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2011年2月の43件の記事

2011年2月28日 (月)

NHK「名曲探偵アマデウス」・チャイコフスキー「交響曲第6番『悲愴』」

今回の「名曲探偵」は、再放送で、
チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』でした。
見た記憶があるような、ないような・・・
(ディープ内藤が出てくる#14からところどころ観始め、
#25のマーラー・交響曲第5番からは、全部観ていると思います。)
事件ファイル#4なので、放送初期のものですね。
現在の、コメディ・バラエティ路線との違いを感じました。
もちろん・・・現在の方が洗練されていて、断然好きです。
構成・演技ともに少しぎこちなさを感じさせました。
それと、N響がイマイチ・・・
特に第1楽章の、静けさから疾風怒濤になるところあたりは、
「安全運転」という感じでしたね。

番組も、そういう試行錯誤の積み重ねで、現在の面白さにたどり着いたわけですから、
貴重な記録といえましょう。
(響さんがロシア語の辞書を調べていた・・・知的な秘書?
今の、食欲と恋にしか興味が無いキャラとちょっと違いますね・・・
あと、玉川大学の野本由紀夫准教授も、まだテレビ慣れしていないような感じでした。
現在の方が、洗練されていますね。)

依頼主が、「君に贈る」と書かれたチャイコフスキーの『悲愴』の総譜を持ち込んできたところから、
話は始まります。
私は「2週続けてチャイコフスキーで、2週連続作曲者の同性愛ネタかな?」と前半思いましたが、
安全な領域で、「事件」は円満解決でした。
ホッとしたともいえるし、意外性がないかな、とも思えました。
番組初期では、現在のような「オチ」がついていなかったようですね。
演奏だけで終ってしまうのも、ちょっと残念でした。

チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』。
私は・・・たまに聴きますが、それほど好きな曲ではありません。
『悲愴』よりは、交響曲第5番の方が好きですね。

この曲を一番最初に聴いたのは、確かカラヤン指揮ウィーン・フィルのCDでした。
カラヤン晩年の録音ですね。
なよなよ、メソメソ、感傷的な・・・というチャイコフスキー像を表すには、
「最も優れた」演奏といえます(皮肉な意味で)。

私にとって、本当にこの曲の真価に開眼したのは、
ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルのDG盤です。
初めて聴いたときは、衝撃的でした。
前述の、第1楽章で静けさから疾風怒濤になるところは、
後頭部をいきなり強打されたような・・・とでも表現するしかありません。
実に豪快、力強く、かつ繊細さがあります。
感傷的なチャイコフスキー像を見事に打ち壊し、
男泣きするような、真のチャイコフスキー像を垣間見ることとなりました。
以来、『悲愴』はムラヴィンスキーのDG盤1種類で十分満足です。
(残念ながら、何度も聴けば、衝撃だって薄くなってしまうものです。
慣れてしまうものなんですね・・・)

チャイコフスキーの『悲愴』といえば、もう一つ思い出すのが、
この曲を全編に使った映画、『アンナ・カレーニナ』です。
『アンナ・カレーニナ』は何度も映画化されていますが、
紹介したいのは、ソフィ・マルソー主演のものです。
トルストイの長大な小説を2時間のメロドラマにしてしまうわけですから、
当然、中身は薄くなってしまいますが、
豪華な舞台と、『悲愴』の音楽が、映画を見事に彩っています。
「一線」を越えてしまったところに使われる、第一楽章の甘美な主題とか、
第2楽章の用いられ方など、見どころ、聴きどころが多いですよ。
(映画として成功しているかどうかは別として・・・)
パッケージに使われているシーンは、すごく官能的ですが、
後は・・・苦さがだんだん濃くなっていくだけです。
ちょうど、『悲愴』の第1楽章のように・・・
甘美なのはわずかで、あとは苦悩の嵐にもみくちゃにされてしまうだけ・・・
許されぬ恋、というものは、そんなものなのでしょう。

神の国と神の義を求めなさい(マタイ6:33)【自作曲】※4曲

何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。
そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。

(新約聖書 マタイによる福音書6:33新共同訳)

今回は、この御言葉への作曲を4曲紹介します。
4曲とも、テキストは上記のとおりです。

この御言葉を使った讃美としては、
神の国と神の義(SEEK YE FIRST)」が有名ですね。
(作詞・作曲Karen Lafferty)
リビングプレイズ85、新聖歌291です。
(これもとても好きな歌です。
以前所属していた教会では、献金ソングになっていました・・・)

この聖句、特に好きな御言葉の一つです。
そして、この御言葉の真実さを、何度も体験しています。
だからこそ、こう告白することができます。
主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
(旧約聖書 詩篇23:1新改訳)

自分の都合よりも、神様の御国の発展に役立つようなことを、優先して行うとき、
神様は日常生活のさまざまな事をきちんと計らってくださいます。
思い煩わずに、まっすぐ神様の御顔を見続けていけばいいのです。
思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。
神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。

(新約聖書 ペトロの手紙Ⅰ5:7新改訳)
神様は、ただ働きや賃金カットをなさいませんよ。
ちょうど、「ぶどう園の労働者のたとえ」(マタイ20章)の、
「最後の者」のように・・・

曲の紹介に移りましょう。
4曲とも、長調の曲です。
1曲目はヘ長調、2曲目と4曲目は変ロ長調、3曲目はハ長調です。
どれも短い曲ばかりです。
作曲時期はバラバラで、覚えていませんが、
いずれも2005年以前の作品です。

メロディ(midiファイル)と楽譜(PDFファイル)とは、
下記からダウンロード願います。もちろん無償です。

「20110228_mattew0633no01.MID」をダウンロード

「20110228_mattew0633no01.pdf」をダウンロード

「20110228_mattew0633no02.MID」をダウンロード

「20110228_mattew0633no02.pdf」をダウンロード

「20110228_mattew0633no03.MID」をダウンロード

「20110228_mattew0633no03.pdf」をダウンロード

「20110228_mattew0633no04.MID」をダウンロード

「20110228_mattew0633no04.pdf」をダウンロード

2011年2月27日 (日)

NHK教育・ETVワイド ともに生きる「若者のこころの病 実は身近な“統合失調症”」(2011年2月26日放送)

統合失調症の方々への理解を深める、良質な番組だったと思います。
NHK教育で、「ETVワイド ともに生きる「若者のこころの病 実は身近な“統合失調症”
という番組を放映していました。2時間の生放送!
NHKでないとできない企画といえましょう。とても参考になりました。
NHKHPから、放送内容を転載します。


思春期・青年期は、こころの病が発症しやすい時期です。中でも、生活に大きな影響を及ぼす病が「統合失調症」です。
統合失調症は、100人に1人がなると言われるほど身近な病気ですが、正確な知識を持っている人は少ないのが現状です。そのため、発症に気づかず、適切な治療を受けるのが遅くなり、結果として回復が遅れることが、しばしば起きています。逆に、正確な知識を持っていれば、早期発見、適切な支援、よりよい回復につながる可能性があるのです。
2月のETVワイドは、症状、治療、回復、復学、就労、恋愛、子育てなど、これを見れば統合失調症の最新情報のすべてがわかる番組をお届けします。若い人たちやその親の世代の人たちすべてに、ぜひご覧いただきたい番組です。


番組では、統合失調症の方が自分の言葉で、症状を語っていました。
北海道・浦河町の「べてるの家」も大きく取り上げられていました。
べてる(Bethel)」は旧約聖書・創世記に出てくる地名で、「神の家」という意味です。
今や全国区の知名度になっていますね。

べてるの家」の「当事者研究」の様子は、実に興味深いものでした。
番組で放映されたケースは、「サトラレ」という症状がある女性。
周りの人に自分の考えが全部知られているのではないか、という恐怖感・・・
「サトラレ」って、映画やドラマの架空の話かと思いきや・・・
(※映画やドラマの話はフィクションです。)
被害妄想が嵩じて、そのようだと思い込んでしまう、というのは、さぞつらかったでしょうね・・・

さまざまな幻覚症状を抱える者同士が、自分の体験を分かちあったり、共感しあったり、
知恵を出し合ったり・・・
そうして、「悩んでいるのは自分だけではないんだ・・・」という安心感や、
「あなたはありのままでいいんだよ・・・」という気持ちが伝わり、
生きる希望・気力が少しでもよい方向に向かう様が、映像から伝わってきました。

番組では他に、最新の診断方法(うつ病と統合失調症との区別)や、
薬による症状の緩和により就業できるようになった人の話、
はては、病院内で知り合った統合失調症の患者同士の結婚まで取り扱っていました。
終始、明るい、救いようのある感じで、
統合失調症のあれこれについて紹介されていたのは、好印象でした。

番組の最後は、「べてるの家」の人たちによる、「祈り」という歌で締めくくられました。
アメリカの神学者・ラインホルト・ニーバーの有名な祈りを歌詞にしているものです。
希望の光、神への祈りによって、番組が閉じられるとは、ステキでした!
下がその祈りです(番組で歌われていた歌詞とは、少し表現が違います。)

神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

(大木英夫訳)

R・ニーバーの祈りは、宇多田ヒカルさんの「Wait&See~リスク」という歌にも、
一部引用されているそうです。

R・ニーバーの祈りについて、以前、記事を書いていますので、よろしければお読みください。
Serenity Prayer(平安の祈り)【自作曲】」(2009年6月12日の記事)
https://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/serenity-prayer.html

R・ニーバーの祈りについて、日本キリスト教団 豊橋教会金子牧師の記事も参考になります。
http://toyohashikanegon.hamazo.tv/e2679307.html

べてるの家」については、団体のHPもありますし、たくさん本が出ていますね。
べてるの家の非援助論』とか、『べてるの家から吹く風』とか・・・

べてるの家の「非」援助論―そのままでいいと思えるための25章 (シリーズ・ケアをひらく)


「べてるの家」から吹く風


ブログ記事としては、
アスペルガー社会人のBlog」の「べてるの家」についての記事が、とてもわかりやすいですよ。
統合失調症の方の「爆発」について、実に適切に書かれています。
(爆発⇒自責の念⇒引きこもり⇒被害妄想・不安感⇒爆発の準備行動⇒爆発、というのがあるそうです。)
http://welladjust.exblog.jp/tags/%E3%81%B9%E3%81%A6%E3%82%8B%E3%81%AE%E5%AE%B6/

2011年2月26日 (土)

立ち読み日記~『こうすれば日本も学力世界一 フィンランドから本物の教育を考える』(朝日選書)

フィンランド教育のところは興味深いかもしれませんが、
結論的な箇所にはかなり違和感がありました・・・

書店の新書コーナーを歩いていると、
こうすれば日本も学力世界一 フィンランドから本物の教育を考える』(朝日選書)
という本が目につきました。
さっそく手にとり、パラパラと読んでみました。
著者は福田誠治氏です。
2011年2月10日初版、とのこと。



フィンランドの教育はいかにすばらしいか、
対して日本の教育はいかに子供を抑圧するダメな教育か、というのが書かれているようです。
同じ著者は、『競争やめたら学力世界一―フィンランド教育の成功 』(朝日選書)という本も書いていますね。
こちらはAmazonでも17件(2月25日現在)のレビューが書かれています。



表題の本に戻りましょう。
読み進めていくうちに、なんとなく違和感を感じ始めました。
決定的だったのは、長野県伊那市の伊那小学校の実践を絶賛していることでした。
伊那小学校は、古くから総合学習に取り組んだり、通知票を廃止したりするなど、
ユニークな実践で全国的に知られているところです。
NHKのクローズアップ現代でも、6年前に取り上げられています(私はその回は観ていませんが・・・)。
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=2141
総合学習として、ヤギの飼育を通して、算数などを教えるそうです。

伊那小学校の名は、TOSS代表の向山洋一氏の著作、
教え方のプロ・向山洋一全集 78 ”教えないから分かる”向山型算数』(明治図書)
の中で初めて知りました。
「こんなヘンな学校があるんだ・・・」と絶句した、強烈に印象に残ったところです。
向山氏が、NHKでの総合的学習と基礎学力についての番組に出演した際、
TOSSの取組とバランスをとるために、伊那小学校の実践も放映されたそうです。



向山氏の著作から抜粋します。
「・・・しかし、最後は、バランスをとって長野県の伊那小の紹介。
ヤギを飼う子どもたちの様子が映された。
方針、計画に、まる2ヶ月もかけるという。
その間、教科書の勉強もしない。
そして、ヤギを飼う上で問題となったことを話し合う算数の授業。
これで学力がつくという。
何をやっているのか!と怒りが込み上げる。障害を持った子、グレーゾーンの子は、全くついていけないだろう。

(中略)私は、インターネットを活用して、伊那小の教育を調べた。
保護者は、「学力については、学校をあてにしない。塾にやっている。」という。
(中略)
長野県の教師100人に聞いた。
伊那小は「基礎学力をきちんとつけている」と証言した教師はゼロだった。
(中略)
伊那小のような教育があってもいい。しかし、それは「学力低下」をもたらすことを覚悟の上で、やることなのだと思う。
(前掲書P.54~56より引用)

私も、伊那小のような教育実践があってもいいと考えますが、
それを全国一律に適用せよ、と主張されたら、断固反対しますね。
「はいまわる経験主義」・・・
戦後の混乱期に、アメリカの経験主義教育を取り入れたものの、
低学力という批判を受けて、あえなく一時消え去ったものです。

算数・数学というものは、人類の英知の結晶であり、単なる思い付きではありません。
そういう精神遺産を、「子供の必然性」という、
いかにももっとらしいものに限定する必要があるのでしょうか?
例えて言えば、東京から福岡まで、新幹線や飛行機があるのに、
「実力がつかない」といって、わざわざ徒歩で行かせるようなものです。
大事なのは、福岡にたどり着いたという「結果」であって、
どういう手段かは、「世間」は問いませんね・・・

正当な競争も否定し、経験から学ぶ・・・
いわゆる「オルタナティブ教育」をありがたがる人たちにとっては、
「福音」なのかもしれませんが・・・
そういうような教育を、「日本の教育の未来像」として提示する、
こうすれば日本も学力世界一 フィンランドから本物の教育を考える』。
教育上のユートピア論でしかないものです。
言うなれば、シュタイナー教育を日本全国に導入せよ、というレベルと同格といえます。

同じ著者の『競争やめたら学力世界一―フィンランド教育の成功』 (朝日選書)への、
Amazonのレビューの中に、実に痛烈なものがありました。
「(見出し)しょせん朝日
(本文)書名の段階で矛盾している本というのは初めて見ました(笑)
国同士なら「競争」してもOKなんですか?

著者は、イギリスの例を出して、競走の弊害を説いているようですが・・・
自信がない日本人を揺さぶるには、格好の材料というわけですね・・・

ところで、PISAの学力テストで気づいたことがあります。
フィンランドは、PISAテストの成績がいいから、フィンランド教育を日本に導入せよ、
というのが、教育学者や教師の主張です。
しかし、2009年のPISAテストで最も素晴らしい成績だったのは、
フィンランドではなく、中国の上海です。
また、シンガポールや韓国、香港もフィンランドをしのぐ成績がありましたね。
にもかかわらず、テレビの評論家や、教育学者などは、
「上海に学べ」とか、「シンガポールや韓国、香港に学べ」とは言いませんね。
アジア蔑視、差別のようなものではないでしょうか?
「洋モノ」をありがたがる悪い癖です。
「学力世界一」を本気で目指したいなら、フィンランドではなく、
上海の教育に学ぶのが、筋ではないでしょうか?

フィンランドの教育は確かに素晴らしいとは思いますが、
全面的に日本に導入するのは無理だと思います。
(日本が本格的に「教育立国」を目指すなら別でしょうけど・・・)
それよりも、80年代ぐらいまでの日本の教育を再評価し、
基礎の徹底を図った方が、より学力向上につながるのではないでしょうか。
アジア諸国の学力向上は、実は日本のかつてのやり方を取り入れたもののようです。
もっと自国の教育に自信をもった方がいいのではないでしょうか?

私はフィンランドの教育がおかしいとか主張するつもりはまったくありません。
しかし、フィンランドの教育をダシにして、総合的学習をもっと推進せよ、とか、
競争はおかしい、というような主張に対しては、懐疑的です。

PISAテストと福田誠治氏について、興味深いブログ記事を見つけました。
wakeiさんという方が書いた、「PISAのモデルはフィンランドよりドイツ
http://wakei.at.webry.info/200905/article_4.html

核心となる箇所を引用します。
フィンランド教育の紹介者として第一人者の地位を築いた福田誠治氏は、フィンランドが競争のない教育を行い、子どもの自発的な学習を重視しているから、学力世界一になった、競争主義を導入・強化しているイギリスは低い地位に甘んじているとして、競争主義を軸とした分析をしている。もちろん、それだけの単純な見解ではないが。
 しかし、競争主義だと学力が伸びないというのは、PISAの上位の国家を見る限りは、とてもそういうことはいえない。韓国や香港など、競争的な教育の地域が上位に入っており、日本もその中に含まれる。そして、競争主義的でない国家で下位の国も少なくない。フィンランドが競争主義的ではない教育をやって一位になっているからといって、競争主義でないから学力上位だというのは、かなり無理があるといわざるをえない。

フィンランドの隣国スウェーデンや、ドイツの事について、興味深い視点の分析は、
見事だと思いました。ぜひ記事そのものをお読みください。

義務教育は、奇をてらったものよりも、読み書き計算がしっかりと身につけば、
十分ではないでしょうか。
それさえ身についていないから問題なわけです。
(かけ算ができない大学生・・・)

頭のいい人は、そうでない人のことをあまり考えていません。
大学の教育学者サン達は特にそういう傾向が強いのでは?
小学校で背伸びして大学的な授業(問題解決型)をするよりも、
小学校には小学校にふさわしい教え方というものがあるはずです。
教科書をきちんと活用する教育が、基準ではないでしょうか?

2011年2月25日 (金)

十字架のそばに(リビングプレイズ43、讃美歌495、新聖歌367)※MIDI付

今回で、通算777本目の記事です。
神様の恵みと憐れみに感謝します!

7揃いの記念すべき今回は、讃美歌のMIDIをお届けします。
十字架のそばに」(リビングプレイズ43、讃美歌495、新聖歌367)です。
タイトルは、リビングプレイズのものです。
(讃美歌495&新聖歌367は「イエスよこの身を」、聖歌396は「十字架のかげに」。
原題は「Jesus, Keep Me Near the Cross」又は短縮して「Near the Cross」です。)
ある方からの依頼により、ちょうど作っていたものです。

この讃美歌、日本語歌詞は、讃美歌・新聖歌と、聖歌、リビングプレイズそれぞれ異なります。
私が一番好きなのは、リビングプレイズの歌詞です。
2位は聖歌、3位は讃美歌・新聖歌の歌詞です。

歌詞を比較してみましょう。
なお、リビングプレイズが2番までしかないので、
それぞれ、2番までの歌詞の参照とします。
(聖歌、讃美歌、新聖歌共に歌詞は4番まであります。)

(リビングプレイズ43)
1.
十字架のそばに 近づくなら
こころをいやす 泉がある

(折り返し)
生きる かぎり 十字架こそ
私が誇る すべてのもの

2.
罪あるものも 十字架により
愛とゆるしの 恵みを知る

(折り返し)


(聖歌396)
1.
十字架の影に 泉湧きて
いかなる罪も 清め尽くす

(折り返し)
(お)らせ給え この身を主よ
十字架の影に 永久(とこしえ)まで

2.
十字架の影に 行きし時に
御神
(みかみ)の愛を 悟り得たり
(折り返し)


(讃美歌495&新聖歌367)
1.
イェスよ、この身を 行(ゆ)かせ給え
愛のしたたる 十字架さして
(折り返し)
我は誇らん ただ十字架を
(あま)つ憩いに 入るときまで
2.
十字架にすがる 弱き我は
今ぞ知りぬる 深き恵み

(折り返し)

(原詞)
1.
Jesus, keep me near the cross,
There a precious fountain,
Free to all - a healing stream,
Flows from Calvary's mountain.

