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2010年12月18日 (土)

議論は人を変えるか?~ブログのコメントについての考察

旧約聖書の「箴言」には、「舌」という単語が19回出てきます。
(※新共同訳、口語訳による。)
そのうちから、今回のテーマにふさわしい御言葉を1か所引用します。

忍耐強く対すれば隊長も誘いに応じる。穏やかに語る舌は骨をも砕く。
(旧約聖書 箴言25:15新共同訳)

イソップ童話の「北風と太陽」の話はご存じですよね。
北風が力づくで旅人からマントを脱がせようとしますが、結局出来ず、
太陽が旅人を温めると、旅人は自分からマントを脱ぐ、という話です。
対人関係の機微を実に巧みに寓話化していますね。

議論する際、相手を攻撃すればするほど、
相手は頑なになっていきます。
ましてや、その人に対する人格攻撃まで始まったら、
もはやまともな議論とは言えません。
人は往々に、議論して相手を負かしたら、相手が変わると思いがちですが、
そんなことはほとんどないと言っていいでしょう。
北風の実力行使と同じです。

しかし、箴言25:15のように、やさしい言葉、穏やかな言葉で、
相手に敬意をもって話していくうちに、
相手の意見が変わることがあります。
太陽の温かさが、自分で自分の意見に固執しなくさせる、といえましょう。

ところで、さまざまな人のブログを読むと、いろいろなコメントがついていますね。
「AはBである」という主張をする人に対して、
「AはCである」という意見の人がコメントし、
ひどい場合はボロクソに人格攻撃しているようなものさえ見かけます。

しかし、果たしてそこまで言われたからといって、
「AはBである」という主張を曲げるでしょうか?
たいていは、変わらないはずです。
癒しをもたらす舌は命の木。よこしまな舌は気力を砕く。
(旧約聖書 箴言15:4新共同訳)
気力を砕く
つまり、相手にイヤ~な思いをさせるぐらいはできましょうが・・・
私がよく読む精神科医の和田秀樹氏のブログなどは、
本人あてに嫌がらせのようなメールが頻繁に届くそうです。
相手を説得しようとする、愚かで不毛な努力・・・
力づくで相手を変えようとしても、変わることはないのに・・・
ほしいのは、「癒しをもたらす舌」です。

私がそういうブログを読んだ場合は、一切コメントしません。
ただ見て通り過ぎればいいのです。
「世の中には、ヘンな人がいっぱいいるなぁ・・・」と。
読んでいるだけ、時間のムダといえましょう。
通行人が自分に関係のない争いに興奮するのは 犬の耳をつかむようなものだ。
(旧約聖書 箴言26:17新共同訳)

私なら、自分と同じような意見や、すばらしいと思えるような記事にのみコメント投稿します。
私が「AはBである」と思っていても、
その人にとっては、「AはCである」というのが真理なのでしょう。
また、そう考える権利は、犯罪に値するようなものを除いて、保障されるべきでしょう。
余計な議論を仕掛けるよりは、争いを避けるのが大人の態度と言えます。
議論で人が変わる可能性は、きわめて低いといえましょう。

もうちょっと具体的な例で考えると・・・
たとえば、仏教の熱心な信者の方のブログに、
「あなたの信仰は間違っている!」と私が書いたとして、
その人が、考えを変えるでしょうか?
(そもそも、そんな失礼なこと、私はしませんが・・・)
また逆に、誰かが私のブログに対して、
「キリスト教は外国の邪教だ!」などとコメントしてきても、
私は無視するだけの話です。
コメントだからといって、すべてを掲載する義務はありませんし、
また、コメントに答える義務もありません。
私の意見が気に食わないなら、
「時間の無駄でしょうから、もう二度と読まない方がいいですよ。」としか言いようがありません。
どっちが真理かを論争しても無駄で、
その人と私、それぞれ真理とするものが違うのです。
それならば、自分の考えに共鳴する人を捜し求めればいいだけの話です。
聞く耳のある者は聞きなさい」(イエス様の言葉~マルコ4:9他新共同訳)
ということです。
もっと言えば、「変わりたい」と願っている人しか、変わることはできない、とも言えましょう。

一番いいのは、余計な議論はしないことです。
D・カーネギーの名著『人を動かす』の中に、
議論に勝つ最善の方法は、この世にただひとつしかないという結論に達した。その方法とはーー議論を避けることだった。なぜかといえばーー仮に相手を徹底的にやっつけたとして、その結果はどうなる?ーーやっつけたほうは大いに気をよくするだろうが、やっつけられたほうは劣等感を持ち、自尊心を傷つけられ、憤慨するだろう。 ーー「議論に負けても、その人の意見は変わらない」。
(同著P.159から引用)という名言があります。
まさにそのとおりです。
(「手帳2.0」というブログで、ちょうどこの箇所を紹介しています。
上記引用はそのブログからです。)
http://www.kitami.tv/subnote/2007/05/post_201.html

新約聖書にも、議論を避けることについて書かれています。
愚かで無知な議論を避けなさい。
あなたも知っているとおり、そのような議論は争いのもとになります。

(新約聖書 テモテへの手紙Ⅱ2:23新共同訳)

今回このテーマでいろいろ調べてみると、
実に参考になる記事を見つけました。
炎上せずに議論に勝つ方法」というものです。
http://katabami.org/su-kaku/45/
興味のある方はぜひお読みください。

私も時折論争的な記事を書きますが(教育や政治など)、
当然、すべての人に普遍的に支持される意見でない場合があります。
「アイツの意見はひどい間違いだ、まったくオカシイ!」と思われることもありましょう。
そういう場合は、「なんてバカな奴・・・最低だ」とでも、心のうちで思ってくださって結構です。
ただ、私を説得しようとコメントをくださっても、相手にしない場合がある、
ということを、あらかじめご了承願いたいのです。

人を動かす新装版

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