主の祈り(その9)「わたしたちの罪をおゆるしください・・・」【付:新共同訳への自作曲】
久しぶりに、「主の祈り」シリーズの続きです。
今回は、
「わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。」の箇所です。
実は、上記の訳は、正確なものとはいえません。
「罪」と訳されているところが、特にそうです。
参考までに、いくつかの日本語訳を紹介しましょう。
新約聖書 マタイによる福音書6:12です。
「わたしたちの負い目を赦してください。
わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。」(新共同訳)
(※共同訳、新改訳、現代訳、バルバロ訳、フランシスコ会訳も大体同様)
「わたしたちに負債のあるものをゆるしましたように、
わたしたちの負債をもおゆるしください。」(口語訳)
(※岩波書店訳、回復訳、新和訳も大体同様)
「私たちが、私たちに罪の負債を負っている人たちを赦したように、
私たちの罪の負債をお赦しください。」(エマオ出版訳)
「われらに悪を働く者をわれらが赦すように、
われらの悪をも赦してください。」(柳生直行訳)
以上のとおり、各訳において、「罪」と訳しているものはありません。
たいてい、「負い目」、「負債」という意味ですね。
(柳生直行訳の「悪」ならば、「罪」に近いニュアンスですが・・・)
ここでいう、「罪」とは、
いわゆる「原罪」のような、根本的なものではなく、
「思い、言葉、行い、怠り」における「過失」、「あやまち」です。
(日本語では、英語の"sin"(宗教的な意味での「罪」)と、
"crime"(法律上の罪、犯罪)のような区別がなく、
教会においてさえ、なんとなく、両者が混同されているようにも思えます。
だからこそ、「わたしたちの罪をおゆるしください。」
という訳では、少々誤解されやすいのでは、と私は考えています。)
根本的な意味での「罪」とは何か、という事については、
また別の機会にシリーズ化して書きたいと思っています。
神様に、「負い目」、あるいは「罪」、「過ち」を赦していただく条件とは、
自分が人の過ち、人の悪を赦すことです。
イエス様は、マタイによる福音書18:21~35の、
「仲間を赦さない家来のたとえ」で、
(人を)赦すことが、(神様に)赦される条件であることを述べています。
もっと簡潔に言えば、
「七の七十倍までも赦しなさい。」(マタイによる福音書18:22新共同訳)
ということですね。
(7×70=490だから、490回まで赦せ、ということではありません。
7は聖書では完全数です。ここでの数値は、「際限なく」を表します。)
ところで、みなさんの中には、
「あいつ(あの人)だけは絶対に赦せない!」という人がいますか?
ある人にとっては、「主の祈り」の、この箇所は、
心から祈ることができない、と思われているかもしれません。
「神様に赦されなくてもいいから、赦したくない、赦せない!」
とまで思っている方もいるかもしれませんね。
人を赦さないことは、いったい誰にとって、「得」なのでしょうか?
以前紹介した、D・カーネギーの名著『道は開ける』には、
「主の祈り」のこの箇所について書かれているところがあります。
少し長いですが、引用します。
「(中略)私たちが敵に憎しみを感じると、
むしろ自分自身が敵に支配されることになる。
支配力は私たちの睡眠・食欲・血圧・健康・幸福にまで及んでくる。
敵は私たちを悩ませ、苦しめ、仕返しさえしていることを知ったら、
小躍りして喜ぶであろう!
私たちの憎悪は少しも敵を傷つけないばかりか、
かえって私たち自身が、日夜、地獄の苦しみを味わうことになる。
(中略)キリストが、『自分の敵を愛しなさい』と言ったのは、
単に道徳律を説いただけでなく、二十世紀の医学をも説いていたのだ。
『七たびを七十倍するまで赦しなさい』といったキリストは、
高血圧症・心臓病・胃潰瘍・その他の病気について語っていたのだ。
(中略)キリストは『自分の敵を愛しなさい』と言った時、
いかにすれば私たちの表情が良くなるかについても説いていたのだ。
私や皆さんが知っている人々の中にも、
憎悪と怨恨のために顔のシワが増え、皮膚がこわばり、
せっかくの容貌が台無しになった例があるはずだ。
(中略)私たちが敵を憎むことによって精力を使い果たし、
神経質になり、容貌が衰え、心臓病に冒され、
寿命まで縮めていると知ったならば、
彼ら(敵、赦せない相手)は手を打って大喜びするのではなかろうか?
たとえ敵を愛することができなくても、少なくとも自分自身を愛そうではないか。
せめて私たちの幸福や健康や容貌を敵の支配にゆだねなくて済む程度に、
自分自身を愛そうではないか。
(中略)仕返しをしてはならない。
敵を傷つけるよりも自分を傷つける結果となるからだ。(中略)
きらいな人について考えたりして、
一分間たりとも時間を無駄にしないことだ。」
(『道は開ける』第13章 「仕返しは高くつく」より抜粋引用)
結局、赦すことは、自分の益となるのです。
だからこそ、もし赦せない相手がいるなら、
たとえ口先だけでもいいですから、
「○○さんを赦します!」と宣言しましょう。
(心にひっかかるたびに・・・宣言し続けるのです!)
そうすれば、いつしか口先だけ、形式だけであったのに、
実感が伴うようになるものです。
「心の清い人々は、幸いである。その人たちは神を見る。」
(新約聖書 マタイによる福音書5:8新共同訳)
とあるように、神様にお会いするのであれば、
清い心が必要です。
「罪」、「負い目」があるままでは、神様への祈りは、
力がありません。
また、人とけんかした状態であっても同様です。
イエス様は、宗教的儀式よりも、
「兄弟と和解する方がまず先」という意味のことを言われました。
(参考:マタイによる福音書5:23~26)
私も、このことについては、実感したことが何度もあります。
最初のテキストに戻りましょう。
「わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。」
ここでは、「人をゆるします!」と神様の御前で、
はっきりと宣言しています。
これは、すばらしいことだと思います。
神様があわれみ深いお方であるように、
私たちも、赦す者でありたいものです。
そして、イエス様の十字架によって、
すべての罪が赦された者であることを、
いつまでも忘れず、驕り高ぶらないように・・・
今回、おまけとして、新共同訳の「主の祈り」への作曲を紹介します。
「主の祈り」に、初めて与えられた作曲です。
頌栄のところは、NCC統一訳を使用しています。
メロディ(midiファイル)と楽譜(PDFファイル)とは、
下記からダウンロード願います。もちろん無償です。
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