神様からのプロポーズ
教会で、洗礼を受ける予定の方と話す機会があり、
その中で、洗礼の話題が出ました。
「洗礼を受けませんか?」と聖職者の方から言ってもらえたらうれしい、
という意見がありましたが、
私は、「恋愛と同じで、自分から『告白』した方がいい
(つまり、自分から、洗礼を受けたいと表明すること。)」と話しました。
洗礼は神様との結婚式、のようなイメージとして、私はとらえています。
教会から帰る途中、そこで話した様々なことを振り返りました。
その中で、上記の話を特に考えてみました。
洗礼を受けたい、と聖職者に表明することは、
あたかも、恋愛において、「自分から告白する」ことに相当するのか?
・・・いや、実は私たちは、既に神様から、何千年も前から、
プロポーズされているのだ!
根拠となる、神様からの「愛のプロポーズの言葉」を、
何箇所か、引用してみましょう。
「わたし(=神様)は、とこしえの愛をもってあなたを愛し、
変わることなく慈しみを注ぐ。」
(旧約聖書 エレミヤ書31:3新共同訳より)
「わたし(=神様)はあなたととこしえの契りを結ぶ。
わたしは、あなたと契りを結び
正義と公平を与え、慈しみ憐れむ。」(旧約聖書 ホセア書2:21新共同訳)
「わたし(=神様)の目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。」
(旧約聖書 イザヤ書43:3新改訳より)
「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。
・・・(中略)・・・
わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、
わたしたちを引き離すことはできないのです。」
(新約聖書 ローマの信徒への手紙8:35、8:39新共同訳より)
「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、
御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、
キリストにおいてお選びになりました。」
(新約聖書 エフェソの信徒への手紙1:4新共同訳)
「神は、独り子を世にお遣わしになりました。
その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。
ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。」
(新約聖書 ヨハネの手紙Ⅰ4:9新共同訳)
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
(新約聖書 ヨハネによる福音書3:16新共同訳)
まだまだたくさんありますが、
私たちの心を射止める神様からのプロポーズの言葉が、聖書にあります。
私たちが神様を信じるか、信じないか、というのは最初から問題ではなく
(当然、神様がいるのか、いないのか、という哲学的な問いは論外です。)、
私たちが、神様からの永遠のプロポーズに応えるか否か、それだけなのです。
洗礼を受ける、というのは、プロポーズに応え、神様と共に生きていく、
という「しるし」としての、
いわば「結婚式」や「婚姻届」のようなものではないかと、
だと私は考えています。
「あなたの恋人はどんなにいいひと
だれにもまして美しいおとめ(⇒ここに自分の名を入れてみましょう)よ。
あなたの恋人はどんなにいいひと
こんな誓いをさせるとは。」(旧約聖書 雅歌5:9新共同訳)
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