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2010年7月 1日 (木)

K先生の思い出

今朝、新聞のお悔やみ欄を読むと、K先生の記事が載っていました。
以前所属していた教会で、大変お世話になった方です。
私の所属教会が変わっても、変わらぬ態度で接してくれた数少ない人でした。
今年の2月頃、メールをいただいたのが、最後のやり取りでした。
その時点で、ガンであることを告げられていたので、
私は毎朝癒しのために祈っていました。
しかし、神様の「時」なのでしょう。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
(旧約聖書 伝道者の書3:11新改訳)
すばらしい人格者をこの世に送ってくださり、
なおかつ、そういう方と出会わせてくださった、
神様に感謝します。

K先生は、H大学の名誉教授でした。
信仰的には、聖書の奇跡記事について、
科学者として認めないような発言をたまに語っていましたが、
それ以外では、信徒の模範になるような人でした。
私はいろいろな教会でたくさんの信徒と出会ってきましたが、
K先生はその中でも指折りのすばらしい信徒でした。
心から尊敬できる人で、まさに人格者でした。
また、信徒の立場から、
アメリカやヨーロッパの最新の神学を研究し続ける点もすばらしかったです。
そして、若者や子どもに対する接し方は、私にとっても大いに参考になりました。
初めて教会に来る人への接し方についても、とても影響を受けました。
また、信徒が聖職者に頼りすぎるのではなく、
もっと信徒としての役割を果たすべきだ、ということをよく言われていました。

ここであらかじめお断りしておきますが、
私が「K先生」と「先生」づけをするのは、
大学教授だったからではありません。
教会では肩書きは重要ではありません。
実際、他にも大学教授の方を何人も知っていますし、
開業医(院長先生)や会社社長、幼稚園園長とか、
いろいろなお偉方と知り合いになりましたが、
だからといって、「先生」とか「社長」といった肩書きで呼ぶことはありませんでした。
(そういうこの世的な肩書きを一旦おいて、
神様の前に平等である、ということを知ることができるのが、
教会のすばらしいところです。)
しかし、K先生だけは、まさに教会においても、
「先生」と呼ばれるにふさわしい人でした。
私にとっては、当時の所属教会の主任牧師らよりも、
もっと影響を受けた人でした。

K先生からは、特に、教会学校の運営においては、最も影響を受けました。
K先生は、高齢ながらも、教会学校に携わっていました。
私が教会学校に携わるようになってから、会議で何度も意見を交わしました。
どちらかというと、最初は、私はK先生の意見に少し反発していました。
というのも、私は教会学校できちんと教理を教えるべき、
と生まじめに考えていましたが、
K先生は、教理よりもむしろ、遊びを重視すべき、
と主張していたからです。
しかし、K先生の主張の正しさは、教会学校に携わってから何年も経って、
心から実感しました。
遊びを大事にした事により、教会学校に子どもたちが定着したからです。
私が携わり始めた時は、0に近かったような教会学校が、
数年後、私が教会学校校長になった頃には、2ケタ出席が珍しくなくなりました。
もちろん、これは、隣接する幼稚園の協力も大きかったのですが・・・
(ただし、幼稚園の協力は、教会の歴史と等しいくらい、古くからあるものです。)
もし、私が、自説を曲げずに、教理を教えることにこだわり続けていたら、
教会学校は、0どころか、廃校になっていたかもしれません。
「遊び」を通して、福音を伝える、イエス様の姿を垣間見せる・・・
形式的に教理を教えるよりも、もっと大切なことに気付かされました。

K先生は、私がその教会にいる間に、
何度か教会の礼拝や信徒大会で説教されました。
今でも覚えているのは、マタイ5:14による説教です。
あなたがたは世の光である。
山の上にある町は、隠れることができない。」(新共同訳)
ただこれを語るだけではなく、本当にこれを生きている、
そういう人格から発せられる説教は、大変重みがありました。

ここまで書くと、どちらかというと、厳格なイメージを持たれるかもしれませんが、
実際に会って話をすると、ユーモアと知性、教養があふれる実に魅力的な人でした。
私にとって忘れられない人です。
将来、あのような好々爺として、教会の若い人や子ども達に接していきたい、
そんな手本になるような、真のすばらしいクリスチャンでした。
それゆえ、信仰と、希望と、愛、この3つはいつまでも残る。
その中で最も大いなるものは、愛である。
(新約聖書 コリントの信徒への手紙Ⅰ13:13新共同訳)
信仰、希望、愛・・・この御言葉にふさわしい人でした。

主の慈しみに生きる人の死は主の目に価高い。
(旧約聖書 詩編116:15新共同訳)

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