(Chorus)
In the cross, in the cross,
Be my glory ever;
Till my raptured soul shall find
Rest beyond the river.

2.
Near the cross, a trembling soul,
Love and mercy found me;
There the Bright and Morning Star
Sheds its beams around me.

(Chorus)

比較してみると、聖歌が一番原詞に近いでしょうか・・・
しかし、自分にとって本当に実感できるのは、
一番現代的な、リビングプレイズの歌詞です。
生きる 限り 十字架こそ
わたしが誇る すべてのもの

使徒パウロの言葉
しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、
誇るものが決してあってはなりません。
この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。

(新約聖書 ガラテヤの信徒への手紙6:14新共同訳)を強く思い起こしますね。


原詞の作詞者、Fanny J. Crosby(1820-1915)は盲目の女性で、
そのような状況にありながら、たくさんの讃美の詩を作った人です。
その数、なんと8,000とか!
(讃美歌では、「Frances Jane (Crosby) Van Alstyne」となっています。
讃美歌で彼女の詞を探す場合は、「Van Alstyne」のところを見ることになります。)
下が彼女の写真です。

Fanny_crosby

新聖歌には、彼女の原詞によるものが、なんと24曲も採用されています。
この「十字架のそばに」は、その中でも有名なもののひとつですね。
(あと有名なものとしては、「おお御神をほめまつれ」や、
イェスは汝(なれ)を呼び給う」、
救い主イエスと」、「ああうれしわがみも」あたりでしょうか・・・)

彼女の生涯については、
大塚野百合著『賛美歌・聖歌ものがたり―疲れしこころをなぐさむる愛よ』(創元社)が、
感動的な筆致で描いています。
(賛美歌についての名著ですので、ぜひ読んでみてください。
Amazing Grace」など、有名な賛美歌の由来がたくさん書かれています。)

賛美歌・聖歌ものがたり―疲れしこころをなぐさむる愛よ

今回紹介するMIDIの伴奏、ピアノパートは基本的に新聖歌をそのまま使いました。
1箇所だけ、リビングプレイズの伴奏を採用したところがありますが・・・
電子ピアノパートの装飾音は、私の作曲です。
MIDIは2種類作りました。
歌と装飾音付のものと、ピアノ伴奏だけのものです。
MIDIは下記からダウンロード願います。もちろん無償です。

「20110225_near_the_cross.MID」をダウンロード

「20110225_near_the_cross_piano_solo.MID」をダウンロード

2011年2月24日 (木)

Ave Maria(ラテン語版)(2)【自作曲】

今回は、ラテン語の「Ave Maria」への作曲の2曲目を紹介します。
かわいらしいイメージの曲です。
前回、カトリック聖歌322番「あめのきさき」のMIDIを紹介しましたので、
ついでに、というわけで・・・
(前回の記事は以下です。)
あめのきさき(カトリック聖歌集322/621)※MIDI付」(2月23日の記事)
https://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/322621-71b4.html

メロディ(midiファイル)と楽譜(PDFファイル)とは、
下記からダウンロード願います。もちろん無償です。

「20110224_ave_maria_in_latin_no02.MID」をダウンロード

「20110224_ave_maria_in_latin_no02.pdf」をダウンロード

なお、ラテン語の「Ave Maria」への作曲の1曲目の記事は以下です。
https://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/ave-maria-f3f3.html

日本語の祈りは変わりますが、ラテン語の祈りは不変なのでしょうね・・・

ちなみに、聖母の絵で、私が一番好きなのは、ラファエロの「小椅子の聖母」です。
母親が子供を抱くという何気ない日常を、聖なる次元にまで昇華させた作品といえましょう。

20110224_raphael_seggiola

2011年2月23日 (水)

「学力」についての2つのニュース記事(2011年2月)

日本に来た中国人から見て、日本の教育はどう映るのか・・・
実に興味深い記事です。
学力低下に焦る日本、来日した中国人小学生「かつてない余裕」
(2011年2月22日 の記事(サーチナ))
http://topics.jp.msn.com/wadai/searchina/article.aspx?articleid=517218
MSNトピックスで見つけたものです。
記事の前半部分のみ引用します。全文は上記リンク先からお読みください。


中国の光明日報は19日、「西洋社会にならって、ゆとり教育を始めた日本が学力低下に焦(あせ)りを感じ始めている」と報じた。

 中国から両親と来日し、東京の公立小学校に通う11歳のウェンウェンは、これまでにない余裕を感じたと語る。国語や算数の主要教科は、中国であれば毎日最低2時間もあるが、日本では1週間に2−3時間しかないという。高学年になっても午後3時30分には終業し、宿題はどれだけ多くても30分で片づけられると語った。

 ウェンウェンの母親は授業内容が薄いうえに授業の速度も遅いため、帰国後に中国の中学校についていけるか不安を感じていると述べた。だが、不安を感じているのは中国人保護者だけでなく、日本の保護者や教師も小中学生の基礎学力の低下に不安を感じ始めている。


下線を引いたところは実に的確に、ゆとり教育の問題点を表していますね。
これでは、国際競争力はおろか、基礎学力さえ身につかない、と・・・


変わって、産経新聞の社説【主張】から。
全国学力テスト 「毎年、全員参加」に戻せ」(2月21日の記事)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110221/edc11022103050000-n1.htm

私としては、学力テストは、やはり全校参加が望ましいと考えます。
ただ、現在行われているやり方なら、毎年実施する意義は乏しいとも考えます。
都道府県とか自治体単位の成績しかわからない、公開されないなら、
巨費を投じる価値があるのでしょうか。
知りたいのは、○○小学校、××中学校の具体的な学力ではないでしょうか。
学力テストで問われるのは、児童・生徒の学力というよりは、
教師の指導力そのものだと思います。
学力テストで平均点がかなり低い学級の教師は、給料でマイナス査定されるとか、
(その一方で、平均点以上なら、ボーナスアップとか・・・)
それぐらいじゃないと、教師の尻に火はつかないかもしれませんね。

【主張】記事から引用します。

教員の資質向上は教育再生の重要なカギだ。
競争や評価を嫌う一部の主張で教育がねじ曲げられてはならない。

全く同感です・・・

脱・ゆとり教育!

萌えるニーチェ、劇薬としてのニーチェ・・・

書店の雑誌コーナーを歩いていたら、こんな本が・・・

まんがと図解でわかるニーチェ (別冊宝島)

まんがと図解でわかるニーチェ (別冊宝島) (別冊宝島 1729 スタディー)

「もしドラ」の超大ヒットと、『ニーチェの言葉』のベストセラー化で、
ついにあのニーチェまで、萌えてしまったかぁ!
わかりやすく、マンガもいっぱい入っていました・・・

しかし、ちょっと考えてみてください。
「萌え」でニーチェの凶暴な思想を売り込むワケですよ。
「ダイエットにいいよ・・・」と言って、アヤシゲなドラッグを売り込むのと大差ないのでは、
と私は思います。
ニーチェの思想は、劇薬扱いではないでしょうか。
ニーチェ本人だって、耐え切れずに、発狂してしまったほどなのですから・・・

そのうち、「萌えるマルクス」とか、「萌えるヒトラー」とか、
萌え~レーニン!」とか、「萌え萌え毛沢東」とか、
萌えよ、大東亜共栄圏!」とか、「萌えて、燃えて、サド侯爵」とか、
そういう類が出版されるのかもしれませんね・・・
売らんかなの魂胆で、なんでも「萌え」化するのは、
かなり危険な事ではないのかな、と危惧しています。

あめのきさき(カトリック聖歌集322/621)※MIDI付

あめのきさき てんのもん うみのほしとかがやきます
アヴェ アヴェ アヴェ マリア
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

(「あめのきさき」1番の歌詞)

カトリックの聖母賛歌としてよく歌われる「あめのきさき」。
カトリック聖歌集の322番(621番は2部合唱)。
なかなか親しみやすいメロディですね。
今回、ある縁で、この曲の楽譜入力をする機会がありました。
ピアノの高声部は楽譜どおり、低声部は新たに自分で作りました。
今回はMIDIの電子ピアノの音にしてみました。
楽譜上は、歌部分のパートもあるのですが(オーボエの音)、
MIDIにすると貧相な音なので、歌部分は省きました。
(MP3だと結構キレイなのですが・・・)

歌詞と、歌詞の由来については、下記のHPが詳しいので、
そちらを御覧ください。
フランス語、英語の歌詞も載っていますし、
HP作成者によるMIDI、MP3も聴くことができます。
(MP3はなかなか豪華な響きですよ。)
http://hosanna.romaaeterna.jp/hymn/seika300/sei322.html

私は、十数年前に、フランスのルルドに行ったことがあります。
ルルドの大聖堂では、キリストよりも聖母マリアがやたら大きいのには、
かなり違和感を覚えましたが・・・
ルルドの奇蹟は、泉の水で何十件か何千件かの人が癒されたことにあるのではなく
(カトリック教会で、厳密に「奇蹟」と認められたのは、百件にも満たないそうです。
あとは、何千件かの「奇蹟」申請だけ、のようです。)、
重病人であっても生き生きと、喜んで、堂々と町を歩けるところなのかな、
と思わされました。(もちろん、介助者ボランティアが大勢いるからですが・・・)
ルルドでよくこの「あめのきさき」は歌われます。

私は1990年頃、「日曜特集・新世界紀行」という番組で、
ルルドと聖ベルナデッタの特集を見て、
「確かに奇蹟というのは存在するんだ!」と確信しました。
(特に、聖ベルナデッタの腐敗しない遺体・・・)
http://www.pluto.dti.ne.jp/~yuriko/jiru/dai4.htm
今は・・・ルルドの水がなくても、奇蹟は今も起こると、その時以上に思っています。
初めに、神は天地を創造された。」(創世記1:1新共同訳)
聖書の一番最初を信じることができるなら、あとはドミノ倒し並みに、
聖書のどの奇蹟も信じることができます。
神様は今も生きて働いておられるのですから!

MIDIは下記からダウンロード願います。もちろん無償です。

「20110223_ave_maria_de_lourdes.MID」をダウンロード

2011年2月22日 (火)

NHK「名曲探偵アマデウス」・チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」

今回の「名曲探偵」は、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲でした。
四大ヴァイオリン協奏曲に入る、名曲中の名曲ですね。
ディープ内藤(高橋ひとみさん)6度目の出演・・・
最後のオチで、ブラームスの弦楽六重奏曲第1番の第2楽章が使われていました。
やっぱり、ブラームスって、失恋とか孤独のイメージなんですね。

番組では、庄司紗矢香さんのヴァイオリン独奏、
チョン・ミョンフン(ミュンフン)さん指揮東京フィルハーモニー交響楽団の演奏がありました。
特にソロパートの華麗なテクニックと、演奏法、運指などをクローズアップして、
どのように演奏しているのか、細かい解説をしていたのは、とても参考になりました。
楽譜の分析、特にカデンツァのところは興味深かったです。
また、チャイコフスキーの禁断の愛についても触れていました。
まさに、「禁断の愛」から生まれた名曲だったのですね・・・

チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、実演向きの曲ですね。
たぶん、そこそこのオーケストラがやっても、十分に楽しめる作品です。
今回の放送では、オーケストラはまぁ合格点レベルでしょう。
庄司紗矢香さんの演奏はなかなかだったと思います。
鬼気迫る表情で難所を弾き飛ばしていくところや
(ヴァイオリンがマシンガンのように見えるカンジです・・・)、
そこをクリアしたところのチャーミングな笑顔
(フィギュアスケートで3回転ジャンプが決まったかのような・・・)、
とても魅力的でした。
確かに、この曲は、かなりアクロバティックな作品ですね。

庄司紗矢香さんの実演はだいぶ前に1度聴いた事があります。
うまさは認めましたが、「天才少女」の域を出なかったかな~という印象でした。
年を重ねて、ボジョレー・ヌーボーから、少しずつ年代モノのワインへと熟成しつつあるかも・・・

我が家には、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のCDは2枚あります。
1枚目の演奏は、レーピン(ヴァイオリン)、ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管弦楽団です。

ヴァイオリン独奏のレーピンも素晴らしいですが、
オーケストラがソロに負けずに、非常に雄弁です。
「これぞロシア!」という、何度聴いても飽きない演奏です。
どちらかというとこの曲は、女性的に優美に演奏されることが多いですが、
このCDでは、実に男性的な演奏で見事に成功しています。
欲を言えば、カップリングの曲(ミヤコフスキー)を別な作品にしてほしい、ぐらいでしょうか・・・

もう1枚は、ナージャ・サレルノ=ソネンバーグ(ヴァイオリン)、
オールソップ指揮コロラド交響楽団です。

これは、オーケストラは二流なので、
ナージャのヴァイオリンを聴くためのCD、といえます。
第1楽章が終ると、拍手が沸き起こってしまいます。
(確かに熱演ですが・・・)
最近はほとんど聴いていません。

実演は、旅先のパリで、ヴィクトリア・ムローヴァのヴァイオリン、
セミョン・ビシュコフ指揮パリ管弦楽団の演奏で聴いたことがあります。
オーストリアなどを旅した後だったので、第1楽章から、
オーストリアの美しい森と湖の景色を思い出しました・・・
(本来は、マルタ・アルゲリッチのピアノ独奏による、
プロコフィエフかバルトークのピアノ協奏曲だったのですが、
アルゲリッチのキャンセルにより、急遽ヴァイオリン協奏曲に変更された、とのことでした。)

ムローヴァ盤


ところで、 今回の曲目に関係ありませんが、
庄司紗矢香さんが、面白いジャケットのCDを出しています。
ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第2番&第9番のCDです。
「エア・ギター」ならぬ「エア・ヴァイオリン」をやっていますヨ。

庄司紗矢香さんもチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のCDを出しています。
チョン・ミョンフンさんの指揮、フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団です。

詩篇117(35)【編曲】~早春賦(伴奏MIDI付)

春は名のみの 風の寒さや・・・」
早春賦」(吉丸一昌作詞、中田章作曲)の冒頭ですね。
本州では、梅が開花しているところがあるそうですね。
北海道では・・・まだまだ雪の華が満開です。
それでも、暦の上では、「立春」を過ぎたから、「春」なのですネ・・・
札幌でも、日中の気温がプラスの日が続き、
雪が溶けて、水たまりがあちこちにできています。

前置きはさておき、
忘れた頃にやってくる、詩篇117シリーズ(もうちょっとで4ヶ月ぶり・・・)。
今回は、「早春賦」の編曲版をお届けします。
テキストは、カトリック訳です。
伴奏部分は、原曲そのままです。
歌詞を変えた以外に、歌の部分も変更はありません。

今回は特別に、伴奏のみのmidiも作ってみました。
早春賦」の練習用(カラオケ)にも使えますよ。
(「・・・without song」の方です。)
メロディ(midiファイル)と楽譜(PDFファイル)とは、
下記からダウンロード願います。もちろん無償です。

御言葉を遣わされれば、それ(雪、霜、氷塊)は溶け
息を吹きかけられれば、流れる水となる。
(旧約聖書 詩編147:18新共同訳)

(伴奏付)
「20110222_psalms117allno35_sohsyunfu.MID」をダウンロード

「20110222_psalms117allno35_sohsyunfu.pdf」をダウンロード

(伴奏のみ)
「20110222_psalms117allno35_sohsyunfu_without_song.MID」をダウンロード

2011年2月21日 (月)

サンデル教授、バラエティ番組で「正義」を語る~「たけしのIQ200~世界の天才が日本を救う~」(2011年2月21日放送)

NHKの「ハーバード白熱教室」で昨年大ブレークしたマイケル・サンデル教授。
なんと民放のバラエティ番組で、「正義」を語っていました。
2月21日放送の「たけしのIQ200~世界の天才が日本を救う~」です。
私は夜7時代は別の番組(NHK)を観ていたので、途中からの視聴になります。
「嘘はどこまで許されるか」といった問いかけで、
「たけしさんの新しい映画がまったくつまらなかったとする。
あなた方は真実を言うべきか、嘘をついた方がいいか。」というような内容の質問は、
実にムズカシイ問いかけでした。
サンデル教授自身が、「嘘は言わない」という前提で、
その問いに見事に答えていました。絶妙な回答!

