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2012年2月 5日 (日)

「学びあい」という美名の下の教育の堕落~NHKEテレ・ETV特集「輝け二十八の瞳 ~学び合い 支えあう教室~」(2012年2月5日放送)

「学びあい」、「支えあう」子どもたち・・・
教育界では、こういう理想論が大好きですね。
教師が教えるよりも、自主的・能動的に子どもたちが教えあう姿・・・
権威の押し付けを嫌う日教組教育の典型なのでは?
ますます公教育の価値が下がり、塾を必要とする教育に成り下がるだけなのに・・・
(そもそも、子どもが教えあうだけでいいなら、
教室には管理する大人がいればいいだけだし、
教員免許をもった教員なんて必要ないでしょう・・・
事実はそんなに甘くないはずです。)

2012年2月5日の新聞のテレビ欄を見ていると、
NHKEテレの「ETV特集」で、
輝け二十八の瞳~学び合い 支えあう教室~
という番組が放映されることを知りました。
番組を見る前から、どうも違和感がありました。
(「学びあう」のがそんなにすばらしいなら、教師なんていらないじゃん・・・)

まずは番組HPから、放送内容を転載します。
(引用)
子どもたちが、生き生きと学ぶ小さな教室がある。
山梨県の身延町立大河内小学校3年生、14人のクラス。
担任の古屋和久先生は、一方的に教えるのではなく、 子どもたちに疑問を投げかけ、お互いに考えさせる。
子どもたちは、わからないことがあれば、必ず友だちに聞く。
聞かれた子は、自分なりの考えを一生懸命に説明する。
ここは、子どもたちがお互いに「学び合う教室」だ。
今、教育現場では、子どもたちの「考える力」や「コミュニケーションの力」の低下が 大きな課題になっている。
一方、大人の社会でも、個人と個人のつながりが分断され、他者への無関心が様々な社会問題を生んでいる。
古屋先生は、思考力や自我が芽生える時期にこそ、 お互いの考えをやりとりする「学び合い」が大切だと考えている。
そんな「学び合い」の出発点は「わからない」と問うこと。
しかし、従来の一般的な「一斉授業」では正解を求められるのが常識のため、 子どもにとって「わからない」をさらけ出すのは難しい。
子どもたちは葛藤を経験しながら、お互いの「わからないこと」を認め合い、高め合っていく。
子どもの持つ力を信じ、時に厳しく、時に暖かく、彼らを見守る古屋先生と、 お互いの個性を認め、支え合って成長していく子どもたちの、 「学び合う教室」を見つめる。
スタジオゲスト: 佐藤学(東京大学教授) 重松清(作家)

(引用終)

私が番組を観た感想です。
まず、「円」とは何かの授業。
「円」とは何か、教科書にきちんと書いてあるのに、
あれこれ迷わせる必要があるのでしょうか?
「説明」をさせるのが目的なら、国語の単元でやればいいわけだし、
知の蓄積、という文化遺産を軽視しているといえます。
2時間かけて、「円の定義」を学ぶのですか?
(教科書に書いてあることなのに・・・)
こういう授業は、可能ならば大学でやればいいようなもので、
小学生は基礎基本の定着こそ大事だということを、
なぜ教師はわかろうとしないのでしょうか?
応用問題を解けた、といっても、集団知で解けた、というだけで、
個人がすべて自力で解ける、ということではないはずです。

「教え込む」のがなぜ悪いのか、
根拠があいまいなのに、東京大学教育学部教授の佐藤学氏は、
「これこそ正しい教育!」と言わんばかりの口調でした。

そもそも、「学びあう」ことで学力が上がるという保証はあるのでしょうか?
成果があいまいなのに、全国の学校で1割導入しているというのは、
由々しきことではないでしょうか?
(問題解決型授業の変形版に過ぎないのに・・・)
ただ教育界の流行を追っているだけであって、
根拠がないものを取り入れるのは、税金のムダではないでしょうか?

私は、「学びあい」の授業がもし1年に数回程度なら、
子どもたちにとっても、「こういう学び方があるんだ」という刺激になるとは思いますが、
年中こんな教え方をするなら、学力低下が必死なのではないかと危惧します。

子どもたちが教えあう・学びあう、ということは、
子どもたちの間にいっそうの序列化を図るようにも思えます。
先生という教室の「絶対者」のもとでの「平等」の方がマシなのでは?

