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2010年3月の50件の記事

2010年3月31日 (水)

わたしの魂は沈黙して(詩篇62から)【自作曲】

今回は、詩篇62への作曲を紹介します。
テキストは、旧約聖書 詩編62:2,3,6~9,12,13新共同訳です。

変則的な引用なので、テキストを全文引用します。
なお、[ ]内は、一部テキストを変更したところです。
(わたしたち⇒われら)


わたしの魂は沈黙して、
ただ神に向かう。
神にわたしの救いはある。
神こそ、わたしの岩、わたしの救い、
砦の塔。わたしは決して動揺しない。

わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。
神にのみ、わたしは希望をおいている。
神はわたしの岩、わたしの救い、
砦の塔。わたしは動揺しない。

わたしの救いと栄えは神にかかっている。
力と頼み、避けどころとする岩は神のもとにある。
民よ、どのような時にも神に信頼し
御前に心を注ぎ出せ。
神は[われら]の避けどころ。

ひとつのことを神は語り
ふたつのことをわたしは聞いた
力は神のものであり
慈しみは、わたしの主よ、あなたのものである、と
ひとりひとりに、その業に従って
あなたは人間に報いをお与えになる、と。


イエス様が捕らえられてからの福音書の記事を読むと、
イエスは黙り続けておられた。」(マタイ26:63新共同訳)
といった記述が何箇所かあります。
苦役を課せられて、かがみ込み
彼は口を開かなかった。
屠り場に引かれる小羊のように
毛を切る者の前に物を言わない羊のように
彼は口を開かなかった。
(旧約聖書 イザヤ書53:7新共同訳)と書かれているように、
救い主(メシア)であるイエス様は、あえて沈黙を守られました。
人に助けを求めるよりも、父なる方に向かって、
助けを求めておられたのでしょうね。

私達も、身近に信頼できる友人がいて、
悩みを打ち明けられれば一番いいですが、
しばしば、人の慰めは、救いにならないことが多いです。
むしろ、あえて苦しい心を、主にぶつける方が、
真実な解決を見いだす場合が多いです。

この詩篇の作者は、頼りにならない人の助けよりも、
まず神様に向かい、神様のご性質(属性)を思い起こし、
信頼を告白します。
そのうちに、心が引き上げられる体験を得たのでしょう。
詩篇によくあることですが、最初は苦しみを告白していたのが、
最後には確信と讃美で終わります。
(詩篇88は例外的ですが・・・)

私の作品においても、最初はニ短調で始まりますが、
最後はニ長調で終わります。
ひとつのことを・・・」のところから転調します。

なお、詩篇についての理解を深めるためにいい本があります。
来住 英俊神父の、
目からウロコ 詩編で祈る」(女子パウロ会)です。
これはオススメですので、ぜひ読んでみてください。
薄いながらも、すばらしい内容です。
詩編の「心」がわかりますよ。

目からウロコ 詩編で祈る



目からウロコ 詩編で祈る


著者:来住 英俊




目からウロコ 詩編で祈る

テキスト・楽譜と、メロディは、下記からダウンロード願います。

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Kenosis(ケノーシス)(03)(フィリピ2:6~11)【自作曲】

聖週間にちなむ作品として、今回は、福音書からではなく、
使徒パウロの手紙からの曲を紹介します。
テキストは、新約聖書 フィリピ2:6~11新共同訳です。
キリストの受難、へりくだり(謙遜・無化)、十字架を通しての栄光が、
簡潔に、そして壮大に描かれていますので、ぜひお読みください。

曲は、ニ短調から始まります。苦しみ、受難を表します。
四旬節の詠唱に影響を受けています。
そして、10節のところ「こうして・・・」から、
栄光の調性であるニ長調へ転調します。光が現われます。
最後は、キリストの勝利を讃えて、曲は締めくくられます。

タイトルの「ケノーシス」とは、神学用語で、
キリスト教神学の概念では、
神が人間になること、神が自らを低くすること、
神が自らを空しくすること、とりわけ神が僕=奴隷の姿形をとること。
(下記サイトから引用)
http://d.hatena.ne.jp/desdel/20080315
もっとわかりやすく言うと、神のへりくだり、無化です。
手元の「ジーニアス英和大辞典」(電子辞書版)には、
kenosis・・・
神学〕ケノーシス《キリストが人間と一体化するために
自らの意志で行なった神性の放棄》
」とあります。
そして、参照として、フィリピ2:6~7が書かれてあります。

ケノーシス」を理解するのに参考になると思われる適切なサイトを紹介しておきます。
大阪ハリストス正教会の司祭 ダヴィド水口優明氏の文章です。
言葉のパラクレートス
http://www.sutv.zaq.ne.jp/osaka-orthodox/kotopara/kotopara05_012.htm
なお、「ハリストス」とは、「キリスト」と同じです。
また、「パラクレートス」は、
ギリシャ語で「弁護者、慰め主」という意味で、
普通は、イエス様がヨハネ16章で約束された「聖霊」を指します。

ケノーシス」という観点からすれば、クリスマスの飼い葉おけも、
十字架の悲惨な苦しみも、すべて神の狂おしいばかりの愛の表れなのです。

ケノーシス」という言葉を私が初めて知ったのは、
確か、20世紀フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユの著作か、
彼女の生涯についての本だったと思います。

フィリピ2:6~11への作曲は、この曲も含めて3曲与えられています。
いずれも新共同訳です。
最初の2曲は、長調で、転調はありません。
この3番目の曲が、その中では一番気に入っています。

テキスト・楽譜と、メロディは、下記からダウンロード願います。

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2010年3月30日 (火)

使徒20:35の斬新な訳

私の大好きな聖書の御言葉の一つは、
使徒言行録(使徒の働き、使徒行伝)20:35のイエス様の言葉である、
受けるよりも与えるほうが幸いである。」(新改訳)です。
私にとっては、ただ単に「大好き」で留まるのではなく、生き方の指針の一つです。

今朝、エマオ出版訳の新約聖書で、
ちょうど「使徒の働き」20章を読みました。
すると、前述の使徒20:35は、今まで読んだことのない訳となっていました。
与える者は、与えられる者より幸いである。
これは斬新な訳だな~と思いました。

さっそく、他の訳はどうなっているか調べてみました。
記憶にある限り、この箇所は、ほとんど差がない訳だったはずです。
実際、調べてみると、ほとんどが「受けるよりも・・・」とだいたい同じような訳でした。
(新共同訳では、「受けるよりは・・・」です。
この場合は、「」よりも「」の方が好きです。)
岩波書店訳や回復訳、共同訳などでも同様でした。
口語体の訳では、リビングバイブルと新和訳がちょっと違っていました。
与えることは受けることよりも幸いである。」(リビングバイブル)
与うるは受くるよりも恵福(さいわい)なり」(新和訳)
(新和訳は、時々文語体を混ぜています。)

ちなみに、文語訳、正教会訳、ラゲ訳(カトリックの文語訳)では、
次のように訳されています。
與ふるは受くるよりも幸福(さいはひ)なり」(文語訳)
與ふるは受くるよりも更に福(さいはひ)なり」(正教会訳)
與ふるは受くるよりも福なり」(ラゲ訳)
(文語訳、ラゲ訳は、以下から引用しました。)
http://bible.50webs.org/
ある意味、エマオ出版訳のは、古い聖書の訳に近いといえましょう。

いずれにせよ、重要なのは、「与える者は・・・幸いである」ということです。
そういう生き方を心掛けてきましたし、これからもそうありたいと願っています。

Jesus, remember me わたしを思い出してください(ルカ23:42~43)【自作曲】

今回は、ルカ23:42~43への作曲を2曲紹介します。
テキストは、日本語版が新改訳、英語版はNRSVです。
イエス様と一緒に十字架につけられた2人の犯罪者の一人が、
十字架の上で悔い改め、イエス様に呼びかけるところと、
イエス様の約束の言葉がテキストです。

なお、英語版では、テゼ共同体の曲が有名ですね。

ところで、正教会の十字架の形をご存知ですか?
カトリックやプロテスタントで使われる十字架の形と少し違っています。
私の家では、
函館のハリストス正教会で買った新約聖書を目立つように飾っています。
その表紙には、ロシアン・クロスが大きく描かれています。

20100330_cross_2

十字架の3本の横木は、一番上が罪状書き、
二番目は、説明の必要がないですね。
一番下の横木は、足台であると同時に、
斜め上に向かっていることによって、
悔い改めて天国に行った犯罪者を想起させるため、とのことです。
詳しくは、日本正教会のHPを御覧ください。
http://www.orthodoxjapan.jp/tebiki/katachi04.html
悔い改めに、遅い、手遅れということはありませんね。
十字架の上で悔い改めた犯罪者を赦し、
天国へ迎え入れてくださったイエス様が、必ず赦してくださいます。

テキスト・楽譜と、メロディは、下記からダウンロード願います。
なお、"in japanese"が日本語版、"in english nrsv"が英語版です。
ルカ23:42~43への作曲は、
この2曲を含めて、現在までに4曲与えられています。

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2010年3月29日 (月)

雑誌「サンデー毎日」の記事から~対談「キリスト教は排他的なのか」

わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方です。
(新約聖書 マルコの福音書9:40新改訳)

雑誌「サンデー毎日4月4日号の新聞広告に、
気になる見出しがありました。
中曽根大勲位 VS.松長高野山管長~キリスト教は排他的なのか
中曽根元首相と、高野山管長の松長有慶氏との対談です。
(雑誌の見出しは、以下のサイトでご確認ください。)
http://mainichi.jp/enta/book/sunday/news/20100323org00m100058000c.html
松長有慶氏といえば、
昨年の11月、民主党の小澤幹事長と会談した事で知られます。
会談のすぐ後、小澤幹事長は、
キリスト教は排他的で独善的な宗教だ」などと発言し、
TVニュースや新聞でも取り上げられました。
(とんでもない発言ですね(`ε´)記事については、以下を御覧ください。)
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091110/stt0911102121020-n1.htm
松長氏は、現在、全日本仏教会の会長です。

たぶん、否定的な事が書かれているのかと思いつつ、
記事を立ち読みしてみました。
すると、意外なことが書かれていました。
結論から言えば、松長氏は、
キリスト教は決して排他的ではない。」とはっきり述べていました。
(思わず、尊敬しちゃいました・・・)
あと、この対談の中で、実に意外な事を、中曽根氏は述べていました。
中曽根氏が戦時中、海軍に出征した際に携行したのは、
シューベルトの『冬の旅』のSP盤と、(なんと!)聖書だったそうです。
さらには、中曽根氏は、民主党の小澤幹事長の問題発言に触れ、
「それは、一部のキリスト教徒のことだ。」
(正確な引用ではないですが・・・)とも述べています。

記事の主旨は、実は「キリスト教は排他的なのか」ではありません。
たぶん、雑誌記者が、昨年の小澤発言を念頭に、
刺激的な見出しとして、それを選んだだけなのでしょう。
実際は、仏教的世界観に基づく自然との共生・調和などがメインテーマです。
キリスト教徒が読んでも、参考になると思います。
できれば、一読をおすすめします。

「キリスト教だから何でも○、仏教だから何でも×」というのはひどい偏見です。
使徒パウロでさえ、
兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、
すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、
また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。
(新約聖書 フィリピの信徒への手紙4:8新共同訳)と述べています。
すべて」という言葉に着目してみてください。
そして、「あなたがたの広い心がすべての人に知られるようにしなさい。
(新約聖書 フィリピの信徒への手紙4:5新共同訳)という御言葉もありますね。
無神論者でも、「1+1=2」と言えば真理ですし、
クリスチャンが「1+1=5」である、といえば、当然、誤りです。
敵意や偏見、嫉妬のメガネを外して、真実をありのままに見つめたいものです。

中曽根元首相の公式HPがありましたので、一応、紹介します。
中曽根康弘の世界
http://www.yatchan.com/index2.html

2010年3月28日 (日)

フローネとポニョは似ている?~「ふしぎな島のフローネ」&「南の虹のルーシー」(完結版)

世界名作劇場・完結版シリーズの続きです。

ふしぎな島のフローネ」と「南の虹のルーシー」の完結版を、
妻と一緒に観ました。
私は「フローネ」の一部分を本放送時に見た記憶はありますが、
はっきりとは覚えていません。
南の虹のルーシー」も同様でした。
妻はどちらも観たことがありませんでした。

ふしぎな島のフローネ」は1981年、
南の虹のルーシー」は1982年の放映です。

フローネ」を観た妻の感想。
「フローネって、ポニョに似ていない?」???
そういわれてみれば、フローネは、
崖の上のポニョ』のポニョちゃん(特に、半分鳥状態?のとき)に似ているかも?
(フローネファンの皆様、ゴメンナサイ・・・)

完結版としての感想は、
同じオーストラリア関係の話では、「フローネ」の方が面白かったです。
ただ、最後の締めくくりとしては、「フローネ」は、なんとなく中途半端かも。
南の虹のルーシー」は、家族愛が感動的ですね。
どちらも、私にとっては、完結版を見れば、十分かもしれません。

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主イエスは道、真理、命・・・(ヨハネ14:6他)【自作曲】

ついに今年も受難週を迎えることになりましたね。
というわけで、今週は、
受難に関係ある御言葉への作曲をいくつか紹介したいと思います。
主に、最後の晩餐(聖木曜日)、受難(聖金曜日)に関連する箇所からです。

今回は、
ヨハネ14:6他の御言葉を組み合わせたテキストの曲を紹介します。

テキストは以下のとおりです。
(  )内は聖書箇所です。
[  ]内は、讃美歌にふさわしくするため、変更した箇所です。
テキストの言葉はすべて新共同訳を使用しています。


主イエスは道、真理、命・・・

[主イエス]は道、真理、[主イエスは]命、(ヨハネ14:6)
まことのぶどうの木、(ヨハネ15:1)
命のパン、(ヨハネ6:35、48)
[主イエス]は世の光、(ヨハネ1:9、ヨハネ8:12)
善い羊飼い、(ヨハネ10:11)
神の独り子、神の小羊(ヨハネ1:14、18、ヨハネ3:16)


イエスは言われた。
『わたしは道であり、真理であり、命である。
わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。』」
(新約聖書 ヨハネによる福音書14:6新共同訳)
父に至る道はただ一つです。

テキスト・楽譜と、メロディは、下記からダウンロード願います。

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2010年3月27日 (土)

主の祈り(カトリック・聖公会共通)(06)【自作曲】

以前、「主の祈り」シリーズを10回連載しましたが、
久しぶりに、「主の祈り」の曲を紹介してみたくなりました。
(以前の記事については、以下を御覧ください。)
https://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/cat35997819/index.html