サンデル教授はその他にいろいろ問いを出していましたが、
たいていは、NHKの番組か、あるいは著書に書いてある内容のものと同じだったと思います。
ただ、北朝鮮スパイと拉致問題とか、日本特有の問題にアレンジはしていましたが・・・
バラエティ番組で、哲学者のカントの名前が出てくる時代になった、というのは、
ある意味、歓迎すべきことかもしれませんね・・・

日本の晩婚化に対して、ある学者が、
「25歳過ぎて独身なら、親が結婚相手を決めることにより、晩婚化・少子高齢化を改善できる」
という提案をしていました。
かなり暴論ですが、なかなか面白い意見だと思いました。
恋愛結婚よりも、お見合い結婚の方が、結婚してから10年経ったら、
幸せ率が高いとか、選択肢がいっぱいあると、かえって選べなくなる、など、
「なるほど~」と思わされました。

ちょうど、裏番組(といっても、夜7時代)のNHK「クローズアップ現代」で、
結婚したいのに… ~止まらない未婚化~」というのを放送していました。
(実はこれも、途中から視聴した番組ですが・・・
私は月曜日の夜7時~7:45は、NHK「名曲探偵アマデウス」を毎回観ているので・・・)
男女共同参画だけでは、なかなか結婚に踏み切れないのかもしれませんね・・・
25歳過ぎたら、子供は家から追い出すとか、
独立して生計を営んでいないと、選挙権を与えないとか・・・
(かなり暴論です・・・とりあえず、冗談程度に受け止めてくださいマセ・・・)
家でぬくぬくとしていたら、いつまでも、結婚したい、という気にはならないかもしれませんね。
それと、子供の教育費がかかりすぎるのも、なんとかしてほしいものです。
フィンランドみたいに、学費や教科書代はもちろん、文房具に至るまで政府が保障するとか、
そこぐらいまでやらないと、未婚・晩婚・少子高齢化の問題は、解決にほど遠いと思います。

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

NHK DVD ハーバード白熱教室 DVD BOX [DVD]

海月姫(アニメとマンガ1~6巻)

昨年の12月頃、土曜日深夜に、適当にチャンネルを回していると、
あるアニメのオープニングに、思わず「おっ!」と思わされました。
海月姫」(くらげひめ)です。
(フジテレビ系の「ノイタミナ」枠での放送は、とうに終っていましたが、
私が観たのは、BSフジでの放送です。
ちなみに、2011年2月現在、北海道での地上波放送は未定です。)

オープニングでは、いろいろな映画のパロディが出てきます。
スター・ウォーズ」、「雨に唄えば」と「メリー・ポピンズ」・・・そして「卒業
この4つだけでも、十分に私の心をつかんでしまいました。
(私がわからなかったのは・・・
セックス・アンド・ザ・シティ」と「北国の帝王」、「女賭博師シリーズ」でした。
特に「北国の帝王」は、列車の上に乗っているシーンから、
当初「エデンの東」かな、とも思いましたが・・・)
OP曲は不思議な感じです。OP映像ほど心には残りませんが・・・

BSフジでのアニメ放送は、ちょうど先日の土曜日で終了しました。
最終回は、ほとんどオリジナルの話になっていて、
原作のエピソードも出てきますが、無理やり終らせた感じが強く、ちょっと残念でした。
途中までは、ある程度原作をきちんとなぞっていたのに・・・

アニメが「海月姫」を知るきっかけでしたが、
アニメよりも、断然マンガの方が面白いです。
(アニメで原作以上、といえるのは、クラゲの映像のところぐらいかもしれません。
あと、主人公・月海役に花澤香菜さんはすごくピッタリでした。)

眼鏡を外したら実は美少女だった、というのは、マンガではよくあることですね。
(実際にそういう人に会ったことは、少なくとも一度もありませんが・・・
かえって、眼鏡をかけた方がかわいい場合が、多いかもしれません。
私の妻も、眼鏡をたまにかけますが、すごくカワイイですよ~→これ以上は、やめておきましょう・・・)

1巻から現在6巻まで出版されています。
(7巻か8巻ぐらいで、あっさり終らせてしまった方が、話としてまとまりがあっていいのでは、
とも思います。)
今年に入ってから、もう10回近く、全巻読み返しています。
特に面白いのが、3巻と6巻でしょう。
3巻での、主人公・月海は、ものすごく美少女キャラになっています。
女の子の「変身願望」をすごく満たすような内容ですね。
(ネタバレは書かないことにします。)
主人公の2人以外で特に好きなキャラは、やっぱり「まやや様」ですね。
何でも三国志ネタにしてしまうところと、変身後のギャップがたまりません。
(6巻での「変身」は思わず声をあげて驚いてしまいました・・・)
どの登場人物も、かなり「濃い」キャラばかりで、
キャラ同士のアンサンブルが楽しいです。

海月姫」では、自分の魅力に気づかず、閉じこもったヲタ女子たちが、
出会いを通して少しずつ変えられていきます。
(自分の世界を持っている、というのは、ステキなことですが・・・)
自分の魅力に気づいていない人、というのは、世の中にたくさんいますね。
そういう人たちと、マイペースで生きる人双方への応援メッセージが、
この作品には溢れていると思います。

アニメ版の監督へのインタビュー記事を見つけました。
これがオタクの生きる道!「海月姫」監督に聞く【前編】」(2011年2月19日)
http://ascii.jp/elem/000/000/589/589502/
作品の概要を知るのにてっとり早い記事だと思います。

海月姫(1) (講談社コミックスキス)

海月姫(2) (講談社コミックスキス)

海月姫(3) (講談社コミックスキス)

海月姫(4) (講談社コミックキス)

海月姫(5) (講談社コミックスキス)

海月姫(6) (講談社コミックスキス)

2011年2月20日 (日)

五重奏曲(クインテット)の名盤CD3枚~モーツァルト、ブラームス、シューベルト

最近、室内楽のCDをよく聴くようになりました。
理由はいろいろありますが、最大の要因は、音を絞って聴いても楽しめることでしょう。
今これを書きながらも、室内楽のCDをかけています。
オーケストラの曲だと、やはりボリュームを小さくすると、
聴く喜びが半減します。
(例外的に、シベリウスの交響曲などは、低音量でも楽しめますが・・・
先日シベリウスの交響曲第6番を夜中に小さいボリュームでかけてみました。
ささやくように響いてくる音が、かえってシベリウスの本質を表していました。)

最近特に好きなのは、シューベルトの「ピアノ五重奏曲『ます』」と、
モーツァルトとベートーヴェンの「ピアノと管楽のための五重奏曲」です。
CDは、どちらもアルフレッド・ブレンデルのピアノです。

シューベルトのこの作品は、とても楽しく、演奏もこれ以上望めないほど、
愉悦感に満ちています。
第4楽章が歌曲「ます」の主題を使った変奏曲になっています。
ここだけではなく、第1楽章からステキなメロディの連続です。
ホームパーティーに招かれたような気分、とでもいいましょうか・・・

モーツァルトの「ピアノと管楽のための五重奏曲 K.452」は、隠れた名曲です。
モーツァルトの室内楽では、「クラリネット五重奏曲 K.581」(後述)と並んで、
最も好きな曲です。
モーツァルト自身、初演した際の父親宛の手紙で、
「この曲はぼくがこれまでに作曲した最高の作品だと思います。」と書いているほどです。
ピアノとオーボエ、クラリネット、ホルン、バスーンといった、ちょっと変わった楽器構成です。
ブレンデルがピアノを弾いているCDは、ホリガー(オーボエ)他名手揃いで、
やわらかな響きに包まれて、夢のような時間を過ごせます。
カップリングの、ベートーヴェンによる同じ楽器編成の曲も、
知名度が低い作品ですが、楽しく聴くことができます。

ブレンデルのピアノは、どちらかというと気難しい・理屈っぽい感じがして、
私はそれほど好きではありませんが、
上記の2枚のCDでは、そういう面が目立たず、楽しげでありながら芯がある名演となっています。

ここ最近はちょっと聴く機会が減っていますが、
モーツァルトとブラームスのクラリネット五重奏曲をカップリングしたCDも大好きです。
家にあるのは、
ペーター・シュミードル(クラリネット)と、ウィーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団によるCDです。
プラッツというレーベルです。
ただこれは、CDショップでは入手が難しいかもしれません。

容易に手にいれるとしたら、
アルフレート・プリンツ(クラリネット)と、ウィーン室内合奏団のCDあたりがおすすめです。
(はじめて買ったのがこの演奏CDです。今は手元にありませんが・・・)


モーツァルトのクラリネット五重奏曲は、室内楽の入門曲として真っ先に挙げたい曲です。
これぐらいわかりやすく、楽しく、美しい曲は、他にないのでは?
余計なコメントが不要なほど、ステキな曲です。
あまり演奏家を選ばなくても、十分楽しめるでしょう。

ブラームスのクラリネット五重奏曲は、10代、20代のときにはただ暗いとしか感じず、
価値がわかりませんでしたが(好きではありませんでした)、
ここ数年になって、よくわかるようになりました。
11月の孤独と憂愁・・・
秋によく聴くCDです。
枯葉が舞い落ちる風景か、あるいは枯れ木の並木道が見えてきそうな曲です。

五重奏曲では、他にブラームス、フォーレ、ショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲もおすすめですが、
またの機会に・・・
弦楽五重奏曲は・・・今のところ、好きな曲はありません。
(弦楽四重奏曲、弦楽五重奏曲ともに、「モノトーン」な感じがして、
最近ではほとんど聴いていません。)
弦楽四重奏という同質な響きに、ピアノやクラリネットという異質な響きが入ることによって、
あたかも小さな協奏曲のような、豊かな世界が展開できます。

2011年2月19日 (土)

大学の価値のインフレ化を感じさせる記事2つ

底辺大学生 九九できない・アルファベットわからない」という記事には唖然としました。
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_university2__20110218_2/story/postseven_12738/
10年前は、「分数ができない大学生」が学力低下の象徴として話題になりましたが、
今や、「九九ができない大学生」ですか・・・
5年後には、「ひらがなが書けない大学生」とか出てくるのかもしれませんね・・・
(この記事自体については、先日私は夜間中学についての記事で引用していますので、ここまで・・・)
https://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/nhk-2011215-e4a.html

同じ雑誌(週刊ポスト2011年2月25号)には、もう一つ、大学の記事が。
少子化で必死 キャンパス見学しただけで合格通知出す大学も
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_university2__20110218_2/story/postseven_12849/
AO入試の濫用を告発している記事です。
多くの大学は授業やキャンパスを高校生に公開する「オープンカレッジ」を行ない、入学生を増やそうと取り組んでいる。ある学校では、見学に来た高校生に名前や趣味、部活などを書き込む「履歴書」を提出させるという。

 そして、なんとその場で「AO入試を行なった」として合格通知を渡すというのだ。こんなことを繰り返していれば、学力低下が解決するはずがない。そもそも学ぶ意欲のない者を大学に入れていることが間違いなのだ。
(記事から引用)
大学」の名が泣いているのでは?
(「おなまえ」だけなら、幼稚園児でも書けますね。)
それだから、「九九ができない大学生」でも「いらっしゃ~い!」となるのでしょうね。

日本では、大学が増えすぎたのと、
せっかく大学に入学しても、
就職準備のための仮の宿、的な存在になっており、
大学の価値が著しく下がっていますね。
上記記事の下線を引いた箇所、
そもそも学ぶ意欲のない者を大学に入れていることが間違いなのだ。」は、
まったく同感です。

むしろ、本当に、学問を究めたい、と思う人のため「大学」と、
職業訓練要素を多く含む、「職業大学」に分けた方が、
大学の価値のインフレ化を防ぐことができるのでは、と考えます。
高い学費を払って、4年間のうち実質2年間しか勉強せず、
あとは就職活動・・・
他国からの留学生から見ても、日本の大学のあり方はおかしいと感じるはずです。
大学は就職斡旋機関(ハローワークみたいなもの)ではなく、
日本の最高学府」としての機能をきちんとはたしてほしいものです。

立ち読み日記~『なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか』(祥伝社新書226)

この本は、民放テレビ局や新聞では、まず取り上げられないはずです。
民放テレビ局の有力な収入源である、パチンコのCM。
ギャンブルであり、極めて依存性が高いにも関わらず、
堂々とCMが流されている自体、実は異常なことではないでしょうか?
今回紹介します、『なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか』(祥伝社新書)は、
お隣の国韓国でのパチンコ全廃が日本では報じられなかったことと、
韓国での全廃までの取組、
及び日本でのパチンコ業界と政治や警察との癒着関係について論じています。
かねてから、精神科医の和田秀樹氏や、
水谷潔牧師(後述)がブログで言及していた本だったので、
立ち読みする価値がありました。
昨年の12月に出版されて、今年の1月時点(手に取った本)では、7刷でした。
相当読まれているということですね。


Amazonの本紹介ページから、内容を引用します。


パチンコによる被害が叫ばれて久しい。依存症でサラ金、闇金の借金まみれになった末に家庭崩壊、自殺という例は跡を絶たず、炎暑下の赤ちゃん車中置き去り死亡事故も相変わらずである。著者は長年、パチンコ依存症の問題を取材してきたが、2006年暮れ、たまたま旅行した韓国で、パチンコが全廃され、すべての店舗が姿を消しているのを目にした。ところが驚いたことは、日本に帰ってきて新聞雑誌をみても、そのことを報じている新聞は皆無で、そのことを知っている識者も誰もいなかったことである。
日本では、政界、警察、広告、メディアがパチンコ業界と癒着して、抜き差しならない関係になっていることは、およそ薄々知られているが、それならなぜ、韓国ではそれが全廃できたのか、日本と韓国とでは、何が違って何が共通していたのか、ますます疑問を深めた著者は、再び韓国に渡り、事情を取材して歩いた。
本書は、そんな韓国のパチンコ事情の報告に加えて、日本におけるパチンコを取り巻く種々の問題点を取り上げ、パチンコ廃止の必要性を世に訴える。


立ち読みした範囲で、印象的だったところは・・・
子供手当が、パチンコ手当になっている・・・」という一文。
実際、子供手当に限らず、
生活保護の給付金さえ、パチンコ代になっていることはザラだそうです。

道内の地方都市に行くと、マチはさびれていく一方なのに、
パチンコは大繁盛しているところが多いように思います。
正月早々から、パチンコ店の駐車場が満車状態・・・
まるで、マチの活気を根こそぎ吸い取っていくような存在です。

パチンコは、現代のアヘンではないでしょうか?
かつての清朝時代の中国でアヘンがはびこっていた結果、アヘン戦争が起き、
中国は列強によって植民地化されていきました。
現代の政界情勢からすれば、日本周辺でアヘン戦争のようなものは起こらないとしても、
国民の多く(特に低所得層)が、パチンコに蝕まれていることと、
パチンコのカネが、いつのまにか北朝鮮のミサイルになっていたり、
暴力団とか政治家の裏資金になっていたりするのは、由々しき事態ではないでしょうか。
マスゴミがパチンコ業界の資金でウハウハ喜んでいるうちに、
パチンコ依存症者は増えるばかり・・・
生活保護や子供手当があっても、パチンコ業界に吸収されていくだけ・・・
日本を内側から崩壊させていくガン細胞のようなものかもしれません。
パチンコ店が日本全国いたるところにある状況は、国の恥と考えるべきではないでしょうか。

本書の著者の勇気ある訴えには感銘を受けます。
パチンコ問題を考えてみたいなら、良書だと思います。
水谷潔牧師のブログ記事「キリスト者として考えるパチンコ問題(1)」もぜひお読みください。
2011年2月4日の記事です。
(「小さないのちを守る会」のサイトから入っていただきたいのですが、
今回は直リンク先にします。)
http://blog.chiisana.org/?day=20110204

本自体の「買いたい度」は☆☆☆(5段階評価)とします。

(追記)
下記リンクからこの記事にたどりつく人がいくらかいました。
民主党応援室」~「民主党は日韓友好の庶民の娯楽、パチンコを守ります!
http://www12.atwiki.jp/yuai/pages/15.html
(ホントに民主党を応援しているのか、皮肉で言っているのか、いまいち判断がつかないサイトです。)
勝手に自動検索され、記事内にリンク先がアップロードされる仕組のようです。
もしこれが事実なら、いっそう民主党がキライになりますね・・・
民主党は、日本の政党をやめて、韓国の政党になった方がマシではないのですか?

2011年2月18日 (金)

立ち読み日記~『怒らない技術』(フォレスト2545新書)

大きな書店の入り口近くに、「40万部のベストセラー!」というキャッチコピー・・・
ピンク色の表紙は、「何だろう?」と思わせる、インパクトの強さがあります。
嶋津良智氏の『怒らない技術』(フォレスト2545新書) です。

怒らない技術 (フォレスト2545新書)

手にとった本の版数を見ると
(私は内容概略はもちろんのこと、版数と著者略歴は必ず目を通します。)、
昨年の7月に初版、12月(今年1月だったかも?)で40刷という大ベストセラーです。

冒頭を読み進めると、「なるほど~」と思わされたところがありました。
人生を、ゴルフにたとえているところです。
バンカーや池ポチャ、邪魔な木の枝があったり、
うまくパットが決まらなかったり・・・
それらの障害すべてが、ゴルフの醍醐味といえます。
ただ単に、球を穴に入れるだけなら、そもそもゴルフなんてやらなくていいわけですよね。
著者はゴルフと共に、ボウリングの例も挙げていました。
もしボウリングが、ただピンを倒すだけなら、ちっとも面白くない。
距離があって、ガーターがあったり、狙ったとおりにピンが倒れてくれないからこそ、
ボウリングは面白い、夢中になる・・・
人生も、うまくいかないのが当たり前なのだ・・・
むしろ、困難やうまくいかない事があるからこそ、人生は楽しいのだ・・・

本の後半では、「怒り・イライラと無縁になる25の習慣」というのが載っていましたが、
詳しくは読んでいません。
なかなかよさそうかな、と思いましたが、
新書で945円はちと高いですね~
(700円ぐらいなら、即、買ってしまったかも・・・)

Amazonではかなり酷評されているようです。
(Amazonの酷評は、読むに価しないクズが多いですが・・・)
楽天ブックスでは、購入者によるレビューですので、おおむね高評価です。

ところでこの本、もともとは、
雨がふってもよろこぼう!~人生が良い方向に向かう!心を鍛える25の習慣~ 』(フォレスト出版)
という本でした。

雨がふってもよろこぼう!~人生が良い方向に向かう!心を鍛える25の習慣~

こちらのタイトルでは、さほど話題にならなかったようです。
(なお、Amazonでレビューを読むならば、『雨が降っても・・・』の方が、
好意的なものが多いですよ。☆一つのは無視して結構だと思います。)

怒らない技術』という題にしてみたら、
多くの人が飛びついてきた・・・というわけみたいですね。出版社の戦略勝ち!
(別な本『怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉』と似たようなタイトルになりますね。
こちらも結構売れているようです。書店でたくさん平積みされていました。)

怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)

それほど、社会には、イライラ、不平不満を持っている人が多いのでしょうか。
私も・・・何か惹かれるものがあったのかもしれません。(;д;)
よって、「買いたい度」は☆☆☆☆(5段階評価)とします。

2011年2月17日 (木)

実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました(テトス2:14、11)【自作曲】

キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、
わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、
良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。

実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。
(新約聖書 テトスへの手紙2:14、11新共同訳)

今回は、新約聖書の「テトスへの手紙」からの作曲を紹介します。
テキストは、上記のとおりです。
今のところ、私の作品では「テトスへの手紙」への唯一の作曲です。
少し陰りがちなロ長調の曲です。

「テトスの手紙」は、使徒パウロの書簡の一つですが、
同じ使徒の「ローマ人への手紙」や「ガラテヤ人への手紙」などと比べると、
実に地味な書です。
しかし、キリストと共に歩む新しいライフスタイルを証する、という点では、
使徒パウロの他の書にひけをとりません。
わたしたち自身もかつては、無分別で、不従順で、道に迷い、種々の情欲と快楽のとりことなり、悪意とねたみを抱いて暮らし、忌み嫌われ、憎み合っていたのです。しかし、わたしたちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛とが現れたときに、神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。
(新約聖書 テトスへの手紙3:3~5新共同訳)
私も神様が与えてくださったライフスタイルに基づいて生きたいと願っています。

メロディ(midiファイル)と楽譜(PDFファイル)とは、
下記からダウンロード願います。もちろん無償です。

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2011年2月16日 (水)

神のなされることは皆その時にかなって美しい(伝道の書3:11)【自作曲】

今回は、
旧約聖書・伝道の書(コヘレトの言葉・伝道者の書)からの作曲を紹介します。
テキストは、以下のとおりです。
神のなされることは皆その時にかなって美しい。
神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。

(旧約聖書 伝道の書3:11口語訳)

以前、同じ聖書箇所の新共同訳への作曲を紹介しています。
https://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-370b.html
その曲は短調で、少し無常観が混じっていますが、
今回紹介する曲は、どちらかというと楽天的・全肯定的な感じがします。

