カテゴリー「教会学校関係」の30件の記事

2015年5月24日 (日)

聖霊とラジオ〜聖霊降臨祭(ペンテコステ)の日に・・・(教会学校説教案)

2015年の聖霊降臨祭(ペンテコステ)は、5月24日です。
ちょうど本日、教会学校の説教担当でした。
聖霊について話すことにしました。

話の準備のうちに、
「聖霊の遍在性(いつでも・どこでも・求める者には誰にでも)」を、
「ラジオを使って説明しては?」というアイデアが与えられました。
電波を受信、ということでは、子どもたちにとっては、
ラジオよりテレビの方が親しみがあると思いますが、
テレビは映像と音声が流れますね。
一方、ラジオは音声のみです。

実に、信仰は聞くことにより、
しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。

(新約聖書ローマ10:17新共同訳)
イエスはトマスに言われた。
「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。

(新約聖書ヨハネ20:29新共同訳)

映像(絵や御像も含む)に頼らず、「声」だけで信じ、従う・・・
それと、周波数を合わせるというところも、例として適切だと思いました。

それでは、実際どんな話になったのかを書いてみます。
(実際は、私が一方的に話すことはなく、
子どもたちのワイワイガヤガヤ愉しい雰囲気の中、時には脱線もしながら、
話は進みました。話した時間はおよそ20分ぐらいだったと思います。)
※( )内は子どもたちの反応

[お祈りと賛美の後]
今からある歌を歌うよ。何かな?(何だろ?)
♪ハッピバースデートゥーユー・・・(えっ?どうして?)
(誰の誕生日?→いろいろな意見→「教会」と正解がでる)
そう、◯◯ちゃんのいうとおり、今日は教会の誕生日です。
そして、今日の主役は「聖霊」ですね。
ところで、聖霊はどこにおられるのでしょう?
(空の上、心の中、私たちの後ろ・・・)
聖霊のことを考える前に、今日はあるものを持ってきました。ジャ〜ン!
[ポケットからラジオを取り出す。]
これは何でしょう?
(携帯?電話?ラジオ?)
これはラジオです。ラジオを聞いたことがある人?
(全員が手を上げる)
ラジオは電波を受信して音を出しますね。
ところで[耳を天井に向けて]空から何か音が聞こえますか?
(聞こえない〜!)
じゃあ、これなら?[ラジオのスイッチをONにする→ザーザー音]
[徐々に周波数を合わせる]
(先生、ラジオ貸して〜とラジオを手にとって周波数を合わせてみる子)
音が聞こえてきましたね。
どうしてラジオから音が聞こえるのだろう?ラジオの電波って、どこにあるの?
(いろいろな意見)
ラジオの電波は目に見える?
(見えない〜)
電波は上や下や心の中にあるのでもなく、
むしろ私たちが電波の中にいるのです。
至る所にあります。
同じように、聖霊というお方も、空の上や、私たちの後ろとかではなく、
至る所におられるわけです。

旧約聖書の時代には[携帯を取り出す]、
神様は特定の人[※預言者]にだけお話されました。
ちょうどこんな感じ・・・[少しおふざけ・・・]
でも、新約時代の今は、ある特定の人だけではなく、
あらゆる人に向かって、ちょうどラジオの電波のように、
求める人には誰にでも、語りかけようとされています。
でも、神様の声を聞いた、という人はほとんどいませんね。
それは[ラジオのスイッチを入れたり切ったり]、
スイッチを切っているからかもしれません。
あるいは[周波数をあちこち変えながら]、
チャンネル[※正しい言い方ではないですが]をきちんと合わせていないから。

聖霊のラジオ番組の内容は、「イエス様はあなたを愛している」ですよ。
(愛、という言葉にいろいろな反応・・・)
信仰は、神様の声を聞き、従うことです。
そのためにも、信仰のスイッチを入れて、ちゃんと受信することですね。
でも、どれが神様の声かわからないかもしれません。
そのために、神様はわかりやすい方法で語られています。
それが、聖書です。

多くの人達は、神様の声を聞くスイッチが入らないままです。
それでも、本を読んだり、テレビを見たりして、
そのスイッチが入ることもあります。私もそうでした。
しかし君たち[※子どもたちは、片親又は両親ともにクリスチャン]は、
ある意味、生まれながらにして、
[神様の声を聞く]スイッチが入った環境にあるわけです。
恵まれていますね。
(終)

今回は子ども向けに、聖霊の遍在性をかなり大胆に説きました。
しかし、実のところ、聖霊=ラジオの電波説は、
神学的には正しくないですね。
というのも、聖霊は単なるエネルギ―とか「力」ではなく、
人格を持つ「お方」であるからです。

準備段階で、こんな話も盛り込もうかな、と思いましたが、
ボツにしたのがあります。
第2次世界大戦中の『アンネの日記』の中のエピソードです。
隠れ家で、息を潜めながら、密かにBBCラジオを聞いている中、
連合国軍が、フランスのノルマンディー上陸を果たした(Dデー)
ニュースを聞いたこと・・・
即座の解放にはつながらないけど、ドイツの決定的な敗北が決まった瞬間でしたね。
→我々も、この世にあって、聖霊を通してイエス様の勝利の良い知らせを聞いています。
(歴史事実を伝えるだけで結構時間がかかりそうだったのでボツ・・・)

あと、「AM」と「FM」を「Akuma」と「Fukuin」にこじつける、
というのも考えましたが・・・
(やり過ぎですね(^-^;)

ところで、ラジオを話に使うことで、少し懸念したことがありました。
今の子たちは、そもそもラジオを知らないのでは?
実際、少しアヤシイ子がいましたし、「おじいちゃんの家で見た」
という子もいました。
もう10年ぐらいしたら、
子どもたちには完全に過去の遺物になってしまうのかも?・・・

聖霊というお方について、一般的な教会では、
きちんと語られることが少ないし、
ましてや、教会学校では、ほとんど触れないことの方が多いのではないでしょうか。
今回の試案が少しでもお役に立てば幸いです。
何はともあれ、愉しい雰囲気のうちに、話を導いてくださった、
主なる聖霊様に感謝!

