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2013年3月20日 (水)

書評:ティモシー・ケラー著『偽りの神々〜かなわない夢と唯一の希望』(いのちのことば社)※原題:Counterfeit Gods: The Empty Promises of Money, Sex, and Power, and the Only Hope that Matters (by Timothy Keller)

人の子よ、この人々は偶像を心に抱き
彼らをつまずかせる罪を目の前に置いている。
それなのに、わたしは彼らの求めに応じられようか。

(旧約聖書エゼキエル書14:3新共同訳)
※下線部筆者による。

「偶像礼拝」といえば、目に見える仏像とか何かの神々の像を拝む、
ということを指しますね。
(カトリックの方々なら聖母マリア像や大天使ミカエル、
あるいは、イエス・キリストの像を「崇敬」(※「崇拝」ではなく)している、
と答えますが、たとえキリスト教のイメージのものであっても、
本来的には「偶像礼拝」の範疇にいれた方がいいと私は考えています。
まぁ、どうしても、見ないと信仰がわかない、というなら、
「必要悪」かな、とも思いますが・・・)
プロテスタントの方々なら、「私は偶像崇拝なんかしていない。」と、
誇らしげに言うかもしれません。
しかし、「偶像」とは果たして、目に見える神々や仏の像だけなのでしょうか?

今回紹介します、
ティモシー・ケラー著『偽りの神々〜かなわない夢と唯一の希望』(いのちのことば社)は、
目に見える偶像ではなく、
クリスチャンかそうでないか問わず、たぶん大多数の人の心の中にある、
さまざまな「偶像」について論じています。
原題は、"Counterfeit Gods: The Empty Promises of Money, Sex, and Power, and the Only Hope that Matters"です。


偽りの神々~かなわない夢と唯一の希望~

>いのちのことば社のサイトでも入手できます。


原著:Counterfeit Gods: The Empty Promises of Money, Sex, and Power, and the Only Hope that Matters

心のなかの偶像、とは一体なんでしょう。
「愛(セックス)」、「金」、「成功」、「権力と栄光」といったものだけでなく、
ある意味、何でも「偶像」になりえるのです。
本書では聖書の人物たち
(アブラハム、ヤコブとその妻ラケルとレア、ザアカイ、ナアマン、
ネブカドネザル、ヨナ)の物語を通して、
現代における心の中の偶像を取り扱い、偽りの「偶像」から、
主イエス・キリストにある恵みと解放への道を示してします。

本書をじっくり読んでいくと、自分自身の心の中にも、
やはり多くの「偶像」があるんだなぁ・・・と実感しました。

本書の第5章「権力と栄光」の中で、
C・S・ルイスの「ナルニア国物語」シリーズの1つ、
朝びらき丸 東の海へ』への言及があります。
(20代前半の時に読みましたが・・・)
貪欲から竜に変身してしまったユースチス少年が、
ライオンのアスラン(イエス・キリストがモチーフ)によって、
元の人間の姿に戻されるところを引用し、このように解釈しています。

(P.162から引用)
 文中のアスランというライオンはキリストを表しているのですが、物語はすべてのクリスチャンが発見する事柄、つまり高慢は死と破滅、人間性の喪失を招くということについて証明していると言えるでしょう。しかし、その中で苦々しい感情に埋もれるのではなく、謙虚になり自分ではなく神の栄光を求めることを選ぶなら、自身のプライドの死は、その復活へとつながるのです。暗闇の中から閉ざされた心ではなく、柔軟な心を持った、本来あるべき人間としてついに浮上できるのです。
(引用終)

20代の頃に読んだ時には気づかなかった、
物語の象徴性に気づくことができたのは有益でした。


朝びらき丸東の海へ―ナルニア国ものがたり〈3〉


本書の結論部は少し物足りない気がしますが、キリストへの道を指し示しています。
あとは、読者が自分の歩む道を顧みて、正しい道に進むかどうかですね・・・
(P.214〜215から引用)
 偶像礼拝は、単に神に従うことに失敗することではありません。むしろ自分の心が神以外の何かのために生きている、という状態です。この症状は、偶像があることを認め、悔い改めるだけでは十分な治療にはなりません。意思の力をもって、違う生き方をしようと努めることも、効果はありません。偶像から背を向けるには、以上のような治療方法だけではなく、それ以上の何かが必要です。「いのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるから・・・・・上にあるものを求めなさい」(コロサイ3・1〜3)とは、イエスがあなたのためにしたことを感謝し、喜び、そこに憩うことを意味します。その結果として、喜びに満ちた礼拝、祈りの中に神の存在を実感するようになります。そうやってイエスを想像すると、今までよりももっと美しく、あなたが今まで持ってきた偶像よりももっと魅力ある存在になるはずです。それが偽りの神々を置き換えるという作業です。
(引用終)

気づかないうちにいつの間にか、心の中に祀られている偶像・・・
そういう存在があるということに気づくのが、
イエス様にある真の解放、真の自由への第一歩ですね。

あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。
(新約聖書ヨハネによる福音書8:32新共同訳)

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