジャケットの方がステキです。

(アーネム・フィルハーモニー管弦楽団)
チャイコフスキー:交響曲第5番

(日本フィルハーモニー交響楽団)
チャイコフスキー:交響曲第5番

2011年8月 1日 (月)

ゲルギエフ指揮によるバレエ「火の鳥」と「春の祭典」~NHK・プレミアムシアター「サンクトペテルブルク白夜祭2008」(2011年7月31日放送)

ストラヴィンスキーの3大バレエの内の2つ、「火の鳥」と「春の祭典」。
マリインスキー劇場バレエ団とマリインスキー劇場管弦楽団。
しかも、指揮はゲルギエフ
これはスゴイ!と期待したとおりの内容でした。

NHKBSプレミアムで、7月31日(7月30日深夜)の「プレミアムシアター」において、
サンクトペテルブルク白夜祭2008」から、
上記の内容で2つのバレエを放送していました。
さすがに深夜なので、録画して観ました。
これは深夜にボリュームを落として観るよりも、
大音響で視聴した方がいい内容ですね・・・

映像として絶賛したいのは、「火の鳥」の方です。
バレエにあまり興味がわかない私でも、さすがに感動しました。
(妻はもともとバレエ好き(ただし古典)ですが、私はイマイチ興味をもてませんでした・・・)
エカテリーナ・コンダウーロワ演じる火の鳥の鮮やかさ!
踊りの良し悪しはあまりよくわかりませんが、ファンタジー的な要素いっぱいの演出で、
特に照明や舞台装置がすばらしかったです。
ストラヴィンスキーの「火の鳥」は、2004年に札幌のKitaraで、
サー・コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団の演奏で聴いたことはありますが、
あまりよくわからなかった、というのが正直な感想でした。
(→ちょうど、その時のコンサートをブログ記事にしている方がいましたので紹介します。
英国の心の歌 サー・コリン・デイヴィス指揮「ロンドン交響楽団」
(ブログ名:音楽とお花の散歩道))

チャイコフスキーの「白鳥の湖」や「くるみ割り人形」のようなメロディ性がないからでしょう。
しかし、今回バレエ付で「火の鳥」を聴くと、実に見事な作品だというのがようやくわかりました。
バレエとセットで、音の一つ一つの意味が生きてくる、というのも分かりました。
火の鳥」は映画音楽的な作品なのでしょうね。
最後の「朝」の場面の音の壮麗さは大満足でした。
(テレビの音声ではなく、外部のステレオに接続したので、迫力満点!)
なお、「火の鳥」のあらすじ等については、下記を御覧ください。
(→火の鳥

春の祭典」は、バレエよりも音楽そのものが実に強烈でした。
バレエの映像は音の過激さをさらに強調するような、添え物とさえ思いました。
春の祭典」自体は何度も聴いたことがありますが、
今回の放送の録画で、我が家のスピーカーが吼える、吼える!
打楽器の重低音にノックアウトされました・・・
実に迫力ある演奏でした!!!


今回放送されたものと同じ内容のブルーレイが発売されています。(ただし輸入版)

ゲルギエフ指揮マリインスキー(キーロフ)劇場管弦楽団による「火の鳥」と「春の祭典」のCDです。

火の鳥


春の祭典

春の祭典」は、ファジル・サイが1人2役の多重録音をしたピアノ版CDもおすすめです。

2011年7月のアクセス数ベスト10記事一覧

2011年7月のアクセス数ベスト10記事は以下のとおりです:
(※トップページを除く)

一位.ウコンは肝臓に悪い?~NHK・ためしてガッテン「肝臓の健康を守れSP」(2011年6月29日放送)
二位.NHK・クローズアップ現代「大人がハマる“数学ブーム”の謎」(2011年7月27日放送)
三位.TBS系・情熱大陸「武田邦彦(工学者)」(2011年7月24日放送)
四位.死なないお粥と究極のお粥?~
    NHK・ためしてガッテン「門外不出!料亭おかゆ 秘技・奥義一挙大公開 」(2011年7月20日放送)
五位. 大金星であり大黒星でもある番組~
    NHK教育・ETV特集
    「ネットワークで作る放射能汚染地図 福島原発事故から2か月」(2011年5月15日放送)
六位.福島県の親と教師の苦悩とホットスポット~
    NHKスペシャル シリーズ 原発危機 第2回「広がる放射能汚染」(2011年7月3日放送)
七位.もう御用学者は出演させるな!~
    NHK・週刊ニュース深読み『広がる 不安"内部被ばく" 』(2011年7月2日放送)
八位. 真駒内花火大会2011
九位.節電は「先づ隗より始めよ」~24時間テレビと27時間テレビ、今年も必要なのか?
十位.NHK・上を向いて歩こう~日本人の希望の歌 その真実~(2011年7月18日放送)

ようやく1位、2位が原発関係以外の記事となりました。
平和な日常が戻りつつあるのでしょうか?
それとも、忘却?
とはいえ大震災・原発事故・放射能汚染関係の記事は、
未だにトップ10の半分を占めていますね・・・
事態は全然解決していません。
数値やレトリックでごまかされているだけにすぎないことを、
忘れてはいけませんね・・・

2011年8月もご愛読よろしくお願いします。

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