夢を持つ信仰
「幻がなければ民は堕落する。」(旧約聖書 箴言29:18新共同訳)
「だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、
持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。」
(新約聖書 マタイによる福音書25:29新共同訳)
所属教会の、ある会合に出席しました。
正直言って、落胆しました。
積極的な意見は却下され、現状維持的な発言が優勢を占めました。
その代わり、その組織の本来業務でないようなことに対しては、
別な意味で、「積極的な」意見が出ました。
「教会生活」で疲れるなぁ・・・と思うことの一つが、
現状維持しか考えないような人たちとの会合・会議です。
(あとは、無遠慮に他人の職業を聞く人もそうです。
教会に来るのに、「職業が何であるか」は必要なのでしょうか?
自衛隊員や、風俗関係者とかは教会に来てはいけないのでしょうか?
訳あって失業中の人もいるはずです。
教会に来てまもない人が傷つく質問の一つだと思います。
私は、教会では、
相手が自分から「職業は○○です。」と言わない限り、
決して、職業を聞くことはしません。
大学教授だろうと、社長だろうと、ニートだろうと、
神様の前では平等だからです。)
その反対に、
教会で、積極的な考え方、行動力を持つ人と話したり、
一緒に何か取り組むのは、とてもすばらしい経験になります。
新たな力をその人からもらえます。
神様による「充電」のようなものですね。
「神の民」にふさわしいのは、たえまない自己研鑽と、
「水の上を歩くような」チャレンジ精神である、と私は思っています。
「夢」(幻、ヴィジョン)はぜひ必要です。
せっかく、神様からよいものをいただいていても、
現状維持しか考えないのであれば
(イエス様のたとえ話でいえば、「タラントを土に埋めていた人」(マタイ25章))、
まさに、「持っているものまでも取り上げられ」てしまいます。
互いに足を引っ張り合うのではなく、
互いに高め合う関係を、教会では築いていきたいですね。
「だから、平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか。」
(新約聖書 ローマの信徒への手紙14:19新共同訳)
※夢が多すぎてもよくありませんね。
「夢や空想が多いと饒舌になる。神を畏れ敬え。」
(旧約聖書 コヘレトの言葉5:6新共同訳)
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