今回は、カトリック・聖公会共通の「主の祈り」への作曲の、
第6番目です。
少しメランコリックな曲調です。
「夜」のイメージがあります。

メロディ(midiファイル)と楽譜(PDFファイル)とは、
下記からダウンロード願います。もちろん無償です。

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衝撃的な広告~日本の貧困

3月26日の読売新聞朝刊に、とても衝撃的な広告が出ていました。
下はそのメインの写真です。
セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」のサイトから引用しました。
(できれば、下のサイトを必ず見てくださいね。)
http://www.savechildren.or.jp/index.html

Save_the_children_20100326_cm

いったい、どこの国の話でしょう?
ほかならぬ、日本のことなのです・・・
この広告の数値の根拠は、厚生労働省のHPに出ています。
既に、昨年ニュースでも話題になりましたね。
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2009/10/h1020-3.html

セーブ・ザ・チルドレンの話は、
中南米とか、アフリカの貧しい国々のことだと思っていたら、
いつの間にか、日本の子どもたちにも、そういう団体の援助が必要になるとは・・・
私は衝撃を受けました。

3月26日の読売新聞朝刊・北海道版では、
このブログで何回か紹介した、「検証 北海道の教育」シリーズの第三部として、
北海道外での取り組みを紹介していました。
ちょうど、大阪府のところでした。
低学力の原因の一つが、家庭環境の悪化にあることを分析し、
そのうえで、学力向上の取り組みを紹介していました。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/feature/hokkaido1263447647981_02/news/20100326-OYT8T00344.htm
(読売新聞の北海道版掲載「検証 北海道の教育」はHPで読めますので、
ぜひ読んでみてくださいね。)
貧しさが、あきらめを生み、さらなる貧困を招く・・・という悪循環を、
どこかで断ち切らねばなりません。
(なお、関連する話題として、「不況が原因?子供の口腔崩壊」というのも、
参考としてお読みください。)
http://news.cocolog-nifty.com/cs/article/detail/blog-201003241627/1.htm

私としては、「何かをしなければ・・・」と即座に思い立ちました。
その時、頭の中に浮かんできたのが、
フィリピ2章4節の御言葉でした。
手元にあったのが、エマオ出版訳だったので、その訳で引用します。
各々は自分自身の益のみを求め続けてはいけません。
他の人の益を求め続けてください。
キリスト・イエスの(御心の)中にあるこの思いが、
あなたがたの間にも(あるように)心掛けなさい。
キリストは、神としての御姿であられるのに、
神性と一致する姿であることを手放したくないものとは
お考えになりませんでした。

(新約聖書 ピリピ人への手紙2:4~6エマオ出版訳)

今の時代、法人税減税とか、子ども手当だ・・と糠喜びしていますが、
自分の利益・権利を追求するばかりで、義務を果たそうとしない傾向が強いですね。
法人税をもっと上げれば、企業の利益を税金にまわすよりは、
従業員に還元されますし、
あと、7兆円もの資産があるといわれる某宗教団体や、
キリスト教会も含めて、宗教団体から税金をとったりすれば、
現実的な「救済」ができるはずです。
(教会自ら、自己保身的な態度を捨てる模範を示してほしいものですね。)
さらには、消費税を北欧並みに高くする代わりに、
医療・教育・福祉を無償化するなど、できるはずです。
自分だけ得をするという、「餓鬼」の心ばかりの人が増えるなら、
日本は本当にひどい国になります。
自分の利益ばかりではなく、多くの人の幸せを考え、行動する、
それこそが、幸せへの道です。
受けるよりも与えるほうが幸いである。」(使徒20:35新改訳)
(精神科医の和田秀樹氏のブログでは、たびたび、
相続税を100%にせよ」とか、
法人税をもっと上げるべき」などを主張しています。
結構説得力がありますし、私も同感です。ぜひ読んでみてください。)
http://ameblo.jp/wadahideki/

私も、ささやかながら、できることをしていこうと思い、
セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンに募金しました。
外国の子の幸せも大事ですが、
もっと身近な、日本の子どもたちの未来のために、
いろいろできることはあるはずです。
政治について関心を持つのもその一つですし、
(単なる人気投票や、その場しのぎの政策ではなく、
日本の20年後、30年後を見据えた政策を考える必要があります。)
セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンのような団体に寄付するのも一つです。
「慈善は偽善だ」などと屁理屈を言うだけで、何もしないのは、一番よくないです。
(もちろん、お金がどのように使われるかを、よく見極める必要はありますが・・・)

あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、
いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、
こうして釣り合いがとれるのです。
(新約聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ8:14新共同訳)
信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、
信仰はそれだけでは死んだものです。
(新約聖書 ヤコブの手紙2:17新共同訳)
あなたがたの中で善い業を始められた方が、
キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、
わたしは確信しています。
(新約聖書 フィリピの信徒への手紙1:6新共同訳)

神様が、皆様に、よい決心をお与えくださいますように・・・

2010年3月26日 (金)

ペリーヌ物語&牧場の少女カトリ(完結版)

ブログ内で、世界名作劇場シリーズについての記事がいくつもありますから、
カテゴリーに「世界名作劇場」を追加しました。

前回紹介した「アルプス物語 わたしのアンネット」と一緒に、
ペリーヌ物語」と「牧場の少女カトリ」も借りました。
どちらも、きちんと見たことがない作品でした。
いずれも、借りたのは、完結版のDVDです。

ペリーヌ物語」のキャラクターデザインは、
世界名作劇場中、最も素朴なものかもしれません。
直線的、点と線だけのデザイン、という感じです。
背景も、手抜きとまではいいませんが、魅力がありません。
キャラクターの魅力はあまりありません。

完結版では、本放送版の前半までを思い切ってほとんどカットし、
いきなり、おじいさんのいるマロクール村にペリーヌが着くところと、
ペリーヌのお母さんが亡くなるところから始まります。
物語を、ペリーヌとおじいさんとの関わりに絞った構成は、
無駄がなく、わかりやすかったです。
ただし、前半の人物関係がわからなくなったのは、ちょっとマイナスです。

絵に魅力がないペリーヌ物語ですが、
ストーリー展開はとても魅力的でした。
ちょうど、昼下がりの連続ドラマか、韓国ドラマ並みに、
きわめて、「メロドラマ」です。
ペリーヌが自分の本当の名前も立場も隠して、
おじいさんの秘書になり、たとえおじいさんが自分のことを知らなくても、
愛をもって仕え続ける姿は、
ちょっとシチュエーションが違いますが、
古いアメリカ映画『心の旅路』を彷彿とさせました。
後半はとても感動して、涙腺ウルウル状態が続きました。
妻が隣にいたので、ちょっと恥ずかしくて泣けませんでしたが・・・
愛されるよりも、愛することを・・・
平和の祈り」の一節が響いてきました。

牧場の少女カトリ」は、オープニング曲は結構好きです。
(ただ、歌詞と作品はあまりあっていないようですが・・・)
完結版で見ると、カトリの苦労、努力、運のよさというのは、
片鱗しかわかりませんでした。
もともと起伏があまりない話のようなので、
完結版ではさらにすっきりしすぎて、印象は薄いです。
ただ、世界名作劇場唯一の北欧が舞台なので、
背景の描き方が魅力的だったのと、
シベリウスの「フィンランディア」が実に効果的に使われていたのは、
結構よかったです。
フィンランディア」の中間部は、
やすかれ、わがこころよ」という題で、
讃美歌にもなって世界中で親しまれていますね。

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The Peace Prayer(平和の祈り)【自作曲】

今回は、キリスト教界で広く用いられている、
平和の祈り」への作曲を2曲紹介します。
日本語版と英語版各1曲ずつです。
日本語版は、
カトリックの『祈りの手帖』(ドン・ボスコ社)のテキストを使用しています。
英語版は、以下のサイトにあるテキストを使用しました。
http://home.interlink.or.jp/~suno/yoshi/poetry/p_assisi.htm

それぞれ、テキストを記載します。
(日本語版~「平和を求める祈り」)

神よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください。
憎しみのあるところに、愛を
いさかいのあるところに、ゆるしを
分裂のあるところに、一致を
迷いのあるところに、信仰を
誤りのあるところに、真理を
絶望のあるところに、希望を
悲しみのあるところに、喜びを
闇のあるところに、光をもたらすことができますように。
神よ、わたしに、慰められるよりも慰めることを
理解されることよりも、理解することを
愛されるよりも、愛することを望ませてください。
自分を捨てて初めて自分を見いだし、
ゆるしてこそゆるされ、
死ぬことによってのみ、永遠のいのちによみがえることを
深く悟らせてください。


(英語版)
LORD,
make me an instrument of Your peace.
Where there is hatred, let me sow love;
where there is injury, pardon;
where there is doubt, faith;
where there is despair, hope;
where there is darkness, light;
and where there is sadness, joy.

O DIVINE MASTER,
grant that I may not so much seek to be consoled as to console;
to be understood as to understand;
to be loved as to love;
for it is in giving that we receive;
it is in pardoning that we are pardoned;
and it is in dying that we are born to eternal life.


日本語版では、
神よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください。」の句を、
4回繰り返しています。
英語版は、弾むようなリズムが特徴的です。

この祈りは、今では毎日祈っているわけではありませんが、
祈りの言葉、特に
慰められるよりも、慰めることを
理解されることよりも、理解することを
愛されるよりも、愛することを望ませてください。」のところは、
自分の生き方の一部になっていると思います。

この祈りは、アッシジの聖フランチェスコのものと伝えられていますが、
実際には、違うようです。
しかし、そんなことはどうでもいいほど、
聖フランチェスコの生き方、考え方を如実に表していますね。
ちなみに、聖フランチェスコは、私の一番好きな聖人です。

この祈りをただ口先で唱えるのではなく、
まさに、祈りを生きることによって、あなたも私も、
輝く生き方ができるはずです。
そう、日々、神様の「平和の道具」となることを願わずにはいられません。

メロディ(midiファイル)と楽譜(PDFファイル)とは、
下記からダウンロード願います。もちろん無償です。
なお、"in japanese"が日本語版、"in english"が英語版です。

「20100326_the_peace_prayer_in_japanese.MID」をダウンロード

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2010年3月25日 (木)

おすすめサイト~婚活系クリスチャン女性よ!「好球必打」でクリーンヒットじゃ!(水谷潔牧師のブログ)

ココログは、アクセス解析機能が優れています。
(他のサイトは実のとことろ、よくわかりませんが・・・)
どういうキーワードで検索して、このサイトに至ったか、というのが、
「検索フレーズランキング」として、ブログ内に表示して公開しています。
ランキングに入らなくても、どんなフレーズか見るのは興味深いです。

検索フレーズの中で、1日に1件必ずあるのが、
クリスチャン 婚活」です。
私も試しに、このフレーズでGoogle検索してみますと、
驚いたことに、私の記事が、4番目にランクされていました。
(結果は3月25日現在。なお、私の記事は以下です。)
https://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-c46f.html
水谷潔牧師のブログを紹介する記事です。
(あと、結婚関係の記事の検索では、
キウイ・ハズバンド」も多いですよ。)
https://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-1b6c.html

今回紹介するのも、またまた婚活に関する、水谷潔牧師のブログです。
題して、
婚活系クリスチャン女性よ!「好球必打」でクリーンヒットじゃ!」シリーズです。
全3回です。
クリスチャン女性の婚活を、野球のバッターにたとえています。
当然、男性が、ピッチャー。
さまざまな変化球とか、ストレートとか、時には暴投さえあります。
詳しくは、ぜひ読んでみてください。
リンクは、以下からどうぞ。
「小さないのちを守る会」
http://chiisana.org/
真ん中の「命と性の日記~日々是命、日々是性」のバナーから。
3月21日、23日、24日の記事です。
特におすすめは、3月23日の記事です。

ところで、先日、こんな記事を読みました。
「理想の相手」見つかる確率、わずか28万分の1―英研究
Yahoo!の記事です。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100120-00000026-rcdc-cn
???と思い、読んでみると・・・
要約すれば、
「イギリスの経済学者の男性が、
「なぜわたしには彼女がいないか」という論文を発表した。
宇宙にどのくらいの地球外生命体が存在しているかを推定するための方程式である、
「ドレイクの方程式」を駆使して、
潜在的に「理想の彼女」になりえるロンドン在住の成人女性を計算した」、
というものです。
その記事から引用すると、
英国には3000万人の成人女性がいるが、そこから24歳以下と34歳以上の女性を省き、さらにロンドン在住者に限定すると、潜在的に自身の彼女になりうる女性はわずか26人であることが分かった。確率は28万5000分の1だという。
ずいぶんキビシイ条件のようですね。w(゚o゚)w
私だったら、そもそも「理想の彼女」は宇宙生命体並なのか、
とツッコミたいところです。(^-^;
(でも、下の方で紹介している、
ベスト・パートナーになるために』という本の原題は、
男は火星から、女は金星からやってきた』ですから、
あながち間違っていないかも?)