2014年3月 2日 (日)

あなたがたは地の塩、世の光である(マタイ5章から)〜教会学校説教をしたら、早速・・・

教会学校で、「あなたがたは地の塩・・・世の光である。
(新約聖書マタイによる福音書5章13〜16新共同訳)
のところから子供たちに話をしました。
「塩って知ってる?」とか「懐中電灯はどうやって使うの?」といった、
身近な話題から、
最後には聖書通り、「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。
人々が、あなたがたの立派な行いを見て、
あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。

(マタイ5:16新共同訳)で締めくくりました。
「光」「立派な行い」を、大それたものではなく、
ささやかなものでいいから、人に親切にする、優しくするなど、
自分にできることをやってみよう!というまとめをしました。
話した時間は10分少々。最後は聖句の暗唱です。

教会学校のプログラムが終わってすぐ、
定例の掃除の時ではないのに、
今回来ていた、ある小学生の男の子が、
掃除機を持ちだして、「掃除機かけてもいい?」と申し出て来ました。
もちろん「いいよ」と私は言いました。
内心ではとてもオドロキました!
普段、そういうことを自分から積極的にする子ではなかったので・・・
しっかりと部屋の掃除をしてくれました。

御言葉には力があるのですね!
主よ、感謝します!

2013年10月21日 (月)

映画「それいけ!アンパンマン いのちの星のドーリィ」〜涙腺に愛のア〜ンパ〜ンチ!

先日、アンパンマンについての記事を書きました。
(→アンパンマンとイエス・キリスト〜友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。(ヨハネ15:13)
引用した記事の中で取り上げられていた、
それいけ!アンパンマン いのちの星のドーリィ」DVDをレンタルで、
妻と一緒に観てみました。
アンパンマンの映画を観るのはこれが初めてです。
(我が家には小さい子はいないので・・・)

それいけ!アンパンマン いのちの星のドーリィDVD

正直に言いますと・・・
ラストで思い切り涙が出てきました。
(妻はそれほどでもなかったようですが・・・)
妻が横にいたので、かなり恥ずかしかったデス(*゚ー゚*)
いかにも子供向けのアニメで、これほど泣かされたのは、
映画ドラえもん のび太と鉄人兵団」(旧作の方)以来です・・・
まさに、涙腺に愛のア〜ンパ〜ンチ!
妻からは、「あなたは、子どもの心を持っているのネ・・・」と
(そこから先はご想像に任せます・・・)

映画ドラえもん のび太と鉄人兵団(旧作)DVD

(※ラストシーンの「♪わたしが不思議」が流れるあたりでは、
涙ボロボロ状態になりました・・・)

人形だったドーリィに「偶然」いのちの星が宿り、
動けるようになります。
ただの人形だった時には、持ち主にさんざんひどい目に合わされ、
挙句の果てに捨てられたという悲しい過去があるドーリィは、
ワガママ放題の生活をします。
自分の命も「たまたま」与えられただけに過ぎない、と
いのちのありがたさを軽視しています。
しかし、だんだんいのちの星の輝きが失われていくの知り、
元の人形に戻ってしまうのでは、という不安に襲われます。
そんな中、アンパンマンの優しさと強さに触れ、
自分を守るために命を落としたアンパンマンのために、
自らのいのちの星をアンパンマンに与え、
また元の人形に戻ってしまう・・・
(この後の話がまだありますが・・・)

ドーリィの姿は、まさに人間そのものの戯画といえます。
キリスト教的に解釈すれば、
「神の似姿として造られ、神を賛美し、
互いに愛しあうために存在しているのに、
自分の欲望を満たすために自己中心的で好き勝手な生き方をし、
神を忘れた状態にある」すなわち、「罪」の中に生きている・・・
(キリスト教の言う「罪」とは、犯罪を犯すことではなく、
「的外れな生き方をする」=「神の創造の目的から離れた生き方をしている」
ということだと思います。)
いのちの星の輝きが失われていく、
という視覚的にわかりやすい(子どもでもわかりやすい)形で、
人間の自己中心性を見事に描いています。

一方、アンパンマンはこの映画で一度本当に死んでしまいます。
自分の命を捨ててまでも愛する友を助けようとする姿は、
イエス・キリストを彷彿とさせます。
友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
(新約聖書ヨハネによる福音書15:13新共同訳)
仏教的に言えば、まさに「菩薩」ですね。
アンパンマンの歌の中にある、
「♪何の為に生まれて  何をして生きるのか
答えられないなんて  そんなのは嫌だ!

