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2009年10月 7日 (水)

ヨハネの洗礼

10月6日の朝刊のテレビ欄を見ていると、
夜10:54~から、TBS系新番組として、
「ヨハネ」と書いてあるのを見つけました。
興味を持ったので、調べてみると、
「ヨハネの洗礼」という番組名でした。

番組の内容は、
「何も知らずにやってくる女性芸人の秘めた、
洗い流したい恥ずかしい過去を大暴露!
文字通りキレイさっぱり洗い流す衝撃のショートコメディー。」
(番組宣伝HPから引用)とのことでした。
たぶん、「オレたちひょうきん族」(懐かしい~!)の人気コーナー、
「ひょうきん懺悔室」の二番煎じ的な内容かな、と予想できました。

実際、参考までに、その番組を見てみました。
女性芸人の恥ずかしい写真を公開し、
それに対して、「罪滅ぼし」的な「懺悔」をさせられ、
最後に、その写真と女性芸人に、
大量の水が天井から浴びせられ、
「罪が清められる」(?)というものでした。

それにしても、どうして番組名を、
「ヨハネの洗礼」なんてものにしたのでしょうか。
よくわからない番組でした。
「洗礼」というよりは、
神道の「みそぎ」の方が適切な表現でしょう。
(余談ですが、神道の「みそぎ」と、
ユダヤ教の「清め」の考え方は、なんとなく似ていると思います。)

ところで、「ヨハネの洗礼」といえば、
本家本元(!)の聖書において、特に印象深いところがあります。
使徒19:1~7に書かれている記事です。
使徒パウロがエフェソ(エペソ)に行った際、
何人かの弟子に会い、彼らに問いました。
以下、聖書本文を引用します。
「(パウロは)彼ら(エフェソの弟子たち)
『信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか』と言うと、
彼らは、『いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません。』
と言った。パウロが、
『それなら、どんな洗礼を受けたのですか』と言うと、
『ヨハネの洗礼だけです」と言った。
(新約聖書 使徒言行録19:2~3新共同訳)

洗礼を受けているのに、聖霊を受けていない・・・
これは、聖書に書かれているだけの出来事でしょうか?
父と子と聖霊の名によって洗礼」(マタイ28:19)を受けたのに、
どうして、聖霊に満たされている人が、こんなにも少ないのでしょうか?
イエス・キリストは、きのうも今日も、
また永遠に変わることのない方です。
(新約聖書 ヘブライ人への手紙13:8新共同訳)
という御言葉が真実ならば、
イエス様の御名によって、奇蹟が今の時代にもあって当然ですし、
異言や預言などの聖霊の賜物や、聖霊の実があふれる信仰が、
今もあるのが不思議なことではないはずです。
リベラル派の人たちの、「聖書は神話だ」というのは論外として、
福音派の半分の人たちの、
「聖書が書かれた当時は、奇蹟があったが、
聖書が完成したので、今は奇蹟が必要ない。」という主張は、
全然根拠がないものです。
また、常識的・合理的なものしか認めない信仰も、
私にとっては???です。

私たちは、悔い改めを表す「ヨハネの洗礼」で満足していないでしょうか?
「悪いことをしない」程度のことだけなら(これも大切なことですが)、
別にキリスト教の信仰でなくてもいいはずです。
神様が約束されているのは、もっと祝福に満ちたものです。
あなたがたの上に聖霊が降ると、
あなたがたは力を受ける。
そして、エルサレムばかりでなく、
ユダヤとサマリヤの全土で、
また、地の果てに至るまで
わたし(イエス・キリスト)の証人となる。
(新約聖書 使徒言行録1:8新共同訳)
神様の力を受けましょう!

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