女性の婚活についてのニュースを読むと、いつも目につくのは、条件の高さです。
相手の年収、職業、容姿、学歴・・・
相手に要求ばかりしている姿が目立ちます。
どこにもいない「白馬の王子様」を妄想しながら、待つのでしょうか?
(男性も、似たようなものですが・・・)

受けるよりも与えるほうが幸いである。」(使徒20:35新改訳)
相手に求めるよりも、自分がその「理想の恋人」になる努力が必要でしょう。
「わたしの隣人とは誰ですか。」(ルカ10:29新共同訳)をちょっと変えて、
「わたしの理想の恋人とは誰ですか?」とすれば、
「誰」を問うよりも、自分が「その人」になることが大切ですよね。
善きサマリア人の結尾を引用すれば、
行って、あなたも同じようにしなさい。」(ルカ10:37新共同訳)
相手に要求するよりも、まず自分を磨くほうが大事ですね。

婚活向けには、以下の本も参考になると思います。
読みやすいもの3冊を紹介しておきます。

ベスト・パートナーになるために―男と女が知っておくべき「分かち愛」のルール 男は火星から、女は金星からやってきた (知的生きかた文庫)



ベスト・パートナーになるために―男と女が知っておくべき「分かち愛」のルール 男は火星から、女は金星からやってきた (知的生きかた文庫)


著者:ジョン グレイ




ベスト・パートナーになるために―男と女が知っておくべき「分かち愛」のルール 男は火星から、女は金星からやってきた (知的生きかた文庫)

新・良妻賢母のすすめ―愛としあわせを約束する26章



新・良妻賢母のすすめ―愛としあわせを約束する26章


著者:ヘレン アンデリン




新・良妻賢母のすすめ―愛としあわせを約束する26章

この人と結婚していいの? (新潮文庫)



この人と結婚していいの? (新潮文庫)


著者:石井 希尚




この人と結婚していいの? (新潮文庫)

英語のサイトですが、ジョン・グレイ博士のサイトも一応紹介します。
http://home.marsvenus.com/
ジョン・グレイ博士の本はいろいろ出ています。
どれも、興味深いものばかりですよ。

あと、3冊目の著者、石井希尚牧師の公式サイトがあります。
http://www.marre.jp/index.html
カウンセリング用BBSもありますよ。
http://www.marre.jp/counseling.html

アルプス物語 わたしのアンネット(完結版)

「ハイジ」を観て、
すっかり「世界名作劇場」愛に火がついてしまったかも?・・・

 

アルプス物語 わたしのアンネット」は、
本放送時も含めて、今まで1回も観たことがない作品でした。
(放送されていた時、全然話題に上らなかったような気がしますが・・・)
しかし、いろいろ調べると、なかなか興味深い内容のよう・・・
ということで、思い切って、総集編のDVDを借りて、妻と一緒に観ました。
1983年の作品です。

 

この作品の原作は、『雪のたから』という児童文学です。
(あらすじ等は、下記HPで詳しく出ています。)
http://fermat.sakura.ne.jp/meisaku/annett/annett_emi.htm とてもキリスト教色の強い作品のようです。
(私はまだ読んだことがありません。機会があれば、ぜひ読んでみたいです。)
一般の書店ではたぶん手に入らないはずです。
キリスト教書店で、もしかしたら、売れ残っているかもしれません。
(Amazonでも、出版元であるいのちのことば社でも、品切れ状態のようです。)

 

テーマは、ズバリ、「罪と赦し」です。
罪責感と償い、赦せない思い、嫉妬心・・・
キリスト教色はアニメではかなり薄められているようですが、
イエス様への改心の祈り(参考:黙示録3:20)や、
Ⅰヨハネ4章からの御言葉の引用などがあり、
キリスト教の視点からすると、すばらしい作品です。
観ていると、何年か前に上映していた日本映画『手紙』を思い出しました。

 

事故とはいえ、重い障害を負わせてしまったというルシエンの罪責感と、
罪を償おうとする懸命な努力、
そして、主人公アンネットの、赦せない思いを抱き続ける苦々しさの日々・・・
世界名作劇場にしては、かなり重苦しいテーマです。
ハイジやポリアンナのような天真爛漫さはないし、
小公女セーラのような、いじめに耐え抜く話でもありません。
むしろ、主人公はどこにでもいるような存在、特別いい子などではありません。
だからこそ、放送当時よりも、現代の方が、共感できるのではないでしょうか。

 

総集編としての構成は、時系列がとてもわかりづらく、
もっとシンプルにした方がよかったのでは、とも思いますが、
しかし、話を知る、という点では、貴重なものです。

 

「わたしのアンネット」の「わたしの」とは、どういう意味なのでしょうか?
ネットでいろいろ調べてみると、こんな意見を言っている人がいました。
曰く、「『わたしのアンネット』の『わたしの』とは、『わたしの中の』ということで、
視聴者の心の中にある、赦せない自分、罪責感を持つ自分自身・・・」

 

人を赦せない心、というのは、とても苦々しいものです。
憎しみを持ち続けるのは、相手よりも、自分自身の心をボロボロにします。
物語の終盤で、アンネットとルシエンが和解するところは感動モノです。
機会があれば、全編観てみたいと思います。

 

愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。
(聖書新共同訳 ヨハネの手紙Ⅰ4:18より)
作品の中でも引用されていました。
機会があれば、この総集編を、教会学校で使ってみたいと思いました。

 

(2019年12月28日追記 dアニメストアで全話見放題のようです。)

下記はAmazon プライムから。

こちらは、DVD。

(2019年12月28日追記)

最近(2019年12月下旬)、この記事を読んでいただける方が、

少し増えてきたようですので、

この作品の原作である『雪のたから』の新訳が出ることを紹介します。

Amazonでは、2020年1月中旬に発売予定です。

私は予約しました。

読んでみたら、ぜひ感想を書きたいです。

2010年3月24日 (水)

アルプスの少女ハイジ・総集編

NHK・BS2で、2010年3月22日、23日に、
「アルプスの少女ハイジ」の総集編を放送していました。
妻と一緒に観ました。
総集編を観るのは、これが初めてでした。
22日が、前半(「アルムの山」)、
23日が、後半(「ハイジとクララ」)の放送でした。

もともと、全52話(計20時間以上)あるものを、
1時間半×2=3時間にまとめているダイジェスト版なので、
物足りないところが多々ありますが、
ストーリーをなぞるにはとてもよくまとめられています。
これだけでも、ある程度までは感動できます。
セバスチャンの声が違うとか、多少気になるところはありますが・・・

それにしても、放送から35年も経つのに、
全然古さを感じませんね。
(注:総集編はもっと新しいですが・・・)
それが一番のオドロキです。
フランクフルト編を除く全編、スイスの美しい絵はがきを見ているようです。

先日、NHKの「ワンダー×ワンダー」という番組で、
モンブランやツェルマットなどのヨーロッパアルプスを特集していましたが、
その光景は、ハイジのアニメの背景で忠実に再現されています。
(逆さアルプスなど)
背景や動植物などのリアリティが、時を経ても鑑賞に堪える一因となっています。
(以前、「アルプスの少女ハイジ展に行ってきました」という記事で紹介しています。)
https://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-6889.html

総集編では、第49話「クララが歩いた」のエピソードがちょっとあっさりしていました。
この回は、単独で「なつかしのアニメ名場面」とかで取り上げられますね。
もちろん、すごく感動する回ですが、
私と妻は、ハイジがフランクフルトからおじいさんのところに帰る話が、
一番感動するところだと思っています。

下で、総集編の紹介をしていますが、
できればこの作品は、少々高いですが、全話そろえたほうがいいと思います。

Blu-ray BOX

2010年3月23日 (火)

DQNネーム検定

以前、「ビューティフル・ネーム?」と題して、
子供におかしな名前をつけることの弊害について書きましたが、
https://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-029b.html
今回はその続編みたいなものです。

たまたまniftyのニュースで、台湾の人がブログでこういう発言をしている、
というのが紹介されていました。
『日本人の名前には、発音のルールがない』ことに驚き、
『我々台湾人にとって、日本の命名を理解するのは難しい』
と大いに不思議がっているという。
(以下から引用)
http://news.nifty.com/cs/item/detail/ameba-20100322-60334/1.htm
確かに、その通りだと思います。

その記事の下の方に、リンク先として、
DQNネーム検定」なるものがあり、
興味があってやってみました。
http://dqname.jp/index.php?md=test
ぜひともやってみてください。
私は3回やってみましたが、3回とも0点でした。
(1回1回、問題が違います。)
ある意味、まともな日本語感覚がある、と自負してもいいかもしれません。
(10問中10点満点の人は、異常です。)
答えを見た時には、
こんな名前をつける(本当にいるの?)ことへの憤りさえ覚えます。
ペットにつけるならともかく・・・
(ペットの方が、よっぽどマシなネーミングかもしれません。)
なお、この検定の平均点は、1.2点だそうです。

ちなみにDQNネームとは、ウィキペディアでは、
最近の子供の名前に見られる、暴走族のような当て字(愛羅=あいら、など)や漫画・アニメ・ゲームなど架空のキャラクターからとった当て字の名前(光宙=ぴかちゅう、など)のように、読みづらい名前や、常識的に考えがたい言葉を(戸籍上の)名前にすることをDQNネームと呼ぶ場合がある。
と定義しています。
(項目「DQN」で検索してみてください。)

今回紹介したサイトのトップページです。
DQNネーム(子供の名前@あー勘違い・子供がカワイソ)
http://dqname.jp/

前回は、聖書におけるひどいネーミングの話でフォローしましたが、
今回はフォローのしようがありません・・・

2010年3月22日 (月)

映画「TAXi」シリーズ

ようやく、映画「TAXi」シリーズ全4作をすべて観終えました。
フランス映画としてはとても好きな作品です。
私はアクション映画があまり好きではないのですが、
この「TAXi」シリーズは例外です。
4作のうち、何回観てもすばらしいのは、
第1作目です。アクション映画としての本領発揮があります。
カーアクションだけでも見ごたえがあります。
いかにもヨーロッパの映画、というところは、
銃撃戦のシーンがあっても、決して、流血シーンはないことです。
ましてや、人が死ぬシーンはないので、安心して観ていられます。

今回観たのは4作目ですが、派手なカーアクションは影を潜め、
むしろ、コメディ映画として観た方が正解のようです。
あまりのおバカさに結構笑えましたが、1作目からすると、
かなり物足りなく思えました。

カーアクション映画として観るなら、1、2作目、
コメディ映画としてなら、3作目、4作目がおすすめです。
(ただ、さすがに4作目は、惰性で作ったという面が否めませんが・・・)

ちなみに、私が今までに観たフランス映画ベスト3は・・・
1位 シェルブールの雨傘
2位 アメリ
3位 TAXi
です。
理屈ぽい作品や、かなり屈折した作品が多いフランス映画の中では、
TAXiシリーズはむしろ特異な存在かもしれません。
でも、エスプリにあふれているという面では、
やはりこのシリーズも、フランス映画の系譜に連なります。

以下、上がDVD、下がBlu-rayです。

1作目

2作目


3作目

4作目

なお、アメリカのリメイク版は観ていません。
本家本元だけで十分かな・・・

TAXI NY

過度な聖職者依存の弊害

わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。
わたしたちは自分で聞いて、この方(=イエス様)が本当に
世の救い主であると分かったからです。
(新約聖書 ヨハネによる福音書4:42新共同訳)

司祭や牧師の職というのは、まことに尊いものです。
当然、尊敬されるべき存在です。
聖書でも、
よく指導している長老たち、
特に御言葉と教えのために労苦している長老たちは
二倍の報酬を受けるにふさわしい、と考えるべきです。
(新約聖書 テモテへの手紙Ⅰ5:17新共同訳)や、
指導者たちの言うことを聞き入れ、服従しなさい。
この人たちは、神に申し述べる者として、
あなたがたの魂のために心を配っています。
彼らを嘆かせず、喜んでそうするようにさせなさい。
そうでないと、あなたがたに益となりません。
(新約聖書 ヘブライ人への手紙13:17新共同訳)
のような御言葉がいくつもあります。

しかし、過度な聖職者依存、いや聖職者「崇拝」というのは、
有害です。
天使でさえ、使徒ヨハネから礼拝されそうになったときに、
やめよ。(中略)神を礼拝せよ。
(黙示録22:9新共同訳)と拒否しました。

司祭や牧師などの聖職者は、どれほどすばらしくても、神々しく見えても、
やはり人間に過ぎません。
神様の御目から見れば、「サマリアの女」(ヨハネ4章)の一人に過ぎません。
目を注ぐべきは、「サマリアの女」ではなく、イエス様だけです。
しかし、いつの間にか、イエス様よりも、
「サマリアの女」の方がメインになっていないでしょうか?

最近、牧師や司祭の不祥事の報道がいくつかありましたね。
日本では、某有名牧師が逮捕されたり、
ヨーロッパでは、
カトリック神父による性的虐待が深刻な問題として取り上げられています。
ここまでひどくなくとも、
いつの間にか、チェック機能が麻痺してしまった教会はよくあるようです。
曰く、「聖職者の声=神の声」・・・
これはとても危険です。

あるいは、本来神様にだけ帰すべき栄光を、
聖職者が「横取り」している場合もあります。
以前、あるカリスマ系の集会で、皆の前で証をした女性が、
「私はこの方(=そこにいた聖職者)によって癒されました!」と言った途端、
その聖職者は正しくも、「いや、癒すのは、神様だけだ!それは違う!」と、
女性に注意を与えました。
その集会で一番印象に残った「事件」でした。
集まった人々は、『神の声だ。人間の声ではない』と叫び続けた。
するとたちまち、主の天使がヘロデを撃ち倒した。
神に栄光を帰さなかったからである。」(使徒12:22~23新共同訳)
自己神格化というのは、とても危険なことなのです。

参考になるブログを紹介します。
東京の牧師先生のようです。
http://blog.livedoor.jp/hamachokuda/archives/1092714.html

聖職者を尊敬するのは当然ですが、
それ以上に、イエス様との結びつきを、もっとしっかりとさせたいものですね。
ちょうど、冒頭に引用した、サマリアの人々と同じことが言えるように・・・

2010年3月21日 (日)

キリストは・・・(ヨハネ福音書の要約)【自作曲】

今回は、ヨハネ福音書に基づく自作詞への作曲を紹介します。
題は、「キリストは・・・(ヨハネ福音書の要約)」です。
ヨハネ福音書には、
イエス様が「わたしは●●である。」と言われている箇所がいくつもありますね。
たとえば、「わたしが命のパンである。」とか、「わたしは世の光である。」とか・・・
そういう御言葉を集めて、ひとつの曲としました。

歌詞は以下のとおりです。
なお、( )内は、ヨハネ福音書の該当箇所です。


キリストは・・・(ヨハネ福音書の要約)

キリストは神の言葉、(1:1)             
いのち、光、(1:4)                    
まことの光、すべての人を照らす光(1:9)       
恵みと真理とに満ちておられる(1:14)
神の独り子、神の小羊、いのちのパンである(1:18、1:29、6:35)
キリストは良い羊飼い、道、真理、命、(10:14、14:6)
キリストはぶどうの木、父に至る道(15:1、14:7※参考)
キリストは《既に、》既に世に勝っている(16:33)
キリストは神の子メシア、復活された方(20:31、20:9)

作詞・作曲が与えられた経緯については、もう忘れてしまいました。
ヨハネ福音書を知る手掛かりの一つになれば幸いです。
なお、「父に至る道」という聖句は、ヨハネ福音書中にありませんが、
新共同訳の14:1~14では、
イエスは父に至る道」という見出しがついています。

メロディ(midiファイル)と楽譜(PDFファイル)とは、
下記からダウンロード願います。もちろん無償です。

「20100321_summary_of_john.MID」をダウンロード

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2010年3月20日 (土)

おすすめサイト~「下手の恋愛休むに似たり」(水谷潔牧師のブログ)

