「ぶどう園の労働者」のたとえ(マタイ20:1~16)
「ぶどう園の労働者」のたとえは、
マタイ・マルコ・ルカの共観福音書の中で、
マタイ福音書にしか記事がありません。
その割には、結構インパクトがあるたとえですね。
夜明けから「一日一万円」
(テキストでは、「一デナリオン」。当時の通貨単位ですね。
聖書学的な、煩瑣な議論を避けたいので、
今回は、今の日本の単位にあわせて「一万円」と書きます。)
という約束で、ずっと働いていた人と、
最後の一時間ぐらいしか働かなかった人が、
同じ金額であった、というオチがついてます。
一般的には、この「金額=一万円」というのが、
死んでから後の神様からいただける祝福、
恵みと考えられています。
だから、若い時からの信仰者でいるよりも、
年をとってから、死ぬ間際に洗礼を受けたって、
「結局」恵みは同じじゃない、
私は「天国泥棒」でいいわ・・・などといった議論になります。
今回、妻とここの箇所について話をしました。
討議しているときに、
私は改めて、じっくりとテキストを読み直しました。
すると、何十回も読んでいるはずのテキストに、
新鮮な発見をしました。
すなわち、
①「朝早く」からの労働者には、
報酬が「一万円」と約束されています。
②朝九時の労働者には、
「・・・ふさわしい賃金を払ってやろう。」(4節)
と書かれ、具体的な金額は書かれていません。
③昼十二時、午後三時の労働者には、
おそらく朝九時の労働者と同じ言葉だったのでしょう。
④夕方五時の労働者には、ただ、
「あなたがたもぶどう園に行きなさい。」(7節)
とだけ書かれています。
上記①~④のうちで、
確実に「一万円」という報酬が約束されているのは、
①の朝早くからの労働者だけです。
「な~んだ、当たり前じゃないか・・・」と思われた方は、
すごいな、と思います。
私たちは、しばしば、聖書を虚心坦懐に読まず、
思い込み、という色メガネを通して、
濁った目で読んでいることが多くないですか?
この箇所は、自分の記憶の中では、
全員、「一万円」の約束があった、と思いこんでいました。
しかし、上記②~④の人は、
そもそも「一万円」の報酬がもらえるなどと思わなかったはずです。
何らかの金額が支払われる程度、
場合によっては、支払ってもらえないかもしれません・・・
そんな不安の中で働いていたのでは、と推測できます。
結果が、「恵みとして」、「一万円」の報酬だった、ということです。
やはり、「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」
(旧約聖書 伝道者の書【コヘレトの言葉】12:1新改訳)
ということが、人生の幸いですね。
だいいち、「晩年に、死ぬ間際になってから、洗礼を受ける」
なんてこと、そううまくいくとは限りませんよね。
「地上でどんなわざわいが起こるか
あなたは知らないのだから。」(伝道者の書11:2新改訳)
「天国泥棒」できる人は、その生涯において、
やはりその道にいたることができた、
恵まれた人なのだと思います。特例です。
信仰は、永遠の世界へのパスポートであり、
この世においても、そして来るべき世においても、
安心して生きていける「保険」のようなものです。
その「保険料」は、既にイエス様が、
十字架において支払ってくださいました!
「保険」よりもすばらしいのは、
既に生きているうちに、
その恵みを味わうことができることです。
福音は、決して、「死後の浄福」しか保障しない、
そんなものではありませんよ。
天国は、既にこの地上から始まっているのです!
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