伝道の書」は訳によってタイトルの呼称が異なります。
新共同訳は「コヘレトの言葉」、
口語訳は「伝道の書」、
新改訳は「伝道者の書」、
バルバロ訳は「コヘレットの書」。
いずれもタイトルが異なりますので、
以下、新共同訳の呼称「コヘレトの言葉」を使います。
「コヘレト」とは、どういう意味なのでしょう?
従来の訳で用いられた、「伝道者」という意味でしょうか?
(wikiを参照すると、そう書いてありますが・・・)
しかし実際には、「集会で話す人」の方が、より原語に近いそうです。

バルバロ訳にある「コヘレットの書解説」冒頭から引用します。
「 旧約聖書の本は数多いが、特にこのコヘレットの書は、異彩を放っている。この作者は、みずから「コヘレット」と名乗っている。この名は、ヘブライ語の「カハル」という動詞から出ている。カハルとは「人を集める」の意味である。
  ギリシア語では、このコヘレットを「エックレジアステス」と訳している。このことばは「集会で話す人」の意味なので、日本語でも「伝道の書」といわれるようになったのだろう。しかし、ヘブライ語のコヘレットの意味からすれば、「伝道の書」というよりは、「司会の書」という方が近いように思われる。

(バルバロ訳聖書 P.1086から引用)
新共同訳では、あえて「コヘレト」を訳さずに、そのまま使っていますね。

「コヘレトの言葉」は、旧約聖書でもかなり異質な書です。
勧善懲悪的な内容が多い旧約聖書の中で、きわめてリアリズムに満ちた内容です。
私にとっては、実は旧約聖書で初めて読んだのが、「コヘレトの言葉」でした。
高校生の時、スタインベックの『怒りのぶどう』という小説を読みました。
その中に出てくる、「ジム・ケイシー」という説教者が、
会話の中でひんぱんに「コヘレトの言葉」から引用をします。
「旧約聖書をぜひ読んでみたい!」という気を起こさせた作品でした。
伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。
日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。

(伝道の書1:2~3口語訳)
まるで「方丈記」の冒頭のような、東洋的無常観にあふれた智恵の言葉が、
私を魅了しました。
(ちなみに、最初に買った聖書は、口語訳でした。
しかしあまりに訳文がつまらなく、出エジプト記あたりで挫折しました・・・
新共同訳と新改訳その他の訳は相当な回数通読を重ねていますが、
口語訳だけは、いまだに1回も通読していません。参照にとどめる程度です。)

この地上には空しいことが起こる。
善人でありながら
悪人の業の報いを受ける者があり
悪人でありながら
善人の業の報いを受ける者がある。
これまた空しいと、わたしは言う。

(コヘレトの言葉8:14新共同訳)
太陽の下に起こるすべてのことの中で最も悪いのは、
だれにでも同じひとつのことが臨むこと、
その上、生きている間、人の心は悪に満ち、
思いは狂っていて、その後は死ぬだけだということ。

(コヘレトの言葉9:3新共同訳)
善人は祝福され、悪人は裁きを受ける、という旧約の宗教観に対して、
聖書自身が、アンチテーゼを主張しているのが興味深いですね。
「コヘレト」のように、人生を斜めに見る存在を、正典に編入したのが、
ユダヤ人の卓見である、ともいえましょう。

曲の紹介に移りましょう。
ニ長調のおだやかな曲です。
人生の甘さ苦さを味わった上で、それでもなお、人生を肯定せずにはいられない・・・
そんな気持ちが含まれているような曲です。
メロディ(midiファイル)と楽譜(PDFファイル)とは、
下記からダウンロード願います。もちろん無償です。

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今回、「コヘレトの言葉」を元に旧約聖書の全体像を見渡すことができる、
旧約聖書の世界』(池田裕著。岩波現代文庫)を紹介しようと思ったのですが、
どうやら絶版のようです・・・
図書館や古本屋で見つけたら、ぜひ読んでみてください。

日本聖書協会では、旧約聖書の「箴言」と「コヘレトの言葉」だけを収めた、
ユダヤ人の知恵―成功への道』という読みやすい本を出版しています。
聖書そのものを読む、入門書としてすぐれています。
各ページにソロモンやユダヤ文化についての豆知識がついています。

【送料無料】ユダヤ人の知恵

スタインベックの小説『怒りのぶどう』も紹介しておきます。
ジョン・フォード監督により映画化もされていますね。
(私はまだ観たことがありませんが・・・)

怒りのぶどう 上 (岩波文庫 赤 327-1)

怒りのぶどう 中 (岩波文庫 赤 327-2)

怒りのぶどう 下 (岩波文庫 赤 327-3)

2011年2月15日 (火)

NHK・クローズアップ現代「学ぶことは、生きること  ~夜間中学の現場から~」(2011年2月15放送)

山田洋次監督の名作映画『学校』を25分に短縮したような、
心動かされる内容でした。
2月15日放送のNHK・クローズアップ現代では、
学ぶことは、生きること ~夜間中学の現場から~」という題で、
存続の危機に瀕する夜間中学の現状を扱っていました。
番組HPから、放送内容を転載します。


「夜間中学」で繰り広げられる涙と感動の物語を描いた映画『学校』。西田敏行が演じた教師役のモデルになった松崎運之助先生が、『学校』を書いてから30年を迎える今年、全国の夜間中学を巡り、そこで学ぶ人たちの姿を本にまとめる取り組みを始めている。きっかけは、夜間中学をめぐる大きな動き。今、自治体の財源不足などから給食費など補助の打ち切りや削減が行われ始め、通えなくなる人が出てきている。その一方で、映画をきっかけに全国各地で立ち上がった自主夜間中学に、イジメで不登校になる中学生や、卒業証書はあるものの学びたいと願う人々など、公の夜間中学には入ることができなかった人々が集まってきているのだ。義務教育の就学率100%とされる日本で、そこからこぼれ落ちた人々と支える教師たちの学舎に密着。今改めて、「学びとは何か」を考える。


番組の中で、タイトルにあるとおり、
学ぶことは、生きること」というすばらしいコメントが出てきます。
86歳になって、ようやく字の読み書きができるようになったある高齢者の方。
貧困や戦争などで、学ぶ機会が失われたままの高齢者は万単位でいるそうです。
一方、いじめや不登校などで、学ぶ権利が失われたまま、
「一応」中学の卒業証書はもらったけれども、実質は全然学んでいない人も、
10万人以上いるそうです。

映画『学校』で西田敏行さんが演じた教師のモデルの一人である、
松崎運之助先生の現在についてもふれていました。
また、民間の夜間中学(そういうものがある、というのを初めて知りました。)の取組も、
大変興味深かったです。
最初の20分間の映像にはとても感動しました。
最後の約5分間、今回の話題をコメントするに一番ふさわしい方が出演しました。
山田洋次監督です。
学びたい、という意欲を持っている限り、国は学ぶ権利を保障すべきだ、
と、夜間中学の存続を訴えていました。
また、現在の義務教育のあり方にも疑問を投じていました。
中学校に不登校でほとんど登校していなくても、卒業証書が手渡される不思議・・・
直接言及されてはいませんでしたが、
義務教育も高校や大学と同様に、単位履修制にした方がいい、との考えなのでしょう。
私もそう思います。

今回の放送内容から少し脱線しますが、
こういう記事を見つけました。
10年ほど前、「分数のできない大学生」というのが問題になり、
学力低下論争が繰り広げられましたね。
今や・・・「底辺大学生 九九できない・アルファベットわからない」とのこと・・・
(※週刊ポスト2011年2月25号
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/postseven-20110215-12738/1.htm
正直なところ、この記事、デタラメであってほしいと願うばかりです。
でも、もし本当だとすれば、本人にとっても、社会にとっても、国の未来にとっても、
大きな損失ではないでしょうか?
「新卒氷河期」とも言われる今、就職できないのは企業のせいにされることも多いです。
しかし、人事採用担当者の立場なら、少なくとも九九ができないような学生は、
採用したくないでしょう。
そういう人が大学にいる、という自体、大学の価値を下げてしまうものなのでしょうね・・・

その一方、学びたいと切実な思いを抱いて、夜間中学に通う人もいるわけです。
いずれにせよ、いつからでも学びなおすことができる、生涯教育を推進する必要がありますね。
夜間中学は細々とでもいいですから、ぜひ存続してほしいと思いました。

山田洋次監督の『学校』シリーズ、以前NHKBS2で放送されていたのを観ました。
大変心を揺さぶられた映画です。
特に第1作は非常な傑作です。『学校Ⅱ』にも大変感動しました。
機会があれば、『学校』シリーズについて、改めて記事を書いてみたいと願っています。

学校 [DVD]

なお、『学校Ⅱ』、『学校Ⅲ』、『十五才 学校IV』は、現在単独では廃盤らしいです。
学校』シリーズ四部作をセットにしたものが現在入手可能なようです。
山田洋次監督 名作選III (4枚組) [DVD]
※『十五才 学校IV』だけは、観るのを途中でやめてしまいました。
あまり主人公に共感できなかったかな・・・

NHK「名曲探偵アマデウス」・ブラームス「クラリネット・ソナタ第1番」

今回の「名曲探偵」は、ブラームスのクラリネット・ソナタ第1番でした。
ずいぶんとシブイ選曲だな~と思いました。
ブラームスの室内楽なら、3曲のヴァイオリン・ソナタや、
クラリネット五重奏曲という傑作があります。
それらをさておいて、クラリネット・ソナタ第1番ですか~・・・
コアなブラームスファンなら当然知っている作品ですが、
一般的には知名度が低く、地味なこの作品を取り上げ、
スコア分析を多く取り入れながら、多彩な魅力を紹介していました。
私もようやくこの作品の魅力に気づきました。

今回のゲスト出演は宮崎美子さん。
一応、役名があるのですが、半ば本人ネタという感じでした。
華がありながらも、控えめで、ちょうど良い感じに、
ブラームスの曲の魅力の引き立て役となっていました。
最後のオチで、「今の君は、ピカピカに光って・・・」が出てきます。
(懐かしい・・・)

スコア分析から、ブラームスの40年にわたるクララ・シューマンへの恋慕の情、
その他を解き明かしたのは、見ごたえがありました。
クラリネット・ソナタのピアノを弾いていた野平一郎さんの演奏は、
さながらブラームスが弾いているかのような印象でした。
(外見と、演奏の繊細さと・・・)

放送後に、我が家にある、ブラームスのクラリネット・ソナタ(全2曲)のCDを聴いてみました。
実は、クラリネット・ソナタ第1番は、あまり好きな曲ではありませんでした。
枯れて、暗~い感じ(第4楽章を除く)・・・
季節で言えば、11月のようです。
「人生はなんて寂しいんだ・・・」というつぶやきが聴こえてきそうです。

我が家にあるCDは、Gervase de Peyerのクラリネットと、
ダニエル・バレンボイムのピアノによるEMI盤です(現在廃盤のようです。)。
これが名盤だから、というワケで購入したものではなく、
たまたま安かったので買っただけ、というシロモノです(たしか700円ぐらい?)。
このCDでは、クラリネット・ソナタ第2番しか聴いていませんでした。

改めて聴き直してみると・・・
このCDの演奏よりは、「名曲探偵」で部分的に聴いた演奏の方が、
深みがあると思います。かなりがっかり・・・
私は枯淡の境地にある第1番よりは、
縁側でひなたぼっこしているようなイメージの第2番の方が好きです。
なお、クラリネット・ソナタ2曲とも、
作曲者自身による、ヴィオラ・ソナタ編曲版があります。

ブラームスのクラリネット・ソナタのCDで名盤といえば、
古くはレオポルド・ウラッハのモノラル盤が有名ですね。

現役盤は、かなり少ないようで、選択の余地があまりないのが残念です。
手に入れやすそうなのを1枚紹介するならば・・・
DGのカール・ライスター(クラリネット)による盤でしょうかね・・・
私は購入したことはありませんが、試聴した限りにおいて、
なかなかの演奏だと思います。
ジャケットの顔が少々コワイのが玉に瑕、かも・・・
(2月20日追記)後日、CDを入手しました。
とても素晴らしい演奏ですよ。

クラリネット・ソナタを編曲したヴィオラ・ソナタも、CDが少ないです。
現役盤で、容易に入手できそうで、たぶんおすすめできそうなのは、
スーク(ヴィオラ)&パネンカ(ピアノ)の盤でしょう。
なお、こちらも試聴しかしていませんが、なかなかの演奏かと思いま
(2月20日追記)
このCDも、上記CDと合わせて入手しました。
クラリネットの優雅さに負けない、すばらしい魅力があります。


(2月15日追記)
この記事を書いた後、参考のため、
札幌市の中心部にある2つのCDショップへ行ってみました。
タワーレコードでは、クラリネット・ソナタは全滅・・・1枚もありませんでした。
かろうじて、ヴィオラ・ソナタは3種類ありました。
もう一つの玉光堂では、クラリネット・ソナタがようやく1種類ありましたけど・・・
渋すぎて、人気なさすぎなのでしょうかね~(u_u。)

2011年2月14日 (月)

おすすめWEB記事~【解答乱麻】TOSS代表・向山洋一 小学6年「龍馬君」の訴え(2011年2月12日)

今回は、教育ニュース記事の紹介です。
その前に・・・
ひとつ、たとえ話をしてみましょう。


新しくパソコンを購入したとします。
あなたは今までパソコンに触ったこともないとします。
どうやって使えばいいのかよくわかりませんから、
説明書を読んでみることにしました。
すると・・・
自分で考えなさい」としか書かれていませんでした・・・
メーカーに問い合わせると、「どうしてわからないの?」と怒られてしまいました。
どうすればいいのでしょうか?・・・
使い方がわからないから、仕方なく、パソコン塾に通うことにしました・・・
「オレは、頭ワルイから、パソコンも使えないんだろう・・・」


実際には、こんな事は起きるはずはありませんね。
(私の作り話です。)
クレームが殺到し、そのメーカーは倒産してしまうでしょう。
しかし、教育現場はどうでしょうか?
基礎・基本をきちんと定着すべき小学校教育において、
教師が「自分で考えなさい」としか指導しないとしたら?・・・
今回紹介します、TOSS代表・向山洋一氏の文章を読んで、
ユーザー(子供たち)の側に立つわかりやすい教育、というのを強く思わされました。
MSN産経ニュース2月12日の記事、
TOSS代表・向山洋一 小学6年「龍馬君」の訴え」です。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110212/edc11021208100001-n1.htm

クラスの中に1~2割程度はいると思われる発達障がいの子たちにとって、
抽象的な指示や、「自分で考えなさい」、
どう感じましたか?」というのは、
非常にイライラすることのようです。
ほしいのは、具体的なやり方、見本です。

従来の教育論議・授業論議は、子供の側に立ったものではなく、
オトナの机上の空論・理想論に基づいたものが多かったと思います。
「教えるのは詰め込み教育だ」とか、「子供の自発性」とか、「子供の輝く瞳」とか・・・
できるオトナが、理想論でモノを言っているだけのような気がします。
私がたびたび批判記事を書いている、算数の問題解決型授業はその最たるものです。
(すごく優秀な子達ばかりのクラスなら、それなりに成果をあげるのかもしれませんが・・・)
発達障がいの子をいっそう算数嫌いにし、基礎・基本の定着を妨げるものです。
ユーザー(子供達)が知識・技術を使いこなせるように教えるのが、
義務教育の存在意義ではないでしょうか?
その子の頭がワルイからできないのではなく、
きちんとやり方を示さないから、知識が定着せず、応用もできなくなるのです。

記事の中で特に心に残ったところを引用します。

小中学校の「授業」の基本は「教えて」「ほめる」ことなのである。
 「教えて」「ほめる」授業なら、1時間の授業でいっぱい「ほめる」授業なら、どの子も育っていく。
 算数の市販テストのクラス平均が90点以上に、どのクラスもできる。
 算数テストが5点、10点の子が、90点、100点をとった例も何百、何千とある。
 ところが「教えない」で「叱る」授業がある。「自分で考えなさい」と教えないで、「どうしてできないの」と叱るのである。
 教科書を使わない算数の授業が全国にはびこっている。
 2割はいる「発達障害」「境界知能」の子供たちは、「分からなくて」「怒鳴られて」反乱していくのである。怒鳴る教師は、子供の心を破壊しているのである。
 ある県の知事は、700人もの職員の前で、龍馬君のような子供の訴えを受けとめてほしいと指示した。
 多くの学校で、発達障害の子への理解、対応の勉強がされている。
 立派に自立していける子供を、「学校の名において」スポイルしている現状を糺(ただ)していかねばと思う。

ちなみに、記事で紹介されている、「小学6年「龍馬君」の訴え」は、
TOSSのサイトで「発達障がい児本人の訴え1・2巻セット」として販売されています。
私も機会があればぜひ読んでみたいと考えています。
http://www.tiotoss.jp/products/detail.php?product_id=191
向山洋一氏のビデオメッセージもあります。
内容はおおむねMSN産経ニュースのものと同じですが、
肉声で聴くと、説得力が違いますね。
6分ほどの動画です。観る価値が大いにありますよ。

Each day is Valentine’s day~バレンタインデーに寄せて

My Funny Valentine」という歌をご存知ですか?
いろいろなミュージシャン達がこの曲をカバーしています。
私は高校の時に、フランク・シナトラの渋~い声でこの曲をよく聴いていました。
なかなかステキなメロディと歌詞です。
高校生の時は、英語の歌詞を覚えるのが精一杯で、
歌詞の内容までは考えたことがありませんでした。
歌詞の最後に出てくる「Each day is Valentine’s day」という箇所が印象的でした。

Each day is Valentine’s day」・・・実にすばらしい言葉ですね。
実は我が家では、バレンタインデーにはこれといった行事はしません。
1年に1回、盛大に「愛しているよ(わ)!」と言われるよりも、
毎日、セレモニーはないけれどささやかに、「愛しているよ(わ)・・・」と言われた方が、
よほど幸せではないでしょうか。
朝ごとにバレンタインデーを迎えたほうが、すばらしいではありませんか。

余談ですが、クリスマスも同様に、我が家では盛大にお祝いはしません。
信じる者にとっては、毎日がクリスマスであり、イースター(復活祭)のようなものですから・・・
(実際、クリスマスイブの夜に、教会に行くだけでも精一杯ですし、それで十分でしょう。)
なお、聖バレンタインの記念日、というのは、カトリックでは現在祝われていないようです。
(女子パウロ会のサイト「Laudate」内の、
聖人カレンダー」には取り上げられていますが・・・)

日本では、すっかり、
女性が男性にチョコを贈る日になってしまいましたが(韓国でも同様とのこと)、
あるサイトには次のように書いてありました。
現在、ほとんどの欧米諸国ではバレンタインデーは、男性か女性かに関係なく、
恋人や親しい相手にプレゼントをする日となっています。

フランスやスペイン、イタリア等の南欧では、告白の日ではなく、
すでに仲のよい恋人や夫婦のための記念日となっています。
恋人同士でプレゼントをしたり食事に出かけたりして楽しむことが一般的です。
最近のイタリアでは、結婚を誓った恋人たちが婚約を発表する日に選ばれることが増えているようです。
愛を確かめあう日、という意識が強いようですね。

(引用は「St. Valentine’s Day(バレンタインデー)の世界各国の楽しみ方」から。
DiLA」という東京の語学スクールのサイト内記事です。)

ところで、今回この記事を書くにあたって、
改めて、「My Funny Valentine」について調べてみました。
フランク・シナトラの歌だとばかり思っていましたが、実際は、他の歌手も歌っていること、
歌詞をきちんと訳すると、とてもすばらしい歌であることがわかりました。

歌詞の訳がいくつかありましたが、一番よい和訳だと思ったものを紹介しましょう。
ジャズボーカリストの「若生りえ」さんという方の記事です。
MY FUNNY VALENTINE ~マイ・ファニー・ヴァレンタイン~」(2010年1月19日の記事)
http://blog.goo.ne.jp/wakorie/e/cf08c6f29e1514fb595b7aa87a49717f
記事の一番最後の方に、和訳が出ています。

タイトルの「My Funny Valentine」の「Valentine」は、
バレンタインデーのことではなく、恋人の名前だったのですね。
(そういえば、千葉ロッテに、以前「バレンタイン監督」がいましたね・・・)
(記事から引用)
そうです。これは「ヴァレンタイン」という恋人の名前と、
「ヴァレンタイン・ディ」にひっかけて詞が書かれているんです。

和訳を読んで、とても感動しました。
その一部だけ引用します。
全文は、上記リンク先からお読みください。

(英詞)
My funny Valentine
Sweet comic Valentine
You make me smile with my heart
Your looks are laughable
Unphotograghable
Yet, you’re my favorite work of art

・・・

Stay little Valentine, stay!!
Each day is Valentine’s day

(和訳)
私のおかしな恋人、ヴァレンタイン
すぐに私を笑わせてくれる、愛しいヴァレンタイン
あなたはどんな時も、心から笑顔にしてくれる
ハンサムというよりはファニーフェイスだし
とても写真向きとはいえない風貌だけど
私にとっては、あなたは
最高にお気に入りの芸術作品なのよ

(その後のところもすばらしいのですが、あえて中略します・・・)

ずっとそのままでいて、大好きなヴァレンタイン!
ずっとよ!!
だって・・・あなたさえいてくれれば、
私にとっては、毎日がヴァレンタイン・ディなんだから


あなたさえいてくれれば、私にとっては、毎日がヴァレンタイン・ディなんだから」・・・
実にすばらしい言葉ですね。
名前が「ヴァレンタイン」さんでなくとも、愛する人にささやきたい言葉です。
甘いチョコよりももっと甘~い言葉を、恋人や配偶者にプレゼントしてはいかがでしょうか?