水谷潔牧師がまたまた面白いシリーズを書いていますので紹介します。
題して、「下手の恋愛休むに似たり」。全5回です。
たくさん面白い表現がありますよ。
たとえば、「太鼓の達人」と「恋愛の達人」を比較してみるところとか(第3回目)、
これからは、もしかすると恋愛もエコの時代?
恋愛も大量生産、大量消費の時代は終わるのかもしれません。」(第4回目)、
もう、いい歳なんだから、恋愛も量より質にこだわれよ」(第5回目)・・・
婚活とか考えている人・最中の人は、ぜひ読んでみてくださいませ。

できれば、「小さないのちを守る会」のHPから、アクセスしてください。
著者である水谷牧師の要望です。
http://chiisana.org/
(余談ですが、私もつい先日、正会員になりました。)
第1回目 3月15日の記事
第2回目 3月16日の記事
第3回目 3月17日の記事
第4回目 3月18日の記事
第5回目 3月19日の記事

エルサレムのおとめたちよ
野のかもしか、雌鹿にかけて誓ってください。
愛がそれを望むまでは 愛を呼びさまさないと。
(旧約聖書 雅歌3:5新共同訳)

ドラえもんの映画新旧~のび太の宇宙開拓史

妻はドラえもんが好きなので、私も一緒に見ています。
2010年3月19日放送の映画「新・のび太の宇宙開拓史」の感想です。
これは旧作のリメイク版ですが、映像表現を別とすれば、
ストーリー展開等では、オリジナルを凌ぐことはできなかったかな、と思いました。
あと、ゲスト声優があまりにも下手、という感じでした。
子供向けとしては、まあまあよかったのかもしれませんが・・・

新・のび太の宇宙開拓史

のび太の宇宙開拓史※旧作

映画の後に、ドラえもん放送第1話が再放送されていました。
30年の間に、主要キャラクターのデザインは、結構変化しているのだなぁ、
と思わされました。

ところで、以前、ある飲み会に行った際、
なぜかドラえもんの映画が話題になりました。
(念のため、決してオタクの集まりとかではありませんでしたよ。)
私はこの分野にはあまり詳しくなかったので、
横でなんとなく聞いていました。
そこで出た話題が、「ドラえもんの映画で一番感動したのは?」でした。
口々に出たのが、「のび太と鉄人兵団」が最高!ということでした。
私は残念ながら、当時、その作品を観たことはありませんでした。
機会があれば観たいと思いつつ、何年か経ちました。
去年、ようやくDVDで妻と一緒に観ました(どういうきっかけかは忘れましたが・・・)。
確かに、これは傑作だと思いました。
最後は深い感動に包まれました(思い出すと、今でも涙が出そうになります・・・)。

ドラえもんは日本だけでなく、世界中の子供達に夢を与えていますね。
これからも、放映し続けてほしい作品の一つです。

のび太と鉄人兵団※旧作

2010年3月19日 (金)

ゲッセマネの祈り(マタイ・マルコ・ルカ)【自作曲】

四旬節もあとわずか・・・
(まだ2週間以上ありますが・・・)
ということで、今回は、
イエス様のゲッセマネの祈りの言葉への作曲を紹介します。
マタイ、マルコ、ルカの各福音書からそれぞれ1曲ずつです。
テキストは、すべて新共同訳です。
①マタイ26:39、42
父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。
しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。
父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、
あなたの御心が行われますように。
②マルコ14:36
アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。
この杯をわたしから取りのけてください。
しかし、わたしが願うことではなく、
御心に適うことが行われますように。
③ルカ22:42
父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。
しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。

今回は、下手な解説をするよりも、イエス様の祈りの言葉を、
しっかりと噛みしめて、味わってみてください。

ヒントになる御言葉を引用します。
それで、イエスは、
神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、
民の罪を償うために、
すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。
事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、
試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。
(新約聖書 ヘブライ人への手紙2:17~18新共同訳)

テキスト・楽譜と、メロディは、下記からダウンロード願います。

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皆様に神様の祝福と平安が豊かにありますように!

2010年3月18日 (木)

NHK・クローズアップ現代「よみがえる”経営の神様”ドラッカー」

3月17日放送のNHK・クローズアップ現代では、
よみがえる”経営の神様”ドラッカー」と題して、
ドラッカーの魅力を紹介していました。
最近、
もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら
(岩崎夏海著 ダイヤモンド社)という本がベストセラーになっていますね。
番組も、そこからスタートしました。
上記の本の著者、岩崎氏が、
オンラインゲームのリーダーとして18名のメンバーを束ねていたとき、
ドラッカーの言葉を応用して、
劇的にメンバーが変化したことがまずとりあげられました。
また、自然食レストランやクリーニング店での応用なども取り上げられ、
実に興味深かったです。
自然食レストランのオーナーは、あたかも聖書であるかのように、
ドラッカーの本にさまざまな書き込み、傍線をたくさんしていました。
最後に、ドラッカーの著作の訳者で、ドラッカー学会の代表である上田惇生氏と、
コピーライターの糸井重里氏と、森本健成キャスターとの鼎談で締めくくられました。
30分という短い時間と、いつもの番組構成のやり方では、
かなり物足りなさを覚えましたが(特に最後の鼎談)、
啓発のためにはとてもいい番組だったのでは、と思いました。
できれば、2、3回シリーズにしてもよかったのでは、とも思いました。
(深夜0:10からのBS2での再放送も見ました。2回見ると、さらによくわかりました。
2回目に見ると、上田惇生氏の輝くような笑顔が印象的でした。)

番組中では、適材適所、長所を伸ばす、
利益を追求することよりも社会に貢献する、ということに感銘を受けました。

番組HPから、放送内容を引用します。
今、女子高生のイラストを表紙にした奇妙なビジネス書が人気を集めている。「経営学の神様」と言われるピーター・ドラッカーの代表作「マネジメント」を平易に解説したこの本は24万部の大ヒットを記録、他にもドラッカー関連本は破格の売れ行きを見せ、雑誌もこぞって特集を組むなど、にわかにドラッカー再評価熱が高まっている。「人はコストではなく資産である」、「組織は人を幸せにするべきだ」と説くドラッカー。その思想が、金融危機後の混迷が続く中、ユニクロの柳井社長から若きベンチャー経営者まで、多くの経営者の注目を集め始めているのだ。番組では、ドラッカーによって苦境の中で活路を見いだした経営者たちを取材、去年、生誕百年を迎えた「20世紀の知の巨人」ドラッカーの人を惹きつけて止まぬその魅力に迫る。(NO.2864)
http://www.nhk.or.jp/gendai/

私も、上記の、
もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら
を立ち読みしたことはあります。
表紙が萌え系ですが、中身はちがうようですね。
ラノベ調の作品なので、???という感じでした。
(改めて読んで見ると、また違う印象なのかもしれませんが。)
Amazonでもごく一部を「立ち読み」できます。
下で紹介していますが、きちんと読んでいないので、
評価は無印です。

実は、私はまだドラッカーの著作を1冊も読んだことがありません。
そのうち、ぜひ読んでみようと思います。

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら



もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら


著者:岩崎 夏海




もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら

2010年3月17日 (水)

マルヤマン、「シーク・イン!」

かなりローカルな話です・・・
「マルヤマン」というキャラクターをご存じですか?
(まだ見ていない、という方は、下記でどうぞ。)
http://avexnet.or.jp/maruyaman/#profile
札幌円山動物園の「キモカワキャラクター」です。

上記HPから引用します。

マルヤマンとは?
■本名:円谷満 (つぶらやみつる)
■年齢:50歳
■生年月日:5月5日生まれ
■職業:円山動物園の飼育員
■特技:動物の観察なら誰にも負けない

札幌円山動物園の飼育員を代表するキモカワキャラクター。
円谷満(つぶらやみつる)は普通のおじさん50歳。
普段は無口でテレ屋な男前だが、「シーク・イン!」すると動物たちを愛する「マルヤマン」になるのだ。
そして今日も一日、動物たちのお世話にはげむのである。
ちなみに好きなものは仕事の後の缶コーヒーなのだ。

このキャラクター、以前にも新聞とか雑誌等で見たことはあるのですが、
どうして、変身の言葉が「シーク・イン!」なのか、ピンときませんでした。
(決して、悩んでいたワケではありません。ある意味、どうでもいいことですから・・・)
今日、歩いているときにCD店の前で、マルヤマンのポスターが貼ってあり、
そこでやっと、「シーク・イン!」とは、
飼育員」にかけたダジャレなんだ・・・とわかりました。
鈍すぎ・・・

帰宅してから、妻にこのことを話すと、あっさりと、
「それって、『飼育員』のことね。」・・・(。>0<。)

おすすめサイト~進藤龍也牧師のヤクザな日記

以前、わたしは神を冒瀆する者、迫害する者、暴力を振るう者でした。
しかし、信じていないとき知らずに行ったことなので、憐みを受けました。
そして、わたしたちの主の恵みが、キリスト・イエスによる信仰と愛と共に、
あふれるほどに与えられました。
『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は真実であり、
そのまま受け入れるに値します。
わたしは、その罪人の中で最たる者でした。
しかし、わたしが憐れみを受けたのは、
キリスト・イエスがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しになり、
わたしがこの方を信じて
永遠の命を得ようとしているしている人々の手本となるためでした。
(新約聖書 テモテへの手紙Ⅰ1:13~16新共同訳)

冒頭から、ちょっと長い聖書の引用になってしまいましたね。
今回紹介する人物は、この聖句の「生きた解説」です。
進藤龍也牧師です。

この名前を知ったのは、実は昨日初めてです。
インターネットキリスト教新聞、クリスチャントゥディの記事で、
進藤牧師の「イエス様の視点に立ち返ろう」という文章が紹介されていました。
http://www.christiantoday.co.jp/column-news-710.html
一見すると、社会派の方かな、とも思いましたが、
ずっと下まで読むと、進藤牧師が書いているブログが紹介されていました。
タイトルが「進藤龍也牧師のヤクザな日記」!
もしかして、ミッション・バラバ(元ヤクザのクリスチャン集団)系の人?
と思って、すぐそのブログを見てみました。
http://ameblo.jp/1st-geocities-churchl

全部の記事を読んだわけではないですが、
要約して言えば、
「イエス・キリストによって人は変わるんだ、変えられるんだ、やりなおせるんだ!」
というメッセージにあふれています。
体験から来る力強い証ですね。

なお、最近、『人はかならず、やり直せる』(中経出版)という著書を出したそうです。
興味がある方はぜひどうぞ。
私も書店でそのうち立ち読みしてみようと思います。
読んでいないので、無印です。

人はかならず、やり直せる



人はかならず、やり直せる


著者:進藤 龍也




人はかならず、やり直せる

最後に、冒頭の聖句の結びを引用して締めくくります。
永遠の王、不滅で目に見えない唯一の神に、
誉れと栄光が世々限りなくありますように、アーメン。
(新約聖書 テモテの手紙Ⅰ1:17新共同訳)

映画「旅するジーンズと16歳の夏」

青春映画の傑作です。

ストーリー展開等は、ぜひ以下のサイトをご覧ください。
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=6330
4人の友情、固い絆が感動的です。

それぞれ違う体型であるのに、
なぜか4人全員にぴったりフィットしてしまうジーンズ。
これが友情と愛の象徴となって、
4人がそれぞれ夏休みに向かう新しい場所へと旅立っていきます。
アメリカのメリーランドから、ギリシャ、メキシコ、アメリカのサウス・カロライナへ。
ジーンズが魔法を起こす、のではなく、
ジーンズが示す愛と友情に支えられて、
4人は離れていても、少しずつ大人へと成長を遂げます。
そして、勇気が必要な「ここぞ!」という時、必ずジーンズがそこにありました。

ティーンエイジ向けの作品といえば、恋愛ものが多いですが、
大切なのは、恋愛よりも友情ですね。

途中でもじわじわと感動しますが、見終わってからの余韻がすばらしいです。
しばらくの間、この映画が頭から離れないほどでした。
この映画について書きたいことがいっぱいあったはずですが、
今書いていて、うまく文章にまとめることができないもどかしさがあります。
「百聞は一見に如かず」、ということで、
ぜひ機会があれば鑑賞してみてください。

なお、この映画には続編がある、とのことですが、
機会があれば見てみたいと思います。
でも、たぶん1作目には及ばないはずです。

映画公式サイトは以下のとおりです。
http://wwws.warnerbros.co.jp/sisterhood/index.html

2010年3月16日 (火)

どの聖書が一番いいか?(新約聖書編)

読売新聞2010年3月15日朝刊に、聖書翻訳についての記事が出ていました。
聖書協会 新たな翻訳」という見出しで、
日本聖書協会が2016年6月に出版を予定している、
新たな翻訳、「標準訳聖書(仮称)」についての概要が書かれています。
→日本聖書協会の「新翻訳事業について
(なお、クリスチャントゥディの記事もどうぞ。)
http://www.christiantoday.co.jp/theology-news-484.html
新しい聖書の訳が出る、ということは、とてもうれしいものです。
私はいろいろな訳の聖書を集め、読むのが好きなので、楽しみです。
ただ、2016年というのは、まだまだ先ですね。

直近の期待は、聖霊派による、「現改訳聖書」です。
ここ数年のうちに年出版予定らしいです。
(2011年追記:出版予定といいつつ、いつになったら出るのでしょうか・・・)
そのニュースと、現改訳聖書については、以下のサイトでどうぞ。
http://www.christiantoday.co.jp/main/theology-news-457.html


2010年現在、すでに出版されている聖書(新約聖書だけも含む)で、
一番新しい訳は、
エマオ出版訳(後述)の新約聖書です。
次が、幻冬舎から出ている、新和訳の新約聖書です。
(新改訳第3版とかもありますが・・・それはさておき。)

さて、本題の、「どの聖書が一番いいか?」の新約編です。
この問いは、視点によって、いろいろな答えが出ると思います。
そこで、4つの視点から、それぞれのベスト3を列挙します。
なお、1冊で5000円以上するようなものや、
フランシスコ会聖書研究所訳の分冊版、
あるいは、岩波文庫で部分的に出ているようなものは含みません。
訳の斬新さで定評の、岩波書店訳(5250円)のも含みません。
新約全体で、3000円以下か、あるいは聖書全体でも3000円以下、
という制限をあえてつけます。

1.買いやすさ
1位 新共同訳
2位 口語訳
3位 新改訳

2.注解の豊富さ・便利さ
1位 フランシスコ会聖書訳
2位 共同訳(講談社学術文庫)
3位 バルバロ訳(講談社)

