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2009年12月14日 (月)

娘シオンよ、喜び叫べ!(ゼファニヤ3:14~15)【自作曲】

昨日の主日、教会の礼拝において、
聖書朗読の奉仕をしました。
朗読した箇所は、旧約聖書ゼファニヤ書3:14~17(新共同訳)でした。

今回紹介する曲は、ちょうどその朗読箇所の一部にあたります。
テキストは、旧約聖書ゼファニヤ書3:14~15新共同訳です。
ロ短調の曲ですが、暗い曲ではなく、情熱的で、
イメージとしては、ユダヤ人たちがダンスしている感じです。

ところで、みなさんの教会では、
聖書朗読はどのようになされているでしょうか?
(ここでは、信徒が聖書朗読を担当する場合を考えてください。)
きちんと準備してくる人もいれば、ただ「当番だから、仕方なく」読む人もいます。
教会によっては、一律に、まるでお経のように、
どの箇所も淡々と読むことが求められるところもあるようです。
(実際、そんな教会に行ったこともあります。)
まぁ、それはそれぞれの教会の「伝統」というものがあるのでしょうから、
ある程度、尊重した方がいいのかもしれませんが・・・

私は、いろいろな教会に行き、礼拝において聖書朗読を聞きましたが、
今でも一番印象に残っているのは、
加藤常昭牧師による特別伝道礼拝において(日本キリスト教会)、
加藤常昭牧師が、ホセア書を朗読したときのことです。
ふつう、説教というのは、
「聖書は『わからないもの』だから、
牧師が信徒向けに優しく噛み砕いて提供する。」というイメージがありますが、
加藤牧師の聖書朗読は、聴くだけで、説教がなくても、
聖書の「心」がわかってしまう、というすばらしいものでした。
そのとき加藤牧師は何を説教されたのか、
今では思い出せませんが、
そのときの聖書朗読のすばらしさだけは、忘れられない体験です。

そういう経験がありますから、私の理想とする聖書朗読は、
最初に書いたような、淡々とお経のように読むことではなく、
「今、ここで神様がこの御言葉を私たちに語られている!」ということを、
強く意識できるようなものです。
具体的には、書かれているテキストをじっくり読み込み、
力強いところは力強く、
繊細さや愛、喜びがあふれているところなら、そのとおりに、
テキストを「表現する」ことです。
自分なりの「解釈」が、朗読からにじみ出てくる、
聴いている人たちが、「声」だけで、
聖書の御言葉を直接的に「理解」できることを目指しています。

昨日の私の聖書朗読は、
もちろん加藤牧師の「芸」には遠く及びませんが、
それなりに、朗読箇所をきちんと「表現」できたかな、と思っています。

メロディ(midiファイル)と楽譜(PDFファイル)とは、
下記からダウンロード願います。もちろん無償です。

「20091214_zephaniah0314no01.MID」をダウンロード

「20091214_zephaniah0314no01.pdf」をダウンロード

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