カテゴリー「旧約の歌(詩篇以外)」の28件の記事

2011年2月16日 (水)

神のなされることは皆その時にかなって美しい(伝道の書3:11)【自作曲】

今回は、
旧約聖書・伝道の書(コヘレトの言葉・伝道者の書)からの作曲を紹介します。
テキストは、以下のとおりです。
神のなされることは皆その時にかなって美しい。
神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。

(旧約聖書 伝道の書3:11口語訳)

以前、同じ聖書箇所の新共同訳への作曲を紹介しています。
http://francesco-clara.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-370b.html
その曲は短調で、少し無常観が混じっていますが、
今回紹介する曲は、どちらかというと楽天的・全肯定的な感じがします。

伝道の書」は訳によってタイトルの呼称が異なります。
新共同訳は「コヘレトの言葉」、
口語訳は「伝道の書」、
新改訳は「伝道者の書」、
バルバロ訳は「コヘレットの書」。
いずれもタイトルが異なりますので、
以下、新共同訳の呼称「コヘレトの言葉」を使います。
「コヘレト」とは、どういう意味なのでしょう?
従来の訳で用いられた、「伝道者」という意味でしょうか?
(wikiを参照すると、そう書いてありますが・・・)
しかし実際には、「集会で話す人」の方が、より原語に近いそうです。

バルバロ訳にある「コヘレットの書解説」冒頭から引用します。
「 旧約聖書の本は数多いが、特にこのコヘレットの書は、異彩を放っている。この作者は、みずから「コヘレット」と名乗っている。この名は、ヘブライ語の「カハル」という動詞から出ている。カハルとは「人を集める」の意味である。
  ギリシア語では、このコヘレットを「エックレジアステス」と訳している。このことばは「集会で話す人」の意味なので、日本語でも「伝道の書」といわれるようになったのだろう。しかし、ヘブライ語のコヘレットの意味からすれば、「伝道の書」というよりは、「司会の書」という方が近いように思われる。

(バルバロ訳聖書 P.1086から引用)
新共同訳では、あえて「コヘレト」を訳さずに、そのまま使っていますね。

「コヘレトの言葉」は、旧約聖書でもかなり異質な書です。
勧善懲悪的な内容が多い旧約聖書の中で、きわめてリアリズムに満ちた内容です。
私にとっては、実は旧約聖書で初めて読んだのが、「コヘレトの言葉」でした。
高校生の時、スタインベックの『怒りのぶどう』という小説を読みました。
その中に出てくる、「ジム・ケイシー」という説教者が、
会話の中でひんぱんに「コヘレトの言葉」から引用をします。
「旧約聖書をぜひ読んでみたい!」という気を起こさせた作品でした。
伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。
日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。

(伝道の書1:2~3口語訳)
まるで「方丈記」の冒頭のような、東洋的無常観にあふれた智恵の言葉が、
私を魅了しました。
(ちなみに、最初に買った聖書は、口語訳でした。
しかしあまりに訳文がつまらなく、出エジプト記あたりで挫折しました・・・
新共同訳と新改訳その他の訳は相当な回数通読を重ねていますが、
口語訳だけは、いまだに1回も通読していません。参照にとどめる程度です。)

この地上には空しいことが起こる。
善人でありながら
悪人の業の報いを受ける者があり
悪人でありながら
善人の業の報いを受ける者がある。
これまた空しいと、わたしは言う。

(コヘレトの言葉8:14新共同訳)
太陽の下に起こるすべてのことの中で最も悪いのは、
だれにでも同じひとつのことが臨むこと、
その上、生きている間、人の心は悪に満ち、
思いは狂っていて、その後は死ぬだけだということ。

(コヘレトの言葉9:3新共同訳)
善人は祝福され、悪人は裁きを受ける、という旧約の宗教観に対して、
聖書自身が、アンチテーゼを主張しているのが興味深いですね。
「コヘレト」のように、人生を斜めに見る存在を、正典に編入したのが、
ユダヤ人の卓見である、ともいえましょう。