(「アンパンマンのマーチ」(やなせたかし作詞 いずみたく作曲)から引用)
この歌詞を真っ向から描いています。

その愛に応えて、ドーリィは本当の生きる意味を知り、
自己中心の生き方をやめ、
自らのいのちの星をアンパンマンに与えます。
まさに、キリスト教で言う「回心」さえ描かれています!
実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、
定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。

(新約聖書ローマの信徒への手紙5:6新共同訳)
崖の上でアンパンマンがドーリィを守るシーン前後は感動モノです!
(『ナルニア国ものがたり』シリーズ第1作、
『ライオンと魔女』のあるシーンも連想しました・・・)

ライオンと魔女

ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女(Blu-ray Disc)

ドーリィの話は、「ピノキオ」に似ているかもしれません。
(ちょうど、このDVDを観る少し前に、BSの「ディーライフ」で、
ディズニー映画「ピノキオ」を放映していたので、
ラスト20分ぐらいを観ました。
ピノキオが半分ロバになって、ゼベットじいさんの家に戻って来ると、
ゼベットじいさんはピノキオを探しに海に出かけていた〜ラストまで。)
自己犠牲によって一度は命を失うものの、
新たな命が与えられる・・・

ピノキオ(Blu-ray Disc)

大人でも鑑賞に堪える、メッセージ性の強い作品です。
そのうち教会学校でも使おうかな・・・
(50分まるごとだとさすがに長いので、部分的にカットして、
30分程度にまとめたらいいと思います。)
アンパンマンで子供向けにわかりやすく、
イエス・キリストの福音を語ることができるかもしれません!
「罪=自分勝手に、自分のためだけに生きること
(いのちの星を自分のためだけに使うこと)
救い=キリストの愛を信じ、受け入れ、罪から離れること
(→新しい命に生きること)」というような感じで・・・
「アンパンマンなんて・・・」と偏見を持たずに、ぜひご鑑賞あれ!

2013年9月 4日 (水)

書評:古屋安雄著『キリスト教新時代へのきざし―1パーセントの壁を超えて』(オリエンス宗教研究所)

キリスト教書店に立ち寄った際、少し立ち読みして興味深いと思い、
買ってしまった本です。
古屋安雄著『キリスト教新時代へのきざし―1パーセントの壁を超えて』です。
著者は、国際基督教大学名誉教授、聖学院大学名誉教授、
日本キリスト教団正教師(牧師)という肩書からして、
ミスター・プロテスタントといった感があるのですが、
この本の出版は、なんとバリバリのカトリック系出版社、
「オリエンス宗教研究所」です。
(カトリック教会の毎週のミサで使われている、
「聖書と典礼」を発行しています。)
オリエンス宗教研究所で発行されている雑誌
福音宣教」で掲載された記事をもとにしています。
本の帯には、「正統主義(オーソドキシー)から正しい実践(オーソプラクシー)へ」
と書かれていました。

さて、本書の主張は、次のようなものでしょう。
①キリスト教が日本で広まらなかったのは、
明治期に庶民層からではなく、士族などの知識階級から入ったため、
インテリ層にしか広がらなかった。
②戦時中、カトリック教会とプロテスタント各派は国家神道に屈し、
戦争協力した。
③日本の礼拝は、喜びがない。
④福音派・聖霊派に見られるような「リバイバル」至上主義=個人の救いではなく、
クリスチャンホームを築くことが大事。
⑤正統主義(オーソドキシー)から正しい実践(オーソプラクシー)へ〜
憲法第9条を守る、積極的な社会貢献をするなどの実践が必要。

①と②については、確かにそのとおりだとも思いますが、
あたかも「あなたの病気は遺伝性のものですよ、不治の病です」
と医師から宣告を受けるようなものです。
過去だから、我々はどうすることもできないですね。

③も、ごもっともだと思います。
お葬式みたいな厳粛な礼拝がいかに多いことか・・・
(引用)
 私が問題にしたのは、内村鑑三の「武士道に接木されたキリスト教」が世界最善の産物である、という考え方である。私がアジア学院の校長をしていた時に、研修生、特にアフリカからの研修生が日本の教会の礼拝について言った言葉が忘れられない。「お葬式のような、喜びのない礼拝に出るよりは、一人で祈り、賛美しているほうがよい」。
 お葬式のような厳粛な礼拝、喜びのない礼拝というのは、牧師たちが武士の子弟だったからではないだろうか。武士というのは、「武士は食わねど高楊枝」のように、感情を直接出すことをはしたないと考えた。
(中略)
 礼拝はまず「福音」、すなわち「よいニュース」を聞く時なのに、そして礼拝の招詞(中略)では「喜べ」と言っているのに、しかつめ顔で言う。一つもうれしい顔をしていない。説教では「笑ってはいけない」、礼拝は厳粛なものであるべきとされた。
(PP.22〜23から引用終)

主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。
(旧約聖書ネヘミヤ記8:10新共同訳)
先日久しぶりに、所属教会ではないある教会に行きました。
賛美のすごさに圧倒されました。
「お葬式」礼拝の対極とも言えるものでした。
(まぁ、「心の」高齢者には、
「お葬式」礼拝もいいのかもしれませんが・・・)
礼拝がイキイキとしたものであるべき、という主張は当然です。

④については、
未だに、クリスチャンを増やす=トラクトを撒いたり、
大規模な伝道集会を開く・・・というイメージが、
教会指導者(特に福音派・聖霊派)に強くあります。
韓国の教会のマネをしてみたら、24時間連続祈祷をすれば・・・

伝道を「保険の勧誘」のように考えてみればわかりやすいかもしれません。
新規飛び込み営業をするよりは、既にある契約(既契約)を大事にして、
新たな契約に結びつけた方が確実です。
そういう顧客なら、新たな客を紹介してくれるかもしれません。