3.訳文のすばらしさ
1位 エマオ出版訳
2位 文語訳
3位 新共同訳
3位 フランシスコ会訳

4.わかりやすさ
1位 リビングバイブル
2位 創造主訳聖書
3位 フランシスコ会聖書研究所訳
3位 新約聖書新共同訳スタディバイブル

総合でいえば、ファースト・チョイスするべき新約聖書は、
新共同訳かフランシスコ会聖書研究所訳です。
(新改訳を使っているところは、それに従うしかありませんが・・・)
あえて1冊なら、フランシスコ会聖書研究所訳を強くすすめますよ。
注解のつかない聖書は、初めての1冊にはあまりおすすめできません。
ただ、新共同訳は買いやすいので、まずはそこからスタートするのは悪くありません。

もう1ランク上を目指すなら、
ぜひとも少なくともメインで使っている聖書の他に、2、3種類持つべきでしょう。
(できれば、新約聖書だけではなく、聖書全体を読みたいものです。
いのちのことば社の「Bible Navi 聖書 新改訳」か、
日本聖書協会の「聖書 スタディ版 改訂版 新共同訳」、
あるいはサンパウロの「聖書―原文校訂による口語訳(フランシスコ会聖書研究所訳)」
のどれかか、3冊とも持つことをオススメします。
デボーション的に使いたいなら「Bible Navi 聖書 新改訳」、
言葉の解説なら「聖書 スタディ版 改訂版 新共同訳」、
邪魔にならない訳注なら、
「聖書―原文校訂による口語訳(フランシスコ会聖書研究所訳)」がオススメです。


BIBLE navi (バイブルナビ) 聖書 新改訳 解説・適用付


聖書 スタディ版 改訂版 新共同訳


聖書―原文校訂による口語訳(フランシスコ会聖書研究所訳)

また、聖書は一人で読んでも、よくわからないものです。
できれば、教会の牧師先生や神父様、
あるいは教会の信徒の方と一緒に読み進めたり、
適切な注解書をきちんと手元に置いて読んだ方がいいです。
何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、
自分勝手に解釈すべきではないということです。
なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、
人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです。
(新約聖書 ペトロの手紙Ⅱ1:20~21新共同訳)

私が今一番いいな、と思っている訳は、エマオ出版訳です。
訳者の山岸登氏の依って立つ考え方(ディスペンセイション主義)には、
賛同できませんが、
ギリシャ語の時制をきちんと訳しているところは絶賛に値します。
たとえば、一般の聖書であれば、「求めなさい」と訳されているところが、
求め続けなさい。」となっています。
継続する必要がある、ということを再認識できますね。
また、要所要所で、翻訳上の適切なコメントを入れているところも好感が持てます。
読むたびに、新しい発見が常にある訳です。
キリスト教書店以外では取扱がないのがとても残念です。
エマオ出版の出版物については、以下のサイトをご覧ください。
http://tsukuno.com/press/press_m.htm
エマオ出版訳の新約聖書についてのブログ紹介があります。
ttp://blogs.yahoo.co.jp/g_topspeed/21876881.html

あと、キリスト者のビジネスマン向けコミニティ、
「インターナショナルVIPクラブ」で扱っている、
VIP聖書はおすすめです。
1冊1575円で、旧約・新約の聖書全巻が読めます。
これは一般書店扱いをしていませんので、
インターナショナルVIPクラブのHPからお求めください。
表紙の装丁もおしゃれで、私は気にいっています。
http://www.vip-club.tv/index.htm

※VIP聖書は今どうなっているのでしょう?
その代わり、創造主訳聖書―旧新約聖書というのが出ています。
「神」を「創造主」と置き換えた訳です。
元々は尾山令仁氏の「現代訳」です。
こちらもオススメです。

創造主訳聖書―旧新約聖書

私自身は、聖句は新共同訳を基準にして覚えています。
一番使いなれた聖書が新共同訳なので、引用はこれをメインにしています。
一番最初に手にした聖書が、新共同訳だったからなのでしょうね。
たぶん、口語訳や新改訳を一番最初に読んだ人なら、
それが一番いい聖書になるのでしょう。

問題は、訳の優劣ではありません。
各人が、どの訳でもいいですから、御言葉を自分の血肉にまですることです。
いかに幸いなことか・・・(中略)・・・
主の教えを愛し その教えを昼も夜も口ずさむ人。
(旧約聖書 詩編1:1、2新共同訳より)
この書物(=聖書)は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、
あなたに与えることができます。
聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、
人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。
(新約聖書 テモテへの手紙Ⅱ3:15~16新共同訳)

皆様に神様の祝福と平安が豊かにありますように!

※2015年2月1日(日)追記
本文の一部を改訂しました。

本文で紹介した「新約だけで3000円以内」という趣旨からは外れますが、
新教出版社の「塚本虎二訳新約聖書」は訳の美しさ、わかりやすさ、
そして読みやすさ(字が大きい!)で2015年1月末現在で、
一番オススメの新約聖書だと思っています。

2010年3月15日 (月)

求めなさい(ルカ11:9)【自作曲】

求めなさい。そうすれば、与えられる。
探しなさい。そうすれば、見つかる。
門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、
門をたたく者には開かれる。(中略)
天の父は、求める者に聖霊を与えてくださる。
(新約聖書 ルカによる福音書11:9、10、13新共同訳※一部省略)

今回紹介する曲は、上記の聖句をテキストにしています。
これは、文語訳での方が、親しまれているかもしれませんね。
以前紹介したサイト(下記)から、文語訳で、ルカ11:9~13を引用します。
http://bible.50webs.org/

われ汝らに告ぐ、求めよ、さらば與へられん。
尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。
すべて求むる者は得、尋ぬる者は見出し、門を叩く者は開かるるなり。
汝等のうち父たる者、たれか其の子魚を求めんに、魚の代に蛇を與へ、
卵を求めんに蠍を與へんや。
さらば汝ら惡しき者ながら、善き賜物をその子らに與ふるを知る。
まして天の父は、求むる者に聖靈を賜はざらんや

求めよ、さらば與へられん。」何と力強い言葉でしょうか。
でも、何を「求めよ」なのでしょうか?
この御言葉が引用されるとき、しばしば、その「何を」がはっきりしないことが多いです。
あるいは、全然違うものを「求めよ」になっていることもあります。
「救い」、「癒し」、「お金」、「権力」、「良き伴侶」、それとも・・・?
聖書は明確に語っています。
求め」、「探し」、「門をたたく」べきものは、」「聖霊」です。
求めなさい・・・」のところの結びの文が、そうなっているからです。
聖霊こそ、神の最大最高の賜物です。
(男女の関係であれば、一番すばらしいものは、
その人の財産や地位や名誉でもなく、その人自身の存在ですね。
神様が私の内に常に住んでいてくださる・・・
わたし(=イエス様)は父にお願いしよう。
父は別の弁護者(=聖霊)を遣わして、
永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
(新約聖書 ヨハネによる福音書14:16新共同訳)
というイエス様の約束は真実です。)

悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、
罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。
(新約聖書 使徒言行録2:38新共同訳)
この霊(聖霊)こそは、わたしたちが神の子供であることを、
わたしたちの霊と一緒になって証してくださいます。
(新約聖書 ローマの信徒への手紙8:16新共同訳)
この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、
こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、
神の栄光をたたえることになるのです。
(新約聖書 エフェソの信徒への手紙1:14新共同訳)

実にわたし(=イエス様)はお前たちに言う。
求め続けよ。そうすれば、お前たちに(必ず)与えられる。
捜し続けよ。そうすれば(必ず)見つける。
叩き続けよ。そうすればお前たちのために(必ず)開かれる。
だれでも求め続ける者は、受け続ける
捜し続ける者は、見つけ続ける
叩き続ける者に、(必ず)開かれる。
(新約聖書 ルカによる福音書11:9~10エマオ出版訳)

聖霊は、1度求めたら、それでいいのでしょうか?
エマオ出版訳では、継続の時制をきちんと訳しています。
求め続けることが大切なのです。

聖霊を求める、聖霊に満たされるには、どうすればいいのでしょう?
いわゆる「聖霊のバプテスマ」について、
とても詳しく書いてあり、信頼ができるサイトがあるので、紹介します。
結城浩氏のサイトです。
http://www.hyuki.com/igen/
結城氏は、『数学ガール』や、各種プログラミングの著書があることで有名です。
http://www.hyuki.com/
きわめて理系的に、信仰を語ることができる人がいる、というのは心強いですね。

私には聖霊のバプテスマは必要でないと言うのは、
私は神の真理によってきよめられ、その中に浸される必要はなく、
また神の力が私のうちに満ちあふれ、私を通して働くことは私には必要でない、
と言うのと同じです。イエスは人々に言われました。
『あなたがたの中で、子供が魚を下さいと言うときに、
魚の代わりに蛇を与えるような父親がいったいいるでしょうか。
卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。
してみると、あなたがたも、悪い者であっても、
自分の子供には良い物を与えることを知っているのです。
とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、
どうして聖霊を下さらないことがありましょう』(ルカ11:11~13)
(マーリン・キャロザース著『讃美の力』P.99~100より引用)
神は私たちの必要を備えてくださいます。
しかも豊かに、そして無償で備えられるのです。
私たちのなすべきことはただ求めることだけです。
新しく神の子となった人たちが求める最初の無代価の贈り物は
聖霊のバプテスマです。

そのことを神が望んでおられるのです。
(同上P.84より引用)

曲の紹介が、思わず脱線してしまいましたね・・・

テキスト・楽譜と、メロディは、下記からダウンロード願います。

「20100314_luke1109no01.MID」をダウンロード

「20100314_luke1109no01.pdf」をダウンロード

参考までに・・・
『数学ガール』のマンガ版は買って読んだことがありますが、
マンガにしても難しくて、よくわかりませんでした。
上巻で挫折でした・・・

数学ガール 上 (MFコミックス フラッパーシリーズ)



数学ガール 上 (MFコミックス フラッパーシリーズ)


著者:結城 浩




数学ガール 上 (MFコミックス フラッパーシリーズ)

マーリン・キャロザース著『讃美の力』は、聖霊の力を体験するのに必読です。
http://www32.ocn.ne.jp/~rivers/Books/Book15.htm
生ける水の川」という出版社で取り扱っています。
http://www32.ocn.ne.jp/~rivers/
キリスト教書店(カトリック・プロテスタント両方)では、
たぶん必ず置いているはずです。
ぜひこの本は読んでみてください。
人生が一変するはずです。
(そのうち、機会があれば、この本について単独で記事を書きたいです。)
私も、その一人です。
神様に感謝!

同じ著者の自伝的著作『獄中からの讃美』なら、Amazonでも扱っています。

獄中からの讃美―主を讃美する力



獄中からの讃美―主を讃美する力


著者:マーリン・キャロザース




獄中からの讃美―主を讃美する力

2010年3月14日 (日)

NHK教育・すイエんサー「ボウリングで絶対ストライクをとりた~い!!」

みなさんはボウリング得意ですか?
実はワタクシ、全然ダメです。
かなり前、大きな職場に勤めていたときのことです。
そこでは年に1度、必ずボウリング大会がありました。
200人以上の人が参加していました。
私は、その中でブービー賞を1回とったことがあるほどです・・・

6、7年前、当時所属していた教会の若い人5人で、
近くのボウリング場に行きました。
あの時は、ちょっと悲惨な結果でした。
参加した全員、1ゲームで100点以上のスコアを出せた人はいませんでした。
(もちろん私も・・・)
それ以来、機会がなかったのもありますが、
ボウリングは一度もしていません。

3月13日土曜日の午前中、なんとなくテレビを見ていると、
NHK教育で、「すイエんサー」という番組をやっていました。
(3月9日の再放送でした。)
今回のタイトルは「ボウリングで絶対ストライクをとりた~い!!」でした。

最初に、AKB48のメンバーの3名が、とりあえず、投球するところから始まりました。
テレビを見ながら、ちょうどお茶を飲んでいたのですが、
そのうちの1人が、投球しようとしてボールを下に落としてしまうところを見て、
思わずお茶を吹き出してしまいました・・・

その後、東大卒のプロボウラー、という講師が、
3人に上達法を「科学的に」かつエンタメ的に教えて、
ストライクがとれるようになる、という内容でした。

投球前に「かめはめ波!」のように、腕をのばす、とか、
足のステップとか、「ポケット」を狙う、
アイロンをかけるような手で投げる、など、
「なるほど!」と思えるようなヒント満載でした。
演出とはいえ、教え方は「コーチング」のような手法で、
本人に気づかせる、というやり方は、見ていて面白かったです。

私にも、できるのかな・・・
思わず、試してみたくなる内容でした。
そのうち、機会があれば、妻と一緒に行ってみるつもりです。

番組HPは、以下です。
http://www.nhk.or.jp/suiensaa/
今回の放送の番組公式ブログは以下のとおりです。
ただし、ボウリングのコツについて、参考にできる情報はありません。
http://www.nhk.or.jp/suiensaa-blog/2010/03/10/

(2011年12月21日追記)
AKB48が出演していた「すイエんサー」が2011年11月にDVD化されました。
もちろん、このボウリングの回も・・・

2010年3月13日 (土)

一粒の麦(ヨハネ12:24文語訳、新共同訳)【自作曲】

今回は、新約聖書ヨハネ12:24~25への作曲を紹介します。
有名な、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ・・・」のところです。

基本的に同じメロディで、文語訳と新共同訳それぞれに曲をつけています。
この箇所は、私にとっては、新約聖書を読むきっかけになったところです。
高校生のとき、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』(岩波文庫)の冒頭に、
この聖句の文語訳が書いてありました。
せっかくなので、この箇所の文語訳を引用します。ヨハネ12:24~25です。
誠にまことに汝らに告ぐ、
一粒の麥、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、
もし死なば、多くの果を結ぶべし。
己が生命を愛する者は、これを失ひ、
この世にてその生命を憎む者は、
之を保ちて永遠の生命に至るべし。
(上記の文は、文語訳聖書等のデータベースのサイトから引用しました。
文語訳や口語訳などを引用するには便利ですよ。)
http://bible.50webs.org/

カラマーゾフの兄弟』を読んだことによって、
私は決定的に、新約聖書をぜひ読んでみたい、と思いました。
カラマーゾフの兄弟』は一度しか読んだことがありませんが
(一度読むだけで、強烈な印象を受けました。忘れがたい作品です。)、
新約聖書全体は、もう何度読んだのでしょうか・・・
2ケタ、3ケタになると思いますが・・・
それでも、私にとっては、無限にあふれる泉のようです。

この曲は、イエス様が目の前でこう語られている、
と想像しながらぜひ聴いてみてください。いや、歌ってみてください。

なお、ここで、「自分の命を憎む」という表現がありますね。
これは、文字通りに取るのではなく、
ヘブライ的な表現で、「より少なく愛する」ということです。
聖書は、健全な自己愛を肯定している、と私は思います。
隣人を自分のように愛しなさい。」(マタイ19:19新共同訳)
つまり、「自分のように愛しなさい」ということは、
まず、自分自身を愛している必要があるのです。
(あなたも私も、神の創造物、神の傑作なのです!)