教育の話から、東日本大震災の話への飛躍は苦笑モノでした。
あと、算数以外の教科については取り上げられていませんでした。
効果の検証は実に甘い!・・・輝く瞳、が効果ですか?
NHKさん、もっとマシな番組作りをしてくださいよ!

教育の専門家が実際に見た(※この番組とは別の授業)
「学びあいの授業」の問題分析についてのブログ記事を紹介します。
芦田宏直さん(東海大学教授)の記事です。
高等教育改革に精通し、
Twitter等のソーシャルメディア上でその論に大変定評のある
」方だそうです。
(神戸市の講演会の案内から)
「学びあい」授業の問題点を鋭く分析しています。
授業を参観した教師とのやり取り、というより反論合戦が実に面白い!
(圧倒的に教師のボロ負け・・・)

小学校の「学び合い」授業を参観して(1) 2011年02月25日
(ブログ「芦田の毎日」から。以下同じ)
「学び合い」小学校教員からの反論がありました―謹んでご紹介します。 2011年02月26日
(続)「学び合い」小学校教員からの再反論がありました―謹んでご紹介します。 2011年02月27日
(続々)「学び合い」小学校教員からの再々反論がありました(3)―謹んでご紹介します。 2011年03月02日

この記事の中で特に興味深いのは、最初の2つです。
特に、2つ目の記事
「学び合い」小学校教員からの反論がありました―謹んでご紹介します。 2011年02月26日から少し引用します。
引用は記事のだいたい半分ですので、ぜひ全文をお読みください。

(引用)
この「反論」は、小学校の「学び合い」授業を参観して(1)http://www.ashida.info/blog/2011/02/1_3.html#more という私の記事に対するものです(まだ書きかけのものですが)。私が直接授業を参観させていただいた先生からのもの。貴重です。

1)私は「学び合い」ではそもそも毎時ごとのレフェランス(「基準値」)というものはそれほど重要ではないと考えます(これは「なくてもよい」というわけではない)。そもそも毎時ごとに基準値を達成させようとするから、多くの児童や生徒がそこからこぼれて逃げていく。児童の進度のみならず理解度も授業内でばらばらなため、相対指標しかないと言われるが、そもそも毎時ごとに達成基準を設けて児童の到達度を細かく測っても、その合計が子どもの理解の深度や確かさにつながるわけではない。

【芦田】特に毎時的である必要はない、が、ではどんなスパンでレフェランスを設けるのか? それが長いスパンであればあるほど、取り返しが付かなくなる。そもそも取り返しが付くか、付かないかをどこで判断するのか? 見せていただいた「学び合い」授業内には一切その手がかりがない。相対的な進度を放置しているだけ。日々進んでいるという名目で。だから、各生徒が伸びる伸びないもすべて各生徒の問題になってしまう。伸びたら伸びた、伸びないなら伸びない。挙げ句の果てに「脳の発達の差」にまで還元してしまう。アホな話だ。この「学び合い」教育の本当のレフェランスは「脳の発達の差」であると言ってもよい。
2)進度や理解度はそれぞれに異なることは極めて当然であると考えるが、それを芦田氏のように「子どもの個性」とか「子どもの可能性」などとは考えてはいない。能力の差は歴然とあり、それは脳の発達には差があるということに基づく。学習に子どもの個性などは基本的には関係ない。

【芦田】「脳の発達には差がある」のはたしかだろうけども(笑)、そのこととクラスの授業内で点数に差があることとの相関を科学的に証明するのは無理(仮に証明できたとしても病的な場合だけ)。「差がある」と抽象的に言ってるだけのこと。えせ科学妄想的な差別発言。結局、この「学び合い」教育は家族主義的、地域主義的な差別思想でしかない。

 
3)そもそも「学び合い」では「子どもは能力はそれぞれ違う」という前提に立たなければ成立しない。コミュニケーションは子どもの「内在する自分」との対話を引き出すためのものであり、個性教育とかコミュニケーション教育というものとは異なる。「学び合い」は人とのコミュニケーションだと思われているが、実は自分との対話なのである。
 
【芦田】「子どもは能力はそれぞれ違う」というのは顔が違う、親が違う、地域が違う、という程度のこと。それがどうした。「内在する」って誰がどんな基準で判断してるの? 「内在」って何? これも妄想。


4)全国水準を意識した学びは「学び合い」にとっても非常に大切である。それを単に「お受験」とか、「詰め込み教育」などという言葉で馬鹿にする方が愚かだと思う。しかし、進学塾で講師をしてきた経験では、特進クラスの子どもの学びはとても「学び合い」的である。授業の中での会話も非常に多い。学年が進むにつれて無言になってくるのは周りが「ライバル」になってしまうから。