一方、キリスト教会(カトリック・プロテスタント)はどうでしょうか?
カトリックの大半の教会のように、新参者に冷たい態度をとるところや、
(さすがに聖職者は別のようですが・・・)
福音派・聖霊派のように最初は「ラブシャワー」を浴びせて、
洗礼を受けるや否や、
あとはノルマのように「伝道、伝道!」とたたみかけてくる・・・
いずれも、既に教会を離れた人に対しては冷たいものです。

ところで、道端で伝道するよりも確実にクリスチャン人口を増やすには、
既に教会を離れた人や、教会員の未信者の家族が教会に来るようになることです。
たぶん、伝道のシフトを個人伝道から家族伝道に移すだけで、
あっという間に何万人もの人が教会に集うようになるのではないでしょうか?
幸福な結婚、幸福な家庭生活・・・
こういったものを、聖書から学ぶようにし、
実際に実践している夫妻・家族を紹介する。
人は神学に大して興味を抱きませんが、
具体的な目に見える幸福には心動かされるはずです。

⑤については、結構矛盾があると思います。
よく、共産党やリベラル派のクリスチャンが、
「憲法第9条を守れ!」と叫んでいますが、
そのくせ彼らは憲法第1条には大いに不満です。
できれば皇室を亡き者にしたいと願っていながら、
憲法第9条「だけ」を守れ!と主張するのは矛盾です。
現憲法を守れ、憲法改正反対!と主張するならば、
ぜひ皇室への尊敬を持っていただきたいものです。

著者は、プロテスタント系大学の学長に、
カトリック信徒の方が就任するケースが出てきたことをとらえ、
よい傾向としています。
エキュメニズムについては賛否両論あるでしょうが、
少なくとも一般の人にとっては、
カトリックかプロテスタントかなんて、実はドーでもいいことなのです。
一致できるところは一致して、互いを罵りあわずに協力していくことこそ、
今後の宣教にとって大事なことだと思います。

父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。
(新約聖書ヨハネによる福音書17:21新共同訳)

結論から言えば、この本は、
私にとっては賛同するところも多いですが、違和感を抱く処も多いです。
とはいえ日本の伝道の未来像を考えたい方にはオススメです。
(確実に入手するなら、出版社HPから購入するか、
キリスト教書店で購入することをオススメします。)

2013年1月24日 (木)

人の死なないミステリ読み比べ〜松岡圭佑『万能鑑定士Qの事件簿』Ⅰ・Ⅱ・Ⅹ(角川文庫) VS 三上延『ビブリア古書堂の事件手帖』(メディアワークス文庫)

二十歳過ぎてからは、あまり小説を読まなくなった私ですが、
最近、面白いと思って読んでいる小説シリーズがあります。
松岡圭佑万能鑑定士Qの事件簿』シリーズです。
(正しくは「Qシリーズ」というそうですが・・・)
数年前、東京に行った時に、電車・地下鉄の中吊り広告等で、
ちょっと怖そうな絵と、
面白くて知恵がつく 人の死なないミステリ」というキャッチフレーズを見かけて以来、
気にはしていたものの、読む機会はありませんでした。
(ミステリ=殺人事件のはずなのに、
「人の死なないミステリ」というのが、ひっかかりました。)

最近、教会学校の小学校高学年〜中学生向けに、
マンガだけでなく、小説も読ませたいと思うようになりました。
マンガならある程度知っているので目が利きますが、
ティーン向けの小説って、何がいいんだろう?と考えました。
ソードアート・オンライン』とかのアニメ化されているライトノベル(ラノベ)等を
幾つか立ち読みしてみましたが、
私自身がどうもその文体に入っていけないのです・・・
あるいは、『俺の妹が・・・』とかその類だと、
エロ要素が結構あり、却下でした。
(エロとグロは教会には不向きです。
その他に、超能力とかエクソシストとかのオカルト要素ものや、
「神様」になってしまう類の話も不可ですね・・・)

そこで思い出したのが、『万能鑑定士Q』のシリーズでした。
(もう1つは、『氷菓』シリーズでしたが・・・)
少し立ち読みしただけで、「面白そう!」と直感しました。
知性と教養を尊ぶ姿勢が随所にみられますし、
何よりストーリー展開が巧みです!
約300頁、様々な分野の薀蓄に驚嘆しながら、
たくさんある伏線を手繰り寄せての謎解きを楽しみました!

万能鑑定士Qの事件簿 I (角川文庫)


万能鑑定士Qの事件簿 II (角川文庫)


万能鑑定士Qの事件簿X (角川文庫)


Ⅰ・Ⅱの力士シールからハイパーインフレへの話の飛躍は、
わずかな隙間からの漏水が洪水を引き起こすような感を抱きました。
ハイパーインフレの狂乱の描写は、
新約聖書の「ヨハネ黙示録」の一節を連想しました。

わたしは、四つの生き物の間から出る声のようなものが、こう言うのを聞いた。「小麦は一コイニクスで一デナリオン。大麦は三コイニクスで一デナリオン。オリーブ油とぶどう酒とを損なうな。」
(新約聖書ヨハネの黙示録6:6新共同訳)
(※1コイニクス=約1。1L、
1デナリオン=古代ギリシャ・ローマ時代の1日分の賃金⇒現代なら約1万円ぐらい)
⇒小説では、週刊少年ジャンプが数千円とか、
東京→沖縄の片道運賃が数十万円になる、といった描写が出てきます。

読んでいて「へぇ〜」と思う知識がたくさんあるのですが、
その中でも「!!!」と思ったのが、
Ⅹ(Ⅰ・Ⅱの直接の続きに相当する)に出てくる、
「二桁どうしの数字の掛け算で、
十の位が同じ・一の位が足して10になる場合、
答えは簡単に出せる」(今手元にないので何頁か忘れましたが・・・)
というところでした。
(例)74☓76=5624
(7×8=56、4☓6=24)
仕組みはぜひ小説でお読みください。