曲の紹介に移りましょう。
ニ長調のおだやかな曲です。
人生の甘さ苦さを味わった上で、それでもなお、人生を肯定せずにはいられない・・・
そんな気持ちが含まれているような曲です。
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今回、「コヘレトの言葉」を元に旧約聖書の全体像を見渡すことができる、
旧約聖書の世界』(池田裕著。岩波現代文庫)を紹介しようと思ったのですが、
どうやら絶版のようです・・・
図書館や古本屋で見つけたら、ぜひ読んでみてください。

日本聖書協会では、旧約聖書の「箴言」と「コヘレトの言葉」だけを収めた、
ユダヤ人の知恵―成功への道』という読みやすい本を出版しています。
聖書そのものを読む、入門書としてすぐれています。
各ページにソロモンやユダヤ文化についての豆知識がついています。

【送料無料】ユダヤ人の知恵

スタインベックの小説『怒りのぶどう』も紹介しておきます。
ジョン・フォード監督により映画化もされていますね。
(私はまだ観たことがありませんが・・・)

怒りのぶどう 上 (岩波文庫 赤 327-1)

怒りのぶどう 中 (岩波文庫 赤 327-2)

怒りのぶどう 下 (岩波文庫 赤 327-3)

2010年12月12日 (日)

ひとりのみどりごが(イザヤ9:5)【自作曲】

ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。
その名は、
「驚くべき指導者、力ある神
永遠の父、平和の君」と唱えられる。

(旧約聖書 イザヤ書9:5新共同訳)

クリスマスの時によく読まれる、
旧約聖書におけるキリスト降誕の預言の代表的な箇所ですね。

今回は、このテキストへの作曲を紹介します。
テキストは、上記のとおり、
旧約聖書イザヤ書9:5新共同訳です。
(新改訳等のプロテスタントの聖書では、9:6です。)

日本語のテキストでは、
驚くべき指導者」(新共同訳)、
不思議な助言者」(新改訳)等と訳されている箇所、
英語では、”Wonderful  Counsellor”と訳される事が多いです。
だから、「イエス様はすばらしいカウンセラー」である、ともいえるわけです。
心を病んでいる方にこの話をすると、「なるほど~」と納得する場合が多いですよ。
実際のカウンセラーにただ話を聞いてもらうのは、時間制限付で結構高い料金を支払います。
しかし、”Wonderful  Counsellor”なる方に、
「祈り」という形でカウンセリングを受けると、
時間制限はありませんし(24時間年中無休!)、
タダですし、最高の解決方法を見いだしてくださるはずです。

イザヤ書9:5(9:6)の箇所は、
ヘンデルの「メサイヤ」でもとりあげられ、すばらしい合唱曲の一つとして親しまれています。
英語のテキスト(KJV)で引用してみましょう。

For unto us a child is born, unto us a son is given: and the government shall be upon his shoulder: and his name shall be called Wonderful, Counsellor, The mighty God, The everlasting Father, The Prince of Peace.
(Isaiah9:6 KJV)

今朝起きて外を眺めると、雪景色が広がっていました。
わたしを洗ってください 雪よりも白くなるように。」(詩編51:9新共同訳から)とか、
たとえ、お前たちの罪が緋のようでも 雪のように白くなることができる。
(イザヤ書1:18新共同訳から)
などの御言葉を想起しました。

雪は静かに降り積もり、街を白く染めます。
神の愛そのものであるイエス様も、静かにこの世に来られ、
いつの間にか世界を変革されました。
クリスマスの時期、キリスト降誕の神秘を、
イザヤ書などを通して、思いめぐらしてみませんか。

作品の解説に移ります。
この曲は10年以上前に与えられたものです。
高貴さの調、ホ長調の曲です。

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2010年11月20日 (土)

