主の祈り(その6)「みこころが天に行われるとおり・・・」
「主の祈り」シリーズ、今回は、
「みこころが天に行われるとおり地にも行われますように」
という箇所について考察します。
まず、天におられるわたしたちの父」なる神様の、
「みこころ」とは何でしょうか?
よく、祈りの際に付け加えられる、
「みこころのままに」の、「みこころ」とは、
少し違うようです。
その場合の「みこころ」は、
神様の意思、神様が望むならば、
という意味です。
いやしや不思議な奇跡が起こるようなことを、
私たちが望む場合ですね。
祈って奇跡が起こることも、そうでないことも、
神様のご意思として受け取るべきでしょう。
どちらにしても、感謝なことです。
ただ、このレベルでの、「みこころ」とは、
私たちには知りえないものです。
(だからこそ、私たちは、あらゆることに関して、
まず祈るのです。)
しかし、主の祈りにおける「みこころ」とは、
いやしや奇跡が起こされるレベルのような、
相対的なレベルのものではなく、
絶対的に主が望んでおられることだと思います。
すなわち、イエス様が地上に来られたことに関連することです。
その「みこころ」とは、イエス様が語られた、
以下のみことばに示されています。
「これらの小さな者が一人でも滅びることは、
あなたがたの天の父の御心ではない。」
(新約聖書 マタイによる福音書18:14新共同訳)
「わたし(イエス様)が天から降って来たのは、
自分の意思を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方
(天の父なる神様)の御心を行うためである。
わたしをお遣わしになった方の御心とは、
わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、
終わりの日に復活させることである。」
(新約聖書 ヨハネによる福音書6:38~39新共同訳)
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
(新約聖書 ヨハネによる福音書3:16新共同訳)
「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、
あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」
(新約聖書 ヨハネによる福音書17:3新共同訳)
私たちが、イエス様を信じ、神様の永遠の命にあずかること、
これこそ、「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。」
の意味だと私は思います。
また、地上において、愛が実現すること(神様への愛、人々への愛)、
これも、「みこころが天に・・・」の祈りが、地上で成就することになります。
これで、主の祈りの前半部分の考察が終わりです。
父なる神様にまず呼びかけ、
父なる神様を賛美し、
その御心が成就するよう、
まず、自分の必要なことを離れて祈る、それが、
「天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。」
ですね。
神様の祝福と平安がみなさんに豊かにありますように!
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