主人公の凜田 莉子の描写はいろいろと出てきますが、
恋愛関係にならないところがかえって好都合です。
劣等生だった主人公がいかにして論理的思考と広範囲な知識を身につけたのか、
小説とはいえ、若い世代には生き方のヒントになるかもしれません。
これなら、小学生には少し難しいものの、
中学生以上ならオススメできる作品です。
まだ全シリーズを読んではいませんが、
そのうち全巻踏破をしたいと思っています。

余談ですが、確かにこのシリーズ、殺人の話は出て来ませんが、
ハイパーインフレによる治安悪化の際に、
結構「犠牲者」が出ていたのでは、と勘ぐってしまいました・・・
あと、表紙の絵はあまり好きではありません・・・


「Qシリーズ」のついでに手を出してみたのが、
2013年1〜3月の「月9」ドラマ化された、
三上 延 ビブリア古書堂の事件手帖』(メディアワークス文庫)です。
表紙の清楚な女性像は魅力的ですね。

最初の20頁くらいまでは、なかなか作品に入り込めませんでしたが、
ヒロインである栞子さんが出てくるところあたりから、
急に物語が白黒からカラーになったような展開となり、
ようやくその世界に踏み入ることができました。

「Qシリーズ」は国家を揺るがすような大事件に取り組んだりしますが、
「ビブリア」の方はまさに私小説の世界です。
「第四話 太宰治『晩年』(砂小屋書房)」でようやく、
少しミステリらしい展開になりますが、ささやかなスケールです。

本が大好きだが人と接することが苦手で、入院中の栞子さんと、
本が読めない「体質」だが本の話を聴くのが好きで、
動きまわることができる主人公の青年。
相補いあう二人のやり取りで物語は展開されます。
祖母の死とかの話は出てきますが、
少なくとも1巻では殺人事件は出て来ません。
主人公の五浦は、我々読者の代表のような存在でしょうね。

こちらは角川と講談社でマンガ化されていますし、
剛力彩芽さん主演のドラマが放送されていますね。
しかしあえて言えば、下手に映像・視覚化しないで、
各人がそれぞれ「栞子さん」を思い描いた方がいいのでは、
と考えます。
書店で「お試し読み」として、
講談社版の「ビブリア」のマンガ版がありましたので、
少し読んでみました。
小説版の清楚なイメージを壊す感じがしました。
また、剛力彩芽さんがドラマでは栞子さんを演じていますが、
小説表紙のロングヘアと
剛力彩芽さんのショートカットヘアではかなりイメージが異なりますし、
あまり役にあっていないのでは、という印象を受けました。
(松下奈緒さんあたりなら、ピッタリかも?)

ともあれ、こちらも気づけばすっかり魅了されてしまいました。
中学生向けとしては?かもしれませんが、
本好きな子なら、案外大丈夫かもしれません。
古書を通して、読書の世界を広げるきっかけになるといいですね。
鎌倉が舞台なのも少し魅力的でした。
謎解きは少しご都合主義かな〜とも思いましたが、
ヒロインの魅力に免じて目をつぶることにしましょう。
現在2巻目を購入し、そのうち読む予定です。
最初の部分だけ少し読むと、
「巨乳」云々の記述が出てくるのが少し残念・・・

ちなみに、私は中学生の時に、よく古本屋巡りをしていましたよ。
星新一の作品を全部集めるためでした・・・
(しかし、中3の冬に『赤毛のアン』を読み始めてから、
古本屋巡りはやめて、ひたすら新品で買うことにし、今日に至っています。)

ビブリア古書堂の事件手帖―栞子さんと奇妙な客人たち (メディアワークス文庫)

(参考)
ビブリア古書堂の事件手帖(1): 1 (アフタヌーンKC) ※マンガ


ビブリア古書堂の事件手帖 (1) (カドカワコミックス・エース) ※マンガ

結論としては、中学生ぐらいにオススメなら、
「ビブリア」よりも「Qシリーズ」を私は選びます。

2013年1月 4日 (金)

謹賀新年&2012年12月のアクセス数ベスト10記事一覧〜今年もご愛読よろしくお願いします

謹賀新年!
あけましておめでとうございます。
本年もご愛読よろしくお願いします。

さて、2012年12月のアクセス数ベスト10記事は以下のとおりです:
(※トップページを除く)
ベスト3までは記事リンクをつけています。

一位.ウコンは肝臓に悪い?~NHK・ためしてガッテン「肝臓の健康を守れSP」
(2011年6月29日放送)

二位.「学びあい」という美名の下の教育の堕落~
NHKEテレ・ETV特集「輝け二十八の瞳 ~学び合い 支えあう教室~」
(2012年2月5日放送)

三位.公立学校で習熟度別授業の導入はプラスか、マイナスか?
~読売新聞北海道版・連載「学力危機」第1部・札幌の格差 (10)を読んで

四位.退職すると訴訟?!社畜から奴隷へ?ブラック企業の恐怖・・・
~NHK・クローズアップ現代「やめさせてくれない~急増する退職トラブル~」
(2012年4月26日放送)

五位.「学び合い学習」は日本の義務教育崩壊を招く!~おすすめ記事『【解答乱麻】 TOSS代表・向山洋一 亡国の教育「学び合い学習」』
(MSN産経ニュース2012年11月24日掲載)

