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2009年6月19日 (金)

主の祈り(その6)「みこころが天に行われるとおり・・・」

「主の祈り」シリーズ、今回は、
「みこころが天に行われるとおり地にも行われますように」
という箇所について考察します。

まず、天におられるわたしたちの父」なる神様の、
「みこころ」とは何でしょうか?

よく、祈りの際に付け加えられる、
「みこころのままに」の、「みこころ」とは、
少し違うようです。
その場合の「みこころ」は、
神様の意思、神様が望むならば、
という意味です。
いやしや不思議な奇跡が起こるようなことを、
私たちが望む場合ですね。
祈って奇跡が起こることも、そうでないことも、
神様のご意思として受け取るべきでしょう。
どちらにしても、感謝なことです。
ただ、このレベルでの、「みこころ」とは、
私たちには知りえないものです。
(だからこそ、私たちは、あらゆることに関して、
まず祈るのです。)

しかし、主の祈りにおける「みこころ」とは、
いやしや奇跡が起こされるレベルのような、
相対的なレベルのものではなく、
絶対的に主が望んでおられることだと思います。
すなわち、イエス様が地上に来られたことに関連することです。
その「みこころ」とは、イエス様が語られた、
以下のみことばに示されています。

「これらの小さな者が一人でも滅びることは、
あなたがたの天の父の御心ではない。」
(新約聖書 マタイによる福音書18:14新共同訳)

「わたし(イエス様)が天から降って来たのは、
自分の意思を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方
(天の父なる神様)の御心を行うためである。
わたしをお遣わしになった方の御心とは、
わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、
終わりの日に復活させることである。」
(新約聖書 ヨハネによる福音書6:38~39新共同訳)

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
(新約聖書 ヨハネによる福音書3:16新共同訳)

「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、
あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」
(新約聖書 ヨハネによる福音書17:3新共同訳)

私たちが、イエス様を信じ、神様の永遠の命にあずかること、
これこそ、「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。」
の意味だと私は思います。
また、地上において、愛が実現すること(神様への愛、人々への愛)、
これも、「みこころが天に・・・」の祈りが、地上で成就することになります。

これで、主の祈りの前半部分の考察が終わりです。
父なる神様にまず呼びかけ、
父なる神様を賛美し、
その御心が成就するよう、
まず、自分の必要なことを離れて祈る、それが、
「天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。」
ですね。

神様の祝福と平安がみなさんに豊かにありますように!

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