羊のように(ゼカリヤ9:16~17)【自作曲】

明日(2010年11月21日)は教会暦で言えば年間最終主日。
カトリックでは「王であるキリスト」の祭日、
プロテスタントでは教派によって呼称はさまざまです。
いずれにせよ、「終末」や「最後の審判」を意識させるような朗読箇所が選ばれるようです。
何はともあれ、また一つ年は過ぎ行き、新しい年度を迎えます。

今回は、旧約聖書のゼカリヤ書から、終末的イメージの箇所への作曲を紹介します。
テキストは、旧約聖書ゼカリヤ書9:16~17新共同訳です。

ゼカリヤ書9章といえば、受難週の最初(枝の主日)の、
主イエスのエルサレム入城を預言した箇所として、9節がよく知られていますが、
今回の16~17節は、それほど注目されていない箇所かもしれません。
テキストを引用しましょう。


彼らの神なる主は、その日、彼らを救い
その民を羊のように養われる。
彼らは王冠の宝石のように
主の土地の上で高貴な光を放つ。
それはなんと美しいことか
なんと輝かしいことか。
穀物は若者を
新しいぶどう酒はおとめを栄えさせる。


参考までに、新改訳(第3版)の同じ箇所も引用しましょう。


その日、彼らの神、主は、彼らを主の民の群れとして救われる。
彼らはその地で、きらめく王冠の宝石となる。
それは、なんとしあわせなことよ。
それは、なんと麗しいことよ。
穀物は若い男たちを栄えさせ、
新しいぶどう酒は若い女たちを栄えさせる。


新共同訳のテキストで讃美する場合、
彼らの」という言葉は、どうもよそよそしい響きになります。
そこで、楽譜では、「かれらの」の「か」の下に、
「(わ)」を補い、「われらの神なる主は・・・」と歌うことができるようにしてあります。

この箇所、「王冠の宝石」という、きらめくような言葉が使われていますね。
日本聖書協会の聖書本文検索サイトで調べてみましたが、
王冠の宝石」という言葉は、聖書全体でもここにしか使われていません。
(似た表現としては、イザヤ書61:10に、
わたしは主によって喜び楽しみ
わたしの魂はわたしの神にあって喜び躍る。
主は救いの衣をわたしに着せ
恵みの晴れ着をまとわせてくださる。
花婿のように輝きの冠をかぶらせ
花嫁のように宝石で飾ってくださる。

というのがありますが・・・)
どれほど神様が私たち神の民を尊いものとして観て下さるか、というのが、
よくわかる表現ですね。

終末、最後の審判というと、どうしてもおどろおどろしい光景ばかりが強調されますが、
信じる者にとっては、究極の慰めの時となることでしょう。

あと、この箇所では、「穀物」と「新しいぶどう酒」という表現で、
キリストの御体と御血を指し示している(聖体拝領、聖餐式)とも言えますね。
わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。
(新約聖書ヨハネによる福音書6:55新共同訳)

曲の紹介に戻ります。
なんとなく、クリスマス的な雰囲気が漂っているような感じの曲かもしれません。
柔和に、優美に歌うといいでしょう。
途中、私の作品としては非常に稀な、8分の7拍子が出てきます。
新しいぶどう酒」が「おとめを栄えさせる
という音楽的解釈にふさわしいかも・・・

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2010年10月30日 (土)

祭司による祝福(6)(民数記6:24~26)【自作曲】

今回は、旧約聖書の民数記への作曲を紹介しましょう。
テキストは、旧約聖書 民數紀略(民数記)6:24~26文語訳です。

テキスト原文を引用します。
願くはヱホバ汝を惠み汝を守り給へ
願くはヱホバその面
(かほ)をもて汝を照し汝を憐れみ給へ
願くはヱホバその面(かほ)を擧(あ)げて汝を眷(かへり)み汝に平安を賜へ