六位.1万円の「北海道&東日本パス」で東京から札幌へ1泊2日片道約1200kmの普通列車の旅
七位.立ち読み日記~『こうすれば日本も学力世界一 フィンランドから本物の教育を考える』(朝日選書)
八位.NHK・地球イチバン「地球でイチバン アタマがよくなる!?授業~フィンランド~」(2012年12月13日放送)と、釧路市の基礎学力保障条例可決(2012年12月14日)
九位.18歳で選挙権という希望?~NHK・クローズアップ現代「18歳は大人か!? ~ゆれる成人年齢引き下げ論議~」(2012年4月11日放送)
十位.フィギュアスケートGPファイナル2012(ソチ大会)を観て

ベスト1は相変わらずアクセス数1000件超えで、総アクセス数は1500以上でした。
忘年会シーズンだからでしょうか?
今回は二位、三位、五位、七位、八位に教育ネタがベスト10入りしていました。
NHKでフィンランド教育を取り上げた影響もあります。
六位の「北海道&東日本パス」の記事も、ちょうど帰省時期だから、
多く読まれたようですね。
かくいう私(ども)も、帰省には「青春18きっぷ」を使いましたよ。
(悪天候で、結局、帰り道には特急自由席を使いましたが・・・)

新しい年!みなさんはどのような「初夢」をみましたか?
私はなぜか教会学校に関する夢でした。
どんな意味を持っているのか、まだわかりませんが・・・
本年、そして今月もご愛読よろしくお願いします。

おまけとして・・・
道東の鶴居村、標茶町の方面にドライブで行ってきました。
丹頂鶴の写真と双子の太陽(?)、エゾ鹿の写真を掲載します。
丹頂鶴は、鶴居村の伊藤タンチョウサンクチュアリにて撮りました。
双子の太陽(?)は、鶴居村から塘路湖方面へ出る道の途中で撮りました。

エゾ鹿は、塘路湖周辺の道路にいっぱいいたうちの1頭を撮りました。
見た目はとてもかわいいのですが、車にとっては脅威なのです・・・
エゾ鹿が道路に飛び出して来て、車にあたれば破損か、
時には車が大破して運転手が死ぬことだってあるのです。
増えすぎたエゾ鹿を駆除して、その肉を学校給食で利用するとか、
何か抜本的な対策が必要ですね。

丹頂鶴
2013new_year_trip_in_doto1

双子の太陽?
2013new_year_trip_in_doto2

エゾ鹿ちゃん
2013new_year_trip_in_doto3

2012年2月20日 (月)

「安息日」の「日」を何と読むか?

「安息日」と書いて、あなたなら、何と読みますか?
「あんそく」?「あんそくにち」?それとも「あんそくじつ」?
実は、どれも正解なのです。

昨日(2012年2月19日)、
教会学校で「人の子は安息日の主なのである。」(マタイ12:8新共同訳)
という箇所を教えました。
(私の教会では現在『成長』(CS成長センター刊)という教会学校教案誌を使っています。)
成長』では新改訳、新共同訳どちらにも対応できるよう、
暗唱成句箇所はどちらの訳も書かれています。
昨日の箇所なら、
人の子は安息日(にち)の主です。」(新改訳)
人の子は安息日(び)の主なのである。」(新共同訳)
(どちらもマタイ12:8)でした。
それを見て、今まであまり気にしていなかった、
安息日」の「」の読み方が違うことを意識しました。

今朝、フランシスコ会訳聖書を読んでいると、
安息日」に「あんそくじつ」とルビがつけられていました。
「あんそく」、「あんそくにち」、「あんそくじつ」どれが最もいいのか・・・
今回の記事を書くきっかけになりました。

聖書―原文校訂による口語訳(フランシスコ会訳)

既にこの問題に気づいている人はいて、
ウィキペディアの「安息日」の項目を読むと、
(引用)
日本語での読み方

日本語の「安息日」には「あんそくじつ」「あんそくにち」「あんそくび」の3つの読み方がある。キリスト教関係者の間でも読み方が分かれているが、NHKでは「あんそくび」と読んでいる。
「文語訳聖書」、「口語訳聖書」、「新改訳聖書」では「あんそくにち」、「フランシスコ会訳聖書」では「あんそくじつ」、「新共同訳聖書」では「あんそくび」と振り仮名が振られている。

(引用終)
と書かれてありました。

私は「あんそく」、「あんそくにち」どちらも使うことがありますが、
どちらかといえば、「あんそく」を使うことが多いです。
さすがに「あんそくじつ」は使ったことがありません。

さて、国語的に、なおかつ一般的な用例から考えてみましょう。
」を「じつ」と読む場合は、「落日」とか「吉日」といった、
あまり一般的に使われない場合が多いですね。
「安息日」は特別な、聖なる日である、ということから、
フランシスコ会訳では詩的に「じつ」と読ませたのでは、と推測しますが、
読みとしてふさわしいとは思えません。
(同じカトリックのバルバロ訳でも「じつ」を採用しています。)

次に、新改訳(口語訳、文語訳)の「にち」を検討してみましょう。
一般的な用例から言うと、「にち」は、
「15日」、「百日」、「毎日」などのような、
数量的な使われ方をする場合が多いのでは、と考えます。
安息日」は数量的なものではなく、
むしろ「月曜」、「日曜」などの「曜日」や、
「記念」などのようなものに近いのでは、と考えます。
ということで、「じつ」や「にち」よりも、
「び」と読ませる新共同訳の方が妥当なのではないか、と結論しました。
(ただし、それぞれの教会の伝統や、慣れ親しんだ言い方があるでしょうから、
最初に述べたように、「じつ」、「にち」、「」どれも間違いではありません。)
みなさんはどう思いますか?

