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2010年4月 9日 (金)

書評:菊池乙夫著『算数科「問題解決学習」に対する批判と提言』(明治図書)

以前、「算数の問題解決型授業~学力『崩壊』の決め手」という記事を書きました。
https://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-17ba.html
実際に、算数の問題解決型授業を参観しての感想と考察でした。

その中で、当時、ネットで調べていただけの本を、
今回、実際に買って読んでみましたので、
その紹介をします。
菊池乙夫
算数科「問題解決学習」に対する批判と提言』(明治図書)です。
サブタイトルは、
-科学的数学教育の視点からその非教育性を告発する-」です。
問題解決型授業の実際の展開例から、
どこが問題なのかを指摘するのが中心です。
1年生から6年生までの「問題解決型授業」での展開例と、
そのどこが問題なのかが書いています。
教育に興味がある人はぜひお読みください。

少し長いですが、この本の、中心点となる文章を引用します。
Ⅲ「算数科『問題解決学習』は心理学・教育学の実験場か
という章からの引用です。
以下の文章の前に、次のような問題による授業の展開例があります。
札幌の小学校での実践(実験?)だそうです。

(本題)まさふみさんは午前11時40分に家を出て、
おじさんの家に午後2時15分につきました。
かかった時間はどれだけでしょう。計算で求めよう。
(同書P.135から引用)

この問題に対して、「問題解決型学習」なので、
子ども達が試行錯誤して、だいたい4つの類型の結論に達した、というものです。
細かいところは省略します。
2類型、10名の子は、授業時間たくさん考えて、結局きちんと解けなかったのです。
しかし、一方では、ものの1分(いや、数十秒)も考えたぐらいで、
あっさり解いてしまった子もいたことでしょう。
その後に続く、今回一番知ってほしい文章をお読みください。


数学教育として何がこの授業の主題なのか? 
 さて、この授業の経過を辿って見ると、主題の冒頭には「多様な考えを生み」がある。この中には、明らかに数学的に誤った考えをも含めることによって、正解を目指す「知的葛藤」を起こさせ、より優れたものに収束させるための「練り合いを求める」こととするのであろう。そうであるならば、教師の役割、指導性、主体性、はどう発揮されるのだろう。
 この授業展開では、類型1、2の迷う子・間違う子10名の存在は貴重で、できる子と同等に欠かせない存在なのである。だからこそ、迷路をさまよい、間違った方向に針路を取っているのに、それを放置し、間違った結論に到達することを促進・奨励しているのである。そこには、子どもの思考の流れに身を任せた教師の姿しか見えない。これが数学教育としての授業なのだろうか。数学的認識や学力保障は二の次で、「問題解決学習」という名の授業形態推進のため、「多様な考えを生み、知的葛藤、練り合いを求める」という、心理学的・教育学的課題に奉仕する授業でしかない。これは数学教育ではない。
 こうした手法の結果は、数学の得意な子には自信と優越感を持たせ、不得意な子には自信喪失と、悔しさ・恥ずかしさ、劣等感を飢えつけ、数学嫌いを大量に生み出す。その効果はまさに絶大である。
 教師たる者、自力解決ができる子、迷い悩む子、明らかな誤りに突き進む子、の予想は常時心得て置くべきことである。途中の進行過程を充分に観察しながら、適切な助言や指示を与え、どの子にも正しい方向に進ませるべく後押ししてやるのが教師の役割であり、そのための机間巡視ではないのか。「問題解決学習」に都合のよい材料を提供してくれる子どもを捜すのが机間巡視ではあるまい。理解できずに結論が出せないまま迷い、誤った結論に到達してしまう、そうした子ども達が周囲から批判・攻撃の矢面に立たされるのを待つのが教育なのか?そうした状況に教師の心は痛まないのか?(同書P.137~138より引用)


教師が「多様な考えを生み、知的葛藤、練り合いを求める」という、
教育的「大義」のために、
算数嫌いになる子を増やしている現状は悲しむべきものがあります。
「問題解決」できない子を、「知的に」虐待している、ともいえます。
教育格差を広げているようなものですね。
公立学校は保育園に過ぎず、勉強は塾で行なう、という本末転倒な教育実態。

ちなみに、以前行ったその研究授業には、
3ケタもの若い教師たちが集っていました。
「問題解決型授業」を、学校で展開したいのでしょうね・・・
たとえば、その中の100名の教師が、各30名を担任するならば、
「算数の問題解決型授業」で、3000人の子が、「犠牲」になる、ということです。
(もちろん、優秀な子がたくさんいるはずですから、
真の「犠牲者」はかなり少なくなると思いますが・・・)

小学生のお子さんがいる家庭で、子どもが「算数嫌い」だったら、
もしかすると、原因の一つは、教師の授業方法かもしれません。
子どもに、「どんな授業をやっているの?」と聴き、
もしそれが「問題解決型授業」だったら、
ぜひ声をあげてみてはいかがでしょうか?
(実際、低学力の問題は、裁判になったケースさえあるそうです。)
公立校であれば、納税者として、国民の権利として、
問題教師と学校に対して、学力保障を求めるべきではないでしょうか?

算数科「問題解決学習」に対する批判と提言―科学的数学教育の視点からその非教育性を告発する (21世紀型授業づくり)



算数科「問題解決学習」に対する批判と提言―科学的数学教育の視点からその非教育性を告発する (21世紀型授業づくり)


著者:菊池 乙夫




算数科「問題解決学習」に対する批判と提言―科学的数学教育の視点からその非教育性を告発する (21世紀型授業づくり)

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コメント

zapperさん、コメントありがとうございます。ブログ拝見しました。学力向上の最前線で日々奮闘されているのですね。ぜひがんばってくださいね!

素晴らしい!
当ブログでも紹介させていただきました。
ありがとうございます。

この記事へのコメントは終了しました。

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