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2010年3月 6日 (土)

日本語を教える~読売新聞記事から

読売新聞3月3日朝刊の、教育の記事で、
「日本語を学ぶ」というシリーズが開始されました。
詳しくは記事をお読みください。
(第1回~3月3日記事)
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20100303-OYT8T00192.htm
(第2回~3月4日記事)
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20100304-OYT8T00246.htm

印象に残ったのは、第1回の記事の、
「公的な日本語教育、不十分」というところです。
きちんとしたデータに基づき、
外国人を対象にした日本語教育の必要を訴えています。
外国人登録者数が約222万人に対して、
国内の日本語学習者数は、17万人にも満たない、
という法務省、文化庁の統計資料があります。
(先ほどの記事では、かなり下の方にグラフがあります。)

日本語の読み書きができない、
というのは日本で暮らすのには非常に不便です。
(いくらインターネットがあるとはいえ・・・)
公的な日本語教育の充実が望まれます。

それと同時に、現在、小学校~高校で教えている、
「国語」の授業、もっとなんとかしてほしいと考えます。
論理的に文章を読み解く、という基本中の基本が、
特に小学校ではあまりに軽視されています。
その代わりに、「主人公のそのときの気持ちはどうだったか?」
などというような、ある意味いくらでも答えうるような、
レベルの低いものばかりがはびこっています。
(文学作品では、読み手が百人いたら、
百通りの答えがあってもいいはずです。
主人公の心情を推察するよりも、
文章から分析できること、を読み解く技術の方が重要です。
教師の大半は、国語で道徳を教えようとしているようなものです。)
国語はきちんと、「日本語」を教えるべきであり、
「道徳」は「道徳の時間」で教えるべきです。
学校の先生の裁量任せ、というのは、
非常に心もとないものです。
教え方は、ある程度きちんと定めていたほうがいいと思います。
(どこの業界でもある「マニュアル」が、
学校教師には無いに等しい、という方が異常です。)

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