原文では「ヱホバ」となっているところは、
作曲にあたって、すべて「主」と読み変えています。
《 》内は省略しました。
また、現代かな遣いを採用しています。

このテキストへの作曲は、現在までに7曲与えられています。
新共同訳が5曲、文語訳が2曲です。
先ほどなんとなく頭にこのメロディが久々に浮かんできたので、
今回紹介することにしました。
(機会があれば、(1)の曲も紹介したいと考えています。)

新約聖書では、
主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、
あなたがた一同と共にあるように。

(新約聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ13:13新共同訳)
という箇所が、祝福の祈りとして有名です。
三位一体の唯一なる神様の祝福!
プロテスタント教会における牧師先生からの祝祷として使われていますね。
一方、プロテスタント教会の中でも、「老舗」といえるルーテル教会では、
先ほどの民数記からの祝福を祝祷の言葉として使っています。
新共同訳で引用しましょう。
主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
主が御顔を向けてあなたを照らし あなたに恵みを与えられるように。
主が御顔をあなたに向けて あなたに平安を賜るように。

(旧約聖書 民数記6:24~26新共同訳)

主が御顔を向けて」という表現に、
神様との人格的な交わりを見ることができますね。
宇宙に満ちる法則、といった冷徹な、非人格的な関係ではなく、
顔と顔とを合わせて」(Ⅰコリント13:12新共同訳)といった親しい関係・・・
皆様にも全能の主の祝福、御顔の照らしがありますように!

厳かな雰囲気の曲です。
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2010年9月26日 (日)

主の御名を呼ぶ者は皆、救われる(ヨエル3:4,5※2:31,32)【自作曲】

今回は、旧約聖書の預言書の一つ、ヨエル書からの曲を紹介します。
テキストは、旧約聖書ヨエル書3:4~5新共同訳です。
ロ短調の、少し暗い感じの曲です。

ところで、新共同訳、バルバロ訳などのカトリック系の聖書と、
口語訳、新改訳などのプロテスタントのみによる訳とでは、
ヨエル書の章数が違います。
プロテスタントのみによる訳は3章、カトリック系は4章あります。
プロテスタントのみによる訳で、ヨエル書2:28~32となっているところは、
新共同訳とカトリック系の聖書では存在せず、
3章として独立しています。
新共同訳やバルバロ訳などでの4章は、プロテスタント訳での3章です。
(調べてみると、写本の系統によって分割する章数が違うそうです。)
よって、新共同訳以外の主な聖書(口語訳や新改訳など)をお使いの方なら、
ヨエル書2:31~32となります。

本題に戻ります。
この聖書の箇所は、聖霊降臨を預言したところとして有名です。
使徒言行録2章でも引用されています。
主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。
(旧約聖書 ヨエル書3:5新共同訳)は、
使徒パウロがローマ10:13で、
すべての人が救われる根拠として引用しています。

本当に、すべての人は救われるのでしょうか?
神学的に、難しいところですね。
たとえで考えてみましょう。
日本国内でテレビを持っている人は皆、NHKテレビを視聴することができますが、
皆がNHK受信料を払っているわけではないですね。
(ちなみに、我が家はきちんと払っていますよ。)
あるいは、年金をもらう権利を有していても、もらっていない人がいるかもしれません。
現況届という、今生きていますよ、という事を証明する書類を出して、
年金が支給されます(最近では、制度が変わっているようですが・・・)。
それらのように、キリストはすべての人を「権利上」救っておられますが、
すべての人が、「事実上」救いを受け取っているわけではありません。
救いは、自己申告制なのです。
日本の神社のように、その地域に住んでいる人なら誰でも氏子=信者とみなす、
そういうものではないのです。
洗礼を受けたから自動的に救われる(予防接種みたいに・・・)というのも違います。
意識的に、救いを受け取り、意識的に、救いの道を歩み続ける事・・・
「救われた!」というのは過去の一時点であり、
同時に、現在進行しつつあることなのです。
(臨終間際に洗礼を受けるなど、例外が多々ありますが・・・)

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2010年9月24日 (金)