教会や聖書の訳によって読み方・用語が違うと不便ですね。
将来的には、統一した読み方が日本のキリスト教界で採用されることを願っています。

2011年7月15日 (金)

福音の土台は創造論

教会学校で、創世記の「アダムとエバ」の話をしました。
(教会学校教案誌「成長」の2011年7月10日の回に基づく)
説明を終えた後、子どもから、進化についての質問が出ました。
これはとても重要な問題です。
なぜなら日本の学校教育ではあたかも既定の事実として進化論しか教えないし、
アニメ(ポケモン他)から、はてはCM(ストライド他→ガムを噛み続けたらサルが進化?)まで、
進化というのは地動説や万有引力とならんで「真理」となっています。
そういう環境の中、聖書が言う「神の天地創造」は、非科学的なおとぎ話のように思えます。
だからこそ、聖書の真理を正しくわかりやすく伝える必要があるのです。


私はこんな説明をしました:
聖書では、「神が天地を創造された」と述べています。
一方、科学では、「ヒトはサルから進化した」、「アメーバから進化した」などと言っています。
どちらが正しいのでしょう?
私は、聖書に書いてあるから無理やり信じなさい、とは言いたくありません。
しかし、「進化」というものを考えてみましょう。
「進化」というのは、創造者・設計者もなく、
長い時間をかけて「たまたま、偶然」できた、と言っているようなものです。
今みなさんが生きているのも「たまたま、偶然」にすぎなく、
その命には、何の意味もありません。
「デタラメ」を長い長い時間かけていったら、「たまたま出来た」にすぎないものだからです。
ここにテレビがありますね(教室にテレビがある)。
これはどうやってできたのでしょうか?
大きなゴミ捨て場があって、ある日、猛烈な台風がやってきました。
ゴミ捨て場をものすごくかき混ぜていたら、
「偶然に偶然に偶然に・・・偶然に、が重なって」、朝にはテレビが出来ていました・・・
こんな話はありえないですね。
テレビは設計者がいて、設計図どおりに作られているのです。
私たちはテレビよりももっともっとすばらしく、神様によって造られています。
科学では「宇宙は偶然にできた」とさえ言っていますが、
デタラメに宇宙が出来る確立は、1/100000000000000000・・・・(0がたくさん)だ、
とある人が計算しています。ありえない数字です。
ところでみなさん、なぜ手に指は5本あるのでしょうか?
6本や4本ではいけないのでしょうか?
私は、これだって「奇蹟」に思います。
イエス様を信じるお医者さんたちは、人間の体を知れば知るほど、
神様の創造の素晴らしさを思うそうです。
私達が今生きているのは「たまたま、偶然」ではなく、神様によるのです。


私も以前は、
創世記の「初めに、神は天地を創造された。」(創世記1:1新共同訳)を信じられず、
カトリック思想家テイヤール・ド・シャルダンのキリスト教的進化論や、
哲学者アンリ・ベルクソンの「創造的進化」といった思想に強く惹かれていたものでした。
なんとかして、科学と宗教を一つにしたい・・・
しかし創造科学という考え方を知ってからは、
進化論とキリスト教を妥協させよう、という考え方は捨てました。
(カトリックでは1996年に前教皇ヨハネ・パウロⅡ世が、進化論を容認する発言をし、
日本の新聞でも大きく取り上げられましたが、
これはつまらんことをしたものだ、と思いました・・・
→これについては、
最近発表されたローマ教皇の進化論支持は、何を意味するのか? 」という記事を参照。
※「最近」といっても、最近ではナイですけどね・・・)
聖書の初めの言葉は「初めに、神は天地を創造された。」(創世記1:1新共同訳)です。
ここを信じられなければ、聖書はすべてウソを書いていることになり、
そもそも読む必要さえないでしょう。
しかし、神の天地創造、ということを心に受け入れ、
「偶然などないんだ!」と確信できるなら、
聖書の他の奇蹟は、あたかもドミノ倒しのように、次々と受け入れることができます。
聖書に基づく科学的・論理的な根拠をもって、
進化論という仮説のヴェールを一つ一つ剥がしていけば、
見えてくるのは神様のみわざのすばらしさです。
宇宙そのものが、奇蹟で出来ている、といっても過言ではないのです!
創造論こそ、福音の土台なのです!
土台があいまいなら、十字架と復活でさえ、単に「心理的なもの」にすぎなくなってしまいます。

WEB版キリスト教新聞「クリスチャントゥディ」では、創造論と進化論についての
わかりやすい記事が2つありますので紹介します。
佐々木満男・・・進化論は真っ赤な嘘?!」(2011年2月18日)
聖書は正しく、進化論は間違い-クリスチャンは堂々と説明できるべき」(2011年7月6日)
(埼玉医科大学准教授の今中和人博士による
「心臓外科医が語る驚異の人体」と題した講演の要旨)

今中氏は、
人体の形成をもし進化論に即して考えるとすれば、「ブドウ糖は20もの化学反応の連鎖で代謝されるが、段階的に代謝酵素を獲得したのなら、獲得前の生物は生存できなかったであろう。20種類ものアミノ酸を代謝する能力を段階的に獲得してきたのなら、片っぱしから乳児期に死亡する時代や、全員重度知的障害者だった時代などが生じてしまい、あり得ない結論に至る」。同氏によると、観察すればするほど「人体の機能は最初から全部できなければならないことばかりで、段階的に進化してきたとは考えられない」という。