私なら・・・聖書の甘~~い御言葉を贈ります。
恋人よ、あなたはなにもかも美しく 傷はひとつもない。
(旧約聖書 雅歌4:7新共同訳)
この詩的な御言葉を、私の愛する妻と、
読んでくださった皆様(特に女性の方)にささげます。(^-^;

2011年2月13日 (日)

無縁社会からの脱出の道のひとつ~カリタスジャパンとカリタス家庭支援センター

先日、NHKで放映していた「無縁社会」についての記事、
かなりアクセス数が多かったです。
(「NHKスペシャル「無縁社会 新たな“つながり”を求めて」(2011年2月11日放送)」)
https://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/2011211-6c17.html

ある方から、その記事へのコメントをいただきました。
お名前がフルネームで書かれていたのですが、
当方の判断で、姓だけの掲載としました。
改めて、コメント内容を、ここに書かせていただきます。


昨日 私は初めて番組を見ました。何気なく回したチャンネルに最初はどんな番組だろう?と思いながら見ている内に、いじめ 孤立という言葉が耳に入り…
現在私は2人の子を持つ母子家庭です。昨年の3月家庭内暴力で家を追い出されそれから悲惨な毎日でした…着る物はなく、子供と過ごす場所もなく、身内は頭ごなしに拒否されて誰も相談する相手もいない!子供の着替えや学校の荷物も取りに行けず学校へも行かせてあげる事も出来ない…私は毎日ネットカフェに寝泊まりし 自殺する方法のサイトばかり見ていました。今現在も私は誰も助けてくれる話を真剣に聞いてくれる人もいない!死にたい!そんな事を考えてばかり…昨日の無縁社会に出ていた方に心に残ったのは吉澤さんの頑張っている姿と話に胸をうたれました…私はどぉしたらいいのか解らなくなってしまいました…死にたい!誰か真剣に話を聞いてくれる人が欲しい!!助けて下さい


実際、文面からすると、大変深刻な状況がうかがえます。
ただ、なにぶん文字だけのことですから、真実はわかりません。
コメント自体は、私の記事に対するもの、というよりも、
NHKに投書した方がいいような内容だからです。
「助けて下さい」という叫びに、私はどうすることもできないのが現状です。
申し訳なく思います。

無縁社会」という言葉が独り歩きしているのではないか?
というのが、私の記事の要点です。
しかし実際、社会的に孤立感を深めている人は、予想以上に多いのでしょう。
そこで今回は、教会の関連組織で、
DV被害などの家庭生活相談・支援を行っている組織・団体を紹介したいと思います。

Caritas

上の図の十字架、ご存知ですか?
カトリックの国際的な援助組織・カリタスのシンボルマークです。
日本では、「カリタスジャパン」として活動をしています。
(「カリタス」とはラテン語で「神の愛」の意味です。)
活動は多岐にわたりますが、その一例として、
女性関連活動のHPを紹介します。
女性問題:家庭内暴力や母子家庭などの支援を中心に掲載しています。
性差別による苦痛や助けを必要とされるかたはご利用下さい。
」とHPにあります。
http://www.caritas.jp/socialnet/groupe/women.html
札幌なら、「カリタス家庭支援センター」というものがあり(後述)、
東京には「東京カリタスの家」というものがあります。
(「東京カリタスの家」で検索してみてください。)
カリタスジャパン全体の働きは、テレビで取り上げられた、
NPO法人・白浜レスキューネットワーク」よりも、
もっと幅広い活動をしています。
カリタスジャパンの概要については、
カリタスジャパン」で検索願います。)

北海道の方なら、「カリタス家庭支援センター」が札幌にあります。
ここでは、
①家庭生活相談・支援
②社会との関係から生まれる問題
③保健・医療・福祉の問題
④いのちを大切にする活動
(妊娠・出産など)
などについて、相談を受け付けています。
必要に応じて各種窓口(行政・医療・教育・地域福祉)と連携をとりながら、
専門のソーシャルワーカーが、生活の自立を支援します。

(カリタス家庭支援センターのパンフレットから)」
面接・電話・訪問にて、相談を受け付けているそうです。
ひとりで悩んでいないで、ぜひこのような機関を利用してみてはいかがでしょうか?
私も賛助会員になっています。

カリタス家庭支援センターからいただいたパンフレットを、
PDFファイル化してみました。
詳しい相談内容や、場所、相談時間、送金先などが書かれています。
「20110214_caritaskateisien.pdf」をダウンロード

なお、WEB記事でもう少し知りたい、という方は、以下で御覧ください。
カトリック新潟教区の菊地功司教のブログ「司教の日記」~
カリタス家庭支援センター」(2010年2月24日の記事)
http://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/diary/2010/02/post-2031.html

先日、カリタス家庭支援センターの代表の方による、
活動小報告会に参加しました。
その中で、こういう話をされていたのが印象的でした。
札幌市内に住む未婚の女性が、出産予定日を迎えていた。
まわりには妊娠の事は一切秘密。「彼氏」とは別れていた。
病院では一度も健診を受けていない。
ひとりで苦悩を抱えていた。
その女性は、赤ちゃんポストがある、熊本県の慈恵病院に電話した。
慈恵病院では、当然対応できないので、
北海道のカリタス家庭支援センターに救援を頼んだ。
さっそくその女性の所に行き、救急車で病院搬送をした。
子供は無事に出産。
「彼氏」に子の認知をするようアドバイスした。
子が成人するまでの養育費をもらえることになった。
その女性は、生きる希望が出てきた。

(かなり大雑把なまとめ方ですけど・・・)
・・・近くに援助機関があっても、意外と知られていない、
というのが、現状なのかもしれませんね。

今回は、カトリックの取組を紹介しましたが、
全国各地のプロテスタント教会及び関係機関でも、
さまざまな形で、相談に応じてくれるはずです。
(ホームレス支援とか人生相談とか・・・)
大切なのは、自分の殻に閉じこもってしまわないことです。

求めなさい。そうすれば、与えられる。
探しなさい。そうすれば、見つかる。
門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。

(新約聖書 マタイによる福音書7:7~8新共同訳)
あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。
神は真実な方ですから、あなたがたを、
耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。
むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。

(新約聖書 コリント人への手紙Ⅰ10:13新改訳)

この記事を読んだ方に、神様の祝福と平安、御助けが豊かにありますように・・・
「(どうか)希望の源である神が、
信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、
聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。

(新約聖書 ローマの信徒への手紙15:13新共同訳)

2011年2月12日 (土)

第62回さっぽろ雪まつり(2011年)の写真

第62回さっぽろ雪まつりで私が撮影した写真です。
大通会場とすすきの会場です。
撮影日はすべて2月11日です。

7丁目 HBC 北京広場で撮影した「大雪像 天壇 祈年殿」。
実物の1/2の縮尺で制作されています。
これが一番見事な雪像でした。

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8丁目 雪のHTB広場で撮影した「大雪像 国宝 本願寺 飛雲閣」です。
(家に帰って検索してようやく、何の雪像だかわかりました。ちょっとマイナー・・・)
ほぼ実寸大とのこと。
HTBテレビのマスコットキャラクター、onちゃん(着ぐるみ)も写っています。

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5丁目 環境ひろばで撮影した「大雪像 ミュージカル 『ライオンキング』」。

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4丁目 STV・よみうり広場で撮影した「大雪像 観光王国宣言!北海道」の一部。
シマフクロウと道庁赤レンガの部分だけ撮りました。

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雪まつり会場ではありませんが、道庁赤レンガ(ホンモノ)前に、大きな雪だるまが作られていました。
結構かわいいです。こういう素朴なのもスキ・・・

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さっぽろ雪まつりとタイアップしているキャラといえば、
初音ミクの冬バージョン、「雪ミク」。
(2月11日には記念のウィズユーカードが販売されていました。)
大通会場の雪像と、すすきの会場の氷像を撮りました。
(氷像は少しわかりづらいです。)

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私の素朴なギモンだったこと・・・
「どうして、雪まつりに初音ミクなの?」
たまたま次の記事を読んで、ギモンが「氷解」しました。
札幌市内の路面電車が「雪ミク」仕様に!車内アナウンスは藤田咲
http://topics.jp.msn.com/digital/general/article.aspx?articleid=509758

初音ミク」を展開しているクリプトン・フューチャー・メディアは、
本社が札幌市中央区とのこと。
知らなかった・・・な~るほど!(^-^;
ちなみに、「雪ミク」のウィズユーカードデザインは、以下でごらんください。
http://www.hokkaido-365.com/news/2011/02/post-1639.html

おまけ。
すすきの会場にあった、「ユニコーン・ガンダム」の氷像。
(最初、「ウルトラマンゼロ」かな、とも思いましたが・・・)
すすきの会場では、雪ミクとこの氷像を写真に撮る人が多かったです。
ガンダムすすきのに立つ?・・・座っていました(*^-^)そもそも足ないし・・・ジオング的?
(シャア「足はついていないじゃないか」
整備兵「あんなの飾りです。偉い人にはそれがわからんのですよ」)

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今回撮影しませんでしたが、5丁目 毎日新聞 氷の広場には、
今話題の日ハム・斎藤佑樹投手の雪像がありました。
そこのところは、かなり混んでいました。
ちょっと騒ぎすぎかな・・・

2011年2月11日 (金)

NHKスペシャル「無縁社会 新たな“つながり”を求めて」(2011年2月11日放送)

NHKスペシャル「無縁社会 新たな“つながり”を求めて」を視聴しました。
無縁社会」という冷たく恐ろしい響き・・・
不安を煽るような映像と音楽、抑制されたナレーション・・・

番組HPから、放送内容を転載します。

「未婚で高齢の親と同居しています。私も無縁死するかもしれません」、「介護で仕事を辞めざるを得なくなりました。私も孤立化していきます。」
これまでの放送を通じて、NHKに寄せられた声の中には、高齢者だけでなく、働き盛りであるはずの20-50代からのものも多数ありました。

無縁となる人は高齢者に限りません。非正規雇用の増加や雇用の悪化といった働き方の変化、結婚したくてもそれがかなえられず、家族を持つことができない 単身世帯の増加。そうした中で親や家族の介護なども重なり、"社会の中で自分の居場所がない"、相談できる相手もおらず、"心の落ち着くことがない”と感じ、行き着く先には”無縁死”さえあると考える人まで増えているのです。

こうした無縁社会予備軍である20-50代を、もう一度社会とつなげていくためにはどうすればよいのか?各地で様々な試みが始まっています。
番組ではそうした取り組みを紹介しながら、無縁社会を乗り越えていくための道筋を考えます。

(番組HP・関連情報は、「NHK キャンペーン 無縁社会」で検索してみてください。)


たぶん、観ていて身につまされた人も多かったと思います。
ただ、私にとっては、少なくとも最初の50分間(~20:20)は、
かなり疑問でした。
派遣で働くこと、失業すること、ネット依存になっていること、
これらはぜ~んぶ「無縁社会」の産物で、
無縁社会」が悪いのだ、と言わんばかりです。
無縁社会」というコトバが勝手に一人歩きしている感があります。
本人の性格上の問題や、生き方の選択を、
勝手に「無縁社会」なるものの責任にしているだけ、と思えたほどでした。
24時間webカメラの前にいる男性とかも出ていましたが、
これは、本人がそういうライフスタイルを望んでいるから、と解釈することも可能なはずです。

番組で唯一、いい内容だと思ったのは、最後の25分間(20:20~)でした。
以前記事を書いた、
NPO法人・白浜レスキューネットワークと、
白浜バプテスト教会藤藪庸一牧師の取組を紹介していました。
(NHKBS1で以前放送していました。)
その番組と、NPO法人・白浜レスキューネットワーク等については、
以前書いた記事をご覧ください。
「世の光」としての教会~NHKBS1・関口知宏のオンリーワン
「命のSOS!自殺志願者を救え~和歌山県・白浜町」(後編)(2011年1月15日放送)

https://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/2011115-f981.html
あと、参考までに、藤藪庸一牧師の最近のブログ記事で、番組に関係するものを紹介します。
白浜日記」~「ここに社会がある」(2011年2月10日の記事)
http://love.ap.teacup.com/applet/shirahamarescue/20110210/archive

番組のラストシーン手前、白浜バプテスト教会のクリスマス会で、
自殺を思いとどまって教会で共同生活を送る人たちが、
小さな幸せ」という讃美歌を歌うところが印象的でした。
♪小さな幸せは、本当は大きな幸せ・・・」
下に記した新約聖書の言葉に基づいた歌です(私は初めて聴きましたが・・・)。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、キリスト・イエスにおいて、
神があなたがたに望んでおられることです。

(新約聖書 テサロニケの信徒への手紙Ⅰ5:16~18新共同訳)

世の中は暗い、冷たい、寂しい・・・と否定的な事ばかり考えるよりも、
少しでも、良いこと、美しいこと、人のためになること、愛を実現できることを考えるのが、
無縁社会」と「無縁」になる第一歩なのでしょうね・・・

(追記)
一条真也さんという方が、「『無縁社会』という呪い」という興味深い記事を書いています。
記事の要旨は、「無縁社会という造語で社会不安を煽るな!」です。
(「無縁社会」の対極である「有縁社会」についても興味深い論考をされています。)
http://d.hatena.ne.jp/shins2m/20101119/1290139215
(以前、この方が書いた、
『ロマンティック・デス―月を見よ、死を想え 』(幻冬舎文庫)という本を購入して読んだことがあります。
現在、絶版のようですが・・・なかなか興味深い考察がいっぱいでした。)

その記事から一部だけ引用します。
ぜひ全文をお読みください。

さて、「無縁社会」ですが、もともと「無縁社会」という日本語はおかしいのです。
なぜなら、「社会」とは「関係性のある人々のネットワーク」という意味です。
ひいては、「縁ある衆生の集まり」という意味なのです。
「社会」というのは、最初から「有縁」なのです。ですから、「無縁」と「社会」はある意味で反意語ともなり、「無縁社会」というのは表現矛盾なのです。
どうも、「無縁社会」という言葉には、心霊番組「あなたの知らない世界」のように、無理矢理に人を怖がらせようとする意図があるように思えます。
というのも、NHKの一連の番組作りを見ていると、どうも、そこには「絶望」しかないように思えるのです。どう考えても、「希望」らしきものが見当たらないのです。
いたずらに「無縁社会」の不安を煽るだけでは、2012年に人類が滅亡するという「マヤの予言」と何ら変わりません。それよりも、わたしたちは「有縁社会」づくりの具体的な方法について考え、かつ実践しなければなりません。

(2月17日追記)
こういう記事を見つけました。
NHK「無縁社会」で過剰演出 ネット軽視だ!出演者から苦情相次ぐ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110217-00000007-ykf-soci

「無縁社会」なるもの、
真実1~3割、残りは単なる「思い込み」、「偏見」、「妄想」なのかもしれませんね・・・

この記事は、一般の人から見た「無縁社会の住人」像でしょうか・・・
「無縁社会を乗り越えろ」(白井正雪氏)
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/rl-20110216-5859/1.htm
これらテレビの「無縁社会特集」に登場する人々の多くは、定職に就けない。社会から自分は見放されたという被害者意識だけが強く、被害妄想的な孤独な殻に閉じ篭っている感じがしてならない。(中略)彼らの努力次第では、現在の姿をいくらでも回避できたはずだと筆者は思うのである。もっと自分から社会へ関わる努力をすれば、道は開けるのではないだろうか。
(記事から引用)

NHK・特集ドラマ「風をあつめて」(2011年2月11日放送)

昨夜、NHKのHP「NHKオンライン」のトップページを見ていると、
真ん中に、「特集ドラマ 風をあつめて」というドラマの紹介がありました。
放送は2月11日朝8:20~9:20とのこと。
祝日はたいてい朝寝坊なのですが、少し早起きして(いつもと同じ時間ですが・・・)、
この1時間ドラマを視聴することにしました。

番組HPから、概要とあらすじを転載します。
なお、詳細は、以下HPでご覧ください。
http://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/8000/68593.html?from=tp_pc01

(概要)
NHK厚生文化事業団が主催するNHK障害福祉賞は、障害のある人や障害のある人を支援する人たちの体験手記を募集しています。この賞の過去の受賞作の中から、第31回(1996年)最優秀賞受賞作「私たち夫婦の普通の家庭」(浦上誠 著)を、このたびドラマ化します。
ふたりの筋ジストロフィーの娘と向きあいながら、いつしか幼い命に自分たちが生かされていることを知る夫婦の姿を描く、実話に基づく単発ドラマです。

