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2010年10月 2日 (土)

子どもの遊ぶ「意味」~「無意味」も効用

最近、子どもたちだけでの公園遊びをみかけることは少なくなりました。
理由は、子どもを狙った凶悪犯罪がよく報道されたからです。
(実際の数はどうなのでしょう?
よく言われることですが、犬が人を噛んでもたいしたニュースになりませんが、
人が犬を噛むなら大ニュースになりますね。
マスコミはごくまれにしか起こらないような事件を大げさに報道する傾向があります。
実際、犯罪件数は年々減っている、と統計が出されているにも関わらず・・・
人が人を信じあえなくしている大きな要因の一つが、マスコミの過剰報道です。)
たいてい、大人が子どもの外遊びを見守っていることが多いですね。
あとは、室内でのTVゲームばかりなのでしょう。

先日、産経新聞のWEB版で、こんな記事を読みました。
【こども】遊ぶ権利 阻害要因はナニ?(9月29日の記事)
http://sankei.jp.msn.com/life/education/100929/edc1009290739000-n1.htm
この要旨を記事から引用すると・・・

子供の「遊び」を邪魔する要因を探ったのは、国際組織「子どもの遊ぶ権利のための国際協会(IPA)日本支部」(事務局・堺市)。東京で5月、幼児教育や小学校長など子供にかかわりのある専門家を集め、遊びを阻害する要因の中で、深刻かつ「よくあるケース」と思われる場面を4コママンガでまとめた。
 一例を見ると、(1)「遊ぶと子供(の成長)に良いらしい」と、幼い子連れの母親2人が立ち話(2)そこで子供を「泥だんご遊び教室」に連れて行く(3)午後は忍者ごっこ教室へ(4)親は満足。子供は教室のはしごで疲れてヘトヘト。
 遊びの主役は子供なのに、「子供の体力や創造性を鍛えるか」など合理性を見いだそうとする大人。その結果、「子供から遊びの自由が奪われている」という筋書きだ。
 「遊びは、子供自らが夢中になれるもの。効率や効果などで遊びの価値ははかれない」とIPA日本支部の高橋博久代表。教育に割く時間が優先され、遊びは二の次となっているといい、「遊びを通じて、子供は幸せをつかむ手がかりを見つける。子供の遊びが十分でなければ、社会の未来や幸せを見い出そうとする力が弱くなってしまうのでは」と懸念する。

※詳細はぜひ記事をご覧ください。

いまや、遊びさえ「お勉強」しなければいけないとは・・・
遊びは強制されるものではありません。
もし強制されるなら、それはもはや「遊び」とはいえません。
楽しいから遊ぶのであって、
「子供の体力や創造性を鍛える」という効果効能は二の次のはずです。
なんでも「意味」とか「効果」をつけてしまうと、
かえって本来の目的を達成できない、という皮肉な結果となります。
多少の擦り傷に目くじら立てず、やんちゃで元気よく子どもたちを遊ばせたいものですね。

ホイジンガは人間を「ホモ・ルーデンス」(遊戯的人間)と定義づけ、
人は遊ぶ存在である、と説きました。
古来、日本でも、『梁塵秘抄』においては、
遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。
と人間の生きる意味を遊ぶことにおいていました。
遊ぶ、楽しむ、笑う・・・
これが人間らしさを培うものです。
ですから、遊びに変な意味を持たせるよりは、「無意味」だけど子どもにとっては面白い・・・
それで十分なのでは?

ホモ・ルーデンス (中公文庫)

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