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2013年6月 3日 (月)

「聖徒の交わり」と「諸聖人の通功」〜聖人の恵みのお裾分けはありえるのか?

使徒信条の中に、「聖徒の交わり」という言葉がありますね。
聖徒の交わり」はギリシャ語で「コイノニア・ハギオン」(聖なるコイノニア)、
ラテン語で「サンクトルム・コミュニオ」というそうです。
カトリック教会では昔、「諸聖人の通功」と訳されていました。
カトリックとプロテスタントでは、「聖徒の交わり」の範疇が違います。
どちらにも共通しているのは、現在生きている信徒同士の「交わり」ですが、
カトリックでは「既に死んでいる信徒」、特に聖人との「交わり」が含まれます。
カトリックではさらに進めて、聖人の恵みのお裾分けができる、と考えました。
(引用)
 聖人は、その偉大な信仰と行いによって、自分自身が義とされる、つまり自分自身が救われるに十分な功績を持っているだけでなく、なお功績に余りがある、なお余力があると考えられたのです。
 中世初期から、教会には大別して二種類の信仰者がいると考えられてきました。この偉大な信仰をもって愛に生きた聖人と、自分自身の信仰では自分さえ救うことができない弱い、普通の信仰者です。二者の間に存在している交わりをサンクトルム・コミュニオ―ーー「諸聖人の通功」と呼んだのです。この交わりの中で、弱い普通の信仰者は、自分の救いのために、偉大な聖人の功績を融通してもらうことができるわけです。「通功」とは、功績の融通を意味します。

(藤本満著『わたしの使徒信条ーキリスト教信仰の神髄ー
(いのちのことば社)P.252から引用終)
果たして、「功績の融通」などできるのでしょうか?
神に対して、人は兄弟をも贖いえない。神に身代金を払うことはできない。
(旧約聖書詩編49:8新共同訳)

藤本満著『わたしの使徒信条 ~キリスト教信仰の真髄~』(いのちのことば社)

プロテスタント教会では、この考え(諸聖人の通功)は否定されます。
先ほど引用した本では、カトリック教会の考え方に対して、
プロテスタント教会の考え方を対比させて書いています。
(とてもわかりやすい説明です)
(引用)
 一方プロテスタント教会は、そのような功績は互いに融通できるものではない、ましてや、どのような偉大な聖人の功績も、私たちを救うことはできない、救いはただキリストの十字架を信じる信仰によって、神から与えられると考えました。ですからプロテスタント教会は、サンクトルム・コミュニオを「諸聖人の通功」ではなく、「聖徒の交わり」と訳しました。(中略)
 プロテスタントでは、「聖徒」とは、特別な聖人のことではなく、聖書が一般的に使っているキリスト者、つまり十字架によって罪赦され、神の子どもとされた私たちキリスト者を指します。
(同書P.252〜253から引用終)

妻がある方から「聖徒の交わり」について問われ、
改めて、私たちが信じる「聖徒の交わり」とは何か、
再認識してみたくなりました。

生きている信徒同士の分かち合いとしての「聖徒の交わり」は、
否定されるべきではありませんが、
過度な聖人信仰は、キリストへの信頼を弱めるものです。

神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、
人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。

(新約聖書テモテへの手紙Ⅰ2:5新共同訳)

我々の大半は凡人に過ぎませんが、
主イエス様から見れば「聖徒」なのです!
「聖人ではないから二流信者」と卑屈になる必要はないのです。

もちろん、著書や良い行いというのは、
生きている限りだけでなく、死んでからも、
世界のいろいろなところで霊の実を結びます。
聖徒の交わり」が単純に、生きている人限定、
ということではないでしょうが、
聖人のお裾分けを待ち望むより、
主なる神ご自身に大きく期待したいものです。
そして、良いものを互いに分かち合っていきたいものです。

わたしが、あなたの神、主。あなたをエジプトの地から導き上った神。
口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう。

(旧約聖書詩編81:11新共同訳)
彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。
(新約聖書使徒言行録2:42新共同訳)
神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。
(新約聖書コリントの信徒への手紙Ⅰ1:9新共同訳)
わたしたちの間でキリストのためになされているすべての善いことを、
あなたが知り、あなたの信仰の交わりが活発になるようにと祈っています。

(新約聖書フィレモンへの手紙6節新共同訳)
わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。
(新約聖書ヨハネの手紙Ⅰ1:3新共同訳)

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