主を喜ぶことはあなたがたの力である(ネヘミヤ8:10)【自作曲】

主を喜ぶことは、あなたがたの力であるから。
(旧約聖書 ネヘミヤ記8:10新改訳の別訳)

今回は、この御言葉への作曲を紹介します。
主を喜ぶことは、本当に力になりますよ!
また、人間の生きる意味でもあります。
主を賛美するために民は創造された。
(旧約聖書 詩編102:19新共同訳)

新改訳本文では、
あなたがたの力を主を喜ばれるからだ。」(ネヘミヤ記8:10)となっています。
新共同訳では、
主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」(同上)です。
私としては、冒頭に掲げた別訳の方が一番すばらしいと思っています。

だから、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、
絶えず神に献げましょう。

(新約聖書 ヘブライ人への手紙13:15新共同訳)

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2010年9月20日 (月)

あなたの業を主にゆだねれば(箴言16:3)【自作曲】※2曲

あなたの業を主にゆだねれば 計らうことは固く立つ。
(旧約聖書 箴言16:3新共同訳)
人間の心は自分の道を計画する。 主が一歩一歩を備えてくださる。
(箴言16:9新共同訳)

今回は、箴言への作曲を2曲紹介します。
1曲目のテキストは、上記2個所からです。
2曲目は、箴言16:3のみです。
ともに5~10年以上前の作品です。

「主にゆだねる」とは、どういうことでしょうか。
よくある誤解は、「主にゆだねた」のだから、何もしなくていい、
果報は寝て待て、のように、人間の側は何もしなくていい、という考えです。

旧約聖書の士師記7章を読むと、ギデオンの勝利は、
神様100%であり、人100%であった、と解釈できます。
神様が勝利を与えてくださった、これが神様の側からの見方です。
しかし、ギデオンは実際にたったの300人で大軍に立ち向かう必要がありました。
人間の側としては、ギデオンが雄雄しく戦ったので、勝利を得た、という見方になります。
信仰によって勝利を受け取っても、実際にそこに立つ必要があるのです。
神様の愛は、人間を過保護にはしないようです。

モーセの出エジプトの奇蹟もそうですね。
モーセは疑わず、手を海に差し伸べる、という信仰の行為によって、
奇蹟が現されました。
棚からボタ餅式の考えではないのです。

神様が自分の業を祝福してくださる
(当然、その業は、神様の御心にかなうものである必要がありますが・・・)
そう信じて、結果は神様が最善にしてくださるのだ、という安心感をもって事を行う。
それが「主にゆだねる」ということです。

神様がわたしの味方であれば、恐れることはないのです!

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2010年8月29日 (日)

シェマ(聞け、イスラエルよ)(申命記6:4~5)【自作曲】

聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。
あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、
あなたの神、主を愛しなさい。
(旧約聖書 申命記6:4~5新共同訳)

イエス様は、ある律法学者から、
あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょう。」と質問された時、
この御言葉を引用されました。
(新約聖書 マルコによる福音書12:28~30新共同訳)
「シェマ」とは、「聞け、イスラエルよ。」の「聞け」のヘブライ語です。
ユダヤ人にとって、律法の中で最も神聖な箇所と考えられているところです。
この節の後の8~9節には、
更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、
あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。
(申命記6:8~9新共同訳)とあり、
敬虔なユダヤ人たちは、文字通りこれを実行しています。
(装着すると日本の山伏や天狗の頭部とよく似たような姿になる、
「テフィリン」という、聖書の御言葉が入った経札(箱状)を額につけ、
それとつながった紐を手に巻いて祈るそうです。
詳しくは、図解と解説が載っている下記HPを御覧下さい。)
http://www.ne.jp/asahi/home/osarukun/zatuwa53-2.htm

今回は、この箇所への作曲を紹介します。
テキストは、冒頭に引用しています。
ロ短調の力強い厳かな曲です。
この御言葉への作曲は、この曲も含めて4曲与えられています。
2曲が新共同訳、2曲がバルバロ訳です。

ぶ厚い聖書も要約すれば、
「神を愛し、人を愛せよ。」となります。
その「神を愛し」の部分はとても大切ですね。
ぜひ、この御言葉(申命記6:4~5)を心に深く刻み込みましょう!

