主の祈り(その5)「み国が来ますように。」
「主の祈り」シリーズもいよいよ中盤、第5回目です。
今回は、「み国が来ますように。」の箇所について考察します。
ところで、「み国」とは、何でしょうか?
一般的には、死んでから赴くであろう、
永遠に神様とともにある世界である、
「天国」のことと理解します。
しかし、それなら、「み国」が「来ます」ではなく、
「み国に行けますように」の方が正しいのでは、
と考えないですか?
「天国」は、信じる私たちが、
「行く」、「向かう」ところであって、
「天国」の方が、この世界に来る、
とはどういうことでしょうか?
ちなみに、この箇所の「み国」は、
英語では、たいてい、"Kingdom"と訳されています。
単なる「国」ではなく、「神様の王国」という意味です。
話を戻しましょう。
ここでいう「み国」とは、2つの意味があると思います。
1つ目は、世界の終わり、終末における、
永遠の「神の国」です。
新約聖書の最後、「ヨハネの黙示録」に書かれている、
「新しい天と新しい地、聖なる都、新しいエルサレム」
(ヨハネ黙示録21:1~2)
のことです。
そこは、「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。」
(ヨハネ黙示録21:4新共同訳)ところです。
私たちがよく想像する、「天国」のイメージそのものです。
2つ目は、イエス様が福音宣教のはじめにおっしゃった言葉、
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい。」
(新約聖書 マルコによる福音書1:15新共同訳)
における「神の国」=「神様の王国」です。
「神様が王として支配・統治されるところ」、
そこが「神様の王国」です。
その王国には、この地球上には、具体的な地理的領土はありません。
しかし、イエス・キリストを信じる人々の心の中に、また、信じる者の間に、
確かにその王国は存在しています。
その王国では、愛がすべてです。
神様からの愛、神様への愛、
神様を通しての人々への愛、神様を通しての人々からの愛、
愛といつくしみのあるところ、そこに神様はおられるのです。
なぜなら、「神は愛」(新約聖書 ヨハネの手紙一4:16)だからです。
また、必要であれば、イエス様が地上の生涯で、
たくさんのいやしの奇蹟をなされたように、
心と体のいやしも行われるでしょう。
だからこそ、私たちは、
「主の祈り」をただ形式的に唱えるのではなく、
神様の御心が実現されるよう、
すなわち「み国が来ますよう」、
私たちもその「平和の道具」として、
用いられるよう、具体的に祈り、行動したいものです。
よき「神様の王国」の国民として・・・
誰か、特別な人だけが、「み国が来る」ことに携わるのではありません。
私たちの小さな祈り、
小さなよい行いという「一滴」から始まるかもしれません。
「平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。」
(新約聖書 マタイによる福音書5:9新共同訳)
天国は、決して、死んだ後に行く「だけ」のところではありません。
いや、むしろ、この地上から、「天国」は、
既に始まっているのです!
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