主の御名を呼ぶ者は皆、救われる(ヨエル3:4,5※2:31,32)【自作曲】
今回は、旧約聖書の預言書の一つ、ヨエル書からの曲を紹介します。
テキストは、旧約聖書ヨエル書3:4~5新共同訳です。
ロ短調の、少し暗い感じの曲です。
ところで、新共同訳、バルバロ訳などのカトリック系の聖書と、
口語訳、新改訳などのプロテスタントのみによる訳とでは、
ヨエル書の章数が違います。
プロテスタントのみによる訳は3章、カトリック系は4章あります。
プロテスタントのみによる訳で、ヨエル書2:28~32となっているところは、
新共同訳とカトリック系の聖書では存在せず、
3章として独立しています。
新共同訳やバルバロ訳などでの4章は、プロテスタント訳での3章です。
(調べてみると、写本の系統によって分割する章数が違うそうです。)
よって、新共同訳以外の主な聖書(口語訳や新改訳など)をお使いの方なら、
ヨエル書2:31~32となります。
本題に戻ります。
この聖書の箇所は、聖霊降臨を預言したところとして有名です。
使徒言行録2章でも引用されています。
「主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。」
(旧約聖書 ヨエル書3:5新共同訳)は、
使徒パウロがローマ10:13で、
すべての人が救われる根拠として引用しています。
本当に、すべての人は救われるのでしょうか?
神学的に、難しいところですね。
たとえで考えてみましょう。
日本国内でテレビを持っている人は皆、NHKテレビを視聴することができますが、
皆がNHK受信料を払っているわけではないですね。
(ちなみに、我が家はきちんと払っていますよ。)
あるいは、年金をもらう権利を有していても、もらっていない人がいるかもしれません。
現況届という、今生きていますよ、という事を証明する書類を出して、
年金が支給されます(最近では、制度が変わっているようですが・・・)。
それらのように、キリストはすべての人を「権利上」救っておられますが、
すべての人が、「事実上」救いを受け取っているわけではありません。
救いは、自己申告制なのです。
日本の神社のように、その地域に住んでいる人なら誰でも氏子=信者とみなす、
そういうものではないのです。
洗礼を受けたから自動的に救われる(予防接種みたいに・・・)というのも違います。
意識的に、救いを受け取り、意識的に、救いの道を歩み続ける事・・・
「救われた!」というのは過去の一時点であり、
同時に、現在進行しつつあることなのです。
(臨終間際に洗礼を受けるなど、例外が多々ありますが・・・)
メロディ(midiファイル)と楽譜(PDFファイル)とは、
下記からダウンロード願います。もちろん無償です。
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