この曲は十数年前に与えられたものです。
きっかけは忘れましたが、作曲以来、とても好きな曲の一つです。

テキスト・楽譜と、メロディは、下記からダウンロード願います。
aが文語訳版、bは新共同訳です。

「20100313_john1224no01a.MID」をダウンロード

「20100313_john1224no01a.pdf」をダウンロード

「20100313_john1224no01b.MID」をダウンロード

「20100313_john1224no01b.pdf」をダウンロード

2010年3月12日 (金)

シメオンの賛歌(ルカ2章から)【自作曲】

今回は、「シメオンの賛歌」という曲を紹介します。
テキストは、新約聖書 ルカによる福音書2:29~32新共同訳です。
この曲が与えられたのは、もう十数年前です。
きっかけは忘れてしまいましたが・・・

老シメオンが人生をしめくくるにふさわしい、荘重な曲です。
そして、クリスチャンであれば、
人生の終わりはこのようでありたい、
と願わずにはいられないはずです。

ラテン語のタイトルは、Nunc Dimittisです。
カトリックの典礼では、「寝る前の祈り」に唱えられます。

テキスト・楽譜と、メロディは、下記からダウンロード願います。

「20100312_luke0229no01_nunc_dimittis.MID」をダウンロード

「20100312_luke0229no01_nunc_dimittis.pdf」をダウンロード

2010年3月11日 (木)

日本愛妻家協会

日本愛妻家協会」をご存じですか?
私は、先日はじめて知りました。

3月7日(日)朝7時から放送の、
週刊健康カレンダー カラダのキモチ」という番組で、紹介されていました。
普段の日曜日の朝は、この番組を視聴していないのですが、
たまたま、
「愛のチカラで病に勝つ!徹底研究!「夫婦間ストレス」という題だったので、
見てみました。
番組の内容については、番組HPをご覧ください。
http://hicbc.com/tv/karada/
「アーカイブ」から探してみてください。

それはさておき、本題に戻りましょう。
日本愛妻家協会の公式HPは、以下のとおりです。
http://www.aisaika.org/
http://www.aisaika.org/index2.html
http://www.aisaika.org/prospectus.html

トップページから、ユーモアがあります。
「地球温暖化よりも、家庭寒冷化が気になる」とか・・・
上記番組で紹介されていたのは、
今年1月31日に行われた、
日比谷公園の中心で妻に愛を叫ぶ」というイベントでした。
http://aisai.hibiyakadan.com/page.jsp?id=3912405
ちなみに、この会の名誉会長は、なんと日本武尊(ヤマトタケルノミコト)さん、
とのこと。
会のHPから引用します。

日本愛妻家協会の名誉会長は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)さんです。
タケルさんは世界で初めて愛妻家宣言をした人物として有名です。
日本書記によると1900年前に弟橘姫(オトタチバナヒメ)という奥さんの訃報を旅先で聞いたタケルさんが大きな声で人目もはばからず「吾が妻恋し・・・」と
叫んだとされ、それ以来愛妻家のイメージが定着しています。そこで愛妻家の元祖としてタケルさんに名誉会長をお願いしています。

ちなみにワタクシ、日本武尊伝説は大好きです。
日本武尊関係の本では、鈴木邦男氏の著書、
ヤマトタケル』(現代書館)がハチャメチャで面白いですよ。
(一番下で紹介しています。)

日本愛妻家協会のHPで、おもしろいものがあります。
愛妻家テミル原則」というものです。
以下を御覧ください。
一家に一枚、どこかに貼っておくといいかも・・・

Temiru_rule_print

愛とユーモアと、たくさんのキスとハグ、感謝の言葉・・・
小さな家庭の平和が、大きな世界の平和につながります。
ワタクシも、「名誉会員」か、「実践会員」として(区分はよくわかりませんが・・・)、
言葉と行動で示していきたいです。
(ところで、この会への入会の方法が、よくわかりませんでしたが・・・)

太陽の下、与えられた空しい人生の日々、
愛する妻と共に楽しく生きるがよい。
それが、太陽の下で労苦するあなたへの
人生と労苦の報いなのだ。
(旧約聖書 コヘレトの言葉9:9新共同訳)

ヤマトタケル (FOR BEGINNERSシリーズ)



ヤマトタケル (FOR BEGINNERSシリーズ)


著者:鈴木 邦男




ヤマトタケル (FOR BEGINNERSシリーズ)

国旗掲揚、AED、虫歯予防・・・何でも「反対」の北教組

10日の記事の追加です。
3月11日(木)の読売新聞朝刊北海道版で、
またまた北教組のトンデモ記事が出ていましたので紹介します。
見出しが「北教組 何でも『反対』 国旗掲揚 AED 虫歯予防
小見出しが、「組合員から批判の声」です。
あまりにも時代錯誤のあきれた実体が内部文書から明らかにされています。
詳しくは、読売新聞の記事を御覧ください。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/news/20100311-OYT8T00011.htm

この記事、読み終えた時に、怒るどころか、あきれてはてて、
笑ってしまったほどでした。
AEDや虫歯予防のためのフッ化物を使ったうがい、という
子供達への健康への配慮にさえ、
北教組は、反対、とのことです。
「お上」がやることは何でも「反対」・・・
70年代の国鉄と同じですね。
(教育も、完全民営化したほうがいいのでは?)
さっさと解散・消滅してほしいものです。

記事の最後の方の現組合員の一言は立派です。
ベテランの組合員も『単に仕事をしたくないだけでないか』と批判している。
さらに良心的な人なら、組合をやめたほうがいいのに・・・

ZAPPERさん、という方が、
以前私が書いた記事にいろいろコメントしてくださっています。
よろしければ、読んでくださいね。
貴重なコメントです。
https://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-fdf8.html
https://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/web-263e.html

神のなさることは、すべて時にかなって美しい(伝道者の書3:11)【自作曲】

今回は、
旧約聖書・伝道者の書(コヘレトの言葉)からの作曲を紹介します。
この曲には、特別な思いいれがあります。
ちょうど、十数年前、父方の祖母が亡くなった時に、
与えられたものです。

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
(旧約聖書 伝道者の書3:11新改訳)
神様に「なぜ?」と問いたい時というのがありますね。
しかし、「あえて」主を讃美するしかない時も多いのです。
この曲のトーンは、その「あえて讃美する」ものですが、
同時に、不思議な慰めもあります。

テキストは伝道者の書3:11、3:1の新改訳です。
メロディ(midiファイル)と楽譜(PDFファイル)とは、
下記からダウンロード願います。もちろん無償です。

「20100311_ecclesiastes0311no01.MID」をダウンロード

「20100311_ecclesiastes0311no01.pdf」をダウンロード

ヒルティ『心の病を癒す生活術』(PHP研究所)

カール・ヒルティの著作との出会いは、10代後半でした。
以来、『眠られぬ夜のために』(第1部・第2部)は、
私にとって、聖書と並ぶ愛読書の一つです。
(といっても、実はこの本を寝る前に読むことはまずありません。)
ヒルティの著作といえば、この他に『幸福論』(全3冊)しか、
読む機会がありませんでした。

インターネットキリスト教新聞の「クリスチャントゥディ」2月18日の記事で、
「カール・ヒルティの著作新刊が出る!」というのを読んだときは、驚嘆しました。
http://www.christiantoday.co.jp/culture-news-1658.html
今回紹介する、『心の病を癒す生活術』(PHP研究所)です。
先日購入して、ようやく読了しました。

眠られぬ夜のために』、『幸福論』と比べると、
いかにも小品ですが、
何度も読むに耐える、実に味わい深い文章が数多くあります。
心の病を癒すには、本書の結論をきわめて要約して言えば、
しっかりとした信仰を持つこと」です。

私自身の経験から言えば、熱狂的な信仰よりも、
細く、長く、おだやかでも、しっかりと火を保ち続ける信仰の方が、
ずっと価値があると思っています。
目先の癒しとか「ご利益」ではなく、
「たとえそうでなくとも」(旧約聖書ダニエル書3:18)、
神様を信じ続ける、愛し続ける信仰の方が、尊いものです。

心の病を癒す生活術



心の病を癒す生活術


著者:カール・ヒルティ




心の病を癒す生活術

2010年3月10日 (水)

北教組の深い闇~産経新聞WEB版記事から

北海道では、産経新聞は販売されていません。
しかし、MSNのWEB版として、ある程度まで読めるのは便利です。

北海道の教育の「癌」である北教組の問題について、
鋭く書いている記事がありますので、紹介します。
【安藤慶太が斬る】北教組の深い闇」という題です。
2010年2月21日と、3月7日の記事があります。
どちらかというと、3月7日の記事から読まれるといいでしょう。
教育現場で行なわれている、ひどい「法令違反」がきちんと書かれています。
3月7日の記事
http://sankei.jp.msn.com/life/education/100307/edc1003071802001-n1.htm
2月21日の記事
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100221/crm1002211802005-n1.htm

特に北海道の読者のみなさん、
このような事が教育現場で行なわれていることをどう考えますか?
北教組は北海道の恥です!
時代錯誤のストライキ(2008年)、
滝川のいじめ自殺(2006年)に際しての、
北海道教育委員会の調査には非協力、
学力テストや現在の学習指導要領、
国歌・国旗である「日の丸・君が代」には猛反対・・・
(現在、国会でも問題視されています。)
「竹島は韓国のもの」と勝手に主張したり・・・
北海道の学力低下の大きな要因の一つです。
道徳や法令順守を否定するような教師に、
学力向上なんて、期待することはできませんね・・・
いまだに、70年代の革命闘争の「黄金時代」を引きずっている、
きわめて悪質な団体です。

おすすめサイト~悪魔の会議「クリスチャンホーム壊滅作戦」

自分の家を治める術(すべ)を知らない者が、
どうして神の教会の世話ができるでしょうか。
(新約聖書 テモテへの手紙Ⅰ3:6フランシスコ会訳)

いつも閲覧している、
水谷潔牧師のブログ「命と性の日記~日々是命、日々是性」で、
面白い企画ネタをやっていましたので、紹介します。
タイトルは、悪魔の会議「クリスチャンホーム壊滅作戦」
実にひどいタイトルですね!(@Д@;
これは、逆説的に、「あるべきクリスチャンホームとは?」を論じたものです。
ちょうど、C・S・ルイスの『悪魔の手紙』と同じような構造です。
まずは、ブログ記事を読んでみてください。
全4回です。

1回目
http://blog.chiisana.org/?day=20100306
2回目
http://blog.chiisana.org/?day=20100307
3回目
http://blog.chiisana.org/?day=20100308
4回目(最終話)
http://blog.chiisana.org/?day=20100309

(できれば、水谷牧師が代表を務める、
小さないのちを守る会」のサイトからお入りください、
と水谷牧師は要請しています。)
http://chiisana.org/

ところで、先ほど触れたC・S・ルイスの『悪魔の手紙』は、
実に優れた作品です。
裏側から入門するキリスト教講座、とでも言うべきでしょうか。
老悪魔スクリューテープが、手紙で手下の悪魔をOJTしながら(!)、
ある人を信仰に入らせないようにする、というものです。
しかし、結局悪魔は敗北します。
C・S・ルイスの著作は、20代の頃、手に入る限り、全部読みました。
(『愛とアレゴリー』という本だけは、手に入れることができませんでした。
そのうちどこかの出版社で出してくれないでしょうか・・・)
当時最も好きな作家の一人でした。
ナルニア国ものがたり』シリーズはもちろんですが、
どれも読みごたえがありますよ。
知的なタイプの人で、本格的にキリスト教信仰について知りたいなら、
キリスト教の精髄』(新教出版社)がおすすめです。
私にとっては、本格的に教会へ通い、洗礼を受けたい、と決心させた本です。
悪魔の手紙』は、
以前は新教出版社からしか出ていませんでしたが、
今回調べてみると、平凡社ライブラリーからも出ていることがわかりました。
しかも、値段は新教出版社版の半分以下!
そのうち買って再び読んでみたいな、と思いました。

私はこう確信しています。
死も、いのちも、御使いも、
権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、
高さも、深さも、そのほかどんな被造物も、
私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、
私たちを引き離すことはできません。
(新約聖書 ローマ人への手紙8:38~39新改訳)

悪魔の手紙 (平凡社ライブラリー)



悪魔の手紙 (平凡社ライブラリー)


著者:C.S. ルイス,C.S. Lewis




悪魔の手紙 (平凡社ライブラリー)

キリスト教の精髄 (ルイス宗教著作集)



キリスト教の精髄 (ルイス宗教著作集)


著者:C.S. ルイス




キリスト教の精髄 (ルイス宗教著作集)

2010年3月 9日 (火)

いちばん起動が早いブラウザは?(2010年3月時点)

興味があって、いろいろなウェブブラウザをダウンロードしてみました。
現在、このブログを書いているパソコンには、
8種類のウェブブラウザをインストールしています。
いつも使っているのは、Google Chromeです。
私にとっては、一番使いやすいです。
(動画を見たりする場合は、対応していないことが多いですが・・・
ただ、私はほとんど動画を見ないので、あまり関係ありません。)

そこで、8種類のウェブブラウザの起動時間を記録してみました。
いま使っているパソコンは、2003年に購入したもので、
OSはWindows XPです。
立ち上がり自体が遅いものです。
(セキュリティソフトの起動完了も含めて、
まともに使えるようになるのが30分ぐらいかかりますが・・・)
あまり参考にならないかもしれません・・・
なお、ウェブブラウザはすべて最新版です。
公平を期すため、2回目以降に起動した場合の時間を測定しました。
すべてのブラウザで、
アイコンをダブルクリックして砂時計が表示された時をスタートとし、
私のブログを閲覧した際に、「ページが表示されました」
またはそれに類する言葉が表記されるような状態になり、
画面上でクリックしたりできるようになった時に終了としました。
(どれも、起動した際に、私のブログをホームページ設定しておきました。)
誤差は1、2秒あるかもしれません。

以下が順位です。
1位 Google Chrome 14.7秒
2位 Firefox 15.3秒
3位 Slepnir 16.5秒
4位 Safari 18.2秒
5位 Opera 20.2秒
6位 Flock 43.4秒
7位 Lunascape6 76.0秒
8位 IE8 4分16秒

