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2010年1月12日 (火)

病まなければ(詞:河野 進)【自作曲】

今回紹介しますのは、
河野進(1904~1990)の有名な詩『病まなければ』への作曲です。

とても有名な詩なので、たくさんのブログにも引用されていますが、
私のブログにおいても引用します。


病まなければ」 河野 進

病まなければ ささげ得ない祈りがある
病まなければ 信じ得ない奇跡がある
病まなければ 聞き得ない御言葉がある
病まなければ 近づき得ない聖所がある
病まなければ 仰ぎ得ない御顔がある
おお 病まなければ 私は人間でさえもあり得ない


(改めて、この詩が引用されているいろいろなブログ等を調べると、
漢字の使われ方や、最後のところが微妙に違っていることに気づきました。
上記では、「私は人間でさえもあり得ない」と終っていますが、
「私は人間でさえもありえなかった」というのもいくつもありました。
どちらがオリジナルなんでしょうね・・・?
以前紹介した、『あしあと』(詞:M・パワーズ)のように、
いつの間にか作者不詳になって、いろいろ手が加えられるほどに、
多くの人に愛されてきた、ということなのでしょう。
ちなみに、私が作曲の際に引用したサイトは、確か以下のとおりです。)
http://www.nsknet.or.jp/~kmg/yama.htm

キリストは御子であるにもかかわらず、
多くの苦しみによって従順を学ばれました。
(新約聖書 ヘブライ人への手紙5:8新共同訳)

神の御子であるイエス様でさえ、苦しみを通して、
従順を学ぶ必要があったわけです。
まして、私たちにはなおさらでしょう。

神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、
わたしたちも神からいただくこの慰めによって、
あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。
(新約聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ1:4新共同訳)

実際、苦しんだり、悩んだりしたことがなかったり、
それらの経験に乏しい人に、
今その渦中にいる人を慰めることなどできません。
せいぜい、気休めを言うだけでしょう。
だからこそ、苦しみや悩みの経験は、
後で、自分の中で宝となるかもしれません。
およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、
悲しいものと思われるのですが、
後になるとそれで鍛え上げられた人々に、
義という平和に満ちた実を結ばせるのです。
(新約聖書 ヘブライ人への手紙12:11新共同訳)

「-」(マイナス)という人間的な視点に、
神からの視点を足せば、「+」(プラス)になります。
自分にとって、「-」でしかなかった経験・認識が、
後で人の悩みの解決になる「+」へと昇華されるのは、
とてもうれしい経験となります。

私たちが苦しみにあってイエス様に信頼し、祈るのは、
イエス様自身、非常な苦しみにあわれた方だからです。
この大祭司(=イエス様)は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、
罪を犯されなかったが、あらゆる点において、
わたしたちと同様に試練に遭われたのです。
だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、
時宜にかなった助けをいただくために、
大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。
(新約聖書 ヘブライ人への手紙4:15~16新共同訳)

曲の紹介に戻ります。
この曲は、私の作品の中でも、特に美しいものの一つだと思っております。
多くの人の慰めに役立てば幸いです。

メロディ(midiファイル)と楽譜(PDFファイル)とは、
下記からダウンロード願います。もちろん無償です。

「20100112_yamanakereba_by_susumu_kouno.MID」をダウンロード

「20100112_yamanakereba_by_susumu_kouno.pdf」をダウンロード

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