グレースチャペル・平塚修久牧師による「雅歌」からのメッセージ
グレースチャペル(基督聖協団市川教会)の平塚修久牧師が、
メルマガで「雅歌」から1章ずつポイントを絞ってメッセージをしていました。
8月30日から9月6日までの全8回シリーズでした。
とてもわかりやすいものです。
私は旧約では雅歌は特に好きなところなので、
参考になりました。
各回のメルマガ本文だけをそのまま転載します。
なお、毎回結びの文が同じなので、一番最後に1回だけつけました。
聖書の引用はすべて、新共同訳です。
(8月30日)
心がなごむバイブルメッセージVol.693【雅歌1章】
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1:2 ぶどう酒にもましてあなたの愛は快く
1:3 あなたの香油、流れるその香油のように/あなたの名はかぐわしい。
おとめたちはあなたを慕っています。
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今日から雅歌を読んでいきましょう。雅歌は「歌の中の歌」と言われる書ですが、内容は読めばすぐに分かるように、男女の恋愛を歌ったものです。そんな書がどうして聖書の中に入れられたんだろう?と不思議に思われる人もいることと思いますが、若い男女の純愛を神様と神の民の関係に例えて読んでみると、私たちの信仰に関して大切なことを教えている書であることが分かります。
1:2 ぶどう酒にもましてあなたの愛は快く…
ここには、恋する男性に愛される、甘くとろけるような思いが歌われています。それがぶどう酒にもまして快いと言うのです。おそらく、そんなことさっぱり分かりませんと言う人は、ほとんどいないのではないでしょうか?(いたら、
すみません。)
でも、一方で、相手が神様となるとどうでしょうか。私たちの神様に対する愛は、どこか意志的であったり、義務的であったりすることはないでしょうか。信仰は単なる教理ではありません。もちろん教えは大切なものですが、信仰とは、意志も感情も含めて神様を愛することなのです。だからこそ、そこに喜びが生まれ、賛美が生まれ、献身が生まれるのです。
そういう神様への愛が分からないと、私たちの信仰は、いつの間にか喜びや自由を失って、単なる義務になったり、形式になったりしてしまう恐れがあります。
礼拝や教会の交わりに疲れを覚えるということがあるものですが、そんな時は、雅歌を読んで、もう一度自分と神様との関係について考えてみるとよいかも知れません。
1:15 恋人よ、あなたは美しい。あなたは美しく、その目は鳩のよう。
1:16 恋しい人、美しいのはあなた/わたしの喜び。わたしたちの寝床は緑の茂み。
(8月31日)
心がなごむバイブルメッセージVol.694【雅歌2章】
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2:5 ぶどうのお菓子でわたしを養い/りんごで力づけてください。わたしは恋に病んでいますから。
2:6 あの人が左の腕をわたしの頭の下に伸べ/右の腕でわたしを抱いてくださればよいのに。
2:7 エルサレムのおとめたちよ/野のかもしか、雌鹿にかけて誓ってください
/愛がそれを望むまでは/愛を呼びさまさないと。
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7節の言葉は、3章5節、8章4節にも繰り返されており、雅歌を読み解くキーワードの1つです。
病むほどに激しい恋、激しく相手を求める愛…たとえどんなに激しく深いものではあっても、愛はけっして呼びさまされたり、強制されたりするところから生まれるものではありません。愛は、美しく純粋で自由に生きる野のかもしかや雌鹿のように、どこまでも純粋で自発的なものであり、まったき自由の上にあるからこそ、真実で美しい愛が目覚め、育っていくのです。
信仰の真髄が神様へのまったき愛であるなら、信仰にも無理や強制はけっしてあってはなりません。つまり、100%の自由の上にあってこそ、真実な信仰が生まれ育っていくのです。
時々、神様はどうしてエデンの園に善悪の知識の木なんて置いたのか分からないという人がいます。あんなものさえなければ、人は罪に陥らなかった。そもそも神様は、人が絶対に罪に陥らないように造ってくれれば、こんな苦労はなかったのだ、と言うのです。
でも、それは、真実な愛と信仰の本質をわきまえた意見ではありません。愛はどこまでも自発的なものであり、信仰もまた自由の中にこそあるべきものなのです。イエス様も弟子たちを導く時に、「わたしの後に従いたい者は…」と、あくまでも弟子たちの自由を尊重されました。神様は私たちの自由を尊重してくださいます。大切なことは、その自由をどのように生かすかということです。パウロはこう勧めます。
「兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。」(ガラテヤ5:13)
愛と結ばれてこそ本当の自由があり、自由があってこそ真実な愛と信仰があるのです。
(9月1日)
