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2012年8月11日 (土)

書評:徳善義和著『マルティン・ルター――ことばに生きた改革者』 (岩波新書)

新聞の広告で見かけた時(2012年6月)から、
ぜひ読みたいと思っていた本でした。
日本のルター研究の碩学である、
徳善義和氏(ルーテル学院大学、ルーテル神学校名誉教授)の
マルティン・ルター  ことばに生きた改革者 』(岩波新書)は、
ルターの生涯と今日的意義を知るのに絶好の入門書です。

マルティン・ルター――ことばに生きた改革者 (岩波新書)

サブタイトルにある「ことば」が本書を貫くキーワードです。
各章にはこのキーワード「ことば」が必ず出てきます。
序章 ことばに生きる
第1章 ことばとの出会い
第2章 ことばが動き始める
第3章 ことばが前進する
第4章 ことばが広がる
第5章 ことばを受けとめる
終 章 ことばに生きた改革者

簡潔ながらも、適切にポイントを絞ってルターの生涯をたどっています。
この「ことば」とはまず第一に聖書のことば(みことば)です

中世のカトリック教会という巨大な抑圧システムは、
人々から聖書の御言葉を遠ざけていました。
ルターの最大の功績は、人々に聖書の御言葉を取り戻したことです。
わけのわからない、生活と乖離したラテン語ではなく、
わかる言葉であるドイツ語で聖書を翻訳し、
教会の伝統や後世の付け加えではなく、
聖書そのものに信仰の立脚点を置いたことが、
ヨーロッパの大きな転換点となりました。

「聖書のみ、信仰のみ、恵みのみ」という思想がどのように結実していったのか、
若き日のルターの苦闘がコンパクトに窺えました。
(「奴隷意思論」はさすがに行きすぎだと思いますが・・・)
一方で、プロテスタントの人たちが陥りやすい、
ルターに対する手放しの絶賛からはほど遠く、
冷静な目で、ルターの限界をも見据えています。
(ドイツ農民戦争への対応、
ユダヤ人への悪辣な非難文書『ユダヤ人とそのいつわりについて』と、
後世のナチスへの影響など・・・)

ルターという人物は、見る立場によって違った様相を示します。
カトリック側からすると、異端や悪魔的な存在であり、
現在でもカトリック教会から破門されたままです。
一般のカトリック信者では、
未だに「ルターは地獄へ落ちた」と思っているような人がまだウジャウジャいそうです。
一方、プロテスタント側(及び中学・高校で世界史を学んだ多くの日本人)にとっては、
ルターは腐敗したカトリック教会を「改革」した「英雄」のような存在です。
前教皇であるヨハネ・パウロ二世は、ルターを「宗教的天才」と認めていました。
ルターを正当な位置に置いて適切に評価できる時代になったといえます。

この本では最後に、
東日本大震災と原発事故という未曽有の危機を迎えた現代日本に、
「ことばの回復」を呼び掛けて締めくくっています。
「ことば」のインフレ状態にある現代日本に必要なことですね。
(「信」という語に置き換えてもいいですね。
政治家のウソ八百はもうウンザリです・・・)

著者の徳善義和氏は、カトリックの百瀬文晃神父との共編著として、
カトリックとプロテスタント―どこが同じで、どこが違うか』という本も出しています。
実にエキュメニカルな本といえます。

カトリックとプロテスタント―どこが同じで、どこが違うか

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