日本のキリスト教伝道はいつまでも伝統文化否定型でいいのか?~おすすめWEB記事「伝道の新しい潮流」(久保有政牧師)
日本のキリスト教伝道(特にプロテスタント)の問題点は、
伝統文化否定型であることです。
曰く、神道や仏教は悪魔の教え・偶像崇拝である等・・・
(時々、街頭で暗~い声で聖書の言葉を流して伝道している団体とか・・・)
日の丸・君が代にも反対。
西洋化して日本のアイデンティティを否定することが、救いへの道と勘違いする・・・
(どうして私はヨーロッパやアメリカなどのキリスト教がさかんな国に生まれなかったのか?)
恥ずかしながら、正直に告白すれば、私も20代までは、こういう考え方をしていました。
しかし30代に入ってから、そう思わなくなりました。
日本の伝統・文化・宗教のよさを再発見したからです。
今回紹介しますWEB記事、
「伝道の新しい潮流
日本の伝統文化や神道とのつきあい方
――文化適応した福音伝道について」は、
日本の伝統的な考え方、宗教観を尊重しつつ、
キリスト教を伝道する方策について述べています。
すばらしい文章ですので、ぜひ全文をお読みください。
記事から抜粋引用します。
(引用)
日本人伝道には今日、大きく分けて二つの潮流が存在しています。
これまでの日本のキリスト教会では、神道などの日本の伝統文化を「偶像文化」「異教」またときには「福音の敵」「悪魔の道具」とまで呼んで、排斥する傾向が強くあったように思います。日本の伝統や宗教は神様にふさわしくないと。
だから、そうした教えの中で育った方々は、日本の伝統を愛することはできませんでした。クリスチャンになるには、神道や伝統文化を捨てなければならなかった。
私自身も、以前は神道や日本の宗教、伝統をただ批判している者でしたので、そうした教えのいわんとすることは理解できます。
しかし、この考えは無益なだけでなく、かえって多くの日本人をキリストから遠ざけていることを私は知るようになりました。
今や世界をみると、こうした他宗教非難の旧式の伝道ではなく、伝道の新しい潮流が広まりつつあります。そして実を結ぶようになっているのです。
私はこの伝道の新しい潮流こそが日本に本当のリバイバルをもたらし得る道であると確信しています。
神道を単に「異教」「偶像崇拝」と非難していればいいのではなく、むしろ神道を一種の旧約的世界と理解し、そこからキリストの新約的世界に来させた方が、はるかに成功する伝道ができるでしょう。
こうした伝道方法を、私たちは「文化適応した福音宣教」と呼んでいます。その国の文化伝統をよく学び、尊び、愛し、そのうえで文化に適応する形でキリストの福音を伝えていくやり方です。文化適応した福音宣教は、じつは今や、世界宣教の新しい大きな潮流となっています。
じつはかつて、カトリック宣教師フランシスコ・ザビエルもこの宣教方法を用いました。山口県山口市に、「大道寺跡」というのがあります。「大道寺」は、仏教の寺ではなく、ザビエルが日本に来て最初に建てたキリシタン寺です。
この地域では、かつて多くの真言宗の仏教徒らが、キリストこそ弥勒(未来に来る救い主)の本当の姿と信じて、仏教からキリスト教に移ったことが記録にあります。つまりザビエルも、
「みなさんが弥勒において求めてきた本当のものはキリストにあります!」
という説き方をしたのです。ザビエルは日本の文化伝統をよく学び、それを尊んだうえで宣教をしました。すると巨大なリバイバルが起きた。
ところが残念なことに、明治以降、日本にやって来た欧米の宣教師らは、日本の文化伝統に対して無知な人が多く、学ぼうともせず、ただ偶像文化として排斥することが多々ありました。そのため、その影響を受けた今日の日本の教会とくにプロテスタントは、あまりに他宗教に対して不寛容で、狭い教えになってしまったのです。
元宣教師のドン・リチャードソン博士が書いた「彼らの心にある永遠」(Eternity in their Hearts)という名著があります。彼はその中で、ほとんどの国の伝統文化の中には、天地創造の真の神に関する知識の断片が必ず残っている、と述べています。このインド人伝道者も、それを活用したのです。
また、「贖いの賜物」を説いているジョン・ドーソン博士(YWAM会長)によれば、今まで西洋の宣教師は世界へ出て行って、宣教先の文化を否定し、破壊して、キリストを伝えてきたが、それはじつは西洋の文化を押し付けてきたに過ぎなかった。たいへん申し訳ないことをした。そして彼は、