心がなごむバイブルメッセージVol.695【雅歌3章】
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3:1 夜ごと、ふしどに恋い慕う人を求めても/求めても、見つかりません。
3:2 起き出して町をめぐり/通りや広場をめぐって/恋い慕う人を求めよう。
求めても、あの人は見つかりません。
3:3 わたしが町をめぐる夜警に見つかりました。「わたしの恋い慕う人を見かけましたか。」
3:4 彼らに別れるとすぐに/恋い慕う人が見つかりました。つかまえました、
もう離しません。母の家に/わたしを産んだ母の部屋にお連れします。
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恋しい人のことを想うと、夜も眠れないほどに慕わしく、すぐにでも会いたい気持ちでいっぱいになってなおさら眠れなくなってしまう…恋するおとめの熱い思いが伝わってきて、なんだか読んでいるだけで気恥ずかしくなってくるような気がします。確かに、そんな熱い思いにかられる経験が、誰の人生にもきっとあるのだと思います。
そして思いました。そうか!こういう激しいほどの恋心を与えてくださるのも神様なんだ。神様は、こういう心を人間に与えて、愛するということを教えてくださっているんじゃないだろうかと。
もちろん、それは、神様ご自身の愛に及ぶべくもありませんが、それでも、その熱さ、その激しさ、その一途さということからすれば、神様の愛の強さ、高さ、広さ、深さを理解する上で大いに役立っていると言えるのではないでしょうか。
少なくとも、このことだけは確かです。すなわち、神様は、若者たちの熱い恋愛にはるかにまさって熱く、強く、一途な愛をもって私たちを愛してくださったということです。そのためには、愛する独り子を十字架にかけることさえいとわないほど激しい愛をもってです。
私たちの信仰の根源は、こういう神様の愛にあるのです。その愛に出会い、その愛に包まれ、その愛に満たされて生きること、それがクリスチャンの信仰の本質なのです。だからこそ、私たちもまた、激しく熱い心で、主を愛し、主を慕い、主を求めて生き続けたいものです。
「イエスは言われた。『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。」(マタイ22:37~38)
(9月2日)
心がなごむバイブルメッセージVol.696【雅歌4章】
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4:1 恋人よ、あなたは美しい。あなたは美しく、その目は鳩のよう/
ベールの奥にひそんでいる。髪はギレアドの山を駆け下る山羊の群れ。
4:2 歯は雌羊の群れ。毛を刈られ/洗い場から上って来る雌羊の群れ。
対になってそろい、連れあいを失ったものはない。
4:3 唇は紅の糸。言葉がこぼれるときにはとりわけ愛らしい。
ベールの陰のこめかみはざくろの花。
4:4 首はみごとに積み上げられたダビデの塔。
千の盾、勇士の小盾が掛けられている。
4:5 乳房は二匹の小鹿。ゆりに囲まれ草をはむ双子のかもしか。
4:6 夕べの風が騒ぎ、影が闇にまぎれる前に/ミルラの山に登ろう、
乳香の丘にわたしは登ろう。
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2章から3章にかけては、「おとめの歌」が詠われていましたが、4章では「若者の歌」として、男性から女性に向けての愛の賛歌が詠われています。
ベールの奥にひそんでいる目は鳩のように愛らしく、髪はギレアドの山を駆け下る山羊の群れのように美しく、健康で清潔な歯と紅の糸のような唇からこぼれる言葉は愛らしく、こめかみも、首も、乳房も…と賛辞は尽きません。恋する若者の目には、すべてが美しく輝いて見えてしまうのです。
実は、これは神様から私たちへの愛のメッセージなのです、と言ったら驚くでしょうか? えっー! ほんとかな? と我が身を思うと思わず疑ってしまうかも知れませんが、やっぱりそれは本当なのです。イザヤ書で神様はこう記しています。
43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(新改訳聖書)
これは、神様の告白の言葉です。そして、約束の言葉でもあります。神様は約束通り、愛する私たちと共にいて、私たちの罪の身代わりに独り子イエス様を十字架にかけて下さいました。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)
神様の愛は本気の愛、真実な愛、そして永遠の愛なのです。そんな愛に包まれている者として、私たちも確信をもってこう告白したいものです。「私は神様に愛されています!」と。
(9月3日)
心がなごむバイブルメッセージVol.697【雅歌5章】
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5:2 眠っていても/わたしの心は目覚めていました。恋しい人の声がする、
戸をたたいています。「わたしの妹、恋人よ、開けておくれ。わたしの鳩、
