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2012年9月 9日 (日)

早期の英語教育よりもまともな日本語教育をするべき!~小学4年以下でも英語を必修にすべきか?

2012年9月9日付の日経の記事
小4以下も英語必修、文科省検討 指導法を研究」を読みました。
現在、小5、6年で「外国語活動」として、
週1時間程度の英語学習が必修となっています。
これを、文科省は「小4以下でも必修にしては?」という調査を始めようとしている、
というのが記事の内容です。

正直言って、現在の小5、6年でやっている「外国語活動」(=英語教育)なるものは、
税金のムダではないかと思っています。
というのは、せいぜいABCの歌を覚えたりするのと、
たまにALT(外国人講師)が来て、英語でゲームをして「おしまい」という状況です。
本当に、これで、英語で会話ができる素地になるのでしょうか?
文法も教えず、しかも成績評価もしないお気楽なものです。

英語教育(特に発音に慣れさせる)をするなら、
小1、2ぐらいが最も効果的では、と考えます。
小5、6では遅すぎるぐらいです。

一方、どんなに発音がよくても、伝えることができなければ、
会話は成立しません。
日本語能力自体がアヤシイのに、ましてや英語でコミュニケーションするなど、
もっと困難なことです。

以前、記事に書きましたが
(⇒書評:福嶋隆史著『国語が子どもをダメにする』(中公新書ラクレ)~国語教育は何のために行うのか?)、
現在の日本の国語教育は、実質上道徳教育であって、
そもそも「国語で何を教えるか?」がよくわからないまま、
なんとなく授業されているのが大半のようです。

フィンランドの教育に関するある本(書名は忘れましたが・・・)で、
「フィンランドでは、自国語を外国語のように学習している」
という記事を読んだことがあります。
道徳教育は本来の「道徳」の授業に任せて、
国語教育は文法や漢字の読み書き、
コミュニケーション能力の育成、という面に立ち返るべきでしょう。
本来上の国語教育こそ、英語教育に勝って、もっと充実すべき教科なのです。

「グローバルな人材」を育てるのは結構ですが、
「グローバルに」活躍できる人たちはまだまだ少数です。
大多数の日本人は、海外旅行に出かける他は、
日本で生まれ育ち、日本で死んでいくわけです。
これから何十年先でも、おそらく状況は変わらないでしょう。
英語で話す機会よりも日本語話す機会の方が圧倒的に多いわけです。
日本人なのに、日本語がおかしい・・・
大学生でも、漢字の読み書きがアヤフヤ・・・
これこそ、英語が話せないよりも、もっと恥ずかしいことではありませんか?

もし小4以下でも英語教育をするのであれば、
以下の4つの条件なら賛成したいと思います。
①いっそうの国語教育の充実を図る。
②「外国語活動」という「オアソビ」をやめ、
「英語科」とし、評価も行う。
③小1~小6の教育課程で、
現在中学生が学んでいるレベルの英語をすべて終らせる。
④中学生では、実践的な英会話と、長文読解を行う。
いかがでしょうか?

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コメント

「題なし」の及川様、長文のコメントありがとうございます。結局、発音の正しさや文法的な正しさよりも、話す中身こそが、コミュニケーションにおいて大事である、ということを、文科省のエライ役人さんやエライ大学教授サンたちは忘れているのではないでしょうか?
コメント全体にわたって、「まさにその通り!」と思うところがいっぱいでした。貴重なコメント、感謝します!

てんしな?日々さん

「題なし」の及川です。
概ね賛成ですが、もっと言うと、話す内容が乏しいのに、表面的な会話技術や発音だけ学んでも、何の国際交流にもならない、ということだと思うのですよ。

ちゃんと他の科目まで含めて勉強し、趣味・教養をそれなりに深めながら大学卒業後、会社勤めで、どうしても必要となったあと、多くの場合、それなりに通用し、英語で何とか話ができる・・・そんな例を何人も見てきました。
英語の基礎が分かっていて、それなりに話すべき内容を持っていれば、必要になってからニワカに会話の勉強をしても、何とかなるのです。
会話から入るのは正しいように見えるのですが、所詮母語ではない英語です。会話の勉強を通じて深めて行くよりも、文章読解や文法から入って深めて行く方が、遙かに効率的です。

さらにもっ言うと、何もキレイな発音である必要すらない。
タイとかマレーシアの人の話す英語って、すごく東南アジアと分かる「ナマリ」があります。でも、ジャパニーズなまりの英語で話す日本人と、ちゃんと仕事上のやりとりはできている。これも。何人もの例を見てきました。

こうした観点から、小学校で英語を教えるなんて、もっての他だと思ってきました。
こうして、肝心なものを教えず、日本語教育、さらに教育全体を破壊するのは、いつも文部官僚や、その周辺でメシを喰っている人たちです。

同じ気持から出るのですが、会社で公用語を英語にする、というのも、何をかいわんや。キチガイ沙汰としか言いようがない。
2年前に鳥飼玖美子の「『英語公用語』は何が問題か」を読み、我が意を得たり!と思ったものですが、
http://dainashibekkan.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-f1c8.html

事態はどんどん悪化していくようで、実に困ったものだと思います。


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