「いま宣教師に必要なのは、宣教先の国の伝統文化を否定することではなく、神はそれぞれの国の伝統の中に、その国の人々が救われ贖われるための『贖いの賜物』を、ちゃんと備えて下さっているという考えです。文化の中にあるそうした贖いの賜物を掘り起こし、用いて伝道することが大切です」
と述べているのです。この贖いの賜物の考えは、パウロの説教が土台になっています。ギリシャのアテネの人々の前で、パウロは語りました。
「神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです」(使徒17・26~27)
ここに「住まいの境界をお定めになりました」とあって、様々な国を造ったのは神様であると述べられています。それぞれの国の伝統も、神の御許しの中に発展してきたものなのです。さらに「これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです」。
つまり、伝統文化がなぜあるかというと、「これは、神を求めさせるため」です。だから伝統をよく調べて、それを掘り起こし、そこにある神の宝を「探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです」。
これが、文化伝統の中に神がお与えになった「贖いの賜物」です。
日本人は古来、「天之御中主神」を最高神として拝んできました。そのおかたがどんなかたか知らずに拝んできたのです。私たちに必要なのは、パウロのように、「あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう」という伝道姿勢です。
日本人がその「天の中心にまします主なる神様」という名において求めてきた本当の神様は、聖書の述べる神様であることを示すことです。
かつて西行法師が伊勢神宮で「なにごとのおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」と詠ったように、日本人は古来「知られない神」を拝んできました。「その神様を本当に教えてくれるのは聖書です」という導き方が大切です。
もし私たちが注意深く日本の伝統文化を探ってみるならば、そこにみるのは日本人をキリストに導くことのできるたくさんの宝です。日本の伝統文化を毛嫌いするのではなく、今一度、それを探ってみてはいかがでしょうか。「探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともある」のです。
(引用終)
既にカトリックでは、葬式に「焼香」を取り入れたり、
「七五三」のようなことをやったり、
家が仏教なら仏壇の世話をすることを容認したり、
はては「禅」を霊的修業として取り入れているところさえあります。
(門脇 佳吉神父など・・・)
「キリストの幕屋」では、
「我らは、キリスト教の純化を願うが、日本の他の諸宗教を愛し、
祖師たちの人格を崇敬するものである。」(我らの信条)とさえ主張しています。
(「正統派」を自認するプロテスタントからは、
「キリストの幕屋」は異端扱いされていますが、不当な考え方といえます。
ヨーロッパのバルト神学だけが、「天国の門」だとでも言いたいのでしょうか?)
もう既に、「改宗か、剣か(地獄落ち?)」式の宣教は時代遅れです。
また、「日の丸・君が代」に反対するのがクリスチャンだ、式の考え方も、
そろそろ「改宗」が必要でしょう。
「反日」姿勢をとり続けるキリスト教は、伝道の種を自ら踏み潰しているようなものです。
(日本のキリスト教会の「反日」問題については、
東日本大震災でうやむやになった土肥隆一議員の「竹島放棄」発言に顕著に現れています。
これについては、ニューズウィーク日本版の冷泉彰彦氏の記事、
「土肥議員「竹島放棄」に見られる日本キリスト教の堕落」が、
適切にイタイ所を衝いています。)
「道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。」
「これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。」
(新約聖書使徒言行録17:23、27新共同訳)
神様は日本を愛しておられます!
日本文化・伝統への尊敬なしに、日本伝道は成り立ちません。
久保有政牧師のような考え方が、日本のキリスト教会の主流となることを願っています。
久保有政牧師の著作ではありませんが・・・
こちらもオススメ、かも?
「メイド・イン・ジャパンのキリスト教」(マーク・R. マリンズ著)
「日本の宗教とキリストの道 」(門脇 佳吉著)
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