御利益信仰は悪なのか?
読売新聞朝刊の「時代の証言者」というコーナでは、
著名人が自分の人生を語る、という連載をしています。
現在は、カトリック作家として知られる、曽野綾子氏の連載が続いています。
9月7日の、第12回目の中で、気になった文章があったので、引用します。
「 旧約聖書の思想は、善いことをしたら報われる、つまり勧善懲悪です。それに対して、イエスの教えを伝える新約聖書は、現世の御利益というものを一切拒否する思想です。
現世で報われるため善いことをするのは、お茶の缶を買うため自動販売機に120円を入れるようなもの。神はそうした安っぽい因果関係を望まないでしょう。
報われても、そうでなくても、やるべきことをやる。それが本当の信仰で、人間の美学なんです。そうした思想に私は軸足を置くことにしたのです。(以下省略)」
どうも、「御利益信仰」というのは、キリスト教の中では、軽蔑されるきらいがありますね。
特に、知的なキリスト教信仰の人には、唾棄すべきもののように思われています。
曽野綾子氏に限らず、カトリック・プロテスタントどちらにも多いものです。
まるで、奇蹟が起きたら困ってしまうかのようですね・・・
(理性的な信仰が揺るがされるので・・・)
確かに、お正月に賽銭を5円とか10円、100円いれて、
「パン、パン」と手をあわせて、家内安全、商売繁盛を願う「信仰」や、
「お金がもうかる」、「病気が治る」とかを売りにした「信仰」とは、
本来のキリスト教信仰は違います。
それらは、自分の欲望を「神」としただけです。
「彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、
恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。」
(新約聖書 フィリピの信徒への手紙3:19新共同訳)
それなら、病人が「癒し」を求めるのは、「悪」なのでしょうか?
病気の癒し=御利益信仰、という図式が成り立ちます。
もし、現世的な御利益をすべて一切拒否せよ、というのであれば・・・
聖書に示されたまことの神様を信じるならば、必ず「奇蹟」が起きます。
その「奇蹟」とは、具体的な病気の癒しなどの場合もありますが、
いろいろな意味で、喜んでいきいきと生きることができる、ということが多いです。
無意味と思われた人生に意味が与えられ、
神様の愛を実感して生きることができる・・・
これを奇蹟といわず、なんといえばいいでしょう。
キリスト教の「天国」は既にこの世から始まっているのです。
考えてみてください。
福音書からキリストの奇蹟を取り除いたら、どれほどのものが残りますか?
いわゆる「御利益」を否定したい人たちは、
「はっきり言っておく。わたし(=イエス様)を信じる者は、
わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。」
(新約聖書 ヨハネによる福音書14:12新共同訳)や、
「信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、
新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、
病人に手を置けば治る。」
(新約聖書 マルコによる福音書16:17~18新共同訳)
といったイエス様の御言葉を、インチキだとでも言いたいのでしょうか。
人間は弱いものです。
「しるしや奇蹟は現代では必要がない」というような考えは、
神様の恵みなどなくても私は信じている!と言いたいのではないでしょうか。
ある意味、「カミサマ」以上の人たちなのかもしれませんが・・・
しるしや奇蹟は、自分自身のためというよりも、他の人を信仰に導くもののため、
と考えた方がいいでしょう。
使徒パウロでさえ、自分自身への癒しはかなえられなかった、という見本があります。
何が神様の御心か、明確なもの(人の救いなど)とそうでないものがあります。
私たちは神様に期待して、祈り続ける必要があるのです。
「天国(死んでからの世界)」ばかりを望むのではなく、
主の祈りにあるように、「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように」
そう、天国をこの地上にもたらすために、私たちは祈り続け、御言葉を伝え続けるのです!
「御利益信仰」とバカにされてもいいではありませんか。
「御利益」は絶対的なものではありませんが、
神様が今も生きて働いておられることを知るきっかけとなります。
お上品ぶって神様に何も求めない「頭の良い子」であるよりも、
神様の恵みを知っている「甘えん坊」でありたいと思います。
子どもの時、父親(母親でもいいですが)が給料日にケーキを買ってきた、
という記憶はありませんか?
ケーキは確かにうれしいプレゼントです。
しかし、ケーキが大事なのではなく、
ケーキを買ってきてくれる父親こそ、最も大切なのです。
奇蹟それ自体が大事なのではなく、奇蹟の源である神様こそ大事なのです。
神様はいろいろな形で恵みを現したいと願っておられますよ!
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