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2009年9月21日 (月)

「主の慈しみは決して絶えない」(哀歌3:22)【自作曲】

今回は、哀歌からの作曲を紹介します。
テキストは、哀歌3:22~27新共同訳です。

哀歌3章のこの部分は、悲痛な調子が続く哀歌の中で、
唯一、雲間から差し込む天からの光のような箇所です。
地獄絵の中の、恩寵の光といえる、珠玉の言葉です。

今回、この曲を紹介しようとしたきっかけは、
詳しくは述べませんが、先日、大きな苦しみがあったからです。
夜眠ろうとしても、自分を責める思いが、次々に涌いてきました。
「あの時、ああしなければよかったのに!!!!!!」
祈ろうにも、声があがらない、声が届かない、そんな感じでした。

しかし、苦悩の夜が過ぎ、私は深い眠りについていました。
目覚めたときは、不思議な心の平安がありました。
これは、私の祈りの結果などではなく、
一方的な、神様の深い憐れみによります。
そこで、すぐ頭に浮かんだのは、この、哀歌からの曲でした。

主の慈しみは決して絶えない。
主の憐れみは決して尽きない。
それは朝ごとに新たになる。
『あなたの真実はそれほど深い。
主こそわたしの受ける分』とわたしの魂は言い
わたしは主を待ち望む。
主に望みをおき尋ね求める魂に
主は幸いをお与えになる。
主の救いを黙して待てば幸いを得る。
若いときに軛(くびき)を負った人は、幸いを得る。

(聖書新共同訳 哀歌3:22~27)

そういう意味で、神様の深い愛を再び確信できた、幸いの時となりました。
起きたことに対して、自分を責め続けても、前には進めません。
しかし、神様は、私に、前に進む力と、心の平和をお与えになりました。

毎朝読み続けている、ヒルティの『眠られぬ夜のために』第一部の、
九月十九日のところは、すばらしい言葉なので、ぜひ全文分かち合いたいです。

「私はかつて、無報酬で事務的な仕事を果たしてやったイスラエル人に、
半ば冗談、半ば本気で、この仕事のお礼は、彼からではなく、
イスラエルの神から払って頂くつもりだ、と言ったことがある。
すると、その神はすぐさま私の言質をとらえて、それからしばらくの間に、
私の生涯で最もつらい苦痛や心の痛手を、ほとんどひっきりなしに、
私に贈ってよこした。そしてこれを書いている今も、
私はその時の偉大な贈物を正しく評価し、
それをよく利用しようと、心をくだいている。
その賜物がなければ、この本も書かれなかったことであろう。
なぜなら、役に立つ著書と真の幸福とは、
両方とも苦しい土台なしに得られないからである。
不幸は、(逆説的に聞えるかもしれないが)
人生の幸福にぜひとも必要なものである。」
(ヒルティ『眠られぬ夜のために』第一部P.263〈岩波文庫版〉より)
※太線部分は、原文では、傍点をふってある箇所です。

不幸を礼賛するつもりはありません。
しかし、あたかも焼け野原に呆然と立ち尽くすような、
なんでこんなことが起きるのか・・・としか言いようのない現実であっても、
すべての事を、神様は益としてくださいます!
(イエス様の十字架という、世界最悪の事をも、
神様は最善へと変えてくださったではありませんか!)
神様の深い恵みと憐れみを賛美します!

この箇所からの曲は、現在までに、3曲与えられています。
その中で、最も心に刻まれているのは、この曲です。

メロディ(midiファイル)と楽譜(PDFファイル)とは、
下記からダウンロード願います。もちろん無償です。

「20090921lamentation0322no01.MID」をダウンロード


「20090921lamentation0322no01.pdf」をダウンロード

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