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2010年7月20日 (火)

教会学校ではホラー映画好きの子にどう対処すべきか?

先日、教会学校で十戒を教えた様子の記事を書きました。
実は、教会学校の前半プログラムが終り、
もう少しで終了の時間を迎えようとしていた時、
ある困った問題が起きました。

一人の女の子が、ホラー映画の話をし始めました。
子どもは幽霊とかその類の話が好きだから、
やみくもに「そんなのダメだ!」とすぐにストップさせることはせず、
少し話させておきました。
すると、他の女の子も、その話に加わり、
油に火がついたように、ホラー映画談議がとまらなくなりました。
私はすっかり辟易しました。
ある子はあまりにも残虐な様子(書くのさえおぞましいです)を、
あたかも楽しいことであるかのように、
滔滔と話していました。
さすがに私は、「これはきちんとすべきだ」と思い、
話が途切れたのを見計らい、
すぐさま、落ち着いた口調で、その子にこういう問いかけをしました:
「○○ちゃん、自分がそういう立場だったら、本当に面白い?
自分がそのような目にあっても、楽しいの?
さっき、十戒で「殺してはならない」と習ったよね?
本当にそれはいいことなの?」
その子は黙ってしまいました。

ここで、道徳的な内容を教える3つの方法を考えてみました。
1つは、「品格」方式です。
これは、藤原正彦氏のベストセラー『国家の品格』に出ていた論法です。
「なぜ人を殺してはいけないの?→ダメだからダメ!」
論議しないやり方です。
2つめは、「霊的」方式です。
オカルトやホラー映画などに対して、
「これはサタンの業だ!」などと霊的存在を持ち出して、断罪し、
悔い改めを求めます。
3つめは、「学校」方式です。
「相手の立場を自分の立場に置き換える」やり方です。
学校とかではこういうやり方で諭す場合が最近は多いですね。
人にもよりますが、私なら、やはり3つめをとります。

プロテスタントの極端な派では、
魔法が出てくる映画やアニメはすべてサタンの業だ、などとして、
子どもには見せてはならない、と教えているところもあります。
ただ、私は残虐な様子を楽しむような内容でなければ、
少しは許容した方がいいと考えています。
まったくの「無菌状態」は、
オウム真理教に心酔した若者たちのような場合に至るかもしれません。
わずかの不思議な光景で、即座に人生観ががらっと変わってしまう・・・
汚れた悪霊を一つ追い出したら、
それがほかの7つの悪霊を連れてきた(ルカ11:24~26参考)みたいな状況でしょう。

教会学校で十戒を教えても(しかも、せいぜい30分程度)、
家庭では残虐なホラー映画を楽しむようでは、
やはり効果が薄いものです。
信仰教育の最高の場は、ほかならぬ家庭です。
親が(片親だけでも)信仰者なら、なおさら、
子どもの心の成長に配慮すべきでしょう。
あるイタリア人神父が、
「子供にとっては、親が預言者だ」と力説していたのを思い出します。
神様の愛と正義を、教会学校教師や聖職者ではなく、
ほかならぬ、親が子にまず伝えてほしい、そう願います。

あと、余談ですが、最近の子たちは、「生まれ変わり」を結構信じているようです。
ゲームのキャラがゲームオーバーしたら「リセット」できるかのように・・・
これも、きちんとすべき問題でしょう。

オカルト全般に対して、どう指導すべきかは、
またの機会に書きたいと思います。

イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。
あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、
あなたの神、主を愛さなければならない。
きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、
努めてこれをあなたの子らに教え、
あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、
これについて語らなければならない。

(旧約聖書申命記6:9~7口語訳)

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