(あらすじ)
熊本に暮らす浦上家。老人ホームに勤務する誠(安田顕)と攝(中越典子)に生まれた待望の第一子に、医師から福山型筋ジストロフィーであるとの診断が下される。誠と攝は衝撃を受け、二人のコミュニケーションにぎこちなさが生まれはじめる。父母それぞれの遺伝子の特性ゆえ、二人目の子どもができたとしても同じ病になる可能性は高い。しかし、誠は健康な子どもをもつことへの希望を捨てきれない。二人の選択は・・・。

北海道生まれ(道産子)の安田顕さんが、熱い熊本男児を好演していました。
治る見込みのない障害を抱える子を持つ親の苦悩・・・
ドラマ自体は、とても感動的でしたが(見ていて涙がこぼれました・・・)、
1時間では描ききれなかった内容だったかな、とも思いました。
民放なら2時間ドラマにするような主題です。
夫婦の心のすれ違いを埋めた交換ノートの逸話とか、
2人の子を背負って、阿蘇山の火口を見にいくエピソードなど、
十分に感動的なものがたくさんありました。
そのため、9:10頃になると、
「あと10分しかないけど、どう結論づけるの?」というのが心配になったほどでした。
主題や演技という点では、賞賛に値しますが、
もう少し時間を伸ばした方がよかった、という点では、物足りなかったと思います。

「普通の家庭」を目指したいと願いつつ、かなわない現実・・・
いろいろ考えさせられました。
実話に基づいている、というのが、ドラマに重みと光を沿えていました。
(光と闇を効果的に用いていたのが印象的でした。)

原作は、「雨のち曇り、そして晴れ~障害を生きる 13の物語」(日本放送出版協会)の、
私たち夫婦の普通の家庭」(浦上誠 著)。
機会があったら読んでみたいです。

紐帯、洗足、結びの帯としての愛・・・

2月11日(10日深夜)放送の、NHK「恋する日本語」を見ていると、
紐帯」という言葉が最後に出てきました。
「ちゅうたい(じゅうたい)」と読みます。
意味は・・・

[1] ひもとおび。転じて、物と物、人と人とを結びつける役割を果たす大事なもの。
[2] 特に、社会の構成員を結びつけている、血縁・地縁・利害などのさまざまな条件。

(大辞林より)

[1]の意味から、すぐさま新約聖書の名言が脳裏に浮かび上がってきました。
愛は結びの帯として完全なものです。
(新約聖書 コロサイ人への手紙3:14新改訳)
(新共同訳では、「愛は、すべてを完成させるきずなです。」となっていますが、
この箇所は新改訳の方が好きです。)

神様と私達を結びつける最大の「紐帯」は、イエス様の十字架ですね。
イエス様と弟子達との「紐帯」は・・・
ヨハネ福音書13章にある、「弟子の足を洗う」(洗足)はその一つです。

ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、
イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、
あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。

(新約聖書ヨハネによる福音書13:8新共同訳)
ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、
あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。

(同13:14新共同訳)

足を洗うのは、当時は奴隷の役割であって、主人がすることではありませんでした。
弟子達の汚い足を洗ってくださるほどに、低くなってくださったイエス様・・・
キリストを信じている、と言いながら、私達も、ペトロと大差ない事を言っているのかもしれません。
「わたしのこんな罪は、決して赦されるものではありません。」
「家庭・職場の問題は、どれだけ努力しても無駄でした。」
いろいろな困難や問題というのは、神様と私達の「紐帯」になるかもしれないのに・・・

仏教では、「結縁」(けちえん)という言葉があります。
1 仏語。
①仏・菩薩(ぼさつ)が世の人を救うために手をさしのべて縁を結ぶこと。けつえん。
②世の人が仏法と縁を結ぶこと。仏法に触れることによって未来の成仏・得道の可能性を得ること。けつえん。
2 関係ができること。特に親類になること。けつえん。

(デジタル大辞泉)
奈良・薬師寺といえば、国宝の薬師三尊像が有名ですね。
中央に座す薬師如来は、病気を通して「結縁」するそうです。

「結縁」は仏語ですが、キリスト教用語に取り入れていいと思います。
困難や問題は、神様との「紐帯」、「結縁」の機会・・・

現代日本は「無縁社会」化しつつある、とも言われます。
助けを求めることをしないために、寂しく孤独死していく人が年々増えているようです。
「迷惑をかけないように」生きようとして、死んだ後に大迷惑をかけるよりは、
むしろ、「人は迷惑をかけながら生きている」と考えた方が、気が楽になるかもしれませんね。
絶対者との関係もさることながら、人と人との結びつきも大事です。

ロバート・シュラー牧師が、マタイ5章の「八つの幸い」を解説した本で、
心の貧しい人は幸いである」を、
助けを呼ぶだけで、救われる」と説いています。
何かが欠けているあなたは、幸せである」とも言い換えています。
(『「お金もち」よりも幸せになれる方法』(PHP研究所・2001年)→現在、絶版のようです。)

紐と帯、夫と妻、親と子、職場の仲間、近所の人たち・・・そして神と人・・・
結び合うことで、喜びや力が生まれてきます。

今回の記事、「結び」はこの言葉にします。
愛は結びの帯として完全なものです。
(新約聖書 コロサイ人への手紙3:14新改訳)

原作本です。

2011年2月10日 (木)

立ち読み日記~『名作アニメの風景50』(ピエブックス)

今回から、新カテゴリー「立ち読み日記」を設けました。
書店で立ち読みして面白い、興味深い、と思った本を紹介していきます。
(とりあえず、購入までは至らなかった、ということですが・・・)
新書が中心になると思います。
なお、立ち読み程度の印象ですので、理解不足などがあればゴメンナサイ。
興味を持った本は、ぜひ、書店に行って、自分の目で確かめてみてくださいませ。

さて、記念すべき紹介第1作目は・・・
名作アニメの風景50 -誰もが知っているあの物語の舞台へ- 」(ピエブックス)という写真集です。
先日、札幌駅そばの紀伊国屋書店に行った際、
エスカレーターで2階から1階に降りる時に、中間の壁にディスプレイされているのを見つけ、
あわててまた2階に行ってその本を探しました。

ハイジや、「世界名作劇場」シリーズ、宮崎駿監督の作品から、
ニルスのふしぎな旅、ルパンⅢ世、ムーミン、ガンダム(ジャブロー!)、
バビルⅡ世、エヴァ(箱根)、ベルばら、花の子ルンルン・・・
最近の作品では、映画「サマーウォーズ」や「のだめカンタービレ巴里編」まで・・・
アニメの舞台となった風景を満喫できます。
「赤毛のアン」など一部の作品を除いて、見開き2ページで1作品を紹介しています。
中央アジアの砂漠(西遊記)や、南極大陸(ふしぎの海のナディア)など、
人の住まないような場所も出てきます。
「魔女の宅急便」の風景が、実はスウェーデンのストックホルムだったとは・・・
イタリアか、地中海沿いの国かと思っていました。
(ストックホルムの他に、世界各地の風景を混ぜているようです。)

世界名作劇場シリーズからは・・・
日本アニメーションの「グッズ紹介」ページで、この本が紹介されています。
http://www.nippon-animation.co.jp/goods/detail.php?id=688
「牧場の少女カトリ」が掲載されていないのはちょっと残念かも・・・

山形県の「BunBun堂天童店 店員のブログ」にて、
この本に愛情をこめて書かれた記事がありますので、ぜひご参考に・・・
http://blog.goo.ne.jp/hanamarucafe_2007/e/f70bcbc3b17250cd441e2734798e1995

この本の「買いたい度」は・・・☆☆☆(5段階評価)かな・・・
立ち読みでも十分満喫できました。

かなりショック・・・アニメ『ケロロ軍曹』、3月で最終回・・・

私にとっては、かなりショックなニュース・・・(。>0<。)
アニメの『ケロロ軍曹』が今年の3月で終わってしまうなんて・・・
Yahoo!ニュースでも紹介されていました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110209-00000020-mantan-ent
まぁ、15分番組になった時点で、「来年はヤバイかも・・・」と覚悟はしていましたが・・・
(東京の人達は30分版の「ケロロ軍曹乙」が視聴できてウラヤマシイ・・・
「SDガンダムさっさと終われ~」と時々念じていたのですが・・・)

2004年の放送開始から半年後、
ふとしたきっかけでアニメ『ケロロ軍曹』を知り、
すっかり大ファンになってしまいました。
1週間のストレスは、『ケロロ軍曹』でリフレッシュ!
・・・というような、私にとっては向精神薬のような存在でした。
2004年の秋から毎週欠かさず視聴していました。
いろいろなマンガ・アニメ・映画やドラマ等のパロディ満載で、
元ネタ探しも楽しいものでした。
ケロロ自体、どうでもいいことには一生懸命で、本業はおろそかになっている、
という設定が、なんか自分そっくり・・・、とすごく親近感がありました。
(本当は、それではダメなんですけどね・・・)
マンガは全巻持っていますし、すごく好きですが(相当な回数読んでいます)、
原作にまったく関係なく「暴走」していくアニメはさらに好きでした。
ケロロ小隊以外で好きなのは、モアちゃんと556デス。
「癒着!」(宇宙刑事ギャバンの変身セリフ「蒸着!」のパロディですね)
ていうか、茫然自失?・・・

我が家の玄関に入ると、1/1ケロロちゃんが敬礼してお出迎えしてくれます。
確か2006年に、1万数千円程で「大人買い」(といっても、1体だけですが)したものです。
我が家のマスコット的存在であります。
ケイタイのストラップにもご当地ケロロの根付がついています。
自宅の鍵に、ケロロがついていたり・・・
その他にも、グッズはいろいろ持っています。
すっかり、脳内が「侵略」されてしまったワタクシ・・・
それほど愛していた、ケロロのアニメが終わってしまうなんて・・・
実にさびしいものでありますなぁ・・・
(ケロロの口調で・・・)

ケロロ軍曹 (1) (角川コミックス・エース)

ケロロ軍曹 (21) (角川コミックス・エース 21-34)

2011年2月 9日 (水)

NHK・クローズアップ現代「漫画“ワンピース” メガヒットの秘密」(2011年2月9放送)

ONE PIECE』はなぜ大ヒットしているのか…
魅力の一端を垣間見ることができました。

2月9日放送のNHK・クローズアップ現代では、
漫画“ワンピース” メガヒットの秘密」という題で、
多角的な視点で、『ONE PIECE』の魅力を分析していました。
番組HPから、放送内容を転載します。


週刊少年ジャンプの連載漫画「ワンピース」は、連載開始から14年、昨年11月に発行部数累計が2億部を突破し、国内最高記録を更新し続けている。「ワンピース」は、主人公の少年ルフィが海賊王を目指し、仲間をえながら“ワンピース”という財宝獲得を目指す海洋冒険物語。その大きな特徴の一つが幅広い読者層。子供よりも熱心なファンになってしまった母親、仕事のバイブルとして重宝しているサラリーマンも多いという。番組では、登場人物たちの”強い絆”や、作品の原点を様々な角度から徹底分析。万人に受けるコンテンツ制作はもはや不可能だと言われる常識を易々と覆し、幅広い読者の心をとらえ続ける、漫画「ワンピース」のメガヒットの秘密に迫る。


最初にお断りしておきますが、
私は『ONE PIECE』を読んだことがありません。
ただ、キャラは有名なので、いくらか知っている程度です。
(妻の友人の子供が大好きで、
東京に行った時、頼まれて「ジャンプショップ」でグッズをいくつも買ったことがあります。)
熱心なファンの方から見れば、話にならない存在ですけど、
あえて今回の記事を書くことにしました。
ONE PIECE』ファンとしてではなく、
クローズアップ現代』好きな一視聴者として・・・
(ちょうど今回で、放送3000回目とのこと。おめでとうございます!)

番組冒頭では、累計2億冊以上の発行部数になっている事実と、
書店での購読層は、大人が9割であることが紹介されました。
続いて、男のお子さんが2人いる30代の主婦が、
子供たち以上に『ONE PIECE』にハマり、
家族一緒にアニメを見ながら涙ぐんでいる様子も映されました。
(他局のアニメにもかかわらず、数十秒間ですが、本放送さながらに放映されていました。)
その秘密はいったい何なのか…?

関西大学の安田雪教授が、作品を分析していました。
この作品のヒットの理由は、「ゆるぎない信頼」である、と…
一例として、ルフィたちとロビンとの関係の進展を挙げていました。
あと、作者の尾田栄一郎さんはインタビューを拒否したものの、
特別に、アトリエの様子が映し出されました。
たくさんの任侠もの映画が書棚に並んでいたのが印象的でした。

番組中で、すごく感動したのは、
ONE PIECE』を読んで、うつから立ち直り、
新しい生き方を始めた千葉県の男性の実例です。
うつになって出社できなくなり、どん底状態で、生きる意味を見出せなくなっていた時、
弟の薦めで『ONE PIECE』を読むようになり、
「生たい!」と心から思えるようになった、とのこと…
ONE PIECE』を座右の書として大切に扱っている様子も感動モノでした。

番組最後の、
甲南女子大学文学部の馬場伸彦教授と、国谷キャスターの対談はちょっと余計だったかな…
とも思いました。
約25分の放送時間では語りつくすことはできなかった、という印象で番組は終わりました。

「ゆるぎない信頼」、「深いつながり」、「ホンネとタテマエを分けない関係」…
ONE PIECE』は、ある意味、
サザエさん」と同じようなものなのかな、と思わされました。
サザエさん」は、「古きよき日本の家庭」という、
既に日本の多くの家庭で失われているものを、代弁している作品ですね。
ONE PIECE』が大ヒットするのも、
「ゆるぎない信頼」や「深いつながり」、「ホンネとタテマエを分けない関係」なんて、
今の世の中に失われているからこそ、憧れるのかもしれませんね・・・

機会があれば、ワタシも『ONE PIECE』、読んでみようかな・・・
(ハマりやすいので、ちょっとコワイですが・・・)

ONE PIECE 61 (ジャンプコミックス)

日経おとなのOFF 2011年3月号「聖書入門」~「レット・イット・ビー」も聖書の言葉?

2月6日の読売新聞朝刊1面の広告欄に、
日経おとなのOFF3月号 特集『聖書入門』」というのがありました。
思わず、「おっ!」と目を見張りました。
早速書店に行って調べてみようと思いきや、北海道は発売日が何日か遅れるようで、
ようやく昨日、書店で見つけました。
手にとってパラパラめくってみると、なかなかよさそうだな、と思い、早速購入しました。
日経おとなのOFF2011年3月号※リンク切れになっていたらゴメンナサイ・・・今月中ならOKかも?)

日経おとなの OFF (オフ) 2011年 03月号 [雑誌]

一般の雑誌がキリスト教や聖書について特集を組むのは、
別にこの号が初めてではありません。
昨年には、「pen」という雑誌(出版:阪急コミュニケーションズ)が、
キリスト教とは何か」という画期的な特集を組んでいます。
続編として、今年の1月号も、「キリスト教とは何かⅡ」という特集を出しています。
そのほかにも、いくつかの出版社でキリスト教入門的な特集号を出しています。
(その他については、以下の記事をどうぞ。
キリスト教ブーム到来?雑誌などで特集相次ぐ」(2010年7月8日 クリスチャントゥディ))
http://www.christiantoday.co.jp/culture-news-1772.html

(雑誌「pen」2011年1/15号※リンク切れになっていたらゴメンナサイ)

Pen (ペン) 2011年 1/15号 [雑誌]

それらの雑誌にも一応、立ち読みで目を通しましたが、
それほど買いたい、という気にはなりませんでした。
雑誌の一般社会における知名度の問題、かもしれません・・・
(ただし、先ほどの「pen」などでも、7万部ぐらいの発行部数があるそうです。)
今回のは、「日 経」という2文字が非常にインパクトがありました。
(実際の発行部数は、「pen」とだいたい同じ程度だそうですけど・・・
水戸黄門の印籠みたいに、「日 経」は権威あるブランドですね。ハハ~_| ̄|○)

雑誌の内容に移りましょう。
まず冒頭。聖書の年代史や構成などがコンパクトにまとめられて、わかりやすいです。
次に、『超訳 ニーチェの言葉』(ディスカバー・トゥエンティワン)が大ベストセラーになった、
白取春彦氏による「超訳 聖書の言葉」として、
聖書全編(続編含む)からさまざまな美しい言葉を紹介しています。

たとえば、箴言17章から~
信仰をみせびらかす多くの供え物があったとしても、
その家に争いがあるならば何になろう。
食べ物がいかに豊かでも、その家の人々が仲良くなかったらどうしよう。
今まさになければならないのは、固いパンのひときれと、平和なのだ。

(P.19から引用)
従来の訳では、
乾いたパンの一片しかなくとも平安があれば
いけにえの肉で家を満たして争うよりよい。

(旧約聖書 箴言17:1新共同訳)ですね。
なかなかうまい意訳だと思いました。

特集の中でかなり長い記事の一つは、「名画で旅する旧約聖書」です。
20ページにわたり古今の名画から旧約聖書の物語を説明しています。
後半の聖母マリアの絵画特集と合わせて、美術ファンは必見ですね。
キリストの生涯についても10ページにわたって、活字中心で説明しています。
聖母マリアについては7ページ(大半が絵画)割かれています。
その他、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」、
ミケランジェロの「最後の審判」などについても数ページずつ費やされています。
クラシックファンとしては、
クラシックの名曲が描く聖書」という6ページにわたる記事も興味深いです。
(「メサイア」のおすすめCDはちょっと???ですが・・・)

今回の特集で、もっとも「へぇ~!?そうなの???」と思わされたのは、
聖書×ポップス」。
ビートルズの名曲「レット・イット・ビー(Let it be)」の歌詞に、
聖母マリアが出てくる、というものです。
しかも、受胎告知を受諾する聖母マリアの言葉
わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。
(新約聖書ルカによる福音書1:38新共同訳)が背景にある、なんて・・・
確かに、歌詞の中に、「Mother Mary」という言葉が何度も出てきます。
雑誌の中では、
Mother Maryは、聖母マリアとポール(マッカートニー)の早逝した母親の名との掛詞となっている。
(P.98から引用)と書かれてあります。
ホントならスゴイけど・・・
調べてみると、ポール・マッカートニー自身は、
自分の母親を念頭において歌詞を書いているようですね。
ただ、公開された曲は、作曲者の意図を越えて、
聖書的な背景をもって歌うことも可能かもしれませんね。

おまけ記事としては、「聖書×フリーメイソン」、「聖書×エクソシスト」なんてものもあります。
(「ムー」とかのスピリチュアル系読者が好きそうなネタですね・・・)
余談ですが、立ち読みで『エクソシスト急募』(メディアファクトリー新書)なる本を読んだことがあります。
この雑誌でも記事を書いている、ノンフィクション作家の島村奈津氏が昨年出した新書です。
映画の世界の絵空事だと思いきや、実際に「エクソシスト」は存在するのですね。
(制度として実際にあるのはカトリックのみです。
プロテスタントでは、聖霊派の教会なら「悪霊追い出し」を行う場合があります。)

エクソシスト急募 (メディアファクトリー新書)

一般の人がオトナの教養として、聖書を少しかじるにはなかなかいい特集となっていました。
また、キリスト教(カトリック・プロテスタント・正教会問わず)の人にとっても、
非キリスト教の人に聖書をわかりやすく説明したり、
プレゼントとして、肩肘張らない伝道用に使うこともできると思います。

私は、一般の雑誌がキリスト教・聖書について特集を組んでくださるのは、
とても良い事だと思います。
狭いキリスト教書店(通販含む)で、
クリスチャン向けに細々とキリスト教雑誌を売っていても、
その反響は微々たるものです。
「百万人の福音」、「信徒の友」、「あけぼの」・・・
(ついでに言えば、カトリックの雑誌は1社・1誌にまとめたほうが良いのでは?)
もっと広くキリスト教・聖書について、一般の人に知ってもらいたいなら、
クリスチャンにしか通用しないものではなく、
一般の書店で堂々と売られるような雑誌作りを目指した方がいいのではないでしょうか?