【芦田】意味不明。

 
5)芦田氏は<「学び合い」教育のレフェランスは、“全国試験”では「平均より上」どまり。しかもこの“全国試験”には中の上以上の進学校は参加していない。>いうが、これは公教育である限界だが、公的な教育の成果を計る最も母数の多いのは全校学力検査しかない。そもそも「塾」で能力を身につけていることと、公的な学校教育の成果を比べること自体がナンセンスである。

【芦田】「公的な教育」であっても将来の東大生は存在する。塾へ通わなくても名門進学する生徒は存在する。公的な教育こそ、多様性を保証しなくてはならない。「子どもの能力はそれぞれ違う」と言いながら、公立と私立との区別だけはなぜかたくなに集団的に区別する? なぜ、公立学校が私学よりも低いと決めつける? きわめてご都合主義。


6)「学び合い」が特徴的なのは、平均点の向上ではない。最低点の向上である。また上位の学力の伸びも大きい。

【芦田】根拠を示して欲しい。この言明は何も言っていないに等しい。そもそも上位の生徒から「不満の声がある」ということを当日のあなたとの意見交換で、私は聞いている。そもそも上位の伸びが大きいのなら、私学の連中や塾好きの連中と戦わせればいいじゃないか。

 
7)教員のレファレンスを前面に出した授業は“落ちこぼれ”が必ず存在する。しかも、その割合は学力に反比例し、学力の低い高等学校では授業そのものが成立しなくなるようなことも起きている。しかも、レファレンスをどのように示そうとも、その寝ている生徒を目覚めされることも、ましてや学びに没頭させる力などない。

【芦田】それはウソ。取組が悪いだけのこと。高校で寝ていた生徒も私の学校ではみんな授業参加していた。先生が真っ先に割り切ってるだけのこと。相対的な進度しかない「学び合い」では落ちこぼれが目立っていないだけのこと。試験をすればあなたのあの日の授業が成り立っていないのは明らか。(あの日の知見分としては)何も教えていないのだから。
 

8)「学び合い」が特徴的なのは、下位の子どもが予習復習をするようになることだ。つまり学習に腐らない。芦田氏の言うように、もしも相対化による「見えない落ちこぼれ」が大量にあるのなら、子どもの成績も、子どもの学習意欲も向上することなどない。

【芦田】意欲はどうでもいい。犯罪にだって「意欲」は存在するのだから。そもそも成績が上がったというのをどうやって示すのか? そもそもあなたの学校でも二人の教員しか学び合いをやっていない。なぜ明々白々な成果があるのに、しかも教員が「楽(らく)」(西川)できる授業法なのに、他の教員は取り組まないのか? それを説明して欲しい。

 
9)一斉授業では一授業内で教員が採点することが多いが小学校では、そのために長蛇の列を作り、後ろでは遊んでいる子どもがいる始末である。しかも、多くの教師は採点はすれども、それをフィードバックすることもなく「ただの成績の記録」に留まっている。児童生徒が「何がどうできなかったかを理解する」のは自らが間違いを直したいという態度とそれを直せる時間と場の確保である。「学び合い」ではその場と時間を授業の中に確保している。だから私は「何度でも」やり直せる手だてを取る。

【芦田】それは採点の仕方が悪いだけ。「学び合い」でも下手な学び合い授業があるのと同じように一斉採点でも取組の仕方の悪い採点があるだけのこと。「私は『何度でも』やり直せる手だてを取る」という言明が意味を持つのは、その生徒がどんなレフェランスに基づいて反復しているのかという基準(理解目標)があってのこと。正確な診断がない反復は単なる時間つぶしにすぎない。

 
10)「学び合い」のレフェランスは〈より進んでいる、より遅れている〉かに留まるわけではない。「やらせっぱなし」の「学び合い」ならばそうかもしれないが、実際には教師の働きかけは大きい。子どもの動きを計るのは進行度でななく、子どもの深度である。

【芦田】あの一日の授業でまともな「教師の働きかけ」は一切ない。断言してもいい。
(引用終)

授業の評価基準が脳の個人差に還元されるなんて、噴飯ものですね・・・
「子どもの輝く瞳」なんてロマンティックで主観的な基準ではなく、
算数なら確実に基礎を使って応用問題が解ける、ということこそ基準です。
教員が「学びあい」(や算数の問題解決型の授業)のような
効果のない授業を金科玉条としている限り、
皮肉なことに、塾の需要は絶えることはないのでしょうね・・・
NHKさん、現在の公教育では塾が必要不可欠だということを、
間接的に「証明」してくれたことに感謝します(皮肉な意味で)・・・

ゲストの東京大学教育学部教授・佐藤学氏の入手しやすく読みやすそうな著作です。
なお、私は氏の考え方には批判的です。

学力を問い直す―学びのカリキュラムへ (岩波ブックレット)

「学び」から逃走する子どもたち (岩波ブックレット)

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コメント

ゴロ様、コメントありがとうございます。
教育現場で「算数の問題解決型授業」やこの「学びあい」のような、効果・実績が曖昧(もしくは否定的)なものにしがみついている限り、残念ながら、公立教育はますます信頼されなくなるように思います。

てんしちゃん様、ごぶさたしております。

うーん、突っ込みどころが満載ですね。何でこういう発想になってしまうのか。

おそらく子供の学力を伸ばせたという実感が過去1度もないのでしょうね。素人が机上で考えたようなことを現実に自信ありげにやっているんですものね。

子供たちで教え合うことを全否定はしませんが、まずは先生から教え込むことが前提です。子供の知識は曖昧なことが多いので、初めからその曖昧な知識で教え込むのは非常に危険です。

と、突っ込みだしたらキリがありませんね。ともかくこういう「?」な発想になってしまう日本の風潮を何とかしたいですね~。

ZAPPERさん、コメントありがとうございます。
塾での情報もありがとうございます。
「学びあい」の授業が1年中続くのは子どもたちにとってかえってマイナスをもたらすように思えますが、教師のしっかりとした指導と練習量をきちんと確保した上で、補助的に「教えあい」を取り入れるなら、授業内容の定着にとって非常に有効かもしれませんね。

まさに噴飯ものの企画ですね。あの原発事故当初のNHKと御用学者の癒着(?)を思い出してしまいました。「材料」を提供もせずに「学び合い」などとは笑止千万です。それは、その様子を上から見下している人間の歪んだ自己満足に過ぎないものでしょう。

話は変わりますが、昔、一斉指導形式で私塾の専任講師をしていた頃に、試験前の補習授業で対策問題を解く際に、子ども達に「教え合い」をさせていたことが多々ありました。これはとてもお勧めです。

いわゆるできる子が、できない子に教えてあげるんですね。教えられている子は「分かる」ようになり、教えている子は「分かるように教える」ことによって再度学ぶことになる。そして何よりも、子ども達同士がそれを通じて仲良くなるんです。

あの斉藤一人さんも、教育現場に「教え合い」を導入することを推奨なさっていて、実際にそれを取り入れた学校では「学力向上」もさることながら、何よりも子ども達が実に仲良くなったと聞いています。しかし、どうしてああいった発想になってしまうのでしょうか。ただただ呆れるばかりですね。^^

コメントありがとうございます。
現場からの貴重な声ですね。
「学びあい」は、多様な考え方をすることができるような教科、たとえば社会科のようなものなら効果的かもしれませんが、算数科のようなものには不適だと考えます。
向山型算数でぜひがんばってください。

 はじめまして。
 私の勤務校の市では、佐藤学氏らの推奨する「学び合う学び」「学びの共同体」を行っています。
 私は、佐藤氏の理念(だけ)はいいと思います。しかし、内容として??のところがあります。
 特に、今回、算数を取り上げたのは全く解せません。前任校でも、算数を取り上げた学年がありましたが、時間はかかりすぎます。結局、できなかった問題は宿題になる。こうなると、一番勉強してほしい子(発達障害系)はまず落ちてきます。結局教科書どおりのもどらざるをえなくなりました。
 算数は教科書通りに進めた方が絶対児童の定着率はいいです。ましてや、3割程度も内容が増えれば、時間のかかる方法でやっていたら、まちがいなく破綻します。
 私は、学級経営案に、「算数は向山型で進める」と明記しました。校長は、算数・数学専門で、市教委からきた方でしたが、何もいいませんでした。
 算数なんかは学び合いはいらない・・・といいたいところですが、市で進めていますので、習得すべき事柄が完全に身に付き、話し合いでも行っても、学力的に問題ないところで取り入れることにしています。つまり、ほとんど入れる余地はないということです。
 学び合いをやるなら、習得事柄を身につけた上での実行になります。だから、教科は国語・社会・理科・道徳などでしょうか?全体での話し合いの前にポイントよくやることが寛容です。

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