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2010年8月 9日 (月)

ダビデとゴリアト~信仰によって乗り越えよう!(教会学校説教案)

教会学校において、サムエル記上17章の、
「ダビデとゴリアト」の話をしました。

例のごとく、『聖書のおはなし』という本を使って、
その部分の話をし、その後、説教をしました。
その話の要点を書きます。

ちょっとその前に・・・
正直言って、今回の話は、あまり余計な事を言わず、
おはなしを読んで終わりにしたかった箇所です。
というのも、聖書本文を読むと、
ダビデは走り寄って、そのペリシテ人の剣を取り、
さやから引き抜いてとどめを刺し、首を切り落とした。(以下省略)」
(旧約聖書サムエル記上17:51新共同訳)
という、勇ましくも残酷なシーンをどう解釈するか、
について語らねばならないからです。
せっかく、「十戒」を教えるようになったのに、
聖書の登場人物自ら、殺人を犯しているのでは、
道徳的に好ましくありません。
聖書は道徳の本ではありませんが、
幼い頃は「正義」と「愛」を特に学んでほしいと考えています。

『聖書のおはなし』では、ダビデがゴリアトの額に石をぶつけた、
までしか書いていません。
それ以上は、子どもには残虐すぎます。

「おはなし」に書いていない、註解的なコメントとしては、
・「ゴリアテ」は、映画「天空の城ラピュタ」で、飛行戦艦の名前として出てくる。
(新共同訳では「ゴリアト」ですが、口語訳では「ゴリアテ」です。
どちらかというと、こちらの方が一般的では。
新改訳では、「ゴリヤテ」です。)
・ゴリアトは、2メートル半か3メートルぐらいの大男だった。
(聖書によると、「六アンマ半」=約293㎝)
などを話しました。

今回の説教は、こんな感じでした:


「今回は、ダビデとゴリアトの話を学んだね。
みんなは、『こんなの絶対ムリ!』とか思ったことないかな?
あるいは、『こんな人には絶対勝てそうもない・・・』とか思ったことはない?
(あまり反応がでない・・・)
それじゃあ、いじめられそうになったら、どうする?
あるいは、先生から宿題を山のように出されたら?
(「逃げる!」とか、「宿題を先生に突き返す!」などの意見)
今日の話は、羊飼いの少年であるダビデが、
見るからに恐ろしい大男であるゴリアトに挑んで勝った話ですね。
どう考えても、勝ちそうもない戦いでしたが、
ダビデは、神様への信仰によって勝利しました。
この話から何が言えるか、というと、
一見、とても乗り越えられそうもないような事であっても、
逃げたくなるようなことがあっても、
神様への信仰によって、乗り越えられるんだ!ということです。
(ここで、「信仰って、何?」という問いかけが子どもからありました。
本人は、ふざけて言っただけなのかもしれませんが、
実にいい問いかけだと思いました。)
『信仰』って、何だと思う?
(ホワイトボードに「信仰」という漢字を書く)
信仰とは、神様を信じて生活することです。
「信仰」という字は、「信」じて「仰」ぐ、と書きます。
(「仰ぐ」という単語がわからない子がいたので、「仰ぐ」の説明)
神様を信じ、神様を仰ぎ見ること、これが「信仰」です。
(今回は、ここで話を終えました・・・)


実は、前述のとおり、今回はあまり説教準備せずに望みましたが、
子どもからの問いかけが、話を深めたと思います。
神様に感謝!

「信仰」とは何か、ということについて、
子供向けに語りましたが、
一般向けなら、「神様を信じ、人を愛する生活をすること」
とか説明するでしょう。

同じ主題を、別な観点から説教できますね。
たとえば、「勇敢」とか、「殺してはならない」とか、
あるいは、「ダビデの生涯」とか、いろいろな「料理法」があるはずです。
参考になれば幸いです。

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