Anima Christi【自作曲】
「カトリック的な作品」シリーズ第8弾で、
ひとまずこのシリーズ最終回です。
今回は、聖イグナチオ・デ・ロヨラによる、
"Anima Christi"(アニマ・クリスティ〔キリストの魂〕)を紹介します。
テキストは、以下のサイトでごらんください。
「きょうをささげる」という、カトリックのサイトです。
その中で、「アニマ・クリスティ」というところをクリックしてくださいね。
http://seseragi.jesuits.or.jp/sasage/index.htm
カトリック・正教会・プロテスタント各派において、
聖餐式(聖体拝領・領聖)の扱いは、様々です。
カトリックと正教会のように、
それが礼拝の中心になっているところに対して、
全然重要視しないプロテスタントの派もあります。
せいぜい、聖餐式をしても、年に2回程度とか・・・
また、どういうパンを使うのかも様々です。
(聖書的なのは、普通の食パンではなく、種なしパンです。)
さらには、カトリックのように、
原則、一般信徒は「キリストの血」をいただかないところもありますし、
(禁止されているわけではありませんが・・・歴史的な経緯によります。
また、特別な機会には、信徒も「御血」をミサ中に拝領できます。)
「ぶどう酒」ではなく、
「ぶどうジュース」を使うプロテスタントの派も結構あります。
(聖餐をいただく人の中には、アル中の人もいるわけですから、
賢明な判断である、とも言えますが・・・)
上記のような形式論争はともかく、
少なくとも私にとっては、
キリストの御体をいただくことは、
信仰生活の中心の一つに位置づけられています。
余談ですが、カトリックで使っている用語「聖体拝領」という訳語は、
"Communion"という本来の言葉からかけ離れているように思えます。
ラテン語の元々の意味は、「共有すること」です。
"com"(ともに)+"union"(一致)・・・
これは、単に、「私と神様との一致」だけを表すものではありません。
「私と神様との一致」しか念頭にないのであれば、
それはもはや、霊的なエゴイズムです。
(「拝領」という言葉で、うやうやしく、キリストの御体をいただく、
ということを強調したかったのでしょうが・・・)
「私と神様との一致」の他に、実は、キリストの体を通しての、
「キリストにおける兄弟姉妹との一致」があります。
(参考:「パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。」
(新約聖書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 10:17新共同訳))
今回紹介したテキストは、どちらかというと、
「私と神様との一致」を強調したものです。
しかし、聖イグナチオは、決して、
恵みを自分にだけとどめていられませんでした。
キリストとの深い一致、
そしてキリストを通しての、兄弟姉妹への愛。
これこそ、いただいたキリストの御体と御血が、
文字通り、私たちの「血肉」となり、生きて働く時です。
メロディ(midiファイル)と楽譜(PDFファイル)とは、
下記からダウンロード願います。もちろん無償です。
« サザエさんの頭 | トップページ | 大宣教命令行進曲(マルコ16:15、使徒16:31)【編曲】 »
「自作曲・楽譜」カテゴリの記事
- 2022年9月のページビュー(PV)数ベスト10記事一覧(2022.10.03)
- 「翔んで埼玉」化していく日本・・・(2020.04.28)
- 主に感謝せよ(詩篇118:1)【自作曲】(2016.11.09)
- 主はわが巌、わがとりで(詩篇18:2,3,1)【自作曲】(2016.11.03)
- Ave Maria(アヴェ・マリアの祈り2011年版)【編曲】(2014.11.14)
「カトリック的作品」カテゴリの記事
- Ave Maria(アヴェ・マリアの祈り2011年版)【編曲】(2014.11.14)
- 詩篇117(36)【自作曲】(2011.09.11)
- アヴェ・マリアの祈り(確定版)【自作曲】※附・「マリア」か「マリヤ」か?(2011.06.25)
- Ave Maria(ラテン語版)(2)【自作曲】(2011.02.24)
- あめのきさき(カトリック聖歌集322/621)※MIDI付(2011.02.23)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント