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2012年7月29日 (日)

教会の公同の祈り・共同祈願での政治的な祈りについて

教会での礼拝・ミサ中に、教会の信徒代表の方が、
「公同の祈り」(教派によって名称は異なりますが)又は「共同祈願」(カトリック)を捧げます。
たいていは、その方が祈られたとおりになりますように、と思えるのですが、
時折、少なくとも私はその祈りに対して「アーメン」とはいえないな、と思うものがあります。
政治的に論争があるようなものを、教会の公の祈りとしようとするものです。

たとえば・・・
原発推進又は反原発の推進
自衛隊の問題
沖縄の基地問題
などです。

このような問題では、賛否両論ありますね。
たとえば、私は反原発派ですが、
教会の礼拝・ミサで「原発が早く廃止されますように」と祈ることには反対です。
個人の多様さを認めない独善といえます。

なぜこの話題を出したかというと・・・
私の所属教会で、
教会の公の祈りとして、
「沖縄から米軍が撤退し、平和な島を取り戻せますように」
という祈りがなされたからです。
私は「アーメン(そうなりますように)」とは祈ることができませんでした。

これは以前所属していた教会で聴いた話です。
ちょうど、自衛隊が湾岸戦争(1991年)の時に初めて海外派遣される頃のことです。
教会の近くに、自衛隊の基地がありました。
自衛隊の方がそこの教会員になりました。
その教会は、どちらかというと政治的な主張をする傾向があり、
反戦平和の立場から、
教会の集会として、「自衛隊海外派遣反対!」という集会を教会内で行ったそうです。
その中で、自衛隊の方は教会員から吊るし上げを食らい、
結局、教会を出てしまった、とのこと・・・

自衛隊員だから排除される、なんていうのは、教会としてあってはならないことです。
社会的に白い目で見られるような職業(ヤ○ザとか・・・)であっても同じです。
人を助け、時には癒しをもたらすはずの祈りが、
人を排除する道具にはなってほしくないものです。
(個人で祈るのは構わないですが・・・)

聖書の中で、イエス様はローマの軍人である百人隊長の信仰に驚かれました。
イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。
『はっきり言っておく。
イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。』

(新約聖書マタイによる福音書8:10新共同訳)
また、十字架上のイエス様の死を見て、決定的な信仰告白をしたのも、
ローマの百人隊長(同一人物かどうかは不明ですが・・・)でした。
百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。
そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、
『本当に、この人は神の子だった』と言った。

(新約聖書マルコによる福音書15:39新共同訳)
眠られぬ夜のために』(私の愛読書の一つです)の著者カール・ヒルティも、
軍人の信仰についてプラスに評価しています。
私が聖書以外で最も影響を受けた信仰書、
讃美の力』を書いたマーリン・キャロザース牧師も、立派な軍人でした。
(実際にお会いしたことがあります。)

讃美の力

獄中からの讃美

眠られぬ夜のために 第1部

眠られぬ夜のために 第2部

戦争も軍隊もないユートピアを夢見るのは結構なことです。
(あるいは反原発とかでも・・・)
個人でそういう祈りをとことんされるのも結構なことです。
しかし、教会の公の祈りとして、
政治的な立場によって「アーメン」といえなくなるような祈りをささげるのは、
ぜひともやめてほしいものです。

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