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2010年7月18日 (日)

ついに、我らの上に(イザヤ32:15~18)【自作曲】

今回は、イザヤ書32:15~18への作曲を紹介します。
どうして、この箇所かと言うと・・・
単に、昨日の朝、なぜか頭に浮かんできたからです。
旧約聖書における、聖霊降臨の預言の一つですね。
テキストは、旧約聖書イザヤ書32:15~18新共同訳です。
なお、テキストでは、「我々」(15節)となっていますが、
都合上、「我ら」に変更しています。

つくづく思うのは、信仰生活の中心は、聖書と祈り、
そして、聖霊です。
聖霊の働き、御力の助けがなければ、
クリスチャン生活は実を結びません。
聖書の言葉から慰めや力を受けるのも、
力ある祈りができるのも、すべては神であられる聖霊の働きです。
聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです。
(新約聖書コリントの信徒への手紙Ⅰ12:3新共同訳)

電波がなければ、テレビはただの箱にすぎません。
テレビ自らは、どんなにがんばっても、自ら映像を生み出すことはできませんね。
同じように、聖霊に導かれることによって、
私たちは「神の像」(創世記1:26参考)としての人間を映し出すことができるのです。

聖霊によらない信仰生活は、単に自分の努力の成果であり、
つらいだけです。
雀のように羽をバタバタさせる信仰よりも、
鷲のように、翼を拡げて「風」に乗る信仰こそ望ましいものです。

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2010年7月12日 (月)

あなたの御言葉が見いだされたとき(エレミヤ15:16)【自作曲】

先日、ある人から、こんな質問を受けました:
「あなたは、どうして、そんなに熱心なのですか?
何かきっかけがあったのですか?」
簡単に答えられそうで、意外に答えるのが難しい問いです。
これも、結局きちんと答えることはしませんでした。
「(クリスチャンとしては)普通ですよ。」ぐらいに答えておきました。

この問いに、ある程度きちんと答えるとすれば、
「神様に愛されているから」
「神様に選ばれているから」でしょうか・・・
(いずれにせよ、単に自分自身の熱心さだけでは、
説明できないことです。)

個人的な体験はいろいろ語ることはできますが、
私にとってはすばらしい出来事でも、
第三者(たとえ、それが親しい人だとしても・・・)には、
ピンとこないものが多いはずです。
神様との「睦言」、「秘め事」のような体験を語るのは、
恋人間や夫婦間の愛の秘密を語るようなものです。
聖書に書かれてあるような事は別とすれば、
その類の経験談は、語らない方がいいと思います。
(どうしてもそれを分かち合うべきならば、
主が示してくださるでしょう。
未信者・求道者への「あかし」として、特に有効な場合とか。)
新約聖書においても、使徒パウロはある種の神秘体験を、
実に控えめに語っています(Ⅱコリント12章)。
ベラベラと「神秘体験」(のようなもの)を語ったり、
あるいは、「主が示された」とよく口にするような人は要注意です。
中国の古典『老子』でも、
知る者は言わず、言う者は知らず。」という名言がありますね。

今回紹介するのは、エレミヤ書からの作曲です。
預言者エレミヤが、預言者としてキツイ言葉を語るゆえに、
迫害を受けるさなか、主への祈りの中で、
主への「愛の告白」をしているところです。
(もっとも、このすぐ後の行では、つらさや愚痴も主に訴えていますが・・・)

今回のテキストは、旧約聖書エレミヤ書15:16新共同訳です。
エレミヤ書15:6へは、この曲を含めて、
2曲与えられています。
(もう1曲のテキストは、バルバロ訳です。)
エレミヤ書のテキストを使い、音楽という形で、
主への情熱を表しています。

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