なお、雑誌の詳細については、「日経おとなのOFF」HPか、
Amazonの「雑誌」→「日経おとなのOFF」でぜひ調べてみてくださいね。
(「日経おとなのOFF」で検索)

2011年2月 8日 (火)

2011年2月の六花亭「おやつ屋さん」~バレンタインデー風のケーキ

六花亭では、毎月7日に、予約販売で、
いろいろなケーキ等を詰め合わせた、「おやつ屋さん」というのを販売しています。
毎月違った「おやつ」を楽しむことができます。
価格は500円です。
前月の25日頃から当月の4日頃まで予約を受け付けています。
(数量限定なので、人気がある回は早めに予約を締め切る場合があります。)

下の写真は2011年2月の、六花亭の「おやつ屋さん」デス。
上が包装紙とケーキの説明の写真。
下がケーキそのものです。
余計な説明がいらないくらい、見るからにおいしそう・・・
特に真ん中のハートのケーキは甘酸っぱくて絶品でした・・・
初恋の味?いやいや・・・濃厚な、オトナの恋の味なのかも?
1週間早く、バレンタインデー気分デス。

友よ食べよ、友よ飲め。愛する者よ、愛に酔え。
(旧約聖書 雅歌5:1新共同訳)

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2011年2月 7日 (月)

NHK「名曲探偵アマデウス」・ブルックナー「交響曲第7番」

今回の「名曲探偵」は、ブルックナーの交響曲第7番でした。
長大で崇高なこの曲を、どのように解き明かすのか、ナカナカ見ものでしたが・・・
ブルックナーの作品なんて全然知らない、興味が無い、むずかしいか退屈そう、
というような人には、格好の番組だったかもしれません。
ただ、ブルックナー「信者」(コアなファン)の人にとっては、
「憤死」モノの内容だったかな、とも思います。
ブルックナーの曲を聴いて、「眠たくなってしまう・・・」というのが何度も出てきます。
(それは、言いたくても禁句じゃないの~~。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。)
番組のオチも、
「ブルックナーの交響曲第7番のコンサートに、好意をよせている人と一緒に行ったら、
コンサート途中で寝てしまって、見事にフラれた・・・」というものでした。
番組内のドラマの中でも、ブルックナーの曲を聴いているうちに、
依頼人や助手の響さんが寝てしまう、とか・・・
(確かに、どれほどブルックナーの曲が好きでも、たまに寝てしまう事だってありますケド・・・)
私にとっては、結構ツボにはまって、かなり面白かった回となりました。

番組では、「長くて雄大で、つい眠くなってしまう」という、
曲にとってはマイナスな紹介を補うかのように、
日本の映画音楽の巨匠、久石譲さんを引っ張り出して、
久石さんのもともとの専門であるミニマル・ミュージックとの共通点とかで、
なんとかブルックナーをヨイショしていました。

楽曲分析のところは興味深かったです。
第1楽章冒頭の主題では、22小節で11回も転調する、というのと、
ブルックナーの長大な主題は、山道を行くハイキングコースのようだ、というたとえは、
なるほど!と思いました。
また、久石さんは、ブルックナーの曲では反復が多いが、
反復というのが音楽の魅力だ、とも語っていました。
確かに、ブルックナーの曲は雄大複雑で、反復が多く、
古びた大聖堂のような佇まいです。
入るのをためらうか、入っても、古すぎて価値がよくわからないか・・・
しかし、その魅力に気づくことができれば、そこに「宇宙、聖なる世界」が見えてきます。

実際、私も10代後半~20代前半まで、ブルックナー「信者」でした。
ブルックナーの交響曲全集だけで、何セットも所有していましたし、
ブルックナーの曲のCDだけで、おそらく100枚近く持っていたと思います。
しかし今では・・・ほとんど手放してしまいました。
何とか、交響曲全集を1セットは持っていますがほとんど聴く機会はありません。
(オイゲン・ヨッフム指揮のEMI盤。
輸入モノで、すごく安かった、という理由だけで購入しました。全集なのに確か数千円・・・)
交響曲単独では、ギュンター・ヴァント指揮ベルリン・フィルのが2枚(8&9番)、
他は6番が2枚、7・8・9番がそれぞれ1枚ずつあるぐらいです。
いずれも、滅多に聴くことはありません。
せいぜい、6番の第2楽章アダージョを、たまに聴く程度です。
(オイゲン・ヨッフム指揮のDG盤。すぐ下のCDジャケット。)
最近では、1つの楽章が30分近くもかかるのは、さすがに長すぎるな、と感じます。


急に熱が冷めた原因は・・・
キリスト教の洗礼を受ける前に、ちょうど四旬節の間、
大好きなブルックナーの曲を聴くのをガマン(節制?)してみようと思い立ちました。
1ヶ月以上も、ブルックナーの曲を聴かないで過ごしました。
洗礼を受けてから、「ブルックナー解禁」としましたが、
前ほどのめりことはなくなってしまいました・・・
しばらくは「余熱」がありましたが、いつの間にか特別な存在ではなくなりました。
芸術を通して間接的に神を知るのではなく、
直接に神を知る道に至ったからでしょうね・・・

ブルックナーの交響曲第7番のおすすめCDは、2つ挙げておきます。
一つは、朝比奈隆指揮大阪フィルが、作曲者ゆかりの聖フロリアン教会で演奏したCD。
非常な名演です(残念ながら、今手元にCDはありませんが・・・)。
残響の豊かさもあり、宇宙的な聖なる世界が広がります。

もう1枚は、もっと通俗的でわかりやすい、甘口の演奏。
カラヤン指揮ウィーン・フィルもオススメです。カラヤン最後の録音としても有名ですね。
第1楽章は、目を閉じて聴くと、オーストリアの森と湖の情景が広がってきそうです。
「壮麗・華麗・綺麗」だけを求めるなら、こちらの方がいいかもしれません。

かなり脱線しましたが、番組の内容に戻りましょう。
チョン・ミュンフン(ミョンフン)さん指揮N響の演奏は、あまりピンとこない演奏でした。
可も無く不可も無し、くらいかな・・・
あと、オルガニストの松居直美さんも出演されていました。
10年くらい前、Kitaraでオルガン演奏を聴いたことがあります。
濃密な、と言う形容詞がふさわしい、充実した演奏でした。
彼女の演奏でブルックナーの交響曲のオルガン版を聴いてみたいものです。
CD出してくれないかな~

(追記)
久しぶりに、ブルックナーのCDを新たに購入してみました。
かねてから気になっていた、ギュンター・ヴァント&ベルリン・フィル盤です。
強奏しても少しもうるさくならず、濃密な音の世界が実に心地よい、すばらしい演奏です。
再びブルックナーの世界にハマリそう・・・

読売新聞「編集手帳」欄で映画『アメイジング・グレイス』を紹介(2011年2月6日)

2月6日の読売新聞朝刊の「編集手帳」欄
(1面のコラム記事。朝日新聞の「天声人語」に相当)では、
映画『アメイジング・グレイス』の宣伝のような記事が書かれていました。
コラムを書いた方は、この映画での議場の論戦シーンを引き合いに出して、
日本の国会の不甲斐なさを嘆いているのでしょうけど、
奇妙な映画宣伝記事になっていました。
記事そのものはとても短いので、ぜひ下記からリンクしてお読みください。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20110205-OYT1T00871.htm
私はこの記事で、映画『アメイジング・グレイス』の事を初めて知りました。

映画の公式HPは、ぜひ「映画 アメイジング・グレイス 3月」で検索してみてください。
(※同名の「アメイジング・グレイス」という日本映画がありますので、ご注意を!)
予告編を見ただけでも、「ぜひ観たい!」と思えるような作品です。
東京などでは3月5日から上映されるとのこと。
北海道では何月に上映されるのか、今の所不明ですけどね・・・

映画は、
イギリスの政治家であり、奴隷廃止主義者のウィリアム・ウィルバーフォース(1759~1833)が主人公です。
プロテスタントの信仰の偉人の一人ですね。
また、ウィルバーフォースに大きな影響を与えた、
讃美歌「アメイジング・グレイス」の作詞者である、
牧師ジョン・ニュートンについても、
大きく取り上げているようです。
ジョン・ニュートンは奴隷貿易をやっていた人ですが、
奴隷貿易船が嵐にあった時に回心を体験しました。
その後しばらくして、奴隷貿易から足を洗ってから、牧師となりました。
讃美歌「アメイジング・グレイス」は、
黒人奴隷貿易に関わったことに対する深い悔恨と、
それにも関わらず赦しを与えた神の愛に対する感謝が込められているといわれている。」

(wikiから転載)とのこと。
アメイジング・グレイス」(日本語→「おどろくばかりの」、「われをもすくいし」)以外の、
ジョン・ニュートンの原詩による讃美歌は、「讃美歌」に7曲収められています。
(56、194、287、325、351、401、409)→194と287は有名ですね。
近年、ジョン・ニュートンの自伝が日本でも出版されました。
「アメージング・グレース」物語―ゴスペルに秘められた元奴隷商人の自伝』(彩流社)という本です。
少しムズカシイ本ですが・・・

「アメージング・グレース」物語―ゴスペルに秘められた元奴隷商人の自伝

キリスト教の歴史において、奴隷貿易を認めていたのは、大きな汚点です。
一方、これを廃止したのも、信仰の力といえます。

新約聖書が書かれた頃、使徒パウロの時代は、奴隷制度がありました。
(奴隷制度そのものは、太古から存在していたようですね・・・)
使徒パウロは奴隷制度の廃止といった社会変革を訴えることはしませんでしたが、
奴隷も「一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです。
(新約聖書フィレモンの手紙16節新共同訳)として、
モノではなく「愛する兄弟」である、と、逃亡奴隷の主人(フィレモン)に呼びかけました。
新約聖書の「フィレモン(ピレモン)の手紙」は1章だけと短いながらも、
後世への社会的影響の大きさは計り知れないものがあります。
奴隷貿易廃止を勝ち取ったウィルバーフォースや、
奴隷解放宣言を出したリンカーン大統領、
公民権運動のキング牧師の原点・聖書的根拠とも言うべき存在です。

新約聖書の「フィレモン(口語訳や新改訳では「ピレモン」)への手紙」についてのメッセージは、
愛による変革」という記事がわかりやすくてオススメです。
カリフォルニアの中尾牧師という方が書いたものです。
(「ペンギン・クラブ」というサイト)
http://www.penguinclub.net/sermons/phm/phm1-15.html

讃美歌「アメイジング・グレイス」のMIDIを以前紹介しています。
https://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/amazing-grace-m.html

ようやく気づいた魅力~ベートーヴェン・三重協奏曲

ベートーヴェンの三重協奏曲、正式には、
ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための三重協奏曲ハ長調 作品56」は、
つい最近まで、私にとっては、価値のない曲でした。
だいぶ前、宇野功芳センセイおすすめの、この曲の名盤とされる、
オイストラフ(ヴァイオリン)、ロストロポーヴィチ(チェロ)、リヒテル(ピアノ)と
カラヤン指揮ベルリン・フィル(EMI)の演奏を聴いて、
その時は、「空虚な曲だ」と思いました。
第1楽章を途中まで聴いて、つまらないので聴くのをやめた気がします。
それ以来、この曲を聴くことはありませんでした。
(図書館の視聴コーナーで聴きました。購入したことはありませんでした。)

数年前、DGの輸入版CDで、ブラームスのヴァイオリン協奏曲のおまけに、
三重協奏曲が入っているCDを購入しました。
アンネ・ゾフィー・ムターのソロと、カラヤン指揮ベルリン・フィルによる、
ブラームスのヴァイオリン協奏曲の演奏では名盤とされるものです。
購入して以来、ブラームスのヴァイオリン協奏曲はしばしば聴きましたが、
三重協奏曲を聴くことはありませんでした。

先日、ブラームスのヴァイオリン協奏曲のそのCDを聴きながら、
家で作業をしていました。
いつもなら、三重協奏曲を演奏しないよう、あらかじめプログラム再生をセットしておくのですが、
その時はしていなかったので、ブラームスの曲の後に、三重協奏曲が流れました。
「まぁ、聴いてみるか・・・」とBGM代わりにそのまま再生し続けました。
すると・・・
実にさわやかな曲でした。
特に第3楽章の主題、ピアノが軽やかに、小鳥がさえずるかのように弾くところなど、
実に楽しげで美しいと思いました。
演奏は、カラヤン指揮ベルリン・フィルと、
アンネ・ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)、ヨー・ヨー・マ(チェロ)、マーク・ゼルツァー(ピアノ)です。

この曲を初めて知ってから十数年、ようやく「時」が訪れた、という感じでした。
ここ数日間、1日に1回は聴いています。
もちろん、この曲は、ベートーヴェンの他の協奏曲ほどには、
「すごくスキ」という存在にはならないでしょうけど・・・
肩肘張らずに、気楽に聴くことができる演奏です。

ようやく曲の価値がわかった今、
例の「名盤」の価値もわかるのでしょうか?
興味を持って、聴き比べを行いました。

EMI盤を「旧盤」、DG盤を「新盤」としましょう。
演奏時間は、両盤ともそれほど差がありません。
カラヤン指揮ベルリン・フィルというのも変わりませんね。

旧盤は、意気込みが違います。実に迫力があります。
カラヤン指揮ベルリン・フィルも、重戦車のような迫力を見せるところが多々あります。
まるでミケランジェロの筋肉隆々とした「聖家族」のようです。

 

20110207_seikazoku_2

 

一方、新盤は、もっと気楽に、室内楽のピアノトリオとオーケストラの掛け合いを楽しむかのように、
肩の力が抜けた味わいがあります。

この曲で一番好きな第3楽章を比べてみると・・・
旧盤はソリスト3者とも実に雄弁で、掛け合いのスゴさを楽しむことができます。
一方、新盤は実に軽やかで、旧盤に比べるとかなりおとなしい感じです。
両者は油絵と水彩画ぐらいの違いがあります。
しかし、水彩画が油絵に劣る、というわけではないように、
あとは好みの問題ですね。
気楽に聴き流すなら、新盤の方がいいでしょう。
火花散る名人芸を聴きたいなら、旧盤がオススメです。
ただ、この曲の本質は、実は「愛らしさ」なのかもしれませんね・・・

なお、新盤のゼルツァーというピアニスト、調べてみると、
どうやらこのCD以外には目ぼしい録音がないようですね・・・

旧盤では、カップリングされているブラームスの二重協奏曲の方も素晴らしい名演です。

音楽の食わず嫌いは、時にもったいないものだ、というのを改めて実感しました。

2011年2月 6日 (日)

中世の教会の描かれ方~NHK・ダークエイジ・ロマン 大聖堂(1)「無政府時代」(2011年2月5日放送)

NHKハイビジョンで、海外ドラマ「大聖堂」が始まりました。全8回です。
その第1回目を観ました。
映画「薔薇の名前」や「ジャンヌ・ダルク」のような、
中世を舞台にした映画が好きな方にはたまらない作品かもしれません。
舞台背景がとてもリアルで、制作費をふんだんに使って仕上げている、というのが伝わります。
登場人物も魅力的です。
これからどのように絡んでいくのか、原作を読んでいないのでわかりませんが、
なかなか見ごたえがある作品になるのでは、と予想できます。
ちなみに、原題は「The Pillars of the Earth」(地の柱)。
番組HPでは、「地の柱は主のものであり、主はそれらの上に世界を据えられた。
(旧約聖書 サムエル記1 第2章)と書いています。
(この訳はどの訳に基づくのか不明です。
新共同訳、新改訳、口語訳で調べましたが、どれも違っていました。)
「地の柱」のように聳え立つ大聖堂を暗示したタイトルですね。

ところで、気になったのが、教会(中世のカトリック教会)の描かれ方です。
舞台が1120~40年頃にもかかわらず、
フランシスコ会の修道服のようなものを着ている修道士や、
「フランシス」という人名が出てくるのは、事実誤認なのでは、と思いました。
(フランシスコ会の成立は1209年です。)
それよりも、もっと重大なのが、教会がカルト宗教・陰謀組織のような描かれ方をしている箏です。
確かに、中世の教会は腐敗していたのは事実です(だから「ダークエイジ」=暗黒時代)。
このドラマで見る限り、キリスト教に魅力を感じる人はほとんどいないのではないでしょうか。
ドラマにおける教会は、悪質な陰謀組織・偽善のカタマリでしかないし、
「告悔」の秘蹟を使って男色経験のある人を脅す、というのが出てくるのも問題です。
(破門に値する罪です。)
私はクリスチャンですので、教会の恥部をことさら強調して描かれるのは、少し苦痛でした。
まぁ、一応次回も観る予定ですけどね・・・

ドラマDVD―BOX

輸入盤DVD-BOX

輸入盤Blu-ray BOX

このドラマには原作があります。
世界的なベストセラーだそうです。
機会があれば読んでみる価値がありそうですね。

(ソフトバンク文庫版※3巻セット)

分冊上

分冊中

分冊下

2011年2月 5日 (土)

「預言カフェ」から考える聖書的預言の原則

先日書いた記事
チーズ工房アドナイ(興部町)と、「主の山に備えあり」(アドナイ・イルエ)」に、
クリスチャン女性のスズランさんからコメントをいただきました。
https://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-4967.html

スズランさんはブログをお持ちですので(「スズランの日記」)、
記事をいろいろ拝読してみたところ、実に興味深いものがありました。
預言カフェ
http://suzuranblg.exblog.jp/14061256/
ステキな写真と共に、「賛否両論ある」と断った上で、
「預言カフェ」に肯定的な記事を書かれています。
私はこの記事で、東京に「預言カフェ」なるものが存在するのを初めて知りました・・・

「預言カフェ」は、プロテスタント聖霊派の「アライズ東京キリスト教会」が運営しています。
場所は東京都新宿区高田馬場です(正確な住所は、お店のブログで確認を・・・)。

興味をもったので、試しに「預言カフェ」で検索してみると、
たくさんのブログ記事が出てきます。
検索最上位は、もちろんお店のブログですが
(「預言カフェ」で検索してみてください。あえてリンク先は掲載しません。)、
第2位は(2月4日現在)、なんと「食べログ」の紹介記事でした・・・
珈琲専門店 預言カフェ
http://r.tabelog.com/tokyo/A1305/A130503/13092149/
たしかに、お店のブログ記事を読むと、
数量限定で「コピ・ルアック」を取り扱っている、というのは、珈琲専門店の名に恥じないですね。
(「コピ・ルアック」は、「幻のコーヒー」ともいわれる高級コーヒー。
私は映画「かもめ食堂」で初めて存在を知りました。
もちろん、飲んだことはアリマセン・・・)

