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2010年3月22日 (月)

過度な聖職者依存の弊害

わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。
わたしたちは自分で聞いて、この方(=イエス様)が本当に
世の救い主であると分かったからです。
(新約聖書 ヨハネによる福音書4:42新共同訳)

司祭や牧師の職というのは、まことに尊いものです。
当然、尊敬されるべき存在です。
聖書でも、
よく指導している長老たち、
特に御言葉と教えのために労苦している長老たちは
二倍の報酬を受けるにふさわしい、と考えるべきです。
(新約聖書 テモテへの手紙Ⅰ5:17新共同訳)や、
指導者たちの言うことを聞き入れ、服従しなさい。
この人たちは、神に申し述べる者として、
あなたがたの魂のために心を配っています。
彼らを嘆かせず、喜んでそうするようにさせなさい。
そうでないと、あなたがたに益となりません。
(新約聖書 ヘブライ人への手紙13:17新共同訳)
のような御言葉がいくつもあります。

しかし、過度な聖職者依存、いや聖職者「崇拝」というのは、
有害です。
天使でさえ、使徒ヨハネから礼拝されそうになったときに、
やめよ。(中略)神を礼拝せよ。
(黙示録22:9新共同訳)と拒否しました。

司祭や牧師などの聖職者は、どれほどすばらしくても、神々しく見えても、
やはり人間に過ぎません。
神様の御目から見れば、「サマリアの女」(ヨハネ4章)の一人に過ぎません。
目を注ぐべきは、「サマリアの女」ではなく、イエス様だけです。
しかし、いつの間にか、イエス様よりも、
「サマリアの女」の方がメインになっていないでしょうか?

最近、牧師や司祭の不祥事の報道がいくつかありましたね。
日本では、某有名牧師が逮捕されたり、
ヨーロッパでは、
カトリック神父による性的虐待が深刻な問題として取り上げられています。
ここまでひどくなくとも、
いつの間にか、チェック機能が麻痺してしまった教会はよくあるようです。
曰く、「聖職者の声=神の声」・・・
これはとても危険です。

あるいは、本来神様にだけ帰すべき栄光を、
聖職者が「横取り」している場合もあります。
以前、あるカリスマ系の集会で、皆の前で証をした女性が、
「私はこの方(=そこにいた聖職者)によって癒されました!」と言った途端、
その聖職者は正しくも、「いや、癒すのは、神様だけだ!それは違う!」と、
女性に注意を与えました。
その集会で一番印象に残った「事件」でした。
集まった人々は、『神の声だ。人間の声ではない』と叫び続けた。
するとたちまち、主の天使がヘロデを撃ち倒した。
神に栄光を帰さなかったからである。」(使徒12:22~23新共同訳)
自己神格化というのは、とても危険なことなのです。

参考になるブログを紹介します。
東京の牧師先生のようです。
http://blog.livedoor.jp/hamachokuda/archives/1092714.html

聖職者を尊敬するのは当然ですが、
それ以上に、イエス様との結びつきを、もっとしっかりとさせたいものですね。
ちょうど、冒頭に引用した、サマリアの人々と同じことが言えるように・・・

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