私のパソコンでは、IE8がダントツで遅いことがわかりました。

妻が使っている、ネットブック(昨年購入)でも試してみました。
OSはWindows XPです。
ただし、比較は5つだけです。
1位 Google Chrome 5.1秒
2位 Firefox 5.2秒
3位 Opera 9.1秒
4位 Safari 11.7秒
5位 IE8 20.4秒

参考になれば幸いです。

詩篇117(23)【自作曲】

今回で、詩篇117シリーズは、23曲目です。
テキストは、カトリック訳です。

テキスト・楽譜と、メロディは、下記からダウンロード願います。

「20100309psalms117allno23.MID」をダウンロード

「20100309psalms117allno23.pdf」をダウンロード

2010年3月 8日 (月)

映画『ベッカムに恋して』

妻のすすめで、観てみました。
最初は、あまり気乗りしなかったのですが、
何分かたつと、すっかり映画の世界に引き込まれていました。

邦題は『ベッカムに恋して』ですが、
原題は、"Bend It Like Beckham"(ベッカムのように曲げろ)です。
単に、ベッカムに憧れてサッカーをする女の子の話、と思いきや、
結構複雑な背景を持っています。
メインは、サッカーよりも、
イギリスにおけるインド文化・インドの伝統的な価値観と、
「女子サッカー」という形であらわされる新しい価値観との衝突です。
同時に、典型的なイギリス家庭・文化と、
やはり「女子サッカー」で表される新しい価値観との衝突もあります。

主人公の夢をあきらめない心、
両親に代表される伝統的な価値観との衝突が見ものです。
映画では、主人公は「タイミング悪すぎ」なほど、
隠していたウソがばれたり、
誤解を招くような場面を身近な人に見られたりと散々ですが、
ちょうど、うまいドリブルやパスワークのように、
なんとか突破していきます。
しかし、一番大切な試合の日が、姉の結婚式の日と重なってしまいます。
ついには、両親、特に父親に屈服してしまいます。
しかし・・・(ここからはネタばれになるので、あえて書きません。)

最後には、フェイントやドリブルではなく、
正面突破をします。
文化や伝統を越えて、自分の夢を貫くすがすがしさがあります。
同時に、普遍的な、親子の愛の姿もあります。
10代の女の子にはぜひ観てもらいたい作品ですね。
いや、夢をあきらめないすべての人におすすめできます。
さわやかな作品です。
また、インド文化の一端に触れることができます。
現在のハリウッド映画の美女の代表格である、
キーラ・ナイトレイのボーイッシュな姿も見ることができます。

ベッカムに恋して [DVD]DVDベッカムに恋して [DVD]

販売元:パンド
発売日:2003/10/03
Amazon.co.jpで詳細を確認する

2010年3月 7日 (日)

NHK「祝女」

3月7日読売新聞朝刊で取り上げられていたので、
最後の10分程度でしたが、妻と一緒にちょっと見てみました。

番組中のレギュラーコーナーになっている(らしい)、
「無限男子」のところはとても面白かったです。
番組HPを見ると、
「恋愛年齢∞無限大」なるキャッチフレーズがスバラシイですね。
「無限男子」に会うために、わざわざ韓国まで行った女性二人組が、
結局会うことはできない、というコントでした。
「サラリーマンNEO」の女性版、といったところでしょうか。
これはハマりそうです。

番組HPは、以下です。
http://www.nhk.or.jp/shukujo/
「無限男子」の「公式」(?)HPは、以下です。
http://www.nhk.or.jp/shukujo/topics/mugendanshi/index.html
ちゃんと歌までありますよ。

最近の教育関係記事から~愛子さま不登校、いじめ自殺報道

ちょうどこの記事で、300記事目になります。
神様に感謝!
ただ、少し暗い話題を取扱うことになりました・・・

昨日の夕方、妻と一緒に喫茶店に行きました。
そこに、スポーツ新聞が2誌おいてあったのですが、
そのどちらも、一面トップ記事は、「愛子さま不登校」の記事でした。
(ニュース詳細については、以下でどうぞ。)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100305-00000165-jij-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100306-00000008-scn-int
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100306-00000046-sph-soci

我が家では読売新聞しかとっていないので、
スポーツ新聞のその記事を読んでみました。
一面の他に、社会面でも大きく取り上げていました。
今回の報道、ここまでやる必要があったのか、少々疑問です。
皇室の方なので、影響が大きすぎるのではないでしょうか?
「学習院」に対するイメージの低下は、
一昨年の麻生元首相の頃から顕著になりましたが、
今回のは決定的なイメージダウンですね。
かの「お坊ちゃま、お嬢様学校」の学習院でも、学級崩壊とは・・・
それと、問題を起こした子供とその保護者、担任教師に対して、
ものすごいバッシングが来るのではないでしょうか。
愛子さまの事も心配ですが、それ以上に、そちらの方が心配です。

最近、「学校でのいじめを苦にしての自殺」報道が、
またチラホラと出てきました。
いじめを苦にして、自殺する、自殺を思いつめる、これはとても深刻な問題です。
心のケアが必要です。
それとは別に、報道の仕方には、問題を感じます。
報道をすることにより、模倣自殺、連鎖自殺を招いていないでしょうか?

「自殺を予防する自殺事例報道のあり方について」のWHO勧告(2000年)
によると、

1)やるべきこと
・自殺の代わり(alternative)を強調する。
・ヘルプラインや地域の支援機関を紹介する。
・自殺が未遂に終わった場合の身体的ダメージ(脳障害、麻痺等)について、
記述する。
2)避けるべきこと
・写真や遺書を公表しない。
・使用された自殺手段の詳細を報道しない。
・自殺の理由を単純化して報道しない。
・自殺の美化やセンセーショナルな報道を避ける。
・宗教的、文化的固定観念を用いて報道しない。
○日本における自殺報道の現状
・個々の自殺の手段を詳細に報じる傾向
例:X-Japan ヒデ氏の自殺報道、ネット自殺報道、練炭自殺についての報道
→新しい自殺手段が入手可能であることを大々的に宣伝してないか?
→模倣自殺(ウェルテル効果)
・自殺を考慮中の人が読者に多数いることを前提とした報道がなされていない。
→そのような人々をサポートするメッセージ(例:相談機関連絡先)等が
セットで紹介されていない。
○諸外国における自殺予防につながるマスコミ報道の実践
・Austria (Etzerdorfer et al. 1998)
地下鉄自殺に対しメディアが大々的に報道
→ウィーンの地下鉄自殺急増(1984-87)
→オーストリア自殺予防協会がガイドライン作成(1987)
→メディアによる自殺報道のコントロール
→地下鉄自殺減少(1987 後半~)
→総自殺率低下(1987 後半~)
・Sweden (山下志穂、金子能宏、反町吉秀. 2004)
国立自殺予防センターによる自殺対策

(上記は、以下のサイトからそのまま引用しました。)
http://www.lifelink.or.jp/hp/Library/jisatsuhoudou_who.pdf
http://www.lifelink.or.jp/hp/jisatsuhoudou.html

精神科医の和田秀樹氏はブログの中でこう書いています。
日本のマスコミ、とくにテレビマスコミは、世界中の先進国で唯一、自殺報道のガイドラインを守らず、そのせいも一因となって、日本の自殺率は先進国最悪だ(先進国最悪なのに、自殺報道のガイドラインを守らないと言うほうが正確だろうが)。
(引用は、以下のブログから)
http://ameblo.jp/wadahideki/entry-10439220147.html

「正義と公正」の名のもとに、自殺の犠牲者を増やしている、とは、
なんとも皮肉な結果です。
横浜自殺予防研究センターのサイトで、
「メディアと自殺問題」という題で、よい記事があります。
ぜひお読みください。
http://www-user.yokohama-cu.ac.jp/~psychiat/WEB_YSPRC/index.files/Page2298.htm

自殺予防の相談窓口となるサイトを紹介します。
「日本いのちの電話連盟・全国いのちの電話一覧」
http://www.find-j.jp/zenkoku.html
「自殺対策支援センター ライフリンク」
http://www.lifelink.or.jp/hp/top.html

自分で死ぬ事を選んで、相手に復讐することを願ってはなりません。
まして、その「憎たらしい存在」が、自分自身なら、なおさらです。
愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。
「『復讐はわたし(=神様)のすること、わたしが報復する。」と主は言われる」
と書いてあります。
(新約聖書 ローマの信徒への手紙12:19新共同訳)
命あるもののうちに数えられてさえいれば、まだ安心だ。
犬でも、生きていれば、死んだ獅子よりましだ。
(旧約聖書 コヘレトの言葉9:4新共同訳)

キリスト教会は、いつでも悩める人に開かれています。
ぜひ、お近くの教会(カトリック・プロテスタント・正教会)に、
一度足を運んでみてください。
特にカトリック教会では、日曜日以外でも、
祈る人のために教会が日中開かれています。
静まって、神様の前に心を注ぎだすとき、
神様があなたの心にきっと触れてくださいますよ。
疲れた者、重荷を負う者は、
だれでもわたし(=イエス様)のもとに来なさい。
休ませてあげよう。
(新約聖書 マタイによる福音書11:28新共同訳)
皆様に神様の祝福と平安が豊かにありますように!

詩篇117(22)【自作曲】

忘れた頃にやってくる、詩篇117シリーズです。

今回で、詩篇117シリーズは、22曲目です。
テキストは、新共同訳です。

テキスト・楽譜と、メロディは、下記からダウンロード願います。

「20100307psalms117allno22.MID」をダウンロード

「20100307psalms117allno22.pdf」をダウンロード

2010年3月 6日 (土)

日本語を教える~読売新聞記事から

読売新聞3月3日朝刊の、教育の記事で、
「日本語を学ぶ」というシリーズが開始されました。
詳しくは記事をお読みください。
(第1回~3月3日記事)
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20100303-OYT8T00192.htm
(第2回~3月4日記事)
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20100304-OYT8T00246.htm

印象に残ったのは、第1回の記事の、
「公的な日本語教育、不十分」というところです。
きちんとしたデータに基づき、
外国人を対象にした日本語教育の必要を訴えています。
外国人登録者数が約222万人に対して、
国内の日本語学習者数は、17万人にも満たない、
という法務省、文化庁の統計資料があります。
(先ほどの記事では、かなり下の方にグラフがあります。)

日本語の読み書きができない、
というのは日本で暮らすのには非常に不便です。
(いくらインターネットがあるとはいえ・・・)
公的な日本語教育の充実が望まれます。

それと同時に、現在、小学校~高校で教えている、
「国語」の授業、もっとなんとかしてほしいと考えます。
論理的に文章を読み解く、という基本中の基本が、
特に小学校ではあまりに軽視されています。
その代わりに、「主人公のそのときの気持ちはどうだったか?」
などというような、ある意味いくらでも答えうるような、
レベルの低いものばかりがはびこっています。
(文学作品では、読み手が百人いたら、
百通りの答えがあってもいいはずです。
主人公の心情を推察するよりも、
文章から分析できること、を読み解く技術の方が重要です。
教師の大半は、国語で道徳を教えようとしているようなものです。)
国語はきちんと、「日本語」を教えるべきであり、
「道徳」は「道徳の時間」で教えるべきです。
学校の先生の裁量任せ、というのは、
非常に心もとないものです。
教え方は、ある程度きちんと定めていたほうがいいと思います。
(どこの業界でもある「マニュアル」が、
学校教師には無いに等しい、という方が異常です。)

2010年3月 5日 (金)

辛そうで辛くない少し辛いラー油

今年の1月下旬か2月初め頃に、あるスーパーでふと手に取ったのが、
桃屋の「辛そうで辛くない少し辛いラー油」という商品でした。
ネーミングのややこしさが印象的でした。
購入後、たまに使う程度でした。

最近、実はこの商品、すごく売れているということを知りました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100227-00000002-jct-bus_all
2月27日のYahoo!のニュースを見て、
「へ~、こんな使い方があるんだ・・・」と知ったばかりです。
それから、パスタとかいろいろな料理によく使うようになりました。
妻から「使いすぎデス」と注意されるほど・・・
ただ、少なくとも私は、この商品のCMを見ていないし、
近所のスーパーでは、それほど売れていない様子です。
たぶん本州の方では、かなり人気なのでしょうね。
「桃ラー」なる言葉まであるそうです。
というわけで、勝手にCMやっちゃいました・・・

桃屋の商品紹介サイトは以下のとおりです。
http://www.momoya.co.jp/products/detail/rayu_sukoshikarai.php
既に昨年の11月には、ヒットしている、という報道があったのですね。
日経トレンディのサイトでの紹介です。
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/hit/20091030/1029973/

神のいつくしみの祈りの花束【自作曲】

今回は、「神のいつくしみの祈りの花束」という曲を紹介します。
もともとのテキストは、20世紀前半に生き、
21世紀初の聖人として認定された、
ポーランドの聖女、聖ファウスティナ(1905~1938)に、
イエス様が示された、という祈りの言葉です。
詳しくは、以下のサイトでどうぞ。
http://homepage3.nifty.com/mercy/treasure/faustina02.html
ちなみに、下のイエス様の御絵は、
彼女に幻視で表われた姿を、画家が描いたものです。
世界中で愛されています。


Divine_mercy_jesus


テキストは以下のとおりです。

永遠の父よ、
私たちと全世界のすべての罪のあがないのために、
あなたの最愛の子、
私たちの主イエス・キリストのおん体とおん血、
ご霊魂と神性をみ前に捧げます
イエスの大いなる受難によって、
私たちと全世界にいつくしみを注いで下さい
聖なる神、
聖なる全能の神、
聖なる永遠の神よ、
私たちと全世界を憐れんで下さい

上記HPで紹介されているとおりに、
ロザリオを使って祈る(歌う)と、15分~20分くらいかかります。
(実際、一時期ずっと自作曲を使って、
毎朝歌いつつ祈っていたことがあります。)
「祈りの練習」にはなりますよ。
(「同じ祈りの言葉を繰り返す、というのは形式的だ」、
とプロテスタント的には批判できますが、
意外と形式的なものに、「魂」を注入できるものですよ。
すらすらと雄弁に祈ることができる人には不要ですが、
どう祈ったらいいのかわからない、祈る気力さえない、
という時こそ、「ロザリオの祈り」や、
「神のいつくしみの祈りの花束」のような祈りは力を発揮します。)

今回の楽譜は2種類用意しました。
「a」の方は、テキストを一塊として歌う場合、
「b」の方は、実際に歌いながら祈る場合です。
MIDIは、「a」のみを採用しました。
歌って祈る場合は、「b」の方に書いてあります。
詳細は、上記HPでご確認ください。