いろいろな人が書いた「預言カフェ」についてのブログ記事をいくつか読んでみると・・・
クリスチャンの人よりも、どちらかというと、
スピリチュアル系大好きな人が多く記事を書いています。
例として、おそらくクリスチャンではない方の記事を2つ紹介します。
http://akumadesourou.livedoor.biz/archives/527002.html#
http://beautiesmind.com/yogencafe/
一般の人が、「預言カフェ」をどう見ているのか、参考になります。
コーヒーの注文と同時に、「預言もお願いします!」とオーダーするそうです・・・
マックで「スマイル」は無料なのと同様(?)、「預言」は無料とのこと。
ただし、預言は必ず録音する、というのが、お店の決まりだそうです。
お店で用意したカセットテープに録音する場合は、テープ代として、50円かかるそうです。

さて、ここから聖書的に、「預言カフェ」について少し考えてみたいと思います。
私自身、何年間か聖霊派の教会に所属していたことがありますので、
預言というものが聖書の時代だけではなく、今も存在していることを認めています。
(預言とは、未来の事を「」め「」うことではなく(それらも含まれる時がありますが)、
神様から「」かったコトバを「」う事です。神様から来る慰めの言葉なども含まれます。)

旧約の時代において、「預言」は、かなり重たいものでした。
「神はこう言われた」と預言者が語ったのであれば、
必ず実現するもの、とみなされました。
なぜなら、神様はウソをつくことはできないからです。
しかし残念ながら、偽預言者もたくさんいたようです。
(偽の預言については、列王記上13章や、ネヘミヤ記6章、エレミヤ書28章など参照。)
申命記18:20(新共同訳)にはこう書いています。
ただし、その預言者がわたしの命じていないことを、勝手にわたしの名によって語り、
あるいは、他の神々の名によって語るならば、その預言者は死なねばならない。

預言者の資格は大変厳しいものでした。

旧約聖書のヨエル書では、聖霊降臨後の有様を預言しています。
新約聖書でも引用されています。
その後
わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。
あなたたちの息子や娘は預言し
老人は夢を見、若者は幻を見る。
」(ヨエル書3:1新共同訳)

イエス様は復活されてから天に昇り、
信じる者たちに聖霊をお与えになりました。
聖霊の賜物の一つが、預言する賜物です。

預言の賜物について、新約聖書でもっともよくまとまっているのが、
コリントの信徒への手紙Ⅰの14章です。

興味深いのは、
新約聖書では預言に「神からのものでないものが含まれている」と認めていることです。
「(礼拝において)預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。
(Ⅰコリント14:29新改訳)
新共同訳では、「吟味」というところが、「検討」となっています。
つまり、「預言者」が預言したとしても、絶対的にすぐに従わなければならない、ということなのです。
たとえ預言した人がどんなに高名な「神の器」だとしても・・・

預言カフェでなされる預言がどの程度のものなのか、体験していないので、
私としては、使徒言行録5:38~39にならって、判断は差し控えます。
「・・・ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、
神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。
もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。

(使徒言行録5:38~39新共同訳。ガマリエルの言葉)
ただ、一方的に「これがあなたへの神の言葉です。」と言われた場合、
まともなクリスチャンなら、きちんと「吟味検討)」すべきでしょう。
そうでなければ、神社のおみくじや占い師の言葉となんら変わらなくなりますので・・・

吟味の方法は、主に3つあります。
まずは聖書の御言葉です。
普段から御言葉に親しんでいれば、神様は何を望まれているのかよくわかりますので、
見分けることができます。
次に祈りです。祈りは神様とのコミュニケーションです。
普段から神様と「会話」しているなら、
ちょうど自分の配偶者や子が何を望んでいるのかよくわかるように、
神様の御心がわかるようになります。
最後に、実際にそれが起きる(起きた)か、という事です。
たとえば、「あなたはアメリカに行きなさい」という預言が仮にあったとします。
聖書と祈りによって内的な促しがありました。
しかし、お金も休暇もない・・・この場合、「御心でない」と判断した方がいいものです。
神様は、言葉を濫用されません。
そのように、わたし(=神様)の口から出るわたしの言葉も
むなしくは、わたしのもとに戻らない。
それはわたしの望むことを成し遂げ
わたしが与えた使命を必ず果たす。

(イザヤ書55:11新共同訳)
そのほか、夢や幻、不思議な出来事、
教会の指導者の意見や、先輩クリスチャンの意見なども、
預言の吟味に役立つはずです。

一番いいのは、よほどでない限り、個人的な「預言」を求めないことかもしれません。
「これがあなたへの神の言葉です。」と第三者に言われるよりも、
神様が直接的に、私やあなたに日々語りかけている言葉に感覚を研ぎ澄ます・・・
神様は今日もいろいろな形で呼びかけておられますよ・・・
もっとも一般的な方法は、聖書の言葉を通しての語りかけです。

あと、預言や癒しなど、聖霊の賜物を行使する際、
お金を取るのは、すべて「ニセモノ」と考えて間違いありません。
イエス様は弟子達に、
病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、
悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。

(マタイによる福音書10:8新共同訳)と命じています。
幸い、東京の預言カフェでは、預言そのものにはお金をとらないようですね・・・
そのほか「預言」のニセモノの見抜き方としては…
「○○年△△月××日に世の終わりが来る」のたぐいはすべてニセモノです。
キリストでさえ知らないことを、どうしてただの人間が知っているのでしょうかね?
その日、その時(=世の終わり)は、だれも知らない。
天使たちも子(=神の御子キリスト)も知らない。
ただ、父だけがご存じである。
」(マタイ24:36新共同訳)

ちなみに、東京の預言カフェとは全く無関係なのですが、
札幌でも「預言カフェ」が存在するようですね。
検索してみて初めて知りました。
こちらは、HPで見る限り、信仰的にはかなりアヤシイ気がしますが・・・
(「札幌 預言カフェ」で検索するとトップに出てきます。
少なくとも、クリスチャンにはおすすめできません。
「預言」までセット販売していますし、
高額なセミナーへの勧誘があるようです・・・)

最後に、福音宣教という観点での預言カフェを考えてみましょう。
キリスト教の外にいる、特に占い好きな女性やスピリチュアルにハマっている人にとっては、
預言カフェはすぐれた宣教アプローチなのかもしれませんね。
キリスト教会に行っても、霊的世界の事はサッパリわからず、
ムズカシイ神学論ばかりで、砂をかむような思いをしている人はたくさんいます。
霊的な体験がなければ、教会だって、結局、カルチャースクールと大差ないものかもしれません。
万の言葉よりも、1つの奇蹟によって、心の壁が打ち崩されることが多いのです。
カトリック・プロテスタント問わず、もっと霊的な世界に開かれたものであってほしいものです。
(ただし、バランスは大切ですね・・・
霊的方面ばっかりで、聖書と祈りがおろそかになったり、
聖書と祈りはしっかりしているけど、霊的な事柄は否定する・・・
あるいは、信仰熱心なのはいいけれども、「愛」を忘れてしまう・・・
どれも大切なのです。)

※2011年10月23日追記
紀伊国屋書店で、預言カフェをやっている方の本を見つけました。
吉田万代著『預言CAFE』
パラパラと立ち読みしてはみましたが・・・


2011年2月 4日 (金)

NHK・恋する日本語「三角関係の恋」(2011年2月4日放送)

NHKの「恋する日本語」、とても楽しみな番組です。

今回は、「三角関係の恋」…
高校生の淡い初恋、友情と愛情に悩む乙女に出された言葉は?
刹那」、
揺蕩う(たゆたう)」、
時雨心地(しぐれごごち)」、
そして「番い(つがい)」でした。

この4つの言葉で、今も使われるのは、
刹那」と「番い」ですね。
刹那」には「刹那的(な)」という形で使われます。
刹那的な衝動」とか、「考えが刹那的だ」など…
番い」は、もっぱら鳥など動物のカップルを指す時に使われますね。
人間には使われませんね。

ところで、「刹那」がもともと仏教用語であったことと、
刹那」とはどれぐらいの時間の短さか、
番組と、辞書を調べて初めて知りました。
なんと、指を1回弾く間に、65刹那あるそうです。
(そういえば、某アニメの主人公の名前にも使われていましたね…)

刹那」を使ったミニドラマ(写真付の朗読劇?)では、
ほんの少しだけ、ベルリーニの「清らかな女神よ」(歌劇「ノルマ」の有名なアリア)が、
BGMとして使われていました。
BGMの使い方がとてもうまいと思いました。
OP曲、ED曲どちらも淡い感じの静かな曲です。

揺蕩う」では、額田王の三角関係を、マンガも使いながらうまく説明していました。


あかねさす 紫野行き標野行き 野守りは見ずや 君が袖振る      額田王


(「あかねさす…」について短いながらも適切にまとめているWEB記事がありますので、
興味がある方は下記をどうぞ)
http://www2.odn.ne.jp/~nihongodeasobo/konitan/akanesasu.htm

ところで、今回やっと気がついたのですが…
「謎の大作家、大原小也先生の書生、アキラ」なる人物(窪田正孝さん)がレギュラーで登場します。
毎回、素敵な名言…と思いきや有名な歌詞の一部を書いているだけ、というオチで退場です。
その「大原小也」は、たぶん詩人「中原中也」のパロディなのでしょうね…
レギュラー放送3回目でようやく気づいた鈍~いワタクシでした…

今回の結末は、高校生にはまだオトナの恋は無理、と気づいたことでした。
オルフの「カルミナ・ブラーナ」にある「In trutina (天秤に)」の境地は、
知らない方がいいのかも?


天秤にかけてみた、理性とためらい、不安と傲慢、 そして愛と貞淑を。
でも私は目に見えるものを選ぶ。
首をくびきに縛ってみても、やはり愛に寝返ることでしょう。

(訳詞はWikiから転載)
(すごくきれいな曲です。ただし内容がねぇ・・・)


高校生くらいまでは、恋愛よりも友情をとった方がいいのかもしれませんね…
番い」となる伴侶をあせって見つける必要はないはずです。
(高校生相手に、「番い」の説明で、お泊りデートみたいのを使ったのは、
ちょっと不適切な気がしましたが…
まぁ、この番組、大人の女性が視聴対象なので、あまり問題視されないでしょうけど。)

夜更かししてでも見る価値がある番組です。辞書を片手にするともっと楽しめます。
2月5日夕方には、初回からの一挙再放送もするそうです。
次回も楽しみです。

原作本

カルミナ・ブラーナ

2011年2月 3日 (木)

恭喜發財!2011&六花亭の恵方巻ロール

日本では、2月3日といえば、「節分」の日ですね。
豆を撒いて鬼を追い払う、というのが従来の習慣ですが、
最近では、掃除がラクな恵方巻が人気ですね。

ところで、今年は、2月3日が、旧暦の新年です。
新年のご挨拶を・・・「恭喜發財!
日本語での「あけましておめでとうございます」にあたります。
(あえてカタカナで広東語の発音を書くと、「コンフェイファッチョイ」)
ちなみに、来年は1月23日とのこと。
キリスト教最大の祝日である「復活祭」と同様、毎年祭日が違います。
(クリスマスが最大の祝日なのではアリマセン・・・)
ある旅行会社のサイトから、旧暦新年に関しての記事を引用します。
(日通ペリカントラベルネット香港店の「香港 旧暦新年」という記事)
http://www.pelican-travel.net/newsPage.php?frCd=hongkong&seqNo=69


陰暦 (農暦年) 1月1日となり西暦では毎年変更となります。
  ・2011年2月03日 (木)
  ・2012年1月23日 (月)
  ・2013年2月10日 (日)

旧正月が国の休日となっているのは、中国・台湾・韓国・北朝鮮・ベトナム・シンガポール・マレーシア・インドネシア・ブルネイとモンゴルである。 香港ではマカオと同じく1月1日から3日間が休日となります。(その3日間に日曜日があるときは旧暦大晦日も)

その他の国は
・中国本土 - 旧暦大晦日から旧暦1月7日まで
・台湾 - 旧暦1月5日まで
・韓国 - 旧暦大晦日から旧暦1月2日まで
・ベトナム - 旧暦大晦日から旧暦1月3日まで


新年なので、おめでたい言葉を書き連ねましょう。
「福」、「新年快樂」、「身体健康」、「出入平安」、「萬事如意」・・・
皆様に神様の祝福と平安が豊かにありますように!

節分の話題に戻ります。
恵方巻というのは、巻いてあれば寿司に限らないようなので、
近年ではロールケーキの恵方巻まで出ています。
写真は六花亭の恵方巻ロールです。
つい買ってしまいました・・・
値段は350円です。
手頃な大きさなので、甘党の人なら「丸かぶり」・・・1本まるごとOKですね。

Ehoumakiroll2011

暦の上では、明日から「立春」。
北海道では、梅の花どころか、雪の華が満開です・・・

2011年2月 2日 (水)

おすすめWEB記事~【主張】公教育の現状 これでは子供が育たない(MSN産経ニュース2011年2月2日)

産経新聞では、先月行われた日教組の教育研究全国集会(教研集会)について、
何度か報道しています。
その総まとめとして、2月2日の【主張】(社説記事)では、
公教育の現状 これでは子供が育たない」と題して、
日教組の教研集会で発表された問題な授業(発表した教師にとっては、誇らしげ?)を告発しています。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110202/edc11020202240000-n1.htm

自衛隊の問題、北方領土問題、平和教育の問題など、
単に「善意」とか「愛と平和」では片付けられない問題を、
相変わらずのやり方で、教師の偏向思想を吹き込む社会科教育。
余計なお世話ですね・・・

記事から北海道に関係するところだけ抜粋すると・・・

領土問題も分かっていない。北海道の中学教師は、北方領土について教えているうち「どこの国の領土か分からなくなった」という。歴史的経緯もきちんと理解できていないようだ。日本固有の領土であることを教えられないようでは一体、どこの国の教師か。

日本の国益にならないような事を教えるのは論外です。
「教室」という、教師の「鎖国王国」で、好き勝手な事が教えられているのは、
公教育の信頼を失わせるだけです。
教育委員会などで、偏向教育をやめさせる手はないのでしょうかね・・・
(サッカーなど、スポーツの日本代表選手がもっと活躍してくれれば、
案外、「反日」教育はおかしい、というのが標準になるかもしれませんね。)

ところで、先日、精神科医の和田秀樹氏のブログで、
左翼政党としての自民党」という記事を読みました。
http://ameblo.jp/wadahideki/day-20110131.html
教育評論家・森口朗氏の『日教組』(新潮新書)を読んだ感想と、
日教組をはびこらせた「元凶」である自民党(民主党や社会党ではなく!)について、
興味深いコメントをしています。
たとえば・・・


もう一つの重要な視点は、日本の教育を悪くするのは、日教組が主犯というのはおかしいと明言していることだ。

もちろん、組織として弱体化した今はよけいにそうだが、昔だって、教育政策に日教組が関与していたわけでない。会社の業績が悪いのを組合のせいにしているなら経営陣は無能だとされるように(実際には、そういうことはないわけではないだろうが)、為政者が日教組のせいにして責任逃れが許されるわけがない。

たとえばゆとり教育にしても、確かに日教組の主張を受け入れている点はあるが、むしろ、これを大々的に進めたのは中曽根臨教審以降の話である。

戦後民主教育にしても、当初は自民党はGHQの意向も受けて、もろ手をあげて賛成していた。

そのほかにも、新左翼の人間が教員になることを地方公務員法の欠格条項を使えば出来たのにしなかったことを含め、自民党はむしろ日教組のやることを黙認していたという森口氏の観察はものすごく妥当だ。


森口朗氏は、『いじめの構造』(新潮新書)など、興味深い本をいろいろ書いています。
日教組』という本、私は立ち読みして、大変興味深いと思いましたが・・・
なんとなく、あえて「買いたい」とは思えませんでした。
日教組』は「買いたい」よりも、「解体」してほしい、かな\(;゚∇゚)/
(寒さが厳しい今日この頃・・・)
読めば読むほど気分が悪くなりかねませんので、
精神衛生上、あえて買ってまでして読まないことにしました。
そのうち、図書館等で見つけたら、きちんと読むかもしれません・・・

日教組 (新潮新書)

2011年2月 1日 (火)

2011年1月のアクセス数ベスト10記事一覧

2011年の1月分から、1ヶ月の総まとめ記事を書くことにします。

1月のアクセス数ベスト10記事は以下のとおりです:
(※トップページを除く)

一位.映画「菩提樹」、「続・菩提樹」
二位.NHK・海外ドラマ「ソフィア・ローレン 母の愛 前編」(2011年1月4日放送)
三位.女性教諭、児童の両親提訴~埼玉県での事例

四位.NHK教育・スーパーオペラレッスン バーバラ・ボニーに学ぶ歌の心
五位.NHK・海外ドラマ「ソフィア・ローレン 母の愛 後編」(2011年1月5日放送)
六位.報道STATION~【特集】理想と現実…新人教師の苦悩(2011年1月19日放送)
七位.NHK教育・すイエんサー「ボウリングで絶対ストライクをとりた~い!!」
八位.NHK・おはよう日本(2011年1月17日放送)~特集・シリーズ
     「ジャパンシンドロームをのりこえろ」(1) 老後の安心で経済に活力を
九位.「世の光」としての教会~NHKBS1・関口知宏のオンリーワン
    「命のSOS!自殺志願者を救え~和歌山県・白浜町」(後編)(2011年1月15日放送)

十位. NHK・世界遺産への招待状「親愛なるジュリエット様~ベローナ市街」

一位、七位、十位の記事は、昨年書いたものですが、
番組や映画が再放映されることなどによって、急激にアクセス数を伸ばしました。
(「すいエんサー」は記事に書いた内容が再放送されたのかどうか不明です。)
NHKネタが多くて恐縮です・・・

2月もご愛読よろしくお願いします。

詩篇121(02)【自作曲】

今回は、詩篇121への作曲を紹介します。
(ある人の旅の安全を祈願する意味も込めて・・・)
テキストは、聖書新改訳 詩篇121全体です。
詩篇121への作曲を紹介するのは、これで2回目です。

ハ短調なのかホ長調なのか、あいまいな調性で進行しますが、
最後は一応、ホ長調の主音に落ち着きます。
悩みや迷いがあっても、最後は神様と共にある安らぎにたどりつく、という感じですね。
旅行に限らず、人生というとっても長い旅において、
神様の御守りと助けはたえず必要ですね。

既に、新共同訳への作曲を紹介してありますので、
そちらもあわせてお読みください。
https://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-fbeb.html


主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。

(旧約聖書 詩篇121:7~8新改訳)


メロディ(midiファイル)と楽譜(PDFファイル)とは、
下記からダウンロード願います。もちろん無償です。

「20110201_psalms121allno02.MID」をダウンロード

「20110201_psalms121allno02.pdf」をダウンロード

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