清らかなおとめよ。わたしの頭は露に/髪は夜の露にぬれてしまった。」
5:3 衣を脱いでしまったのに/どうしてまた着られましょう。
足を洗ってしまったのに/どうしてまた汚せましょう。
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夜、おとめの家に若者が訪れ、戸をたたいて「開けておくれ」と呼びかけました。ところが、おとめはすでに床の中、若者の来訪に胸が高鳴りつつも、戸を開けるのをためらっていたのです。そして、ようやくおとめが床から起きて戸を開けると、そこにはもう若者の姿はありませんでした。
おとめは若者を求めて闇の中を捜しまわりました。しかし、若者は見つかりませんでした。代わりに、夜警に見つかってはたたかれ、城壁の見張りには衣をはぎ取られてしまったのです。そのとき、おとめはエルサレムのおとめたちに言いました。「もしわたしの恋しい人を見かけたら/わたしが恋の病にかかっていることを/その人に伝え」て欲しいと。
すると、おとめたちは言いました。
「あなたの恋人はどんなにいい人なんでしょうか。あなたにこんな誓いをさせるとは。」(9節)
おとめは答えて言いました。
5:10 わたしの恋しい人は/赤銅色に輝き、ひときわ目立つ。
5:11 頭は金、純金で/髪はふさふさと、烏の羽のように黒い。
…
5:16 その口は甘美、なにもかもわたしを魅惑する。エルサレムのおとめたちよ
/これがわたしの恋する人、これがわたしの慕う人。
これはもちろん、おとめと若者の恋愛の歌です。でも、なんとなく私たちの信仰の歩みにも似てはいませんか。イエス様は私たちの心の戸をたたいています(黙示録3:20)。しかし、私たちは、ためらっているうちにイエス様を見失い、しばらくの間、暗闇をさまようということがないでしょうか。そういう意味で、これはひとつの大切な教訓の歌でもあるようです。
「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。勝利を得る者を、わたしは自分の座に共に座らせよう。わたしが勝利を得て、わたしの父と共にその玉座に着いたのと同じように。耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。」』」(黙示録3:20~22)
(9月4日)
心がなごむバイブルメッセージVol.698【雅歌6章】
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6:4 恋人よ、あなたはティルツァのように美しく/エルサレムのように麗しく
/旗を掲げた軍勢のように恐ろしい。
6:5 わたしを混乱させるその目を/わたしからそらせておくれ。
あなたの髪はギレアドを駆け下る山羊の群れ。
6:6 歯は雌羊の群れ。毛を刈られ/洗い場から上って来る雌羊の群れ。
対になってそろい、連れあいを失ったものはない。
6:7 ベールの陰のこめかみはざくろの花。
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これは、しばしの間離れ離れになっていた恋人が再び出会った時に、若者がおとめに言った愛の言葉です。4章にも、同じような若者からおとめに向けての愛の告白の言葉が記されていましたが、6章には、それとちょっと違った表現が見られます。
6:4 恋人よ、あなたはティルツァのように美しく/エルサレムのように麗しく
/旗を掲げた軍勢のように恐ろしい。
「美しい」とか「麗しく」というのはわかりますが、「恐ろしい」とはいったいどういうことでしょうか? まさか“鬼嫁”のようになってしまったと言うことではないでしょう。
それは、「旗を掲げた軍勢のように」と表現されているように、美しくはあってもただ弱くてうぶなだけの女性というのではなく、目を見張るほどの威厳とたくましさをも備えた女性であることを意味しているのではないでしょうか。
愛するおとめの中に、そんな魅力を感じ取った若者の驚きを垣間見るような気がします。
だからこそ、若者はこう告白するのです。
6:8 王妃が六十人、側女が八十人/若い娘の数は知れないが
6:9 わたしの鳩、清らかなおとめはひとり。その母のただひとりの娘/
産みの親のかけがえのない娘。彼女を見ておとめたちは祝福し/
王妃も側女も彼女をたたえる。
王妃や側女や若い娘は数多くいるけれども、私が愛するおとめのような女性は他にはいない。ただ一人の女性(ひと)であると語られています。これは恋人から夫婦への自覚の深まりであるとも言えるでしょう。そして、これは主イエス様の私たち(教会)に向けての思いでもあるに違いありません。
「夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。キリストがそうなさったのは、言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なるものとし、しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会を御自分の前に立たせるためでした。」(エフェソ5:25)