メロディ(midiファイル)と楽譜(PDFファイル)とは、
下記からダウンロード願います。もちろん無償です。

「20100305_chaplet_of_divine_mercy_a.MID」をダウンロード

「20100305_chaplet_of_divine_mercy_a.pdf」をダウンロード

「20100305_chaplet_of_divine_mercy_b.pdf」をダウンロード

ちなみに、「聖母マリアが○○に現われた」、とかの話はよく聞きますが、
意外と、「イエス様が○○に現われた」という話は聞きませんね。
(「イエス様が現われる=再臨」になりますので、そうなると、
「世の終わり」になってしまうからなのでしょうね・・・)
聖ファウスティナの幻視は、貴重な例外です。

2010年3月 4日 (木)

塩の柱~過去に生きてはならない

彼らがロトたちを町外れへ連れ出したとき、主は言われた
『命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。
低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。』
(旧約聖書 創世記19:17新共同訳)
ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱となった。
(旧約聖書 創世記19:26新共同訳)

創世記中の有名なエピソードの一つ、
「ソドムの滅亡」(創世記19章)の中の一節です。
なぜ死海に「塩の柱」がいっぱいあるかの伝承ですね。

「後ろを振り返ると」、「死の世界」に赴く・・・
実はこれ、聖書だけの専売特許ではなく、
ギリシャ神話や日本の神話にもあります。

ギリシャ神話のオルフェウスの話で、関係するところを、
ウィキペディアから引用します。
下線部は私が強調のためにつけました。

オルペウスの妻エウリュディケーが毒蛇にかまれて死んだとき、オルペウスは妻を取り戻すために冥府に入った。彼の弾く竪琴の哀切な音色の前に、ステュクスの渡し守カローンも、冥界の番犬ケルベロスもおとなしくなり、冥界の人々は魅了され、みな涙を流して聴き入った。ついにオルペウスは冥界の王ハーデースとその妃ペルセポネの王座の前に立ち、竪琴を奏でてエウリュディケーの返還を求めた。オルペウスの悲しい琴の音に涙を流すペルセポネに説得され、ハーデースは、「冥界から抜け出すまでの間、決して後ろを振り返ってはならない」という条件を付け、エウリュディケーをオルペウスの後ろに従わせて送った。目の前に光が見え、冥界からあと少しで抜け出すというところで、不安に駆られたオルペウスは後ろを振り向き、妻の姿を見たが、それが最後の別れとなった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%9A%E3%82%A6%E3%82%B9

日本の神話のエピソードも紹介しましょう。
こちらもウィキペディアからの引用です。

天地開闢において神世七代の最後にイザナギとともに生まれた。国産み・神産みにおいてイザナギとの間に日本国土を形づくる多数の子を設ける。その中には淡路島・隠岐島からはじめやがて日本列島を生み、更に山・海など森羅万象の神々を生んだ。
火の神カグツチを産んだために陰部に火傷を負って病に臥せのちに亡くなるが、その際にも尿や糞や吐瀉物から神々を生んだ。なきがらは、『古事記』によれば出雲と伯伎(伯耆)の境の比婆山(現在の島根県安来市伯太町)に、『日本書紀』の一書によれば紀伊の熊野の有馬村(三重県熊野市有馬の花窟神社)に葬られたという。
死後、イザナミは、自分に逢いに黄泉国までやってきたイザナギに腐敗した死体(自分)を見られたことに恥をかかされたと大いに怒り、恐怖で逃げるイザナギを追いかける。しかし、黄泉国と葦原中津国(地上)との境である黄泉比良坂(よもつひらさか)で、イザナミに対してイザナギが大岩で道を塞ぎ、会えなくしてしまう。そして、イザナミとイザナギは離縁した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%8A%E3%83%9F

オルフェウス神話とイザナギ・イザナミの神話では、
どちらも死んだ妻を求めて、死の世界に行き、
生の世界に連れ戻そうとしますが、
「生の世界につくまで後ろを振り返ってはいけない」という条件が出されます。
そしてどちらも、途中で後ろを振り返って、
その妻は死の世界に引き戻されます。

これらの話は、何を伝えようとしているのでしょうか。
いずれも、「後ろを振り返るな」というのがキーワードになっています。
「後ろを振り返るな」すなわち、「過去に生きてはならない。」ということです。

聖書的なメッセージとして、レムナント出版を主宰する久保有政牧師が、
過去に生きてはならない~生き方の提言」という名エッセイを、
ネット上で公開しています。ぜひお読みください。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/057kakoni.htm

覆水盆に返らず」という故事成語がありますね。
原因を分析するのもある程度大切ですが、
それよりも、「覆水」をどうするか、の方がもっと大切です。
たとえば雑巾でふき取る、別の水を用意する・・・
いろいろありますね。
同様に、過去の失敗を反省したりするのはある程度重要ですが、
それよりも、「今、何をなすべきか」の方が、もっと重要です。

過去はさすがに神様でさえも変えることはできません。
しかし、それをどう見るか、は変えることができます。
(神様は、「なぜWhy?」という問いにはお答えにならないですが、
これから「いかにHow?」ということには、
必ず道を示してくださると、私は信じています。)

考えてみてください。
「神の独り子を十字架にかけて殺す」という、
人類最大最悪の失敗ですら、
神様は最大の益と変えてくださいました。
だからこそ、過去にとらわれず、前を向いて、
神様とともに歩んでいきたいものですね。

神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、
万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。
(新約聖書 ローマの信徒への手紙8:28新共同訳)
私の最も好きな聖句の一つです。

2010年3月 3日 (水)

Ave Maria(21)~「浜辺の歌」【編曲】

今日は「ひな祭り」、ということで・・・(実は全然関係ありませんが(^-^;)
有名な「浜辺の歌」の歌詞部分を編曲して、
「聖母マリアへの祈り」をテキストとした曲を紹介します。
原曲のピアノ伴奏付です。

メロディ(midiファイル)と楽譜(PDFファイル)とは、
下記からダウンロード願います。もちろん無償です。

「20100303_ave_maria_in_japanese_no21_hamabenouta.MID」をダウンロード

「20100303_ave_maria_in_japanese_no21_hamabenouta.pdf」をダウンロード

国籍よりも「天国籍」

日本時間の3月1日(月)に、バンクーバー冬期五輪が閉幕しましたね。
その日には、NHKでバンクーバー冬期五輪の総集編を放送していました。
だいたいが、何度も放送されていたシーンばかりでしたが、
ただ1ヵ所、目をみはるシーンがありました。
女子フィギュアスケート・シングルのキム・ヨナ選手のフリーの演技直前の様子です。
リンクに入ってすぐ、彼女は十字を切っていました。
「えっ!」と思い、すぐさま私はウィキペディアで「キム・ヨナ」を調べると、
なんと、彼女は「カトリック教徒」である、と書かれていました。
(「キム・ヨナ wiki」で検索してみてください。)
その瞬間、何かもっと親しみを覚えました。
日本の選手である、韓国の選手である、といったことよりも、
同じ信仰(クリスチャン)ということの方が、
少なくとも私には、親しさを感じさせました。
信仰的見方においては、
「国籍」よりも「天国籍」の方が大事なものです。
けれども、私たちの国籍は天にあります
そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、
私たちは待ち望んでいます。
(新約聖書 ピリピ(フィリピ)人への手紙3:20新改訳)

キム・ヨナ選手と浅田真央選手について、
日本と韓国で、五輪でのジャッジがおかしいだの、不正があっただの、
あることないこと様々な罵詈雑言がネット上で繰り広げられていたり、
サイバー攻撃があったりするのは、誠に嘆かわしいことですね。
(フィギュアスケートは、ジャンプしか評価されないのでしょうか?
キム・ヨナ選手への誹謗中傷を書き込む人は、
見る目がないとしか言い様がありません。
潔くなく、日本の恥だと思います。
また、サイバー攻撃をする韓国の人たちも卑劣です。
それよりも、浅田選手は、
また次の五輪を目指せるではありませんか。
まだ19歳ですよ。
金メダルを取ってここで立ち止まるよりも、
さらに上を目指す方が、
より素晴らしいと思いますが・・・)

ところで、キム・ヨナ選手がフリーの演技で使用していた曲は、
ガーシュウィンの「ピアノ協奏曲ヘ調」です。
私は5、6年前から、この曲が好きです。
エレーヌ・グリモーのピアノ、デイヴィッド・ジンマンの指揮、
アメリカのボルティモア交響楽団による演奏です。
カップリングは、ラヴェルのピアノ協奏曲です。
とても素晴らしい演奏です。
残念ながら、私が持っているCDは、
現在では単独CDとしては売っていないようです。
参考として、私が持っているCDを含む、
6枚組のCDを紹介しているHMVのサイトを記載します。
試聴もできます。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1333566

ちなみに、五輪でのエキシビジョンで美しかったベスト2は、
アメリカのライサチェック選手と、キム・ヨナ選手の演技です。
浅田真央選手は、フリーの演技よりもこちらの方がすばらしかったです。
(彼女のかわいらしさがよく活かされていました。)
コミカルさでは、ロシアのアイスダンス銅メダルの人が、
映画「マトリックス」をイメージさせる衣装で出たのが最高でした。
全体的に、一昔前のエキシビジョンのようなものがなくなっているのが、
少し残念でした。
(バックテンをしたり、演出に凝っていたり・・・
そういうものがとても少なくなっています。)

2010年3月 2日 (火)

一文字の違い

「きみ好きだよ」、「あなた好きだわ」というのと、
「きみ好きだよ」、「あなた好きだわ」というのは、
たった一文字しか違わないですが、大きな違いがありますね。
この場合、「」は、「その人だけが好き」を表し、
」は、その人の他に、複数好きな人を暗示しています。
「あなた好き」と、最愛の恋人から言われたら、
どんなにショックでしょうか。
(普通、こんなことを言う人はいませんよね?)

しかし、神様に対しては、知らず知らず、これに近いことを言ったり、
態度で表している人が多いですよね。
「イエス・キリスト(だけ)を信じます」ではなく、
「イエス・キリスト信じます」

教会に初めて来た人の質問の中で、よくあるのが、
他宗教との関わりです。
「洗礼を受けてから、初詣に行っていいのか?」とか、
「法要をやっていいのか、仏壇の世話をやっていいのか」とか、
「他宗教の葬式に行っていいのか」、「お守りや占いはOKか?」など・・・
それぞれの教会、あるいは各聖職者によって、微妙に違いますね。
それぞれの人の信仰を尊ぶべき、という解釈から(私もそう思います。)、
「仏壇なんかぶっ壊せ」、などと言った過激な発言まで様々です。

私の所属する教会では、かなり他宗教には寛容なので、
家族につきあうため程度であれば、原則、初詣とか法要とかもOKです。
(自分から積極的に、ではありませんが・・・)

先日、そういう話題が出た時、私は教会の考え方を説明すると同時に、
自分の考え方としては、初詣とかには行かないし、お守りをもったりはしない、
と答えました。
どうしてそう考えるか、という根拠として、
冒頭に掲げた「」と「」の違いで説明しました。
聞いた人はすごく納得していました。

高校生の時、口語訳で聖書通読に初めて挑戦しましたが、
出エジプト記20:5の
あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから
というところで、躓きました。
「何で神様ともあろうお方が、「ねたむ」のか?」
そこから、旧約聖書はしばらく読む気がなくなりました。

しかし、何年か後、恋愛を体験してから、
この聖句の意味が切実にわかりました。

恋人や配偶者は「あなただけを愛している」という言葉を聞きたいのです。
同様に、主は、「あなただけを信じます」という言葉を聞きたいのです。

あなたが女性だとして、目の前に、あなたというステキな恋人がいるのに、
付き合っている男性は、アニメのフィギュアの方がカワイイ、
オレは二次元の方がいいんだ、なんて言われたら、どうしますか?
すごく失礼な話ですよね?

目の前に、「王の王であるお方」が、いつも共におられるのに、
人の手で作ったお守りやら、像とかご本尊やらの方が「ご利益がある」、
なんて言われたら、「王の王であるお方」は、何と思われるでしょうか?

依り頼むべきお方は、ただ主のみです!
すべて、偶像に仕える者
むなしい神々を誇りとする者は恥を受ける。
神々はすべて、主に向かってひれ伏す。
(旧約聖書 詩編97:7新共同訳)

2010年3月 1日 (月)

神様の力の蛇口として(マタイ10:19~20)

引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。
そのときには、言うべきことは教えられる。
実は、話すのはあなたがたではなく、
あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。
(新約聖書 マタイによる福音書10:19~20新共同訳)

信仰生活において、一番すばらしい経験にあげたいことといえば、
みなさんなら何をあげるでしょうか?
祈ってすぐ奇蹟が起こること?
(もちろん、これはすばらしく、得がたい経験ですね。)
いわゆる「聖霊体験」や「神秘体験」?
聖霊様に触れられて、歓喜の涙を滝のように流す時?
それとも・・・

私なら、信仰を求めて教会に来た人に、
イエス様のこと、聖書のこと、教会のことなど、
信仰全般にわたって説明している時をあげたいです。
特に相手が、あれこれ難しい質問をしてくる時はなおさらです。
(ただし、真剣な問いかけに限ります。)
昨日の日曜日、久しぶりに、その恵みをいただく機会がありました。

時々、自分の考えをはるかに越えた智恵が、
すらすらと口からあふれ出てきます。
それは、私の力ではなく、神様の力である、と思わざろうえません。
冒頭に掲げた、マタイ10:19~20を実感できます。
次から次へと、適切なたとえや、
適切な聖書箇所が口からあふれてきます。

確かにいわゆる「聖霊体験」や「神秘体験」は、
ものすごくすばらしいことです。
ただ、それは自分自身の益で終わります。
しかし、「証をする」という「真剣勝負」は違います。
相手の益になり、そして自分自身をも高めます。
(自分自身を高める、というのは、おまけのようなものですが・・・)

大切なのは、そういう機会が与えられたら、
ひるまず、恐れず、知恵を尽くして、
神の恵みを語り続けることです。
そのとき、「私」や「あなた」と言う小さな蛇口から、
神様の力という「生ける水」が、あふれ流れてきます。

信仰において、
人を納得・説得できるのは、論理ではなく、神様の力です。
わたしの言葉もわたしの宣教も、
知恵にあふれた言葉によらず、
”霊”(=聖霊)と力の証明によるものでした。
それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、
神の力によって信じるようになるためでした。
(新約聖書 コリントの信徒への手紙Ⅰ2:4~5新共同訳)
神様に感謝します!

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