 現代教育で教えられる始祖鳥やピテカントロプスなど、進化の証拠とされるもののほとんどは、既に誤りであるか極端に疑わしいと結論付けられているのに、未だに学校教育で進化論が教えられている現状に危機感を募らせた。「教育する側も、それらが科学的真実かのごとく教わっており、自分では検証せず、悪意のねつ造すら多数含まれている進化論が教えられ続けている」ことを厳しく非難し、「人類の起源の説明として未だに進化論が教えられ日本人は信じ込まされている」と警告、パウロ使徒の言葉を用いて「進化論」を「むなしい、だましごとの哲学(コロサイ2・8)」であるとはっきりと否定した。
(「聖書は正しく、進化論は間違い-クリスチャンは堂々と説明できるべき」から引用)と述べています。
DNA一つにしても、驚くほど精緻につくられているものです。
旧約聖書の詩編作者はこう感嘆しました。
わたしはあなた(=神)に感謝をささげる。
わたしは恐ろしい力によって
驚くべきものに造り上げられている。
御業がどんなに驚くべきものか
わたしの魂はよく知っている。

(旧約聖書詩編139:14新共同訳)

創造論入門としては、「創造か・進化か?」という記事がわかりやすいです。
創造論入門書としては、
久保有政著「天地創造の謎とサムシンググレート」(学研ムーブックス)と、
オーパーツと天地創造の科学」(学研ムーブックス)が入手しやすいです。
マユツバものとみるかどうかは自由ですが、
知りもしないで批判するよりも、先入観にとらわれずに一読してみることをおすすめします。

天地創造の謎とサムシンググレート―「進化論」と「インテリジェント・デザイン理論」 宇宙と生命体をデザインしたのはだれか!? (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)

オーパーツと天地創造の科学―聖書に隠された幻の超古代文明と恐るべき地球大激変の真相 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)

2011年5月15日 (日)

黄金律とハーゲンダッツ~ある日の教会学校

人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。
(新約聖書ルカによる福音書6:31新共同訳)
教会学校で、この御言葉について学びました。
(ちなみに、今年度はCS成長センターの「成長」をテキストにしています。)
実を言うと、この御言葉、来週学ぶところだったのですが、
私が間違って今週この箇所を学ぶこととなりました・・・
(本来は「地の塩、世の光」のところ・・・)

それはともかく、教会学校の学びが終り、
月に1度のお誕生日会(お誕生日の人がいてもいなくても実施)として、
今月はハーゲンダッツのアイスを食べることになりました。
買った個数の問題もあり、大人はガマンして、子ども達に食べさせました。
参加した子ども達は、親切にも、
私の妻と他の女性スタッフには喜んで何口か分けてくれました。
でも、男性の私には・・・
(パパみたいだからイヤだ、とか・・・)

ハーゲンダッツがカップから無くなる前に、
子ども達の一人が、私のところに来て、一口だけ分けてくれました・・・
あ~ん・・・
「御言葉の実践だ~」
ちょっと照れくさくもウレシカッタです・・・
ハーゲンダッツには、「地の塩」よりも「黄金律」がふさわしいのかも?

2011年3月21日 (月)

「貧しい人々は、幸いである」の反対は、「金持ちは地獄行き」か?~教会学校で子どもの疑問に答える

教会学校で、「貧しい人々は、幸いである」(ルカ6:20新共同訳)の話が出ました。
すると、ある子が、「じゃあ、『金持ちは地獄行き』なの?」という質問が出ました。
その時の説教者はたじたじになってうまく答えられなかったので、
私が代わりに答えました。
それにしても、実に面白い質問ですね。
まずそれをほめました。

私の答えはこのようなものでした。
ちょっと聖書的でないですが・・・
「今、大震災で、食べるにも着るにも困っている人がたくさんいるよね。
その一方、東京などでは、「自分さえよければ・・・」とモノを買い占めている人がたくさんいます。
モノを買い占めたら、本当に必要なものが、
困っている人たちに届けられなくなるかもしれません。
「自分さえよければ・・・」という心そのものが、地獄なのです。」

子どもの素朴な質問でしたが、いろいろと考えさせられました。
実際、ルカ福音書には、
貧しい人々は、幸いである、
神の国はあなたがたのものである。
今飢えている人々は、幸いである、
あなたがたは満たされる。
今泣いている人々は、幸いである、
あなたがたは笑うようになる。
」(ルカ6:20~21新共同訳)に対応するように、
しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、
あなたがたはもう慰めを受けている。
今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、
あなたがたは飢えるようになる。
今笑っている人々は、不幸である、
あなたがたは悲しみ泣くようになる。
」(ルカ6:24~25新共同訳)
と書かれています。

正統な聖書解釈ではありませんが、
私はある意味、「天国と地獄」とは、心の状態だと考えています。
天国は愛、喜び、平安があふれる状態で、困っている人がいれば、
喜んで分け与えたりすることができます。
自分の幸せよりも、他社の幸せを考えます。

地獄は、自分のことしか考えず、疑いや不平不満、
憎しみや嫉妬、怒りに満ち、
自分が幸福にならないどころか、人をも不幸にします。

今、日本では、「ヤシマ作戦」、「ウエシマ作戦」、「アオシマ作戦」の、
「三シマ作戦」が、ネットを中心に広がっていますね。
(「「三シマ作戦」が日本を救う!?」)
http://chikyu-no-cocolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-1271.html
これは天国の心を広げるものといえましょう。
こういうご時世、政治的立場や宗教なんて関係なしに、
多くの人が連帯して、東日本を復興していきたいものです。

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