(9月5日)
心がなごむバイブルメッセージVol.699【雅歌7章】
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7:10 それはわたしの恋しい人へ滑らかに流れ/
眠っているあの人の唇に滴ります。
7:11 わたしは恋しい人のもの/あの人はわたしを求めている。
7:12 恋しい人よ、来てください。野に出ましょう/
コフェルの花房のもとで夜を過ごしましょう。
7:13 朝になったらぶどう畑に急ぎ/見ましょう、ぶどうの花は咲いたか、花盛りか/
ざくろのつぼみも開いたか。それから、あなたにわたしの愛をささげます。
7:14 恋なすは香り/そのみごとな実が戸口に並んでいます。
新しい実も、古い実も/恋しい人よ、あなたのために取っておきました。
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7章は、前半(2~10a節)が若者のおとめへの愛と賛美の歌であり、後半(10b~14)がそれに答えてのおとめの若者に対する愛の告白の歌となっています。
互いに相手を強く求め、深く信頼し、すべてをささげ尽そうとする愛。どこまでも純粋であとうとし、いつまでも続くことを願う愛。確かにそれは美しいものです。
しかし、人の愛は決して完全ではありません。やがて熱が冷める時があり、ときには突然の心変わりということもあるのです。でも、だからこそ私たちには神様が必要なのではないでしょうか。神様の中に、決して終わることのない永遠の愛を見出すことが必要なのではないでしょうか。それなくして、私たちの心は真の平安を見出すことはできないからです。
神様は、アダムとエバが罪に陥ったその時から、彼らを救い出すことを約束されました(創世記3:15)。やがてアブラハムを選び、その子孫を通して、神様の祝福を全世界に届けようとされました(創世記12:1~3)。そして、ついに独り子イエス様を地上にお遣わしになり、十字架によってその救いを完成されたのです。
その間、神様の愛と慈しみは、決して消えることなく、変わることなく、全人類に向けられていたのです。そして、今もその愛と慈しみは、私たちの上に注がれています。なぜなら、神様の愛は決して変わることも終わることもないからです。
「神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。『彼は惜しみなく分け与え、貧しい人に施した。彼の慈しみは永遠に続く』と書いてあるとおりです。」(コリント二9:8~9)
(9月6日)
心がなごむバイブルメッセージVol.670【雅歌8章】
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8:6 愛は死のように強く/熱情は陰府のように酷い。火花を散らして燃える炎。
8:7 大水も愛を消すことはできない/洪水もそれを押し流すことはできない。
愛を支配しようと/財宝などを差し出す人があれば/その人は必ずさげすまれる。
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いよいよ、雅歌の最終章。本章には、「歌の中の歌」と呼ばれた雅歌の真骨頂とも言うべき言葉が記されています。
恋するおとめは若者に言いました。
8:5 りんごの木の下で/わたしはあなたを呼びさましましょう。
あなたの母もここであなたをみごもりました。
あなたを産んだ方も/ここであなたをみごもりました。
先には、「エルサレムのおとめたちよ、誓ってください/愛がそれを望むまでは/愛を呼びさまさないと。」(8:4)と歌ったおとめは、ついに自ら若者の愛を呼びさまそうと決心するようになりました。
8:6 わたしを刻みつけてください/あなたの心に、印章として/あなたの腕に、印章として。
古代バビロニアでは、自分の実印をひもに付けて首から胸のあたりにかける習慣があったそうですが(創世記38:18)、ここでおとめは、私をあなたの心と腕に刻みつけて、肌身離さずにいてほしいと願っているのです。激しく深い愛の芽ばえです。
そして、雅歌はそのような愛をこう歌いました。
8:6 愛は死のように強く/熱情は陰府のように酷い。火花を散らして燃える炎。
8:7 大水も愛を消すことはできない/洪水もそれを押し流すことはできない。
愛の力強さと激しさを、これほどまでに突き詰めて表現した言葉を私はほかに知りません。でも、もちろん、これはあくまで人間の愛の表現です。しかし、その愛にもこれほどに激しい強さがあるのだとすれば、まして、十字架の上に現わされた神様の愛の強さと大きさは、私たちの想像をはるかに越えているに違いありません。
そのような愛に包まれ生かされる喜びに溢れるとき、私たちもまた激しいほどの愛をもって神様を愛する者とされてゆくのではないでしょうか。信仰に生きるとはそういうことです。(雅歌、了)
主の恵みと平和が豊かにありますように!
平塚修久
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